由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

【小説】宇宙をぼくの手の中に

2020年01月27日 | 創作

望月一扶脚本・演出「銀河鉄道の夜・前編」 『80年後のKENJI~宮沢賢治21世紀映像童話集~』NHKBSプレミアム平成25年

 私にしては珍しく、葉書をもらった。門にある郵便受けから出して眺めたら、なんだか変だった。裏面に「僕は行く。今度はどうやらわかりそうだ。それを君に伝えることができないのが唯一の心残りだ」とだけ殴り書きしてあり、それ以外には差出人の住所も名前もない。もしかして配達違いかと思って表をじっくり見てみたが、こちらの住所と名前は合っていた。もっとも、郵便番号はない。
 ケイだな。他の者であるはずはない。あいつ、私の実家の住所を知ってたっけか。
 ケイは大学時代の同級生だ。親しかったかと言われると、どうだろう。だいたい私には、小学校から大学にかけて、そして今も、親しい友人なんぞというものができた例はない。彼もそうらしかった。この共通点(かな?)があるので、ちょっとは話すようになった。そういう仲だ。
 つまり、どっちも変わり者だった。その中では、たぶん、向こうのほうが度合いは上だろうと思う。何しろ、脈絡なんて全く関係なしに、突拍子もないことを言い出す。例えば、「なあ、ビッグ・バンて知ってるかい?」とか。
 思い出した。季節は今と同じ、冬で、五時半ぐらいだったか。校舎も街並みも闇に沈んでいて、空には星がよく見えた。宇宙を考えるには相応しい時間ということか、ケイの口調には妙に熱気が籠っていた。
「こないだホーキング博士が日本へ来て、言ってたのを、テレビで見なかったか。宇宙は大昔、始原の原子の爆発的な拡張から始まった。時間も空間もその時から生じたものだ。だから、ビッグバンよりも『前』というのはない。ビッグバンの前には何があったのだと問うのは、北極点でここよりは北はどこだ、と尋ねるようなもんだって。この話、ちょっとおかしくないか?」
 試してるわけ? と思ったが、私も、いつもたいていそうであるように、ヒマだったので、話に乗ったのだった。
「ええと、こういうことかな。ビッグバンが、起きた、んだよな。起きた、のなら、起きた状況があるはずで。たとえ、全くの偶然みたいなものだったとしても、偶然が起きる状況は、ある。それがなけりゃ、ビッグバンもない、はずだ。その状況は、ビッグバンに先駆けていることになる。そんなようなことか?」
「そう思えるよな」ケイは何か考え込む様子で言った。
「まあ普通の人間なら、そう考えるよな」と、私は言った、と思う。
 私たちは薄暮の中を黙って歩き、やがて別れた。
 もうこの話はこれで終わりかと思っていた。しかし、そうではなかった。何日かして、また二人になった時、言ったのだった。
「あらゆることには原因がある。これは普通の人の考え方っていうより、近代科学の出発点になった信念なんだよね」
「ああ、ええ、確か、そんなようなことを聞いたことがあるような」
「それなのに、科学は今、ビッグバンが起きた理由を考えることを、科学の名において拒否してるんだぜ。これって、科学の敗北じゃないのか?」
 私の頭の中は、その時も今も、ゴチャゴチャいろんなものが渦巻いている。しかし、時折、何かが閃くことはあった。例えば、次のようなことを。
「それさ、どっちかっていうと、言葉の問題のような気がするんだけど?」
「え?」ケイは驚いてこちらを見た。
「宇宙の果てはあるのかないのか、時間の始まりはあるのか、終わりはどうか、なんて、一九世紀に、もう、科学者じゃなく、哲学者のカントが、問題として提出して、これには答えは出せないっていう答えを出してた、はずなんだ。それは、一定の答えはないっていうより、人間の認識能力、認識のために使う言葉が、そういうふうにはできていないんだ、ってことで」
「それはつまり」ケイは低い声でゆっくりと言った。「ハイゼンベルクの不確定性原理もゲーデルのなんたらも、相対性理論もない時代に、人間の認識能力の限界はわかってたってことか?」
「たぶんね。言葉の問題ということなら、科学者より哲学者のほうが専門家だから」
「つまり、認識の問題とは言葉の問題である、と」
「そうでしょ。人間て、言葉を使って認識するもんだから」
「数式は?」
「それも言葉の一種。情緒からは一応切り離されてるんで、客観的で正確な記述のように見えるけど、しょせんは人間が考えたもんじゃないか」
