由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

悲劇論ノート 第6回(三人目)

2016年02月16日 | 
Greek Theatre

 悲劇の起源は集団の、歌舞であつたとされる。集団はコロス(コーラスの語源)、歌舞はディテュランポスと呼ばれた。後者はアジア出身の神ディオニソス(ローマ名はバッカス)に由来する。農耕神だつたが、葡萄から酒が造られることが普通になるにつれて酒の神となり、やがて演劇の神ともなつた。この過程のどこかで、大神ゼウスの息子の一人ともされたのは、この神の存在感がギリシャで非常に大きくなつた証である。
 劇の成立については、ディオニソスが象徴する酩酊状態の陶酔・狂乱に、太陽神アポロンの理性が奇跡的に合体したもの、といふニーチェ「悲劇の誕生」の説明がある。それに対する内容面での違和感は、本シリーズ第二回で述べた。しかし、劇の形式面に限定すれば、やはり魅力的な見方である。理性は、パフォーマンスにどのやうな箍(たが)を嵌めたのか、考へてみよう。


 コロスは、ディオニソスに仕へる者、例へばこの神の眷属として知られるサチュロスに扮して、歌ひ踊つた。やがてその中心部で、一人の男が、語り始める。ローマ時代にはペルソナ(パーソナリティの語源)と呼ばれることになる仮面をつけて、神話や歴史上の人物を名乗ることもあった。これが俳優だが、ヒュポクリテスと呼ばれた。英語のhypocrite(偽善者)の語源である。最も早い段階の俳優(おそらく、兼劇作家)として名を残すテスピスは、「人前で嘘ばかり言つて恥づかしくないのか」と、ギリシャ七賢人の一人にしてアテネの立法者ソロンに詰られてゐる(「プルターク英雄伝」)。
 俳優とコロスの間で演じられた「劇」はどのやうなものであつたか。彼はコロスの代表ではない。後代の劇作品だと、その立場の者は「コロスの長」として、俳優に語りかけることもある。つまり、俳優はコロスから独立してゐる。ならば必ず対話(ディアレクティケ)が生じる。例へば、「お前は何で、何をしようとするか」といふやうな問ひかけと応へがあつたらう。ここから劇が、第一歩を踏み出したのである。
 やがてアイスキュロスが、俳優を二人登場させ、さらにソフォクレスが三人にした。それ以後、ギリシャ期には、一作品中の俳優の数が増えることはなかつた(ただし、無言の登場人物、兵などの現在のエキストラ、それに子役はノーカウント)さうだ。
 その真偽を私が確かめられるはずはない。ただ、このことを気にしながら、特に作品が残つてゐる最古の劇作家(兼俳優)アイスキュロスの戯曲を読むと、西洋演劇の「発展」の跡が目に浮かぶやうな気がする。

 アイスキュロスの作物で現在まで完全な形で残されてゐるのは、「オレステイア三部作」を三つと数へて七作。そこでは、いろいろな劇形式が試みられてゐる。
 「ペルシャ人」が一番古い形に近いのではなからうか。ここでの実質的な主役は、ペルシャの元老たちに扮したコロスである。題材は紀元前480年のサラミス海戦。ギリシャ悲劇の多くが神話を題材としてゐる中で、例外的に、歴史的な事実、それも、執筆時期から見てごく近い過去の出来事を描く。
 ペルシャが大軍を率ゐてギリシャを襲つたいはゆるペルシャ戦争の最中、元老たちは戦の行方を案じてゐる。そこへ登場するのは王妃アトッサ。夫のダレイオス王は既に亡く、まだ若い息子のクセルクスが跡を継いで遠征に出てゐる。彼女のキャラクター(いはゆる性格と、劇中での役割の両方を示すものとして、この語を使ふ)は、コロスと殆ど変らない。悪夢のために戦況に不安を感じながら、待つばかりだ。
 そこへ伝令が悲報をもたらす。これを第二の俳優が務めたと思しい。サラミス海戦でペルシャ海軍は完敗、そのために、エウロペの地(ヨーロッパ)に侵入した陸軍もまた、壊滅の危機に瀕してゐる(史実とは少し違ふのは看過)とのこと。
 悲嘆にくれたアトッサの語り乃至歌とコロスの歌舞が順に演じられた後、アトッサの祈りに応じて、先王ダレイオスの亡霊が現れる。これは先程伝令を務めた俳優が早変はりで演じたのだらう。彼は、この戦は若いクセルクスの思ひ上がりから生じたもので、もともと無理な企てであつた、もう二度とギリシャを相手に兵を挙げてはならぬ、と宣託をくだす。
 これを受けて、アトッサが退場し、コロスが再び嘆きの歌と踊りを披露した後、やうやう逃げ帰ることのできた当のクセルクスが登場し、最後の愁嘆場となる。これは、第一の俳優が、アトッサから変はつたものだらう。仮面のおかげで、一人二役から何役でも、女から男への変化でも、簡単にできる。衣装はどうしたか、コロスの演舞のおかげで、着替へる時間もある。ただし、敗軍の将らしき扮装までしたものかどうか、たぶんこの時代のギリシャには、そのやうなリアリズムは要求されてゐない。
 以上で、この劇の三人の登場人物が、いずれもヒーローとは呼べないことは明らかであらう。彼等は劇中、決定的な行動に踏み出すわけでもなく、オイディプスのやうに新たな認知(アナグノリシス)を得るわけでもない。ゆゑに、急展開(ペリペティア)もない。それら「劇的」なるものがすべて終はつた後に登場して、嘆いたり反省したりするばかりだ。
 さういふ劇は他にもある。日本の能楽など、たいがいそんなものだ。しかし、描写といふことができる映画ではなく、舞台で、歌も踊りもなかつたとしたら、けつかう退屈するのではないだらうか。西洋近代の、いはゆるストレート・プレイ(せりふ劇)と結びつくには、もう何段階かを経る必要があつた、といふことである。

