由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

文芸はいかに道徳的であるべきか その5(「虞美人草」・作者は我の女をうまく殺せたか)

2017年01月28日 | 文学
メインテキスト:『漱石全集 第四巻』(岩波書店平成6年)

サブテキスト:上田仁志「『虞美人草』のどこが狂っているのか」(筑波大学比較・理論文学会編『文学研究論集 第10号』平成5年3月)

溝口健二監督 「虞美人草」 昭和10年

  「作者=夏目漱石は、我の女(あるいは、紫の女、とも言われる)=藤尾をうまく殺せたか?」。この問いは平凡至極なものである。「虞美人草」を論じる誰もが、「誰もが引用するものだが」と言い訳しながら引用する、作者の以下の言葉があるからだ。

藤尾といふ女にそんなに同情をもつてはいけない。あれは嫌な女だ。詩的であるが大人しくない。徳義心が缺乏した女である。あいつを仕舞に殺すのが一篇の趣意である。うまく殺せなければ助けてやる。然し助かれば猶々藤尾なるものは駄目な人間になる。最後に哲學をつける。此哲學は一つのセオリーである。僕は此セオリーを説明する爲めに全篇をかいてゐるのである。だから決してあんな女をいいと思つちやいけない。小夜子といふ女の方がいくら可憐だか分りやしない。――『虞美人草』はこれで御しまい。(小宮豊隆宛書簡、明治40年7月19日)

 念のためのお断り。フィクション世界では作者が万能の神なのだから、なんでもできる。しかし、主人公がなんの理由もなく突発的な事故で死ぬ、なんぞというのは問題外、少なくとも普通は、傑作とは言えなくなる。必然的な死、にしなくてはならない。では、「必然」とは何か。などなどと考えていくと、これがなかなかに困難な問題であることがわかってくるだろう。

 考える順序としては、抽象的なことより先に、「虞美人草」という小説の特質をできるだけきちんと押さえておくべきだろう。
 この小説からは、「何かがどうしようもなく、狂っているという印象を受ける」というのがこれまでの作品評を踏まえたうえでの上田論文の立脚点である。確かに、狂っているかどうかはともかく、一風変わった小説ではある。
 ただし、私はここで、文学としての成功・不成功はともかくとして、「狂っている」≒「変わっている」ところはすべて、作者の考える「必然」から出てきたものだと考えてみたい。それでもどうしても破綻があるなら、破綻しているとしか言いようがないわけだが、その破綻自体にある種の必然がないかどうか。そんなふうに頭を働かせて読んでいくのが、一番面白いようなので。
 いの一番に、読み始めて直ちに目につく、古めかしい美文調の文体はどうなのか。例えば、第二章(作品の表記は「二」だが、他の数字と紛らわしいので、~章とする)の冒頭、ヒロインの登場シーンで、彼女はこんなふうに紹介される。

 紅を弥生に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬ)きんずる紫の濃き一点を、天地(あめつち)の眠れるなかに、鮮やかに滴(したた)らしたるがごとき女である。

