由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

別役実論ノート その5(中仕切り・小市民の劇)

2023年09月30日 | 

「紙風船」 UPSつつじヶ丘アトリエ公演 平成19年

メインテキスト:川口一郎「二十六番館」(昭和7年。『川口一郎戯曲全集』白水社昭和47年より引用)
岸田國士「紙風船」(大正14年)

 本年9月16日に、日本演出家協会関西ブロック主催「日本の戯曲研修セミナーin大阪202」に招かれて、川口一郎「二十六番館」について話をする機会がありました。
 この戯曲は今では知る人も少なくなりましたが、戦前の日本戯曲の中で一番西洋演劇に近づいた作品だと思います。と、言うより、当セミナー中のディスカッションと俳優さん達のリーディング(朗読劇、最小の所作は含まれる)、それに三人の若手演出家による演出プランの発表、を通じて、そう確信するに至ったと言うべきでしょう。お招きいただきました演出家の山口浩章氏には、この場を借りて心からお礼申し上げます。
 それともう一つ、研究者の端くれとして招かれて、一応レクチャーをすることになったので、考えてみて、ある問題に改めて直面する思いをしました。それは日本の近代劇の問題ですが、大きく言えば日本の近代の特質そのものに結びついているでしょう。
 となると広大すぎる主題で、私は当日までまとめきることはできず、舌足らずで終わってしまいました。少し心残りなので、もう一度愚考を進めてみようと思います。日本で西洋風の劇を創る困難、を通じて日本の精神的な近代化の困難、その一側面を瞥見しようとする試みとして。

 それでも一応、戯曲「二十六番館」のあらましを紹介しておく。
 舞台は1927年のニューヨーク。ただし登場人物八人は全員日本人。二十六番館とは日系移民が住みついている安アパート(家主はユダヤ人)で、あと一ヶ月で取り壊される予定になっている。ここに住む、商売でけっこう成功した山下夫妻は、息子の良一の嫁にと、妻の姪の春子を日本から呼び寄せる。しかし渡米してきた春子は、長尾安二郎という現地の大学で勉強中の青年と懇ろになり、妊娠する。このため安二郎は、プロフェッサーになる夢を断念し、春子と結婚するが、この子は生後間もなく亡くなる。希望を失った安二郎は、自暴自棄な言動が目立つようになり、仕事も辞める。この夫婦も二十六番館に住んでいるので、春子は、新たな住居も探さなくてはならないという実際上の悩みと、安二郎がこうなったのは自分のせいだと思う自責の念の、双方から苦しめられている。
 以上はいわゆる設定で、幕が上がる前にこれだけのことはすんでいる。

 これだけでもある程度察することができると思うが、これはdisillusion(幻滅、幻想破壊)を中核とした劇なのだ。ギリシャ悲劇以来最もポピュラーなドラマツールギー(作劇術)の一つで、「かくあるべき自分」と「現にかくある自分」の落差でドラマが展開する。
 例えばソフォクレス「オイディプス王」は、スフィンクスの呪いから都市国家テーバイを救った英雄王だと思われ、自分でもそう思っていた者が、実は父を殺して母を娶るという人間として最もやってはいけないことをやった人間だった。眼も眩むような激しい転落。
 ただこれは、「運命の転変」ではない。厄災が外からやってくるわけではないからだ。主人公オイディプスは、幕が上がる前に、決定的な行為はすべて成し終えている。劇中で起きるのは、彼自身がそれを認識することだ。
 アリストテレス「詩学」にあるように、アナグノリシス(認知)によってペリペティア(急展開)に至り、我々は主人公を通じて、「〈私〉とは何か」→「人間とは何か」という問いが立ち上がる場面に直面する。これこそ最も劇的な瞬間だ、と観じる感性が西欧では主流、とまで言えるかどうか、太い流れにはなっていて、そこで今我々も劇(ドラマ)とは例えばこういうものだと、漠然と考えている。
 そこで、近代劇でもこのパターンはしばしば使われている。ヘンリック・イプセン「人形の家」(1879)のヒロインは、三人の子がいる主婦だが、自分と夫は理想的な夫婦だと信じている。正確には、不安を抱えつつ、信じようとしている。それが幻想だと分かった瞬間に彼女は家を出る。規模は全然違うとは言え、すべてが明らかになった末に放浪の旅に出るオイディプスと同じ道を辿るのだ。
 ただ、こういうふうに、舞台上でアナグノリシス→ペリペティアが露骨に起きる劇は少ない。そんなことは現実にはめったにないからだ。だから劇になる、とも考えられるが、他方、「作り物(フィクション)」感はなるべく少ない方がいいという近代リアリズムからの要請もある。
 そこで、例えば、アントン・チェホフの主人公達は、劇の開始時点でもう幻想から醒めかかっている。ただし、諦めきれないので、「人生とはもっと美しい、意義深いものだったはずだ」などと嘆いている。
 それでどうなるのか? どうにもなりはしない。最初の頃の作品でこそ、主人公は自決したりして、自己の幻想に言わば復讐を遂げるのだが、「ワーニャ伯父さん」(1897)と「三人姉妹」(1900)では、彼ら/彼女らの境遇は劇が始まったときと終わるときで変わらず、皆幻滅の人生を歩み続ける。自分たちと悩みや苦しみにはどんな意味があるのか、神はご存じであって、そうであれば私たちにもやがて、多分死後に、分かるだろう、と言って。
 一方、「二十六番館」の安二郎は次のように嘆く。

