由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

語る私と語られる私と その5(夫たちの妄執と怯懦)

2011年11月09日 | 文学
メインテキスト: 柄谷行人『定本日本近代文学の起源』(岩波現代文庫平成20年、23年第3刷)

 太宰治は、ヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」という作品を、「描写の的確、心理の微妙、神への強烈な凝視、すべて、まさしく一流中の一流である。ただ少し、構成の投げやりな点が、かれを第二のシエクスピアにさせなかつた」と評している。「ただ少し」の前は私も同意する。しかし後のほうは、何もみんながシェイクスピアになる必要はないのだし、このような「独りよがり」の極致を描くには、これでいい、と考える。私の目から見ると、「女の決闘」は文句のつけようがない小説なのだ。
 もっとも、太宰が本当に問題にしているのは構成ではなくて、「的確」とされている描写のほうである。的確すぎるのがどうも、と言うのだ。「少しでも小説を読み馴れてゐる人ならば」、最初のほうを読んだだけで、どこかしら異様なものに気づくだろう、と。生の現実をそのまま投げ出したような、冷淡さとそっけなさ。太宰はそこに、作者の対象へ向けた悪意を感じ取っている。「的確とは、憎悪の一変形であります」と。
 私は太宰ほど小説を読み慣れていないせいか、そういうことには心づかなかった。たまにほんの軽い諧謔を交える(例。書き出しの「ロシヤの医科大学の女学生が、或晩の事、何の学科やらの、高尚な講義を聞いて、下宿へ帰つて見ると」)以外には、作品世界を構成するのに足る最小限度、と見えることだけを記述するのは、リアリズムのあり方としてまっとうであろう、とだけ思った。柄谷行人も言っているが、リアリズムとは、語り手=作者の姿をできるだけ描写の奥に隠す技法のことである。
 もう少し具体的に述べる。「女の決闘」は、女学生が「果たし状」を受け取るところから始まり、すぐに、その手紙の送り主である女房の話に移る。彼女は手紙を出した足で銃器店に赴き、拳銃を買い、そこの中庭で、店主から射撃のてほどきを受ける。次の日の朝、彼女は停車場で女学生とおち合い、森へ出かけて行って、決闘をする。
 中庭は、例えば次のように描写される。「中庭の側には活版所がある。それで中庭に籠つてゐる空気は鉛の匂がする」。そこで生まれて初めて銃を撃った女房は、「主人に教へられた通りに、引金を引かうとしたが、動かない。一本の指で引けと教へられたに、内々二本の指を掛けて、力一ぱいに引いて見た。その時耳ががんと云つた。弾丸は三歩程前の地面に中(あた)つて、弾かれて、今度は一つの窓に中つた。窓ががらがらと鳴つて壊れたが、その音は女の耳には聞えなかつた。どこか屋根の上に隠れて止まつてゐた一群の鳩が、驚いて飛び立つて、唯さへ暗い中庭を、一刹那の間一層暗くした」。
 詳しくは原文(いや、森鷗外訳の日本文だが)にあたって見てもらうに如くはないが、太宰も言うように、このような描写は、例えば、「活版所は確かにそこにあつた」という印象を与える。余計なことはいっさい省いてあるといった書きぶりで、逆に書かれている以上それは必要なものであったのだな、と思わせる、リアリズム小説の技法が遺憾なく発揮されている例であろう。ただそれだけなら、そんなに感心するほどのことはない。これらと、後の、決闘場所である森への道行きも合わせて、平凡な女房が、殺人という非日常の世界へと一歩一歩進んでいく歩みが、この上なく的確に伝えられているように見えるところこそ、この小説の優れている点なのだ。
 その底に潜んでいるのは「悪意」だろうか? 私には逆に、作者の、主人公に対する「共感」の現れだと見える。念のために言うが、ごく普通の意味で、この女房が正しいというわけではない。そのような世間一般の道徳を嗤っているわけでもない。それは正しく、必要であるからこそ、そこからこぼれ落ちてしまわざるを得ない人間性のある面に対する共感が、文学以外の手段ではなんとしても捉えられない種類の感情が、ある。そのためには、このような、逆に感情をできるだけ抑えたような書き方こそ相応しいのだ、と私には思える。
 それを「悪意」とは? どうも、太宰と私との感じ方の違いというよりは、言っていることの次元が全く違うようだ。太宰という作家は、「小説のあり方」=「語りの問題」について、過剰に意識的になった現代文学に属している。そのような自意識過剰がよい傾向だとは、私には思えない。例えば、「道化の華」のように、語り手が生で登場して盛んに韜晦してみせる作品は、感銘深いと言えるだろうか? 
 孤立した自我を主に扱う近代文学でも、なお扱いきれないほど特殊な自我がそこに現れており、それに応じる形で、文学の枠の拡大が試みられている、とも見られないことはない。しかしそれが読者の共感を呼ばないなら、文学者内部のみの「独りよがり」でしかないことになる。いや、共感は持てる、だからこそ太宰は未だに人気のある作家なのだ、と言われるかも知れないが。
 