 見逃せない要素は他にある。「伝令」あるいは「使者」の役割だ。固有名が与へられてゐないところからもわかるやうに、彼の性格などは全く問題にされない。重要なのは語りのはうである。もつとも、戦場から命からがら逃げ帰つた兵の一人といふポジションはあるが、それを除けば、まるで吟遊詩人のやうだ。「イリアス」におけるトロイ戦争さながら、海戦の模様を、具に、朗々と語る。
 思ふに、アイスキュロスが成し遂げたのは、叙事詩とディテュランポスとの合体ではなかつたらうか。吟遊詩人なら、戦や英雄の物語を直に聴衆に語り聞かせる。今、彼が語る相手は、別の人物に扮した者達だ。観客は、話を聞くと同時に、その話によつて、強い影響を受ける者達(を演じる者達)を見る。詩や歌舞から受ける感銘はそのままだつたとしても、以前と同じ立場にゐるわけはない。
 それはコロスと俳優との対話によつて既に始まつてゐたが、ここにはもつと大規模な、歌舞と叙事詩と俳優のそれぞれに明確な立場を与へることになる全体の枠がある。観客はその外側の、メタ(Meta。「間に」「後に」「超える」などの意味)と言はれるに相応しい位置にまで押し上げられたか、あるいは押し込められたのだ。
 もう一つ、「伝令」は、外部から、知らせをもたらす者だ。つまり、直接目に見へない「外部」があり、明確に意識される。観客が見るのは、それに対応した、「内部」である。ここにも枠が出来上がつてゐる。舞台が文字通りの枠である額縁(プロセニアム・アーチ)を備へるのはもつとずつと後のことになるが、象徴的な意味でなら、もうできてゐた。



 悲劇のヒーローたるに相応しい主人公は、「テーバイ攻めの七将」に登場する。オイディプスとイオカステの子の一人エテオクレス。彼とポリュネイケスとの、テーバイの王位をめぐる骨肉の争いの顛末は、第5回に記した。
 この劇はアルゴス軍によるテーバイ攻略戦を描く。全体が壁で囲まれたこの都市国家には、全部で七つの門があり、そこへアルゴスの七人の武将が、各々籤で持ち場を選び、押し寄せる。コロスは戦き怯えるテーバイの女達を演じる。エテオクレス(第一の俳優)は彼女たちを叱つたり宥めたりする。ところへ使者(第二の俳優)が、アルゴス軍の様子を伝へに来る。
 使者、実態は物見の兵士、の報告に応じてエテオクレスが適確(なのだらう)な命令を下してテーバイを守り、それを周りで聞いて一喜一憂する「輿論」をコロスが示す。この三者が緊密に結びついて劇は進むが、アクションは城塞都市の、壁の外側で起こつてをり、それは使者の言葉によつてのみ舞台にもたらされる。
 だからここでも彼の朗誦だか雄弁だかは決定的に重要である。それはどんな調子だつたか、講談のやうに、「さて四番目の門外に、大音声で呼ばはるは、魁偉なるヒッポメドン、大なる円形の盾を振り回せば威風辺りを払ふなり」といふ感じだつたか、どうかわからないが、何しろ高い調子で観客を引き込んだものだらう。それに対してエテオクレスが、冷静に、テーバイの将から適材を選んで防御に行かせる。
 かくして報告=戦況が進み、最後の、第七の門に来たのはポリュネイケスであることが告げられる。これを迎へ撃つのはエテオクレス自身しかない。
 と、彼が言うのを、女達(コロス)が止める。他に武将が残つてゐないわけではなし、王自らが戦闘に出る必要はない。何しろ、相手は血を分けた兄弟ではないか。オイディプスが彼らに下した呪ひは知つてゐる。しかしさうであればなほのこと、自ら怖ろしくも厭はしい運命に飛び込むなんて馬鹿げてゐる。
 エテオクレスは聞き入れない。禍(わざわひ)を蒙らねばならないなら、(臆病者の)恥辱は避けるべきだ、と。彼は、怒りつぽいといふ父祖伝来の気質に負けるのでも、他者(例へば、神)によつて敷かれた破滅への道を盲目的に辿るのでもない。自分の宿命だと感じたものは必ず全うせねばならぬと感じるほど、自分自身であることに固執する人物なのだ。ここにヒーローがゐる。

 「救ひを求める女達」にはヒーローは登場せず、主役はコロスである。五十人の娘(これがコロス)が従兄弟の五十人に求婚されるが、なぜかこの結婚を嫌つて他国に逃れ、その地の領主の庇護を求めるといふ、思ひ切つて荒唐無稽な筋立て。
 注目すべきなのは、ここにも「伝令」といふ役名の者が登場するが、彼は従兄弟たちの使ひで、力づくで娘たちを連れ去ろうとし、領主に追ひ払はれる。つまり、悪役である。前述の二作では使者・伝令の語りで伝へられた外部の悪意が、ここで当の伝令の、人間の姿で現れ、コロスと対立して、舞台に目に見える緊張をもたらす。「人間の劇」に向かふ、さらなる一歩の跡が、ここに見出される。

 「縛られたプロメテウス」では、のつけに四人登場する。もつとも、そのうちの一人は終始無言。主人公のプロメテウスも、最初は無言だから、吹き替へ役を使ひ、セリフのある二人のうち一人が、先代市川猿之助(現猿翁)ばりの早変はりでプロメテウスになり代はつて、一人取り残された後の長い独白を語る、といふこともできなくはない。が、そんなことをしても全く有害無益な演出だとしか、少なくとも今日の目からは見えないだらう。
 劇の主要部は、俳優二人でできるやうになつてゐる。
 プロメテウスは、天から火を盗んで人間に与へた神話で有名だが、この作品中の彼は、火のみならず数や文字、さらには薬まで、文明と呼ばれるものの一切を人間に教へ、ために人間を未開のままにしておきたかつた大神ゼウスの怒りを買つて、大岩に縛り付けられる。
 そこへ、彼に同情的かあるいは敵対する者(神)が順繰りにやつて来て、対話する。最後に伝令も来るが、ここではヘルメスといふ固有名と、ゼウスの意向を伝へて頑迷な主人公を諭す、明確なキャラクターが与へられてゐる。
 コロスはと言ふと、海の妖精たちで、プロメテウスの味方となり、最後に彼とともに奈落に落とされる。
 すべてをひつくるめて、俳優二人+コロスによつて構成される劇のお手本のやうなのだが、最初の、やや喜劇的な趣のプロロゴス(→プロローグ)だけさうなつてゐない。
 登場するのは主人公の他、彼を引つ立てて来るクラトスとビアー。前者は権力、後者は暴力の意味で、ゼウスの手先、といふより、大神の属性を擬人化したものだ。後者が終始無言なのは、暴力の比喩として適切なのかも知れない。それにしては、権力が少ししやべりすぎるやうな気がするのだが。
 それはさうと、最後にへバイトス(ローマ名はバルカン)が出てくる。これはゼウスの息子で火と鍛冶の神、つまりプロメテウスから火を盗まれた張本人なのだが、彼に同情的である。しかし父神の命令はもだし難く、しかたなく(実際に何度もさう口にする)、プロメテウスを鎖で縛り、その鎖を大岩に打ち付ける。
 このヘバイトスこそが三人目なのだ。敵対する二者の間にゐて、どつちつかずの曖昧な態度を取る。
 それは、劇の主要プロットである敵対関係を外から眺める「第三者」の視点であり、やがてこの関係が揺れ動き、変化することを予兆させる。どう変はるのかは、本作を第一とする三部作(ギリシャ悲劇はたいていさう構成されたものらしい)の残り二つが散逸したため、わからない。
 それでも、人間関係(いや、神間関係、だが)を複雑化させる要素が、人間(神、だが)の姿で現れたことには、重要な意味が窺へる。