若々しい情熱も冷めちゃった。(微笑して)春ちゃん、お前じゃないが、お伽噺の世界だったね。[中略]僕は僕らしく生きる必要があるんだ。[中略]僕等はね、この大きな機械の、有ったって無くったって、全部の運転にゃあ、一向差し支えのない一部分なんだ。その癖僕等は、次第に、擦り減ってゆくんだ。

 これはいかにもチェホフ的な科白であり、その影響は顕著である。ただチェホフ劇は田舎が舞台で、主人公たちは直接にはそこの味気ない単調さに苦しめられている。近代的な巨大都市の、絶えず動き続ける文明=経済機構(≒機械)の中で、自分たちは、いくらでも取り替えのきく部品でしかないと感じる者の悲哀は、今でこそありふれているようだが、「二十六番館」発表の時代ではかなり新しかったろう。
 その違いはあっても、両者の劇の開始時点で、主人公達は幻想をほとんど失っていて、それを自覚もしていることは共通する。劇中で起きるのは、言わば最後のダメ押しのようなものである。
 「それだって意味があるはずでは?」「意味ねえ……。いま雪が降っている。なんの意味があります?」(「三人姉妹」)。人生に究極的な意味などない。あっても、人間には見つからない。この苦い認識を抱えて生きていかなくてはならないのは、根本的な人間の条件だと思うが、具体的な現れ方は各々違う。
 「二十六番館」の安二郎は、妻に未来の希望を語るのだが、一方で、本当はそれを信じておらず、手っ取り早く自分の人生に決着をつけようとしているように見えるところもある。それがはっきりせず、どっちつかずなのは、弱点と言えるかも知れない。最後の彼の死は、事故死なのか自殺なのか? 後者だとすれば、彼はチェホフ劇では「かもめ」のコスチャに似ている(後者の自殺も、私には唐突感が残る)。
 好意的に見れば、これには作者は解答を出さず、上演に際して演出家や演者が自分で考え出す余地を敢えて残したのかも知れない。
 ここではこれ以上この問題に深入りすることはやめて、なぜこのような幻滅の劇が日本ではあまり見かけないのか、それは日本の近代の特徴と関連しているのではないか、という見通しを辿りたい