 なんだかよくわからないが、何しろ人目を惹かずにはおかない、もの凄い美人が降臨したらしい。クレオパトラに譬えられるほどの。
 漱石はその後の小説で美人を登場させても、大げさな文句を連ねた描写は控えている。例外としては、「三四郎」のヒロインの目つきをブラプチュアス(voluptuous)だと形容し、官能に訴える(現代風に言うと、色っぽい・セクシーだ)が、「卑しく媚びるのとは無論違ふ。見られるものの方が是非媚びたくなる程に殘酷な目附である」などと言っているところがある。「三四郎」は「虞美人草」の一年後に書かれた作品であり、ヒロイン美禰子は藤尾の後継者と言ってもよいと思う。たぶん、藤尾の目つきもこんな残酷なものだったのだろう。
 両者の大きな違いは、美禰子の場合は若い三四郎の目を通した描写であることが明らかなのに、藤尾は、作者に直接、美貌が謳われているところである。
 「虞美人草」にはこれ以外にも作者が直に登場して(「作者は」を主語にした文も、二つある)、登場人物を批評したりする。ヒロインについての「藤尾は己のためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考へた事もない。詩趣はある。道義はない」など、最も有名なものだろう。
 これはルール違反と言うべきである。神である作者からこう言われたのでは、読者としてはそうとしか思いようがないのだから。
 試しにこの半文語とでも言うべき文を、現代口語に超訳してみよう。「藤尾にとって愛とはあくまで自分のためのものであって、他人のための愛なんて、あるのかどうかさえ考えたこともない。文芸は好きだが、道徳は気にしない」。やっぱり、いかんですな。小説の王道を外れている。登場人物の性格などは、描写を通して実感をもってわからせるべきであって、説明すべきものではない。どうしてもこんなふうに言いたいなら、せめて、当人を含めた登場人物の言葉にすればいい。
 別例として、藤尾と対比されている若い女性である、糸子のほうを見てみよう。彼女は登場前から兄によって、容貌は藤尾に劣る、と明言されている。第六章冒頭で登場したときには「丸顔に愁(うれい)少し」云々と言われるのが、藤尾の場合にもましてわかりづらい。指一本で指すのはどうたらで、「糸子は五指を並べた様な女である」とか。たぶん、「こちらです」と案内するときの、掌を開いて方向を示す動作を思い浮かべればいいらしい。この娘はものごとの本質を見抜いても、それをむきつけに示すのは控えるだけの嗜みがあるということなのだろう。
 そんなことをわざわざ説明されなくても、糸子が賢くても可愛い、男好きのする性格であることは、後の兄の宗近や、密かに慕っている甲野との会話の中で、充分に活写されている。「丸顔に愁少し」だけでよしたほうがよかった、だいたい、そのほうが粋じゃないですか。
 そこを敢て好意的に見ると、漱石は、小説という、近代リアリズム文芸の代表的ジャンルからは少しそれたところで、「虞美人草」を創作しようとしたものらしい。考えてみれば彼はこれまで、必ず幾分かは小説になりきれない部分のある小説ばかり書いてきたのだった。

 「虞美人草」におけるその「部分」は何か。それは、寓話である。ある教訓を与えることを明確に目標とした物語。そのために、半文語の文体が採用されたのだと思っても、腑に落ちる。おかげで、口語だとだらっとしてしまう説明が、格言風の格調を備えて屹立する、ようだから。
 では、教訓=寓意の内容は何か。これも、上で簡単に紹介した二人のヒロイン像からして明解なようだ。つい道義を忘れがちな文明の毒に対する警鐘である。その具体例として、「女は今風の、美人で驕慢なのより、古風でも大人しいほうがよい」なる、当時はありふれていた道徳譚が使われた、と見える。
 明治中期以降、女子教育の普及とともに重視されるようになった婦人道徳の中で、「美人は堕落しやすい/生意気になりやい」というような言説が非常に多く繰り返された結果、「美人=悪」という観念さえ生まれていた(今でもすっかり消えたわけではない)ことは、井上章一『美人論』が夙に指摘するところである。道義なき自己本位の女である藤尾の美貌が殊更に強調され、彼女を破滅させることで、対局にいる「家庭的な女」糸子に加えて、古風で大人しい小夜子の株を上げるのは、これに合致する。
 もっともこれは、漱石が学んだ英文学でも、19世紀前半の小説の興隆期に書かれた、女性主人公の教養小説というべき作品群では、ありふれたタテマエだと言える。ジェーン・オースティン「高慢と偏見」(1813)、シャーロット・ブロンテ「ジェイン・エア」(1847年)、ウィリアム・サッカレイ「虚栄の市」(1847-48)などで肯定的に描かれるヒロインは、決まって「美人ではない」とされている(しかし映画化されると、必ず美人女優が演じる)。【「虚栄の市」は、「虞美人草」に一度だけ、そのタイトルが普通名詞として出てくる。たぶん、偶然にではない。美人で野心的な娘と優しくて感じのいい娘二人のヒロインの対比など、漱石は、参考にしたとは言わぬまでも、意識はしたろう。】
 一方、日本では明治30年代以降、「家庭小説」とも呼ばれる若い女性を主人公としたメロドラマが、マスメディアの発達とともに多数登場した。尾崎紅葉「金色夜叉」(1897-1902)はその先蹤の一つ。他の代表作は、徳富蘆花「不如帰」(1898-99)、菊池幽芳「己が罪」(1899)、小杉天外「魔風恋風」(1903-1904)など。こちらのヒロインはみな美人で、そのせいか、決まって悲惨な境涯をたどる。
 これらはすべて、「女性の幸福」を巡る広い意味の寓話と言え、「虞美人草」はその一種として読まれたこともあるようだ。しかし、そこにもどうにも収まりきれないところがある。前述した文体は、感傷的ではなく、大仰だという点で、既に違う。それ以外にも。
 時間構造が違う。上記の諸作品は、イギリスのも日本のも、すべて数年から数十年の歳月を描いている。明治40年3~7月の東京博覧会(正確には東京勧業博覧会)を真ん中に置く「虞美人草」は、分量は「不如帰」より多いのに、作品内の時間は、最後の最後の一文を除いて、長めに見ても1か月以内にすべてが終わる。
 ドストエフスキーの四大小説が同じような構造であり、例えば「罪と罰」は一週間の出来事を描いたものである。ジョージ・スタイナーが『トルストイかドストエフスキーか』で説く、叙事詩の伝統を継いで創作したトルストイに対して劇の伝統を継いだドストエフスキーという構図も思い出されるが、そんなところに踏み込んだのでは収拾がつかなくなってしまう。簡単にすまそう。
 「虞美人草」で用いられた手法はこんなものだ。ある出来事の顛末をプロットにする。それだけなら通常短編になるところを、複数の人物を絡み合わせて、あたかも水を溜めてから栓を抜いた水槽にできる渦巻き中の塵芥の如く、てんでんばらばらにぶつかっているようだが、結局は一つの方向へと収斂していく人間模様を描くことで、多くの頁数を費やす。
 これで読者の興味をつなぐためには、第一に、その人物たちの個性の輪郭がくっきりと際だって、魅力的でなくてはならない。第二に、絡み具合をうまく按配しなくてはならない。このような点で、作品を構成する手腕が必要になる。
 
