由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

子どもはどこにいるのか その6(最終回)

2013年10月02日 | 教育
メインテキスト:滝川一廣『学校へ行く意味・休む意味 不登校ってなんだろう?』(日本図書センター平成24年)

サブテキスト:広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』(講談社現代新書平成11年)

 日本の学校の現状に至る里程標として昭和49年(1974)は逸することができない年である。この年初めて、高校進学率が全国で90パーセントを超えた。昭和30年(1955)にはそれはほぼ50パーセントだったものが、昭和40年(1965)には70パーセントに達し、それから9年で9割に及んだわけで、このような上昇のスピードは世界でもあまり類がない(年度別の細かい数値については日本統計協会編『日本長期統計総覧 第5巻 新版』の「25-12 就学率及び進学率(昭和23年~平成17年)」参照)。
 この背景としては、戦後日本の産業別労働人口の推移がよく指摘される。「国勢調査eガイド」のグラフを見ると、昭和25年(1950)以来、第二次産業(製造業。イメージとしては工場労働者が代表格)従事者の就業人口に占める割合はほぼ20~35パーセントの間を推移しているが、第一次産業(生産業。農業漁業中心)と第三次産業(広い意味のサービス業。営業・販売職もここに入る)の割合の逆転は顕著である。昭和25年(1950)には第一次産業が48.6パーセント、第三次産業が29.7パーセントであったものが、35年(1960)には第一次32.7パーセント、第三次38.2パーセントと逆転している。その後もこの増減の傾向はずっと続き、平成18年(2006)には第一次4.9パーセントに対して第三次は68.3パーセントに達している。
 このような戦後日本のドラスチックな産業構造の変化の中で学校が果たした役割は見易い。学校の学習の中心、英数国理社に関する学力は、生産・製造業などで、モノを相手にする場合より、人と直接関わる仕事のほうに類縁性が高いと考えられている。
 前々回取り上げた「山びこ学校」でも、「息子を教育したんで、百姓がいやになり、その家はつぶれてしまった」という話が出てくる。これを逆に言うと、百姓、に象徴される生産業がいやだとすれば、高い教育をすべし、ということになり、進学率が押し上げられる、というわけだ。そうではなく、教育を受けても 百姓がいやにならないように生産形態のほうを変えるべきだ、という無着成恭たちの考えはまっとうであっても、現実に日本が歩んだのは、彼が教育を実践していた東北の寒村をますます荒廃させるような道だった。
 学校が全体として日本の産業社会を成立させるために果たした役割はひとまずおいて、こうして高等学校に至るまで学校によって囲い込まれるようになった子どもたちのことをここでは主に考える。
 高校進学率の上昇と、長欠率(学校の長期欠席者数の全生徒数に占める割合)の推移には相関関係があるのを指摘したのは滝川一廣の功績である(P.157)。文部省は、経済上あるいは健康上の問題など以外の、あまり理由が明確でないままに学校を年間50日以上休む児童生徒を「学校ぎらい」と名付けて、昭和41年~平成2年の間学校基本調査で統計をとっている(その後は年間30日以上が指標となり、また平成10年以降は「学校ぎらい」に代わって「不登校」と言われるようになった)。これをもとに国立教育政策研究所がまとめた資料によると長欠率は小中学校合わせて昭和41年度の0.11パーセントから年々減り続けて昭和47年度の0.07パーセントで底を打つ。その後52年度から上昇に転じ、平成10年度の0.89パーセントに到達して、不登校は大きな学校問題と考えられるようになったのである。
 つまり時期的に言うと、高校進学率が目に見えて上昇していた時期には長欠率は下がり、前者が90パーセント超に達してこれ以上は上がる余地があまりなくなった時期から、後者の増加が始まった。
 これはどういうことかと言うと、次のように考えられるだろう。第一次産業従事者の子どもが第二次・第三次合わせた勤め人になることを夢とした時代には、上に述べたような理由で学校へ行く目的は明快であり、そこへ通うことは恩恵であった。また実際、単なるサラリーマンなら多くの人間がなれたから、今に続く学校のスローガン「やればできる」もまんざら嘘ではなかった。
 で、サラリーマンが増えた、となると、それは誰にでも手の届くポジションだと見えるようになった。そういうものは、憧れの対象になどならない。高校進学率が90パーセントに達した昭和50年代には、TVドラマなどで、「将来はサラリーマンになりたい」などと子ども言えば、「夢がないなあ」などと言われるようになっていたのを記憶している人も多いだろう。
 さればとて、農林水産業に夢を持てるものでもない。もっと言えば、会社内の出世やら広い意味のキャリア・アップによって、自分の社会的な重要性が増すという内容の「夢」は、もともと第三次産業に固有のものではなかったか。そういう夢もまた、サラリーマンが社会で普通になるにつれて、誰もが実現できるものではないことも、よく知られるようになり、そうなればやがては子どもにも知られる。
 社会がこの段階に至ると、上の学校まで進学し、そこを卒業してサラリーマンになることは、なんら特別な恩恵だなどとは考えられなくなる。が、そうするしかない。第一次産業従事者がサラリーマンとなることは社会的なステップアップで、逆はステップダウン、このイメージは残っているから。あくまでイメージで、実態が踏まえられているわけではないのだが、イメージこそ現代社会では強力なのである。
 かくして学校は、「いやでも行かねばならぬ場所」になった。それはシェークスピアの時代から変わらないわけだが、現代では「行かねばならない」しばりがきつくなっただけ、「いや」の感情のほうも大きくなり得る。それで、行かなくなれば、現代の「普通」から転落することになる。そういう強固なイメージがある。この恐怖が、親から子どもへと伝わり、不登校は、時に家庭内暴力も伴う、病理現象として現出するようになった。
 もっと別の側面もある。九割以上の子どもが高校まで行くようになった時代には、学校がすべての子どもにとって特別ではなく、ごく普通の、生活の場になる。友だちを得るのも失うのも学校である。友人関係が良好でありさえすれば、学校へ行く意味はともかく、楽しさはあり、おかげさまで今でも九割以上の子どもが不登校にならず、通学している。しかし、一度うまくいかなくなってしまうと。強いストレスを受けながら、行かなきゃ困るよ、と親などに言われるから行っているだけの場所に何ヶ月も行き続け、居続ける強さを、皆が持てるわけではない。
 そのうえ、第三次産業中心の社会では、人間関係こそが決定的に重要だから、それに関する意識が鋭くなる。その意識・感覚は、主にTVを通じて、すぐに子どもの世界にまで浸透する。そうでなくても、大人社会の利害関係から離れた学校内での人間関係では、つきあい上の人物評価(どれほどイケてるかイケてないか、面白いか面白くないか、など)が露骨になり、勢い低く評価された場合には非常にキツイものになり得る。そのことは当ブログでかつて「学校のリアルに応じて その2」書いた。

