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由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

小浜逸郎論ノート その3(共同態・上)

2024年03月01日 | 倫理


メインテキスト:小浜逸郎『倫理の起源』(ポット出版プラス令和元年)

 初期の著作『男はどこにいるのか』からいきなり晩年の大著に移るのは、最近これについての勉強会を開催したからです。それで久しぶりに『倫理の起源』を読み返して驚いたのは、書かれていることの九割方に同意できること。それなのに、初読(小浜ブログ「ことばの闘い」の連載記事)の時から感じてきた違和感はなんだったのか、あらためていぶかしく思えました。今回はこれにこだわってみます。

Ⅰ.善の在りどころ
 小浜の最大の意図は明瞭で、西洋の大哲学者たちが、倫理の根拠を、善のイデアだの我が内なる道徳律だの、やたらに高いところや深いところにおいてきたものを、身近で具体的な人間関係の場に降ろそうということである。
 その中でも、あまりに卑近に感じられるからだろう、従来まともにとりあげられることもなかった男女の性愛関係に重きを置こうとする指向は、独創的と呼ばれてよいかも知れない。
 それ以外だと、一般的に、人間にとって最も重要なのは具体的な共同性であるのは当然すぎる話だ。人間は人間から生まれるだけではなく、普通は家庭という最小の共同体内で、人間に育てられなければ人間にはなれない。共同性(他者とのかかわり)以前に個人はない。倫理(人としての正しいふるまい)もまた、人の間にいればこそ必要なのである。

「善」とは、そもそも共同存在としての人間の生活を離れたところに自立的に成り立つような「観念」ではない。それは人間生活がうまく回っていることやうまく回そうと努力していることを示す「現実」の表現である。(P.077)

 ならば「善」は、なんら特別なことではなく、家庭も社会もひっくるめた共同体が無事に経営されている、それを支える日々のルーティンの中の「ひそやかで慎ましいもの」(p.079)であるはずなのだ。しかし、しばしばそれでは足りないと考えられて、それは簡単に錯覚だとは言えない。
 すると、むしろ問いは、なぜことさらに、共同性以外の人倫の根源を、特に西洋の思想家たち(東洋にもなくはない)が、探してきたか、という形にすべきではないだろうか。
 小浜が置いてくれた里程標を辿って、この問いに自分なりに向き合おう。
【実は、つい最近まで本当に忘れていたのですが、以下の記事は以前「倫理の起点」として書いたものと内容はかなり重なります。ただ今回は、ここから自分なりの一歩進めたいという意欲だけははっきり自覚しましたので、それに沿う形で編み直しました。】

Ⅱ. 国家の在り方
 近代国家は現在のところ最大の共同体だが、大きすぎて、全体を完全に把握することは誰にもできない。日本ぐらいの国になれば、国内でも、一度も行ったことのない土地のほうが多いだろうし、大部分の人とは一度も会っていないだろう。ごく普通の意味で(エロス的に)愛せるようなものではなく、「そこに属する住民の福祉と安寧とをいかに確保するかという機能的・合理的な目的意識によって支えられている」(p.418)ものなのだ。
 具体的には国家はどのような体制であるべきなのか。一見両極端が挙げられている。

(1)生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する(p.466)

 国家は国民の安寧秩序を守ることを第一の目的とすべきだ、ということなら、私を含めて、反対する人は現在少数だろう。ただ上の言葉を、個々人の幸福のためなら国家なんてどうでもいいんだ、というふうに取るなら、戦後の進歩主義と同じだということになる。小浜はそうではなかった。

(2)もし公共体としての国家が、外敵から己れを守るために個人の命を捨てることを要求する場合には、進んでそれに従わなければならない。(p.390)

 これはスイスの憲法の規定らしく、小浜自身が明らかに賛成しているわけではないが、反対はしていない。
 この二つはどのように両立するのか。

個体生命倫理そのものはなるべく貫かれるべきであるし、個々の個体生命の限界を超えて維持されるべきであるが、しかし絶対的ではない。いずれ誰もが死ぬということは、すべての人がよく知っているので、(中略)この倫理をただ何よりも優先されるべきものとして前面に押し出せば済むのではなく、ケースによっては死んでも仕方がないという諦念をいつも傍らに引き寄せておく必要がある。(p.393)

 「ケース」は、〈自分の属する共同体を守るために必要なら〉というのがすぐに頭に浮かび、だから(2)のような要求も出てくる。しかしこの要求が正当であり、従うしかないとすれば、「よりよい関係を築きながら強く生きる」のほうは損なわれる。これはアポリア(解き難い矛盾)とするしかないと思う。

(前略)公共性という概念そのものは厳として存在する。それは、もともと私的であることと一対の関係にある概念だから、抽象的であることを免れないのである。つまり、この種の関係概念は、ある事態(たとえば家族生活)が他方の事態(たとえば国家活動)に比べてより私的かより公的かという相対的な位置関係で把握するほかない概念である。言い換えると、私的・公的という対概念は、互いに他方の「否定態」としてしか成立しない。 (p.395)

 それでも小浜は後のほうで、このアポリアを解くことはできるという考えを示した。そのモデルとして採り上げられたのが百田尚樹の小説「永遠の0」。これについては前にも述べたが、未読の人のために以下に粗筋を書いておく。
 主人公は宮部久蔵という大東亜戦争中の軍人であり、達人の域に達した戦闘機乗り。にもかかわらず、戦場にいて「生きて家族の元へ帰りたい」と公言して、物議をかもす。戦局が悪化し、彼が指導した若いパイロットたちが特攻によって散っていくことが重なるにつれて、罪の意識からの葛藤に追い詰められていく。最後には彼自身が特攻に志願するが、同時に進発する隊員の中にかつて宮部を庇おうとして無茶をした大石がいた。宮部は自分が乗る予定の機に不調があるのを知って、口実を作って大石の機と交換し、自分は無事(?)米艦に突撃して戦死する。大石は、エンジントラブルのために無人島に不時着し、帰還する。この場合に限って、特攻から生還することが認められていたのだ。そして終戦。大石は帰国し、宮部の妻と面会、やがてお互いに行為を抱くようになって結婚、彼女と子どもとを守る。宮部が家族とした約束は、このようにして、大石によって果たされた、とみなせる。
 感動的な話である。お伽話としては。「単に戦前・戦中をひたすら軍国主義が支配した悪の時代と見る左翼的な平和主義イデオロギー」と「その左翼イデオロギーの偏向を批判するために、日本の行った戦争のうちにことさら肯定的な部分を探し当てたり、失敗を認めまいとしたりする一部保守派の傾向」という「戦後における二つの対立する戦争史観の矛盾を止揚・克服している」(以上p.445)とも言えるかも知れない。
 しかし、現実には。上の梗概の、「最後には彼自身が特攻に志願する」以下の部分の、偶然の連なりを考えれば、宝籤の特賞に連続して当るほどの確率だから、こんなことの実現はほぼ不可能だな、と自然に納得されるのではないだろうか。
 お伽話そのものも、ありがちなご都合主義も軽蔑はしない。そこには人間の時代や場所、さらには根本的な人間の条件をも超えたいとする切ない願望の現われである。それが傲慢な駄法螺にはならないのは、語るほうと聞くほうに、「世の中、そう都合良くはいかないがな」という諦念があればこそだ。
 結局、公と私とは、「互いに他方の「否定態」としてしか成立しない」のであれば、(イギリスの王家の紋章に描かれた王冠を支えるライオンと一角獣のように)、決して完全には相容れず、争い続けるまさにそのことによってこの世界を保っているということだ。
 ならばまた、個々の場面では、どちらかがどちらかのために犠牲になることを完全になくす術はない。この場合、弱い立場の私・個人のほうが、犠牲になるべく強いられることが圧倒的に多いのもごく自然であろう。
 できることは、「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きる」ことこそ人間が望み得る最高の幸福であり、簡単に無視されたり毀損されることがないように心がけていく、ぐらいではないだろうか。これすら、けっこう難しいのだ。

Ⅲ. 自己を支えるもの
 戦後の日本は、「個人の命を捨てることを要求」することはないだろう。少なくとも、露骨には。(個人の)生命至上主義は、普段敢えて頭に上ることさえないぐらい我々の常識になっている。とりあえず、結構なことと思う。
 国民が命懸けで国のために尽くす場面の代表はなんといっても戦争、壮年男性であれば必ずそこに参加することを義務とする、つまり徴兵制は、現在の先進国ではたいてい、実質的になくなっている。しかし、軍隊はある。徴兵制に対して志願制で。日本でも(自衛隊は軍隊かそうでないか、なんぞという面倒な議論は置くとして)、以下のような誓約をしてから国防の任に就く。

事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います。

 つまり、国家から与えられた責務を完遂するためには一身を擲つこと、するとかなりの確率で「身近な者たち」の「よりよい関係」を失うことまで要求できるのは、事前に「それでいい」と約束した人だけになる。最初に個人の決断が必要とされている。
 いや、最初ではない、そもそもある個人がそのような決断に至るまでには、彼の過去の共同性に由来する価値観や、今後の共同性をうまく保っていくための配慮(だいたい、日本国憲法第九条がある以上、日本は戦争なんかしない、だから、兵士として危険な目に合うなんてことは実際はないんだ、と予想するような配慮まで含めて)が、決定的な働きをしているはずだ、と小浜的な立場からは言うだろう。
 それに間違いはないのだが、いずれにしろ個人の意向はあり、それは無視できない、というのは民主主義国家の重要な前提、いやタテマエである。
 そうでなくても、人生には選択がつきものである。人がある共同態の中でけっこう不満を抱えていようと、まずます幸福にすごしていようとも。その選択の基準もまた、共同体から得た価値観にあるが、個別具体的な事態は決して繰り返されることはないのだから、結果は完全な予測は不可能であり、『人間は時間の中でたえず新たな「決断」と「行為」をなしていく存在』(p.304)であるからこそ、人は絶えず不安を抱えずにはいられない存在である。
 本書には、妻が難産で苦しみこのまま出産を続ければ母体も危険である、と言われた場合が例にでている(p.388)。このように直接に生死に関わる問題以外に、介護が必要になった老親を施設に入れるか在宅介護にするか、いつどの相手と結婚するか、転職するかしないか、家を建てるかマンション住まいを続けるか、などなど。
 念のために言うと、その問題が各個人及び家族にとってどれほど重い問題であるか、まで含めて、よそからは窺い知れない。自己責任なる言葉は好きではないが、何かを選んで、何かを捨て、何かを為すのは、個人であるしかない。
 ただ、小浜はこここで、それでもやはり、共同体への信頼感(これこれをやれば、家族や知り合いに認められる、少なくとも非難はされない、といった)がなければ、人は何事も決断し得ず、何事もなし得ない。つまり、人は不安であるからこそ、共同体内部の信頼が必要となる、としている。ここは非常に微妙なポイントなので、後で改めて考える。
 いずれにしても、現に決断して、その結果を受け止めねばならないのは個人である。選択がうまくいかなかったと感じられたときには、であることによって、そのを物心両面にわたって産み出した共同性が実現されている、という幸福な一体感は揺れて、単独者としての私が顔を出す。
 大前提として、小浜は、身近な人間関係、即ち彼の言うエロス的関係以外は、国家も、自由で自立的した個人も、すべて人間社会を保つためのフィクション(人工物・仕組み・約束事)だと考えていた。私もそう思う。しかしそれがフィクションである以上、〈共同主観〉ではあっても、根拠が見失われたら雲散霧消してしまいかねない。その危険は常にある。

それでは、「個人の自由意志の結果としての行為」という、近代道徳の図式の基礎にあるフィクション性には何の根拠もないのかといえば、そうではない。そこにはフィクションを構成せざるを得なかったそれなりの理由がある。また私たちは、人と交わりつつ生活していくうえで、このフィクションを設定せずにはすまない。
 それは、簡単に言えば、私たちが関係を編みながら生活しているとさまざまな摩擦葛藤が生まれ、やがてそれが高じて取り返しのつかない不幸な事件や解決不能な不祥事が引き起こされることがあるからである。つまり自由意志から行為へという因果関係は、じつは逆なので、まず不幸や不祥事が起きた時に私たちの感情が混乱し、自己喪失や共同性の崩壊の感覚に襲われるのだ。それを何とか収拾して未来に臨むために、私たちは、「ある個人の行為は、その人の自由で理性的な選択意志を原因としている」というフィクションを必要とするのである。
(P.193)

 問題は、不幸や不祥事だけではない。我々庶民が生涯のうちに何度か直面せざるを得ない選択もそうであることは前述の通り。だいたい、crisisの原義は「分岐点」なのだ。
 あらゆるものがそうであるように、共同性も時間の中にあり、変化する。親も自分も年老いるし、幸せな性愛関係を結んでいた相手もあるとき突然心変わりする。そこに肉親の扶養義務や、結婚という制度の枠を嵌めて、外側から、あまりに乱脈にしないようにするのは国家の役割だが、内面的に、既成の共同性を超えてを支えてくれる存在への冀求も生じる。そこにまた、自分を大きな存在と思いたい心性も相俟って、永遠に確固不動の超越者・絶対者の概念が、人間社会の中に広く長く見出されるようになる。
 我々東洋人、特に日本人は、伝統的に、「自己喪失や共同性の崩壊の感覚に襲われ」ることが少なかったか、あるいは、それをことさらに問題視する心の習慣に乏しかったせいで、絶対なる観念とは縁遠かった。それは幸せなことと言ってよい。なぜなら、そんな観念が必要と感じられる共同体は、けっこう不幸なものだろうから。
 しかし、今後もその幸運が続き、例えば、私というフィクションを支えるための絶対者などの大フィクション(苦しいときに頼む神であっても)の必要が実感されないかどうか、そこまではわからない。
コメント (3)
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小浜逸郎論ノート その2(男女関係論)

2024年02月05日 | 倫理


メインテキスト:小浜逸郎『男はどこにいるのか』(草思社平成2年→ちくま文芸文庫平成7年→ポット出版平成19年)

 前回の続きですが、表記の著作の主題である男性論・男女関係論について、特に興味を惹かれたところを、できるだけ咀嚼して自分の言葉にして述べてみます。地の文の〈  〉は強調、引用文中のは引用者の註記です。

Ⅱ.フェミニズム。すべての男女関係を権力関係として糾弾する。
 旧来の〈男らしさ・女らしさ〉、いわゆるジェンダー・アイデンティティに疑問符をつきつけたのは何よりもフェミニズム及びそれに近い人々だった。
 現在ではX(旧ツイッター)に蟠踞する通称ツイフェミや、各種NPO法人での活動が目立つが、30年前には上野千鶴子や江原由美子らの少壮の学者がマスコミによくとりあげられていた。彼らは歴史学や精神医学、さらには文化人類学からさまざまな知見を動員した言説を展開したが、この思想が世に広まった論理と心理は昔も今も変わらず、以下のように要約できる。
 「男性がこの世を支配し、女性が屈従に甘んじている」(P.262)。これは理不尽でもあれば不当である(論理)。ムカつく(心理)。
 まるっきりのデタラメではない。そう言ってもいい現実はあったし、ある。そして、このような論理と心理の最大の強みは、少なからぬ人が、多くは女性が、日頃抱きがちなルサンチマンに訴えることができる点だ。「自分が職場や家庭でうまくいかないのは、男性(中心)社会だからだ」という具合に。
 さらにルサンチマンは被害者感情を与え、そこからして、多少(でもないが)の無理には目を塞いで、単純化した見方をゴリ押しすることをも正当化する。①旧来の社会悪は、戦争も圧政もすべて男がやったことだ、とか、②いつも男は加害者で女は被害者だったのがから、補償を求めても当然、とか。たぶんここで得られる快感は、合法的に得られる範囲では、他にほとんどない。
 しかし、と小浜は言う。「現在の男と女の枠組みは「作られ」「仕組まれた」ものだというようなことを何べん声高に繰り返してみたところで、それは相も変わらぬ潜在的な不満や怒りを一定の水準にまで組織化できるだけであって、そこから先には一歩も進むことができない」(P.27)。
 大切なのは、個々の理論や社会観の正しさ以上に、一人の女性、と男性、の幸福に、いかに、どれくらい資するか、なのだ。このような穏健な考えでさえも、攻撃専用武器に特化したフェミニズムからは、旧来の、男性社会の、社会悪を防衛しようとする動機から出ているように見えてしまう。小浜もまた、そのような糾弾を浴びることがあった。
 それに社会運動でもあるフェミニズムは、一歩を進めたとも言えるようである。運動や思想内部では細かい相違もあるが、大きなところでは、〈男らしさ・女らしさ〉の枠をできるだけ緩やかにすること、いわゆるジェンダー・フリーが、大きな目標となった。それがSDGs十七の目標の一つに入ったのは、この運動の成果ではある。また日本ではフェミニズムがウーマンリブと呼ばれていた頃から、女性の社会進出の促進が叫ばれ、昭和47年の男女雇用機会均等法という成果を出した。
 それを踏まえて、改めて考えよう。男らしさ・女らしさは、長い間広い範囲で通用してきた価値観であり、それには個人を束縛する要素も必ずあるだろう。とりわけ、女性を家庭に縛りつけ、いわゆる社会の指導層に入ることを妨げてきたことはあるだろう。そのことは女性にとって、不幸なことばかりだったのだろうか。
正確に言えば、男を地位や権力を手放さないできたのではなく、勝ち負けや成功失敗がはっきりせずにはおかない、地位や権力をめぐるゲームに巻き込まれてきたのであって、女はそのゲームから外されてきた」(P.37)のが実情なら、女性もまたそのゲームに加わることが必ずよいなんてどうして言えるのか。権力と呼ばれる強制力が、ずっと人間社会で必要とされてきた事情が、女性が中心の座を占めたところで変わるものではない。それは、政治や経済の指導層に女性が多く就くようになったヨーロッパの国々の様子を見ても明らかであろう。
 個々の女性の立場からしても。このようなゲームでは、確実に、勝者より敗者のほうが多くなる。職場で実績を出して能力が認められ、輝いているキャリア・ウーマンはいるだろうが、それは少数。まず大抵は、若い女性が嫌うくたびれたサラリーマンおっさんの女版になるしかない。女性も社会で働くのがごく当り前になった現在だから、そのことも明らかになったのである。
 いや、それすらもう古いのかも。「男に頼らない自立した女性」を持ち上げた雑誌記事などを信じて未婚を選んだ女性たちの、その後の嘆きを描いた松原惇子『クロワッサン症候群』が出たのは、昭和最後の、1988年である(文藝春秋社刊)。
 結局のところ、この点で従来の社会風習の問題点としては、意欲も能力もあるのに、女性だからという理由でしかるべき地位に就けない場合は、本人にとっても社会にとっても不幸なのだから、できるだけ改めたほうがよい、ということに尽きるのである。

Ⅲ.家庭の変貌。「継ぐもの」から「創るもの」へ。その中の男。
 近代日本の「家」の変貌について、歴史的なことは小浜はあまり言っていないので、私が別の機会に調べたことを下に略記する。
① 家(父)長制。明治31年完成の旧民法では、家長(法文では戸主)が家産のすべてを受け継ぎ、家人はその許可がなければ転居も結婚もできなかった。その代わり老親など、家人を扶養保護する義務も専一にあった。次代の戸主は、可能な限り長男が継いだ。
② 江戸時代では人口の八割以上を占める農民は、歩いて行ける範囲の田畑を耕して生計を立てた。同一地域に住居と仕事場がある人々は、協力し合うことも多い村落共同体の中で生活していた。明治以後、産業の発展と共に、大都市の企業に勤めるサラリーマンは、郊外に家を持ち、30分から1時間以上かけて通勤する「職住分離」が代表的な勤務形態になった。同時に、妻は、多くの場合、夫の補助としてであれ、農作業に従事することが当り前だった立場から、夫が仕事中に「家を守る」専業主婦に変わった。
 両方合わせると、家庭は縦軸(家名・家督)からのも横軸(地域社会)の共同体からも独立を強め、一国一城の如きものとなった。男と女が、お互いに相手を探して結婚して家族となり、子どもを産んで育てて、その子が成長したらまた新たな家族を創る。それがサラリーマンが勤労者の九割近くを占めるようになった現在の、ごく普通の家族の在り方であり、小浜が最大の価値を置いたものである。
 旧制度は男というよりは、共同体の最小単位、いわば細胞であると同時に生産拠点でもあった家(農家)を守るためのものであった。しかし、男性中心・優位を当然としてはいる。新民法では、この前提は建前上消えて、男性の優位は「金を稼いでくる」以外にはない。小浜はこの点では全く守旧派ではなく、こう言い切っている。「しかし、いわゆる男の権威なるものが実態のない前世紀の遺物にすぎないならば、この〈男は家庭内では無力であるという〉自己暴露は進めば進むほどよい」(P.249)。
 また地域社会は、よい時には、労働時の協力以上に、セーフティ・ネットとして有効に機能したこともあった。母が病気で寝込んだとき、隣家の奥さんが食事を作って持ってきてくれる、なんぞというのは、昭和29年生まれで農村育ちの私が実際に経験したことである。また、男女ともにいい歳まで独身でいると、近所の世話焼きおばさんがお見合い話を持ってきてくれることも普通にあった。すべての男女が独力で結婚相手を見つけられるわけではないので、おかげで助かった人もいる。今は結婚相談所があり、各種の配達サービスや福祉施設のサポートなどで、そういうのはいわばアウトソーシングされている。ただし、けっこう充実している場合でも、大きな家族のような地域社会が持っていた直接性や即応性にはどうしても欠ける。
 それこそが温かい人間同士の結びつきなのに、日本社会が豊かになり都会化した結果すっかり失われた、なんぞという保守的な人々にありがちな嘆きは、ものごとのせいぜい半面しか見ていない。これは「半ば戦後大衆自らが個人生活の快活さを求めて進んだ道」(P.258)であって、「「核家族」という生活思想の枠組みは、けっして後戻りもできず、また後戻りすることがよいともいえないような、強固な現実的基盤としての意味」(下線部は原文では傍点部。P.259)がある、と小浜は言う。近所中が昔からの知り合いで、雨戸以外は障子一枚で外と仕切られた家では、プライバシーなどないも同様、それは不快だ、と多くの人が思わなかったら、今のような世の中にはなっていないはずだ。
 その上で考えるべきこと。「家庭が無条件に憩いの場であってほしいというのは、男が飽くことなく抱いてきた幻想」(P.246)だが、その構築と維持には現在特有の難しさがある。そもそも「家を守る」というが、家名なんぞというのは江戸時代には名字もなかった庶民にはもともと関係ない話なのだし、「位牌を守る」というのは、お盆の時の民族大移動的な故郷への墓参の形でまだ残っているとは言え、日常的にはすっかり薄れている。今の家が具体的に守るべきものは、子ども以外にはない。だから、家庭の中心課題は子ども、その「教育」になった。
養育時間の自立と、平等社会というイデオロギーと、親の職能伝授による成長促進の喪失。〈中略〉この三条件はよく考えてみると、すべて子どもが成人するまでの時間をいったん白紙の状態に置き、そこへ他者主導型の「教育」という過程を介入させる予備条件の意味を持っている。」(P.253)地域共同体という目に見える中間項が崩壊した状態で、子どもの将来の社会的な価値を測ろうとすると(測らないわけにはいかない)、国家大の一般的な尺度によらざるを得ない。偏差値とか、有名大学への入学とか。それを示すのは、学校とそれに付随する教育産業などの外部機関だ。核家族、なんぞという言葉がもう使われなくなったほど当り前になった現在では、仕方のないなりゆきではある。
 それでも、子どもの扱いに迷ったとき、外部の「専門家」に頼るまでは仕方がないとしても、それに家庭の内部事情まですっかり委ねるのは「グロテスク」(P.256)でしかない。一般社会と家庭は本質的に違う場所だし、そうであるべきなのだ。
 また、社会的な評価基準は、夫を測るためにも当然使われる。収入とか、企業内の地位とか。妻子から見てもそれが男の価値のすべてになったりしたら、実質的に家庭崩壊である。
 すべてひっくるめて、家庭というエロス的共同体であるべき場所もまた、タダで手に入るものではないことが明らかになった。男もより主体的に家庭に関わることが求められる。それは必ずしも家事や育児をもっと分担しろという意味ではなく、「男はおざなりに用意された空虚な権威性や古い枠組みに安住せず、家庭内における存在性を人間的実力によって獲得すべき」(P.260)なのだ。
 ただ、こう言うだけなら、単なる説教にしか過ぎない。それはもちろん小浜も気づいていて、「好むところでもなければ、得意とするところでもない」が、「ある望ましい心構えを私たちが形成することは、現在の社会体制のなかにある問題点を少しでも鮮明にすることに寄与するかもしれないと考えて、あえて慣れないことを試みた」(以上P.261)と付け加えている。
 また、後の著作では、父親像を「家父長型」「人まかせ型」「友だち型」の三タイプに分け、「一つの前提」として自分がどういう傾向に陥りやすいか、少しでも意識してほしい、「その後は、自分及び自分の家族にとって一番いい父親像とはどういうものかということを、各自で模索していくしかない」(『中年男性論』筑摩書房平成6年P.93)としている。一般的に言えるのは、これがせいぜいなところなのは、了解できる。

Ⅳ.セクシャリティー(性の在り方)について
(1)「見るー見られる」関係

男は女との出会いの瞬間から、女の直接的な身体性を性的信号として受け取っているが、その信号は、もともとエロス的な関係の全体性にむかって開かれてゆく可能性を持っている」(P.55)。その場合まず肝心なのは、見る側と見られる側を固定しないことである。固定されたら、それは正に権力の関係になる。秘密の裡に徹底的に監視されていて、ゆえに完全に管理されているG.オーウェル「1984」を思い浮かべるとよい。その関係が「全体性にむかって開かれてゆく」ためには、〈見返す〉眼差しが必要となる。
 倫理学の点で小浜が最も影響を受けた和辻哲郎の言葉を、以前にも引用したが、もう一度引いておこう。

間柄において「ある者」を見るときには、この見られた者はそれ自身また見るという働きをする者である。だからある者を「見る」という志向作用が逆に見られた者から見返される。このことは「見る」という働きが単なる志向作用ではなくして間柄における働き合いであることを意味している。(和辻哲郎『人間の学としての倫理学』)

 これを男女関係で考えると、「女は性的主体として受動的であることによって能動的である。彼女は自分の心と肉体を他者のまなざしにさらすことを通じて自分の性的主体性を確認してゆく。「見られる」ことは「見せる」ことでもある。」(P.70)
 〈見られる〉身体を〈見せる〉ものとして主体的に引き受ける時、〈見る〉者としての(普通は)男を引き受けるかどうかの決定権も得る。レイプとセックスは違うが、(普通は)男との行為が暴力であるかエロスの関係であるかは、女性の思い次第である。
【もちろん「不同意性交」などで罪に問われるとしたら、一応でも客観的な基準が必要になるが、それはあくまで社会的関係の次元の話。男性は、女性に認めてもらえなかったら、性交はできても、エロス的関係にはなれない、ということ。】
 上記の〈確認〉は生涯のかなり早い段階で起きる。「女の子は、性の目覚めを生活に連続するものとして受けとめるが、男の子は、一回ごとの行為〈ここは「行為」ではなく「欲望」では?〉に促されるものとして受け止めてしまい、自分に起こっている問題を自分の未来や具体的な他者につなげていくことに困難を見出す。そういう原基的な世界経験の差異というものが、言語とか思考とかの領域において、世界への向き合い方についてについてのある〈男女別の〉特定のスタイルを無意識に選び取ることに作用していないはずはない」(P.150)。
【ちょっと疑問なのは、女性は性自認において完璧に安定してるというラルフ・R・グリーンソン(マリリン・モンローが最晩年に頼った精神科医で、彼女との数十時間に及ぶ面談テープを遺したことで有名)の言葉を小浜は引用し(P.218)、賛同しているが、本当だろうか。男からすると、12歳前後に初潮を迎えてから女性の身体になっていき、それと同時かその後に〈見られる〉性であることを引き受ける心の過程はかなりドラマチックではないかと想像される。それを経た(のか?)女性は、なるほど、男性よりずっと落ち着いて見えるけれど。】

