由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

教育的に正しいお伽噺集 第五回

2016年11月18日 | 創作

Cinderella, 2015, directed by Kenneth Branagh

8 お城の舞踏会
が三十年ぶりに開かれるというので、国中の娘たちは大騒ぎになりました。そのうえ、今度のは、年頃になった王子様のお妃様探しも兼ねているのではないか、という噂でしたから、なおさらです。
 娘という娘が、服や装身具を整え、化粧を工夫して、自分はどれくらい美しく見えるだろうかと、半分不安に、もう半分はわくわくしながら待ちました。
 ペログリム家の姉妹も例外ではありませんでした。姉妹の父親は、たいして豊かではない商人だったのですが、娘たちにできるだけのことはしてやりたいと考えました。
「さすがはあんただね」と、妻も喜びました。「あたしが娘たちと、できるだけいい服を誂えるよ」
 父はもちろん、衣服などなどの準備はすべて、女たちに任せたのですが、金を支払う段になると、代金は覚悟していたのよりだいぶ高いので、驚き、またがっかりしました。しかし父は、平和な家庭の夫がたいていの場合そうするように、家族のうちの誰かを追及することは控えることにしました。
 その日は来ました。そしてその日は過ぎました。これは、舞踏会の次の日のお話です。
 普段着になった姉娘が、街で聞いた噂を夕食のときに家族に披露したのです。
「昨晩、誰か、靴を片方、忘れていったらしいわ」
「舞踏会でかい?」
と、母は、父にスープをよそってやりながら尋ねました。
「そうよ」
「舞踏会に出た、誰かのなのかい」
「女ものの靴だって言うんだから、そうなんでしょ」
「そいつは奇抜だな」
と、父親が、よそってもらったスープを啜りながら、言いました。
「忘れものったって、ハンカチや指輪ならわかる。靴なんて、普通忘れんだろ。だいたい、その娘さんはどうやって帰ったんだ? 片方だけ裸足でか?」
 娘たちは顔を見合わせました。いくら父でも、男のいるところで言うのは相応しくないように思える話題を口から出すべきか、腹の中にしまっておくべきか、迷ったからです。
 母は平気で言いました。
「新しい工夫だね」
「何が?」
と、マヌケな顔で聞いたのはやっぱり父でした。
「ハンカチとか、指輪ならお決まりだけど。つまり、ありふれてるってことだからね。なかなか、探してはもらえないよ」
「靴だったら、探してもらえるかしら?」
と、妹娘が真剣な顔で尋ねました。
「王子様がその娘を覚えていればね、探すだろうさ」
「探したら、見つかるかしら?」
と、姉娘はぼんやりした口調で尋ねました。
「そりゃ、見つけてもらうために置いといたんだからね、見つかるはずさ」
「王子様が覚えていたら、靴じゃなくても、他の忘れ物でも、見つけてくれるわよね」
「それで、あんたは何を忘れてきたの?」
と、姉が意地悪く尋ねました。
「何も忘れてなんかないわ。姉さん、後であのハンカチ、貸してくれない? 変わった刺繍がしてあったから、写しておきたいのよ」
「刺繍のあるハンカチ? あれね、鼻水をかんで、とろとろになっちゃったから、捨てちゃったわ。それよりあんた、ちょっと変わった指輪をしてたわよね? ちょっと見せてくれない?」
「変わった指輪? あれのことね。あれだったら、ゆうべ来てたどこかの娘が、『素敵な指輪ね』なんて、姉さんみたいな嫌味を言うもんだから、『そう? よかったらあげますわ』って、あげちゃったのよ」
「へえ? それで、それからどうなったの?」
「その娘があの指輪をどうしたかってこと? 知らないわよ。捨てちゃったかも」
「うまく、目につくようなところに捨ててくれたらいいんだけどね」
「お前たち」と母。「今は食事中なんだから、お喋りじゃなくて、食べるために口を使いな」
「それで母さん、お前は何を忘れて来たんだね?」
と、パンの最後の一切れを飲み込んだ父。
 娘たちはまた顔を見合わせました。女同士の話にいきなり男が割り込んできたので、ちょっと驚き、ちょっと嫌な気分にもなったのです。母のほうは、落ち着いたものでした。
「なんの話だい? あたしは舞踏会になんか行ってないよ」
「三十年前には、お前も娘だったろ? あのときも舞踏会があったじゃないか。行ったんだろ?」
