由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

経済オンチがお金について語ってみた その1

2020年09月17日 | 倫理

エコノミストOnline とことんMMT より
 
 以下はFaceBookに9月5日から12日にかけて出した投稿をまとめたものです。このシリーズは現在も継続中です。
 なんでこんな話を始めたかの、個人的なきっかけは言わなくてもいいでしょう。私は、経済についてよく知らないし、わかりません。そんな者でも、社会的な利害関係やイデオロギーとは関係ないところで感じたことなら、多少は他の人の役にも立つか、と期待して、言ってみました。

◎一番単純なお金の話。
 豊かになる、とは経済的に発展することで、そのためには通貨(マネー)を増やす必要がある。
 昔は通貨には金(Gold)が最も多く使われたので、これをめぐって争いが起き、その奪取に一番成功した西欧諸国が世界の覇者となった。
 しかし近代ではそう乱暴によそから奪ってくる、というわけにはいかないし、だいたいこれでは、金の量以上に経済規模は拡大しない。
 それ以前に、貸し借りは普通になっていたし、通貨は紙切れが主になっていた。貸したらIOU(証文)を書くのだが、これもお金に結びついた紙切れなら、通貨扱いしてもいい。事実、そうなる場合があった。
 そしたらさ、お金を借りて、それをできるだけ、できれば永遠に、返さなかったら、お金が増えたことにならないか?
 ということで、管理通貨制度下での、経済発展が始まった。
「なんかおかしい。真っ当じゃない」と感じたり言ったりする道徳的な人は必ずいる。
 そうかもわからん。しかし、彼らが満足する社会とは、経済発展とは逆に、皆が貧乏になっていく場所だ。
 私ぐらい以上の年代がかろうじて覚えている、気楽にものが買えるスーパーやコンビニはなく、医者に行くのも一苦労、川の堤防が老朽化しているのはわかっていても、容易には直せない。
 しかもこの状態は進行する。おかげで死んでしまう人も大量に発生する。
 それでもなんでも、借金なんかしないで、真っ当に生きて行くのが人の道だ、とまで言うなら、一つの思想的な立場として認めないでもない。
 ただ、そういう人がたいてい私より裕福で、優雅な暮らしをしているようなのが、どうも釈然としないだけだ。

◎また単純なお金の話。
 借金が許されない国があったとしよう。かなり苦しい想定だけど。会社は社員の持ち寄りの資金でなんとか商品(サービスを含む)を作って(それって、社員が会社にお金を貸してることになるじゃん、というような厳しいツッコミは暫くご容赦)、売る。売れたお金は社員で分ける。この会社では損は出なかった、としたら、顧客の総体がそれだけのお金を払ったことになる。
 GDP三面等価の原則、なんて持ち出すまでもない。誰かが国内でお金を稼ぐなら、必ず誰かがそのお金を出していて、その総額は必ず一致する。余分なお金は生じない。当り前の話。
 余剰金を出すためには、よそからお金を入れるしかない。貿易収支の黒字で、国外からか、あるいは、通貨発行権を持つ政府が、お金を刷って配るか。前者は、日本は今は黒字のようだが、急に増える要素はなし、ほぼ一定、と考えてよい(実は、一国について上で考えたことを、世界大に拡げたら、日本は他国のお金を吸い上げていることになって、ここで過度に儲けるのは、国際社会ではあんまり好ましいことではないでしょう)。
 後者の場合、無根拠に出す、というわけには、いくのかも知れないけど、怖いんで、やっぱり、一種の借金という形にする。経済発展するためには、これだけは目をつぶろうよ、てな感じで。
 目はつぶれるんだよ。国は、国債という債券で借金をするんだが、返してくれ、と言われたら、その時こそその分の現金(無利子無期限の、一種の債券)を刷って(実際は相手の銀行口座に金額を書き込むだけ、が大部分だろう)、替えればいいんだから。誰も困りゃしないんだ。
 こうしてできた金で、国は、最も広い意味の公共事業、つまり、インフラ整備やら公務員の給料やら国防やら各種補助金やらを拠出する。その分が国全体の余剰金になる。つまり、社会全体のお金が増えて、社会全体が経済成長する。
 いや、それでもなんでも、借金は借金なんだから、いかん、ということになると、国の正規の収入である税金ですべてを賄え、と要求しているわけで。
 税金て、基本的に、国民が稼いだ利益から出すもんだ。つまり、国民の支出から出すのと同じこと。全部形を変えてこっちに返ってくるんだとしても、余分なお金は生まれない。国が経済発展するわけないんだ。
 いや、生産―供給に回す分が足りなくなるだけ、確実に金不足、つまり貧乏になるだろう。
 プライマリーバランスの黒字化って、こういう恐ろしいことになる。なんと、皆さん、そうではありませんか?