(2)哲学男と物語女
 「人間〈特に男〉は社会的動物である」という自己認識がいかに偏ったものであろうと、男は、他人の目にも見える形で、つまり自分の外側で、何かを達成してナンボ、という価値観は少なくとも当分は変わらないだろう。
 セックスもまた、男にとっては達成すべき事業の面がある。「それ〈男性にとっての性行動〉は、道具を用いて「一仕事やってのける」というイメージにたいへん近い。それは短時間で終結してしまう一回ごとの物語であり、彼(の意識)は、その終わりを「やれやれ」といって離れることができる」(P.120)。つまり、男にとっての性行為は、勃起(スタンドバイ)→挿入(過程)→射精(完成)と順序立てて進む作業であって、終わったら「ご苦労様」と、誰も言ってくれないが、自分で自分に言いたくなるイベントである。
 これに対して女性は、「一般にからだのいろいろな部分をさわられることに非常に敏感であり、〈中略〉しかも女性器は身体の内部につながる器官であり、膣にペニスを挿入されるという受け身的な経験は、それが本当に快楽を引き起こすなら、全身への拡張を容易にし、ちょうど体内の痛みが心の注意を強く引きつけるように、しかしそれとは逆の意味で、心的なはたらきを喚起する度合いが強いように思われる」(小浜『エロス身体論』平凡社新書平成16年p.170)。
 つまり女性の性体験は〈全人的〉であり、その相手である(普通は)男の、ペニスではなく、〈人間性〉はより大きな問題にならざるを得ない。また自分が単なる女(≒女性器)として扱われることには大きな屈辱を感じる。
 さらに、「〈子どもを産むポテンシャルのために〉自分の人生について彼女はあるイメージをもってしまい、自由で不安定な状態にとどまることの可能性が自然と狭められる。授乳と養育に駆りたてられるのは、単に機能的な必要性の観点からそうなるのではなく、彼女の心身そのものが大きな方向性を受けとってしまうからそうなるのである。彼女は、自分が主人公である長い物語を与えられた」(P.122)
 赤ん坊は女性にとって文字通り血肉を分けた分身なので、母親はそれに〈とっての〉存在であることはごく自然に受け取られ、それとのともに生きていく物語もまた自然に受け入れることができる。
 言い換えると、「女はエロスの神に正式採用されるが、男はいつも臨時雇いにすぎない」(P.123)ので、「一人の女とエロス的な時間を共有しようとするとき、男は自分のエロス的なものの欠損部分を、倫理的なものによって補償するしかない。愛と呼ばれるものは、男にとって半ばは倫理であり、愛そうとする意思である。」(P.150)。ヤッちまって孕ませちまったら女とガキが生きていけるように責任取るしかないよな、というような倫理と意思。この哲学を実践する自分はカッコいいぜ、という、またしても誰も言ってくれないが、自分で思うのは自由で、そんな快楽が男には大事なのである。
 一応の結論。「男は社会、女は家庭という分業形態は〈中略〉なかなかに変わり硬い人間的性差を根拠とした、一つの支配的な現象形態であった」(P.143)「蓋然的なことしかいえないのだが、要するに、この〈男女の分業上の〉違いは、原初的な性差と、それに基づく歴史的分業過程との合作」(P.144)なので、そんなに容易には変わらないし、無理に変えるべきものでもない。だからといって女性の社会化(社会進出)が進むこと自体がいけないわけではないが、その場合でもこれを視野に入れていたほうが、男女双方とも幸せになりやすいだろう。
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小浜逸郎論ノート その1(序)

2024年01月24日 | 倫理

Bronze statue of Eros sleeping, 3rd–2nd century BCE, Collection of the Metropolitan Museum of Art, New York

 昨年物故した小浜逸郎さんは、もしかしたら日本最後の思想家ではないかと思います。
 知識人や広い意味のジャーナリスティックな言論人なら今もいるし、これからも登場するでしょうが、思想家は。この言葉を見ただけで、何やら時代遅れのような、場違いのような気が少しするでしょう。思想を、今簡単に、〈言葉で、人間と人間世界の在り方を根源的に捉え、そこから可能な「あるべき姿」を探求しようとする試み〉だとすると、そもそも、言葉に対する信頼感がもうそんなにないんだよ、という気分に突き当たります。これには、いささか心が寒くならざるを得ません。
 それでは何ができるか? もちろん大したことはできせんが、とりあえずの試みの場として、我々には、小浜さんが著作以外に遺してくれた「日曜会」という勉強会があります(左側コラムの「ブックマーク」の一番上にHPのリンクがあります)。元は小浜さんが始めたのですが、30年ほど続くうちには、それなりにいろいろあって、今はかつて事務連絡を担当していた私が主催ということになっています。いままでにももちろん小浜著をテキストに採り上げたことはあったのですが、改めて、若い世代を中心に、小浜思想の検証を行えばどうだろう、と思いつき、その若い世代の賛同を得ることが出来ました。
 その最初として、昨年の11月12日、高校時代から小浜逸郎の著作に親しみ、最近全著作読破をなしとげたという若き哲学徒・Fさんに、小浜逸郎の全体像を概観する発表をしてもらいました。小浜は著作だけでも、新書本を含めて50冊以上あり、短い時間で語るのは至難の業なのですが、よくまとまった、しかも真摯な情熱が伝わってくる発表で、感心しました。
 発表のタイトルは「小浜逸郎 《生活者の思想》」(このときのレジュメ、というよりそれ自体立派な論攷は、なぜかここには直リンを貼れないのですが、左の「思想塾・日曜会」から「しょ~と・ぴ~すの会」GO⇒「現在までの記録」GOの順にクリックしてもらえると、全文アップしているページにたどりつきます)。これは、西洋哲学・思想を初めとする様々な理論を学び、現代社会に対する精緻な分析も示しながら、それを必ず、この世で実際に生きている人間=我々の場において検証することを忘れなかった、そこに小浜さんの最大の特質がある、ということです。そう言うと、けっこうありふれている評のようですが、もっとずっと掘り下げて考える値打ちがあります。
 今簡単に入口だけを言いますと、小浜の出発点であった初期三部作(『学校の現象学のために』『方法としての子ども』『可能性としての家族』)で展開した方法論があります。学校・子ども・家族は、誰にとっても身近な領域なので、改めて思想の対象にされることはそんなに多くはない。なっても、それはいわゆる上から目線の、学校は/家族はこうあるべき、といった「べき論」の立場からのものがむしろ普通です。
 別の言い方をすると理念先行型で、現にそこで生きている人々の実態・実感は二の次にされる。そのため、現実には不幸をもたらすことのほうが多いようにように思います。
 教育論という名の学校に関する言説には、特にこの傾向が強いです(『学校の現象学のために』は当ブログではここでとりあげました)。そこで小浜はまず、それらを「おこさま教」「おめでた教」「おなみだ教」等々とサンプリングして、その非現実的な、今で言うお花畑的な思考、というより、「~教」のネーミングからうかがえるように、例えば「子どものすばらしさ」は絶対の真理とする一種の宗教と言うべきもの、をぶった斬っていく(この論者の中には現役の教師もいる。現に生徒に接しているときと、論を述べる時には自然に別人格になるらしい)。 
 実のところ、「子どもは素晴らしい」「教育は偉大だ」と浮かれているだけならいい。困るのは、では、「すばらしいとは言えない現実はどうして生じたのか」に転じると、ただちに、「それは教育を与える主体たる教師が悪いからだ」になる。最初からこれが言いたかったとしか思えない言説者(評論家や行政者)も多く、教師は、一切の反論は許されず、まともに聴いたりしたら、無力感に苛まれるしかないような代物です。
 しかし見かけだけだと、理念先行型は、都合の悪い現実を些事あるいは夾雑物として最初から捨てているので、一見いかにも颯爽としていて、明快で、「覚悟がある」言いようになる。これは、特筆大書したいのですが、全くの錯覚です
 一方、現実の諸条件を踏まえている言論は「理念はかくかく、しかし現実はしかじか」という具合に揺れるので、どうしても「ああでもないこうでもない」(『男はどこにいるのか』初版の「あとがき」にある小浜の自認)の煮え切らない印象がつきまといがちになります。
 さらには、「それでいい/仕方ない」という意味での現状肯定の動機を秘めているようにも見えてしまいます。それもあって、小浜はやがて、保守的言論人の一人にカウントされるようになりました。

 本年1月に、Fさんの跡を継ぐ形で、私が、男性論、というか男女関係論を定点として、そこから見えてくる小浜思想の特質を考えましたが、このことに改めて気づく機会になりました。
 一つにはこれは、家族や学校より以上に身近過ぎて、本格的な思考の対象にしようなどとは滅多に思わないトピックだからです。誰もが性別のカテゴリーを無視して社会で生きることはできません。具体的な異性を意識することとは別に、男はどうたら女はこうたらいう話を、一度も言ったことも聞いたこともない大人は、たぶんいないでしょう。多くは、飲み会などの場で。たいへん一般的であると同時に、徹底して個人的(プライベート)な問題。非常にデリケートで感情が絡んでくるのは避けられない問題なので。
 逆に、何を言おうと、「そんなの、人それぞれじゃないか」という感想をもたれがちですし、「いろいろコムズカシイ理屈を並べているが、結論は当り前のことじゃないか」というのもあります。むしろこういうほうが多いかも知れませんね。小浜の著作は、そこでまた、読む人を選んでしまうのです。

 それでもこの主題は、小浜の文業の中では家族論→倫理論と(狭い意味の)エロス論、現代社会状況論にまたがっていて、その重要な一部を成しています。今回と次回の二回に分けて、発表のレジュメに基づき、ここで採り上げられている論点のいくつかを整理して、自分の感想を加えて、私の小浜逸郎論の最初にしたいと思います。
 テキストとしては、六冊目の単著、『男はどこにいるのか』(草思社平成2年→ちくま文芸文庫平成7年→ポット出版平成19年)を主に使用します。時に小浜逸郎は43歳。後にこのテーマは、『中年男性論』(筑摩書房平成6年)『中年男に恋はできるか』(佐藤幹夫との対話形式、洋泉新書y平成12年)『男という不安』(PHP新書平成22年)などで展開されるのですが、若い時代の文章は、やや硬いのですが、その分勢いがありますし、また目配りの広さも一番です。引用文末の頁数は断りがなければポット出版版『男はどこにいるのか』のものです。

Ⅰ.小浜の大テーマ・権力とエロス。人間関係の二原則。
 晩年の主著『倫理の起源』(ポット出版平成31年)にまで至る小浜の倫理観、小浜倫理学と言ってよいものは、その基本は人間同士の関係性を二大別するところから始まる。「人間はおおむね社会生活とエロス的生活という二つの生活軸を抱えて生きている」(P.251)
 この二つの中でも小浜にとって重要だったのはエロス(的生活)であったことにまちがいはない。エロスなる言葉については、いろいろなことが言われているのだが、小浜独自の定義と言えそうなものを同書の中から探すと、「自分が誰々に「とっての」存在であると同時に、その誰々も自分に「とっての」存在であるような生き方」(P.142)がそうだろう。つまり、その人間の存在自体が問題になる、真にかけがえのない者としてある関係性がそうなのだ。
 それならば、全人的な関係とか、人格的な結びつきとか、他にも言い方はあると思うのだが、なぜ誤解を招きやすい「エロス」に最後までこだわって使い続けたのか、今回『男はどこにいるのか』を久しぶりにじっくり読み返してみて、わかるような気がした。男女の性愛関係こそその典型だと考えていたのだ。これについては後述する。
 一方社会的な関係の場においては、権力が必要になってくる。権力とは「ばらばらな人間意思を、その個々のものの思惑や属性のいかんにかかわらず一つにしてしまう意思の実現」。従って、「この定義に関するかぎり、権力的であることは、非エロス的である。なぜならば、エロス的関係が本来的な意味で成り立つ場合には、まさに相手の個別性や思惑そのものを媒介として融合することがめざされている」(以上P.126。下線部は原文では傍点部)のだから。
 しかし、「「人間は社会的動物である」という偏った自己確認が、男のアイデンティティを圧倒的に支配してきたために、その領域における人間関係の基本的なポリシー(引用者註、権力関係、だろう)に基づいてエロス的な領域に向き合う傾きが、歴史的に習慣化してしまった」(P.127)。これは誤りであり、エロス的関係の場であるべき、普通は家庭を中心として、その安寧を守ることを外部の共同体、その最大のものは国家、の至上命題とするように編み変えるべきである。そこに、小浜倫理学の眼目があった。「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」(ブログ『小浜逸郎 ことばの闘い』中「倫理の起源61」2015年1月21日よりコピペ)
 以上の二区分は、純粋な理念、概念規定であって、軍隊の指揮官が大勢に号令するような場合は別として、個人に命令する場でも、いっしょに生活する場合でも、必ず幾分かはこの二つの感覚は認められる。企業のような利益共同体であっても、ある者の仕事の上での有能さとは別に、その者の人間性に関する上司や同僚からの好悪は必ず問題になるし、たとえ夫婦二人きりの最小の共同体であっても、社会は社会なのであり、時を過ごすうちに、二人の成員のうちのどちらかが、権力、と言って言葉が強すぎるなら、主導権を握るか、は自然に決まってくる。
 人間はさほど純粋な存在にはなり得ない、ということで、それぐらいは小浜にも当然分かっていた。

 それとは別に、上記について私の疑問があります。大別して二つ。両方とも小浜さんに直接訊く機会があり、うるさがられました。
(1)エロスそのものの中に、権力欲、に似た欲求が認められるのではないか。言い換えると、エロスと呼ばれ得る一個の人格そのものへの親密な感情の中には、その人のためを思う、というのとは逆向きな、完全に支配して、ついには破滅にまで至らせる淫猥な権力衝動が働いている場合があるのではないか。
 このことについての思い出は、このブログでトルストイの家出騒動(をめぐる正宗白鳥と小林秀雄の論争)について触れたとき、小浜さんが妙にのってきて、エロス(このときは、現在普通に使われているエロスの意味に近かった)について、いろいろ語ったことです。それはフェイスブックのメッセージでもらったのですが、どういうわけか今は消えています(たぶん、向こうが消したんでしょう)。それで私が調子に乗って、便乗する形で、ザッヘル・マゾッホと谷崎潤一郎を題材にしたエロスー権力論を↓に書いたら、それっきり何もお応えはなくなりました。
 権力はどんな味がするか その7(槌か鉄床か)

 もっとも、この点では小浜さんのほうがまともなのかも知れません。いずれにしろ、このテーマは、彼とは無縁なので、別途に考察していかねばならないでしょう。

(2)家族(的なものを含む)こそ最重要、そのためにこそ国家などのより大きな共同性は機能すべきだという考えは、革命的であり、あまりに理想的過ぎる。小浜はかなりの部分、その困難には敢えて目をつぶっているふしがある。第一、前記「生活を共有する身近な者たちが……限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」の部分は、これだけなら戦後日本の進歩主義者が言ってきたこととほんとんど変わらない。
 これは小浜倫理学の枢要に関わるので、今後できるだけこだわっていきたいと思います。今回は、参考までに、以前のブログ上のやりとりを以下に紹介するだけに止めます。
 まず『倫理の起源』の元、いわば初出である小浜ブログ『ことばの闘い』の連載記事の一つ。この時採り上げられた百田尚樹「永遠の0」を題材に、日曜会で討論したばかりだったので、それに基づき、私が長文のコメントを寄せました。
 「倫理の起源60」2015年1月15日

 ↑の私へのコメント返しの最後に、「そのうえでまたお話ししましょう」とおっしゃってくれたのを真に受けて、自分のブログで、小浜さんと、当時は日曜会の常連メンバーの一人だったW.H.という人を相手に(するつもりで)書いた拙ブログの記事。
 「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その1)」
 
 私の不躾さに戸惑いながらも応えていただいた小浜さんの文章を読み、掲載させていただいたうえで、さらにもう一度書いた記事。
 「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その2)」
 
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最強の言葉には顔がない・下

2023年08月20日 | 倫理

荻田浩一構成・演出「Tabloid Revue『rumor~オルレアンの噂~』」令和3年1月赤坂RED/THEATER

メインテキスト:エドガール・モラン/杉山光信訳『オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用 第2版』(原著の出版年は1970年、みすず書房1973年)
芥川龍之介「震災雑記」(『中央公論』大正12年10月号初出。『筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻』昭和46年に「大正十二年九月一日の大震に際して」の表題で、大震災関係の他の文章といっしょにまとめられた)

 最後に、私が最も恐いと考えているものについて述べる。プロパガンダからは少し離れるが、恐怖アピールグランファルーンに関連する。
 人を行動に駆り立てる最大の感情は恐怖だろう。生命を、生活を、地位や財産を奪われる危険は誰しも怖い。そして危険はどこに潜むかわからないのだから、用心するのは自然だし当然だ。そのために、保険を初めとして、危険に対応する商品も各種売られている。危険への恐怖、軽く言って不安、が強ければ強いほど、そういう商品の需要は高まるわけだから、宣伝家たちは危機感を煽りがちである。特に悪いことではない。度の過ぎた誇張や、ノーマン・メイラーの言う事実もどき(factoid、P.83)という嘘を使うのでなければ。
 しかし、事実もどきは、野心的な政治家や宣伝家が作るだけではない。民間から自然発生的に出てきたとしか思えないものもあり、これは普通「」、少し硬い言葉で「風評」と呼ばれ、時たま非常にやっかいなものになる。意図が全然ないか、大勢に拡散されているので、麻原彰晃やヒトラーのような個人が、ちょっとしたことでボロを出して、嘘がばれる、少なくとも威力が減る、ということもない。
 『プロパガンダ』に載っている事実もどきの例は、発生元はわからないとしても、誰かが政治的か経済的な目的に利用しようとしたものがほとんどで、それは本の主題からして当然である。ここでは、噂の拡大と伝播について、瞥見しておきたい。

 1969年、英仏百年戦争時にジャンヌ・ダルクが解放したという逸話以外には日本人には馴染みのないフランスの一地方オルレアンで、ある噂が広まった。ブティックの試着室に入った若い女性のうち何人かが消え、売春組織に売られた、というものだ。警察の公式記録ではこの時期に行方不明になった人は一人もいなかったにもかかわらず、この話は口伝えでどんどん広まっていった。エドガール・モランと彼が率いる研究グループがこれを調査して考察を加え、今日社会学の古典の一つとされている一書『オルレアンのうわさ』にまとめている。
 話(E.モランは「神話」と呼んでいる)の由来、というか、神話学で言うアーキタイプ(元型)はあった。売春組織に拉致される娘の話はフランスの各地にあり、オルレアンの噂が立ち始めた頃、雑誌に、ブティックで麻酔で眠らされた上に、地下室に監禁された若妻に関する、根拠不明の記事が出た。ただそれは、オルレアンとは遠く離れたグルノーブルでの出来事ということになっていたが。
【その後1980年代の日本で、これらに基づいたと思われる「だるま女」という神話も生まれた。海外のブティックで誘拐された日本人女性が、四肢を切断されたいたましい姿で見世物にされたという、より猟奇性の強いもので、一度雑誌に取り上げられたこともある。外務省はこの「事実」を完全に否定している。】

 新しい要素としては、このブティックがどこか、かなり最初の段階から特定されていたことがある。それは、ユダヤ人の夫婦が経営する新しいお洒落な店だった。
 それなら、この店のライバル店や、経営者夫妻に恨みを持つ者の仕業か、とすぐに思いつくが、警察も、モランたちの調査でも、見つけることはできなかった。エロティックな現代神話、現在の日本では都市伝説と呼ばれているものに、ナチス崩壊後もずっとヨーロッパでくすぶり続けていた(そして今もある)反ユダヤ感情が結びついたことが確認されるだけだった。
 もし、首謀者は実際にはいたのに、見つからなかったのだとしたら、その人物こそマーク・アントニーやヨゼフ・ゲッペルスを凌ぐプロパガンダの、そしてアジテーションの天才と呼ばれるべきかも知れない。
 それというのも、誰が作ったかはともかく、何のために作られたかは明らかなのが広告だが、その意図があまりに露骨な場合は、それ自体が鬱陶しくて反発を招く場合があるからだ。誰にもせよ、他人に操られていると思えば、不快になるだろう。だから現在の広告制作者は、意図を、うまく見つかるように隠すテクニックに磨きをかけているように見える。
 しかしそもそも、明確な意図などなく、大衆の感情、あるいは集合無意識とかいうものが、ある方向へと惹きつけられたらどうだろう。反発を向けようにも、その対象はない。しかも、そうなるとまた、浮遊するイメージに、後からさまざまなイメージがくっついて雪だるま式に大きくなりがちであり、稀には、ある社会全体を揺さぶるまでになる。
 オルレアンの雪だるまの中には、犯罪の規模に関するものもあった。「怪しい」ブティックは一軒から、同じくユダヤ人の経営する六軒に増え、「被害者」の女性の数は六十人以上にふくれあがった。誘拐の手口も、女性たちは川から船で大都市にある秘密の売春組織に運ばれ、そこからさらに中近東や南米に売られる、というような具体性を増したものになった。
 川から運ばれることについて話をした最初の人物は、例外的にわかっている。当のブティックの経営者が冗談として知人にしゃべったものが基だった。その後の経過からすると、軽率とも言えそうだが、彼としては、噂は全く根も葉もないもので、自分も気にしていないことを示したかったのだろう。「てなことがあったら怖いですな。ハハハ」という風に。彼はユダヤ人だが、地域社会に溶け込んでいて、誰かに恨まれる覚えは全くなかったのだから。
 翻って考えると、この話を口から耳へ、それからまた口にして広めた地元の人々は、どの程度に「本気」だったのか。むしろ冗談に近い軽いノリで、女学生たちの雑談から、その友人知人、家族、そして地域社会全体を覆うものへと成長していった可能性が高い。最初の頃に聞いた人の中には、そんな他愛もない話、わざわざむきになって否定するのも大人げないしな、と思ったこともあったかも知れない。実際、放置するうちに、自然に消えてしまう噂が大部分なのだ。
 けれどこの場合は、あまりにも大勢の知るところとなり、するとそのこと自体が、信憑性のように見えてきて、女学校の教師(その中にはユダヤ人もいた)や娘を持つ家族が、保護する責任のある女の子たちに、件のブティックへ行くことを禁ずるに及んで、事態は冗談ではすまなくなってきた。

 早い段階で公的な機関が対処すればなんのこともなかったのではないか。例えば、警察がブティックを調査して、怪しい節は何もないと発表すれば。しかし、大統領選挙が近づいていて、警察としては、わざわざそんなことをする余裕もないし、必要性も感じなかったようだ。
 そのうちに、失踪した女性たちの捜査をしない(そりゃ、いない人の捜査はできない)警察も、事件を一切報道しないマスコミも、行政当局も、すべてユダヤ人から買収されているんだ、という話も出てくる。それまで皆が信じたら、どんな調査をしてその結果を発表しても、「それはインチキだ」と言われてしまうだろう。
 幸いなことに、騒乱が起きる手前で事態は収束した。名指しされた店の付近をぶらついたりたむろする者が増えて、本当に恐怖を感じた店主たちが訴えた結果、市当局もやっと本腰を入れ、ユダヤ系の人権団体はキャンペーンをくりひろげた。
 最も効果的だったのは、いくつかの新聞・雑誌が、この話は元来反ユダヤ主義の陰謀から出てきたものだ、と書き立てたことだったようだ。こちらにも、しっかりした根拠などない。多分、事実もなかったろう。モランたちはこれもまた神話であるとして、「対抗神話」と呼んでいる。けれど、多くの人が、この噂を口にしたら、「反ユダヤ主義者」のレッテル(それは公的には、悪いこととされていた)を貼られるのではないかと恐れた結果、控えるようになった。もともと、「そんなの嘘だ。こっちが本当だ」とむきになって主張するほどの動機や信念のある人などいなかったのだから。
 それにしても、根拠のない噂を打ち消したのが同じように根拠のない話だったというのは、皮肉なような、また当然のような、妙な気がする。
 いずれにしろ、人々の関心の焦点は自然に大統領選挙へとシフトしていった。その後改めて、事件、ではなく噂について訊かれると、ほとんどの人が「もちろん私はそんなことは信じていませんでしたけどね」などと付け加えた。
 そんなものか? そんなものだ。それでも人々の不安と怒りは、自然発火近くまで至っていたのかも知れない。日本で起きた痛ましい事件からして、そういう推測も出てくる。

 大正12(1923)年の関東大震災時に、多数の朝鮮人や朝鮮人に間違えられた人が住民に殺された。これは我が国近代最大の黒歴史と言うべきものである。
 未曾有の災害によって多数の死傷者を出し、人々の恐怖は極限まで高まった。流言蜚語が飛び交い、混乱に乗じた火事場泥棒的な犯罪も多かった。治安維持のためには、警察では足りないと感じられたので、行政の呼びかけに応じるかまたは自発的に、民間の自警団が組織された。この自警団が、見回りにとどまらず、犯人捜しや制裁まですすんでやろうとした挙句、しばしば、蛮行の主体となったのだった。
 芥川龍之介も自警団に参加した一人だが、震災時の見聞及び感想「震災雑記」には、以下の印象的な一章がある。

 僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
 戒厳令のしかれた後、僕は巻煙草を啣へたまま、菊池と雑談を交換してゐた。尤(もっと)も雑談とは云ふものの、地震以外の話の出た訣(わけ)ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「譃(うそ)だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外はなかつた。しかし次手(ついで)にもう一度、何でも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度は眉を挙げると、「譃さ、君、そんなことは」と叱りつけた。僕は又「へええ、それも譃か」と忽ち自説(?)を撤回した。
 再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜しまざるを得ない。
 尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである。


 「○○○」の伏せ字部分の一部には「朝鮮人」の文字が入っていたのは明らかである。明治43(1910)年の日韓併合から、かの国の人も日本人となり、東京でもよく見かけるようになっていたのだが、彼らからは、ヨーロッパにおけるユダヤ人と同じ、「異物感」が拭えなかった。それが、大震災という本当の危機の際に、「井戸に毒を投げ入れた」「民家に火をつけた」「この機会に乗じて革命を起そうとしている」という噂が流れると、不安が一気に極限まで高まり、蛮行にまで至ったのだ。
 芥川は上の文章を書いたときには、殺戮の事実についてはあまり詳しくは知らなかったのではないかと思われる。知った上で「もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬ」などというアイロニカルな一文を書いたのだとすれば、かなりタフな神経で、この作家の繊細なイメージに合わない。いや、それもまた根拠のない印象論だな、とすぐに反省されたので、さておくとして、彼はここで「同調圧力」についてまことにうがった見方を示している。

 構造の部分を考えると、こうだろう。
 ある噂が流れる。最初誰が言ったのか、わからない。複数の場所で、大筋では同じ話を聞く。「聴いた話」として、自分でも言ってみると、「それ、俺も聞いた」という者に出会う。そのうちに、それは「みんなが言っている」ことになる。「みんな」の実数は五、六人のこともあるが、それでも、前述した信憑性があり、さらに「公共性」まであるような気になる。伝達ゲームの過程で、比較的想像力豊かな者が、新たな話・イメージを付け加えることもある。こんなふうにして、雪だるまが膨れていく。
 そうなっても、公的機関や大手メディアが何も言わないとしたら、それはどこまでも内輪話の性格を保ち続ける。実は、これにも噂にとっては都合が良い条件になり得る。事実はどうか、なんて面倒な検証とは縁がなく、仲間内の雑談として気楽に喋れる感じになるから。
 そう、こういうのは仲間同士の話なのだ、というか、元々の仲間ではなくても、話を共有する、それも、「まあ、そうなの」「へええ~、そんなことが」という感じで聞いてくれるなら、即席で、その場限りでも、仲間になる。
 そして、仲間同士の「」ができるなら、同時に「」もできる。共同性は必ず、排他性を含む。この場合の「外」とは、もちろん、身近にいながら、この話を全く信じないか、「それは本当か?」などと真顔で訊いて、なかなか納得しない者のことである。そういう不穏分子から共同性を守るべく、この仲間の結束は固くなり、一方で、仲間ではない者を排除する傾向も強くなる。これらは、共同性という同じ盾の表と裏なのである。
 関東大震災の時は、単なる「仲間はずれ」ではすまなかった。何しろ、危機は眼前にある。これに対処するという大義名分もある。実際は、普段は仕方なく抑制している暴力衝動を発露できる絶好の機会だという暗い情動も、かなりの部分を占めているだろうが、それはもちろん禁句。行動はしないまでも、話を信じる、最低でも信じている顔をするのが、共同性に忠実な「善良なる」者であり、そうしようとしないのは共同体の共同性に背く背信者、即ち「悪しき」者である。このような心理が、広い範囲に受け入れられ、ついに恐るべき蛮行まで引き起こしてしまった。
 もちろん、当時の東京でも、全員がこんな状態に陥ったわけではない。菊池寛も、それから芥川も、朝鮮人陰謀説など全く信じていなかった。それが昔も今も「良識」というものだ。しかし普段なら当たり前の良識、否むしろ退屈な常識が、危険とみなされることも、最悪実際に攻撃が加えられることさえある。通常の市民社会の中に、もう一つの社会ができて、の境界が変わってしまったからだ。自分は全く動いていないのに、世の中のほうが「兎に角苦心を要する」場所になってしまうことがあるのだ。

 どうすればいいのだろう? 共同体を離れて生きられる人などいない。我々は皆、共同体のエートス(一定社会の倫理・慣習・行動様式)の中にいて、それを自分の中に取り入れて「」となる。こういう普遍的な事情に対して、自分の立場をいちいち反省して、それに基づいて行動したりするのは、かなりのストレスになる割には、実効はあまり期待できない。たいてい、周りから、「変わり者」と呼ばれて終わり。上述のような危機的状況になったら、なんとか逃げ道を見つける必要はあり、そのために「変わり者」ポジションは有利なようにも思えるが、実はそれも怪しい。かえって、普段から怪しい奴なのだからと、真っ先に攻撃衝動が向けられる恐れもある。
 では、根拠のない話は信じない? しない? 難しいですね。私など、根拠のあやふやな話はするなと言われたら、今の半分も喋れなくなってしまうでしょう。それはきっと、我慢できない(笑)。
 では? これならなんとかできるし、大事かな、と漠然と思うことは以下です。どこかに悪辣な陰謀家や宣伝課がいて、私たちをダマそうとしている、と用心するのは良い。しかし、悪なる存在は世界のどこかにいて、我々はダマされることはあっても、全く潔白な、「善良なる市民」なんだという思いがあったら、できるだけ軽くしたほうがいい。主観的には確かにそうでも、無自覚のうちに、害のある思いに囚われ、さらにそれを広めているかも知れない。言葉を覚える以前の赤ん坊でない限り、誰もが完全に無罪ではあり得ない。
 そう心得ておけば、最悪の事態を回避するには、いくらか役に立つのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
コメント (2)
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最強の言葉には顔がない・中

