由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

福田恆存に関するいくつかの疑問 その4(日本で絶対を求めれば)

2014年11月21日 | 文学
メインテキスツ:浜崎洋介編、福田恆存『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー平成25年)

サブテキスト:浜崎洋介『福田恆存 思想の〈かたち〉 イロニー・演戯・言葉』(新曜社平成23年)

 また他人の文章にことよせて自分の福田論を語ろうと思っていたが、浜崎編のアンソロジーで福田の文章を読み返してみたら、ずいぶん忘れたことが多いことに気づかされたし、また新たな発見(かな?)もあった。まずそれから述べよう。
 最初に断っておきたい。『福田恆存 思想の〈かたち〉』は名著である。福田恆存に関する初の本格的な研究書というだけでなく、福田の残した言葉とその周辺から、近現代の日本で演じられた思想のドラマを情熱的に描き出している。換言すると、浜崎は、福田をモデルとして興味津々たる読み物を書いたのであって、これは文学論・文学者論として至極真っ当なことだと思う。
 しかし、浜崎のいくつかの発言には違和感が持たれる。例えば、totalism(全体主義)とwholeness(ロレンスや福田恆存の言う「全体」)は区別されねばならない、と言いながら、前々回指摘したような、まるで福田が全体主義者であるかのような誤解を招く表現になってしまう。その一つの理由は、福田の説くところがやたらに微妙だからである。 
 最大の問題は、「全体」に密接不可分な絶対、もしくは絶対者という観念についてであろう。そう言っていいものは、今までの人類の歴史の中にいくつかあった。その中では、ユダヤ民族の発明による唯一絶対神なるものが、論理的によく筋が通っており、実際上も便利である、と福田は考えていた。特に、近代という時代には相性がよく、唯一絶対神を戴く精神こそ、近代を産んだのだと考えてもよいようである。しかし日本には、表面的には近代化を遂げた後でも、その概念はないし、どうも馴染みにくいようだ。どうしたらいいのだろう? これが福田が提出した難問の一つであった。
 その答えは、浜崎の「編者解説 「近代」と「伝統」との間で」によると、「(前略)日本人である福田は、その「絶対者」が呼び出される場所に、後に「伝統」や「自然」という言葉を見出していった」とのこと(『保守とは何か』P.389)。
 一見して、なんだかヘンだ、と思えてこないだろうか。「伝統」にせよ「自然」にせよ、もちろん西欧世界にもある。その上で、それとは別次元の、「絶対者」もあるのだ。福田は、どうやって次元を飛び越すことができたのだろう? と思って、浜崎が第一の論拠として挙げているらしい「絶対者の役割」(昭和32年初出)を『保守とは何か』で改めて読むと、福田はそんなことは全然言っていない。むしろ、逆、に近い。
 この文章の第三節「人格と信用」の最後にはこうある。「もし、絶対者を神のやうな超絶的なものにしておけば、それは存在しないものですから、永遠に傷がつかない。現実に検証されうる理想は、すぐその馬脚を現しますが、現実と理想との間にいちわうの断絶を設けておけば、理想は無傷のまま次代に引きつがれるのです」。そして次の第四節「すべてが二元論」は、「ここに伝統とか歴史とかいふ観念が生じうるのです」と始まる。これはもちろん西洋の話で、ここだけでも、どうやら福田は、超絶的な絶対者の観念がない日本では、伝統や歴史の観念もない、と言っているらしいとわかるだろう。事実、後ではこう言われる。

が、日本人のばあひ、中世と近世とは、近世と近代とは、それぞれの時代に、全体的観念の書きかへを要求されてきた。それどころか、戦前と戦後とでも、書きかへが必要とされたのであります。そんなところに、伝統や歴史の観念が生じるわけがありません。歴史的事実はあるが、歴史はない。歴史とか伝統とかいふ観念は、時間の流れをせきとめ、それを空間化することによつてのみ生じるのです。それをなしうるためには、なんらかの意味で絶対者が必要であります。同時に、その絶対者をどこに置くかによつて、過去と未来とがどこまで取りこめるかが決定するのです。(後略)