 今はまだ、その段階を詳しく考えるのは早すぎる。このような自意識を抱いた作家が、「女の決闘」という簡潔そのものの作品に、何を見て、何をつけ加えたかを考えよう。
 太宰は、この作者は、主人公の女房にも、この事件そのものにも、密接な関わり合いがあった者ではないか、それはつまり、作中で全く触れられることのない女房の夫ではないか、と妄想する。妄想というのは、実在のオイレンベルクには(たぶん)そんな体験はないことは、太宰も承知しているからだ。そのうえであえて、現実とは別の「作者」を想定して、彼の側からこの作品を見直そうというのが、太宰版「女の決闘」の構想なのだ。
 女房は、うまい口実をつけて、夫を旅に出すことに成功した。これは原作の最初の、女房の女学生への手紙に書いてある。太宰作中の夫は、企みに気づき、旅に出たふりをして、女房をこっそり見張る。彼女が女学生の家に行き(この時手紙を下宿の女将に頼んで届けてもらっている)、それから銃砲店に入って射撃の練習をするところまで見届ける。女房が帰宅してから、彼は改めて女学生を訪れ、帰宅していた彼女から事情を打ち明けられる。小説家である夫は取り乱して、無能さをさらけ出すばかり。
 このへんはいつのまにか女学生の一人称になるのだが、彼女はもうこの愛人に愛想を尽かしている。いや、もともと、彼を愛してなどいなかった。「市民を嘲つて芸術を売つて、さうして、市民と同じ生活をしてゐるといふのは、なんだか私には、不思議な生物のやうに思はれ」たから、科学者として好奇心から探求してみたかっただけだ、と。今はその正体がわかった。「純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣虫のことなの? 驚いて度を失ひ、ただうろうろして見せるだけで、それが芸術家の純粋な、所以(ゆえん)なのですか」。こう言って女学生は愛人である作家を追い出してしまう。
 小説家を「芸術家」と呼ぶのは、今ではほんの少し奇異な感じがするかも知れない。逆に、小説家=芸術家だという意識が薄れたのは、いつの頃からであったろうか、とも思う。太宰の時代までは、作家とは俗人とは違う純粋無垢な魂をもったミューズの使徒だ/であるはずだ/であらねばならない、という自意識はまだ文学者には残っていたようで、その欺瞞は、太宰によっていくたびか韜晦され自嘲されている。ただしそれも、彼の強い矜恃の裏返しであったことは、太宰文学の読者には周知である。ともあれ、その太宰にしても、ここまで痛烈な芸術家=小説家批判は稀だと思う。

 さて、この小説は、この後三人称になり、やがて「女の決闘」という小説を書くことになる夫の視点から描かれる。彼は、「よわい既に不惑を越え、文名やや高く、可憐無邪気の恋物語をも創り、市井婦女子をうつとりさせて、汚れない清潔の性格のやうに思はれてゐる」が、芸術家の通弊である二つの弱点はある、とされている。一つは好色であり、もう一つは好奇心だ。この後のものは、「誰も知らぬものを知らうといふ虚栄」とも言い換えられているが、それに引きずられて、彼は妻と愛人との決闘の、一部始終を見守ることになる。
 そのときの思いは、二転三転するが、結局決闘を止めることは自分にはできない、と観念すると、かえって「糞度胸」がついてきて、こんなことを考え出す。