「だから、限界はある、と。ただ、限界があることだけはわかるんだな?」
「ううむ、むしろこうじゃないのかなあ。あらゆることに原因がある、そして人間はそれを知ることができる、という信念から出発した近代科学は、どんどん発達して、ついにもうこれ以上は知ることができない、という限界に到達した。地球が動いているのか、地球以外の宇宙が動いているのか、宇宙の外側から見る視点がない限り、決してわからない。しかし、それを認めたって敗北じゃない。そこまではわかった、ってことなんだからね。しかも、限界内部でも役に立つことはたくさんはある。
 本当に本当のことって、人間にはわからない。例えば、引力なんてものが本当にあるのかどうか、誰にも分からない。その意味では、全部仮説なんだ。しかし、そんなことにはあんまり頭を使わないで、一応あるってことにして、地上でりんごが落ちるのも、惑星の運行も、すべてを単一の法則にまとめることができれば、この条件なら次にこういうことが起きるって予測できる。それで、飛行機も飛ばせれば、ロケットも打ち上げられる。つまり、世の中の役に立つんだ。電気も同じでしょ。そんなものがあるかどうか……」
 私は確かに、調子に乗っていた。この種の長広舌にまともにつきあってくれる人は滅多にいないからだ。それだけに、ケイが急に顔を背けて、「じゃ、さよなら」と、スタスタ歩み去った時には驚いた。
 またか、と思った。私は、ふだんはどちらかというと無口なのに、一度しゃべり出すととまらなくなる。たぶん、それが主な理由で、ずいぶん人から疎んじられた。しかし、これほど急激で露骨な疎まれ方は初めてだ。しかも、(自分の言葉なり振る舞いの何が、彼を怒らせたのだろう)と反省してみても、何も思い当たらない。強いて言えば、私の話や話しぶりの全体が気に入らなかったのか。
 仕方がない。人と仲良くなる方法など、私にはわからない。もう口を利きたくない、顔も見たくない、ということなら、ご自由に、と思うばかりだ。
 また何日かして、学食で百二十円のサービスカレーを食いながら、漠然と本を眺めていたら、突然、「なあ」と声をかけられた。前を見ると、ケイが座っていた。最後に話したときから、半月ほど経っていた。彼の中では、そんな時間など簡単に越えてしまえるようだった。全く屈託なく、明るくしゃべった。
「ビッグバンについては、もっとおかしな話があるんだ。時間より空間に関して。この宇宙は、ビッグバンからこっち、ずっと膨張し続けている、っていうじゃないか。膨らんでいるものなら、当然、膨らむ余地、つまり外側がなくちゃならないはずだ。すると、宇宙は無限ではない、有限だって認めるのか? そうでもない。どうするか?
 こう、丸い、球体のものが、例えば風船とかが、膨らんでいる状態を考えよう。真ん中と、端ってか、風船のゴムの、すぐ裏の部分を考えたら、膨らんでいるスピードはどっちが速いか。そう、端のほうだよね」
 ケイはこっちが答える前に自分で言って頷いた。
「この風船をどんどん大きくしよう。すると、膨らんでいくスピードもどんどん速くなる。スピードには限界はないのか? あるんだ。知っているように、光速を越える速度はない。だから、光速で広がっている部分が、宇宙の端なんだ。その外側はどうなっているのか? 人間にはそれを知ることは決してできない。だって、向こうは光速で遠ざかっている。そこへは何ものも、望遠鏡がキャッチするはずの映像も、追いつけない。だから人間にとっては、宇宙の外側は、絶対にわかりゃしないんだから、あると言ってもないと言っても同じことなんだそうだ」
 お互いにしばらく黙っていた。私は皿に少し残っていたカレーを、スプーンで口に運んだ。タマネギの切れ端が残っていた。本当はそんなことを気にしている場合ではない、のかな。ケイは、答えを待っているようだった。でも、それに応える義務なんてあったけ? 成り行き? どんな? それこそ宇宙空間に放り出されたような、上も下もない宙ぶらりんの気分だったが、なんとなく思いついたことを口にした。
「それ、科学者が言ってるのかい?」
「いや。違う。いやいや、そうじゃなくて、科学者かな、俗流の。君の言いたいことはわかってるよ」
 いや、別に言いたいことはなかったんだが。
「これもうまい言い抜けだ。宇宙が本当に光速で広がっているのかどうか、分からないんだが、そういうことにしておけば、何か、ちゃんと説明できたような気がする。それだけの話だ」そこで言葉を一度切って、「みんなこの地球の、ちっぽけな肉体の中に閉じ込めらている人間が、身の丈に合わせて考え出した、答えはないという答えなんだ」