 ざっくり言って、日本人には「私とは何か」「人生の究極的な意味は」などとしつこく問いかける思想的な、心(精神)の習慣は、なくはなくても、乏しい。
 それはいいことでもある。だいたい、こういうのは呪われた問いであって、いつでもどこでも誰でも納得できる一定の答えなどあり得ないのはもちろん、厳しく、妥協なく問い詰めようとしたら、そのこと自体で人間は不幸になるしかない。だからこの劇形式は日本語では悲劇と呼ばれる。いや、不幸になってもなお、「意味」や「真理」を求める試み自体に人間の偉大さがある、というのが西洋の思想的感性。そんなことは神様仏様にお任せして、微力な人間は、目の前の生活に一所懸命取り組もうというのが日本的な良識、と一応言えると思う。
 しかし、明治以降、日本は開国して、西洋世界と付き合わねばならなくなった、というより、向こうの文明を目の当たりにしたら、戦争で勝てるはずがないことはいやでもわかってしまったから、その点では西洋化するしかなかった。それは西洋文明の地球全体に渡る進展に巻き込まれた、ということを意味する。
 そこで日本は、驚くべき能力を発揮して、アジアの中で随一の進歩を成し遂げた。もちろん、表面的には。あまり人間の内面の、精神などには拘らないで、目に見えるものに懸命になる日本的現実主義がこの場合功を奏した可能性が高い。
 とは言え、表面の底にはそれを支える深層がある。機械ならともかく、資本主義経済や議会制民主主義のような制度は、人間が直接運営するので、精神の部分は関係ない、というわけにはいかない。日本人はそれも学んだ。実用とは離れた思想問題でも、例えば朝永三十郎『近世における「我」の自覚史』(1916)というような研究書も出ている。
 だから、「(男女を問わず)個人の人格」の大切さも、理屈としては、わからないことはない。しかしそれを、たとえ外国語が出来るインテリの家庭であっても、実際の生活の中に浸透させるとなると、そう簡単にはいかない。そして劇は、特にリアリズムの演劇は、日常の振る舞いに基礎を置いて創られるものだ。
 日本の普通の主婦が、夫に向かって、「あなたは私をペットのように可愛がるだけで、一人の人間として見てくれなかった」などと実際に言ったとすれば? 少なくとも戦前なら、何かのパロディにしか見えなかったのではないだろうか。「板につかない」絵空事に過ぎない、と。絵空事には絵空事の需要があるが、そんなに高いわけはない。供給側でも、翻訳劇をやればよしとして、戯曲の段階から新たに創っていこうなどとは滅多に思わないのが当然なのである。
 因みに「人形の家」の文芸協会による初演は明治44(1911)年、同年にはたまたま平塚らいてう主幹の『青鞜』も発刊されていて、最初期のフェミニズム(女性参政権運動)が開花した年でもある。そのためかどうか、「人形の家」は女性解放を訴える劇とされ、今日までそのレッテルが貼り付けられている。一人の女性の、家庭での悲劇と見られることはほとんどない。また因みに、この時期、女権に目覚めた、今で言う「意識高い系」の女性をからかう劇も、いくつか出ている。
 こういう点で、演劇は、社会の真の姿を映し出す鏡になり得る。などと言うと、抽象的な話の常として、どんな根拠や感覚に基づいてどんなことを言おうと、曖昧なところは残るし、逆に、どんなに曖昧でも、それなり(かな?)のことは言えそうにも思える。それは承知の上で、演劇に即して、別の視点を取り上げてみよう。

 近代日本の産み出した階層と言えば、なんと言っても給与生活者、即ちサラリーマンである。
 江戸時代には農民が全人口の八割以上を占めていた。それが、厚生労働省の資料によると、大正期の1920年代で、第一次産業は産業別就業人口の六割を割り、第二次産業で20%、第三次産業がそれより少し多くて、合わせると五割近くを占めている。第二次産業の代表は工場労働者、第三次は広い意味のサービス業で、ものを売る仕事、の違いはあっても、会社勤めの点では共通している。そして大企業の多くが東京・大阪などの大都市にあるので、地方からの流入者も急速に増えた。
 これには農村から見ても有利な点があった。戦前の日本は基本的に長子相続で、土地を含めた全財産を長男が相続する。すると次男、三男は、他家に養子に出るか、さもなければ生活の基盤からして新たに築かねばならない。そこで、経済的に余裕のある家庭はそういう子を旧制中学校まで進学させ、いわゆるホワイトカラーの事務や営業職に就ける。そうでなければブルーカラーの労働者、当時の言葉では職工となる。これがさらに亢進して、農村の過疎化を招くのは戦後のこと。
 さて、このようにして急速に、多数発生したサラリーマンたちこそ、日本の近代化を根底で支えた存在であることにまちがいはない。しかし特に、前者のホワイトカラーを描いた文芸作品は、この時代、ほとんど見当たらない。私が知らないだけの場合には、ご存じの方のご教導をお願いしたい。
 後者の、工場労働者なら、小林多喜二や德永直のプロレタリア文学に登場するが、それはもちろん社会主義リアリズムの実践例としてである。後にプチブル(←プチ・ブルジョワジー。多少の知識と事務能力で資本家に仕え、革命を阻害する愚か者たち、ぐらいのニュアンス)と呼ばれて蔑まれた階層は、洟もひっかけられない感じなのだ。

 超例外としてある岸田國士の初期の戯曲を見ると、その理由がなんとなくわかる。四作目の「紙風船」は、当時としては郊外の(現在の京王線沿線あたりだろう)、たぶん貸家に住む結婚一年後の若夫婦を描いている。
 倦怠期にしては少し早すぎるようだが、たまの日曜日、彼らにはやることがない。「散歩か」「散歩でもなんでも……」。彼らは、生活にも、お互いにも、これと言って具体的な不満はない。なんとも言いようがない落ち着かない感じがあるだけ。