 改めて、学校とはなんなのか。根本的な機能はざっと二つある。
(1)「子ども時代」を制度的に確定し、そのことを通じて「国民」を作る。
(2)大人たちのまねをする自然なまねび=学びではなかなか身につかない「学業」を与え、産業社会を支える。
 後の方についてもう少し詳しく述べよう。この場合、学校という場所で与えられる知識よりもっと重要なのは、体に染みこませる「訓規」のほうである。教育学者は時にこれをヒドゥン・カリキュラム(hidden curriculum、隠れた学業)と呼ぶ。毎日決められた時間に決められた場所へ行き、決められたことをやること。終わりまでの時間も「時間割」によって細分化され、そこに属するものは、それに従って、一斉に動かなければならない。自然の運行に従ってそれこそ自然に身につく仕事や生活のリズムとは別の、人工的な時間。それは工業・商業中心の産業社会を成り立たせるためには必須な前提でもある。
 この二つとも、現在学校を考えるうえでほとんど意識されることはないだろう。それは、国民国家も、産業社会も、あるのが当たり前で、その是非は取り立てて考えられることがないのと同じである。「子ども」とは近代の発明品だというフィリップ・アリエスの主張(『子どもの誕生』)は、様々に批判されていることは知っているが、次のように言えばより妥当になると思う。子どもは、近代になって、教育されるべき存在として改めて、一般的に発見された。
 だから、学校の現在の状況は近代の道筋として当然のものだと言える。また、ではその学校に問題があるとすれば、近代そのものが抱える問題なのであり、近代化に即したような方向では、決して解決も解消もされないだろう、とも。
 それは例えば次のようなところに現れている。明治以来、我が国の学校制度は急速に発達し、定着したのだが、国民一人一人に本当は何をもたらすかは常に疑いの目で見られていたことも本シリーズの「その2」に書いた。実際、上記の二つの機能とも、国民というよりは国家の必要に応じていることはすぐにわかる。にもかかわらず、子ども時代のすべてを学校が占有したような状況になって、学校はある桎梏を抱えるようになった。
 広田照幸は、高校進学率が急速に上昇した1960年代を「学校の黄金期」と呼び、それまでは主に都市部に見られた「教育する家族」が全国に広まり、これも普通になったと述べている。かつて「教育ママ」なる言葉で言われた主婦がいる家庭のことだと思ってよく、ここでは子どもには、学校で成功することが何よりも求められる。成功の証も明確で、偏差値で上位の高校・大学へと進学することである。
 こういう家庭は学校からすればありがたい存在だろうか? そのはずである。もともと、家の手伝いなどより学業を優先するように求めたのは学校ではないか。言わば、家庭は学校の補完物になるように要請していたのではないか。しかしながら、このような家庭は、しばしば、学校こそ家庭の補完物であることを当然のこととして求める。学校は、わが子の「成功」のために全力を上げるべきなのである。たとえ子どものほうがその「成功」の価値に疑問を持ったとしても。というか、そういうときには尚更、子どもを「よい方向」に導くべきではないのか。
 この思いが昂進した者たちが、現在モンスター・ペアレンツと呼ばれている。この対策には、他人事ではなく、私も苦慮することがあるが、もともとは学校の自業自得ではないかとも思える。すべての子どものすべてを囲い込むために、すべての親と子に満足を与えることができるような顔をしてしまったのだから。
 ではどうすればいいのか。簡単な対策などあろうはずはない。ただ、多少なりとも有望な道筋は、「教育」を強化するのではなく、逆に弱めるほうにあるのではないかと思う。今はそれぐらいしか言えないので、今後機会があるたびに考えをすすめていきたい。
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