2023年08月14日 | 倫理


メインテキスト:高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中公新書平成26年)

 最初に、プロパガンダとは「他人にあることを信じ込ませる説得術」だと言ったが、現在この定義は修正ないし補足したほうがよいように感じられる。「説得」には、「理を尽くして相手を納得させる」ことだという含意があるが、大衆を相手にした場合、「理」は、あるにはあっても、あまり目立たせぬようにしたほうがよい。人間は理屈より感情に動かされやすい。集団になればますますそうだ。戯曲「ジュリアス・シーザー」はその具体例を示している。そしてプロパガンダが社会で重視されるようになったのは、19世紀以降、大衆が社会の表面に本格的に現れるようになってからだ。
 ここでは人の感情に訴える、いわゆる胸の琴線に触れる言葉(視覚的イメージを含む)こそが主流になる。それは愉快なものとは限らない。不安や焦燥を掻き立てるものもある。なんであれ、心を動かし、購買や投票のような、一定の行動にまでつなげることを目指す。ここでの宣伝家は、説得者と言うより扇動家というほうが相応しい。
 なぜそんなことが必要とされるのか? そのモノなり人なりに、本当に価値があるなら、特に何もしなくても自然に認められるはずではないか? と、言ってみると、ただちに「なかなかそうはいかないな」という苦い思いに囚われる。だいたい、ここで言う価値とは、かなりの部分、人が心に抱く価値観のことで、つまり主観的で、相対的だ。ある行為が正義感の発露か、許しがたい裏切りか、少し観点を変えれば正反対にもみえてしまうことも稀ではない。

 もう少し細かく言おう。モノ本来の価値はある。空気や水がなくては困るにことは誰でも知っている。ただ、いつでも手に入る限り、その価値は特に意識されないだけだ。一足す一は二と同じような、退屈な真理というに過ぎない。しかし環境活動家が言うように、空気が汚染されるとか乏しくなったりすれば、大問題だ。その恐怖や危機感があるなら、空気も商品になり得る。二酸化炭素の排出量を権利として売買するアイディアはそれに近い。
 一方水は、現に乏しい地域はある。「砂漠で水を売る」ようなもの、という言い方がビジネスの世界にはあるらしいが、それは昔から日本にある「濡れ手で粟」に近い。絶対的な需要があるのだから、必ず売れる、ということ。しかし実際にはそう簡単にはいかない。そんなにおいしい商売なら、やりたがる人間はたくさんいる。その間に競争が生じる。政治的な制約がないとしたら、「神の見えざる手」が働く、自由市場が形成されるわけだ。そこで水は商品として、価格・品質・輸送速度・売る側の信用、などが他より多く売る条件になってくる。ならば、それらの情報を伝える活動にもまた、必要性が生じる。古典的な宣伝活動の始まりである。

 大衆社会では、モノが大量に、多様に作られる。そして、空気や水のような、それがないと誰もが生きていけないというほどの必需品でなければそれだけ、実利からは少し離れたイメージが重視されるようになる。加えて、TVが各家庭にあるのが当たり前になってからは、視覚的な、見かけのイメージは直ちに、大量に伝達される。
 バブルの頃は、「自動車はデザインで売れる時代」などと言われた。どんなにかっこいい車でも、乗ったらすぐに壊れる製品がそんなに売れるとは思えないから、それは言い過ぎであるにもせよ。と、いうか、10年乗ってもまず一度も故障しない製品を作る高い技術力が普通になった上で、新たな付加価値として、「見かけ」の重要さが全面的に出てきたのである。
 需要と供給のどちら側が先にそうしたかはわからない。需要に応じて供給はなされるが、新たな需要を作って新たな供給への道を開かなければ、経済発展はない。そして、新たな製品や性能を開発するより、イメージを更新するほうが容易ではある。そこに需要が見つかるなら、作って売る側も重視せざるを得ない、といった、いわゆる卵―鶏関係が認められるばかりだ。そこで宣伝広告は、商品の優れたところを伝えるだけではなく、イメージをアピールし、時には作り出すものとして、かつてより大きな地位を占めるようになった。

 もう一つ留意しなければならないのは、品質や性能については虚偽の広告はあるが、イメージにはそもそもそれはない。
 昭和44年、丸善石油(現コスモ石油)の「Oh! モーレツ!」というTVCMが放映された。車の通過音の直後にミニスカートの裾が捲れ上がり、そこにオフ・スクリーンの「Oh! モーレツ!」という声を重ねる。性的な刺激の露骨な押し出しで、今そのまま使うのは難しいだろう。【平成13年にリメイク版が作られたが、下着に見える部分はギリギリ隠された。】当時もたぶん問題視されたろうが、それより「猛烈なダッシュ」というキャッチ・コピーが誇大広告の例としてどこかが公にやり玉にあげたのを、NHKのニュースで見た覚えがある(するとますますこのCMが世に知られる結果になるのだが)。何が猛烈で何がそうでないか、客観的な基準などあるわけではないのに、誇大と言ってもどうなんだろう、と当時中学生だった私は思ったものだ。
 嘘と言えば、車がどんなに速く走っても、上昇気流が発生するわけではないから、外にいる女性のスカートが捲れ上げるなんてまずないが、そんなの面白いツッコミにもならない。だいたいこのCMは、当の製品であるガソリンが、セクシーだと言うわけではないのはもちろん(笑)、車に優れたダッシュ力を与えると言うわけでもない。そのような「主張」は。時に押しつけがましくて鬱陶しく感じられるから、「本当にそうか?」「言うほどのことはないじゃん」というような疑念や反発を招く可能性がある。
 それは避けて、セクシーで軽快なイメージの「奥」にあるものとして、製品を提示して見せた。それが売り上げにどれくらい貢献したかは知らないが、高度成長時代初期の社会風潮を端的に表現したものとして、本作は日本CM史上屈指の有名作品になっている。

 人間にイメージを纏わせる場合でも、同じような手法は用いられる。モデルやタレントなら、イメージ自体を売りものにするから、それで充分。例えば上のCMで主演を務めてセクシーさが強調された小川ローザは、これ一本で有名になった。
 他の分野で、特に多くの人を動かそうとするなら、さすがにそれだけでは足りない。何ができるのか・できそうか、は必ず問題にされる。そのため、彼らの人格や能力の大きさを語る言葉が使われる。「彼は公明正大な人間だ」とか「彼女なら難しい仕事を成し遂げる力がある」など、抽象的に言われてもそんなに説得力はない。
 過去の実績が具体的に語られるに如くはない。マーク・アントニーの語ったシーザーの逸話から、現在だと「東大法学部を主席で卒業した」とか、「他の社員の三倍の売り上げを達成した」などなど各種あり、並外れたものは「伝説」などと呼ばれる。信憑性からすると、実態が強調されたものから誇張されたもの、さらに完全なデタラメまであるが、一番の問題は説得力だ。そこに加えて、彼/彼女の身体像や話し方などの現在のイメージが重なって、最もうまくいった場合には、カリスマ性と呼ばれるものを生む。
 これを中核とした集団は、「預言者や──政治の領域における──選挙武侯、人民投票的支配者、偉大なデマゴーグや政党指導者の行う支配」の下にあるものだとウェーバーは言っている(前掲書)。
 この中では預言者(神の言葉を伝える者)に拠る宗教団体が最もそうなりがちである。政治的・経済的な集団は、権力や利益などを追求するという明確な目的があるので、構成員相互の連帯感はそんなになくても、存在価値は認められる。宗教は現実の代償を求めるものではない。もっとも、現世利益を約束する教団もあるが、そのやり方は「祈り」に拠るので、個々人でやるしかなく、集団の必要はない。そこで一番重要なのは信仰を同じくする者同士の支え合いであって、それなら信徒同士の、中でも中心にいる人・教祖への信頼は正に肝心要になる。
 そうは言っても、現在時折メディアに登場する教祖にはそんなにカリスマ性は感じられない、と思う人はいるだろう。内部の人の目にはどう映っているのか、よくわからないが。その点では、大昔に起源を持つ大宗教はとても有利で、開祖が超人的な能力を発揮したことになっており、基本的なイメージ形成はもうできている。後の人は、それを「受け継いでいる」と言えばいい。「処女から生まれ、死人を甦らせるなどの数々の奇蹟を行い、処刑されたが三日後に復活した」などは代表例。「そんなのは科学的に不可能だ」なる批判は、今更、と自然に思えるくらい、この伝説は信徒以外の人にもよく知られていて、それだけでも一定の力を持つ。
 ここでは開祖は伝説を纏っているというより、伝説そのものであるわけで、ならば生身の肉体はもうこの世にないほうがいい。人間は、生きて活動している限り、好むと好まざるとに関わらず、人間的な弱点を曝け出しがちなものだ。麻原彰晃のウリだった伝説の、空中浮遊は、彼が東京拘置所に入れられたら、「なんで空を飛んで脱出しないんだ」という、多少は面白いツッコミのネタになってしまう。
 それより、ソクラテスやシーザーやイエスのように、非業の死を遂げたほうが、自身の聖化にはよほど役に立ったろうが、信者や教団に対するそこまでの親切心はなかったようだ。

 20世紀最大の悪夢の一つであるナチス・ドイツを考えるためにも、上の視点は抑えておくべきだろう。
 アドルフ・ヒトラーは「偉大なデマゴーグや政党指導者」としてのカリスマの典型だ。そのイメージは「戦う者」だった。ドイツ国民にとって、第一次世界大戦での敗北は、それ自体が屈辱だし、その後のいわゆるベルサイユ体制下で、戦勝国であるヨーロッパ各国による経済的軍事的な締め付けから、現に苦しめられていた。そこへ、ニューヨークに端を発する大恐慌の波が押し寄せたのだ。安定した生活を取り戻すためには、思い切った行動が必要だと自然にみなされるようになった。
 敵は内部にもいる、国際金融資本の手先として、ドイツの民族的団結を妨げるユダヤ人がそれだ、と言われた。これらすべてと断固として、妥協なく戦うこと、ドイツの栄光を取り戻し、より輝かせること、それができるのはヒトラーしかいない。そう自分で言い、またヨゼフ・ゲッペルスたちの卓抜な宣伝によってこのイメージを浸透させるところに、ナチスの最大の政治戦略が置かれた。
 つまり、反対側のマイナス・イメージを強調して、こちらにプラス・イメージをつけるやり方、というと、高等テクニックのように思えるかも知れないが、国政レベルなら政治家は、程度の差はあれ、たいていやる。ジョー・バイデンの支持には、反ドナルド・トランプ感情がかなりの部分含まれているだろうし、現代日本の野党には反自民以外の存在意義を見つけることは難しい。
 中でヒトラーがずば抜けていたのは、まず彼自身の個性による。彼はオーストリアの出身で、ドイツとオーストリアは統一されるべきという大ドイツ主義者であり、1938年にはそれを実現した。ただし第一次世界大戦に従軍する以前には、一所不在で定職もないニートだった。つまり、彼は何者でもなかった。
 何者かになろうとしたとき、一気に跳躍して、ドイツの運命と一体化することに自己の根底を見出したのだろう。普通なら誇大妄想で終わるしかないものを実現するためには、宝籤の特賞に当たる以上の運(あるいは、不運?)と、政治家としての才能も努力もあったことは認めねばならない。
 しかし何より大きいのは、ルサンチマンをバネにして出てきた熱狂だろう。それは熱心な愛情、この場合は愛国心、にも見えてしまう。もっとも、すべて主観の話なのだから、ヒトラーは120%の愛国者であったと言ってもまちがいとは言い切れない。いずれにしろ、例えば彼の演説の力は、その内容よりもはるかに、溢れ出る熱気から出ていることは明らかである。
 宣伝相ゲッペルスはヒトラーを心から敬愛していた。1945年5月1日、前日に自決した総統を追って、家族と無理心中を遂げた。こういうことをしたナチス高官は他にはいない。
 その彼がやったことは、ヒトラーの理想を全国民に広げ、もってドイツ全体を、さらには全世界をヒトラーのものにしようとすることだった。そこで彼は当時可能なあらゆる媒体(メディア)を宣伝に利用した。ヒトラーの政治活動開始とほぼ同じ時期に拡声器が発明され、大群衆にまで演説の言葉を届かせることができるようになっていた。次にラジオは、かなり高額だったのを、ゲッペルスは自分が資金を出してまで安価な製品を作り、家庭でも彼らの言葉が聞けるようにした。さらに新式なメディアとして映画があり、旧来の新聞やポスターももちろん活用された。

 そこでのプロパガンダの基本理念の点では、二人はほぼ完全に一致していた。大衆は原始的で、移り気で、忘れっぽい。だから長々と理屈を述べて説得しようなんて無駄以上に、有害でしかない。そんなのには直に飽きて、聞かなくなってしまい、ひいては語る者への愛着も信頼もなくなってしまうだろう。そこで大衆を動かすために心得ておくべき原則については、彼ら自身の言葉もいろいろ残っているが、私なりに簡単にまとめると、次の三点になる。①目立つこと、②単純明快であること、③繰り返すこと。
 例えば「永遠のユダヤ人」という紅いイタリック体の太文字に、黒服でキッパ(ユダヤ帽)を被った顎髭の、ステレオタイプのユダヤ人を描いたポスターを見よう。元は1937年にミュンヘンで開催された政治ショーのためのもので、1940年には同名の映画も作られ、その宣伝にも同じ絵が使われた。両方とも制作者はゲッペルスである。
 この戯画中のユダヤ人は右手の掌に金貨を載せ、左手には鞭を持ち、左の上腕か脇の下には、ソ連の地図を象った上に鎌とハンマー(共産主義のシンボル。上に星をつけるとソ連の国旗のデザインになる))が描かれた瓦礫が突き刺さっているように見える。当時のドイツ人にはその寓意はすぐにわかったろう。「永遠のユダヤ人」とは別名「さまよえるユダヤ人」というヨーロッパの伝説中有名なキャラクターで、刑場に牽かれていくイエスを嘲った罰で、再臨の日まで死ぬこともできず地上をさ迷い続けなければならない。この呪われた者のイメージに、金と支配と共産主義のシンボルを重ねる。目立つし、メッセージも明確で紛れはないが、言葉の持つ押しつけがましさはない。
 同じような絵柄の画像は今でもざらにあり、つまり宣伝手法としてはまだ有効ということだ。これらと、演説の肉声、新聞の文章、映画の映像などで、ナチスこそ悪を打倒する正義のヒーロー、のメッセージはドイツとその支配地の隅々まで浸透したろうか。大成功だった、だからナチスの暴走は止まらなかったのだ、という見方が一般である。

 必ずしもそうは言えないと論じたのが『ヒトラー演説』である。それによると、1932年に国会で第一党になった時が彼らのプロパガンダ活動の絶頂期だった。ヒトラーは選挙運動のために軽飛行機に乗ってドイツ全土で遊説した。ラウド・スピーカーによる大音量で響かせる言葉と、高揚した口調、大仰な身振りを総合したパフォーマンスは、大勢の人を魅了することができた。これによってナチスは政権を手中にした、と言っても過言ではない。
 が……。早くも翌34年には、ヒトラーを揶揄する声が民衆の間からけっこうあがっていたことを伝える秘密警察の報告が残っている。
 一つには、明らかなやりすぎがあった。ゲッペルスのおかげで普及したラジオから、毎日のようにヒトラーたちの言葉を聞かされたのでは、いくら表現を換えて「ヴァリエーションをつけた反復」を心がけたとしても、内容は結局同じなので、そのうちには「擦り切れ」てくるのは避けられない。それが言葉による説得の、免れがたい宿痾である。もっとも、ナチス側からすれば、自分たちのメッセージを充分に浸透させるためには、その疵には目を瞑るべきだと考えていたのかも知れない。
 もう一つ、媒体がどれほど多種多様であっても、メッセージは結局は一つの方向から、究極的にはヒトラーその人から来ているのは明らかで、彼から人間的な弱点が綻び出た場合には、それだけ信用は失われる。
 政権奪取後は、ます首相として、34年以後は大統領も兼ねた総統として、ドイツの現状を説明する義務も生じたが、そういうときの演説は、今も日本の政治家がよくやる、原稿をただ読み上げるだけの熱のないものとなった。攻撃に強い者が守りに回ると弱いと言われることの典型で、これも幻滅を与える一因となったろう。
 対抗手段としては、ヒトラーを中核とした強固な団結心を形成することが一番だろう。
おそらく最も悪魔的で効果的だったナチの宣伝戦略は、恐怖アピールとグランファルーン法を結びつけたものだろう」と、『プロパガンダ』にはある(P.296)。恐怖アピールはこれまで述べた、ユダヤ人や共産主義者への恐怖心を煽る手法。グランファルーン法とは疑似共同性を作ること。同書でとりあげられているのはヒトラー・ユーゲントの制服や集団訓練の例だが、これはあくまで特別な集団である。
 広い範囲を対象にした場合には、演説なら、折々あがる聴衆の大歓声が、さらに集団行動時のシュプレヒコールや行進で醸し出される、高揚感と一体感が最も有効な手段となる。集団内の信頼感に基づく連帯と違って、言わば身体的な感覚だから、直ちにイコールふだんの共同性になるわけではないが、傍で見ていたり映像で見たりしただけでも、「一丸となる」こと自体の愉悦は伝わるだろう。時には「サクラ」を使ったりして、うまく組織できさえすれば、権力の強固な基盤になりそうから、今でも、野心的な政治家や宣伝家は熱心に研究していることだろう。
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最強の言葉には顔がない・上

2023年07月29日 | 倫理

Julius Caesar in Flint Hills Shakespeare Festival in 2016

メインテキスト : A.プラトニカス/E.アロンソン『プロパガンダ 広告・宣伝のからくりを見抜く』(原著の出版は1992年。社会行動研究会訳、誠心書房刊、平成10年)

 令和4年7月の言語哲学研究会において、小林知行さんのレポートで、上記をテキストに読書会を開いてから1年経った。その時の出席者だった河南邦男さんからこの題材に関して小林さんに意見を述べるメールを送り、受け取った小林さんが藤田貴也さんと由紀草一にも意見を求めるべくそれを転送したのが昨年末。由紀草一がこれを受けて、テーマとしてたいへん重要なので、できるだけ広い範囲から意見を求め、プロパガンダ再考」としてもう一度研究会を持つように、小林さんから会員に呼びかけていただいた。残念ながらこの呼びかけへの応答はなかった。皆さんそれぞれお忙しいのだから、仕方ない。しかし本年6月30日、藤田さんからこれに関する本格的な論考をいただいた。これで最後に由紀草一が愚考を述べれば、最初に小林さんが考えた意見交換の範囲はカバーされる。やらなかったら、義理が悪い、だろうな、やっぱり。
 のみならず、藤田さんの論考は、狭義のプロパガンダから推論の一形式としてのアブダクションから、現在SNSを中心に広がる陰謀論といった、言語の問題を広く深く考察したものであった。あるいは「プロパガンダ」というテーマからすれば逸脱、とも見えるかも知れない。しかし、私見では、重要な言語問題につながるものである以上、いっこうにさしつかえない。
 これに元気づけられて、私も、現在いよいよ大きな問題になっていると思える言語状況について以下に云々してみよう。それで、最初に投げかけられた問題からは離れすぎていて、混乱を招くばかりだ、と読む人に思えたら、それはそれまでの話として。
【上記の各文は以下のリンクで、ネット上で読めます。
 小林知行「【日曜会・言哲】2301プロパガンダ プロパガンダ再考に向けた改稿」
河南邦男「再読:プロパガンダ」
藤田貴也「プロパガンダ再考:アブダクションと陰謀論」

 プロパガンダの核心を「他人にあることを信じ込ませる説得術」のことだとすれば、古代ギリシャからある。ソフィストと呼ばれる弁論の専門家がいた(B.C.5世紀頃)。ソクラテスが彼らを、真理を歪める者として嫌ったことは有名だが、そのソクラテス自身が、黒を白と言いくるめる詭弁術の大家だと、同時代の劇作家アリストパネスに批判されている(「雲」)。西洋だけではない。チャイナの戦国時代(B.C.3世紀頃)には、蘇秦、張儀、といった縦横家、後には名家(諸子百家)とも呼ばれる弁論術の達人たちが活躍した話は「史記」にある。
 文明が発達すれば言葉も発達する。現実の何とどう結びつくのかよくわからない抽象語が増えていく。比喩(メタファー)と言われる観念連合を使ったいわゆる文学的な言い回しも出現する。「飛んでいる矢は止まっている」「白馬は馬ではない」なんぞと、逆説という、言葉の曲芸をしてみせる者さえ現れる。
 かくて、言葉は結局何を伝えようとするのか、よくわからなくなっていく。弁論術の専門家とは、むしろそれをいいことにして、言われていることが本当(真実)であると思わせる者たちだが、一方、洋の東西を問わず、「口舌の徒」というと、なんとなく信用がならない者とのイメージがつきまとうのもゆえなしとはしない。

 とは言い条、言葉はコミュニケーションの中心ではあり続けた。言葉は知識を集積し、それを伝達する手段として欠くことのできないものではあったから。知識の伝達は教育と呼ばれ、文明が複雑化するにつれて、そのための施設、つまり学校が出来上がり、子どもはそこへ通うのが当たり前になり、などで、言葉の地位は確固たるものになった。
 教育とプロパガンダはどこが違うのだろう? 
 学校教育に限定して言うと、一番は、他人に信じ込ませようとする「あること」が「真理」であることが疑われないところだろう。これ自体がけっこう怪しいことは、『プロパガンダ』にある。
 学校で教わることは純粋で客観的で主義主張のバイアスがかかっていないものであると信じられている。しかし、例えば小学校の算数の教材を見てみよう。そこでは労働や品物の売買、金を借りた場合の利子のことが書かれている。これは、この資本主義社会における金銭の流れをただ反映しているだけではない。「系統的にそのシステムを支持し、正当化し、当然で標準的な方法であること」を無意識のうちに生徒に刷り込むものだ(『プロパガンダ』P.252。以下ページ数はすべて同書から)。
 これは非常に微妙で困難な問題なので、この内部には踏み込まず、周辺的なことを考えておこう。知識伝授の過程で、必ず他の事柄(一定のイデオロギーや社会通念)も伝えてしまうにもせよ、やはり純粋な知識はある。それを習得しない限り、人はこの社会では生きられないし、そんな人が増えたのでは社会が成り立たなくなる。だからやはり、知識伝授の必要はある。
 一足す一は二だ。地球は約24時間で地軸を中心にして一回転する。それを疑ってどうしようというのか。午前9時は誰にとっても午前9時でなければ、共同作業は成り立たない。もっとも地球には時差があるが、それを具体的に意識しなければならぬほどのスピードで実際に人が移動できるようになる頃には、グリニッジ標準時を基準にした全地球の日時の決め方は定まっていた。それを全部覚えている人はごく稀だろう。日本の午前9時はニューヨークの何時に当たるか、即答できる人は、それよりは多いだろうが、社会の多数派ではないだろう。多くの人にとって日常的に必要な知識ではないからだ。必要が生じたら、今ならインターネットなどの手段で、すぐに知ることができる、ということを知っているだけで充分なのだ。
 ところで、上記のようなことを私はいつどこで習ったのだろう。親からか教師からか知人からか、あるいはTVからか、本からか。もう忘れた。これもまた、最も広い意味の教育の強みである。近代の学校の教師は、主に実際の生活とは直接関係のない知識を教える専門職だが、その権威も結局のところ、知識の、つまり真理のそれに依っている。それはそうだ。ある教師が一足す一は二だと言い、他の教師が一足す一は三だと言うなら、そして、どちらが正しいか決定する手段がないのだとしたら、そんな知識は真理ではなく、覚える値打ちはない。「誰が言ったか」は二次的な意味しかない、ということだ。
 以上が教育の強みである。「人を説得しようとすること」だという点ではプロパガンダと共通するが、基本的に、誰が、何を目的として言っているか問題とされないところは対極的なようだ。別の見方からすると、教育は理想のプロパガンダと言える。伝えられることが意図ではなく、真理だと納得させることができたならば、説得はもう成功している。そのためにはどうしたらいいか、人は頭を絞るのだ。

 動機についてはどうか? 説得が、善意から出たものか、それとも悪意からか。これは依然として大きな問題で、また教育とプロパガンダを分かつポイントではないか。
 実際、最初からこちらを陥れようとするプロパガンダ、いわゆる詐欺は昔から今まで絶えることはない。インターネットの普及以後は「あなたに~千万のお金をさしあげます」といったなかなか笑えるスパム・メールもよく届くようになっている。つまり、インターネットは、真理と同じくらいかより多く、嘘も伝える。これは言葉を使う人間が変わらない限り、変わりようがない。もちろんごく素朴なものから、もっと手の込んだ説得術を駆使した手口もたくさんあり、油断はならない。『プロパガンダ』の第5章には、人をうまく乗せようとするやり口のサンプルが列挙されていて、とても有益である。こちらは文章による教育と呼ばれるべき、か? つまり教育は動機も効果も良きもの、か? そうかも知れない。
 難しいのは、良い動機からした説得でも、悪い結果を招く場合が決して少なくないことだ。「良き意図が良い結果しかもたらさないと考える者は、政治のイロハも知らない」と、マックス・ウェーバーが言っているとおり(「職業としての政治」)。意図したことが必ず意図通りに実現するものなら、政治と呼ばれる営みの多くが必要なくなる。少なくとも政治家という専門職は不要になるに違いない。
 ソクラテスは近代学校制度以前の優れた教師と言っていいが、彼の言説が若者に悪い影響を与えたというのは、部分的には本当だろう。一方、ソクラテスに死刑判決を出した方は、アテネの若者に、ひいてはアテネの未来に害をもたらす者を除こうとする純粋な愛郷心にかられたのかも知れず、あるいは邪な利己心にかられていたのかも知れない。そのへんはどれくらい自覚されていたろうか。
 人間は全知全能ではないどころか、自分の心についても完全にわかっているとは言えない。言葉は嘘もつく。それは、自分自身を騙すためにも使われる場合がある。そしてどうであれ、ソクラテスの刑死というような、一定の結果は出る。
 詐欺は、意図が明確なだけ、このような面倒は少ない。その意図が明らかになることが即ち企図の失敗を意味して、紛れがないからだ。

 ここで説得される側に目を移すと、ソクラテスが語ったのは彼に惹かれて集まってきた若者たちだし、蘇秦たちは王たちに献策して歩いていた。誰に聞かせるために喋っているのかは明らかだったということだ。一方ナザレのイエスや釈迦牟尼ら、宗教者の説法は、対面ではあっても、不特定多数の聴衆に向けたものであったろう。近代以降では、政治の分野でも、民主制なら、この活動は不可欠になる。古代にも、奴隷つきではあっても、民主制はあったから、その実例を見つけることはできる。
 B.C.44年、ローマの政治家にして武将のジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が暗殺された。当時のローマは共和制だが、シーザーの実績と人気は大きく、終身独裁官になっていた。現ロシアの終身大統領・プーチンみたいなものだと思えばいい。シーザーはさらに、主権(sovereign power国家のことは自分の意思だけで決められる)のある 帝王になろうとしたのだと疑われ、共和制主義者たちの刃に斃れたのだった。
 1599年、ウィリアム・シェイクスピアはこの事件を基に悲劇「ジュリアス・シーザー」を書いた。タイトル・ロールのシーザーはあまり登場せず、途中(全五幕中第三幕第一場)で死んでしまう。主人公は彼の暗殺者のプルータスで、シーザーの腹心マーク・アントニーとの演説合戦、即ち言葉による戦いが、劇の最大のクライマックスになっている(同第二場)。シェイクスピアは材料をほぼ完全に「プルターク英雄伝」に拠っているのだが、構成と言葉(台詞)は自身の創作であり、歴史的な事実には拘らず、大衆に自らの意図を届かせる説得術という政治の要諦の一つを、迫力をもって描き出している。
 シーザーを殺した後のプルータスの言葉は簡明だ。「おれはシーザーを愛さぬのではなく、ローマを愛したのである」(福田恆存訳。以下同じ)。
 内容は、この力強い格言風の言い回しがすべてだ。少し広げて言うと、シーザーはまことに優れた人物であって、私も彼を敬慕する点では人後に落ちない。しかし彼は、個々人の自由を重んじるローマ人にとっては最も忌むべき存在、即ち帝王になろうとした。この野心によって彼は死なねばならぬ者となったのだ。
 この結論を聴衆(ローマの自由民たち)に伝え、理解を得るために、プルータスが採った手段は、「誰にせよ、このなかに、みづから奴隷の境涯を求めるがごとき陋劣な人間がゐるだらうか? もしゐるなら、名のり出てくれ、その人にこそ、私は罪を犯したのだ」。これとほぼ同じ内容を、最後の「もしゐるなら」以下は言葉もほぼ同じで、三度繰り返すこと。よく知られた反復による強調(P.155)に、疑問形で言われることで、「自己説得」(P.141)と呼ばれる技法も使っていることが認められる。正面から疑問がぶつけられるのは、答えを強要されるのと同じである。それでもその答えはやっぱり自分で出したものだ、と思えるから、納得するしかない。そうではないか? 
 しかもこの質問は、「お前は陋劣な人間か?」と問われているのと同じなので、なかなか「そうだ」とは言えない、という「恐怖アピール」(P.185)も少し入っている。かくしてプルータスは市民から「そんな奴はゐない」という答えを得て、彼の主張は一時的に受け入れられた。
 しかし、後ですぐにわかるように、説得術という観点から見ると、彼の演説は拙劣なものだった。だいたいプルータスは、術を弄しているつもりはなかった。
 『プロパガンダ』中に示された分析・分類は有益だが、あらゆる学問・科学がそうであるように、後付けである。文法以前に言葉は存在していたし、人を説得する必要性も生じていたことはまちがいない。あまり親しくない人に何かを信じさせようとするなら、言葉に頼るしかない。プルータスはこの事情に充分に自覚的ではなかった。彼は詐欺師とは正反対の、自他共に認める公明正大の士だったからだ。意図を隠したり飾ったりするのとは真逆に、自分の真意を伝えることこそが関心事だったのだ。
 それで彼の言葉は、いわゆる上から目線の、傲慢さを纏ったものになった。たぶん、自身の親や師や先輩たち(その中にはシーザーも含まれるかも知れない)の自分に対する語りと語り方を無意識のうちに倣ったのたろう。彼は、すべての大前提である「シーザーは帝王になろうとした」のは事実であると論証しようとさえしなかった。
 根拠として言われたのは、「私の人格にたいする日頃の信頼を想ひ起してくれ」、つまり、人格者たる自分が言うのだから、それは真実だ、とばかり。自分が公明正大であることは自分が一番よく知っている。他人もそう認めているはずだ、と確信するまではいかなくても、そう信じる、言わば権利がある、とは思い込んでいたろう。
 そしてこの自信は、彼の言葉に力を与えたろう。その場にいた誰もが彼を信頼した。けれどこのような信頼はイメージに過ぎず、移ろいやすい。「チャンピオンが口にするのを食べる」(P.103)ように導く宣伝広告はCMが始まって以来絶えたことはないが、タレントや有名アスリートのイメージを商品につけられるのも、イメージそのものが元来無根拠でいいかげんで、さらにそれでもいいと認められていればこそではないか。
【それに、専制より自由のほうがよい、という価値観自体、現代の自由主義国ではそう教育され、真実とされているが、この時代でもそうだったとは限らない。現にローマは、B.C.24年にシーザーの養子が初代皇帝に即位すると、西ローマ帝国だけでも、A.D.476年まで帝制は維持された。】