 三部作構成の劇で、唯一完全な形で残つてゐる「オレステイア」になると、劇の結構が複雑になり、それにつれて俳優の役割が増す。
 もつとも、第一部「アガメムノン」は「ペルシャ人」とそつくりの雰囲気で始まる。物身の兵士の独白によるプロロゴスの後、コロスが演じるアルゴスの長老達が、戦地に赴いて十年になる王アガメムノンを案じる。トロイ攻めの初端、ギリシャ艦隊が、逆風のためアウリスの港から出て行けなかつた時、ギリシャ連合軍総大将であるアガメムノンが、娘のイピゲネイアを神への生贄にしたことも、彼らの歌の中に出て来る。
 やがて伝令が、ギリシャの勝利、アガメムノンも直ちに帰還する、との報告をもたらす。この作の伝令の役割はこれで終はり。コロスは喜んで王妃クリュタイメストラに告げるが、王妃のはうでは物見の兵からの知らせで、既にこれを知つてゐた。彼女は、この劇の初めから終はりまでを見通してゐるただ一人の人物なので、この設定が相応しい。
 さて、アガメムノンの凱旋。ここまでで、この劇は半分近くの時間を費やす。のみならず、カッサンドルの神懸りをちょうど中間にして、外部からの働きかけ、それに対する集団(コロス+俳優)の反応、で進行する劇が、名前を持った人物たち相互の関係性に基づくものへと変はる分水嶺が、認められるやうである。
 後者の中でも、クリュタイメストラの二重性を帯びた言動は際立つてゐる。彼女は最初優しい言葉で夫を労ひながら、後で殺害する。即ち、単なる悪役ではなく、裏切者といふ、人間関係を根底的に揺さぶり複雑化させる人物なのである。イエス・キリストの物語(福音書)が、神とローマ帝国との軋轢の他に、ユダといふ裏切者の存在によつて、印象深くなつてゐることが思ひ出される。
 一番顕著な例としては、夫がいやがるのに、譲らず、玉座への道に高価な布を敷きつめて、その上を歩かせる。大戦争の勝利者にはこれが相応しいのだ、と。これはそのままアガメムノンの死への通路を彩る、禍々しい演出となる。
 この後、戦利品として、女奴隷にされたトロイの王女カッサンドルの場となる。クリュタイメストラはアガメムノンと彼女の両方と言葉を交す(もっとも、カッサンドルのときは、彼女が頑に沈黙してゐるので、一方的な語りかけ)のだから、俳優が二人だとしたら、アガメムノンを演じた者がカッサンドルに早変はりすることになる。後で二人の死体が並ぶことを度外視しても(それは、他の、無言の役者でもすむ)、「縛られたプロメテウス」の時と同様、そのやうな演出に好ましい効果があるとは思へない。
【三部作最後の「慈しみの女神たち」では、アテナ、アポロン、オレステスの三名が同時に舞台に出て話す必要があるので、アイスキュロスも後期は、俳優を三人にしたとみなすべきなのだらう。】
 カッサンドルは、アポロンに愛され、真正の予言の能力を与へられたが、後に同じ神の憎しみを買つて、その予言は誰にも信じられなくなつた。予言のアイロニーを体現してゐるので、ギリシャ神話中でも有名な人物の一人である。
 この劇中で彼女は、クリュタイメストラが去つて、コロスの中に残されると、それまで無言で凝然としてゐたものが、狂乱の態になり、アルゴス王宮に澱む血腥さを訴へ、次いで自らの死を予兆する。ここには俳優がただ一人だつたときの名残があるかも知れない。しかしすぐ後に、自身とアガメムノンとの実際の死が来るので、これ全体が、敷き詰められた布と同様、殺人の衝撃を強調するエピソードとして、劇全体の中に組み込まれる。
 殺害者クリュタイメストラはと言ふと、自分がやつたことを少しも隠さうとしない。長老たち(コロス)は彼女を非難するが、それをものともせず、これは殺された娘イピゲネイアの仇討だから、正当だ、と主張する。アガメムノンがギリシャの盟主としての義務を果たさうとしてしたことが、彼女には単なる殺人でしかない。
 もっとも、それだけで彼女が夫を殺したのかどうか、疑問の余地はある。アガメムノンの従兄弟アイギストス(彼は彼でアガメムノンを恨む理由があることは、煩雑なので省略)と通じてゐて、彼を次の王にするのだから。真の動機は、愛憎の縺れと権力の奪取だつたのかも。いづれにもせよ、立場を替へれば、人間の行為は様々に評価され得る、といふ世の常が、非常に端的に現れてゐる。
 第二部「供養する女たち」で、彼らの前に、オレステスが現れ、父が殺されたことの報復を成し遂げる。ところがそれは、母殺しの大罪を犯すことであつた。その顛末は第3回で述べた。彼は母親に比べると単純な人物だが、置かれた状況が既にアポリアになつてゐて、彼を縛り、決断とさらにその結果、さらにその決着、へと導く。彼の場合、それが即ち、「オレステスとは何か」に全力で応えることなのである。
 このやうにして、劇の発動する場が、外部の声に対する応答から、複数(最低三人)の人物の関係内部へと移された。これが必然の道程かどうかはわからない。しかし、西洋演劇が現に辿つた道ではある。
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過去・未来・現在 W.H.氏との対話

