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家庭の医学

2017-10-14 20:33:46 | 日記
時々下痢をする。20年ぐらい前までは胃腸に関しては絶対と言えるほどに自信を持っていた。呑み過ぎてフツカヨイになることはよくあったが、それが腹痛、胃痛といったことに結びついたりはしなかった。それが還暦を過ぎるあたりから変わって来た。胃が痛む、下痢が2日間続くようになって来た。

下痢を止めるにはどうすればよいか。私は下痢止めの薬がのめない。一度服用したことがあって、するとそれが便秘に結びついた。便秘するぐらいなら下痢した方がいい。ずっとマシである。私の胃腸感覚ではそうなっている。そこで私は、何を食べれば下痢が止まるかと考えた。幼い頃、おなかをこわすと、祖母からおかゆを与えられた。それが2食か3食続くと、おなかは回復した。つまり、おかゆで下痢が止まったとも言えるわけだ。私はそのことを思い出した。下痢はいつかは止まる。その、止まるとは、何かが胃腸をストレートに通過せずに留まるということである。あるとき、ある一食が留まるこがお健康の回復である。

ヤマザキ製パンのランチパック(ピーナッツ)というサンドイッチ形式の食べ物がある。下痢をする。2日間にわたって続く。腹痛はない。もちろん病院へは行かない。行けば面倒な検査が待っているし、病名をつけられて下痢止め薬が処方されるだけである。朝食は、温めた豆乳だけを飲む。トイレに通う。昼食を遅らせて、2時頃になったらランチパックを2枚(1袋に2枚は入っている)食べる。なんとか腹にとどまってくれ、と祈る。それでいい。夕方には前日来の下痢が止まる。ランチパックの輝ける勝利だ。ありがとう、ヤマザキさん。今夜はゆっくり酒が呑める。そういうことが何度もあった。と、以上が、私における、家庭の医学である。

電話

2017-10-14 20:28:35 | 日記
前の家では番号簿に名前を載せてあったので、時々、用もない電話がかかって来た。××生命です・・・、畳屋ですがそろろ表替えの頃かと・・・、いま新しい投資信託のご紹介をしております…家人は人が好いので途中まで応答する。3分も5分も聴いている。私はすぐに切る。「私はこの家の留守番に来ているだけなので」と言って受話器を置く。聴くだけムダであり、話す方もムダな時間が短く済むから、家人より親切と言えるのではないか。

私は電話セールスというのが不思議でならない。たとえば、墓地のセールスなんて電話の売り込みが成功することがあるのだろうか。墓地ならば、ちょっと丁寧に作ったチラシ広告の方がはるかに有効なのではないだろうか。仮に我が家が墓地を所有していなかったらと考えると、1枚のチラシでも読む気になるだろう。

夕方になって、酒を呑む。ちょっと誰かと話したくなる。A君、B君の顔が頭に浮かぶ。妹にもしばらく電話していないなぁと思う。ところが我が家の電話の子機が故障している。親機の置いてある場所へ行くには、水割りのグラスを持ってヨチヨチ歩きをしなければならない。ま、電話するなら昼間にしよう、となる。昼間になると忘れてしまう。それに誰かと話したくなるのは、なぜか晩酌時なのだ。

安楽死

2017-10-14 20:22:18 | 日記
橋田寿賀子さんが文藝春秋誌に「安楽死で逝きたい」と書いた。人には死を選択する自由があるはずだと書いた。もちろん、自殺奨励のことではない。ある状態に陥った場合の話である。たとえば、と書く必要はないだろう。この世には現在の医学では救えない病気もある。その病に激しい苦痛が伴うこともある。

奈良に、ぽっくり寺という寺がある。多くの老人参拝者で賑わっているそうだ。ぽっくりと死にたいと願っている人は多い、というより、すべての人間の望みではないだろうか。人はいつかは死ぬ。それだけは絶対である。その最期のときに長い時間苦しむのは、誰だってイヤだ。あっと言ったが、この世の別れ、でありたいのである。

8年前の夏、私は胸部大動脈瘤破裂で倒れた。断片的な記憶はある。左胸部から右の腹側に向けて激痛が走った。激痛は3,4分間だったのではないか。あとのことはよくわからない。大量の失血で失神状態になった。そして8時間にわたるオペが行われた。全身麻酔の深い眠りの中で、私は、別の世界を見たことは前に書いた。あの深い眠りが永遠の眠りであったとしたら、と考えてみると、決して悪い死に方ではなかったと思う。1つの安楽死と言えるのではないかと思う(むろん、このことは、手術をしてくださったドクターの方々には言えないが)。
橋田さんの言う、安楽死を選択するということは、この全身麻酔の中で、ということがあると思うが違うだろうか。

理想の死とはいかなるものか?或る夜、少し酒に酔って眠る。そのままずっと眠る。永久に眠る。これである。酔眠死である。安楽中の安楽と言えるだろう。素晴らしいぽっくりと言えるだろう。この死に方は実際にあるようだが、詳しい病名(死因名)は知らない。

喋る、喋らない

2017-10-14 20:09:06 | 日記
病院の待合室で診察の順番を待つ。テレビはあるが退屈なので周囲を見回す。老婆が小型の歩行器を押して歩いていて、若い男性の介護士が付き添っている。2人とも無言である。顔もそれぞれ別の方角を向いている。何か喋ればいいのに、と余計な心配をしてしまう。会話がある方がリハビリもうまくいくのではないかと思ってしまう。老婆は入院中である。服装でそれがわかる。介護士は毎日定時に迎えに行く。「さぁ、院内を歩きますよ」と言うのだろう。私も経験があるのでその辺のことはわかる。私は介護士と院内で歩行練習をしたときは必ず喋った。「お宅はご近所ですか?」と訊いてみる。「はい、藤沢です」「ウチの次女も藤沢の辻堂です」「アタシは善行です」と。これでいい。そうすると次に出身地の話になったりする。

月曜日にマッサージ治療がある。重田名人と付き添いのIさんが来る。名人の指圧はホンモノだから会話の中に私の悲鳴が入る。名人は競馬をやる。「昨日はどうでした?」と訊くと、「ダメです。6番が買えませんでした」と、この「買えませんでした」のところで名人の指先に力が入る。すなわち、イテテテ、イタイイタイ!となる。「これも腰のためですね」と言うと、「そうです、すべて腰のためです」。本当にそうなのだ。治療のあとは数時間、腰の痛みが消える。

金曜日にはリハビリのC子さんが来る。東海大学の体育学部の出身らしい。つまり、中学高校の女の体育の先生の顔をしている。自分で体重をコントロールしていて、時々、「美人になりましたね」と言うと「ありがとうございます。頑張って3キロ減らしました」とほほ笑む。リハビリ終了後も10分ほどお茶を飲んで行く。家人ともよく話す。C子さんも家人もサツマイモが大好きだ。「スーパーの焼き芋もおいしいですよ。バカになりません」なんて話になる。