 日本にはまとまった歴史も伝統もない、という話になっている。それなのにどうして、「絶対者」の場所に、「伝統」や「自然」が据わる、なんてことになるのか。どうも浜崎には彼なりの保守主義観があり、そこにあまりに早く福田を当て嵌めようとするきらいがあるようだ。
 ただ、繰り返すが、責任の一端は福田にもある。彼の遺した大量の文章の中で、全体や絶対のような究極的なキーワードはまだしも、歴史・文化・伝統・自然などになると、かなりいろいろなニュアンスで使い回される。何しろ戦後論壇随一のポレミックであったので、議論の状況に応じて説得的に言葉を組み立てるのが第一になって、個々の言葉の厳密な定義は第二とされることがあるからだ。できるだけ腑分けする必要がある。
 「絶対者の役割」での「伝統」は「歴史」と並列されているところがポイントである。そこで言われていることを私なりの言葉で置き換えれば次のようになる。絶対者を人間世界から完全に隔絶したものとすれば、時代や場所の変化にかかわらず、一定なものとなる。そこで最低限の共通性は保たれると同時に、変化についても、一定のものとの距離を測定することで、言わば変化の地図を描くことができる。つまり、各時代がどう変遷したか、パースペクティブが持てるのである。それがここで福田の言う「歴史観」であり、それが世代ごとに伝達されれば、伝統となる。
 それが日本にはない、と言われたら、様々な異論が出ることが予想される。いわゆる保守派からは憤激を買いそうだ。私もいくつか疑問が浮かぶが、それはここでは言わない。福田自身が「伝統」を別様に使っているのをみてみよう。
 「伝統に対する心構」(昭和35年初出)中の伝統なら、日本にもあるとされる。伝統≒歴史に対して伝統≒文化だから。実際このエッセイは文化cultureの定義から始まっており、ちゃんと数えたわけではないが、「文化」という言葉は「伝統」より多く出てくるだろう。それなのになぜ「伝統に対する心構」なのかといいうと、ここでは規範意識が問題になるからだ。「私たちの生き方や行為の基準は必ず過去からやつてくる」という規範としての過去が。
 とは言え、ここが肝心なのだが、それは人々の外側にあって人々を縛るものではない。それを強調したいので、最初に文化とは我々の生き方そのものなのだと力説したのだろう。
 我々は、成長の過程で、最広義の教育(大部分が無意識のうちに行われる)によって伝えられた価値観に従って、ものごとの正邪や適不適の判断をくだしている。もちろん様々な生き方はあって、個々人はそれを選ぶことはできるし、全く予想もできなかった局面に際会して、途方にくれる時もあるだろう。しかしどういう場合でも、決断するのは(逃げ出す・他人任せにする、などの決断を含む)個々人であると同時に、決断の材料はすべてその人の知る過去から見つけてくるしかない。過去の何かを反省し、今後は改めようと思う場合でも同じこと。過去のすべてがないとしたら、個人も、社会も、ない。過去が無意味だとすれば、現在もまた無意味であり、未来もまた、というか、未来を創出する意味もなくなる。以上は単純な事実なのだから、それをごまかそうとするな、と福田は言っているのである。
 福田恆存の「保守」の要諦は、以上に尽きる。ここでの過去・伝統は、いかにも、個人に先んじ、個人を超えている。と言うより、個人を作り出すものである。その一番の具体例は、母国語。日本語はもちろん私の生まれる前からあり、私はその中で育ち、身につけることで、人間となった。日本語なんてダメな言語だ、なんて思ったり言ったりすることはあり得るが、そんなことができるのも、日本語が使えればこそである。言葉こそ上で見たような 伝統・文化の神髄であるのは疑いない。が、それでも、絶対とは言えない。
 たとえ言えるとしても、それは福田が求めた絶対ではない。何よりも、言葉は変る。それは言葉もまた、生きているからだ。ラテン語のような、「死んだ言語」ではなく、日本語のような、今現在使われている言語は、生活意識の表象として、正しく人間そのものと同じように、日々刻々と微妙に変化していく。対して、絶対のものは完全無欠、永遠に何も足せず、何も引けない。だからそれは、いかなる意味でも実体ではなく、言語・伝統・文化のように、仮にも客体化して記述したりもできないものだ。言わば最も純粋な観念である。
 と言えば、観念もまた言葉の産物なので、言葉に先んじているはずはない、と難詰されるだろう。その通りである。絶対者とはインチキだ。福田にもそれはわかっていた。ただ、同じインチキなら、神聖な一族だの、人民の一般意思だのよりはマシだと考えていたのである。理由は、前掲の引用文「もし、絶対者を神のやうな超絶的なものにしておけば」云々をもう一度読めば充分であろう。