2016年02月03日 | 倫理
 先日、知人のW.H.さんから長文のコメントをいただきました。それは、ブログ記事の範囲を超えて、座談のときの発言を交えて、私の考えに対する疑念を表明したものでした。これにちゃんと答えようとすると、やはり長文にならざるを得ません。そこで、コメント欄の応酬ではなく、記事として出したいと考えました。これが「対話」として継続するかどうかは今のところ全く不明です。今回だけでも人をうんざりさせるのには充分な分量ですので、読んでくださる人にはあらかじめお礼を申し上げます。


【W.H.氏から由紀草一へ】
 少し余裕ができたので書きたいと思います。
 由紀さんの2015-07-24 00:04:50のコメントは以下のようでした。

 「勇気過剰たる」日本軍を愛するのです。またかなしく思うのです」は、W.H.さんらしい純粋さに溢れたところで、好感が持てます。しかし、ずっとひねこびた私は、これはジェンダー・ハラスメントというよりは、タテマエであったろうと考えます。「武士は喰わねど」なんとやら式の。まあ、戦後、このような、タテマエを保つための「痩せ我慢」は、おっしゃる通り、嘲笑の的になり、これまたおっしゃる通り、それがいいとばかりは思いません。それでも、ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?
 やっぱり、これまでのやりとりの繰り返しになってしまいますな。ただ、沈思黙考より、言葉が外部へ出る分、いくらかでも前進しているような気がします。


 私は「これまでのやりとりの繰り返し」に関心があります。また反復が好みです。そこで「ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?」というところから始めましょう。私は概してノスタルジーを建設的でないなどとは考えないのです。少なくとも郷愁を捨てなければならない必要を感じません。それは、過去の積み重ねのうちにしか私はないし、未来もその中でしか考えられないという単純な事実を念頭においてです。また、鑑とする過去は、必ず感情的なものとして現れ出るということに依拠してです。私だけでなく、多くの人が過去との感情的なつながりの中で日本と日本の先行きを見ているのだろうと思います。むろん、過去を忌避する概して不幸な、どちらかといえば少数の人がいるだろうことは推測できるし、のっぴきならない現実の要請によって、既往を断ち切ってしまわなければならないケースがあるのもわかります。しかし、そうは言っても大切なものは予測を越えることが多々ある未来だけではない。羅針盤の針にその方位を与える磁極は過去であると私は思っています。むろん、だからこそ由紀さんも歴史を語っているのだと思います。それに対し、未来志向という態度は、その志向することには間違いはないものの、なにか曖昧なところがある。将来の姿を、高の知れた人の知能が、己れの予想できる範囲内で空想する、極めて安易なものが多いのではないかと考えています。たとえば、「自由」であるとか「平等」といった抽象的な言葉から連想する漠然とした夢、または、幼年時に見た物語・映像などを基にした貧しいイメージが主役になっているのではないか、と疑うのです。どうしたって未来というものは、畢竟過去の鏡でしかないからです。そして悪いことには、その安易なイメージから生まれた理想は、往々危険きわまりないものともなりうる。さて、私は、ドイツ語のオリエンティーレン(方向づける)という言葉が、多くの場合「~を手掛かりにして」という前置詞句とともに用いることをふと思い出したのですが、未来への「方向づけ」は、それが物語であろうと何であろうと既往へのエロス「を手掛かりとして」生じる。だからある程度、その「手掛かり」はリアリティのある確実なものでなければならない、と考えます。その点で「昔はよかった」はたいへん貴重な言葉ではないでしょうか。ですからその既往の物語をどう作るか、どう織り上げるかが重要になるわけです。その物語には、「昔、これこれの恥かしいことをした」「触れることもおぞましく感じられる」苦々しいストーリーも含まれるでしょう。どう粉飾しようとしきれないものも銘記されなければならない。それらが隠蔽され、忘却されがちだということは重要な事実です。しかし、それと同様に、過去の美しい「物語」も重要である。歴史が客観的であると同時に主観的であるべきことは前にも述べたことがあるように思います。

 このことに関連して、何年前か、由紀さんとご一緒した人間学アカデミーでのやりとりを思い起こします。たしか少年法の問題を扱っていたパネルディスカッションであったと記憶します。そのとき、由紀さんもこの件に関して発言されたと記憶しますが、多くのパネラーが「昔はよかった」に否定的な見解をとっていました。滝川一廣氏の発言のメモが手元にあります。滝川氏は、<「昔は良かった」という見方が普遍的・伝統的であり、進歩史観の方が少数であろうか。「昔は良かった」は「若いころは良かった」から来ていると思われる。安倍政権は安易に「昔は良かった」と言う。>などとコメントされていたようです。

 また、小浜さんは『大人問題』で以下のように書かれています。
 
 たしかに昔は、そういうよい意味での濃密さや「ぬくもり」に満ちあふれていたような気がしてくるのだ。だがもちろん昔がそんなによいことばかりであったはずはなく、私たちの多くがその特有のきつさから逃れたいと思ったからこそ、現在のような社会を作り上げてきたのだということを忘れてはならない。

 確かに滝川氏が言うように、「昔は良かった」には「若いころは良かった」が色濃く投影されているのだろうと思います。また小浜さんが書かれているように、過去には現在以上の「特有のきつさ」があったでしょう。とは言うものの、過去に、必ずしも客観的な「良かった」がないこともないであろうし、現在にも鋭く強い「固有のきつさ」があるはずです。大切なことは、何よりも共有される、そういった「良かった」という思いが世代の慣習、価値観を作り上げているのだという事実ではないでしょうか。現代のような極まりなく進展するロボット時代にあっても、方向づけ(オリエンティールング)の「手がかり」は過去にあり、それ以外に求めるときは注意が必要だと思うのです。そして、その注意とは殊に「進歩」に類した観念に対するものであると言えるでしょう。

 たとえば、私が、四十代になって小学校の臨時任用教員になったとき、はじめに聞かされた言葉は「昔の学校と同じと思ったらいけない」ということでした。その意味するところはよく分かりましたが、私が数カ年にわたり、小学校で教員を務めながら指針としたことは、結局「昔の自分の学校生活を幸福にしたもの、それを児童に与えられたら」ということであり、それ以外にはあり得ませんでした。流行変化するものに適応していくことは必要なことでしょう。安全への配慮の徹底、各家庭の意向の尊重、より平等な児童の扱い、公務員の立場の変化、等々の時代の要求を無視することは決してできない。しかし、そうだからと言って、その中に実現すべき理想が内包されていると考えるべきではないでしょう。時代の希求しているものは玉石混交であり、個々の欲望の交錯であり、その総合的な判断は簡単でないと思われます。最終的な核は私固有の思いでしかありえない。そして、その固有の思いと言っても、世代が共有する「よかった」から大きく逸脱することがなければいいのではないでしょうか。われわれは「変化」というものにおもねる必要はないと思います。変わっていく方向が何か「良い」ものであるとは限らないからです。世代間でぶつかることは忌避するべきものではなく、必然であり,また必要なことではないかと思うのです。おしまいに判断するのは次世代であってもです。