 この二点とも、「虞美人草」はすばらしい出来栄えを示している。後の方から言うと、筋の運びと人物描写の双方をこれほど巧妙に並び立たせた小説は、漱石自身が後にも先にも書かなかったと思う。「プロットが整然とし」ていることは、正宗白鳥も認めるところだった。
 もっとも、そこからすると、第一・第三・第五章の、甲野欽吾と宗近一の京都見物記は、ちょっと妙だ。以前の作である「二百十日」の、二人の男による対話を主とした道中記を、ここにももってきた意図はなんなのか。
 旅行中に二人は、後に主要人物になる小夜子を、偶然に三度見かける。間の第二・第四・第六章では、東京に残った人物たちのドラマが既に展開していて、そこに宗近君が手紙で、小夜子を「琴の女」として知らせる。三度目の遭遇は第七章で、東京行きの同じ電車に乗り合わせる。終点の新橋駅では、彼女と彼女の父の漢学者井上孤道を迎えに来た小野をちらりと見る。「これが小説ならば」宗近・甲野のどちらかと彼女がどうにかなるのだが、と宗近は車中で言うが、後でこの出会いが格別の意味をもって発展するわけではない。そうなったら、いかにも安いメロドラマだから、新聞小説作者としての漱石は、ここで読者の予想・期待に肩すかしを食わせるつもりもあったかも知れない。この程度の作者の遊びは許せる。しかし、遊びはどこまでも遊びである。
 京都の地は、第十一章の、東京博覧会の「文明」に対比した場合の、「過去」を示すだろうか。それにしては、旅行者の目に映じた京都しか提示されないのだから、あまり効果的ではない。甲野の義理の母への思いなど、重要な伏線も語られるはするが、それがないと困るほどのものではない。
 結局、甲野と宗近の人間性、及び甲野の、第一義の生活がどうたらの「哲学」を開陳するのが主眼であるらしい。「自然が人間を翻訳する前に、人間が自然を翻訳する」とか、面白そうなところはあるのだが、結局なんなのか、あまり判然としない。実際この二人は、他の登場人物からも、往々にして、よくわからないところがある者として扱われている。
 作品全体の締め括りが、甲野の日記と、イギリスへ行った宗近の手紙中の一文なので、彼らこそ、プロットの外側の、大枠を形成する人物なのだろう。そこには漱石が書簡中に言う「一つのセオリー」としての「哲学」があるに相違なく、しかし最後になっていきなり出すのはうまくないので、首尾を整えるべく、二人の問答を冒頭に持ってきたのだ、と考えるのが一番いいようだ。
 こうして、「虞美人草」には全部で三層の構造があることがわかる。大枠の哲学、地の文の格言、そして主に登場人物間の会話で進行する青春ドラマ。
 