「そうだね」
 それが当然なのだ。肝心なのは、それを忘れないことだ。一番ダメなのは、そんなちっぽけな人間、ちっぽけな自分じゃダメなんだ、身の丈を越えなきゃ意味ないんだ、なんて思い込むところだ。
 という確信ができたのはずっと後のことだ。それにはあるいは、この時のケイの話もきっかけにはなっているかも知れない。何しろ、またまた呆れるしかないようなことを言い出したのだ。
「限界なんてないんだよ。あっても、それは乗り越えるべきものとしてあるんだ。こう言ったほうがいいかな。謎はある、と。それは、人間が謎だと認定した、ということだ。ただね、謎である以上、それは解かれるべきものとしてあるはずなんだ。解けないことになるべくうまい言い訳を考えるんじゃなくてね」
「うーん、ごめん、話が飛んじゃったような気がするんだけど」
「論理的に証明とか、そういうことはできないんだけどね、ただ、僕は感じるんだ」
「何を?」
「宇宙の中の、恒星である太陽からあるとき別れた惑星が、冷えて、大気中に酸素が発生して、生命と呼ばれるものが生まれ、その中のほんの一部が知性を発達させて意識を持ち、この宇宙はどうなっているんだろう、なんて考えている。これは途方もない奇蹟だよ。その本当の意味を、まだ我々は知らないんだが、きっとあるはずなんだ。もし、なけりゃ、作るべきだ」
 私は困惑した顔でケイの顔を見つめるだけだった。向こうは委細構わず、続けた。
「科学はダメだ。君も言ったように、科学はあくまで限界内に止まることで、いろいろな発見・発明もして、我々の生活を便利にしたりしたろうさ。しかし、そのことは一方で、『限界』をより強固に見せる働きもする。結果として、我々の存在は無意味なまんまだ。そうじゃないか? 根本的に、発想を変えなきゃダメなんだ」
「例えば」私はようやく、機械的に言った。
「例えば、目を外側から内側に向けるんだ。科学は、宇宙同様、人間の内面についてもほとんど何もわかっていない。たぶん、我々の意識や記憶は、途方もない何かであるはずなんだ。ユングが言うように、古代からの生命の記憶がすべて貯蔵されているのかも知れない。ここを隈なく探ることができたら、我々と宇宙とを結ぶものも発見できるかも知れない。いや、意識を、宇宙の深奥まで届かせることだって可能だ。光の速さは越えられないって言っても、それは物質界の話なんだから」
「そっち系か」私は呟いた。きっとケイにも聞こえたろう。当時はまだオウム真理教事件以前で、ニューエイジとかニューサイエンスとかいうオカルトが結構盛んな時期だった。私は、個人的なある事情から、そういうものには強い嫌悪感を抱いていた。
「じゃ」と言って立ち上がった。これは聞えなかったかも知れない。私は相手の反応も見ずに立ち上がって、学食から出た。別にこの間の仕返しをしようというつもりはなかったが、あいつにはこれでいいんだろう、という思いはあった。
 その後、ケイとは会っていない。一度他の同級生から、「あいつ、どうなった?」と訊かれたことがあるが、何も知らなかった。どうやら大学はやめたらしい。それも、必修科目の教授の口ぶりから察しただけだった。
 大学を卒業してから私は故郷に帰り、なんとなく高校教師になって日を送っていた。そこへこの葉書だ。相変わらず一方的なやり方ではある。
 ケイよ、と私は心の中で呟いた。君は僕を選んでくれた。なぜだかは分からないが、それはけっこう嬉しい。他に僕を選んでくれる人なんて、ほとんどいないんだから。こういう気持を持ち合うだけじゃダメなのか? うーん、ダメなんだろうな。だからといって一足飛びに、人間の世界から飛び出して行こうとするなんて。
 それで、何か見つかったのかい? 心の中に? 宇宙に? 見つかったのかもな。しかし、それを他人に伝える手段がないんじゃあ、やっぱり無意味じゃないか。意味意味言うけど、人と共有できて初めて意味なんだぞ。
 それこそ、限界の中に閉じ込められた思考だってか。反論はできないさ。君には、できたら、ここへ、普通のちっぽけな人間の世界へ帰ってきてくれ、と願うばかりだ。
 長いこと立って考えていたので、体が冷えてしまった。くしゃみをして、我に返った。その途端に目から涙がこぼれ落ちた。濡れた頬を手で拭ったとき、ひとしずくが、星のように煌めきながら地面に落ちるのを見た。
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