お前が、さうして、おれのそばで、黙つて編物をしてゐる。お前は一体、それで満足なのか。そんな筈はない。おれの留守中に、お前は、どこか部屋の隅つこで、たつた一人、ぼんやり考へ込んでゐるやうなことがあるだらう。おれは外にゐて、お前のその淋しさうな姿を、いくども頭に描いて見る。百円足らずの金を、毎月、如何にして盛大に使ふか、さういふことにしか興味のないおれたちの生活が、つくづくいやになりやしないか。今更そんなことを云つてもしかたがないと諦めてゐるかも知れない。しかし、お前は決して理想のない女ぢやないからね。おれは、今のお前がどんなことを考へてゐるか、それが知りたいんだ。かういふ生活を続けて行くうちに、おれたちはどうなるかつていふことだらう。違ふか。それとも、お前が、娘時代に描いてゐた夢を、もう一度繰り返して見てゐるのか。

 これはいくぶんかチェホフ風の科白だが、もっとずっと漠然としている。それは岸田劇の主人公たちの階層が一段低いことに関係する。チェホフ劇の主人公達は、皆けっこう金持ちで、働かなくても食っていけるブルジョワだった。対して、こちらはプチブル。何より、学歴と会社での地位以外には資産がない。
 彼らは、田舎の土地と、現在でも消えたわけではない煩わしい地縁血縁から逃れ、自由を手にしている。どこへ行ってもいいし、いなくてもかまわない。よく考えると、人間は元来は、皆そうなのかも知れないが、故郷で、どこそこの家の誰それという、何世代かにわたってその場に住みついた一族の一部となると、その存在の、共同幻想中の重みは、格段に違う。そのしがらみの重しから外に出たからこそ、自由な個人となった。
 しかし、この個人のなんという頼りなさ。自立しようにも、どこに軸足を置けばいいのだろう? 教養か?
 女性について言えば、勤め人として、学歴が高くなった男の伴侶となるべく、女学校進学者の数も増えた。そこで学んだ「理想」や「夢」とはなんだろうか? 百円ぐらいの金(ざっと現在の六、七万円に当たるだろうか。生活費を差し引いた若いサラリーマン家庭の、いわゆる可処分所得は今でもそんなものだろう)でどうなるものではないことは明らかだが、では?
 社会的にはもう一つ、ここで、専業主婦が大量に発生したことは注目される。農家を初めとする第一次産業の家庭では、嫁さんも、手伝いという形であれ、労働に携わるのが当り前だった。これは商家でもそうだろう。家事労働しかしない主婦は、人口の5,6パーセントを占める武家階級にしかいなかった。
 それで、サラリーマンは江戸時代の武士の末裔である、という人もいる。その最大のエートス(実生活上の倫理)は、かつては主家(藩)に対する忠節だったものが、その対象が会社に変わったのだ、と。これはある程度当たっているかも知れないが、するとここにも個人が生きる余地はないことになる。
 「紙風船」の家庭は夫婦二人きりで、戦後の「核家族」に似ている。専業主婦は家を守るのだ、と言っても、目下その家には舅姑も、子どももおらず、第一大半が、貸家の仮住まいなのだ。
 そういう家には、ひいては、そこで暮らしている自分たちには、なんの意味があるのだろう。夫婦二人で一日中顔を合わせていると、ふと、そのような呪われた問いが立ち上がることがある。「あたし、日曜がおそろしいの」「おれもおそろしい」。ここに、意識と現実の乖離から来る、幻滅は認められる。しかし、一見してあまりに些細なので、これを文芸で、特に劇で表現しようとする試みは滅多にない、ということである。

 「二十六番館」の価値を最初に認め、演出まで務めたのが、この岸田國士だった。

舞台は紐育だが、人物は悉くわが移民の群である。そこには、「根こそぎにされたもの」の姿が、特殊な雰囲気のうちにそれぞれ面白く描き出され、諧調に富む心理的リズムが、この無装飾に近い「ビルディングの物語」を、切々たる「生活の詩」ともいふべきものにしてゐる。(「川口一郎君の『二十六番館』」昭和7年)