 前にもどって、登場人物の魅力に関しては、昔から評判が悪い。「數人の男女の錯綜した世相が、明確ではあるが、しかし概念的に讀者の心に映ずるだけ」であって、「この一篇には、生き生きした人聞は決して活躍してゐない」という正宗白鳥の評言(『作家論』)は有名だ。それはないなあ、と思う。
 藤尾・糸子・小夜子の若い女性三人と、甲野・宗近・小野の男性三人が織りなす恋愛、というよりは結婚話の中で、彼らは、みなちゃんと生動している。類型的に見えるのは、妙に断定的な説明が地の文にあることと、筋の運びがあまりに巧妙なので、人物の性格はそのために仕込まれたのではないかと思えてくるからではないだろうか。しかしそもそも、男性二人のうち、甲野と宗近は、前述したように、そんなに単純な性格ではない。
 以下ではプロットの中心部分にいる、藤尾母娘や小野に何が象徴されているかを検討し、それと漱石の最も言いたかったはずの「哲学」との絡みを考えてみたい。

女は只一人を相手にする芸当を心得て居る。一人と一人と戦ふ時、勝つものは必ず女である。男は必ず負ける。

 この格言は素直に腑に落ちる。その通りだと思えるから。
 藤尾はこの「戦ひ」を最も重視する。人の風下に立つことを断じて潔しとしない性格だからだ。男なんぞは初手から相手にならないが、女が対手だと、色香で惑わすことができぬ分、会話により才智を働かせる必要が出てくる。「すべての会話は戦争である。女の会話はもつとも戦争である」。第六章で彼女が戦争をするのは糸子で、藤尾はかまをかけて、この宗近の妹の、腹違いの兄の甲野欽吾への思いを確信する。それが戦いに勝つことである。
 人の本心を知ることは、その人の弱みを握るのと同じだからだ。だから他人との優越競争が熾烈になった文明の巷では、皆が探偵のようになる。漱石がいかに探偵的なものを嫌ったかは、「吾輩は猫である」「草枕」「野分」などに明瞭に書かれている。
 それに、藤尾は糸子を軽蔑している。「男の用を足すために生れたと覚悟をして居る女ほど憐れなものはない」のだから。あるいは藤尾は、日本文学に現れた最初のフェミニストと呼ばれるべきかも知れない。
 もっとも彼女は、「男の用」から自由になって、何をしようというのでもない。ただ、詩的雅趣の世界にいつまでも浸っていたいぐらいの望みしかないらしい。これらからして、自分との結婚を望む二人の男のうち、宗近より小野がよい、という結論になる。

我の強い藤尾は恋をする為めに我のない小野さんを択んだ。蜘蛛の囲にかゝる油蝉はかゝつても暴れて行かぬ。時によると網を破つて逃げる事がある。宗近君を捕るは容易である。宗近君を馴らすは藤尾と雖(いえども)、困難である。我の女は顋(あご)で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌の璧(たま)を懐に抱いて来る。