 マーク・アントニーは、プルータスの論敵として、その論拠のなさを突けばよかった。ただ彼は、議論を申し出るのではなく、プルータスの後でシーザー追悼の演説をさせてくれ、と言うので、最初から意図を隠した詐術を使っていた。
 だいたい、議論なら、後から喋るほうが有利であることは、よく知られている。そこでアントニーは、論理、即ち理屈を弄したり、プルータスらシーザーの暗殺者たちを正面から非難することは避けた。代わりに、シーザーのエピソードを挙げた。
 「生前、シーザーは多くの捕虜をローマに連れ帰つたことがある、しかもその身代金はことごとく国庫に収めた」「貧しきものが飢えに泣くのを見て、シーザーもまた涙した」「過ぐるペルカリア祭の日のことだ、私は三たびシーザーに王冠を捧げた、が、それをシーザーは三たび卻(しりぞ)けた」。
 これらはすべて事実と言えるかどうか、わかる者はほとんどいなかったろう。たとえ事実と呼ばれ得るにしても、二番目の「貧しき者が」云々など誇張があるかも知れず、三番目のは野心を隠して実現し易くするためのよくある政治的なパフォーマンスだったかも知れない。しかし、確実に見せかけだ、と断言できる者もいないから、とりあえず素直に聴くしかない。
 その上でアントニーは、その事実に反するものとして、必ず「が、プルータスは言う。シーザーは野心を抱いていたと。そしてプルータスは公明正大の士である」と付け加え、これを三度繰り返す。反復は、ある主張を大衆に浸透させるために有力な手段であることは、ヒトラーやナチスの宣伝相ヨゼフ・ゲッペルスも認めるところだが、やみくもにやればいい、というものではない。私たち大衆は、確かに忘れっぽいし、初めて見聞きするものより慣れ親しんだものに好意を抱きがちだが、反面飽きっぽくて、慣れたものは軽視する傾向もある。後者は「擦り切れ」と呼ばれる現象で,これを防ぐには「ヴァリエーションをつけた反復」、つまり基本的に同じ情報でも目先を変えることが効果的である(P.160)。現にプルータスも、「ローマ市民なら、帝王は認めないはずだ」という主張を、言葉を換えて繰り返している。
 短時間で、同じ人間が、同じ言葉で繰り返すなら、聞く人はむしろ不快感が強くなり、言われていることの内容も陳腐に思えてくる可能性がある。さらに、その言葉「シーザーには野心があった」の前に、反証になる事実を置いて、疑念を生じさせる。かなりの高等テクニックで、プルータス自身をほとんど知らず、「人格者だ」という評判だけで納得していた人に、「本当にそうか」と反省させる力はある。

 大衆扇動家(アジテーター)としてのアントニーの真価が発揮されるのはこの後である。シーザーの部屋で遺言状が見つかったと告げる。本物だとしたら、暗殺を予想もしない時期に書かれたのであろう。読んでくれ、と当然要求されるのに、アントニーはなかなか応じようとしない。それではプルータスたち立派な、シーザーの暗殺者たちを誣いる(誹謗する)結果になりはせぬかと恐れる、とか言って。
 聴衆をじらすわけだ。この技巧は『プロパガンダ』中には直接挙げられていないが、希少性・入手困難性(P.220~221)を仄めかし、遺言状の中身の価値を期待感によって心理的に高める手法に近い。さらに、それが打ち明けられた時は、ある秘密が共有された気になるという意味での共同性・親密さを醸し出すグランファルーン・テクニック(P.193~201)の効果もある。
 いよいよ遺言を読み上げる前に、アントニーはもう一つダメ押しの演出を加える。シーザーの言葉はシーザーの傍でと、民衆を遺骸の周りに集め、マントの血のついた部分を指しつつ、「これが、あれほどシーザーに愛せられたプルータスの刃のあとなのだ」等と言う。こうして、耳で聞く言葉に視覚効果を加え、そして遺言は「全市民、一人一人に、七十五ドラクマずつ贈れ」。それ以外にも、シーザーがいかに傑出した人物だったかを訴える多くの言葉が繰り出されるのだが、これだけでも充分だったろう。かくて、プルータスたちは、ローマ市民たちに逐われる身となった。

 すべてをまとめて言うと、アントニーの勝因は、根本的に、この闘いをプルータス対アントニーの構図にはしなかったところだと言える。彼ら二人のどちらが立派な人物で、どちらが信頼に値するか、などは、様々な見方があるから、容易に決着はつかない。
 だからアントニーは、シーザーを前面に出して、自らはその栄光と悲惨の語り部になることに徹した。殺人の直後なら、殺した側より殺された側に同情が集まりがちなのは当然だ。殺した側がどんな正当性を並べようと、こちらはそれが疑わしいことを仄めかせばそれでいい。
 こちらはこちらで、遺言状は本物か、とか、傷口は本当は誰がつけたか、などに、疑わしいところがあったとしても、それをわざわざ問題にするのは、一般大衆レベルではまずないことだ。
 もう少し一般化して言うと、話している個人から言葉を放した方が、説得力は増す。次回これをもう少し検証してみたい。
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権力はどんな味がするか その8(完全な支配)

2021年04月30日 | 倫理
 
1984, 1984, directed by Michael Radford

メインテキスト:ジョージ・オーウェル 田内志文訳『1984』(原著の出版年は1949年。角川文庫令和3年)
サブテキスト:ジョージ・オーウェル 井上摩耶子訳「象を撃つ」(1936年作、川端康雄編『オーウェル評論集 1』平凡社ライブラリー平成21年所収)

 今度の新訳は、評判通り読みやすかった。おかげで、学生時分に卒読したときには自分が「何もわかっていなかったのだな」とよく納得された。
 この小説は、全体主義・監視社会の恐怖をプロットにしており、その一部は、今も、おそらくは執筆当時も、実現している。しかしその中でオーウェルは、全体主義の原理を精緻に語り、結果、それが完全な形では実現不可能であることまで暗示し得ていると思う。ちょうど、人間が完全に自由になる世界は原理的に決して来ないように。

 作中で語られる、(執筆・発表当時では)未来社会についてまず略述する。
 1950年の大戦争を経て、地球は三つの超大国によって分割統治されている。ユーラシア・イースタシア・オセアニアがそれで、主人公ウィンストンが棲むロンドンはその最後のものに属する。なんでロンドンがオセアニア? と一瞬戸惑うが、アメリカがイギリスを併合し、ここを含む大西洋の島々、南アフリカ、オーストラリアとその近隣から成る、つまり、大雑把にかつての大英帝国の版図が意識されているようだ。
 この地を統治しているのは〈党〉であり、その指導者はビッグ・ブラザー(B・B)と呼ばれる。実際に会った者はほとんどいないが、顔は誰でも知っている。テレスクリーン(東京都内の主要地にある街頭大型テレビのようなもの)に大きく映し出されているからだ。それは動画ではなく画像だが、移動してもこちらから見える限りは向こうがこちらを見ているような印象になるように描かれている。顔の下には《ビッグ・ブラザーはあなたを見ている》の文字。18世紀にジェレミー・ベンサムが考案したパノプティコンは、ミシェル・フーコーによって権力の象徴として取り上げられる前に、このように可視化されていた。
 この視線の下で、ウィンストンは〈真理省〉と呼ばれる役所の〈記録局〉という部局に勤め、記録改訂の仕事に従事している。訂正すべき重要案件がこの世界には多いのだ。オセアニアは今イースタシアと同盟してユーラシアと戦争しているのだが、少し前には戦争相手はイースタシアであったような記憶がある。そんな記憶は間違いだ。また、昨年発表された各種生産物増加の予測は大幅に下回ったが、それなら、そんな予測はなかったのだ。党が今正しいと言っていることは、ずっと正しかったのであり、そうではないという記録や記憶は改変あるいは抹消されなければならない。
 それなのにあるとき、ウィンストンは決定的な証拠を目にしてしまう。党の草創期には活躍したが、やがて裏切ったとして処刑された三人の男が、重大な背信行為をしたとされるその日に、別の場所にいたことを示す報道写真だ。それはウィンストン自身の手ですぐに棄却されたのだが、彼の記憶には残ってしまう。この世界は欺瞞に基づいて成立している。そこで内面の自由を保つために、ウィンストンは密かに日記をつけ始める。
 用心の上にも用心をしなければならない。監視の目は至るところに光っている。子どもたちは、相変わらず両親の手で育てられているが、親子の情愛より党の〈正義〉を優先するように教育されていて、両親に怪しい言動があった場合には、すぐに密告するまでになっている。
 怪しい、と言っても違法行為というわけではない。だいたい、法律なんて、もうない。当人にもよくわからぬうちにであっても、党の正しさに疑問を付したような場合には、〈思想警察〉に捕らえられ、多くの場合、その後どうなったかはわからなくなる。その恐怖こそ、党の統治手段なのだった。

 しかしウィンストンと同じ省の〈調査局〉で働くサイムによると、こんなのはほんの序の口なのだ。
 彼は文献学者で、『ニュースピーク辞典第十一版』の編集に携わっている。これによって新しい言語・ニュースピークは完成するはずだ。最大のポイントは、新しい単語を作り出すのではなく、むしろ古い言語(現在の英語)を削減するところにある。
 この原理は、作者が巻末にわざわざ「付録」をつけて詳述するぐらい力を入れており、優れた考察が示されている。以下では、付録中、日常言語に関する「A語彙群」での例を紹介する。一言で、大雑把に言うと、「必要性」からみた単語の整理統合である。
 例えばgood(善/よい)に対してungoodという言葉を発明すれば、bad(悪/わるい)は不要になり、捨てることができる。「とてもいい」はplusgoodと言えばよく、「とてもとてもいい」はdoubleplusgoodと言うことにする。逆に、「とてもよくない」はplusungood、「とてもとてもよくない」はdoubleplusungood。すべての名詞・形容詞にこの接頭辞を適応し、副詞形語尾は一つとする。
 これで英語はどれくらい簡便になることか。善悪に関する全概念はたった六語で現わされ、しかも元は一語で、あとはその変化、というか、接頭辞か接尾辞を付け加えて、しかも常に同じ辞で作られるるのだ。
 別にいいんじゃない? 簡単で、便利になるんでしょ? とおっしゃいますか。考えてもみよう。この原則では、nice, fine, virtue, vice, evil, wonderful, excellentなどの類義語が削られることが予想される。そのうちにはkind/kindness, beauty/beautiful, cruel/crueltyのような、けっこう違う意味の単語でも、要するに「いいこと/悪いこと」のうちなんだろ、ということで葬られるかも知れない。
【福田恆存の戦いがどうしても心に浮かぶ。例えば、戦後の国語国字改革の流れの中で、「狼狽した」が読めなかった、どうして「あわてた」と書いてくれなかったのか、と思ったなどと言う者がいた。それに対して福田は、「狼狽」の語を使ってはいけないということは、「さすがに狼狽の色は隠せなかつた」という文体の死を意味する。そんなことを要求する権利が誰にあるのか、と批判した。『私の國語教室』所収「陪審員に訴ふ」による】
 これによって、複雑な表現はほぼ不可能になる。ならば、まず文学が、次に思想が死滅する。言うまでもなく、人間は言葉によって思考する者だからだ。それはサイムにもよくわかっており、むしろそれこそがニュースピークの本当の狙いなのだ、と誇らかに言う。

ニュースピークの目的は総じて、思考の範囲を狭めることにあるというのが分からないか? 最終的には思想を表現する言葉がなくなるわけだから、従って〈思想犯罪〉を犯すのも文字通り不可能になる。

 思想警察や監視なんてことが必要なのは、まだまだ支配が完璧ではない証拠だ、というわけだ。
 しかしここには、ウィンストンやサイムが、インテリであるがゆえについ見逃してしまう要素がある。それは人間存在のどうしようもない猥雑さであり、いいかげんさである。

 ジュリアという〈創作局〉に勤める若い女性を、ウィンストンは最初嫌う。女としての魅力に溢れていながら、党是を心から信奉し、例えば〈二分間ヘイト〉(党の敵とされた人物への憎悪を集団で示す集会)のときには熱狂的な怒りをスクリーン上の〈人民の敵〉にぶつける。もし自分の内心を知られでもしたら、たちまち密告されてしまうだろう、と思うから。
 ところが思いもかけず、彼女から「愛しています」というメモをもらう。罠ではないかと疑いながらも、会ってみると、向こうの気持は本物で、彼らは逢瀬を重ねるようになる。
 ジュリアの行動原理は簡単明瞭、人生を楽しむことだ。ウィンストンのように、党のあり方に論理的に疑惑を抱く、なんてことはない。ただ、面白くもないことを押しつけられて、面白いことを禁じられるのは我慢ならない。それでも、正面切って反抗する、なんてしない。最も面白くない結果を招くことは明らかだから。党の目を盗んで楽しいこと、例えば気に入った男と楽しいひとときを過ごすのが一番だわ。
 他と同様、享楽も表だって禁じられているわけではない。現にジュリアは、プロレ(←プロレタリアート、実質的には下層民)向けの三流ポルノの制作に携わっている。その程度の性的放縦は許される、いやむしろ推奨されているに近いことは、何しろお役所が作って配布しているところからわかる。売春も、こっそりチマチマやるならOK。労働者階級は全人口の85%に及ぶが、どうせ何もわからず、何もできないのだから、放っておいてもよい、と考えられているのだ。サイムも、「プロレどもは人間じゃない」と言う。
 党に属している者たちには、禁欲主義が押しつけられている。もちろんジュリアはそんなものを信じていないし、厳格に守る気もさらさらない。性的なことだけではなく、食物や嗜好品についても。酒も煙草もチョコレートも、配給されるのはすべて不味いまがいものなのだが、彼女はあるとき本物の砂糖やパンやジャムやミルクやコーヒーや紅茶を持ってくる。
 どこにあった? 党の内局、つまり幹部連中ならみんな持っていて、自分たちだけで楽しんでいる。どうやって手に入れた? についてははっきりとは説明しないが、たぶん、彼女の性的な魅力を使ったのだろう。お偉いさん達のお楽しみが、食の分野にのみ限定されているとは思えないから。
 実際の社会主義国でざらにあったし、今もある党中枢の堕落だ。そもそもこんな快楽は、〈ブルジョワ的〉と呼ばれ、否定されたのではなかったか? しかし、せっかく苦労して革命を成し遂げたのに、ささやかな楽しみさえダメというのは、あんまりではないか? 下の者への示しをつけるためなら、こっそりやればいいのだろう? と言って、どんなにうまく秘匿しようとしても、この〈堕落〉はやがて、例えばジュリアがやったであろうような手段で、外部に漏れ、党の〈正義〉を疑わせ、ひいては体制の崩壊をもたらす。
 だから、党の綱紀を引き締めなければならない、などと言うのは簡単だが、実際にうまくいったためしはない。そんなんでは、人生が、少しも面白くないからだ。
 この実例として、ウィンストンの結婚生活が描かれる。

 妻の名はキャサリンという。すらりとした美人だが、頭はからっぽで、党の言うことしか入っていない。セックスは嫌い、なのに、党は子どもを作れ、と要求するので、週に一度、よほどのことがない限り、ウィンストンを強制して、やる。ウィンストンにとって、他のすべてには我慢できても、これには耐えられなかった。離婚は許されていなかったので、すぐに別居した。
 いやなのに、義務としてだけ行うセックス。労苦というよりは拷問に近い。男女の立場が変わっても、同じ事だろう。
【オルダス・ハックスリー「すばらしき新世界」は、「1984」より前の1932年に書かれているのに、試験管ベイビーの発明によって、この問題を理論的に解決している。この世界ではセックスは、まるでスポーツのような、純粋な娯楽になっている。それですべてうまくいくかと言うと……、については、この作品に直接あたってください。】
 話は個人的なところでは終わらない。サイムの理想は、すべての人間をキャサリン化することだ。いや、それ以上だ。党が正しいということ以外は、想像もできない、思いつくことさえない人間にしようとするのだから。
 人間が快楽を知り、快楽を求める以上、決して完全に実現することはないと思うが、もし実現したら、そこにいるのはもはや人間とは言えない。ロボットだ。
 即ち、完璧な支配とは、支配される側をロボット化してその上に君臨することだ。
 しかし、そんな支配になんの喜びがあるのだろう? 
これが、私が以前に述べた「ピグマリオンのジレンマ」である。
 作中のラスボスである党の指導者(B・Bよりは下)は、「いかなる瞬間であろうと、そこには勝利の興奮が、無力な敵を踏みにじる愉悦がある」と言うのだが、これは相手が無力ではあっても人間だからではないか。子どもがおもちゃを壊す快楽もあるにはあるが、そんなに長続きするものではない。
 それだけではない。完璧な支配が実現したら、支配者、即ち「踏みにじる」側も、人間である必要はなくなる。いやむしろ、そうでなかったら完璧ではない。現に、このラスボス氏も執筆者の一人であるという文書には、こう書いてある。

 ヒエラルキー的構造が不変のままであれば、誰が権力を掌握しようが問題ではないのである。

 支配―被支配のシステムの作り出すヒエラルキーがあれば、権力者という〈個人〉は、むしろいないほうがいい。これがパノプティコンの要諦なのである(フーコーの言う、「権力の没個人化」)。現に、B・Bという最高指導者は、画像だけで、たぶん実体はこの世にない。
 生きている人間も似たようなものだ。ウィンストンが捕らえられ、ラスボス氏と対面して、「あなたも捕まったのか!」と問うと、彼は正体を現し、「捕まったのはずいぶんと昔の話だよ」と言う。これは、彼がシステムにほぼ完全に絡めとられていることを暗示している。
 ただ、「ほぼ」であって、完全に「完全」なのではない。「無力な敵を踏みにじる愉悦」に浸る変態性という、かろうじて人間的な部分を残している。彼はウィンストンを、いわゆる人間性へのこだわりを抱いているという意味で、「最後の人間」と呼び、その部分の抹殺を図る。拷問を使って、それには成功するのだが、本当に完全を目指すなら、自分自身がヒエラルキーの最上位というシステムの純粋な一部になりおせなくてはならない。憎しみも、変態的な喜びも、感情はすべて、余計な夾雑物なのだ。
 
 ところで、支配がこんなものだとしたら、古今東西繰り返された血みどろの権力闘争はなんのためか、そんなつまらない地位を得て、維持するために、どうしてそんなに人を殺さねばならなかったのか、と疑問が生じるかも知れない。
 その理由は、既に15世紀、シェイクスピアが「マクベス」や「リチャード三世」で余すところなく描いている。一度「やるかやられるか」の闘争の世界に入ったら、もう止まることはできなくなる。止まれば、弱気を見せたとみなされ、やられるからだ。実際はどうでも、自己の恐怖心からは逃れられない。何より、自分が今まで、反対側で、さんざんやってきたことなのだから。
 恐怖そのものは人間的な感情だと言える。しかし、まちがいなく惨めなものだろう。このため、時代が下るに従って、殺人も圧迫も、強制収容所(≒パノプティコン)などを使ったシステマティックなものになっていった。「1984」では〈愛情省〉という役所がそれだ。
 もっと大きな矛盾がある。闘争を止めるためには、ホッブスが「リヴァイアサン」で説いたように、大きな力による支配が必要になるところ。権力を完全に否定することはできない。「1984」の世界はすぐ隣にある。人間世界に、「正/不正」(good/ungood?)の概念しかないなら、だが。

 元に戻って、支配システムの本当の怖さを、オーウェルは支配する側として体験していた。彼の数あるエッセイの中でも特に名高い「象を撃つ」は、極めて簡潔に、これを伝えている。
 1920年代前半、オーウェルはイギリスの植民地だったビルマで警官をしていた。「南(ロワー)ビルマのモールメインでは、私はたくさんの人々に憎まれていた――たくさんの人々に憎まれるほど重要な存在となったことは、私の生涯でこの時だけである」。まずこのアイロニーに満ちた書き出し、doubleplusgoodですな。
 話はいたって単純で、どこからか逃げ出した象が市場であばれているので、なんとかしてくれないか、という依頼を受けたオーウェルが、古いウィンチェスター銃を持って現場に赴き、この象を撃ち殺す。以上。
 問題はこの過程での彼の心理にある。オーウェルは象を殺したくなどなかったのだし、その必要もなかった。最初のうちこそ暴れまくって、店を壊し、人も一人ふんずけて死なせていたが、彼が着いたときにはもう弱っていて、危険はなかった。象の持ち主が来るのを待って、引き渡せばよかった。
 しかし、この一番簡単なことができなかった。なぜなら、少なくとも二千人はいる野次馬のビルマ人のうち、誰一人それを望んでいなかったからだ。

この時私は悟った。白人が暴君と化すとき、彼は自らの自由を破壊するのだと。彼は、見せかけだけの、ポーズをとったかかし(ダミー)の一種、型にはまった旦那(サーヒブ)となってしまう。なぜなら、白人が「土民たち」を感服させようと努めながら一生を費やすことこそ、白人支配の条件であり、それゆえ重大な場面ではつねに、白人は「土民たち」の期待に応えるようにふるまわねばならないからである。彼は仮面をかぶる。すると、しだいに顔のほうが仮面に合うようになってくる。

 この事件の前から、オーウェルは帝国主義はまちがっているという確信を抱くようになっており、一日も早く仕事を辞めてイギリスへ帰ろうと考えている。心情的には、ビルマ人の味方だった。しかし、そんなのは問題ではない。彼は支配者としてそこにいる。実態は支配機構の端くれなのだが、そうであればなおのこと、支配者として相応しく振る舞わねばならない。そうでなければ、彼の存在価値は、ゼロというよりマイナスになってしまう。
 冒頭の一文にあったように、支配者はこの国の人々に嫌われている。そりゃ、力で無理矢理支配しているんだから、当然だ。支配者らしい振る舞いをすれば、一時は「感服させ」られても、結局はますます嫌われるだろう。そうかと言って、相応しくない振る舞いをするなら、そこに「変な、だらしない奴」という軽蔑がつけ加わるだけなのだ。支配―被支配のシステムの外へ出ることは決して出来ない。これがオーウェルの実感した「帝国主義の本性――専制政府を動かしている真の動機」なのだった。
 植民地から収奪する富は大きいに違いない。しかしそれも所詮は抽象物で、支配者と被支配者が顔をつき合わせている具体的な場では口実以上の意味はない。儲ける奴は他所にいるのだから、「具体的な場」にいるのは双方とも犠牲者だ、というのも、そのレベルの正しさだ。そういうものは個人の究極的な支えにはならない。ウィンストンは「1984」の最後に、それをとことん思い知らされる。

 「希望があるとするならば……それはプロレたちの中にある」とウィンストンは秘密の日記に書く。それは正しいのだが、やっぱり少し方向がズレている。現在の党の支配は欺瞞に満ちた不当なものであり、やがてはそれに気づいた大衆の手で打倒されるだろう、というお馴染みの希望がそれで、そういうことは、絶無ではないにしろ、めったに起こらないものだ。ボルシェヴィキでも中国共産党でも、民衆そのものとも、民衆の代表とも、すんなりとは呼べないでしょう? ここをよく見定めないから、各国の革命運動は成功してもしなくても、おかしなことになってしまうのだし、「1984」はその事態の究極を描いているのである。
 最大のポイントはやはり言語の統制だ。本当にそれができるだろうか? プロレたちは、貧しくてもそれなりに生き生きと生きていることは少しだが描写されている。もちろんそこには淫行もあれば犯罪的なこともあるだろうが、それをも含めて。
 日常言語とは、我々庶民が生活の中で抱く、あまりにも種々雑多で、完全にはまとめようもとらえようもない感情の表象なのだ。そこで、古いとか、めんどうくさいとか、なんとなく気分にそぐわないとか、誰にもよくはわからない理由で使われなくなる言葉がある。一方、狭い共同体や、若者階層でのみ流通する言葉があって、後者は今はSNSのおかげですぐに全国的に広まる。それを使えば、いわゆる大人とは一線を画した若者の世界ができるような気がするので、あるものは一時期好んで使われ、大人たちは「言葉の乱れ」に眉をしかめる。
 私も眉をしかめる側だが、こういうものを完全になくすことなどできないぐらいは知っている。いいも悪いもない。人間が生きている限り、自然に歳をとるように、自然に変わるというだけの話だ。そしてこの「自然」が完全に破壊されないなら、どのように整備されたシステムも、内部から相対化され、揺らいでいくことは免れない。人間の生活実感は、必ずシステムをはみ出してしまう、と言ってもよい。
 ただし、これだけだったら人の世は完全な無秩序状態になってしまうので、箍(≒システム)をはめるための権力が必要になる、というところで話はくるくる回ってしまい、決着はつかない。それでも、元来、正義も、法も、人間が生きて行くために必要とされるのだ。今後どのような世の中になろうと、この基本だけは忘れてはならないと思う。
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経済オンチがお金について語ってみた その4(お金と金との奇妙な関係)

2020年12月25日 | 倫理

The money changer and his wife, 1514, painted by Quentin Massys

メインテキスト:バルトロメー・デ・ラス・カサス、染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(原著は1542年に執筆、岩波文庫昭和51年)
中野剛志『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』(KKベストセラーズ令和元年)

お金は、借りたいという人がいたとき、その人の返済能力を調査して、その分を発行する。だから、借りる人がいなかったら、この世の中に新たなお金は生まれない
 これがMMTによってもたらされた知見だ。
 MMTerはこれを「事実」だと言うのだけれど、「事実そのもの」なんて、あってもなくても、問題にならない。問題はそれをどう解釈し、説明するかなのだ。「絶対の真実」に近いものを探せば、まずこれだろう。
 自然科学の世界でさえ。引力なんてものが「事実」としてあるのかどうか、本当のところは誰にも分からない。分かりようがない。ただ、あると考えると、地上で物が落下する現象から天体の運行まで、うまく説明できて、将来の予想(かくかくの条件の時にはしかじかの結果になる)もつくので、便利ではある。他にもっと有効な説明原理が出てこない結果、万有引力の法則が、いわば暫定王者として「真理」の称号を得ているのだ。
 MMTと古典派経済学の違いは、地動説と天動説の違い、というのも。運動は相対的なので、地球が動いているのか、宇宙全体が地球の自転・公転の逆方向に動いているのか、決め手はない。どう言った方が都合がいいか(例えば、「自転・公転」というような、地動説を前提とした言葉を使って説明するのが便利、というような)、があるだけ。
 まして社会科学の世界では。文法を例にして言うと、地球上のいつでもどこでも、文法を習ってから母国語を話し始める、なんて人はいないだろう。逆に、一定の社会で読み書きに使われている言葉があって、後からそれを学者が分類・分析して、文法規則をまとめる。実際に使われている言葉からは必ずいくぶんかずれるので、文法の研究は決して終わりがない。これは、自然科学でも同じで、創造的な思考が決して不要にならないという意味で、むしろいいことだ。
 経済もそうだ。長い歴史の間に蓄積されてきた商取引や金融の慣行があり、それはけっこう合理的なので、整理して記述するのが経済学、のはずではないか。多少は現実とのズレが生じるのが当り前で、それをもって経済学をクサすとしたら、心ない仕打ちだとも思う。
 何しろ、役にたてばいいのだ。社会に、あれやこれやの条件がそろったら、インフレやらデフレやらになりやすいから、それで国民生活が過度に圧迫されないように、対策を講じる。そのための大枠のガイドラインでも出せるなら、たいへん有用な学と呼ばれるべきだろう。
 むしろ、社会科学が、自然科学の数学的な厳密さに憧れ過ぎると、ろくなことにはならない、と門外漢からは見える。なにしろ、物質の運動と違って、ちっぽけながら曖昧で雑多な欲望や観念で動く人間を直接扱うのだ。それがつまり、後付けで法則化しようとしたら、必ずいくぶんかはズレる理由である。強引にやろうとしたら、かえって人間社会の諸要素の、かなりの部分を切り捨ててしまう結果になるだろう。