◎またまた単純なお金の話。
「国がいくらでもお金を刷って使えるもんなら、税金を取り立てる必要ないんじゃね?」という批判はよく聞くし、これに対する反論も多い。
 しかし、これが嵩じて、「お金っていくらでもタダで作れるんでしょ? だったら、俺にもタダでくれよ」なんてことになると、冗談にしても度が過ぎてるな、って感じになる。
 緊縮財政派の真意を最大限好意的に忖度すると、こういう人が増えるのを警戒しているのかもね。
 だが、MMT派も、たいてい、BI(ベーシック・インカム)にもヘリコプターマネーにも反対してるんだがね。
 一万円札になぜ値打ちがあるって思えるのか。それは、日本国内でなら、これと交換に、一万円相当のモノ(商品+サービス)が手に入るって信じられているからでしょ? それ以外に理由はないよね。元は借金だろ、なんて、誰が気にするんだ?
 だから、日本の生産・供給力が落ちて、交換できるモノ、つまり買えるモノが乏しくなったら、一万円の値打ち、つまり信用力も下がる。
 買えるモノが何もなくなったら値打ちゼロ。お札の総数が多くても少なくても関係ない。鼻紙にも、メモ用紙にも、使い勝手が悪い、ただの紙切れになってしまう。
 日本人ができるだけ一所懸命働いて、売るべきモノを作っていくことが、円の値打ち・信用力を支えてるんだ。
 これがうまくいっていて、買えるモノがたくさんあるなら、一万円札の値打ちは、インフレ・デフレで多少高下しても、ゼロにはならない。必ずほしがる人はいる。私もほしい😉
 多くの人が欲しがる債券は決して暴落なんかしない。円や国債の信用がどうたらの話はこれでおしまい、でよくないですか?
 それにまた、コロナ禍の現在では、生産や供給の拠点である企業を、可能な限り潰さないようにすることこそ、最も肝要、ということになりますよね。

◎以下では、いくつかいただいた疑問を、自分なりにまとめたうえで(つまり、答えやすくして😉)、ポツポツお答えしていこうと思います。あくまで、自分の頭の整理のためにです。
疑問1:「借金でお金を増やす」とはどういうことだ。オレは昔信用ならん奴を信用してしまって、1万円貸して、逃げられたことがある。そいつは1万円得して、オレは1万円損したわけだ。よしんば返してもらったところで、オレの財布から出た1万円が一度そいつの財布に入って、また元にもどるだけの話だ。利子があったら、オレの儲けにはなるがな。それはそいつの金がこっちへ来るだけで、世の中のお金なんて、一文も増えてないぞ。
お答え:はい、これは以下のようなメカニズムだと思います。
 私がAさんに、IOU(借用書)を書いて、1万円借りました。その後、逃げたというわけではないんですが、外国へ行ってしまい、取り立てが面倒になりました。急に1万円が必要になったAさんは、共通の知人のBさんに相談したところ、Bさんは、
「草一なら帰ってきてから必ず返すだろうから、その借金は俺が引き受けよう」
と言ってくださって、草一発行のIOUと引き換えにAさんに1万円渡しました。
 その他、Cさん、Dさん、Eさん……と、沢山の人がBさんと同じように思って、1万円とこのIOUを交換してくれたとします。すると、
(1) 草一が1万円返さなくても、誰も困らない。
(2) 結果、世の中のお金(のようなものを含む)は1万円だけ増える。草一が1万円返却した時点で、件のIOUは価値を失い、世の中のお金は1万円だけ減る。
 そんなのあり得ない話だ、とおっしゃいますね。その通りです。私の信用力では無理に決まってます。でも企業が振り出したIOUである小切手や手形なら、割引とか、いろいろあって、額面通りではないかも知れないけど、とりあえず流通してますでしょう。ごく限られた範囲と期間内では。
 国内最大の信用力を持っているのは、言うまでもなく政府です。そのIOUたる国債は、流通することはそんなになくても、売り買いの形で、日本のもう一つの負債である日本銀行券、及びそれと同等の価値を持つ銀行預金に替えられていきます。
 お札も負債です。日本銀行自身がそう説明しています。
 利子もなければ支払期限もなく、それどころか、昔は金(ゴールド)を返したことがあったのかも知れませんが、今では返すものがそもそも何もないIOUなのです。
 管理通貨制の国家とは、そういう途方もないもので経済をまわしているのです。
 ですからまた、日本政府が借金を返そうなんぞとしたら、日本からお金は、ほとんど消えてしまいます。
 なんでそんな恐ろしいことを考えるんでしょうか?