 「謎の女」と呼ばれる藤尾の母にとってもそれで都合がいい。先妻の息子である欽吾は、当時の法律に従えば、四ヶ月前にヨーロッパで客死した父の全財産を継ぐ権利がある。同時に、義母ではあっても、亡父の正式な妻であった女を世話する義務もあるが、当の母のほうではそれを喜ばない。なさぬ仲では、それだけで油断できぬと思うから。
 それに彼は学校を出てからぶらぶらしていて、「時々気の知れない囈語(ねごと)」(=哲学)を言う変な男だ。藤尾に婿を取って世話をさせるに如くはない。婿には、小野がいい。文学士で、大学卒業時には優等で、恩賜の銀時計をもらった。近い将来博士にもなるだろう、有望な男だ。孤児で、無一文なのもいい。資産は甲野家にある。養子になったら、万事大人しく、自分と娘・藤尾に従うだろう。
 哲学者・甲野欽吾のほうでは、義母の心持ちを察して、家も財産もすべて藤尾にやってしまう決心をしている。それなら好都合かと言えば、そうはいかない。己のために義理の子をいびり出したように世間の目に映るのは面白くない。欽吾が家を出るにしても、他所で事業を興すとかの、しかるべき理由、少なくとも口実を拵えての上でなくてはならない。拵えるのは無論欽吾の役割である。彼女が「謎の女」と作者に命名されるのは、彼女自身のうちによくわからぬところがあるからではなく、利己的な本心を体裁よく粉飾し、人に解いてもらうべき「謎」にしてしまう名人だからである。
 ところが欽吾はいっこうに解かない。解いても白ばっくれているようだ。謎の女は苛立つが、それについては、娘と二人で彼の陰口を叩く以外には何もできない。だからますます苛立つ。人柄が悪くなる。娘・藤尾のクレオパトラに対してマクベスの魔女に譬えられる。この大仰ぶりは、ユーモアのつもりだったのか。あんまり笑えないけど(因みに欽吾は脇役のかつての同級生に、ハムレットと仇名されている)。
 これ以外には彼女は、小説の開始時間以前に、ある企みを実行している。外交官の試験に失敗したので、「見込みなし」とみなした宗近との縁談を反故にするために、彼と、不健康をかこちがちな欽吾とを、気晴らしの名目で京都旅行に行かせ、その間に藤尾の家庭教師として雇った小野との仲を深めようという。
 些細なもんじゃないか、とは言える。それを重大らしく見せかけるために、かの文体が必要とされたのだろうと言われても、しかたないと思う。

 それを差し引いても、漱石の文明批判は明瞭であり、またけっこう説得力がある。
 なぜそれほど外面を取り繕うか。それは先ほどの「戦争」で、対手にこちらの内兜を見透かされないように、である。繰り返すと、この戦争では、本音を見抜けば有利、見抜かれれば不利になる。
 なぜそれほど他人に立ち勝りたいか。自分には意味があることを、我にも人にも示す最も有効な手段だからである。それは文明の発達以前からあった意欲だろうが、近時より露骨にはなった。一つには、主に身分制度などの縛りが薄れた結果、自分で自分をなんとかできる余地が増えたように思えるから、もう一つには、文明が、自分で自分をなんとかできる手段を増やしたようであるから。まとめると、我が露出してきた分競争が激しくなる、逆もまた真、ということである。
 このような人物像は作り物めいているか? そんなことはない。誇張されているだけで、藤尾母娘のような女性は、それから男性も、実際にいる。結婚相手を選ぶ時の、上述のような頭の働きは、今ではごく普通ではないか。つまり、現在でこそリアルになったと言ってよい。以前に「金色夜叉」を取り上げたときに、そのヒロインについて同じことを言ったが、この点では漱石先生のほうが明らかに、一日以上の長がある。
 たとえ「戦争」とまでは自覚しなくとも、「自分」にのみ関心の強い人は、他人を自然に「自己実現」のための手段とみなすだろう。その傾向は「近代の宿命」と言い得る。
 いや、近代西洋の宿命なんだと言いたい人もいるだろうが、必ずしもそうではない。「どこの国でも表が表だけに発達すると、裏も裏相応に発達するだらうからな」と、一と糸子の父の宗近老人は言っている。謎の女は、「坊ちやん」に登場する陰謀家赤シャツ教頭の後継者だが、彼と違って西洋の知識がそれほどあるわけはない。第一、世間体をこれほど気にするのは、日本的な特色ではないだろうか。日本の開国→西洋化は、文明の進歩を大きく促進したに違いないが、鎖国状態がもっと長く続いたとしても、同じような人種はやっぱり出てきたろうと思う。
 つける薬はないだろうか。文学はどうか。漱石がこの時点までに出した答えは否定的なものである。赤シャツは文学士で、藤尾は文学好き。つまり、文学を学んでも、人格の陶冶のためには、全く意味がないと考えていたようだ。少なくとも、今までの文学は。これに対して、「いかにして活きべきかの問題を解釋」する文学を建てる、これが夏目漱石の、創作に踏み出した当初の野心であった。