 以上は前置き。で、冒頭の、お金に関する「事実」、ではなくて、事実の説明を眺めると。
 お金は、借金の形でしかこの世の中へ出てこない。と言うか、お金とは負債、つまり借金の証文そのものなのだ。もちろん、通貨(現金+預金、ただし硬貨は除く)が。これに関する日本銀行の説明を以下にまとめる。
 昔は通貨とは銀や金が本来であって(本位通貨)、銀行が発行するお札は「金銀を預かっていますという証書」として値打ちがあった。今のお札は、この値打ちの元は失われた(銀行へ持って行っても、金銀と交換してくれない)が、適切な金融政策で、価値を安定させるのだと言う。
 これは具体的には、根拠なんてなくても、とにかく価値はあると信頼させる、皆がそう信頼しているなら、それで価値は保たれる、ということを意味する。
 かつて豊田商事事件というのがあった。地金を売って、しかし現物は渡さずに預かり証だけで、たくさんのお金を集めた。皆の信頼が続き、預かり証で、他のものとの交換(売り買い)ができるものなら、金(Gold)の現物なんてなくたって、誰も困らない。しかしそうはならず、ここの会長は詐欺師だとうことになって、捕まる前に取材に来ていた報道陣の前で刺殺されてしまった(昭和60年。バブルの直前だ)。
 会長は、日本だけではなく世界中の国がやっている管理通貨制度の真似をしたのだ。それは、皆がインチキだと言い出せば、インチキになる。人間が考え出した制度の中でも、特に面白いものの一つだと思う。そう思えるので、以下にいくつかの断面に分けて、眺めてみます。

断面1 貴金属の価値
 金や銀が本位通貨、という時代が長かった(実際の制度のバリエーションは様々にあるが)ので、金銀にはそれ自体価値がある、とみなされることがあり、みなす人々は「金属主義者」と呼ばれる、とのことだが、考えてみればこれも不思議な話だ。金それ自体になんの値打ちがあるのか。
 普通に見る金とは、薄く延ばしてシート状にした金箔とか、それを細かくした金粉。昔TVで、金箔を海苔みたいにしてご飯に載せて食べている成金さんを見たことがあるけれど、ちっとも羨ましくない。海苔ほど栄養価もないだろうし、旨くもないだろう。
 その他、建物も衣服も、金だけで、作れないことはないかも知れないが、優れた材質、というわけにはいかないだろう。つまりは表面のお飾りに使われるのが金なのだ。
 昔はよく見かけ金歯も、もうめったになくなったし、金がなくても、人は生きていける。【パソコンにはごく微量の金銀が使われているそうで、他の物質では代替不可能だとすれば、必要不可欠のものと言えますが、とりあえず、コンピューターの発明よりずっと以前の話をします。】
 名高いミダス王の伝説はそのことを伝えている。彼はディオニソス神に願って触れるものすべてを金に変える能力を得たが、さてその富でご馳走を食べようとしたら,食物も金に変わってしまい、やっぱりまずかったんだな、すっかり閉口して、また神様にお願いして、この能力を取り消してもらった。【娘に触ったら彼女も金になってしまった、というのは、1852年に出版されたナサニエル・ホーソン『ワンダ・ブック』中のヴァージョン。】
 見方を変えると、この話はずいぶん昔から、金は価値あるものとされてきたことを伝えている。実在のミダス王は紀元前700年ぐらいの人だということだ。近代のはるか以前に、洋の東西を問わない広い範囲で、金と、それから銀も珍重されていた。これだけの歴史が、その名も貴金属(noble metal)には、本来値打ちがある、との感じの裏付けになっている。
 一方、かなり後になっても、次のようなことがあった。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」してから、インディオと呼ばれたその地、特に資源豊富な南米大陸に、スペイン人が多数侵入するようになった。彼らは、その地に住むインディアスに対して、史上最大規模の略奪暴行を働いた。
【インディオとはインド、インディアスは英語ではインディアンで、つまりインド人の意味。コロンブスが、自分が発見した「新世界」はインドだと信じたところからこの名称が生じた。それが誤解であることはやがてわかったが、だいたい当時のヨーロッパ人はインドとは正確にはどこかもほとんど知らず、反対方向の海の向こうに発見された新世界を、そことは区別する必要も感じなかったのだろう。それでこの呼称は、その後も、現在までも、続くことになった。】
 同じキリスト教徒がやることでも、これは許せない、と感じた宣教師ラス・カサスがスペイン国王に送った報告書には、例えば次のようなエピソードが記されている。
 1511年、スペイン人がキューバへやってきた時、一人のカシーケ(酋長)が、なぜキリスト教徒たちはこれほど残虐非道なのか、配下に説明した。

「(前略)彼らには、彼らが崇め、こよなく愛している神があるからだ。彼らが私たちを征服したり、殺したりするのは、私たちにもその神を崇めさせるためなのだ」と言い、傍にあった金製の装身具のいっぱい詰まった小籠を手に取り、言葉をつづけた。「これがキリスト教徒たちの神だ。(後略)」

 インディアスたちは、神のご加護を得ようと、この籠の前でへとへとになるまでアトレイ(舞と踊り)をし続けた。さてしかし、この神を身近に持っていたのでは、結局はそれを奪おうとするキリスト教徒に殺されてしまうだろうと、この小籠は川に投げ捨てられた。
 それで神の怒りをかったせいかどうか、このカシーケは火炙りで殺された。死の直前、キリスト教に改宗するかどうか尋ねられて、彼は言下に断った。キリスト教徒と同じ天国とやらへ行って、また彼らの顔を見たりはしたくないから、と。
 インディオでも金はそれなりに珍重されていたようだ。身を美しく飾り、ひょっとしたら、権威の象徴ともなった道具だったのかも知れない。それはヨーロッパ人と同じだ。しかし、大勢の人間を殺して強奪したいものだとは、夢にも思えなかったのだろう。
 彼らが知らなかったのは、金は、美しいだけではなく、ヨーロッパではこの時までに交換の中心となり、そこで働く期待=信用を司り、それによって商業社会の神となっていたことだ。

メソポタミア文明の粘土板
断面2 交換について
 「交換」の最初が物々交換か否か、時々話題になるが、そう気にすることはないだろう。
 人々がなぜ交換するのか言えば、狩りをしたり植物を採集したりするのと同様、自分にとって価値のあるモノを手に入れるためだ。それを強奪するのでなければ、相手にとって価値のあるものを渡して、交換することになる。だから、結局はすべてが物々交換であるに決まっているのだ。
 ただ、交換に介在するものが古くから存在し、これが文明的、あるいは人間的としか言い様がない独特の働きをする。
 介在するものはさまざまにあった。人類最古の文明発祥の地と言われるチグリス・ユーフラテス河周辺からは数十万枚の粘土板が出土されていて、そこにこれまた現在知られている最古の文字である楔形文字が刻まれている。
 中には紀元前4000年以上と推定される板もあり、後代になるほど高度な内容の、学芸と呼ばれるのに相応しいもの、例えば「ギルガメッシュ叙事詩」なども含まれるが、初期は広い意味の証文が多いそうだ。例えば、いついつまでにこれこれのモノを渡す、などの。なるほど、文字や数字は最初、貸し借りの記録のために発明された、というのは、ありそうな話である。
 中野剛志が次のような、ありそうな推測を述べている。
 魚を採った人Bがそれを麦と交換したいと思う。しかし、今は麦は採れない時期だ。そこで、麦を栽培している人Aから、麦そのものではなく、収穫の時期になったらこれこれだけ麦をもらう、という約束をして、魚を渡す。その約束を記したのが粘土板に書かれた証文であり、もしかしたらそれが、文字と数字の起源にもなった。貨幣の起源であることはほぼ確実である。
 これは二人の間での約束。ここに第三者、第四者……が登場するとどうなるか。上で麦の借用書を受け取ったBが、気が変わって、麦はもういい、木材がほしい、と思うようになり、Cからこの借用と引き換えに材木をもらう。借用書を手に入れたCは、今度はそれと引き換えにDから斧をもらう……、という順に借用書を流通させることができたほうが、いちいち新たな借用書を作成する(貸借関係を結ぶ)よりは明らかに便利だ。人とモノが増えていって、貸借関係が複雑になれば、ますますそうなる。
 さてしかし、このような交換がスムースに行われるためには、主に二つの条件が必要になる。
(1) 約束通りにモノの引き渡しが行われること、即ち信用。約束が履行されなかった場合に備えて、罰則まで含めた処置が決められていないとしたら、交換=経済が安定している社会を長期間維持することは困難だろう。
(2) 上の例でAの借用書は最終的にはDのものとなるのだが、Aの麦・Bの魚・Cの木材・Dの斧は、どうやって価値を比べられるのか。もちろん、一部だけの交換も考えられる。Cは材木十本でBの魚=Aの麦と交換したのだが、そのうちの半分だけで(材木では五本分に当たる)Dの斧に替える、とか。それができない交換は非常に不便だ。
 しかしそのためには、麦一把・魚一匹・材木一本などなどに共通する単価がなければならない。この共通単価を示して社会で流通するものが、通貨と呼ばれる。
 こうして、(1)取引の履行、そして(2)通貨、この双方の管理が必要になってくる。権威と、たいていはその社会で最強の武力を備えてこれを行う者が、権力者である。


断面3 貨幣について
 貨幣の発生はどのようなものだろうか。自然発生的、というのか、まずごく狭い集落で使われていたものが、次第に流通範囲を拡げていった、ということも考えられないではない。しかし、今日の国家並の面積(バチカン市国よりは広いとして)で、同じ貝殻なら貝殻が、地方と時期により多少の価格差はあるにしても、交換のツールとして用いられたとしたら、そこには流通を管理する権力があったと考えるのが自然だ。
 現在まで残っている最古の硬貨は、紀元前6世紀ぐらいに、現在のトルコにあたる地域にあったリディアという国で使われていた。
【前述したミダス王が治めていた国・フリュギアはその隣国で、B.C.7にはリディアに支配された。ミダス王はディオニソスから授かった能力を洗い流すために、この地の河で身を清め、ためにその河の流域は砂金が豊富になったのだ、という伝説もあるようだ。】
 この硬貨は高校世界史の教科書にも出ているので、詳しく言わなくてもいいだろう。重量によって何種類かに分かれ、ライオンの紋章など、王家の象徴が刻印されている。材質はエレクトラムと呼ばれる金と銀の自然の合金。
 これを要するに、金銀がその重量に応じて、すべてのモノの交換価値、即ち市場価格の尺度となったということだ。麦一把・魚一尾なら金1グラム、木一本で5グラム、斧一丁で10グラム、という具合。初期の頃は実際にいちいち金銀の重さを量ったらしいが、それを切り分けておいて、すぐに使えるなら、それは便利だ。同時に、モノの価格がこれによってある程度固定されたわけだが、これまた、交換のためには非常に便利だ。
 それ以外にも、西洋でも東洋でも、金銀が代表的な貨幣の材料となったのは、もちろん偶然ではない。そうなる条件がそろっているのだ。
 まず、特に金は、純度の高いものほど、ピカピカ光って、美しく、豪奢で、富と、それから権威の象徴として相応しいことは、第一に挙げられるべきだろう。古代では呪術に使われていたのも頷ける。しかし、ここでは機能面のみを考えると、
(1)地球上のいろいろな場所で、少しずつ見つかる。決してありふれてはいないが、どれほど苦労しても見つからない、というほどではない、ちょうどいいぐらいの稀少性。「ダイヤモンドが石ころと同じだけあったら、石ころと同じ値打ちしかないだろう」と言ったのは誰だったか、ともかく量が限られていることは価値を保つ必須の条件であるとともに、貨幣を造って流通させる側、即ち権力側にしてみれば、管理しやすい(他の者に貨幣を造らせないようにし易い)という利点になる。
(2)化学組成が安定していて、錆びたり腐ったりしづらい、つまり、変質しづらい。そのため、保存に便利。ここが、いつかは枯れてしまうチューリップなどとは全く違う。富の蓄積こそ、近代資本主義が成立する必須の条件なので、金のこの性質が寄与するところは大きい。
(3)前述したように、生活の直接の役には立たず、なくても人は生きていける。これは「価値の安定」のためには大きな長所になる。
 つまり、生活必需品は、時と場所に応じて、実感として、価値が変わってしまう。水は、沙漠では貴重だが、日本ではタダ同前、日本で家を建てようと思ったら、木材が大量に必要だが、できてしまったらもうそんなには要らない、という具合に。
 金銀も、現に相場が立っていて、価格の上がり下がりはあるが、それは実際の必要性とは関わらない。特に金の値打ちは、欲しがる人は社会に、必ず一定程度存在するという、つまりは期待・信用に拠るところが大部分である。
 それでも、金銀は重さで量り売りされるモノではある。FRBや日本銀行の地下金庫には大量の金塊が眠っているらしいとかいう噂は絶えることなく(事実である可能性は否定しない)、価値の最終的な根拠だという思い込みは消えない。そう思いたい人が多いのだろう。
 因みに硬貨は、借金に基づいてはないことは、現在も同じ。補助通貨の扱いで、金額が大きくなる金銀材料のものは発行されず(少しの例外はある)、外国の通貨とは交換できないことはご存知の通り。しかし元来は、金銀の預かり証・借用書として、紙のお金が出てきたのだ。
 貴金属の信用というフィクション(作りごと・約束事)の上にもう一層フィクションを重ねたようなものだが、すると元のフィクションのほうは現実味を帯びてくるわけだろうか。交換の単なる手段が通貨(現金+預金)なのだが、それ自体に価値がないのは、どうも不安だという心性は、長く、ある意味では現在まで、人々の間に存在し続けている。
 それも無理はないかも知れない。紙幣は金の保有高に応じて発行される、というフィクションが名実ともに崩れ去ったのは1971年の、いわゆるニクソン・ショックによってだから、来年でやっと50年、半世紀しか経っていないのだ。
 私は、人間の世界を現に動かし、従って大きな厄介のタネにもなるのは、誰それの手の込んだ陰謀などではなく、一般の人々の単純な思い込みではないか、と思っている。
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経済オンチがお金について語ってみた その3(バブル怪談)

2020年11月24日 | 倫理

串田和美演出「幽霊はここにいる」新国立劇場平成10年

メインテキスト:安部公房「幽霊はここにいる」(昭和33年作。『幽霊はここにいる・どれい狩り』新潮文庫昭和46年)
サブテキスト:マイク・ダッシュ、明石三世訳『チューリップ・バブル 人間を狂わせた花の物語』(原著は1999年。文春文庫平成12年)
永野健二『バブル 日本迷走の原点1980ー1989』(新潮社平成28年、新潮文庫令和元年)

 経済的な用語や、まして理論はなるべく使わないで(だいいち、よく知らない)、お金の話をしてみようと思ってやってきたんですが、どうせなら、素人の強みを発揮して、もっとラディカル(過激&根源的)な話をしてみようと思います。もっとも、それも、書いている本人がそう思っているだけかも知れませんが。

 「一万円はどうして一万円の値打ちがあるのか」というのが私の、今では思い出すことができないぐらい昔からの疑問だった。少しばかり経済学の本を囓ってみたりもしたが、管見の限りでは明確な答えを見つけることはできなかった。
 ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論』には、「租税が貨幣を動かす」なる言葉があった。なるほど。主権国家には貨幣発行権と徴税権がある。国家とその下にある地方公共団体に納める税金は、基本的にその国家が発行している通貨でしか支払われない。としたら、同じ国に住む誰にとってもこの通貨は必要になる。だから、国民はみんな欲しがり、国内の交換(最広義の商品の売買)のために普通に使われるようになる。
 ただ、考えてみればこれは、通貨(貨幣+預金)の有用性を、後付けで創っているということだ。値打ち=価値とは、人々が欲しがるもののことだろう。誰も、税金を払うために働いている、なんて人はいない。
 それなら、ちょっと、見る角度を変えてみれば。なぜ、一万円札には一万円の値打ちがあるのか。引き換えに、一万円で売られているモノが手に入るからだ。
 では、そのモノにはどうして一万円の値打ちがあるのか。一万円で買う人がいるからだ。売れると思って生産された商品が売れないことなどたくさんある。その商品に人々が、一万円なら一万円の値打ちを認めなかった時には。
 以上から、交換の場=市場における価値の決まりかたがわかる。言わば、相互依存型なのだ。一万円札は一万円のモノが買えて初めて価値を実現する。一方でモノは、一万円で売れて初めて価値が確認される。この交換―流通以前にあるのは、「買えるだろう」「売れるだろう」という予想=期待=信用のみ。

 「何をわかりきったことを」と言われますか。「交換価値は、交換されて初めて出てくる」とでも言えば、当り前、というよりトートロジーになる。
 それに、将来手に入るものを期待して今何かをするのは、人間なら普通のことだ、とも思えるだろう。お百姓は半年後の収穫を期待して、現在畑を耕し、種を蒔く。これは経済活動のうちだが、子どもに、将来の「よい生活」のために、今は必要性を感じられないし、面白くもない勉強をやらせる、なんぞというのも含めれば、人間生活のかなりの部分が「期待」で成り立っている、と言える。人間だけではなく、動物だって、ごく短いスパンでなら、将来の何かを「予想」して何かをすることは多いだろう。
 ただ人間は、交換価値の表象である貨幣というモノを発明した。それは、「何かを手に入れたい」という欲望と直接結びつく。言わば欲望そのものの具現化だ。これによって人間社会に特有の、さまざまなことが生じる。
 
 戯曲「幽霊はここにいる」には、「その気になれば、石っころだって金にしてみせる」と豪語する名うての詐欺師が登場する。家族から、「いいかげんに詐欺みたいなことからは、足を洗ったら」と言われて、反問する。ものの値段はどう決まる? 
 例えばこの特大のハンカチは、買えば三十五円はする、とりあえず、それだけの値打ちがあるんだ。しかし、なぜだね? なぜそんな値打ちがあるんだね? 「きまってるじゃないの、材料費と工賃よ」。
 それへの反論として、彼は以下の金銭哲学を開陳する。
 
馬鹿な! それじゃおまえが、電柱ほどの丸太ん棒をけずって、つまようじを一本こさえたら、誰かがそれに、材料費と工賃を払ってくれると思うかね?……そうれみろ、くれはすまい……いいか、これが三十五円の値打ちがあるってのはな、ほかでもない、これに三十五円はらってくれる人間がいるからさ。物でも人間でも、値打ちってものはな、他人がそれにいくら支払ってくれるかできまってしまうものなんだ。金を払うやつがいりゃあ、それが値打ちになる……世の中にはな、だいたい詐欺なんてものはありゃせんのだ……
 
 売れて初めてものの値打ちは確定する。ならば、ここを逆にして、それにお金を出す者がいるなら、それには価値がある、としてもよい。そうではないか?

 そんな彼が、死んだ戦友の幽霊(彼にしか見えない)といっしょに旅をしていると言う男と出会い、新たな商品開発を思いつく。幽霊だ。いるかいないかわからないのに? かまわない。いない、とはっきり証明されたらさすがにマズいだろうが、それは「悪魔の証明」で、原理的に不可能だ。「もしかしたら……」と、多くの人が思うなら、それで充分。
 むしろ難しいのは供給管理である。仕入れ先はたくさんありそうだが、「幽霊はここにいる」と誰かが言うのをすべて買っていったら、資金がたいへんだし、数が多すぎて供給過剰になったら、つまりデフレで、値崩れを起こす可能性がある。
 メリハリをつけるために、生前の写真を買い集めることにする。一枚三百円。今の価値で四、五千円程度だろうか。幽霊と照合するためだという触れ込みで。照合してどうするのか、については何も言わない。言わないで、勝手な憶測が噂になって尾鰭が付いて広まるのを待ち、それを利用する。
 最大のつけ目は、生きている人間は、けっこう、死人に負い目がある場合が多いことだ。「死人に口なし」なら、忘れればいいのだが、なんらかの形で口を開く可能性もあるとなると、どうも……いろいろと、不安になる。不安とは、期待の裏返しであることは言うまでもない。この時点で、幽霊の商品化は半ば成功する。
 ワケありの(この世の誰かに恨みを残していそうな)死者の写真は高額で取引されるし、幽霊の講演会(もちろん、通訳付き)の依頼もあり、幽霊だから着たきりでいいわけではあるまい、と幽霊用ファッションショーも開かれ、幽霊も手厚く供養されるためにはお金が必要だろうと、幽霊保険も開設される……。

 これを書いた頃の安部公房は日本共産党の党員だったのだから(昭和36年には、党の方針を批判した廉で、除名されている)、資本主義体制を批判するつもりだったのかも知れない。
 しかし、幽霊、というか、いわゆる超自然物は、近代以前こそありふれていたわけだし、社会主義になったからといって消えるわけではないだろう。そうでなければ、こういう作品は、パロディとしても必要な、最低のリアリティも保てない。
 安部の功績は、この存在というか心理を、市場経済の中にぶちこんで、ころがして見せたところにある。フィクションとはいえ、面白い思考実験にはなり得ている。

 幽霊はいる。どこに? 人々の期待と不安の中に。だからそれは近代でもしっかり生き延びている。しかも、けっこうお金が絡む。お金こそ、期待と不安の表象だから。
 本当の幽霊(?)みたいな、いるかいないかはっきりしないものでもそうだ。目に見える標しがあったら? 言わば、幽霊の依代が。そうなり得るものも、なり得たものも、あったし、今もある。それは、バブル経済と呼ばれるものの中で、最も暗躍する。

 最初の投機バブルは17世紀前半、オランダで起きたと言われる。チューリップバブルという言葉は多くの人が知っていると思うが、昔のことで、詳細ははっきりしない。チューリップの球根一つが現在の日本円にして約一億七千万円で売れた、という話もあって、ともかく、途方もない取引があったことは事実であるようだ。
 どうしてそんな値がついたのか? その値段で買う人がいたからだ。

 この花は、中央アジア原産のものがオスマン・トルコ帝国のサルタンに愛好され、ここを経由してヨーロッパに紹介された。新奇であるうえに、現在のよりずっと複雑な色合いになることがあり(ウィルスつきの、病気の花だからなのだが、当時はそれはわからなかった)、優美で豪奢で、金(gold)と同様に、あるいはそれ以上に、富と権力の象徴として相応しい、と思う人もいた。
 そういう人が複数いたら、ライバルを出し抜いて手に入れた場合、その事実が、より立ち勝った社会的な力の証になる。いわゆる「見せびらかし消費」で、そこでは同じようなものが二つあったら、高いほうが選好されるという、普通の市場原理とは逆の事態も起きる。
 何も悪いことではない。商品は狭義の有用性の他に、象徴的な意味も含めて売り買いされてきたのは、文明の常だ。ただ、こういう商品には固有の弱点がある。希少性が価値の多くの部分を支えるので、買い手は自然に少数になる。というより、少数である必要がある。その少数の買い手が、「もう、いらない」と思ったら、それですべておしまい。
 チューリップバブル市場は、ある日、売ろうと思ったら、全く買い手がつかず、値崩れどころか相場自体がそれこそ幽霊のように雲散霧消して、始まったときより唐突に終わった。それまでに巨万の富を得た人もいるが、もっとずっと多くの人が破産の憂き目を見た。

 20世紀後半の日本では、幽霊は資産と呼ばれるものに取り憑いた。
 資産とは、財産とも言い、個人や企業が所有している土地・建物・有価証券・美術品など、売ろうと思えば売ってお金にすることができるモノを指す。もちろん、お金を出して買う人がいなければ、成り立たない話ではある。
 逆に、買いたいという人がたくさんいたらどうなるか? 需要と供給の単純な公式によって、そのモノの価格は上がる。
 このバブルのきっかけは、1985年のプラザ合意だというのが定説だ。アメリカの貿易赤字解消のために、結果として円高を押しつけられた日本が、予想される不況の対応策として、銀行の貸し出し金利を下げた。実際に投資は活発になったが、それだけでは使い切れないお金が市中に流れ、資産の買い付けに向ったのだと。
 そのうえに、特に、土地となると。日本の土地の値段は、少なくとも東京のは、決して下がらないという、いわゆる土地神話が、私が物心ついたときには、既にあった。ならば、買って損はない。買えるものなら、買おう。そう思う人が増えたと思ったら、論より証拠、現に、土地の値は上がるではないか。
 この事実が広く知られるにつれて、値上がりのスピードも速くなる。買い付け資金を銀行から借りても、利子以上の値上がり益は見込めるし、もちろん担保価値も上がる。かくて、土地を買ったらそれを担保にしてお金を借りて、新たな土地を買って、そしたらそれを担保にして……なんて無限ループ、なわけはないんだが、そう見えるもの(それこそ、幽霊だ)を勧める人もいて、実際に嵌まる人もいて、結果いよいよますます土地の値は上がっていく。

 バブル経済を一番簡単に定義すると、お金に直接反映する期待感の暴走、ということになるだろう。それが暴走であることは、止まってからはっきりわかるのだが、元来、期待の裏側には不安が貼り付いている。期待感が高まればそれにつれて不安も高まる。「こんなこと、いつまでも続くわけはない」との思いが強くなって表面に出てきたら、それで期待もしぼむ。もう思ったほどの値段では売れなくなり、担保価値も下がり、しかし借金も利子も元のままで残るので、日本社会は大量の不良債権を抱えることになった。
 総量規制(大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」平成2年)などの政策でバブルははじけとんだのだ、とも言われるが、きっかけとしては大きいだけで、いずれはそうなる運命だった。と言うか、これらの政策は、無駄に犠牲を大きくしたという意味で、遅きに失した、と永野健二などは言っており、こちらのほうに説得力を感じる。
 いずれにしても、市場が、即ち経済が、期待、言い換えると信用、に基づいて営まれている以上、バブルを完全に防止することなど、できない話だ。

 いいところはないだろうか? チューリップバブルは、ともかく花を栽培しなければ始まらなかったのに対して、資産バブルは、モノを生産せずに、既にあるものの売買益だけを狙うところが、いかにも不毛な感じがする。ここで動いた金額はGDPにも計上されないし。
 それでも、お金を社会の広い範囲に行き渡させる効果はあったのではないだろうか。

 もう一つ、心理的な効能もある。
 17世紀のオランダは、80年にわたる独立戦争に勝ち(独立が正式に承認されたのは1648年)、オランダ東インド会社(1602年設立)によってヨーロッパの海運業の覇権を握った。文化的にもレンブラントやフェルメールが活動した時期で、チューリップバブルは、国力の絶頂期に咲いたあだ花だったのだ。
 それが実際に社会の発展に寄与した、とは言えないけれど、市場の空前の活況がもたらした高揚感までは否定できない。景気とは、その字の示す如く、かなりの部分人々の気分に左右される。
 日本のバブル期の浮かれ気分も、今では伝説になっている。個人的な好みを別にして言うと、現在のようなくすんだ景色と気分には、いいかげん倦み疲れたが、かといってそれをなんとか打開しようとする元気も出ない、というのも、切ない話ではある。

 現在も昭和末期のような低金利政策が採られているが、株価の異様な上昇(一種のバブルだろう)以外、世間は不況なまま。これは、政府の金融・財政政策の失敗が根本的な原因であることは確かだ。
 しかし一方、バブルの失敗に懲りた企業経営者の気分が、なかなか積極的な経営方針に向わず、「失われた20年」が30年となり、さらに延びようとしている一因になっているのではないか、という疑念は拭えない。
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経済オンチがお金について語ってみた その2

2020年10月08日 | 倫理


 お金についてFace Bookに挙げた記事をまたまとめます。これに対して数人の人からご意見をいただき、本当にありがたく思っています。
 おかげで、長い間私の中で謎だった、信用創造money creatingということについて、最近ようやく見え始めたか、と思えるところまでは来ました。以下の記事は、それ以前の、とても未熟な見識も含んでいます(一番ひどい、というか他の記事との重複が大きい、と思えた一つは今回省きました)。それでも、金融の現場にはいない人間の素朴な思考の歩みの記録として、なにほどか価値があろうかと思って、再録します。少なくとも、私自身にとっては(^^;)。
 他の人にとっても、「反面教師」であっても、役に立つことを期待しつつ。

◎疑問3:(松田智臣さんより)よく財務官僚の答弁でマーケットの信用という言葉が使われますが、PB黒字化のその信用に与える影響とはどんなものなのでしょうか?また、S&Pなどの格付け会社の影響力のほどはどの程度と考えられるでしょうか?
お答え:マーケットの信用とは、例えばつぎのようなことですかね。
 「収益を大きく上回る借金によって経営している企業があるとする。誰もそんなものを信用して、株を買ったりするわけがない。いるとしたら、その企業を乗っ取ってやろうとする者だけだろう。国家だって、同じことだ。PBの黒字化、つまり、政府の正当な収入である税収の範囲で公共事業をやっていかなければ、信用は失われるばかりだ」
いや、そりゃないでしょう(😣)
 企業は、借金したらそれを返済するのにどこからかお金を調達しなければならないわけですけど、日本はそのお金を、一種の子会社である日本銀行に言って、創り出すことができるんですから。
 格付け会社については、一流証券マンとして長年勤め上げた知人(この人は、MMTはカルトのようだ、とも言ってますが)によると、「格付け機関とヘッジファンドがグルになっているという噂は事実のようだ」とのこと。
 私などに実態がわかるわけないんですけど、S&P、フィッチ、ムーディーズの三大格付け会社も、相当いかがわしい存在であると思ったほうがいいようです。
 以上で終わり、ではあんまりなんで、有名な政府文書を一瞥しておきましょう。皆さん先刻ご存知でしょうが。
 平成14年(2002)、上記三社が、日本国債の格付けを、AAA(トリプルA、信用度最高)からA(シングルA、信用有り)に下げたとき、当時は財務相の財務官だった現日銀総裁黑田東彦氏が抗議のために提出したもので、イの一番に
日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか
とぶつけている。
 いやあ、カッコいいじゃないですか、黑田さん、この勢いで、財務省の後輩たちを叱ってやって下さいよ。
 それはともかく、その後の主張を簡単にまとめますと、
(2)日本は世界最大の貯蓄超過国にして経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高。
 だから、赤字国債と言っても、よそ(海外)からお金を借りず、国内でやりくりしている。このような経済基盤を格付け会社は考慮に入れていないようだ。
(3)各国国債間の格付けの根拠に、一貫した整合性が感じられない。
 そらまあ、韓国や中国のより日本国債は格下だ、と言われると、愛国心(身びいき)はたなあげにしても、「え~? マジ?」と思えてきますね。
 これに対しては先方からははかばかしい返事はないとのこと。
 こんなんでも、格付け会社のほうを信用して、日本を信用しなくなる人がいるわけですかね?