 では、なぜそういうものが必要なのか? 私の考えで、最も端的に言うと、それは個人を立てるために、である。福田自身は例えばこう言っている。ここでは「絶対(者)」ではなく、「全体」という言葉が使われているが、それはひとまず同じ、としてよい。

 (前略)私たち人間が全体の観念を持ちうるのは、私たちが個人でありながら、そのうちに全体を含んでゐるからです。それが精神といふものでせう。その内にあるものを外に取り出し、万人共通の人格神として客体化したのがクリスト教であります。それはいはば携帯用の「全体」であります。西欧人はそれを磁石のやうにポケットに隠し持ち歩いてきたのです。その磁石の動きによつて、個人は人格といふ明確な輪郭をもちうるし、その所在を明らかにしうるといふわけです。またそれが他人の眼にも、はつきりした存在を示すのです。(「絶対者の役割」)

 先ほどの「歴史」が国から個人に置き換えられているのは見やすいであろう。国だけではなく、個人も変わる。その全体像は把握できないが、不動の絶対者の観念があるなら、それとの距離感で、変化全体の軌跡を辿ることは可能であり、それこそ「人格」と呼ばれるにふさわしい、というわけだ。逆に、そこから切り離された断片としての個人は、他人にとっても自分にとっても、いかなる意味も持ち得ない。何らかの形で絶対と関わる、あるいは関わろうとする個人だけが、全体の一部として存在価値があり、また自分自身の価値を主張し得る。
 日本にはそれがない、少なくとも薄い、だからいつまでたっても個人主義が根付かず、ダメなんだ、などと単純に言うなら、福田は西洋かぶれの進歩主義者と同じになってしまう。もちろん、そう単純ではない。むしろ、複雑すぎる。 
 例えば、「快楽と幸福」(『私の幸福論』第十七章、昭和31年初出)では、「将来の幸福」などというものを過度に思い煩う生き方は、結局人を不安にしかしない、として、次のように言われる。

が、自分はかうしたいし、かういふ流儀で生きてきたのだから、この道を採る――さういふ生きかたがあるはずです。いはば自分の生活や行動に筋道をたてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」になつても、それはやむをえぬといふことです。さういふ生きかたは、私たちの親の世代までには、どんな平凡人のうちにも、わづかながら残つてをりました。この自分の流儀と自分の慾望とが、人々に自信を与へてゐたのです。(中略)
 私はいま「自信」と申しましたが、それは結局は、自分より、そして人間や歴史より、もつと大いなるものを信じるといふことです。それが信じられればこそ、過失を犯しても、失敗しても、敗北しても、なほかつ幸福への余地は残つてゐるのであります。(下略)

 「私たちの親の世代」の人とは日本人に違いない。それに自信を与えた「自分より、そして人間や歴史より、もつと大いなるもの」とは何か。絶対者? そうではない?
 この問題は、「人はいかにして幸福になれるか」を説いたこの文章では棚上げにされている。それを棚から降ろす必要があると思うのは、やっぱり浜崎洋介の論があるからだ。
 この後の拙論にもつきあっていただけるなら、ご面倒でも、まず、以下の拙文の最初のほうに目を通していただきたい。

「由紀草一・闘論!倒論!討論! 今更ながら場外から乱入編」(美津島明編集『直言の宴』)

 また、ここで取り上げた討論会は、まだYou Tubeで見ることができるので、興味とお時間がある方はご覧ください。

「3/3 表現者スペシャル・日本のこれからを考える~安倍政権はどうあるべきか?」

 「今更ながら場外から乱入編」で表明した違和感に対しては、個人的に浜崎氏からメールをいただき、「あそこは自分としても言い足りなかった部分だった」という意味のことが書かれていた。言い足りないことの中身は、推測になるが、前出「編者解説」中の以下の部分でもあったろうか。

(前略)私たちが時間をかけて附合い、馴染んだ人や物は容易に取替がきかない。だから「附合ふといふ事」とは、その掛替えのなさを学ぶということでもある。おそらく、そこに人の「愛着」が生まれ、「物を惜しむ心」が生まれる。そしてそれとの関係(型)を守ろうとする気持ちのなかに道徳心が芽生えてくる。それゆえ、「抽象的な徳目の列挙で道徳が身に附くと思ふのは大間違ひ」(「自然の教育」)なのだ。逆に、具体的な「愛着」をこそ味わい生きること、ここに福田の「道徳」観は端的に示されている。(P.393)