 それでは「虞美人草」中の文学士小野清三はどうか。自ら認めるように、実に気が弱い。人の言葉に動かされやすく、そのためにプロットのキーパーソンにされたのである。しかし、こういう人もやっぱり現実にいるなあ。
 孤児、もしかすると私生児で、幼いころから苦労した。京都の高等学校では井上孤堂先生から物心両面の援助を受け、娘の小夜子となんとなく将来を言い交した。東京帝国大学に進んで、優等となり、輝かしい未来が拓けた、ようだった。資産家の美しい娘・藤尾は、その未来の証であると同時に、未来をいよいよ確かにするもののようにも思えた。ところへ、老いた孤堂先生と小夜子が、自分を頼って上京してきた。それは忌まわしい過去の影が迫ってきたように感じられた。
 以下は誤解を招きやすいところなので、重ねて断っておく。明治40年の「文明」を批判的に描いたこの作品は、決して日本も、過去も、美化していないのである。たとえ過去がもっと徳のある時代であったとしても(私は、そんなことないだろう、と思っているが)、「昔を今にもどすよしもがな」で、嘆いたところで、いわゆる愚痴にしかならない。「いかにして活くべきか」は、「いま、ここ」の問題として提出されねばならないのである。
 時代に取り残された者の悲しみは描かれている。小野が小夜子より藤尾に惹かれるのは、美貌や財産の他に、はきはき口を利くことができない小夜子に、物足りなさを感じてしまうからでもある。これまた、今でもありがちなことだろう。父からまでそれを咎められて、「口を利けぬ様に育てゝ置いてなぜ口を利かぬと云ふ。小夜子は凡ての非を負はねばならぬ。眼の中が熱くなる」と小夜子が涙を流すところは、こっちの胸もけっこう熱くなった。
 しかし最終的に小野は小夜子との結婚を選ぶ。宗近に説教されて真実に目覚めたから、ではどうもないようだ。一番大事な筋の切所で、そんなウソ臭い話にすることは、漱石も、近代小説家として、やっぱりできなかったのでしょうなあ。
 第十八章で、藤尾と大森へ遊びに行く約束をして出かける間際、小野は迷っている。こういう場合には女のほうが大胆だというのも、経験の教えるところだろう。二人の間を「事実」にしてしまえば、欽吾や宗近から文句を言われても、はねつけてしまえる、というのが藤尾母娘の思惑だ。
 男のほうはこの決行直前に、井上父娘に結婚を断る使いを送っている。なのに、うじうじが収まらない。謎の女のように、世間体さえ保てればいい、というわけにはいかないからだ。「小夜子を捨てる為ではない、孤堂先生の【金銭的な】世話が出来る為に、早く藤尾と結婚して仕舞はなければならぬ」なる理屈は考え出すが、それで他人には弁解できても、自分はだまし切れない。
 即ち彼は、我欲もあるが、道義を気にかけずにはいられない「自分」、別名は良心、を持ってしまった男なのである。それが文学をやったおかげであるかどうかは、よくわからないけれど。
 小夜子と孤堂だけではない、藤尾を思っていることが明らかな宗近をも、彼は傷付けようとしている。彼らをさほど尊重する気はなくても、明らかに恨みを買うようなまねをするのは、どうにも気が咎める。いっそ誰かが止めてくれればいい、とさえ思う。
 しかし、「矢っ張り行く事にするか。後暗い行(おこなひ)さへなければ行つても差支ない筈だ」(行けばヤルに決まっている。それも、あくまで男の方から誘って、の形になって。そのへんの藤尾の手管に小野が敵うわけはないとの確信は、ここまで読んできた人の胸に自然に浮かぶ、ぐらいにこの小説はうまくできている)と、重い腰を上げかかった途端に、宗近がやって来たのだった。
 という次第なので、宗近の言葉など、たいして重要ではなく、ただ大森行きを止めてくれればよかったのではないだろうか。宗近はただ、「真面目になれ」と言うばかりだ。
 筋は通っている。確かに、小野が憧れる煌びやかな未来など、「まるで小供見たやうな」空想だと言える。そんなものをあてにして、自分を都合のいい男とのみ見ている藤尾と結婚しても、幸せになれるわけはない。それに第一、未来を餌にした藤尾に引き回されている現在の自分は、相当みっともないだろう。と、他人に言われるより先に、自分でわかっていた。宗近はただそれを確認してくれただけだ。
 ここまではいい。小野はいかにも、「真面目」になった。しかし、小夜子と結婚するのまでそうなのかどうかは、わからない。それはただ、いらないと思ってもいざとなると捨てきれない、踏ん切りの悪さの現われに過ぎないかも知れない。それでも、捨てない以上は自分の責任として、ちゃんと抱えていけるならいいが、そこまでの強さに至ったものかどうか、小説は伝えていない。
 それでも済むのは、彼は、登場する場面は多くても、所詮は脇役だからだ。