◎疑問4:MMTerはよく、「万年筆マネー」とか言って、銀行の「信用創造」は英語ではmoney creationなんで、お金とは、銀行が貸し出したときに生まれるものだ、銀行はゼロから、ただ通帳に金額を書き込むだけで、お金を創れるんだ、なんて言う。
 そうだとしたら、
① 誰でも、俺でも草一でも、明日から銀行を創設して、頭取になれる。
② ゼロから創り出したお金を貸して、「返却させる」とはどういうことだ。利子ともども、元金まで銀行が丸儲けか。
など、疑問が湧いてくるぞ?
お答え:これ、要するにレトリック(言い回し)の問題じゃないんでしょうか。いわゆる経済についての話というのも、ずいぶんレトリックが幅を利かすんだ、と最近わかりました。人間的な、あまりに人間的な領域なんだから、当然なんですけど。
 市中銀行には、もちろん日本銀行券、いわゆるキャッシュは創れません。預金だって、普通預金や定期預金を、万年筆で書くって言うか、今はコンピューターのキーボードを叩いて(キーストロークマネー)、それだけでこの世に出現させられるわけはないんです。もしできるというなら、私にも、元金なしで、創ってもらいたい😉。
 貨幣の価値を保証するものの一つに、希少性がありますからね。誰でも彼でも創って、同じように流通させられるとしたら、それだけで貨幣制度は崩壊するでしょう。その貨幣が、モノであっても記号であっても。
 ランダル・レイが「負債のピラミッド」というので図解しています。政府の負債→銀行の負債→銀行以外の主体の負債、の順に価値が下がっていく、と。負債、とは即ちお金のことですから、実は銀行でなくても、誰でも、IOU(借用書)というお金を発行できるのです。ただ、その信用力によって価値のヒエラルキーが形成され、流通の範囲と期間が決まる。
 と、言いますか、下の二つは、てっぺんの、政府の負債、普通に言うお金と、期限が来たら替えることができる、というのが即ち信用なんです。このへんは以前に書きました。
 因みに仮想通貨というの、政府負債と直接には結びつかないので、国家権力を相対化するんじゃないか、と国家嫌いの左翼的な人々が期待したようですが、なかなかそうはいかない。そう簡単になんとかなっちまうんでは、危なくて仕方がない。権力者じゃなくても、普通はみんな、その危惧のほうが強いんです。
 元にもどって具体例。例えば銀行が企業に1億円貸したとします。その後その企業か、そこから小切手をもらった人が来て、全部じゃなくても、1千万円を現金にしてくれ、と要求しました。
 銀行としては、ない、とは決して言えない。本当になければ、どこからか借りて払うしかない。必ずそうするのが銀行の信用ですから。
 どこから借りるか。普通は、「銀行の銀行」である日本銀行からなんでしょうね。この場合の利率を公定歩合と言う、と高校で習いました。また、担保には、その銀行が保有している国債があてられる場合が多いようです。
 ですから、銀行は、貸したお金を回収したら丸儲け、ということにはならない。逆に、返済されなかったら、そこから生じる損害をかぶらなければならない。私如きが明日から銀行の頭取にはなれないんです。
 「万年筆マネー」のキモは、それより、次の点にあるのでしょう。
 借りる人は元金+利子以上のお金を稼ぐ見込みがあるから借りるのでしょう。言い換えると、1億円以上のモノ(サービスを含む)を作って売る自信があって、1億円借りわけです。
 見込み通りなら、その企業は銀行に1億円+利子を返した後で、いわゆる粗利から、社員の給料やら税金を払います。たとえ失敗しても、そのモノを作る過程で使った材料費やら工賃は、1億円分、社会に出回ります。
 逆に、こういう借金→投資がなければ、お金は社会で流通しない。銀行の日銀当座預金にいくらあろうと、それは使えないんだから、我々一般国民にとっては、ないのと同じこと。
 お金は、銀行の貸し出しによって初めて生じる、とはつまりそういう意味だと、私は理解しております。

◎お金の話をなんとなく始めてから、多くの人からご意見をいただき、とてもありがたいのですが、どうも元来無知で無能なのでうまく飲み込めません。これ以上話をすすめるには時間がかかりそうなので、自分の立ち位置を改めて述べておこうと思います。結局言い訳になってしまうでしょうし、大して興味も持たれないでしょうが、よかったらお読み下さい。
 世の中には私には理解出来ないことがごまんとあることは、さすがに承知しています。宇宙生成の話ですとか、変形生成文法ですとか。それは黙っていても、自分の身がどうなるということもなさそうなので、専門家に任せておけばばよい。
 しかし、経済政策となると、今日明日にも日本社会が、ということは社会の一員である私個人にも、密接に関わってくる領域です。そこで、
「日本の借金1,100兆円、国民一人当り880万円」
「将来世代にツケを残す」
というような明々白々たるデタラメが公然と言われているのを見ると、これを黙っていたのではせっかく民主国家の国民でいる甲斐がない。そう思ったのです。
 私は幸にして、「これは悪い冗談みたいな話だが」と言ってくれる人(誰だか忘れました(-_-;))から赤字国債の話を聞きましたので、ダマされずにすみました。説明が必要だとしたら、例えば、皆さん先刻ご承知でしょうが、例えば次の表でもざっと頭に入れておけば。
 これによると、本年6月の時点で、国債の47.7%(約490兆円)、国債の償還や借り換え時につなぎとして使う国庫短期証券を含めても44.5%(約520兆円)を日銀が保っています。これは、事実上、国債の半分近くが既に償還済みであることを意味します。「国の赤字1,100兆円」は、この時点でウソ。
 それから、残りの国債は、市中銀行と保険会社が保っています(全体の35.6%)。国債を買うのは主にここなのでしょう。その資金は? 結局は国民のお金、というのは後に述べる理由で憚られますが、取敢えず、民間のお金が使われているんです。
 これを借金と考えても、国民の税金から返す、なんてことなら、税の二重取りに近くなります。なんと、そうではありませんか。まるっきり筋の通らない話なんです。
 これで終わりならいいんですが、まだ先があるんです。銀行が顧客から集めた預金で国債を買っている、ならわかりやすいんですけど、そうすると、
「これから老齢化で、預金を取り崩して生活する老人が増える。そうすると、預金が減るんで、銀行は国債が買えなくなる」
なんて言う人もいて。
 だいたい、これは事実ではない。「お金は、誰かが銀行から借金した時に生まれる」という信用創造論。日銀の人もあっさり認めた、言わば公認された事実なんですが、これを財務や会計の現場にいたことのない人が理解するのは容易ではない。
 我々は、
「銀行は国民から預金を集めて、それを企業などに貸し付けるんだ」
と教わってきましたからね。私も、中野剛志『富国と強兵』を読むまではそう思っていました。
 これはけっこう大きな問題ですよ。なるべくたくさんの人に同意していただけないと、「多数の意思が政策を決定する」という民主主義の原則が働きませんから。何かの利害関係やら、イデオロギーに捕らわれている人を説得するのは不可能、と私はとうにあきらめています。しかし、一応聞く耳はある一般の人の素朴な疑問にちゃんと答えられないなら、いかなる正論も、社会的な力を持ち得ないでしょう。
 個人的に、何人かと話をして、「万年筆マネー」を言い出すと、「そんなバカな」という顔をされたり、直接言われて、終わりでした。だいたい、私自身が完全に納得していないのだから、当然です。
 なんとかならないものかな、としばらく前から考えあぐねています。こんな奴の相手もしてやろう、という奇特な方々、この先もご意見をいただければ。

◎信用創造money creatingの話は私の頭の中でまだ足踏みを続けてますんで、ちょっと視点を変えて、人間の道徳心について考えてみます。
 「自分で稼ぐ金以上に借金をして、その金で暮らしていくなんて、まともじゃない」というやつ。これは、個人については全く本当なんですが、国にはあてはまらない。今や私でさえも、「そんなの、当り前だ」と思ってしまう。そこで傲慢になって、「分からない奴はバカなんだ」なんて態度になると、鼻持ちならず、この「当り前」が世間に広まる支障になります。もう少し向こう側に寄り添ってみましょう。
 例えば、「税金の無駄遣い」なる、よくある言い回し。
 先日、日曜会で法廷ものの傑作映画「検察側の証人」(1957年、ビリー・ワイルダー監督、アガサ・クリスティー原作、マレーネ・ディートリッヒ主演。「情婦」なんて、ひどい邦題がついている)を鑑賞しました。この中で、証言台のマイクをぞんざいに扱う中年女性の証人を、判事が、「それは税金で買ったものです」とたしなめる場面がありました。
 これを、「そのマイクは、政府の、返さなくてもいい借金で買ったものだ。大切に扱いなさい」なんて言ったら、説得力がない、どころか、「ふざけてるのか?」ということになるでしょう。
 1957年と言えば、いわゆるニクソン・ショック(1971年)で、金本位制が名実ともに崩壊する四半世紀前ですから、現在とは国の財務状況は違っているのかも知れない。そうだとしても、この言い回しは連綿として残っている。
 ひょっとしたら、上の「当り前」が世間一般でもそうなった後も、残るかも知れない。税収からだって、支出されないわけじゃないですし。
 よく、主流派経済学とMMTの違いは、天動説と地動説の違いだ、なんてMMT寄りの人は言いますね。
 今では、天動説が正しいんだ、と思っている人はめったにいないでしょう。しかし、「日の出」sunrise「日の入」sunsetなんて表現は普通に残っている。普通人の生活実感に合ってますからね。
 おそらく、「税金の無駄遣い」も、長く残るんじゃないでしょうか。別に害がないなら、それでもいいです。私だって、つい使ってしまうことが、今後もないとは言えない。何から買ったものだろうと、ものを大切にするのはいいことですんで。
 ただこれが。「税金泥棒」なんて、社会の特定の立場にある人々を非難するために使われると、ちょっとまずい。それは中には、いいかげんな公務員もいるでしょうが、だから全員の給料を減らせ、人数も減らせ、になると、結局は公共サービスの低下という形で国民に害をもたらす。
 それから、三橋貴明さんの言う「お金のプール論」ですか、すぐに「で、その財源は?」ときて、これが明らかにならない案は非現実的だ、とみなす思考。
 政府は税収の範囲でしかお金を使えないんだとすると、その総額が急に伸びることはない(というか、それは国民の所得を今よりたくさん取り上げることになりますので、社会に出回るお金の総量を減らす結果をもたらす)ので、他の分野に使われているお金を回さなければならない、という。
 ここまできたら、その財政観、中でも税金に対する考え方はまちがっている、と言わざるを得ない。
 これを説得するのは難しい。長い間人々の生活実感の中に蓄積されてきた金銭観と、自然に結びつきますから(社会的な特定の立場や、イデオロギーに囚われている人はここでは除きます)。
 最後に、税金からちょっと離れます。
 MMTは、お札は無限に刷れるという主張だとみなして、「そんなの錬金術だ」「打ち出の小槌みたいな話だ」と言う人々。
 MMTに関する誤解を除けば、この考え方はまちがっていません。いや、「そんなもの、ないんだ」は、この世の中の鉄則と言っていいでしょう。
 ただしそれは、お金ではなく、生産され消費されるモノ(サービスを含む)に対して言うべきなのです。
 どんな時代でも、人は、労働して、価値あるものを生産しなくてはならない。それが乏しくなったら、買うための手段であるお金の価値も自然に下がる。
 要するに、お金には最初から値打ちがあるのではなく、それが使える状態があるから、価値あるものとみなされるのです。
 ここは自分で完全に納得しておりますので、もっと表現力を磨いて、一人でも多くの人に伝えていきたい、と念願しておるのです。
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経済オンチがお金について語ってみた その1

2020年09月17日 | 倫理

エコノミストOnline とことんMMT より
 
 以下はFaceBookに9月5日から12日にかけて出した投稿をまとめたものです。このシリーズは現在も継続中です。
 なんでこんな話を始めたかの、個人的なきっかけは言わなくてもいいでしょう。私は、経済についてよく知らないし、わかりません。そんな者でも、社会的な利害関係やイデオロギーとは関係ないところで感じたことなら、多少は他の人の役にも立つか、と期待して、言ってみました。

◎一番単純なお金の話。
 豊かになる、とは経済的に発展することで、そのためには通貨(マネー)を増やす必要がある。
 昔は通貨には金(Gold)が最も多く使われたので、これをめぐって争いが起き、その奪取に一番成功した西欧諸国が世界の覇者となった。
 しかし近代ではそう乱暴によそから奪ってくる、というわけにはいかないし、だいたいこれでは、金の量以上に経済規模は拡大しない。
 それ以前に、貸し借りは普通になっていたし、通貨は紙切れが主になっていた。貸したらIOU(証文)を書くのだが、これもお金に結びついた紙切れなら、通貨扱いしてもいい。事実、そうなる場合があった。
 そしたらさ、お金を借りて、それをできるだけ、できれば永遠に、返さなかったら、お金が増えたことにならないか?
 ということで、管理通貨制度下での、経済発展が始まった。
「なんかおかしい。真っ当じゃない」と感じたり言ったりする道徳的な人は必ずいる。
 そうかもわからん。しかし、彼らが満足する社会とは、経済発展とは逆に、皆が貧乏になっていく場所だ。
 私ぐらい以上の年代がかろうじて覚えている、気楽にものが買えるスーパーやコンビニはなく、医者に行くのも一苦労、川の堤防が老朽化しているのはわかっていても、容易には直せない。
 しかもこの状態は進行する。おかげで死んでしまう人も大量に発生する。
 それでもなんでも、借金なんかしないで、真っ当に生きて行くのが人の道だ、とまで言うなら、一つの思想的な立場として認めないでもない。
 ただ、そういう人がたいてい私より裕福で、優雅な暮らしをしているようなのが、どうも釈然としないだけだ。

◎また単純なお金の話。
 借金が許されない国があったとしよう。かなり苦しい想定だけど。会社は社員の持ち寄りの資金でなんとか商品(サービスを含む)を作って(それって、社員が会社にお金を貸してることになるじゃん、というような厳しいツッコミは暫くご容赦)、売る。売れたお金は社員で分ける。この会社では損は出なかった、としたら、顧客の総体がそれだけのお金を払ったことになる。
 GDP三面等価の原則、なんて持ち出すまでもない。誰かが国内でお金を稼ぐなら、必ず誰かがそのお金を出していて、その総額は必ず一致する。余分なお金は生じない。当り前の話。
 余剰金を出すためには、よそからお金を入れるしかない。貿易収支の黒字で、国外からか、あるいは、通貨発行権を持つ政府が、お金を刷って配るか。前者は、日本は今は黒字のようだが、急に増える要素はなし、ほぼ一定、と考えてよい(実は、一国について上で考えたことを、世界大に拡げたら、日本は他国のお金を吸い上げていることになって、ここで過度に儲けるのは、国際社会ではあんまり好ましいことではないでしょう)。
 後者の場合、無根拠に出す、というわけには、いくのかも知れないけど、怖いんで、やっぱり、一種の借金という形にする。経済発展するためには、これだけは目をつぶろうよ、てな感じで。
 目はつぶれるんだよ。国は、国債という債券で借金をするんだが、返してくれ、と言われたら、その時こそその分の現金(無利子無期限の、一種の債券)を刷って(実際は相手の銀行口座に金額を書き込むだけ、が大部分だろう)、替えればいいんだから。誰も困りゃしないんだ。
 こうしてできた金で、国は、最も広い意味の公共事業、つまり、インフラ整備やら公務員の給料やら国防やら各種補助金やらを拠出する。その分が国全体の余剰金になる。つまり、社会全体のお金が増えて、社会全体が経済成長する。
 いや、それでもなんでも、借金は借金なんだから、いかん、ということになると、国の正規の収入である税金ですべてを賄え、と要求しているわけで。
 税金て、基本的に、国民が稼いだ利益から出すもんだ。つまり、国民の支出から出すのと同じこと。全部形を変えてこっちに返ってくるんだとしても、余分なお金は生まれない。国が経済発展するわけないんだ。
 いや、生産―供給に回す分が足りなくなるだけ、確実に金不足、つまり貧乏になるだろう。
 プライマリーバランスの黒字化って、こういう恐ろしいことになる。なんと、皆さん、そうではありませんか?

◎またまた単純なお金の話。
「国がいくらでもお金を刷って使えるもんなら、税金を取り立てる必要ないんじゃね?」という批判はよく聞くし、これに対する反論も多い。
 しかし、これが嵩じて、「お金っていくらでもタダで作れるんでしょ? だったら、俺にもタダでくれよ」なんてことになると、冗談にしても度が過ぎてるな、って感じになる。
 緊縮財政派の真意を最大限好意的に忖度すると、こういう人が増えるのを警戒しているのかもね。
 だが、MMT派も、たいてい、BI(ベーシック・インカム)にもヘリコプターマネーにも反対してるんだがね。
 一万円札になぜ値打ちがあるって思えるのか。それは、日本国内でなら、これと交換に、一万円相当のモノ(商品+サービス)が手に入るって信じられているからでしょ? それ以外に理由はないよね。元は借金だろ、なんて、誰が気にするんだ?
 だから、日本の生産・供給力が落ちて、交換できるモノ、つまり買えるモノが乏しくなったら、一万円の値打ち、つまり信用力も下がる。
 買えるモノが何もなくなったら値打ちゼロ。お札の総数が多くても少なくても関係ない。鼻紙にも、メモ用紙にも、使い勝手が悪い、ただの紙切れになってしまう。
 日本人ができるだけ一所懸命働いて、売るべきモノを作っていくことが、円の値打ち・信用力を支えてるんだ。
 これがうまくいっていて、買えるモノがたくさんあるなら、一万円札の値打ちは、インフレ・デフレで多少高下しても、ゼロにはならない。必ずほしがる人はいる。私もほしい😉
 多くの人が欲しがる債券は決して暴落なんかしない。円や国債の信用がどうたらの話はこれでおしまい、でよくないですか?
 それにまた、コロナ禍の現在では、生産や供給の拠点である企業を、可能な限り潰さないようにすることこそ、最も肝要、ということになりますよね。

◎以下では、いくつかいただいた疑問を、自分なりにまとめたうえで(つまり、答えやすくして😉)、ポツポツお答えしていこうと思います。あくまで、自分の頭の整理のためにです。
疑問1:「借金でお金を増やす」とはどういうことだ。オレは昔信用ならん奴を信用してしまって、1万円貸して、逃げられたことがある。そいつは1万円得して、オレは1万円損したわけだ。よしんば返してもらったところで、オレの財布から出た1万円が一度そいつの財布に入って、また元にもどるだけの話だ。利子があったら、オレの儲けにはなるがな。それはそいつの金がこっちへ来るだけで、世の中のお金なんて、一文も増えてないぞ。
お答え:はい、これは以下のようなメカニズムだと思います。
 私がAさんに、IOU(借用書)を書いて、1万円借りました。その後、逃げたというわけではないんですが、外国へ行ってしまい、取り立てが面倒になりました。急に1万円が必要になったAさんは、共通の知人のBさんに相談したところ、Bさんは、
「草一なら帰ってきてから必ず返すだろうから、その借金は俺が引き受けよう」
と言ってくださって、草一発行のIOUと引き換えにAさんに1万円渡しました。
 その他、Cさん、Dさん、Eさん……と、沢山の人がBさんと同じように思って、1万円とこのIOUを交換してくれたとします。すると、
(1) 草一が1万円返さなくても、誰も困らない。
(2) 結果、世の中のお金(のようなものを含む)は1万円だけ増える。草一が1万円返却した時点で、件のIOUは価値を失い、世の中のお金は1万円だけ減る。
 そんなのあり得ない話だ、とおっしゃいますね。その通りです。私の信用力では無理に決まってます。でも企業が振り出したIOUである小切手や手形なら、割引とか、いろいろあって、額面通りではないかも知れないけど、とりあえず流通してますでしょう。ごく限られた範囲と期間内では。
 国内最大の信用力を持っているのは、言うまでもなく政府です。そのIOUたる国債は、流通することはそんなになくても、売り買いの形で、日本のもう一つの負債である日本銀行券、及びそれと同等の価値を持つ銀行預金に替えられていきます。
 お札も負債です。日本銀行自身がそう説明しています。
 利子もなければ支払期限もなく、それどころか、昔は金(ゴールド)を返したことがあったのかも知れませんが、今では返すものがそもそも何もないIOUなのです。
 管理通貨制の国家とは、そういう途方もないもので経済をまわしているのです。
 ですからまた、日本政府が借金を返そうなんぞとしたら、日本からお金は、ほとんど消えてしまいます。
 なんでそんな恐ろしいことを考えるんでしょうか?

◎疑問2:国が大規模な財政出動をして、公共事業で有効需要を創り出すことができたとしても、儲けるのはせいぜい一部のゼネコンとか土建屋ばかりだ。日本の社会構造を変えない限り、貧乏人が報われることはないんじゃないか?
お答え:こんなふうに言いたくなる気持は、理屈より、それこそ感情的にわかります。私もずっと田舎暮らしなんで、地元のボスと呼ばれる人たちとちょっとは接触がありました。田舎では、金持ちと言えば土建屋さんばかり。彼らが公共事業を受注して、下請けの業者に仕事を回していく。正にボスで、市長も市会議員も、誰も逆らえない。
 中にはいい人もいましたよ。しかしそれは、私がそのような金脈=権力構造の外側にいたからで、内部の人はウラミツラミが溜まっていくこともあったでしょう。構造改革というのはそういう人たちにウケたので、例えば長野では田中康夫が知事になり、「脱ダム宣言」なんてぶち上げて、結果今年の……いやこれはまだ検証途中らしいん、自主規制。
 つまり、ものごとには両面あって、未だに構造改革が足りない、という人もいて、それには正当な部分があるでしょう。日本の(だけではないでしょうが)社会構造には、できたら変えたほうがいい部分は沢山ある。でも、そのためには何から手をつければいいのかも、残念ながら私には見当もつかない。
 現今の優先順位としては、それでもやっぱり、社会にお金を流すべきなのではないか、と。ボスさんたちだって、金は、使わなきゃ意味ないんですから。ラスベガスで豪遊して全部スったりしない限り(そりゃいくらなんでも少数でしょう)、今よりは地域社会、ひいては日本にとって、マシだと思います。
 これだけではあんまりだらしないんで、一気に話を拡げてみます。かの有名な問題です。
「資本主義国では、金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏になっていく」
 事実なんでしょう。残念ながら、かつ申し訳ないことながら、国が豊かになっていったら、まず、金持ちが金を増やす。この部分は今のところどうにもならないらしい。
 それでもどうにかしなくてはならないのは、反比例して、貧乏人のお金がどんどん乏しくなること。経済政策は、ここの是正を主眼にして行われねばなりません。
 根本的な定理。経済発展していかないなら、その社会の金持ち>貧乏人の反比例関係は大きくなる。
 当然でしょう? その状態で金儲けしようと思ったら、他人のお金を奪うより他に仕方ないんですから。
 とりあえず、今の日本は、貧乏人により多くの負担をかける消費税は減額、理想的には、全廃すべきです。
 因みに、消費税を社会保障費の財源に使うというのはインチキであることは、2年前、山本太郎が議員だった頃に暴いています。未見の方は、どうぞご覧下さい。

◎こちらにポツポツと発表した愚考について、皆様から有益なコメントをいただきました。ありがとうございます。それを踏まえて、も少し先(かな?)を述べます。
 学生時代にオルダス・ハックスリーの傑作ディストピア小説「すばらしき新世界」を読んだら、描かれているのは、宗教が死滅して科学技術一辺倒で営まれている社会なのですが、ここでは英米人がよく口にする間投詞(おや、まあ、ぐらいの感じの)としてのJesus!の代わりにFord!と叫ぶのです。
 これはヘンリー・フォードのことだと、岩波文庫の解説で読んだと思いますが、え? フォードって、仮にもイエス・キリストに替わり得るような、そこまですごい人なの? とちょっと戸惑いました。
 その後、フォーディズムと呼ばれるものをちょっと勉強しましたら、概要は以下。
(1) 自動車の生産ラインの流れ作業化を徹底して、一台あたりの生産コストを下げる。
(2) 労働者の賃金を当時の相場で約三倍まで上げて、自社の商品(自動車)を買いやすいようにする。労働者は家に帰れば消費者になる、ということに改めて着目した、「コロンブスの卵」であったかも知れません。やっぱり、すごい。
 基本的にはこのやり方が広まり、先進国で大量生産・大量消費時代が到来したわけですね。技術革新と、社会成員すべての収入アップ。そしてこの両者≒生産―消費がスムースに流れるための貨幣量の調節。
 これらがうまくかみあって社会が豊かになっていくことを経済成長と呼ぶ。
 残念なことかもしれないけれど、貧乏人がいくぶんかでも金持ちになる方法は、人類はこれ以外には発明していないのではないでしょうか?
 ただ、これで万々歳というわけにはいかない。大量生産→大量消費→豊かな社会、の見本だったアメリカが、今、まだ経済成長が続いているにもかかわらず、貧富の差が絶望的なまでに開いていることは、もはや周知の事実です。
 それにはヘッジ・ファンドなどの金融ビジネスの巨大化が大きな要因になっているでしょう。
 r(資産運用で得られる利益)>g(労働によって得られる所得)は、資本主義ではしかたないのかも知れない。貨幣だって一種の債券なんですから。
 ただ、ここからくる弊害を減らすことに、経済政策の焦点が置かれるべきであることは確実です。
 消費税について前回申しましたが、外国資本の安易な流入も警戒しなくてはならぬでしょう。
 地元密着型の土建屋さんとか、メーカーの実質的な社長さんなら、地元民や社員との生の人間関係がありますから、そこまで阿漕なことはできない、歯止めにはなると期待されます。
 しかし、地球上のどこにいるのかもわからない資本家や投資家にとって、地域社会も、社員も含めた会社そのものも、単なる商品以外ではない。そのほうが儲かるとわかったら、解体して売り飛ばしちまっても全然かまわんでしょう。
 やるべきことはいっぱいあるんです。政争なんてやっているヒマは、本来ないはずなんですが。
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倫理の起点

2019年05月31日 | 倫理
メインテキスト:小浜逸郎『倫理の起源』(ポット出版プラス、平成31年)

 小浜ブログに断続的に掲載されてきた「倫理の起源」がこのほど一書にまとまった。現在のような出版事情でこのような書籍が出るのは、それだけで慶賀されるべきであろう。
 以前からの読者として(と言って、よい読み手というわけではないが)感想、というより、心に浮かんだことを書きつけておきたい。それがつまり「一読三陳」の趣旨でもあるので。
 
 この書は「倫理“学”」ではなく、「倫理学批判」を目指すものだ。つまり、主に西洋哲学によって、とんでもなく遠いところ(「善のイデア」とか「道徳律」とか)へ祭り上げられた倫理の根拠を、より身近な、人と人との関わりの場へもどす試みである。

 まず、良心とは何か。著者はその淵源を、子どもが親に叱られた時の恐怖に見いだす。幼児は、親に見捨てられては生きていけない、そのことは本能的に察知する。長じても、人は他人との関わりの中でしか生きていけない。そもそも、共同性以前に「個人」なるものはない。共同性こそ、人間にとって「本源」(和辻哲郎の用語)なのだ。それが毀損される不安が、関わり合い=共同性をできるだけ良好に保とうとする心性を生む。それが即ち良心である。
 これは多くの人の腑に落ちる言説であろう。発達心理学の本にも、似たようなことは書いてあったように思う。ここから一歩進めて、倫理とは何か、と問うならば、人間ができるだけ安定して、幸せに暮らすことができるために役立つ諸種の行為と禁止事項の総体である。
西洋思想の中では、功利主義と呼ばれているものがこの範囲に留まって思索を展開している。しかし、この思想はしばしば嘲笑の的にされ、代わって、あらゆる現象の背後にひそむ「本質」、その中の「善の本質」とか、経験以前に、即ち共同性以前に人間の内に存在する道徳律とか、まとめれば「絶対善」の観念を樹てようとする試みが、装いを変えて、繰り返し繰り返し西洋思想の中に現れ、重んじられてきた。
 それはなぜか、私なりに考えると、たぶん、「自由で自律的な個人」というフィクションに内容を与えるためにである。非常に曖昧で抽象的なしろものではあるが、やはりそれはある、としたほうがいい。その指向ばかりは人間社会に偏在しているらしい。それはなぜか。