 アメリカへの移民となると、日本の共同体から完全に離れた「根こそぎにされたもの」(デラシネLes déracinés。元来はフランスの右翼作家モーリス・バレスの言葉で、もちろん悪い意味)であって、その自由な気楽さは譬えようもない。
 「こんな暮らしいいところはないじゃないか。〈中略〉毛唐のうちへ奉公すりゃあ、こづかいぐらいはすぐ出来る。あきたらやめる。困ったら、また働くさ」。これを言う登場人物は寡婦である。男はなかなかこの心境には留まれない。地縁血縁はほぼ全く関係ないが、この地にはまた別のエートスがある。いわゆるアメリカン・ドリーム、社会的な成功がすべて、という。
 この戯曲には四人の男が登場する。一人は、一応成功して小金を貯めたが、いまだにアメリカ風に馴染めず、日本へ帰りたがっている。その息子はかなり軽い性格だが、その分迷いなく金儲けに邁進しようとする。もう一人は、生業につかぬ一種の無頼漢で、「おれの生活には何かしら、不足なものがある」と不安を抱いている。
 最後の一人が前述の安二郎で、夢破れた後の自分をどう扱ったらいいかわからない様子でいる。妻の春子は新たに妊娠したことを彼には言えずにいたが、安二郎もそれを知っていて、親子三人の家族で「根気よく始めるか」と言う。
 しかし一方、彼が「普通の生活」を恐れていたことは、春子の科白でわかる。「その落ち着いた生活って言うのを、安二郎さんはひどく気にするの。[中略]結婚生活の破綻というのも、そんなところから起こってくるんですって」。これに前述の「僕は僕らしく生きる必要があるんだ」という当人の科白。彼にとって、家族と根気よく暮らしていくなど、およそ身の丈に合わず、一旦は春子のために妥協しようかとも考えたが、最後にはそれは無意味だ、という思いを克服できなかったのかも知れない。

 このようなプチブル、は差別語なので、小市民と言ったほうがいいだろうが、その悲劇を描いた作品として「二十六番館」は先駆的な作品と言えるのではないだろうか。アーサー・ミラー「セールスマンの死」は、第二次世界大戦後の1949年の作だ。
 そう言えば、大学を辞めた後の安二郎は、重いサンプル・ケースを抱えてあちこち歩く仕事をしていたというのだから、セールスマンだったのだろう。「人生に固い地盤はなく〈中略〉靴をぴかぴかに磨き、にこにこ笑いながら、はるか向こうの青空に、ふわふわ浮いている人間」だからこそ、「夢に生きる」者。最後に奇妙な、曖昧な死を遂げるところまで、ウィリー・ローマンと安二郎は共通する。

 さて、以上を踏まえて、またもう少し時間をかけて、近代日本で最も意識的な劇作家・別役実の小市民劇について考えてみたいと思います。
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先生と呼ばれるほどのバカが減っている件

2023年09月02日 | 教育

あもとっと制作 【漫才解説】ずんだもんと学ぶ「ブラック企業」

 公立学校では教員不足だそうだ。なんでも、不足数は全国の小中高全部で2500人ほどに及ぶのだと言う。危機的な状況だ、と教育行政関係者は言っていて、さる8月28日に、中央教育審議会初等中等教育分科会質の高い教師の確保特別部会が、学校における働き方改革に係る緊急提言を出している。その冒頭にはこうある。

 「教育は人なり」と言われるように、学校教育の成否は教師にかかっている。
 教師は、子供たちの人生に大きな影響を与え、子供たちの成長を直接感じることができる素晴らしい職業であり、教師や友人との学校生活は、卒業後も子供たちの心の中に残り続けるものである。そして、これまで、我が国の学校教育が世界に誇るべき成果を上げることができたのは、高い専門性と使命感を有する教師の献身的な取組によるものであることは言うまでもない。
 他方で、子供たちが抱える困難が多様化・複雑化するとともに、保護者や地域の学校や教師に対する期待が高まっていることなどから、結果として業務が積み上がり、教師を取り巻く環境は、我が国の未来を左右しかねない危機的状況にあると言っても過言ではない。

 「我が国の学校教育が世界に誇るべき成果を上げることができた」とは、「言うまでもない」ことであるせいか、あまり聞かないようだが、あとは結局いつもの伝だな、としか思えない。公教育を語ろうとすると、半ば必然的にそうなってしまう見えない仕組みがあるのだ。それが「危機的状況」の改善を困難にしている。今回はそれをできるだけ明らかにしてみたい。