 また、ある種の言い訳の範型、すなわち「こう言ったからといって、昔を懐かしんでいるわけではけっしてない」といった決まり文句、これはいったい何に対する弁明なのだろうか、と考えます。回顧・郷愁に浸って済みません、と悪いことでもしたかのように語る。それは、さながら現代の一つの強迫観念であるようです。この世には、とにかく進むしかない領域があるのも確かです。生き馬の目を抜くような世界がある。それは科学技術にかかわる事柄、また商売に関する事柄などがそうでしょう。時代の先を見越すことがたいせつな意味をもっている。しかし、あらゆる領域がそうであるわけではありません。家族のありかた、地域のありかた、男女のありかた、個人が生きるにあっての規範、そうした文化的な価値には世代独自のものがある。

 昔、ある討論番組で、右翼の代表が「理想とする時代はいつですか」と聞かれ、即座に、確か明治四十年代を挙げたのを思い出します。その躊躇することのない断言に印象を深くしたのでした。むろん、このような理想の提示が、極めて恣意的なもの、個人的な物語に依拠するものであることは分かります。しかし、何かしらの態度・立場(オリエンティールング)はこうしたものから決まるのだと思います。繰返しになりますが、それに対し、未来が大切だというような人の多くは、もっと漠然と美しい世界の物語を考えているのでしょう。しかし、それを現実にすれば案外グロテスクな化け物ともなるだろうと私は予測するものです。右翼のいうような「昔はよかった」の方が案外、単純であり、現実的で安心であり、それに対し、由紀さんから感じ取られる「進むに任すしかない」といったような、理解を示すような言い方にかえって危惧を感ずるのものです。由紀さんは、どうなのでしょう。いわば「変化の今を生きる」といったような言い方をされるのでしょうか。また、過去は反省の材料に過ぎないと考えるのでしょうか。時代の流れに棹さしていくのと、私のように無駄な抵抗をするのとでは、ずいぶん異なる在り方であるように思われます。 

 戦後の思索が進歩主義との対決だったこともあり、進歩に関して何かしらの譲歩を余儀なくされた世代があったことは想像できます。何か未来に確たる目標があって、そこに行きつくことが我々の生きる意義であるかのような言説が盛況だった時代、高度成長、また科学・産業技術の急進展のなかで、循環型の時間などとても考えることができなくなった世代には、進歩という観念への譲歩が不可欠だったろうと推測します。いや、今でも目くるめくITによる世界の進展というジェットコースターに乗っているようです。しかし、繰返しますが、既往の認識の中にしか今の私たちがいないのもまた明らかなことです。いや、既往の中にこそ我々は我々の普遍を見出すように心がけるべきではないでしょうか。日本の過去の歴史の中にこそ日本の未来を限定するものを見ていくべきだと言いたいわけです。夢があるとしたらその中にあるとするのがより確実なものの見方ではないか。むろん、先ほども言いましたように、不確実性という大きな前提のうちにあってです。

 世の中は時々刻々と移っている。それは確かなことです。ただ、よい方向へなのか、それとも悪い方向へなのか、それが分からない。人がよい方向へ行こうと思う心の向日性は認めたいと思うけれど、それが教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)よろしく線状に進展していくのかどうかは分からない。万事塞翁が馬と言ったら言い過ぎかもしれませんが、より高い視点に立った時、発展してきたのだと簡単に言うのは危険であると考えます。「歴史の狡知」というヘーゲルの言葉が語るように、どこへ行くかは我々には見えにくい。「特有のきつさから逃れたい」と思った、その思いがまた別な「きつさ」を産んでいるかも知れない。それにまた、個々の人びとの切実な状況、思いからだけ歴史は進んでいるわけでもありません。つまり、常に近代主義的なイデオロギーが抽象的なかたちで時代を牽引し、後押ししてきたことに目を向けなければならない。しかして、そのイデオローギッシュなものに抗する方途は決して「昔はよかった」批判ではないように思うのです。

 ここで「旧日本軍の過剰なる勇敢を愛する、かなしく思う」ということが、単なるノスタルジーとして排斥さるべきものなのかと問うてみたくもなります。もう二度とやってこない甘い幻影、あるいは悪夢を追っているのかのように、由紀さんの言葉は私の耳に響きました。勇敢や名誉などといった徳は、今後、郷土資料館へでも行かなければお目にかかれなくなるということでしょうか。でも、そうは言っても、それは現に生きている父や伯父の世代の出来事でもあります。我々の父や伯父がいまだに繰り返して語る直近の出来事でもあります。とすれば、やはりわれわれの「現実」ではないのでしょうか。戦争の残虐、悲惨、不合理の側面ばかりに目を向ければ、現実を直視していることになって、その勇敢、名誉を語れば、戦争オタクのファンタジーとなるのではおかしなことです。この項で由紀さんは「かれらとどのような道でならつながれるのか、迷うばかりである。」と書かれています。私は「勇気過剰たる日本軍」への愛惜・悲しみにつながっていきたいと思います。歴史は理性的にだけ見るものではない。以上が、「ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?」という提案に接して思ったことです。

 さて、本題に入りましょう。といっても一言に過ぎませんが。私と由紀さんとの間にあるという相異、「やっぱり、これまでのやりとりの繰り返しになってしまいますな。」といったこれまでのやりとりの内実が、きっと「ノスタルジー自体は決して建設的ではない」という由紀さんの言葉の背景にあると見当をつけて書いています。そして、それは最終的に、「近代化の流れは不可逆だ」という由紀さんによって繰り返されたテーゼに関係するのだろうと推測します。私は、何度か、その言葉に対して異論を唱えた覚えがあります。またそれは以前、竹田青嗣氏、西研氏の口から繰り返されたテーゼでした。また小浜さんも「近代個人主義の不可逆性」ということを言われていますし、また他の識者が語っているのも耳にします。惟うに、このテーゼはフランシス・フクヤマの名著『歴史の終わり』(1992年)の影響下に始まった言い方であるのではないか、そんな風に漠然と考えています。西研氏はもちろんフクヤマが依拠しているヘーゲルの研究家ですから、もともとそういった見方には慣れ親しんでいたのかも知れません。しかし、リベラル・デモクラシーを最終的なものとして語ることが出来たのは、ベルリンの壁崩壊以前ではないでしょうから、同書を契機として澎湃と起こった新たな進歩史観の亜種ではないかと考えています。むろん、進歩をもって世の中を見ていく考え方は、近代とともに始まり、きわめて一般的に流布していることは勿論のことです。そして、もちろん、トクヴィルが『アメリカの民主主義』で語っていたものと同様、フクシマの議論自体が、いわゆる近代主義的な進歩史観とは根幹のところで異なっていることは認めた上でですが。