 異論は特にない。浜崎が『保守とは何か』の最終章「Ⅴ 生活すること、附合ふこと、味はふこと」にまとめた福田の一連のエッセイに現れた道徳観の要旨としても、一応適切である(私なりのまとめは後に述べる)。疑念が持たれるのは、この前にある。福田の、国語改革批判、伝統技術擁護、戦後民主主義批判をまとめて、「その全てが、一匹を、あるいは一匹を支えているもの(生き甲斐)を、九十九匹の領域へと還元してしまう一元論、その無理がもたらす自己喪失(人間の不幸)を剔抉する作業だったと言える」と言われると。
 最も簡単な話。伝統技術擁護について書かれた「伝統技術保護に関し首相に訴ふ」(昭和41年初出)はこの前の「国語審議会に関し文相に訴ふ」などとともに『建白書』の総タイトルで雑誌『潮』に連載され、またこのタイトルで同年潮出版社から刊行されたものの一部である。題名から明確にわかるように、これらのエッセイは、政策に関する、より正確には政策が前提として踏まえるべき思想的態度に関する提言である。つまり、政治によって多少はましになり得る領域だと考えられていることになる。一方、「一匹と九十九匹と」(昭和21年初出)で言われた「一匹」とは、政治による救済などは決して期待し得ない場所で見出されるべきものとされている。だから、政府が福田の提言を容れ、国語政策などがましなものになったとしても、それで一匹を支えるもの(=生き甲斐、か?)が保たれる、とはならないはずなのだ。
 もっとも、次のようにも言われている。「良き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救いを文学に期待する。が、悪しき政治は文学を動員しておのれにつかへしめ、文学者にもまた一匹の無視を強要する。しかもこの犠牲は大多数と進歩との名分のもとにおこなはれるのである」。この文章が書かれた時代背景からして、ここで言われる「悪しき政治」とは、文学もまた社会の進歩=革命の成就に貢献するのを当然とした共産主義を指していることは明らかだが、戦後の民主主義政治にも応用できる。言葉にしろ、技術にしろ、人間の実存そのものに密接な関わりをもっているのに、便宜のみを事として「改革」がすすめられた。それは最も深いところで人間性の、即ち「一匹」の破壊につながる、と。
 そこで上のエッセイ群の要旨を私なりにまとめると、おおよそ次のようになる。言葉もそうだが、自然物も、それを扱う技術も、特定個人のために作られたわけではない。個々人はこれらを身につけて一人前になるのだが、それにはまず小さな我の「わがまま」を捨てて、虚心にそれらと向き合い、どう扱うべきなのかを学ばなければならない。それができて初めて言葉や技術が自分のものになるばかりではなく、習得の過程で、他者(人とモノの双方を含む)との誠実なつきあい方とは何かも学び、自分も他人も認める大きな我として生きていくことができる。
 どんな時代でもそれは変わらない。が、そこから見て、例えば戦後の国語改革は有害だった。改革そのものより、その根底にあった、「言葉は道具なのだから、今の人にとって簡便なほうがいい」なる言語観こそ問題なのだ。言葉に自分を合わせて自己を形成するより、言葉のほうを自分に合わせたほうが手っ取り早い。この傲慢な態度は、やがて、自分以外の全てを、自分の欲望・快楽を実現するための道具とみなすエゴイズムを助長するだろう。しかも、そんな自分は、他者から見ればやっぱり道具でしかないことになるので、自分の価値に対する本当の自信もまた、持ちようがなくなる。
 福田恆存の親の世代の人々に自信があったということが本当ならば、それは彼らが自分を超えているがゆえに本当の意味で自分を生かす、ある何ものか、名前をつければ伝統とか宿命とかいうものを、人格形成の過程で信じるようになっていたからだ。
 以上は私が福田恆存から学んだつもりでいる、最も大きなことの一つである。いや、私のことなどどうでもいいとして、ここで最初にもどると、それではこの伝統とか宿命とかいうものを、「全体」であると、西洋の「絶対者」の位置に代置されるのは「「伝統」や「自然」という言葉である」、としてはいけないだろうか?
 いいような気もする。証拠らしきものもある。初期のエッセイ、「民衆の生き方」(昭和27年初出)には、「われわれの行為の善悪の基準は、いや、快・不快の基準すら、つねに外部的・未来的全体からやつてくるのです」という文が見つかる。絶対者はなくても基準はあり、そうであるならそれをもたらすものを全体と名づけてもさしつかえない、と思えてくるだろう。
