由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

近代という隘路Ⅱ 番外編:ウクライナ戦争を語ってみる(上)

2022年04月30日 | 近現代史

BBC News 2014/5/3

メインテキスト:「【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?」(NHK NEWS WEB 令和4年3月4日)

 映画監督の河瀬直美さんが4月12日に東京大学の入学式で祝辞を述べ、そこで言われたことがけっこう話題になりました。その部分を引用しますと、

 例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?

 これにはいろいろ批判が出たようですが、一応妥当な意見と言っていいようです。そこを敢えてつっこむ、というか、いささか絡むような言い方になるのですが、「~は簡単だ」というのは、ある見方をクサすときによく使われるんですけど、それだけに、とても「簡単」な言い方ですね。簡単だからまちがい、複雑だから正しい、ということはありませんので、実際は、その見方は表面的な、安易なものである、と言いたいわけでしょう。でも、どこがそうなのかを言わないんだったら、これは一方的な、安易、というよりは、単なるイヤミに過ぎないものになる。
 「『悪』を存在させることで」云々は重要で、世の中、善悪はそう簡単にわかるものではないのに、いやむしろ、だからこそ、そう決めつけて、とりあえず自分の精神を安定させる。対立するどちらにも言い分はあるんだから、云々というようなのは、何か曖昧で、不得要領で、まちがいを恐れて判断を留保する、狡さのように感じられることもある。
 そこに罠がある。そうですね。でも、そう言って、「ロシアは悪である」という言い方にケチをつけるだけなら、こちらのほうがはるかに狡い、と言ってもいい。どこまで行っても、人間の言葉って、こういう回路のどうどう巡りを繰り返すしかない宿命にあるようです。
 河瀬さんは結局、「自分の頭で考えろ」という、こう言ってしまうとまた、かなりよくある、安易にも聞こえることを勧めていますんで、ウクライナ情勢という、世界史的な大事件について、素人はこんなふうにも考えるんだ、の一例を述べてみましょう。

 地上波TVや大新聞をざっと見ると、「これはロシアによる侵略だ」「悪いのはプーチン大統領だ」一色のようですが、必ずしもそうではない。
 例えばロシア軍が民間人も殺害している、これは「人道に対する罪」にあたる、れっきとした犯罪である、という欧米発の見解は確かに大きく報じられますが、いや、あれはウクライナが作ったフェイクだ、画像や動画も、劇映画のように、演出されたうえで撮られたものか、あるいは、ウクライナ人をウクライナ軍自身が殺したものを、ロシア軍の犯行だと主張しているんだ、というものもある。後者を信じ込み、ウクライナを悪と決めつけて、「安心」しているような人も、フェイスブックやユーチューブなどの、SNS上ではよく見かけます。
 高度情報化社会とは、偽の情報を作って流す技術も進歩する社会で、情報が増えれば増えるほど、情報ゼロと同じになる、わけではありませんが、とんでもない錯誤に導かれる恐れは大きくなります。今起こっていることの真相は、私などにわかるはずがない、という曖昧で卑怯にも見えるかも知れない態度に留まるしかない、と感じます。
 ある程度は確かではないか、と思える始まりの部分をここでは振り返ります。

 指標にすべきものとして、二つの「約束」があります。
 まず時期的に近いほうから。ドンバス戦争とも呼ばれるウクライナでの紛争を収めるために、2014四年と15年の二回にわたって、ベラルーシのミンスクで結ばれた、通称「ミンスク合意」という停戦協定。
 ロシアとウクライナの因縁は、それこそ千年を越える歴史があるわけですが、今回のことに直結しているのは、マイダン(正確にはユーロ・マイダン、「ヨーロッパ広場」の意味で、ロシアからの独立運動の本拠地)革命と呼ばれるものから、でいいのでしょう。プーチンに言わせるとそれは「2014年にウクライナでクーデターを起こした勢力が権力を乗っ取り、お飾りの選挙手続きによってそれを(訳注:権力を)維持し、紛争の平和的解決を完全に拒否した(下略)」こと。
 大略は、親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領が、暴動にまで(銃の乱射事件もあった)発展した反対運動で逐われると、これに反発した親ロ派はロシアの軍事的な援助でクリミアの分離独立を果たした。その後に続いて、ドネツク州とルガンスク州、一般にドンバスと総称される地域の一部でウ政府に抗する勢力が蜂起した。ウクライナの民族主義者側では、今は日本の地上波TVでも名が呼ばれるアゾフ大隊という民間武装組織が結成され、ロシア系の住民に対して圧迫を加え、時には虐殺も敢行した。
 プーチン大統領がネオナチと呼んでいるのは彼らであって、ウ政府は現大統領も首相もユダヤ系なのにな、と日本では皆戸惑ったのですが、つまり反ロシアということです。今回の戦争の第一の目的は、こういう人たちからロシア系及び親ロ派を救援することだ、とプーチンは言いました。
 元々、マイダン革命には、アメリカの、特にネオコン(neoconservatism、新保守派、反ロシア派)と呼ばれる勢力の関与があった、というよりは黒幕であった、ということはよく言われています。
 一方、ドンバスの親ロ派・分離独立派の後盾には、ロシアがあった。武器供与の他、ロシア軍もいくらか、非公式に派遣されていた。それがなければ、ドンバス戦争はとうに終わっていたろう、とも。すると、今の戦争はロシアとアメリカ(ネオコン)との代理戦争だ、とも言われますが、代理戦争はもう8年前に始まっていたことになります。
 そこでミンスク合意ですが、要点は、①二つの州の「特別な地域」で戦闘に従事している違法な武装集団や傭兵は逮捕するか、国内から撤退させる。そのうえで、②この二州は、分離独立させる必要はないが、「特別の地位」を認め、ウクライナは連邦制にする。こうすることで、国内での新ロ派の発言権が強くなるから、ウクライナがEUやNATOに加盟することは恒久的に阻止できる、これがロシアの本当の狙いであったのでしょう。
 これによってウクライナ側が得ることは、「紛争地域全体での国境の管理を回復すること」のみです。「回復」(restore)ですからもとにもどるだけのこと。一方、ロシアは紛争当事国であることも否定していましたから、新たな義務は一切負わない。そこからしても、ロシア側に有利な取り決めであったことは明白です。
 ウクライナにはこれを遵守する気はなく、ドンバスでの戦闘は続きましたし、アゾフ大隊はアゾフ連隊として正式な国軍に編入されました。プーチンはこれらの状況を受けて、本年2月21日に、ミンクス合意はもはや存在しないとし、ドネツク共和国とルバンスク共和国を国家承認して、24日の侵攻に踏み切ったのです。
 大国の軍事力を背景にした一方的な取り決めであったにしても、約束は約束、ウクライナがミンスク合意を守れば、今回の事態には立ち至っていなかった、という人もいます。そうかも知れません。しかし翻って、だからと言って今回のロシアの本格的な軍事侵攻が多少は正当化されるかというと、どうでしょうか。