 まず、「素晴らしい職業」「使命感」など、精神論に属する言葉を、雇用者側が使うのは控えるべきだ。それはすぐに、「献身的な取組」というような同じく精神論的な言葉を呼び込み、献身的」であるのが当然だ、なる通念を生む。ここまで言えば勘のいい人にはわかってもらえたと思うが、献身的なのが当たり前の仕事を軽減しようとしたら、どうしても矛盾が出てきてしまう。
 もっとも、「夢」だの「やりがい」だのと上から言われるのはブラック企業の特徴だと、一般に認識されるようになったのは、わりあいと最近のことである。労働者がどんな夢を持とうと、やりがいを感じようと、それに対価が支払われるわけではない。給与はあくまで、労働に対して支払われるものであるのに。
 特に教育の世界は昔から精神論が重んじられている。何しろ、「卒業後も子供たちの心の中に残り続ける」ことこそ何よりの報酬だ、そのための骨身を惜しむのはまちがっている、なんぞというお説教が平気で罷り通る世界なのだ。それに、労働の対価、と言っても、仕事の「質」の部分はなかなか掴みづらい、という難点もある。どういう人がよい教師と言えるか、必ずしもはっきりしないので、業績評価は容易ではないのだ。これらが複合的に絡み合って、教師の仕事はブラック化しやすくなっている。

 具体的に述べる前に、客観性を担保するために、公共の調査による数値をやや詳しく見ておこう。まず、『「教師不足」に関する実態調査』(令和4年1月)のうち「教師不足の要因 (1)見込み数以上の必要教師数の増加」。調査時期からすると、2年近く前の数値になるが、今もそれほど変わらないだろう。
 文科省が各都道府県+指定都市などの教育委員会合計68に、認識している教員不足の原因を尋ねたアンケートで、多数が「よくあてはまる」と回答したトップ3とその回答数は、① 産休・育休取得者数が見込みより増加24、② 特別支援学級数が見込みより増加17、③ 病休者数が見込みより増加16。
 ④ 採用辞退者数の増加(以下略)は5だから、③までが日本全国の主要な問題と言ってよい。因みに、これに「かなりあてはまる」の回答を加えると、①53②47③49で、7割以上の教委がこの問題を抱えていることがわかる。
 このうち①は、令和になる少し前から急増した、男性教職員の育休取得による。公務員は子どもの誕生後3年間取得可能で、最初の1年は給与の半分の手当が出る。地方によって温度差はあるが、男女共同参画社会推進とやらで、わざわざ推進した結果がこうなったのだから、困るといったところで、それまでにちゃんと対策を考えておかなかったのが悪いんじゃないか、と言われて終わりである。
 ②は、精神医学の発達、というより浸透の結果、PDD(広汎性発達障害)とかADHD(多動性障害)とかいう診断名がつく子どもが非常に増えた。そのため、多くの小中学校に、発達障害とされた子どものための支援学級が増えたのだった。特別な時間割で、だいたい一クラス十人以下の生徒数で作られる。学年は混成で編成されるのが普通だが、それでも学校全体ではクラス数が増えるのだから、そのための教員が必要になる。
 この功罪はある。昔なら、ちょっと変わった子とか、落ち着きのない子、と言われるだけだった子どもが、特別視される。しかし、普通クラスで不登校に陥りそうになった子が、こちらでは登校できた例もある。きめ細かい対応、と言ってもいいのだが、そのための教員数が補充されないのであれば、その学校に元からいる教員が分担して負担するしかない。現状そうなっている学校も多い。
 ③は「かなりあてはまる」まで含めれば堂々の(?)第二位になっている。病気の内訳はよくわからないが、昨年度は精神疾患で休職した公立学校の教員数が、過去最多の5897人(全体の0.64%)に及んだというニュースがある。ただし、厚生労働省の「令和4年労働安全衛生調査(実態調査)」の調査結果によると、メンタルヘルス問題が原因で「連続1か月以上休業した労働者」は0.6%、「退職した労働者」は0.2%だから、調査方法の違いその他があって単純な比較はできないものの、ざっと見て教職員のメンタルヘルス問題による休職者が他業種に比べて飛び抜けて高い、とは言えないようだ。
 もちろん、だからいい、というものではない。身体の不調で休職した教職員が以前より増えた、という話は全くないのだから、これも教員不足の主因の一つだと言うなら、学校の精神衛生状態(それが他の仕事場の問題と連動していてもいなくても)がどうなっているのか、考えるしかない。