◎疑問2:国が大規模な財政出動をして、公共事業で有効需要を創り出すことができたとしても、儲けるのはせいぜい一部のゼネコンとか土建屋ばかりだ。日本の社会構造を変えない限り、貧乏人が報われることはないんじゃないか?
お答え:こんなふうに言いたくなる気持は、理屈より、それこそ感情的にわかります。私もずっと田舎暮らしなんで、地元のボスと呼ばれる人たちとちょっとは接触がありました。田舎では、金持ちと言えば土建屋さんばかり。彼らが公共事業を受注して、下請けの業者に仕事を回していく。正にボスで、市長も市会議員も、誰も逆らえない。
 中にはいい人もいましたよ。しかしそれは、私がそのような金脈=権力構造の外側にいたからで、内部の人はウラミツラミが溜まっていくこともあったでしょう。構造改革というのはそういう人たちにウケたので、例えば長野では田中康夫が知事になり、「脱ダム宣言」なんてぶち上げて、結果今年の……いやこれはまだ検証途中らしいん、自主規制。
 つまり、ものごとには両面あって、未だに構造改革が足りない、という人もいて、それには正当な部分があるでしょう。日本の(だけではないでしょうが)社会構造には、できたら変えたほうがいい部分は沢山ある。でも、そのためには何から手をつければいいのかも、残念ながら私には見当もつかない。
 現今の優先順位としては、それでもやっぱり、社会にお金を流すべきなのではないか、と。ボスさんたちだって、金は、使わなきゃ意味ないんですから。ラスベガスで豪遊して全部スったりしない限り(そりゃいくらなんでも少数でしょう)、今よりは地域社会、ひいては日本にとって、マシだと思います。
 これだけではあんまりだらしないんで、一気に話を拡げてみます。かの有名な問題です。
「資本主義国では、金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏になっていく」
 事実なんでしょう。残念ながら、かつ申し訳ないことながら、国が豊かになっていったら、まず、金持ちが金を増やす。この部分は今のところどうにもならないらしい。
 それでもどうにかしなくてはならないのは、反比例して、貧乏人のお金がどんどん乏しくなること。経済政策は、ここの是正を主眼にして行われねばなりません。
 根本的な定理。経済発展していかないなら、その社会の金持ち>貧乏人の反比例関係は大きくなる。
 当然でしょう? その状態で金儲けしようと思ったら、他人のお金を奪うより他に仕方ないんですから。
 とりあえず、今の日本は、貧乏人により多くの負担をかける消費税は減額、理想的には、全廃すべきです。
 因みに、消費税を社会保障費の財源に使うというのはインチキであることは、2年前、山本太郎が議員だった頃に暴いています。未見の方は、どうぞご覧下さい。

◎こちらにポツポツと発表した愚考について、皆様から有益なコメントをいただきました。ありがとうございます。それを踏まえて、も少し先(かな?)を述べます。
 学生時代にオルダス・ハックスリーの傑作ディストピア小説「すばらしき新世界」を読んだら、描かれているのは、宗教が死滅して科学技術一辺倒で営まれている社会なのですが、ここでは英米人がよく口にする間投詞(おや、まあ、ぐらいの感じの)としてのJesus!の代わりにFord!と叫ぶのです。
 これはヘンリー・フォードのことだと、岩波文庫の解説で読んだと思いますが、え? フォードって、仮にもイエス・キリストに替わり得るような、そこまですごい人なの? とちょっと戸惑いました。
 その後、フォーディズムと呼ばれるものをちょっと勉強しましたら、概要は以下。
(1) 自動車の生産ラインの流れ作業化を徹底して、一台あたりの生産コストを下げる。
(2) 労働者の賃金を当時の相場で約三倍まで上げて、自社の商品(自動車)を買いやすいようにする。労働者は家に帰れば消費者になる、ということに改めて着目した、「コロンブスの卵」であったかも知れません。やっぱり、すごい。
 基本的にはこのやり方が広まり、先進国で大量生産・大量消費時代が到来したわけですね。技術革新と、社会成員すべての収入アップ。そしてこの両者≒生産―消費がスムースに流れるための貨幣量の調節。
 これらがうまくかみあって社会が豊かになっていくことを経済成長と呼ぶ。
 残念なことかもしれないけれど、貧乏人がいくぶんかでも金持ちになる方法は、人類はこれ以外には発明していないのではないでしょうか?
 ただ、これで万々歳というわけにはいかない。大量生産→大量消費→豊かな社会、の見本だったアメリカが、今、まだ経済成長が続いているにもかかわらず、貧富の差が絶望的なまでに開いていることは、もはや周知の事実です。
 それにはヘッジ・ファンドなどの金融ビジネスの巨大化が大きな要因になっているでしょう。
 r(資産運用で得られる利益)>g(労働によって得られる所得)は、資本主義ではしかたないのかも知れない。貨幣だって一種の債券なんですから。
 ただ、ここからくる弊害を減らすことに、経済政策の焦点が置かれるべきであることは確実です。
 消費税について前回申しましたが、外国資本の安易な流入も警戒しなくてはならぬでしょう。
 地元密着型の土建屋さんとか、メーカーの実質的な社長さんなら、地元民や社員との生の人間関係がありますから、そこまで阿漕なことはできない、歯止めにはなると期待されます。
 しかし、地球上のどこにいるのかもわからない資本家や投資家にとって、地域社会も、社員も含めた会社そのものも、単なる商品以外ではない。そのほうが儲かるとわかったら、解体して売り飛ばしちまっても全然かまわんでしょう。
 やるべきことはいっぱいあるんです。政争なんてやっているヒマは、本来ないはずなんですが。
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