 その上で私は、そう簡単に歴史の方向性というものを語っていいものだろうか、という昔ながらの懐疑を反復したいと思うのです。リベラル・デモクラシーというものはもう間違いのないものだとする見方、不可逆であるとする通念、それは、私には高々現代の数十年、もしくは近代の数百年の歴史しかもっていない流行思想のように思われるのです。近代というものが、多くの幸運な条件に支えられて現われているものと捉えることは出来ないのでしょうか。科学技術の比較的順調な発展、人口の増大を十分支えるだけの農産物を支える気候、まだ世界大へと進展しきっていない自由・平等と言った理念への素朴な信頼、いくつかの条件に支えられて生ずる歴史の動きととることは出来ないのか。むろんを未来予測することの重要性は言うまでもないことですが、それが知らず知らず新たなイデオロギーを招来していないだろうかということです。

 フランシス・フクヤマ(もしくはコジェーブ=ヘーゲル)は自然科学の発展の不可逆性から、また人間のもつ認知願望から社会、歴史の流れは定まっているとします。またヘーゲル以前より、多くの識者が進歩を語っているわけですが、それをほぼ確定した議論としていいのか。科学・技術の発展と社会の発展との相関性は明らかであるとしても、どうしてそれがリベラルな民主主義しか結論しないのか。フクヤマには大いなる敬意を表するものの、彼の議論だけから納得することはできません。近時の傑作映画として、私は『マッド・マックス デスロード』を挙げたいと思うのですが、あのような娯楽映画の世界がそのまま現実となる確率は低いとしても、不可能ではないとしか言えないのではないでしょうか。未来は全く見当がつかない。その可能性の広がりに対する「感性」が世界的に弱まっているのではないか、と思うのです。無論、由紀さんのみならず多くの著名な識者がそう言っているのですから、私の意見など一笑に付されるべきものかもしれません。しかし、我々の未来はどうなるのでしょうか。近代社会は最後のおしまいに行きついて、一種の熱平衡のような状態が生まれるのか。もしくは新たなビッグ・バンが生じるのか。先はなにも分からない。ヘーゲルは神を人間の造り出したものと考えましたが、そのヘーゲルもなお神の掌中で遊んでいた可能性は残っています。未来の展望、ことに近未来の予測は非常に重要なことであるけれど、「近代化は不可逆だ」と簡単に語る時、その言葉にからめとられるものがあるような気がします。

 「近代化の流れは不可逆だ」と由紀さんが語るとき、そこに「上昇」という意味での進歩の意識は含まれていないのかも知れません。ただそこに、由紀さんと私との間に何かしらの懸隔をもたらしているものがあるのかも知れないと思って書いているのです。私は、この言葉からは「近代主義」のなし崩し的な肯定以外の何ものも生まれないのではないかと考えています。いわば近代化という大きな流れに掉さすだけの言葉であると思われるのです。福田恒存につながる由紀さんの批評の主旨が近代化の肯定にあるとは思いませんが、「近代化の流れは不可逆だ」と断定して語る時、私は、いったいどういった近代批判がそこから可能になるのか見当がつかなくなってしまうのです。私は保守思想というものを、彼方に設定された目的地へ急ごうとする、その流れを抑制する思想であると考えています。時代の流れに対してブレーキをかける役割をもつものです。「近代化の流れは不可逆だ」と言い切ってしまえば、それはもうアクセルを踏んでいるのと五十歩百歩であるのではないのか。抽象的な議論と思われるかもしれませんが、私にとっては切実な疑問なのです。以上が短いながら本題です。参照すべき由紀さんの文献その他がありましたら、それを指示してください。

 由良のとを渡る舟びとかぢを絶え
 行き着くところまで行くがよいと言うのでしょうか。


【由紀草一からW.H.氏へ】
 お元気そうで何よりです。
 御文を拝読して、「私の言説はこのようにも受け取られる可能性があったのだな」と反省されました。そのことをわざわざお知らせいただいたことには感謝申し上げます。
 その上で、誤解、があるとすればできるだけ解いておきたい、愚考をちゃんと理解していただいてから、また御批判を仰ぎたい、という願いを込めてこの文を綴ります。

 一番大きなところで。お互い、つい躓き勝ちなのは、言葉の意味、というよりはある言葉に対してもっているイメージの違いです。「よい/悪い」みたいな短いものこそ、いろいろなレベルで使われますから、どうしても混乱しがちになるのですね。いや、言葉そのものより、私の理解力・表現力の貧しさのほうが明らかに大きな問題ではあるでしょうが。何しろ、気をつけていきたいものです。