 まず一番単純な話、抽象的なものほどカッコよくて、高揚感をもたらす、ということがある。
 今もそうなのかどうか、私が若い頃には、「国家なんてものを越えて、人類全体を視野に収めて考えるべきだ」なる言論が盛んだった。「越えて」と言いさえすれば越えられるとは、なんともお気楽で、それだけにおよそ無意味な言説である。人類全体の共同性なんてものは、一番抽象性が高い。ということはつまり、人々の頭の中にしかない純粋な観念で、だからこそ現実の桎梏によって傷つけられることのない夢の美しさを保つ。
 具体的に存在する共同体でも、家族、地域共同体、経済共同体(企業)、国家、といった具合に範囲が大きくなると、それだけ重要性が増すように思え、また個々人の目には容易に全体が見渡せない、という意味で抽象性が強まる。それならば、より大きな共同性のために生きることは、より正しい生き方だということになりはしないだろうか。
 両性のなかでもより観念的な傾向の強い男性は、そう思いがちである。またもちろん、大きな共同体、たとえば国家は現にあり、それを保つためにやるべきこともある。
 例えば、子どもに普通教育を受けさせることは、親の義務であると同時に、国家が取り組むべき事業とされる。全国に学校を作るなんてことは、個人や小さな共同体にできることではないのだから。これを承認する、ということは、個々人は、自分に子どもの有り無しにかかわらず、学校の設置・運営のために自分の税金が支払われることを承認したことになる。
 以上は非常に具体的で、ささやかな話ではある。
 そして、このようなささやかだがなくてはならない義務を果たすことが即ち善行であり、特別な行いは必要ないのだ、と著者は言う。もっともである。「特別な行い」は、共同体の実際の必要性よりは多く、「自分は特別だと思いたい」個人的な欲望から発しているのだから。ヒーロー(英雄)と麻薬のヘロインは同語源の言葉なのだ。
 「アーリア/大和民族の偉大性」などというと、具体的には何か、さっぱりわからないのだが、むしろそのほうがいい。「人類全体」と同じ、なんとなく高尚そうな純粋な観念のほうが、人を酔わせる力が強いのである。酔った挙句、自分がその化身のように思い込むと、自分を含めた個々人に犠牲を強いてでも、やるべきことをやっていい、いや、やるべきだ、などというところまで亢進する。そこまでいった人間が、過激な行動に走る心理過程を、このうえなく説得的な描いた小説に、大江健三郎「セブンティーン」がある。
 また、過激な行動には走らないまでも、「普通の人間には見えないより正しい真実」の需要はある。何よりも、自分自身をより価値の高いものだと思いたいがために。「絶対善」をめぐる言説が今まで絶えなかった理由はこれで、たぶん今後も絶えることはない。
 
 より深刻な問題もある。
 著者は、和辻哲郎の倫理学に強く影響されていることは率直に認めながら、批判的な乗り越えを図っている。和辻は共同性を保つ原理を人間相互の「信頼」に置く。それはその通りに違いないが、どうもこの「信頼」は確固不動のものであるかのような書きぶりになっている。もちろん、そんなことはあり得ない。むしろ、それが失われるかもしれない不安こそ、倫理と呼ばれる価値観念と感覚を成立せしめるのである。
 さて、それでは共同性が失われる契機はなんだろう。最初に戻って、幼児にとっては両親の怒り・叱責が直接そう見える。だから彼らは、懸命に親の信頼を得ようと努め、これを通じて最初の社会化を果たす。
 それは最初の話。時が経てば、共同性・関係性自体が変化せざるを得ない。子どもは成長するし、親は年老いる。その時々で共同性を保ち、できればよりよいものにしていくための役割もまた、変わらざるを得ない。そして、このような役割を担うのは、個人である他はない。
 つまり人は、共同体の名において、よき個人であることが求められる。そして何が「よき個人」であることの内容をみつけることもまた、個人に委ねられている。

 例えば、今多くの人が現実に直面している問題に、年老いて介護が必要になった親を、自宅に置くべきか、施設に入れるべきか、の悩みがある。
 入れようとしても施設が足りない、という話はひところよく聞いた。このような状況はできるだけ改善されるべきである。それは地域社会や国家など、より大きな共同体の責務であろう。これに限っても、100パーセント満足のいく状態は達成できないのではないか、という気はするが、とりあえず、努力の方向性は定まっている。そう言ってよい。
 しかし、仮に、経済的社会的にはどちらでも自由に選べる立場であったとしても、どちらがよいのかは、容易にわからない。
 こういうときあなたは、様々な実例を見て検討し、また他人のアドバイスを求めることもできる。いや、現にそうしているだろう。しかし結局、最終的な決定は、あなたがくださなければならない。
 たぶん、一般的客観的に「正しい」道など、原理的にないのだろう。ある家庭は、それぞれの固有の歴史を背負い、具体的な現状の中で存在するのだから。その中で、現にいるあなた、あるいは(兄弟がいる場合には)あなたがたが、決断して実行する。
 ところが人間は完全ではないのだから、決断が悪い結果を招く可能性はある。ずっと自宅で介護したら、介護される本人は幸せだったが、家族の他のメンバーに過剰な負担をかけてしまい、家庭が不幸になった、というような。
 このような悪い結果の「責任」はどうなるか。もし、それがあり得る/なくてはならない、のだとしたら、それはあなたが負うしかない。あなたという個人が、ここで否応なく表に登場する。よき共同性を保つべきであったのに、結果としてそうしなかった罪責ある者として。
 「あなたにはAができたが、Bもできた。そこで、人間社会で一般に悪とされ、法律でも明確に禁止されているAをしたのだから、その責任はあなたにある」なる理屈ができたのは近代のことであるしい。「自由で自律的な個人」の概念、それは今日ではかなり疑われている。というか、これもまた、「社会の都合上あることにしよう」として定められたフィクションなのであろう。
 にもかかわらず、私の知る限り、罪を犯した廉で罰せられる「罪人」は、古今東西の社会にいたようである。責任は原則として個人が負うものだ。この観念は、まさに、共同性を保つためにこそ必要なのであろう。ならば、個人にとっての「正しい生き方」は何か、絶えず問われねばならないのである。
 まとめると、始まりには共同性への「不安」を感じる者として、終わりにはその不安を解消する「責任」を負う者として、「個人」はある。そして倫理は、個人にこそ関わる。

 最後に改めて、家族(最小の、男女一対のものを含む)から国家にまで至る各共同体が、相互に齟齬をきたす場合について、考えてみたい。
 前述の、「より大きな共同体こそより価値が高い」なる思い込みについて、著者は改めるように求めている。より大きな共同体は、より小さな共同体の安定と幸福を保つことを第一の役割として運営されるべきだ、というふうに。ならばまた、個々の共同体にとって必要であるとか、よいことであると納得される限りにおいて、個々人はより大きな共同体のために働くようにする、ことにもなる。
 戦後日本では、すぐに受け入れられそうな提言ではある。しかし、当然ながら、「一人の人間の命は地球より重い」(福田赳夫以前からこの言葉はあった)なんて、歌を歌っていればすむほど、ことは簡単ではない。
 仕事の都合と家庭の都合と、どちらを優先させるべきか、などは、程度の差こそあれ、普通の人間の生涯中に一度はふりかかる局面であろう。その場合には原則として仕事を優先させるべき、というのが従来の男性的価値観だとすれば、それは変更されたほうがよい。
 そうは言っても、仕事も家庭も千差万別で、それぞれに固有な事情があるのだから、一般的客観的な解などないことは、上と同じであろう。それでも、いくらかでも気分が楽になる人がいるなら。それ以上は望まない方が、むしろよい。

 最も苛烈なケースである、戦争に関する考察が、本書の掉尾を飾っている。
 本ブログでも以前に取り上げたが、平成18年に刊行された百田尚樹「永遠の零」は、社会思想的に画期的な意味がある。
 ここでは新たな、戦争のヒーロー像が語られている。国家のために一命を捧げる、遺される家族への哀惜はあっても、それに後ろ髪を引かれはしない男の中の男、ではなく、「家族のために、なんとしても生きて帰りたい」と公言する軍人が主人公なのだ。
 彼は軍人としては不適格者なのか。そんなことはない。最もつづめて言えば、戦争は勝つためにやるものだ。そして、最後にこっちが生き残り、向こうが死んでいることが、つまり勝つということではないか。ならば、自分の命を大事にすることこそ、すぐれた戦争の専門家、即ち軍人の資質としてよい。
 このように考えればまた、「国のため」と「家族のため」の二つの共同体への配慮も並び立つ。と、そう簡単にはいかないところまできちんと描いているのが、この小説の優れたところである。

 主人公は戦闘機乗りで、超人の域にまで達した技能を持つ。そのため、航空隊の教官となるが、上の合理主義はここでも発揮される。訓練生たちを、なかなか合格させないのである。未熟な飛行・戦闘技術のまま戦争に出せば、無駄死にさせるばかりだ。これは忍びないだけでなく、戦争に勝つためにも有害である。
 そんな思いと裏腹に、大東亜戦争の戦局は悪化の一途をたどる。追いつめられた日本軍は、合理性に欠けた無茶苦茶な作戦の挙句、特攻という、世界の戦史上類のない「統率の外道」(大西瀧治郎がそう言ったとされる)に踏み切る。
 合理的な思考からすれば、満足に戦争を続けられるだけの兵器も兵力もほとんどなく、兵士の命と引き換えの攻撃しかやることがない、となれば、その時点で戦争は負けなのである。それを認めることができないほど、旧日本軍は「敗北よりは美しい死」なる美学に冒されていた。これもまた、前述の、人を酔わせる「美しい観念」の一つとしてよい。
 主人公は、これほど無駄に若者を死なせる作戦の片棒を担ぐことには耐えられない。懊悩の果てに、「必ず帰る」という家族との誓いは捨て、自らも特攻を志願する。同じ時に飛び立つことになった隊に、かつて一身の危険を顧みず、彼を救った若い兵士がいた。主人公は、自分の機のエンジンに不調があることを発見して、口実を設けて若者との機の変更を申し出る。
 一度特攻で出撃したら、生きて帰ることは許されないが、機の故障で目指す戦場まで行けないことが明らかな場合には、例外だった。おかでげで若者は九死に一生を得て、戦後まで生き延び、主人公に代わって彼の家族を救うことになる。
 ご都合主義てんこもりの結末、とは言えるが、だから文学作品として質が低いとは、著者同様、私も思わない。だいたい、全く欠点のない主人公の人物設定からして、まず現実にはないものだ。そこで綴られているのは、文学でのみ歌われる得る、美しい夢なのである。人を過激な行動へ誘うのではなく、深い鎮魂の念をもたらす類の。それだけに、現実にそのまま適用されるようなものではない。
 現実に生きる人間とは、共同性を結んだ他者のために何事かをなそうとしても、なかなかできない程度の卑小な存在である。それでも、ではなくて、それだからこそ、「正しい道」は、今この場で求められなくてはならない。本書は、「今、この場」はどこにあるか、明らかにした。何よりそこで、貴重な仕事と呼ばれ得ると思う。

【「今、この場」から少し引いた視点から見ると、あらゆる共同性は、その外側に「異質なもの」を作り出し、それの排除を必然とするのは明らかだ。戦争に勝ち、家族の元へ帰るためには、敵方の多くの兵士を殺し、多くの家庭を破壊せねばならない。ここを強調すれば、すべての共同体に究極の価値はないし、中でも現在最大の共同体である国家は悪、なる感覚を呼ぶ。
 EUは、国境を低くし、その分従来の共同性を弱める最近の試みだった。その結果何が生じたか、最近省察を述べた。こういう場合、どういう方向が好ましいか、まだ入口も見つかっていない、というのが正直なこところのようだ。今後取り組むべき課題はまことに大きい。それだけに、やり甲斐も大きい、と感じられるような強さだけは、なんとかかんとか持ち続けたいものです。】
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F氏との対話 大人になることについて その3

2019年04月26日 | 倫理


【由紀→F氏】第4信
 中二病的言論につきあっていただけて、まことにありがとうございます。そのうえ、わざわざ「異邦人」を読み返されたそうで、どうも恐縮です。
 しょ~と・ぴ~すの会には中二病患者の傾向がある人を惹きつけるものがあるのだろう、というご指摘は、そうかも知れないな、と私も思います。というような失礼なことを申し上げた結果、会の参加者が減ってしまうのは、よくないんですが。まあ、自意識が強くて、結果生きづらさを感じている人、ということでしたら……、いや、これも失礼かな。しょせん、蟹が甲羅に似せて堀った穴からの観測ですので、どうぞお許しを。
 こういう困ったちゃんが、Fさんの寛大さに甘えて、またまた中二病全開で申します。
 「異邦人」の解釈なんですが。「カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います」。
 これはないんじゃないかなあ。もっとも、「責任」の意味が違うと言うなら、別ですけど。普通だったら、「殺人は悪いことだった。だから、自分が死刑になるのは当然だ」と納得することをもって「責任」を自覚する、引き受ける、などと言うのじゃないでしょうか。そうだとすれば。
 この作品の解釈はさまざまにあり得ます。けっこう難解な部類に属する小説なんで当然なのですが、それより、カミュ一流の飛躍した、独善的とも見える思想の影が濃いせいで。それでも、上のような読み方は到底できないんじゃないかなあ。
 この小説の第二部は、殺人事件後に主人公が裁判にかけられ、死刑の判決を受けて、改めて一切の「救い」を拒絶するところまで描いています。自分が殺したアラビア人の事なんて、終始全く考えません。問題なのは、自分と、自分が受け入れられない、また、自分を受け入れない世界との関係だけ。受け入れられないものは受け入れない、受け入れているふりもしない。それが彼の「自信」の根拠なのですが、それにしても、恐ろしく自分勝手な奴だなあ、などと思うのはなるほど、「大人社会の常識的な観点」でしょう。
 しかし、「殺人は悪いことだ」と納得するのは、「常識」とは別の何かでしょうか? Fさんも、Fさんが引用なさった本の著者も、例えば「殺人は罪悪だ」なる正論をいきなりぶつけるのは愚策だ、と言っておられ、これには全く同感です、罪を犯した子ども(だけではなく大人も)を扱う態度としては。でも、「正論」は、「いきなり」ではなくても、「ゆっくり」とは出てくるわけですよね? 「本音と正論をつなぐ道」を求め、「本音から真摯な反省が生まれる」ことを期するというのは。
 要するに、一番肝心なことは向こうに言わせようとする高等テクニックではないのですか? うまく駆使できるなら、交渉事の名人と呼ばれるであろう説得術、それだけに、いやらしいとも呼ばれうるような手練手管では?
 「異邦人」にもどりますと、Fさんが引用なさった後の部分で、主人公は次のような言葉を司祭に投げつけています。

私はこのように生きたが、また別の風にも生きられただろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかつたが、別なことはした。そして、その後は? 私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうつと待ち続けていたようだつた。何ものも、何ものも重要ではなかつた。

 自分の身に起こったすべてのこと、お母さんが亡くなったことも、アラビア人を殺したことも、大したことではないんだ、みんな偶然みたいなもんだ、と彼は言うのです。「他人の死、母の愛――そんなものが何だろう」。
 「肉親の死は悲しいものだ」「殺人なんて決してやってはいけない」、これらは人間の「自然の情」なのかも知れないが、「人間ならそれが当然だ」と言われた瞬間に制度になりおわる。なるほど、「大人社会の常識的な観点」とも言い換えることもできるでしょう。そんなものは、彼にとっては(実は誰にとっても、と言われています)全く本質的ではないから、強調されればされるほど、孤立感が増すばかり。そういう意味で、ムルソーはこの世界で「異邦人」なのです。
 上述のように憤怒をぶちまけた後で、彼は心が洗い流されたように感じる。「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」。もはや誰も、「お前は~でなければならなかったし、今後も~でなければならない」などと、いかなる形(説教とか、「理解を示す」とか)でも迫って来ず、放っておいてくれる世界。ただし、世界にとってこんな人間は邪魔ではあるのだから、排除はする。そのための、シンプルでごまかしがない手段である絞首刑を、彼は受け入れ、安定するのです。

一切が成就され、私がより孤独ではないことを感じるために、この私に残された望みといつては、私の処刑の日に大勢の見物人が集り、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだつた。

 アルベール・カミュが後に書いた戯曲「カリギュラ」は、私見では、上のような人物が権力者になってしまったらどうなるか、を描いたものです。「この世の何も(もちろん人命も)重要ではない」ことを示すために、自分が処刑される代わりに、やたらに人を処刑する暴君になるのです。彼に向かって、やがて暗殺者となる男は、大略次のように言います。
「あなたは正しいのかも知れない。私はあなたを軽蔑もしなければ憎みもしない。ただ、人々が安心して暮らしていくためには、あなたは邪魔者だ。消えてもらわねばならない」。
 私もFさんも、この世で無事に生活している以上、排除する側にいることは言い訳のきかない事実だと思います。そのための必要事は、「正しい」と認めている。そうでなければ、教師でも、家裁の調査官でも、「仕事」として社会から認められるわけはないのです。
 もちろん、文字通り殺すのではなく、「反省」させ、「正道」に戻すように努力しておられるのでしょう。それによって再犯率が下がるものなら、社会防衛(人々が安心して暮らせる状態を守る)上からも有益なわけですから、少年法云々より、成人の犯罪者にもこのテクニックを使うよう、処遇を改めるべきでしょう。これもお考えのうちに入っていますか?
 ただ、それもこれも結局は遠回しに「常識」を押しつけているのであり、しかもそのことを巧みに隠蔽する「欺瞞」、と呼ばれ得るようなものを働かせているのではないでしょうか。人の世を支えるためには必要な欺瞞ではありますが。心の片隅にこういう認識を置いておくことは、我々の仕事にとって、また人の世にとって、邪魔になるばかりでしょうか?
 最後に、秋葉原連続殺傷事件の犯人も、「異邦人」みたいなことを言っているのを、ご発表時の引用で知り、興味深かったので、それについて一言します。

私は、事故で母親を亡くしたクラスの女子に「母親が死んだくらいでめそめそしやがって」と言いました。クラスは静まりかえり、その女子は泣き出し、私は別室で「反省」させられたのですが、意味がわかりませんでした。……「相手の立場になって考えなさい。お母さんが死んじゃったら悲しいでしょう」などと担任は説教をしてくるわけですが、母親が死んでも悲しくなどない私の立場になって考えようとはしませんでした。
おかげ様で、私はそういうキレイゴトが大嫌いです。(
永夜抄 P17-18)

 彼は殺傷事件については「反省」しているらしき口吻を漏らしているそうですね。やっぱり、生身の人間は小説の登場人物みたいな徹底性はなかなか保てないもので、それがこちらの「つけめ」にもなります。ただ、肉親の死について、「めそめそしやがって」なんて言うのは非礼だ、という次元は? 母が死んでも悲しいとは思えないのが「本音」である人に、どうやって「正論≒キレイゴト」を納得させるのか。
 私は、だいたいにおいて、理ではなく利で諭すようにしています。
「お前が心の中でどう思うかは自由だが、それを表に出したら世間から嫌われて爪はじきにされることだってある。(この世で普通の意味で幸せに暮らしたいなら)うまく隠すことを覚えるんだな」
 つまり、またカミュの言葉を借りれば、「生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく」んだと教えるわけです。この説得だってほとんどうまくいきません。何も相手が、「存在すること、感じることの真理」に生きようとするからではなく、「まだ子どもなんだから、本音を出しても大丈夫なはずだ」という甘えがしからしめている場合がほとんどのようです。「高校生になったら、それは錯覚なんだよ」ということも、言葉だけではどうにも通じないのは、残念ではありますけど。ただ、こちらがこの段階の「常識」に止まろうと心がけるのは、公教育の教師という、制度・権力のエージェントである者のけじめじゃないか、とは感じています。
 ここを踏み越えたら、たとえ相手を(普通の意味で)幸福にするためだとしても、「詐欺」か「洗脳」と呼ばれるものに近づく。そうではありませんか?

【F氏→由紀】第5信
 「中二病」については、否定的なとらえ方が多いようですが、私は次のように肯定的にとらえています。
 人は、年頃になると、親に代表される価値観に疑いを持つようになり、自分に目覚める。その結果、すべての常識を一旦否定し、白紙の状態から、自分なりの価値観を築きあげたいと思う。このような態度を、いい年になっても持ち続けているのが、「中二病」である。
 文庫の解説によると、カミュは、『異邦人』について、「ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在すること、感じることの真理である。それはまだ否定的ではあるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう」と述べているそうですか、私は、カミュの『異邦人』を、すべての常識を一旦否定し、生の現実を捉え直そうとする試みとして読んでしまいました。
 その結果、先のメールに「カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います」と書いたわけですが、ご指摘のように、確かに、ムルソーは責任を受け入れているととらえられるような表現は言い過ぎで、ムルソーは「常識的な責任の問い方を問題にしている」という方が正確だったかも知れません。
 そして、私は由紀さんが、「常識的な、というかこの社会に責任を持つ『大人』としては当然の観点」からムルソーを批判する一方で、ムルソーの観点からも常識的な責任を押しつけてくる社会の存在を指摘されていることから、由紀さんは、基本的に、個人と社会の関係は断絶した関係であり、よりマシな関係など虚構だと思われているのではないかと感じました。
 同じことは、由紀さんがフーコーを引いて「世の一般的な体制からは別様に人間を考えようとする試み」もそれ自体が体制化し権力の一部になるということに触れていることや、私が発表したような働きかけについても、「遠回しに『常識』をおしつけ、しかも、そのことを巧みに隠蔽する『欺瞞』で、『一番肝心なことは向こうに言わせようとする高等テクニック』、『詐欺』、『洗脳』」と評価されているところにも感じました。
 しかし、私は個人と社会を、双方実体としてとらえ、基本的に断絶しているという考え方はとりません。分かりにくい発表だったかも知れませんが、私は個人と社会を〈主体-状況〉の関係としてとらえ、〈主体-状況〉の関係は、「常識」として一般化し制度化されているが、「常識」は〈主体-状況〉の一つのあり方と相対的に考えています。
由紀さんは、「母が死んでも悲しいとは思えないのが『本音』である人に、どうやって『正論≒キレイゴト』を納得させるのか」と疑問を呈しておられますが、私は、加藤がなぜそんなことを言うようになったのか理解しようとしているだけで、納得させようとはしていません。発表でも加藤の納得は難しいことを説明しています。
 私が試みたのは、常識的には加藤は理解できないが、加藤の〈主体―状況〉の在り方を探れば、加藤がなぜそんなことを言うようになったのかわかる可能性があるということです。
 以上、由紀さんの第4信を読んで、感じたことをまとめてみました。
 ただし、前のメールでも書きましたが、個人、社会、常識、責任というそれぞれの言葉に込めた思いや考えが由紀さんと私とでは似ているようで異なり、そのため、由紀さんから見れば、やはりFは分かっていないと感じられるのではないでしょうか。
 議論がいつまでも平行線で続くようであれば、別の具体的な問題について、機会があれば、意見を交換する方が生産的であるように思います。

【由紀→F氏】第5信
 たぶん一番肝心だと思えるところをできるだけ手短にお伝えします。
 由紀は「基本的に、個人と社会の関係は断絶した関係であり、よりマシな関係など虚構だと思われているのではないか」とのことですが、半分は当たっています。しかし、ここへいくまでの前提が肝心です。
 人は必ず家庭を含めた社会の中で「人」となるのであって、それ以前に「個人」などあり得ない、これは単純な事実です。ですから、ここでは、「断絶」もまた、あり得ない。
 しかし人は、具体的な人間関係の中で、何かの役割を「引き受ける」ことを期待される。すると、それはどうにも不当だ、などと感じてしまうこともある。その意味で「断絶」を感じることもある者です。こうして生じてくる、孤立した個人意識に寄り添うのが文学だ、と私は昔から信じておりました。実例は、今までさんざん述べてきたので、略してもよろしいですね。
 「寄り添う」のは「理解」ではない、というのは微妙すぎるので、さすがの私も、あまりこだわってはいけない、と思います。とりあえず、「理解しようとしているだけで、納得させようとはしていません」というFさんの態度はすばらしいと思います。社会との断絶を抱えてしまったある人間に対して、
「私は彼と関わるが、それによって彼が変わるかどうかも、変わった結果『よくなる』かどうかもわからないが、ともかく、関わる」
と公言して関わることが、仕事として許されますか? それくらいのおおらかさはある社会であってほしいですねえ。人と人との関わりこそ、どんな場合でも、明らかに「断絶」している場合でさえ、根本的なのですから。
 ただそこで、何かしら「よりマシ」な関係というのがあると考えたのでは、すべてぶちこわしになると思います。このへんは平行線ですね。
 平行線がある、というより、私の方がだいぶアラレもない言い方になってしまって、雰囲気を悪くしましたね。また別の機会の議論、ということでこちらもよろしいです。
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F氏との対話 大人になることについて その2

2019年04月14日 | 倫理

Lo Straniero, 1967, directed by Luchino Visconti

【由紀→F氏】第3信
 私はいわゆる中二病です。60代半ばになってもいっこうに成熟できません。今度のやりとりで改めて実感されました。Fさんなら治療法を思いつくかも知れません。しかし、たぶん死ぬまで治らないでしょう。問題は、私自身に治る気がないことで。それがこの病態の、やっかいな特徴の一つなのでしょう。
 以下は、そういう者の言うことです。失礼にわたることもあるかも知れませんが、どうぞご寛恕ください。
 もう何度目かになりますが、今回のご発表にはとても興味深くうかがいました。その理由の一つは、後半の、秋葉原連続殺傷事件の犯人に関するところが、ご論のハイライトだったわけですが、そこに、「非行を犯して罪に問われた少年に対し、いきなり〈常識的な見識-行動〉のセットを対置するのではなく、少年を本当に反省させ責任を感じさせる(少年の人格を大きくする)には、どのような方法があるか」という問題意識が、ほとんど感じられなかったからです。念のために、これは批判でもなければ皮肉でもありません。
 だいたい、この犯人は犯行当時で25歳、少年法でいう「少年」ではありません。「恵まれない環境で一般の少年よりも精神的成長が遅れてしまった少年」ではなかったし、「保護者は生計を立てることなどに精一杯で」(以上、小浜ブログへのF氏のコメントから引用)放任された少年でもなかった。放任と言うよりは過干渉と言うべき、かなり特殊な母子関係から、特殊な精神構造になってしまった「元少年」ですね。実際、そうでなければ、ああいう特殊な犯罪に走ることはなかったろう、と思います。
 ともかく、この稀に見る凄惨な犯罪は起こってしまった。犯人をどう処遇するか。今の日本なら、刑法39条(心身喪失・心神耗弱)が適応されない限り、死刑は免れないでしょう。死刑とは、人間社会からの完全な排除ですが、同じような措置は古今東西途絶えることはなかったようです。これなしで、社会を防衛することはできなのではないか、と多くの人が信じているからでしょう。因みに、死刑が廃止された欧米諸国では、凶悪犯は逮捕の前に、従って裁判以前に、警官が射殺する例がよくみられると言われていますね。
 以上はあるいは人間の野蛮な部分なのかも知れない。犯罪者は、特に凶悪犯罪者は「人」なのであって、人間扱いしなくてよい、などと言われることもある。これに対して、「人間」の概念をもっと広げよう、もっと深い観点から「人間」を捉えよう、という試みも、「文明」の中で細々と続いておりますね。試みの一つが「文学」であり、また「精神医学」もそうだ、と言えるでしょう。ここに由来する言説が世の大勢を占めることはあり得ませんけれど、消失するようなことあってはならない。私はそう信じる者です。
 しかし、困難は別の方面にもあるのです。このような、世の一般的な体制からは別様に人間を考えようとする試みが、いくらか価値があるものだと世に認められると、それ自体が体制化し、権力の一部になってしまうという。ミシェル・フーコーが夙に指摘したように、18世紀になって「精神病」が定型化され、その処置法(治療法)も定型化されると、あるいは「定型」と見えるものになると、それは現に社会を支える制度の一部となるのです。
 悪いことではないでしょう。フーコーと似たような視点から古代・中世世界を語る人々は、「無縁・公界・楽」とか「悪場所」なんぞという、正規の体制に組み込まれない場をロマンチックに描く傾向がありますが、それがそんなによかったはずはない。現在「狂人」と呼ばれている人々は、たいていは、劣悪な環境に放置されていた違いないのです。それに比べたら、近代的な治療のおかげで、清潔に生きられるし、中にはちゃんと「正常」になって、社会復帰を遂げた人も、たぶん、いないこともないのではないか、と。
 ところで今の問題は、いわゆる狂気ではなく、「狂気の犯行」などと呼ばれることもある、不可解な罪を犯す人間についてです。「9歳の壁」とか、劣悪な環境や資質が基になった年少の犯罪者のことはしばらく横に置いときまして。
 たぶんここまででもうFさんにはおわかりになったかと、期待半分に予想しますが、私の違和感は、Fさんが「人間に対し、画一的、観念的に関わるか、それとも個人に対して柔軟に実際的にかかわるか」を問題にしているのに、「人間は変わるか、変わらないか」という問題提起と受け取っているところに由来する、のではありません。人間が変わるか変わらないかなんて、自分についても他人についても結局わからない、ぐらいのことはFさんもわかっていらっしゃるだろうぐらいは、こちらもわかっています。
 私が気にしているのは、そもそもどうしてFさんたちが「人間にかかわ」ろうとするのか、にあります。「本音から真摯な反省が生まれる」ことを期して、なのですね? まあ、当然ではありますね。こういう口実(敢えてこう申します)がなかったら、Fさんのような職業や立場が社会的に認められるはずもなし。
 それでも言わずにはいられないのが、中二病の中二病たるゆえんです。「反省」っていったいなんでしょう? 「自分が悪かったんだ」、と思うこと? その前提である善悪の基準はどこから来るのか? 社会、即ち制度の側からですね? そうではなく、人間には生得的に道徳心があり、他人への思いやりもあるのかどうか、なんて今議論する必要はない。いずれにもせよ、社会的に「正しくない」ことをしてしまった人間は、「正しくなれ」と強要される。だから、正しさは自分にはなく、自分の外部にある。そうとしか思いようがない。
 いや、そう思わせられている。そう思えってんだろ? そのくせ、俺を「理解」するってか? お前たちにとって都合のいい「俺」になるために。しかし、そうなったらそれはもう「俺」じゃないんだけど。
 Fさんはこんな意味のことを言う少年に出会ったことはないですか? そんな時にはどう対応なさるんですか?
 例えばアルベール・カミュは、些細としか思えない理由で人を殺しておいて、裁判で「反省」も「人間的な情」も示すことを拒否して死刑の判決を受け、しまいには神父の差し出す宗教的な救いも拒絶する男を描きました。もちろんここには作者の思想的な傾向が色濃く滲み出てはいますが、しかし一方、人間はここまでなり得るんだ、と説得力をもって描き出している。それは作者が、「いや、そうは言っても、殺される側からしたらたまったもんじゃないんだけどな」という、常識的な、というかこの社会に責任を持つ「大人」としては当然の観点を、作中ではきれいに投げ捨てているからです。
 あらゆる意味で特殊な「人間」を「理解」し、人間の見方を広げたり深めたりするのは、こういうことが必要なのではないか。そうでなければ、「画一的、観念的」に関わろうと、「柔軟に、実際的に」関わろうと、「北風と太陽」の違いはあっても、しょせんその違いだけではないか。Fさんたちの「面接」が、再犯の防止に役立つのであれば、それはこの社会にとって有用です。もちろんそれはそれで、社会的に大したものではありますけれど、それ以上ではない、そのことは認めるべきではないか。
 さて、もう長く書き過ぎましたし、内容的に、けっこう苦しい思いもしています。一番底にあることを曝け出してしまったからです。こんな私にも、何か応えていただけますでしょうか?
 