やるならやれ。私の知つた事でない。もうかうなれば、どつちが死んだつて同じ事だ。二人死んだら尚更いい。ああ、あの子は殺される。私の、可愛い不思議な生きもの。私はおまへを、女房の千倍も愛してゐる。たのむ、女房を殺せ! あいつは邪魔だ! 賢夫人だ。賢夫人のままで死なせてやれ。ああ、もうどうでもいい。私の知つたことか。せいぜい華やかにやるがいい、と今は全く道義を越えて、目前の異様な戦慄の光景をむさぼるやうに見つめてゐました。誰も見た事の無いものを私はいま見てゐる、このプライド。やがてこれを如実に描写できる、この仕合せ。ああ、この男は、恐怖よりも歓喜を、五体しびれる程の強烈な歓喜を感じてゐる様子であります。神を恐れぬこの傲慢、痴夢、我執、人間侮辱。芸術とは、そんなに狂気じみた冷酷を必要とするものであつたでせうか。男は、冷静な写真師になりました。芸術家は、やつぱり人ではありません。その胸に、奇妙な、臭い一匹の虫がゐます。その虫を、サタン、と人は呼んでゐます

 神をも恐れぬ冷酷な写真師でなければ描けない真実があることを、太宰が知らなかったはずはないのだがな、と私はここを読んで呟いた。やはり目の付けどころが違う。彼は芸術家そのものを問題にする。それもいいが、どうも不審なのは、芸術家の卑劣さと、冷酷さを暴くように見せながら、最後に実にあっさりと救済してしまうところだ。
 事件後、芸術家の夫は、予審判事の尋問を受ける。判事は真実を察している。で、こう問いかける。
「あなたは、どちらの死を望んでゐたのですか? 奥さんでせうね」
「いいえ、私は、(と芸術家は威厳のある声で言ひました。)どちらも生きてくれ、と念じてゐました」

 これで判事は、「それでいいのです。私はあなたの、今の言葉だけを信頼します」と、微笑んで芸術家の肩を叩いて、彼を放免してしまう。え? さっき芸術家の胸中に見つけ出した一匹の虫、別名サタンはどうなったの? 太宰版「女の決闘」は、この後、それに対する釈明に終始する。というか、くだくだしい言い訳に見えるのだが……。
 まず、次のように言われる。「卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだつてあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、さうして人は生きてゐます。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るといふ事を忘れてゐるのは、間違ひであります」。つまり女房の死を願ったのも、二人の女両方に生きていてもらいたいと念じたのも(後のほうの願望は、このときまで書き込まれていなかったのだが)、どちらも本当だから、芸術家は必ずしも嘘をついたわけではなく、判事は必ずしもだまされたわけではない、と。
 そんな一般論を言いたかったのかよ、小説で。太宰という人も案外志が低いんじゃないか、と私は思ったものだが、しかしさすがにこれだけでは終わらない。
 「誰にだって」ではなく、芸術家限定の話。ヴィリエ・ド・リラダンの小話が引用され、「芸術家は、めつたに泣かないけれども、ひそかに心臓を破つて居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでゐます」と、決してサタンそのものではない、と説明される。いや、しかし……。
 太宰先生に聞いてみたい。あなたの芸術家は、決闘後も女房の後を追いかけ、と言って声もかけず、早朝から夕刻まで、草原に倒れ付している彼女を見つめ、最後に村役場に入って自首するところまで観察していたのですよね? 草原では、女房は、復讐の苦い味を噛みしめ、しかしあの女学生のところへもどって、介抱してやる気にはなれない、こうして時が経つ間に、女学生の体からは血が流れ出してしまうだろうと考えていた、と原作にも書かれているのは、彼の観察によって叙述されたことになりますね?
 すると、平凡な私などはどうも次の疑問を抑えきれなくなる。一日中動かない女房を観察しているぐらいなら、その間に、芸術家自身が女学生を介抱してやるとか、助けを呼ぶとかは考えなかったのですか? そうすればあるいは彼女は助かったかも知れないのに。
 冷酷な写真師でも、カメラそのものではない以上、目だけではなく、手も足もあるのだろうに。それがないのが芸術家だと言うなら、いっそのこと口も塞いで、「どちらも生きてくれ、と念じてゐ」たなんぞと、そしてそれは半面の真実だとなんぞと、言わないほうがよくはないですか?
 以上のこともまた、太宰の計算のうちにちゃんと入っていたろうか? どうもそうは思えないので、私は太宰版「女の決闘」は傑作だとはしないのである。それは私の蒙昧からくる僻目だと言われるなら、どうかご教示を願いたい。

