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日本語の研究

2013-05-15 20:36:01 | 日記
前総理の野田佳彦氏は「早急(さっきゅう)」を「そうきゅう」と言うのが常だった。家人にその話をすると、「今は両方とも使うんじゃない?」と言い、もしかすると、辞書には、「早急:さっきゅう(そうきゅう とも言う)」とあるのかもしれない。 しかし、それならば、「早速(さっそく)」も「そうそく」と読んでもいいことになるのではないだろうか。 また、どちらでもOKなら、日本の首相は当然により正しい方を選ぶべきだろう。   藩の重役クラスの武将ら5人が藩主に呼び出され、それぞれ3人の供を従えて、馬で主の邸に向かうが、邸の少し手前で馬を降り、あとは徒歩となるのが礼儀作法だった(鎌倉には、下馬四つ角という地名が残っている)。 供人達は、武将が戻って来るまで、待合所のようなところで雑談する。15人があれこれの街の噂や評判などの話で時を過ごす。これを下馬評と言うのだが、あるとき、競馬の解説者が「馬の下見所(パドック)での状態」を「下馬評」と勘違いして喋っていた。 下見所の気配と下馬評…なるほどよく似ている。  ゴールデンウィークに我が家に来てくれた友人達に、家人が私の母の写真を見せて「美人でしょ?」と問いかけ、娘が「ママ!」とたしなめた。娘は、身内自慢はみっともないと思ったわけだが、私の家人の言い方は誤っていない気がした。母は(美人であることは事実)家人にとって身内であるが血のツナガリはないから、自慢というよりは、ただの会話の一部分だと思うからだ。 娘と私の日本語感覚は、どちらが正しいのか。礼儀作法入門の著書がある山口瞳先生に訊いてみたい。

噂、評判

2013-05-15 20:27:58 | 日記
百貨店の広報に勤務している娘が、時々、芸能界やテレビ人間の噂や評判について話す。 「司会者のAは、テレビでは礼儀正しい態度で穏やかな口調で、にこやかで感じがいいが、現場では番組の出演者やスタッフに威張り散らしたり、すごく我がままで勝手放題のイヤな男だそうだ」「ベテラン女優のB子は、年下のタレント達を自分の雇い人と勘違いしている」「タレントのC子は、ああ見えても、なかなか頭が好い」…娘が自分で会った時の印象、あるいはマスコミ関係者などから聞いた話もあるが、それらのほとんどが、やがて週刊誌などで実証される。 ま、噂や評判が確かな世界なのだろうと思う。現場(工場のラインなど)には近所の主婦やオバさん達もいたが、事務系の独身女子社員の少ない会社というのは、少なくないだろうが、私の勤め先もそうだった。 つまりは、独身OLの売り手市場であり、モテモテだから、独身男性社員は懸命だった。やがて、A男はB子と、C男はD子と~という噂が出て、それが確定化していって、族に謂う社内結婚というゴールのテープを切る。 この世界もまた、噂は正確だった。決してお世辞ではなく、彼と彼女は現在でも幸福そうなのが嬉しいし、感想としては、よくいい相手を見ていたなぁである。   3年前の大病を乗り切って退院するときの近所のハイヤーが、病院の評判を、私以上に知っていた。私が、「ドクターもナースも、検査技師も一般職員もみんな一流ですね」と言うと、「そうなんです」と答え、「ナースセンターでも、菓子箱ひとつ受け取りません」と言い、それは本当なのだ。  ドライバーは入院経験はないだろうから、すべては乗客の話から得た耳学問だ。それにしても、素晴らしい病院だったと、今でも感謝しているし、あそこなら、どんな高評価を受けても当然だと思うし、その評判は全国的である。 家族や親せき、友人などに、ある種の病人が出たら、私は真っ先に、そのホスピタルを紹介する。

認知症予防は「喜び」

2013-05-15 20:19:56 | 日記
認知症予防は欲を持つことが一番ではないかと考えている。 欲は願望を伴い、その願望が成就すれば喜びにつながる。 食欲(食べることへの願望)があるからこそ食事に喜びがある~という理屈だ。 40年来の友人である、茨城在住のAさんは、70歳を過ぎた今もいくつか(東京マラソンのサポートなど)のボランティアに励んでいて、その1つに「リハビリ体操の指導」がある。 ボランティアは当然に無償であり、それどころか、俗に謂う持ち出しである。 自腹を切って、体操を指導する彼の願望は何か。 もちろん、その第一は受講者達がリハビリによって体が回復改善されることであろうし、そのことでAさんにも大きな喜びがあるはずだ。 さらに指導者と受講者の関係は、医師と患者の関係に似ているから、受講者との間に信頼関係がごく自然に生まれるだろう。 そのとき、Aさんの胸中には、「やっていたよかった」という想い(喜び)が沸くであろうことは想像に難くない。  私は欲のために株式投資と競馬をやっている。Aさんと較べて志は低いが、私には彼のような体力がない(あったとしても、私のような貧乏人には、無償の行為はムリだ)。株も競馬もギャンブルだからアタリもあるし、ハズレもある。そして、アタリが出たときには、幼子と同様な喜びがある。 Aさんの喜びと私のソレとでは品位とか格(グレード)という点では大差である。しかし、それはともかく認知症予防に役立つという点では共通するのではないだろうか。 なんて書いたらAさんは怒るだろうか。  と、水割りを呑みながら考えていると、彼のいたずらっぽい笑顔が浮かんで来る。 そして、彼はこう言うだろう。 「人の生き方も、認知症予防法も、それぞれだっぺ」と。