 ところで、文科省の調査には、続きとして「教師不足の要因(2)臨時的任用教員のなり手不足」があった。実はこれが問題を深刻化している。育児休暇や病欠は、いつかは復帰するのが前提だから、そのために正式な教諭を採用するわけにはいかない。いわばつなぎとして、一年契約の講師が使われる。その講師は、教員免許を持っていることは最低条件で、たいていは教員採用試験に合格しなかった若者や、教員を定年退職した年配者がなり、原則として講師登録名簿登録者が選ばれる。その登録者自体が最近減っている、というのである。それで講師が見つからなかった場合には、その負担は正規職員が負うしかない。
 教師という職業の魅力が一般に乏しくなっていると考えるべきであろう。講師の希望者数のみならず、教員採用試験の志望者も減っているのだから。令和5年度の公立学校の受験者数は40,636人で、前年度に比較して2,812人減少。倍率は全国平均で3.7倍、これも前年度の3.8倍より減少している(東京学芸大学総合教育政策局教育人材政策課『教員採用倍率の低下と「教師不足」等について』)。そして、合格者の中から、前述「教師不足の要因 (1)」中の④採用辞退者、つまり試験にはパスしたが、教壇には立たない人が引かれる。
 これに対処する「働き方改革」の一環として、学校の業務軽減も図られた。その成果は文科省の『教員勤務実態調査(令和4年度)【速報値】』にまとめられている。管理職ではない教諭の、週当たりの在校等時間(出張なども含めた勤務時間)を前回調査の平成28年度と比較すると、小学校で57時間29分→52時間47分、中学校で63時間20分→57時間24分と、確かに減ってはいる。それでも、一般の法定労働時間1日8時間、週40時間を基にしても、小学校教諭で12時間半近く、中学校教諭は17時間半近く超過勤務をしていることになる。過労死の認定基準とされる月80時間、週20時間の超過労働時間はかろうじて下回っているようだが、この数値は平均だから、このラインを軽く超えている教員も1,2割はいることだろう。

 繰り返すが、教師の仕事を減らすのは難しい。献身的であるのが当たり前の立場であって、しかも、教師自身がそれを疑問視するのはタブーになっている、と言っても過言ではないのだから。
 例えば歌人にして仙台市の高校教師だった佐藤通雅氏は、小浜逸郎氏との昭和60年の対談(『別冊宝島47』)で、「教師自ら自分たちのやっていることは無力なんだと言うことはタブーだった。それがタブーでなくなったのはつい最近なんですね」と言っている。
 そうなのだが、微調整を加える必要はあるだろう。例えば授業内容を一教室のすべての生徒に完全に理解させるということ。それは不可能である。ただし、教師によっても、授業のやり方によっても、生徒の理解度に相当の差が出ることは否定できない。その意味で、教師の仕事は無力とは言えないし、よい授業ができるように工夫することは義務だと言って差しつかえない。しかしそもそも、まず生徒全員に授業内容に興味を持たせようとすることからして容易ではない。教師ではなくても、自分の学生時代、いつも教師の説明や教室内の学習活動にちゃんと集中できていたか、虚心に振り返ればわかるはずだ。
 もっとも、生徒全員にテストで100点を取らせることができる、と言う小学校教師もいたが、それは、嘘をついているのでなければ、一番理解の遅い子に合わせた問題を出す、ということであって、平均以上の学力の子には無駄な時間を強いていることになる。しかも、いつまでもゴマかせるものではない。もし全員が本当に同じ学力を身につけたなら、そのクラスの生徒が同じ私立中学を受験したら全員合格しなければならないはずだが、そんなことはないのだから。
 だから、こんな無意味なことをやったり言ったりする教師が減ったことを「タブーではなくなった」と佐藤氏は言ったのだろう。けれど、「教師自ら…言うこと」は現在でもタブーではないか。「どんなに一所懸命授業をしても、どうしても理解できない生徒は出てきてしまう。これは仕方ないことです」と、教師が言ったとしたら、あなたはすんなり「そりゃ当たり前だ」と認めますか?
 私が直接知る限り、そういう大人はいなかった。現実は誰でも知っている。それでも、ではなくて、だからこそ、教師が「それでいい」なんて認めるのは問題だ。できなくても、どこまでも理想(か?)を求めて努力すべきなんだ、できないのは、生徒の側に原因があるのではなく、自分の力量不足のせいだ、とひたすら反省すべきなんだ、という意味の言葉を、何度聞いたろうか。
 昔はそれでも特に問題がなかったのは、世間一般に、理想、ではなくタテマエはそれとして、実態は別にあり、タテマエ通りにはできないからって、個人としての教師を責めるなんて酷だ、という健全な大人の常識が今よりはまだしも働いたからだ。それが少なくなったのは、公平に言って、世間一般より、学校内部、及び教育行政やそこに採用されている教育学からの声が大きかったせいだと言わざるを得ない。
 特に後者は、これまで何回も言ってきたように、教育現場の実際の改善より、教育の「理想像」を守ることを至上命題にしている。だから教師が「~はできません」と言うのを決して認めず、言うこと自体が怠慢でしかない、とする。教師の中にも、同僚にマウントをとりたくて、「それはお前の指導力不足だ」などと直接間接に圧力をかける者が出てくる。
 最後にモンスター・ペアレンツが、タテマエを全面的な盾にとって、その通りにはできない教師を責める。「保護者や地域の学校や教師に対する期待が高まっ」た、とは、具体的にはそういうことだ。そして、高圧的教師とモンペが、自分たちを棚に上げる技術だけは、まことにすばらしいものだ。
 かくて、一番割を食うのは、小心で真面目な教師である。彼らは、できないことは依然としてできないが、せめて、必死でやろうとしているという姿勢だけは、学校の内外に示さなければならない、と励むようになる。すると、一度やり始めたことは簡単にはにやめられない。
 こんなに宿題を出す必要はない、と思っても、出さないで生徒の成績が下がったりしたら、その原因は実ははっきりしていなくても、きっと宿題を減らしたせいだ、これは教師の手抜きだ、と言われるだろう。まして現在は、毎年デジタルで人事考課(業績評価)がなされている。どうしてそんな危険なまねができるものか。