 プーチンが正当性の根拠として挙げているのは国連憲章第7章51条(あとはロシア国内の規約と、ロシアが新たに承認した前記二つの「共和国」間の条約)です。その前の部分を引用します。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

 つまり、武力を伴う国際紛争が生じた場合、その当事国は国連安保理に訴えて処理を委ねなければならない、しかし現に戦力が行使されているのに、安保理で協議され、なんらかの処置がとられるまでの間、何もしないというわけにはいかないので、個別であれ集団であれ、自衛手段をとることができる、というものです。
 それで、ウ政府から攻撃されているドンバス地方の(ロシアだけが認めている)二国からの援助要請に応じて、「集団的自衛権」による「防衛戦争」をするのだ、というのがプーチンの主張であるわけです。
 ならば何より、安保理への提起が必要とされるわけで、それはあったのかというと、ありました。
 『ウォール・ストリート・ジャーナル』2月17によると、ウ政府はロシア系住民の大量虐殺を企てている、という報告は出ています。英米は、これはウクライナを侵略しようとする口実をでってあげたものだ、として一蹴しました。ロシア側からすれば、門算払いを食わされたかっこうで、ウクライナ東部で起きているすべての騒乱の責任をこちらに押しつけようとしている何よりの証しだ、ということになります。

 それでは、2014年から足かけ8年にわたる紛争で、責任はどちらの側が重いのか。これについても、最近の、キーウやブチャ、それにマリウポリで起きていることと同様に、いろいろな情報が錯綜していて難しいのです。一例だけ述べますと。
 ウクライナの民族主義者たちがロシア系住民に対して行った非道として最も有名なのは、2014年5月、ミンスク合意前に起きた「オデッサ(オデーサ)の惨劇」です。南西の街オデーサ(19世紀に、ポグロムと呼ばれる、ロシア人によるユダヤ人の大規模な迫害が最初に起きた場所としても名高い)で、ヤヌコーヴィチを追放した後のウ新政権に抗議する親ロシア派が立て籠もった労働組合の建物が、極右民族派に放火され、四十六人が死亡、二百人以上が負傷した事件です。
 もちろんこれ自体が悲惨ですが、さらに問題なのはその後の処理です。放火と殺人の実行犯たちは、いまだに捕まって刑事罰を受けていないのです。この事件はそもそもウ政府の差し金であった、とまで言われると、どうだかわかりませんが、疑われても仕方がない状況はあるのです。
 私は最近、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の「ウクライナ人権報告書2016 年版」を見つけました(日本の法務省入荷国管理局の「仮訳」を通して)。これには以下のように書かれています(拙訳)。

 (訳注:ウクライナの)政府は一般に、虐待を犯したほとんどの役人を訴追し処罰するための適切な処置を講じず、結果として不処罰の風潮を生んだ。人権団体と国連は、政府治安部隊が行った人権侵害に関する調査、特にウクライナ治安局(SBU)が実行したとされる拷問、拉致、恣意的な拘束、その他の虐待の申し立ての調査には、著しい欠陥があることを指摘した。2014年のキーウでのユーロマイダンの銃乱射事件や、オデーサでの暴動の実行犯は、未だに責任を問われていない。

 この状態が続いたのだとすれば、ロシアの侵攻の是非はともかく、怒りはもっともだ、とも思えます。しかし、この報告にはまた次のようにも書かれているのです。

 ドンバスではロシアに支援された分離派が誘拐、拷問、 違法な勾留などを行い、児童兵を採用し、反対意見を押さえ込み、人道的援助を阻害した。これより程度は低いが、政府軍によるこのような行為のいくつかも報告されている。

 少なくともドンバス戦争では、親ロ側のほうがより悪い、と。ロシアに言わせれば、国連もまた英米の走狗にすぎないからだ、ということになるのでしょうが。
 離れた立場から見たら、個々の事例の真偽や程度はともあれ、双方に憎しみが溜まっていく過程ばかりは、強く印象に残り、胸が苦しくなります。それでも、大国ロシアの軍事侵攻が許されるわけではないですが、どちらかに、あるいは双方に、ただ「引け」、と言っても栓のない話ではあるでしょう。
 というところで、時間切れ、エネルギー切れです。次回はもう一つの大きな軸であるウクライナとNATOとの関係を、もう少し詳しく見ることにします。
コメント (2)
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