Ⅰ 過去を見ることと、生きること
 さて、そこで、さっそくながら、「ノスタルジー」について。それそのものは建設的ではない、ということに賛成していただけなかったので、説明を試みます。
 なぜ建設的ではないと考えるかと言うと、ざっと次の二つの理由からです。
 ①個人的な感情である。
 ②「昔あって、今はない」という喪失感が土台にある。
 例えば、故郷は今も現にあっても、そこで過ごした日々は還らない。その痛切な思いがノスタルジーと呼ばれるのでしょう? その思いは、ともに過ごした人々とも共有できるとは限らない、その意味で個人的なものです。私は「個人的なもの」を一番大切にしたいと思う者ですが、それを他人に、完全に「わかれ」というのは無茶だ。そんなことができるくらいなら、「個人的」ではない。
 ですから、「こう言ったからといって、昔を懐かしんでいるわけではけっしてない」という言い方は、「私事ではありません」とほぼ同じ、と考えていいのだと思います。「昔はよかったという思いは私にはあっても、あなたもそう思えというわけではないんですよ」と。もっとも、「『旧日本軍の過剰なる勇敢を愛する、かなしく思う』ということが、単なるノスタルジーとして排斥さるべきものなのか」という御文からすると、W.H.さんも本当はここのところはわかっていらっしゃるのだな、とわかります。
 より問題なのは②のほうです。
「(郷愁を捨てなければならない必要を感じないのは)過去の積み重ねのうちにしか私はないし、未来もその中でしか考えられないという単純な事実を念頭においてです。また、鑑とする過去は、必ず感情的なものとして現れ出るということに依拠してです
 これには全く賛成です。過去はいかにも、「鑑」であり、規範です。「よい/悪い」の価値判断はもとより、快/不快や、美醜の感覚さえ、その基盤は過去にある、と言ってよい。それは、おっしゃるように、単なる事実であって、「保守的」というほどのものではない。誰でも、どんなに「進歩的」な人でも、ゼロからすべてを始めるなんて、不可能ですから。
 私事、ではなく私の信念、を例にするのを許していただけますなら、先ほどの続きなんですが、個人的なことをできるだけ掘り下げて、そこに一定のフォルムを与えて、他人とも共有可能にしたものがつまり文学だ、と私は思っております。そしてそれこそ我が本領だ、と勝手に信じ込んでいるわけです。
 そうであればなおさら、個人的なことをダラダラ垂れ流して、他人にそれを「わかれ」というのは、あられもなく、恥ずかしい、と感じます。この感覚もまた、私の、読書体験を含めた最広義の過去から来ている、と言うしかありません。
 で、こういうのをノスタルジーとは普通言わんでしょう(という言葉のイメージも、もちろん過去に、過去から得たものです)? 「昔あって、今はない」のでは無意味だ。今現在、私の中にあるもの、でなければ、この私一人を動かす力もない。あるなら、殊更に「過去を振り返る」要もない。ただ、去就に迷う時、改めて過去を思い返し、そこから現在やるべきことを定めようとすることはあり、そのとき過去は確かに、「鑑」になるでしょう。しかしそのためにも、過去は現在の私の中に生きていることが前提となる。そうではありませんか?
 もう一つ、現在は過去の帰結としてあるわけですよね。それはあるいは、可能性の一つがたまたま実現しただけかも知れない。だとしても我々は、現在を、悪しきところもくだらないところも含めて、すべてを、「過去から来た」「自分のもの」と思わなければならない。そうでなければ、過去に向き合っているとも、継承しているのだとも、言えなくなるでしょう。

Ⅱ 未来を見ることと、生きること
 そこで「本題」なんですが。申し訳ないが、私にはあんまり関係ないことが言われているように思います。「歴史の方向」? そんなの、考えたことはないです。まあ、世の中、だんだん便利になっていくし、それを、それ自体を、害悪視したりするのは馬鹿げているんじゃないか、とは思いますが、つまりその程度です。人間性の本質部分は、進歩なんかしない、するわけがない。
 せっかくですから、では私の考えるその「本質部分」とは何なのか、申し述べましょう。私は、無知蒙昧なだけに、W.H.さんよりこの点では過激になれるのかも知れません。進歩だけではない、未来そのものが、完全には予測できない、と言うより、「未だ来たらざるもの」であれば、存在しない、と考えたほうがいいと思っています。ちょっとカッコ良すぎるかな。
 「未来予測」といいますか、「あるべき未来」を考えて、そこから現在のやるべきことを割り出そうとすれば、そもそもその「あるべき」という価値判断の基準は過去から来ているのはおっしゃる通りとして、それ以外にも問題があります。こう考えると、本当の価値は未来にのみあって、現在はそれを達成するための手段にしか過ぎないことになってしまう。これは三島由紀夫が「反革命宣言」で言ったことですが、論理的に正しいと思います。そして、手段としての意味しかない現在に、人間が満足できるわけはない、とも。
 とは言え、凡庸な私は、三島ほどには過激にはなれないのはもちろん、文字通り将来のことを全然考えないで生きていけるわけはないのも本当です。現に今も、W.H.さんにも、他の人にも、読んでもらうという「将来」のために、営々として文章を綴っている。だが、こういうのも一つの見方に過ぎないのではないか、とも思うのです。
 足を互い違いに前へ出せば、体全体が前へ進む、その予測の下に、我々は歩く、のですか? これは正しいかも知れない。しかし、人間がやることのうわっ面だけを「正しく」記述して見せただけなのではないでしょうか。「自然科学の発展の不可逆性から、また人間のもつ認知願望から社会、歴史の流れは定まっている」なんてのも、結局同じレベルの正しさでしかない、と不遜にも私は考えるのです。
 そう言えば、小林秀雄が、「(モオツアルトは)目的地を決めてから歩いたのではなく、歩き方が目的地を定めた」んだと(ちょっと違うかも知れませんけど)、言っていたように思います。これもまた、カッコ良すぎるかも、ですが、人間は、できれば、こうありたいもんじゃないですかねえ。
 つまり、現在の要請がある、要請そのものは、「あるべき未来」から割り出されたかも知れないが、ともかく現在目の前にあるそれに応じて、今の私なら目の前にあるパソコンに向かう、そのことが、頭の中で考えた「あるべき」からは必ず多少はズレるにしても、ともかく未来を生み出す、と。こう考えたほうが、やりがいが、つまりは生き甲斐が、持ちやすいでしょう?