「そんな昔のこと。行ったかどうかも覚えてないんだから……。お前たち、食べ終わったら片づけるよ。皿を洗っておくれ」
 姉と妹との第二戦は、台所が舞台でした。
「ねえ、靴を忘れてきたの、母さんだったりして」
と、皿を洗いながら妹が言いました。
「何言ってるの? 母さんが舞踏会へ来るわけないでしょ」
「だから、三十年前によ。その時に忘れたのよ。それが、今度発見されたってのは?」
「面白いわね」
と姉が、皿を拭きながらつまらなそうに言いました。
「三十年前の靴ってどんなのかしらね。今でもまだ可愛いかしら、それとも……」
「どっちみち、ボロボロでしょ。持ち主が見ても、わからなくなってるんじゃない?」
「残念でした。その靴はガラスでできてるのよ。だから、何年たっても、汚れさえ落とせば、ピカピカになるのです」
「あんた、今日はいつもよりしつこいのね。そんなに言うんだったら、あんたがガラスの靴を履いていって、忘れてくればよかったじゃない」
「ガラスの靴なんて、魔法使いがまだいた、三十年前にしかないわ。生憎、あたしは生まれてなかった。姉さんはいたかも知れないけどね」
「さて、お皿は片付いた。嫌味もおしまいにして、もう寝ましょう」
 三戦目は、当然寝室で。もっとも、妹は、横になってから、しんみりとこう言ったのです。
「ねえ姉さん、王子様って、どういう人だったか、覚えてる?」
「いいえ。いつも大勢の人に囲まれてたから、近くに行くこともできなかったもの」
「誰か、王子様に誘われて、踊った娘はいたっけ?」
 姉はちょっと黙っていましたが、やがて調子を変えて、別のことを言い出しました。
「ねえあんた、それより、覚えてる? あたしたちの下に、もう一人、妹がいたことを」
「え?」
「頭から灰をかぶったみたいに白っちゃけてて、煤けてて、あんたと違って無口で、全然目立たないから、みんな、つい忘れてしまうんだけど、いたのよ、もう一人、この家に、女の子が」
「女中じゃないの?」
「あんな小さな女中なんていないし、この家には女中を雇うお金はないでしょ。あれは、末の妹なのよ、あんたと私のね」
 妹はほんの少し上体を起こすと、寝室の中を見廻しました。もう一つベッドがないかどうか、確かめるために。
「今はいないようね」
「あんたもまだ小さくて、自分にしかわからない理由で泣いたり笑ったりしていた時分に、たぶん、どこかにもらわれて行ったのよ。あたしも、それに気づいたのはずっと後で、気づいたとたんにまた忘れちゃったんだけど」
「それで、なんで、今夜は思い出したわけ?」
「来てたのよ、ゆうべ、舞踏会に」
 さすがに妹は息を呑みました。
「話したの?」
「ちょっとね。すっかり変っちゃったから、最初はわからなかったけど。向こうから声をかけてきたの。『妹さんはどうしたんですか』って。あんたはどっかで、友だちとおしゃべりしてたわよね。それをあたしがちょっと見廻して探して、『今、ちょっと』って言おうとしたら、もういなかったわ。
 それで、考えたの。見たこともない娘なのに、どうしてあたしに妹がいることを知ってるんだろうって。それにね、誰かに似てるなって思えてね。しばらく考えたら、わかったわ」
「何が?」
「その娘、母さんに似てたのよ。あんたやあたしより、ずっと」
 二人の間の沈黙を破ったのは、やはり姉でした。
「たぶんこういうことだと思うわ。母さんは、父さんや私たちにも内緒で、その娘の身なりも整えてやって、舞踏会へ行かせたのよ。一つだけ頼みごとをしてね。それは、三十年前の舞踏会に母さんが置いてきた、靴のもう片方を持って行くこと。
『私はあなたに見つけてもらいたかったんですけど、ダメでした。せめて少しでも思い出してほしくて、あのときの片身を置いておきます』
という思いを込めて」
「誰への思いなの?」
「さあ? 昔の王子様、つまり今の王様かしらね」
「どんな靴だったの?」
「そりゃ、ガラスの靴でしょう」
 ここで姉は、とうとう笑い出しました。
「さあ、一所懸命お喋りしたおかげで、疲れて眠くなったわ。お休み」
 話はこれだけです。やがて、忘れていった靴のおかげで、王子様と結婚できた娘がいるという噂は流れましたが、それは本当だったのかどうか、昔のことなのでよくわかりません。
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