 こういうところに、上から教育改革のお達しが来る。行政職は、教員よりは偉いが、文科省にしても、行政全体の中でそれほど立場が強いわけではない。改革案自体はいいものでも悪いものでも(いいものなんて一つもなかった、というのが私の実感だが)、実践になると教師を使う以外の権限はないから、必ず教師の仕事を増やす。
 そして、その実践報告をするというオマケまでもれなくついてくる。学校の中で一番仕事量が多いのは教頭だということは、前出の調査にもはっきり出ているが、それは、そのとりまとめがほとんど教頭の仕事になっているからだ。もちろん、一般の教師でもこれを免れるはずはなく、「仕事をした証拠を作る仕事が膨大に増えた」という嘆きは、ずっと以前からあった。
 だいたい、今度の「働き方改革」でも、各学校がどう取り組んでどういう成果があったかの報告は必ず求められるから、その分教頭以下の仕事は増える。教師の仕事を軽減しようとしたおかげで忙しくなる、こんな冗談みたいな事態が普通に起きるのが学校なのだ。
 さらにもう一つ、この報告には、決して失敗例を挙げることは許されないと、誰も言わないが、学校では誰でも知っている。「かくかくの指示に従いしかじかの実践をしましたが、うまくいきませんでした」なんて正直に書いたりしたら、「それはお前たち教師の力量不足だ」と言われるだけであることはわかりきっているからだ。ここでも、教師が「できません」と言うのは、「自分は無能だ」あるいは「怠慢だ」と言うのと同じで、つまりタブーなのである。
 「ゆとり教育」のような、一般に失敗だったとされている施策であってもそうだ。総合的学習の失敗例など、もし公に報告されているとしたら、是非教えていただきたい。成果はあったが、「(あくまで自分たちの)課題は残る」ぐらいが精一杯のところだ。  
 公式には、成果はあった、それなのに、よそから批判が出て、廃止される。いや、完全に廃止されたならまだしも、中高では週1時間程度は残っている。もちろん教師の要望からではなく、完全に失敗、などと認めたら、これを推進した行政側の汚点になってしまうからだ。やがて時が過ぎたら、かつての必修クラブの時間と同様、忘れられて、消滅するだろう。
 他にもたくさんあるが、ざっとこのような経緯で、教職はブラックになりやすい。仕事が無造作に精神論に結びつき、それでいて、ではなくて、そうであればこそ、教師の主体性など全く等閑にされる。給与は悪くはないし、倒産で仕事場がなくなることはないという意味で安定はしていても、さほど多くの人が積極的につきたがらないのが当然なのである。この根本の部分を見直さない限り、危機的な状況は変わりようがないのだと、一人でも多くの人に知ってもらいたい。もし、あなたが、本当に「危機」だと思っていればの話ではあるが……。

【一番上の、Youtubeのずんだもん動画に引用されているのは、「仕事とはお金のためにするのではない。相手を幸せにした分だけ『ありがとう』が返ってくる。それを集めるためにするんですよ」という言葉です(出典不明)。これを言ったとされるブラック企業の社長さんがかつての「教育再生会議」のメンバーだったのは、なかなかよく利いたブラックユーモアですね。】
コメント (2)
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