Ⅲ 今、生きること
 まとめますと、可能性でしかない未来に期待をかけたり不安がったりするのも、過去を「失われたもの」として哀惜するのも、人間の性(さが)として、排斥することなどできませんが、そこから一歩踏み出すにはどうしたらいいか、それこそがいわゆる「主体」の問題であり、真の重大事だ、と私は考えるのです。そしてその中には、自分ではどうしようもないことは潔く断念する、ということも含まれます。
 「近代化の流れは不可逆だ」というのも、断念の一部です。私はそれを強調したつもりはないですし、テーゼ? なんて一番柄に合わない言葉だなあ、と自分で思っています。しかしまあ、W.H.さんにはそう聞こえるように言ったのはまちがいないでしょうから、もう少し、ことを分けて、言ってみましょう。
 進歩する、というのはつまり、「今まで進歩してきたという過去の事実から判断して、これからも進歩するだろうと予想される」のは、科学技術の分野だけでしょう。そして、文明国にいる以上誰もがその恩恵には浴している。これを否定したり、否定しなければならない、などとするのは馬鹿げている、のみならず、知的退廃、乃至欺瞞に陥るのではないでしょうか。
 個人的に、たぶん、ワープロの発明がなければ、私は文筆家の端くれにもなっておらず、W.H.さんと知り合いになっていなかったでしょう。ワープロ以前から、紙には何やかや書いてはおりましたが、御存じの通りの悪筆で、自分でも後で読み返す気になれず、まして他人に読んでくれ、とは頼めた義理ではない、と思えたからです。というわけで、この私も紛れもなく、文明の進歩、その結果としての新しいものの発明、のおかげを蒙っているのです。それで近代文明を呪詛するとしたら、私はずいぶん能天気か、インチキな人間だ、ということになりましょう。
 つまり、世の中は便利になる。これは、とりあえず、よいことなのです。少なくとも、それを「よい」と思うことをやめさせるなんて、誰にもできないのです。盥と洗濯板で洗っていたところに洗濯機ができたら、家事労働は確実に便利で楽になる。そしてそれに慣れてしまえば、(金がなくて洗濯機が買えないというような)はっきりした理由もなく文明の利器を使うな、などと要求しても無理だし、無意味だ、と申しているのです。これには同意していただけますか?
 「マッド・マックス」のような世界が来る可能性? 文明が瓦解した世界、ということですか? そりゃ、来るかもしれませんね。こういういわゆるディストピアものは、衰退するどころか、近年のフィクションで確固たる一大ジャンルになっているでしょう。私も時にそれを楽しみつつ、こういうのは、あられもないノスタルジー同様、やや不健康だなあ、とも感じます。死を弄ぶのと同じ、一種の、それ自体近代的な、デカダンスなんじゃないか、と。
 個人的な話なら、もっとずっと現実的に、例えば私も、明日にでも交通事故で死ぬかもしれない。その可能性はあります。そんなこと、いちいち心配して生きていられますか? 存在しない未来を過剰に心配するなんて、幽霊に怯えるのと同じですよ。

 政治制度はどうか、となると、やや微妙ですね。私もかつて竹田青嗣氏が、「一度自由になった社会が、もとにもどった例(ためし)はない。歴史発展の方向として、これだけは確かだ」(少し違うかな?)とおっしゃるのを間近で聞いたことがあります。その時は、「そうかなあ」と思いました。
 ワイマール共和制の過度の自由が、ナチスの第三帝国を招来した例もあるんじゃないか? ホメイニ師のイラン革命は、西洋近代文明への呪詛がイスラム圏に広範に存在していたことが前提ではなかったか(でも、近代兵器などの発明品まで捨てられたわけではないですが)? そう言うと竹田氏は、「五十年ぐらいの短いスパンではなく、百年二百年のスパンで見なければだめなんだ」とおっしゃるのが常でした。そうかも、でも、そうかなあ。
 私には今も確信はありません。とりあえず、リベラル・デモクラシーを押し付けようとするアメリカの試みは、今現在中東ではあんまりうまくいっていないようで、別様に考える必要がありそうだ、と観じてはいます。
 その上で私は、以下の二点を前提として、我が国でのリベラル・デモクラシーを支持する者です。
①政治は人間の内面の、善悪の価値観などに直接関わろうとしてはならない。
②外面的な(例えば経済的な)幸福であっても、完全に達成でき得るような、完全な制度は、人間が不完全である以上、あり得ない。
 リベラル・デモクラシーは、不可謬ではなし、不可逆でも多分ないでしょう。そもそも、たかが人間が考え出した制度を、そこまで尊ぶなんて、おかしい。それでも、「たかが制度」としてならこれが優れているのは、以下の理由からです。人間社会で最も剣呑だったのは無制限の権力だった、しかし権力そのものは社会秩序の維持のために必要なのだから、それに対してできるだけチェックを働かせるようにする、つまり制限を与える、その方向での、もしかしたら苦肉の、智恵とは言える。
 即ち、三権分立などの形で、権力の各分野を独立させ、お互いに監視するようにする。そして、一般人にも、いつでも権力のあり方を批判できるように、言論の自由を保障する。本当にそれがきちんと、うまくいっているかと言われれば、疑問の余地は現実にいくらもあるでしょう。また、批判ばかり多くなって、有効な手段が採りづらくなるばかりじゃないか、という批判(屋上の屋ですけど)にも、一分の理があります。しかしともかく、権力と呼ばれる統治行為の安全弁としては肯定できるし、他にもっといいものが見つからない以上、これでいくしかない、ということで、支持しているのです。
 この制度だと、人間は他の制度より幸せになれるか? そんなことは、もともと無関係なのではないでしょうか。社会制度というのは、よりましな社会、いやむしろ、より悪さの少ない社会はどういうものか、だけを考えて設計するしかないのだと思います。

 お答えとしては不充分かもしれませんが、もう既に長くなり過ぎましたので、最後にW.H.さんがおそらく一番こだわっておられることに軽くふれて終わりましょう。
勇敢や名誉などといった徳は、今後、郷土資料館へでも行かなければお目にかかれなくなるということでしょうか
 多分、そんなこと、ないですよ。マッド・マックスはメル・ギブソンがやってもトム・ハーディがやってもカッコいいですが、それは結局勇敢だからでしょう? それを讃嘆する気持ちが、名誉となって、この美徳の持ち主に送られる。それがある限り、美徳そのものも、美徳の持ち主も、絶えることはない、と私は信じます。
 フィクションだけではない。福島の原発事故の時、また爆発するかも知れない、大量の放射能を浴びるかも知れない、と言われながら、最後まで持ち場を離れなかった科学者もいれば、命令一下、事故終息のために現場に赴いた消防士や自衛隊士の方々もいた。今現在も、中国の挑発的な行為に耐えながら、いつ終わるとも知れない監視活動に従事している海上保安官の方々もいます。
 彼らに対する讃嘆の声が一般に少ないように感じられるのは、確かに残念でもあれば腹立たしくも感じますが、それ自体が原発反対派や中国寄りのマスコミの、印象操作かもしれません。
 しかし私は讃嘆している。W.H.さんもたぶんそうでしょう。その気持ちを持つつづけ、できるだけ、例えばこのような文章にするなどして、伝えるように努める。それぐらいしか一般庶民の我々にできることはないのだから、めげずにやり続けましょう、ということなんです。

 もうけっこう、うんざり、ということなら、「対話」はこれで終わりにしましょう。まだ言い足りないとか(私も、言わずにすませてしまったことがあるような気がします)、あるいは気が向いたら、いつでもいいですから、またご意見をお聞かせください。それについては私も、できるときに、ご返事したいと思いますので。
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