 が、やっぱり何かが足りない。上に述べたことはすべて具体的なモノ(言葉などを含む)との関わりの話だし、また人々の共同性内部の話である。現に人々が目にし、手にするのはそれのみだと言ってよい。しかし、これら「全体」的なものが収斂していく、それで逆にすべてがそこから発しているようにも見える何物かを措定し、それに神なら神という名前をつけること、それによって「全体」を、いつも自分を見ているもの、であるなら、言わば携帯用にして常に持ち運べるようなものにすることは――やらないほうが普通だし、そのほうがまともにも思えるが――日本人の知らない業だった。それからまた、「持ち運ぶ」主体と考えられる純粋個人なる観念も。西洋的なものとつき合う以上は、これらを顧慮する必要があるはずだ、とは福田終生の、思想的な軸足であったのだと思う。
 以上が福田論として一応認められたとして、すると次のような疑念が持たれるのではないだろうか。いったいそんなものがなんの役に立つのか。西洋のことはいざ知らず、この日本では。広い意味の伝統の中に生き、その中で人やモノとの付き合い方も覚え、自信をもって幸福に生きることができるなら、それで充分ではないか。戦後の、いずれもカッコつきの、民主主義、自由主義、個人主義的な風潮の中で、それが危うくなっているとしても、西洋風の絶対者や純粋個人が、それへの処方箋になるのか? 万が一その観念がうまく導入されたりしたら、かえってより大きな不幸を招くのではないか?
 福田恆存はこのような疑問に明確に答えたとは言い難い、と見えるのは私が蒙昧だからかも知れない。ともかく、『保守とは何か』収録エッセイの範囲で、答えらしきものを拾い上げてつないでみよう。
 まず、日本人はそもそも具体的なモノと結びつかない抽象語や純粋な観念は苦手らしい。すると、近代以降で誰が一番困るかと言えば、抽象概念の操作を専門とする文系知識人、それから、言葉を生活から切り離された素材として、芸術作品を創造しようとする文学者であろう。いや、そのはずだったのだ。観念があまり信用されないところで、彼らにどんな仕事ができるのか。その状況自体は無論彼らの責任ではないが、それにしても、近代日本の文学・思想関係者が、これに悩み、格闘しようとした形跡がほとんどないのには呆れ返る、と福田は特に初期の頃盛んに言っていた。
 ここでさらに、そんなのは所詮、狭い業界内部の話ではないか、と言われるかも知れない。日本の文学者は先ほどの一匹を発見できなかった、それで近代日本文学は四流、五流の作品しかなかったのだ、と「一匹と九十九匹と」にはあるが、社会とはどうしても折り合えない一匹=純粋な個人的自我がなかなか見つからない社会のほうが、皆が折り合いをつけやすいということで、つまり幸せだということにならないか。
 その通りである。しかし、では一般国民は観念的なものと完全に無縁に暮らしているのか、と言えば、そうでもないだろう。例えば民主主義という政治制度。これはもちろん、自然物ではなく、人間が拵え上げたものだ。その前提には、個人はいつも自由で、自分なりの確固とした考えを持ちうるという仮定ないし信念がある。と言われれば、「そんなことないよ」と我が身をふりかえってすぐに思えてしまう。近代的自我なんてインチキだ。いやそれは、神だってインチキなんだから別にいいとしても、このインチキ、もう少し体裁よく言ってフィクションを、支えていくだけの情熱は、我々に、この社会に、あるものだろうか。
 仄聞するところ、西洋でもそれは疑われているらしい。近代的自我観は乗り越えられる必要があるのかも知れない。それはできないとしても、民主主義を初めとする近代社会をうまく運営していくためには、近代的自我のインチキ性まで心得た上、その真髄を学び取らなければならない。「限界をこころえつつ確立に専念するなどといふ器用なまね」(「近代の宿命」)は可能であるかどうかわからなくても、近代日本が負うべき課題とせねばならぬようなのである。

 ひとまずこれで終わりにする。福田恆存については、語れば語るほど、語り残したことが大きいような気になるのは、困ったことではあるけれど。最後に、若い時からずっと気にかけてきた福田恆存について、文章にまとめるきっかけを与えてくれた浜崎洋介氏には心から感謝します。




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