 そろそろ田山花袋を思い出すべき頃合いだろう。
 もうおわかりだろうが、太宰版「女の決闘」は、「蒲団」と似たところがある。どちらも主人公は作家で、妻があり、それでいて若い女に惹かれている。結果、ひそかに妻の死を願う、というところまで共通している。
 いや、それより似ているのは、「ひそかに妻の死を願う」ではなく、「妻の死を願うこともあった」になるところである。なんの罪もない妻に、「飽きたから」「もう一度青春をしてみたいから」というような理由で、死んでくれないかな、などと思うのは、もちろん不届きである。しかし、その不届きを可能な限り追求し、のっぴきならない結果をもたらすまでを描くとしたら、それも人間性のふだんは隠されたある面をあぶり出す装置としては有効であり、興味深くもある。
 オイレンベルク「女の決闘」はつまりそういう作品だ。女房が殺した女学生は、不倫をしたというだけで、殺されねばならぬほどの罪科があったわけでない。すべては女房の執念から起きてきたことだ。
 それに比べると、二人の夫は煮え切らない。女房が死ねばいい、と思ったとしても、それは言わば一時の気紛れで、次の瞬間には別の、もっと「美しいこと」を考えているのだ、という具合。それはまあ誰にもあることで、真実でもあればリアルだろうというのは、その通りである。しかしいかにも退屈で平凡な真実であり、リアルだ。
 そこで改めて考える。日本の作家たちが、すべてを投げ打ってある情念の示す方向へ進む人間像をあまり描いていないのは、作家個々の才能とは別の、何か日本に特有の理由があるのだろうか。
 可能性がなかったわけではない。花袋は、よく知られた中・長編小説以外に、短編小説をたくさん残していて、中にはけっこう奇妙で面白いのもある。そのうち、「蒲団」や「妻」の変奏曲とでもいうべき二編が、「拳銃」(明治四十二年作)と「ある朝」(大正二年作)。私は前者は知っていたが、後者は小谷野敦『リアリズムの擁護』に附録として採録されているので初めて知った。小谷野氏にはまた、お世話になりました。
 「拳銃」は、ある意味で「蒲団」より「事実」に近い。従軍記者となって日露戦争に随行した作家に、若い女の弟子がいて、従軍中、感情のこもった手紙をたくさんもらったことは、以前述べた通りだが、それがちゃんと書かれている。そこからはたぶんフィクションで、帰宅した作家の妻は、「蒲団」「妻」「縁」にはついぞ描かれていない嫉妬の様子を見せ、女弟子(ここでは種子という名前になっている)の手紙をすべて見たがる。その傍らで作家は、「妻が死んで、この身体が自由になつたら」という、「蒲団」の読者にはお馴染みの妄想に耽る。
 作家が戦地から持ち帰ったものの中に、手紙以外に拳銃があった。妻に見せてから、作家は、何気なくその撃鉄を起こして、落とした。と、凄まじい轟音とともに、弾丸が発射された。遼陽出発の際、万が一のためにと、三発込めておいたのを忘れていたのだ。弾は幸い妻の頭上五、六寸のところを過ぎたが、その時、「暗い恐ろしい或物が二人の暗い心を更に一層明かに二人の間に展げて見せたやうな気がした。これで妻を殺したなら……と夫は思つて戦慄した。妻はかうして自分を殺す気が夫にはあつたのではないかと思つて戦慄した」。
 「ある朝」のほうは、作家が女弟子(ここでは須磨子)を犯したのを、妻が発見する話だ。悪魔というなら、こちらのほうが近い。いずれにしろ、「蒲団」では作家内部の妄想でしかなかった暗い情念を、明確な形にしてみせたものではある。が、両作とも、その形を妻が認知(アナグノリシス)するところで終わっている。その点中島京子の「蒲団の打ち直し」と同断である。
 悪意は確かにあった。しかし、それによって現実を動かす(ペルペティアをもたらす)までのことは、作家自身の行為としてもできなかった(太宰や芥川龍之介の自決は別かも知れないが)し、文学作品の中でも描けなかった。花袋も、他のたいていの近代日本の作家も、そういう文学を自分のものだとは思えなかったらしい。一般的にそういう枠が感じられたのだとしたら、それは近代日本のどこから来たのか?
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