 本当に問題なのはヒロインのほうだ。上の場面で説得した男と説得された男の二人に同時に愛想尽かしをされて、「文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に優る不面目と思ふ」という言葉(作者のだが)の通り、死ぬ。一直線で、少しも紛れがない。恥をかかされた衝撃で昏倒してそのまま死ぬのか、気がついてから改めて自死したものか、詳細は明らかにされないが、それも余韻を残す結末だと感じられる程度に、筋の上で首尾一貫している。かつまた、美しい死体の描写は、登場した時の妖艶さに呼応している。
 こうして、前述した三層構造のうち、プロットと文体の範囲では、この作品は見事に完結している。が、一番肝心だったはずの、「哲学」ではどうだったか。
 最後に欽吾が日記に書きつける哲学は、西洋思想でお馴染みの「メメントモリ(死を想え)」である。人間は、自分がいずれ死すべきものであることに深く思い至すとき、本当に「いかに生くべきか」の問題に逢着する。そこから感得されるのが「第一義」であり、「道義」である。しかし人間は死から目をそらしたい一心で、有形無形のいろいろな玩具を考え出し、その扱いをしかつめらしく論ったりしがちな者だ。玩具の総称を、文明と呼ぶ。これによって 人間は根本的な道義を忘れ、道化になって世界という舞台の上で一時期跳ね回る。いよいよ死が具体的に姿を現すまでは。【以上は私にとって馴染み深い言葉に置き換えて記述しましたが、私自身はこの思想には、納得する部分はあっても、共感はしていません。】

粟か米か、是は喜劇である。工か商か、是も喜劇である。あの女かこの女か、是も喜劇である。綴織(つづれおり)か繻珍(しゅちん)か、是も喜劇である。英語か独乙語か、是も喜劇である。凡てが喜劇である。最後に一つの問題が残る。――生か死か。是が悲劇である。

 藤尾を見舞った死も、そういうものだったと言えるだろうか。彼女は「我」(作中二度、「プライド」とルビが振られている)に殉じたようだ。その前に、しょせんは玩具にすぎない「我」にそこまでこだわる愚を悟ったろうか。そういうふうに読めるところは微塵もない。つまり、「セオリーを説明する」というところで、作者は失敗しており、その点でこの作品は「狂っている」ということができる。
 その理由の第一は、前にも少し言ったように、漱石が近代作家として、観念の化身でしかない人物を主人公にはできなかったからではないだろうか。
 「三四郎」の美禰子は、作品の最後になって初めて登場した未知の男と結婚することで、作品の外部へと去る。これによって美禰子は小説世界で死ぬのだ、とも言えそうである。ただし、罰としての、あるいは何かの必然としての死では全くない。彼女は去り際に、こう呟くばかりだ。「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」。一応、男を無駄に惑わした罪があることは認めたような。
 しかし、こんなスカした女、明治時代だってあり得ないだろう、と思う人はいるだろう。つまり、血の通った人間というよりは作者の作り物に見えることもある。これ以上の壮烈な死を与えたりしたら、近代小説のリアリズム(現実にあっても不思議はないと思えること)が台無しになるだろう。それでは必然も何も、あったものではない。
 あらためて、「必然」とは何か。漱石が使っているのとは違う意味の、文芸ジャンルとしての悲劇では、主人公は必然的な死を遂げることで、自らの生を必然化する。【できたら、本ブログ中の「劇」ジャンル、「悲劇論ノート」をご参照ください。】「我」の発展の必然的な結果として、「我」の崩壊へと至る過程が描ければ、上の哲学も生きるのである。
 女性を主人公にしては、それは少々難しいようだ。それは女性そのものの問題なのか、作者が男性だからなのか、は措く。ともかく漱石は後に、男を主人公として、そのような文芸作品も試みている。「それから」や「こころ」はその典型だと言える。
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