【F氏→由紀】第4信
 メールありがとうございます。
 カミュの『異邦人』に言及されておられたので、私も読み直したりしていて、お返事が遅くなりました。
 加藤の事件の分析に、非行少年の人格を大きくするという問題意識が殆ど感じられなかったということですが、尤もだと思います。発表の際にも、付言しましたが、ある研究誌に投稿したところ、加藤の分析の部分は載せられないと言われ、急遽、加藤の分析を編集者の意に沿うように少年院在院者の抱える問題と差し替え、前後の部分を少年院在院者の抱える問題とつながるように修正したという経緯があります。
 加藤の事件を取り上げたのは、加藤が4冊の手記を公刊していて分析材料がそろっているということがありますが、何よりも加藤自身が分析の方法論を問題にし、状況決定論的な方法論を批判し、分析に状況を受け止める主体の観点を導入した点にあります。ただし、その主体が「戦車のハート」で機械論的であり、情緒的な面を欠いた主体であることを問題にしました。
 由紀さんがフーコーや「無縁・公界・楽」に言及された趣旨も分かるような気がします。『異邦人』とともに学生時代に夢中で読んだ本に梅本克己の『唯物史観と現代』があり、梅本は歴史的視点を喪失した見方を次のように批判していますが、由紀さんの視点と重なるところがあるように感じました。
 マルクスは「私有財産」と「分業」をはげしく攻撃している。だがもし人間の本質が、まだ私有財産も分業も発生させていない原始的な共同体の中にだけあって、私有財産と分業の発生以来、人間はその本質を喪失してきたということにしてみよう。私有財産の止揚による疎外からの回復とは何だろう。まだ人間文化の何ほども展開していない貧しい原始人の生活にかえるだけだ。私はそのような歴史観を「本質喪失史観」とよぶことにしているが、マルクスが私有財産の「積極的止揚」というとき、この言葉は、そのような貧弱な、非歴史的見地、その非人間的見地に対する決定的な抗議をひめたものだ、ということである。
 「そもそもどうして人間に関わろうとするのか」ということですが、端的に仕事だからです。同じ関わるにしても、民間で営業などの仕事に関わるより、少しでも自分の興味関心に関係がある方が良いと思って、消去法で就職先を選びました。
 俺を「理解」するってか? お前たちにとって都合のいい「俺」になるために。しかし、そうなったらそれはもう「俺」じゃないんだけど。Fさんはこんな意味のことを言う少年に出会ったことはないですか? そんな時にはどう対応するのかということですが、発表で紹介した通り、そこまで内省できる少年、それを口にできる少年は殆どいません。
 ただし、ある少年から「Fさんは仕事でやってるのだから信頼はしていない」と言われたことがあります。そのときは、「仕事でやっているのは確かだけれど、仕事でやっているから信頼できる面もある。自分としてはそこを利用してもらえれば良いと思っているのだが……」と応えました。
 カミュの『異邦人』については読み返しましたが、私は「人間はここまでなり得るんだ」「常識的な、というかこの社会に責任を持つ『大人』として当然の観点をきれいに投げ捨てている」とは思いませんでした。
 文庫本の解説には、カミュが英語版に寄せた次のような自序が紹介されています。

……母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人としてあつかわれるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。(中略)生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。(中略)彼が問題とする真理は、存在すること、感じることとの真理である。それはまだ否定的ではあるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう。

 また、私の大変好きなくだりですが、小説の末尾でムルソーは司祭に対して「君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて……」と心の底をぶちまけています。
 従って、私は、カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います。
 そして、以上の私の読み方が間違いでなければ、私の「いきなり〈常識的な見識〉を対置させても、分かってもらえないと失望を感じる可能性が大きい」旨の主張も、『異邦人』の主題と二律背反であるとは言えないのではないかと思います。
 由紀さんはご自分のことを「中二病」と述べておられますが、私も重症の「中二病」です。というより、偏見かも知れませんが、「しょ~とぴ~すの会」には「中二病」の傾向のある方を惹きつけるものがあるのではないでしょうか?
 自分では「しょ~と・ぴ~すの会」の主だったメンバーの方とは自分の考え方は基本的な点ではそんなに違わない思って発表したのですが、意外な感想、意見があり驚きました。同じような概念を使い、同じような論理を述べていても、背景が異なると真逆の意味になってしまうのかも知れません。
 由紀さんの率直な感想を心にとどめて勉強や思索を続け、自分抱いているテーマをできるだけ誤解なく伝えられるようになりたいと思っています。
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移民の思想問題

2019年03月31日 | 倫理


メインテキスト:ダグラス・マレー、町田敦夫訳『西洋の自死 移民・アイデンティティー・イスラム』(原著2017、東洋経済新報社平成30年)
サブテキスト:ミシェル・ウエルベック、大塚桃訳『服従』(原著2015,河出文庫平成29)

 最近ではあまり聞かれなくなったようだが、しばらく前には「今後は異質なものとの共存が大事だ」なる言説がよくあった。「そうでなければ人類は生き延びていけない」とか、「多文化の混交は社会を活性化させる」とか。具体的にはどういうことになると言われたか、あまり覚えていない。つまりは言われなかったのだろう。我が貧弱な記憶力を棚に上げてそう断定するのは、けっこう反発心を抱いた覚えはあるからだ。単なるタテマエ、はまだしも、きれいごと、としか見えないものはともかく嫌い。この性向だけは60年近く、変わっていない。まあ、ずっと中二病なんです。
 そこで、イライラに押されて、次のような例を考え出した。
 イスラム教徒の青年とキリスト教の娘さんが恋に落ちて、結婚したとする。さて、よく知られているように、昔ながらの・原理的なイスラム教では、妻は同時に四人まで持てる。キリスト教は、一夫一婦制。これをどうするか。なるべくどちらの顔も立てましょうとか、痛み分け、なんていう日本式大人の知恵はこの場合役に立たない。「では間をとって、奥さんは二人まで、とすればどうですか」なんてのは。これについては多言を要さないですよね。そんなんでなんとかなるくらいなら、「異質なもの」ではないのだ。
 「キリスト教の男だって、いくらも浮気するだろうに」なんてのも、この場合関係ない。仏教国やキリスト教国では、浮気はこっそりやるものだ。つまり、悪いことだ。世間一般がそう思っている、というか、そう思っているだろうと一般に思われている。だから、浮気がバレた有名人はTVのワイドショーでたたかれたりする。それは大きなお世話だと思うが、奥さんは怒るし、その怒りは正当である、とされる。一方イスラム教国では、第一夫人が第二夫人以下に嫉妬心を抱き、それを露わにしたら、そっちが不当だということになるのだろう。
 ことはモラルの根幹に関わっている。道徳心の衰えを嘆く人は古今東西にいるが、社会である以上、一定のモラルは必ずある。しかし、その中身は時により場所によって変わる。それもいい。「ガリバー旅行記」みたいな、別世界の話なら。全く違うモラリティ(道徳観)の持ち主が隣に越してきたら、どうだろう。
 結婚するとしたら、どちらかがどちらかの結婚に関するモラルを全面的に受け入れ、元のは捨てる、か、少なくとも捨てたことにするしかない。有名人の実例だと、デヴィ夫人は、元来れっきとした日本人だったが、インドネシア共和国初代大統領スカルノの第三夫人になった。それについて、つまり、自分の夫に過去ではなく同時期に他にも妻がいた事実に対して、彼女が不満を述べたことは、少なくとも公式にはないようだ。スカルノとの結婚を決めた時点で、一夫一婦制、を支えている/に支えられているモラルとは名実ともに縁を切ったのだろう。昭和30年代には、まだそれに文句を言う人も少しはいたように記憶するが、今では誰もいないし、私にしたって非難がましい感情があるわけではない。
 有名ではないが、そういう日本人、あるいは(元)キリスト教徒の女性は、それから男性も、何人かいるだろう。それもさしたることではない。あくまで「何人か」であって、しかもたいてい元の国にいないのであれば、やっぱり他所(よそ)ごと、で済む。
 そういう人が、近所に、大量に出現したらどうなるか。エンゲルスがまとめた弁証法の教説の一つに、量の変化はやがて質の変化をもたらす、というのがあったように、社会全体が変質する、とは見えないだろうか。それがモラルの根源、であるがゆえに普段はことさら意識されない「常識」まで揺るがすとなったら、もう決して平気ではいられないだろう。これがつまり、「異質なものとの共存」問題なのである。

 『西洋の自死』には、上のような問題がヨーロッパで広範囲に起きていることが報告されている。
 西ヨーロッパは昔から移民が多い。何しろ地続きで他国があるし、日本海よりずっと狭い地中海の向こうにはアフリカがあるし。【もっとも、元をただせば西欧各国の白人種も、古代末から中世初頭の民族大移動期に他所から入ってきた「移民」の子孫が大多数であろう。アメリカもオーストラリアも、現地人を駆逐したアングロサクソン民族が「国家」にしたものだし。てなことを言い出すと全然別の話になるので、やめましょう。】
 殊に19世紀後半以降、先進工業国となった英独仏は、労働力の需要があったので、大量に受け入れた。来る側は、自国が貧しいので、生活のための金を稼ぎにやってくる。移民問題の根本的な解決とは、この状態の改善以外にはない。自分の国で充分余裕のある生活ができるものなら、わざわざ他国へ稼ぎに行こう、なんて人がそんなにいるわけはない。しかし、これが難しい。20世紀初頭まで貧しかった国は、たいてい、今でも貧しい。
 日本でも少し前までは東北から冬の間出稼ぎに来る人はたくさんいた。今も少しはいる。いわゆる季節労働者で、時期が来たら元にもどる。それなら、受け入れる側からしたら、たいした問題ではない。しかし中近東やアフリカの貧困はそれよりずっと厳しく、さらに政情不安による危険もある。出稼ぎ先の先進国では、差別される下層民扱いだが、とりあえずより安全ではある。
 また、仕事はたいてい単純労働だとしても、それなりの技術は要するのだから、熟練工になった移民は、時期によっていたりいなかったりでは使う側も困る。ずっといてもらいたいならば会社で、ひいては社会で、それなりに安定した生活が保障されなければならない。やがては、家族を呼び寄せることも許されるようになる。そういう人が増えれば、同国・同一民族からなるコミュニティがほぼ自然に形成される。一国の中に別の小国ができたようなものであり、彼らは差別に抗議し、その国の国民なら当然の権利とされていることは自分たちにも認めろ、と要求するようになる。
 これまた自然なことであろう。しかしそれなら、当然の義務もまた負うべきであろう。これを納得させることが、必ずしも容易ではない。このような社会の約束ごとは、小さい頃から身につけるのでなければ、改めて言語化され、言葉で伝えられるしかないが、その言葉が通じない場合もある。教育を受ける権利は保障されるべきだとしても、移民の家庭で生まれ、移民のコミュニティーで育った子供は、学校へ行っても、そこで使われている言葉が理解できない。どうしたらいいのか。
 1970年代から、そういうことがヨーロッパで、それからアメリカでも、目立ってきた。生徒の半分以上が主にメキシコからの移民の子で占められ、スペイン語しか話せないので、本当に困っている、と、カリフォルニア州の小学校教師が言うのを直接聞いたのは、80年代のことだった。
 すべてをひっくるめて、社会の安定を脅かす要因となる。日本では西尾幹二が、欧米の情勢に鑑みて、移民の野放図な受け入れは危険だ、と警鐘を鳴らし、昭和63年、即ち1988年に関連する評論をまとめて『戦略的「鎖国」論』(講談社)を上梓した。当時彼は文字通り孤軍奮闘していた。他は誰も、この問題を真剣に、具体的に考えようとはしていなかったのだ。日本人とは、まことに呑気で、幸福な民なのだな、と、その呑気な民の一人であった者として、今、痛烈に感じられる。

 ヨーロッパに戻ると、EUの本格的な活動【とはいつからか、さまざまな関連条約が錯綜していて難しいのだが、大雑把に20世紀末、でよいだろう。】は、移民の流入に拍車をかけた。有名なシェンゲン協定(1985年制定)は、締結国間の国境管理を撤廃し、人・物・カネの移動を自由にしたものだ。このように、国境の壁を低くすることがEUの基本理念のひとつであったのだから、外部からの流入は厳しく制限するというわけにはいかないような感じ、には一応なる。
 しかしそれでも、「EUの女帝」とも称されるアンゲラ・メルケル独首相など、最初は移民受け入れには消極的な姿勢を示していた者が、積極派に転じた、のはまだしも、強引なまでに推し進めた理由は何か、いまひとつ不可解だ。
 『西洋の自死』によると、EU各地で移民が起こした不祥事・犯罪は、警察やマスコミによって隠蔽されがちだし、移民受け入れに反対する者はレイシスト(民族差別主義者)とのレッテルが張られ、政治家や言論人としてのキャリアが閉ざされることさえよくあるのだという。どうしてそこまで?
 上に抗議するため、だろう、ダグラス・マレーは、移民たちの置かれた厳しい境遇に目配りしつつも、彼らの蛮行を暴いている。意義深い仕事ではあるが、少し気になるのは、同時期に起きた反移民派の、キリスト教原理主義者・白人至上主義者・ネオナチなどの犯行にはほとんど触れていないことだ。
 例えば2011年、どぎつい風刺漫画でイスラム原理主義を批判していたパリの週刊新聞シャルリー・エブド社に火炎瓶が投げ込まれた事件は記されている。4年後の大規模な襲撃事件(二人のイスラム過激派によって同紙編集関係者や警官十二人が射殺された。その後犯人はユダヤ系食料品店に店員や客を人質にして立て籠もったが、夕刻の礼拝の最中に突入してきた警官隊に射殺された。それ以前に、人質四人の命も奪われていた)のいわば前哨なので、日本でもよく知られている。しかし、同年7月22日、ノルウェーの首都オスロで起きたキリスト教原理主義者による大量殺人については何も書かれていない。
 この事件は移民受け入れに積極的な労働党を狙ったもので、まず政府庁舎を爆破、このとき八人が死亡し、その後犯人は労働党青年部が合宿をしていたオスロ近郊のウトヤ島へ警官の扮装で乗り込み、六十九人を射殺した。平時で、一日のうちに、一人の犯人による七十七人の殺害は、おそらく過去最悪であろう。本年三月の、ニュージーランドの首都クライストチャーチでの白人至上主義者による大量殺人事件にも、その影が感じられる。
 いやむしろ、この最後の事件については、『西洋の自死』の影響もあるのではないか、との指摘まである。この問題について深掘りする意欲も能力も今の私にはない。ただ、人種差別は、日本などで考えられているほど簡単な、単なる説教だけで変えられるようなものでなく、白人種にはけっこう深く浸透している観念なのだと知る必要はあるだろう。
【因みに、オスロの事件の犯人は、ノルウェーでは死刑も終身刑も廃止されているため、早ければ二十一年で釈放される可能性もあるのだという。「憎しみは憎しみしか生まない」とはよく聞くが、移民に対する寛容は認めないことを大量殺人という形で表現した非寛容に対する寛容は、いったい何を生み出すのか。その実例の一つを、我々はやがて目にすることになりうそうだ。】
 これらを含めて、移民問題とは、他国人に仕事を奪われるなどの経済面の他に、宗教と、それが支える/それによって支えられるモラリティに直接関連する。それを省察するのが今回の記事の目的である。

 移民受け入れに反対しづらくなるヨーロッパの思想的要因については、『西洋の自死』は大別すると次の二つを挙げている。
(1)ヨーロッパは長年に渡ってアジア・アフリカ諸国を支配し、収奪を繰り返してきた。それに対する負い目(こういうことをしたのは何もヨーロッパの白人種だけではないのに、と著者は繰り返し述べている)。
(2)西洋の自信喪失。まずキリスト教信仰が薄れ、次に特に20世紀前半に多くの知識人が「真理」として信奉した社会主義・共産主義が凋落すると、もはや本当に信じるに足るもの、犠牲を払ってまで守るべきもの、は何もないように感じられた。それによって、別の風俗、文化、宗教の流入に対する精神的な抵抗は弱まっていた。
 このうち特に問題になるのは(2)であろう。我々非西洋人にとって、近代化するとは即ち西洋化することであって、政治経済制度の大本から、建築・食事・服装・交通手段などなど、いたるところで西洋由来のものに取り巻かれている。その大本が揺れ動く、となると、無関心ではいられないはずだ。
 とは言え、例えば個人主義は、民主主義は、資本主義は、本当によいものか、人間を本当に幸せにするか、と疑うのは、何人であっても、よいことだと私は思う。人間は完全でない以上、その人間が発明した地上のすべてのものは、宗教まで含めて、所詮相対的な価値しかない、というのは、虚無主義(ニヒリズム)なんぞという主義(イズム)の問題ではなく、事実認識の次元の話なのだ。人間とは、例えば寿命のような制約は必ずあって、その中で相対的であってもよいもの、つまりAはBに比べればまだマシだ、というようなものを見つけて実現していくように努めるべき者ではないだろうか。
 とは言え、ともう一度反転する、そんな抽象的な話ではなく、具体的な生活の中でずっと以前から馴染んできて、全く当たり前だと思っていたものが揺さぶれるのは、大問題としか言えない。
 具体例としては、結婚制度の話を最初にしたのだが、それ以前に、いやでも目につくのが性的な風俗、というのかな、女性の服装に関する習俗の違いであろう。イスラム教国から来た多くの人にとって、ミニスカートに代表される肌の露出や、体の線をくっきり出して強調するファッションは、初めて目にするもので、激しいショックを受ける。移民の大部分は青年男子であることもあって、性犯罪の大きな誘因になるのだ。
 性犯罪というのも、レイプなど、こちらでもお馴染みのものだけではなく、女性器を切り取るというような、「そんなことができるの?」というようなものまである。イスラム原理主義の国では、わりあいと普通に行われているのだそうだ。もちろん性的に「ふしだら」とみなされた女性への報復及び懲罰措置として。
 そう言えば、「ふしだら」なことをした女性を家族が殺してしまうのは、「名誉殺人」と呼ばれ、イスラム教国で、どれくらいの範囲と頻度で行われているかはわからないが、まだあることはある。そんな家族が西欧諸国にいて、実際にやった場合でも、理解が示されるべきだ、と言う人さえいるらしい。周知のように、ヨーロッパ起源の近代法では、どのような理由があろうとも(正当防衛と緊急避難は除く)、私人が人を殺せば殺人罪になる。イスラム教は違うのかも知れないけれど、そこに「理解を示す」なんてことになったら、我々の社会はどうなっていくのか?

 以上は男女同権の理念にも直接関わっていることはすぐにわかるだろう。西洋及び西洋化された社会では、これは全く当り前であって、少なくとも公に異を唱える人はいないだろう。一方、いや、そんなのは全然当り前ではない、むしろ悪だ、とされる社会が地球上には存在する。そこからたくさんの人が流入してきて、自分たちの「正しさ」に固執して主張するようになるとどうなるか。これが現在広範囲に起こってきた状況なのだ。
 それによってまた、男女同権・平等のような社会制度・モラリティには、我々の社会でどれほどの根拠があるものなのか、改めて問われることになる。
 「服従」の主人公フランソワはユイスマンスの研究者で、ソルボンヌ大学で19世紀文学を講じる教授である。教え子であるユダヤ人のミリアムと恋仲になり、「あなたはマッチョだ、って言ってもいいかしら」と問われて、「ぼくは多分いいかげんなマッチョなんだ」と答える。「実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない」と。
 何国人であっても、こんなふうに考えている男は今でも多いし、それは男性より女性のほうが敏感に感じ取っていることであろう。レイシズムと同じくセクシズム(性差別主義)も、根の深い現実的な問題なのだ。
 しかしある意味それよりもっと問題なのは、かなり知的な男でも、こういう事柄についてあまり真剣には考えていないところだろう。

(前略)ぼくは、彼女がこのことを真剣に捉えたのに気づいて、自分でも少し考えてみたが、それに対する答えを自分は持っていないことに気が付いた。どちらにしても、どんな問いに対してだって自分は答えなど持っていないのだ。
 
 しかし、家父長制には存在意義があるのではないか、と言う。「つまり社会の仕組みとしては、家族がいて子どもがいて、皆がほぼ同じ図式を反復し、そうやって慣性の法則で回って来たんじゃないか」。原文は見ていないが、これは、日本の戦前にあった「家父長制」ではなく、単なる家族制度ではないかと思う。【ついでに、「慣性の法則」もおかしい。この言葉は自然界についても、「反復」を示すものではないから、比喩として不適当だ。フランソワは文学の知識は豊富だが、科学はあんまり詳しくないんだな、と思ってしまう。】言いたいことは、男と女が共同して家庭を作って子どもを産み、父母となって子どもを育てる、そこで子育ては一般に、母親の、つまり女性の責務と考えられる。この基本形は変えようがないのではないか、ということ。ただしフランソワ自身は、ミリアムに(性的に)強く惹かれてはいても、当分結婚するつもりはなさそうなのだが。
 これに対してミリアムは言う。「でも、わたしは高等教育も受けて、自分を独立した一個人と考えるのに慣れているし、男性同様考えたり決定したりする能力があると思ってる」。だから、子どもを産み育てることが自分の最終的な存在意義だとは思えない、ということ。このような考えが広まったことが、フランスでも、日本を含めた他の先進国でも、少子化を招いた理由の一つであろう。その結果、労働力不足を解消するための、移民の需要が生じたのだ。
 しかしヨーロッパにおいて移民のかなりの部分を占めるイスラム教徒は、そもそも、男も女も同じ一個人、なる考え方を認めない。
 「服従」にはフランスの近未来が描かれている。そこでは次第にイスラム教の勢力が強くなり、危険を感じたミリアムは家族と一緒にイスラエルに移住する。ユダヤ教は、キリスト教よりずっと、イスラム教から敵視されているから。残されたフランソワは、胸の空虚感がますます強まり、ユイスマンスが回心を遂げた修道院を訪れるが、ユイスマンスと同じなのは僧房では禁煙なのが苦痛、といったようなことだけで、心の救いは得られない(このへん、漱石の「門」を思わせる)。
 パリに戻ると、イスラム穏健派の「イスラム同胞党」(架空の政党)が政権の座についている。マリーヌ・ル・ペンの国民戦線が票を伸ばした(これは最近の、歴史的な事実)ので、右翼よりはまだましだと考えた左翼政党が協力したからである。春なのに、街を彩る若い女性たちの服装が、ミニスカートからパンタロンに一変したことがまず目につく(政権が変わったら、すぐにそうなるものかなあ?)。ソルボンヌは、サウジアラビアからのオイルマネーに依存するようになり、フランソワは職を失う。大した問題ではない。十分すぎるぐらいの年金をもらえるのだし、学術面ではユイスマンスのプレイアッド版を編集校訂するという栄誉が与えられたのだから(ユイスマンスがプレイアッド叢書に入っていないことも今回初めて知った)。
 しかしフランソワはイスラム教に改宗して、大学に復帰することを選ぶ。そうしたって、何も不都合はないからだ。一日に五回のサラート(礼拝)とかラマダン(年に一月の断食行)のようなやっかいな義務はどうやら免除されるらしい。女性たちは、普段から男の欲望をかきたてるような格好はしないが、従順が美徳とされるので、これまで以上によりどりみどり、女子学生のうちから好きなタイプを選んで楽しむことができる……え? 「名誉殺人」に象徴される強烈な貞操観念はどうなるの? そもそも、イスラム教は女性が高等教育を受けることを喜ばないんじゃないの? などなど疑念は湧くけれど、そのへんも融通を利かせるようだ。これでは宗教のいいとこどりだ。西洋が変質する前に、より多く、イスラム教のほうが変わってしまうんじゃないか。
 ウェルベックの予想を続けると、妻は四人持てる、は男にとって都合がいいので、維持される(正式に、となると民法を変える必要があるが、いわゆる内縁関係を半公式にすればすむのだろう)。すると、先に述べたような、少子化につながる問題も解消されそうだ。子どもを作る・料理がうまい・性的な魅力に富む・(お好みであれば)知的な会話ができる、などなど、一人の女にすべて望むのは難しくても、複数の妻たちに役割分担をさせればいい。フランソワのかつての同僚で、早くにイスラム教徒となり、おかげでソルボンヌの学長に就任した男は、とっくにそうしている。
 この男は、「しかしそうすると、結婚できない男が多数出てくる」という当然の疑問も一笑に付する。「むしろいいことではないか。社会的弱者の血統は絶たれ、強者の遺伝子だけが残ることになるのだから」。現在の西欧や日本では、ひどく身勝手で偏った、「狂っている」とも評されかねない考えだが、マッド・サイエンティストではなく、社会の上層部から出てきたとなると、そう簡単に否定できるものかどうか。
 そういうわけで、フランソワはキリスト教を捨てて第二の人生に歩み出しても「何も後悔しないだろう」と言うのが、この小説の結びである。本当にそうなるかどうか、まだまだ大きな問題が残っていると思うのだが、可能性は否定できない。マレーは、このような可能性(もちろん、他にもある)が実現したら、西洋は死ぬか、少なくとも大きな変容を被らざるを得ない、と言っている。本当にそうかどうか、そうだとして、それは具体的にはどんなものになるのか、はっきりするのはまだ先の話である。

 最後に日本はどうか、愚考を述べます。労働力不足という実際的な問題もそうだが、先に二つに分けて書いた精神的な問題でも、我々はヨーロッパと似たところがある。大東亜戦争中の侵略的行為について、アジア、特に朝鮮半島や支那大陸の人々に対する罪責感は内外からしょっちゅう言い立てられるし、ヨーロッパ人士にとっての「ヨーロッパ的なるもの」よりもっと、我々の「日本的なるもの」へのこだわりは弱い。
 にもかかわらず、現在我が国は世界第四位の実質的移民受け入れ国になっている、という事実を聞くと、多くの日本人が意外そうな顔をするくらい、この問題への危機意識は一般に薄い。前にも書いたが、我々にとって、根本的に他なるものは、意識的に差別し排除する以前に、そもそも目に映じないのである。それは一面、最もタチのい悪い差別であり排除だと呼ばれ得るかも知れない。
 今後はどうか。外国人による犯罪は、近年でもさほど増えていない。ヨーロッパのように、それが起こっていても政府もマスコミも隠蔽しているのだ、という可能性は、なくはないが、普通に考えてそれほど高くはない。全体として日本は、まだ平和で平穏なほうであろう。ただしもちろん、少し先のことは全くわからない。もしヨーロッパのような危機的な状況に直面したら、私たちの社会はどうなるのか、やや不謹慎だが、楽しみでないこともない。
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