由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

【小説】迷走する乗り物

2023年06月28日 | 創作


 薄暗い部屋の中にケイは胡座をかいて座っていた。二〇年ぶりぐらいで、お互いにずいぶん変わったろう。しかし思い返してみれば、私は彼の顔などほとんど忘れていたのだ。しかし、これはケイだ。それが証拠に、昔通り、いきなり妙なことを言い出した。 
「それじゃ、意識について話そうか」
 まあそんなようなことを、以前に彼の口から聞いたか、彼が書いたものを読んだような気がする。
「それはまず、自己意識のことだとしよう。いいかな?」
 とりあえず、頷くしかない。
「君は今外からこの部屋へ入って、中にいる俺を見た。そして俺の話すのを聞いている。世界は君にとって、そういうものとして、ある。つまり、君の意識にとっては、ということだ。こういうこと以外に、君が世界を知ることはできない。それはそうだが、しかし、それは本当にそうだろうか。部屋があって、俺がいる。それは本当にあることか、それとも君がそう思っているだけか。確かめる手段はあるのかね」
 またはじまった、と私は苦笑するしかなかった。しかし、彼の前にいるのだから、一応話は聴こうじゃないかと思って、腰を下ろした。その合図は伝わったものかどうか、ケイは昔のように、委細かまわず話し続けた。
「あらゆることも、ものも、疑うことができる。しかし、それだけは確かだとすれば、〈あらゆるものは疑える〉と疑っている自分がいなくてはならない。もしそれをも疑わしいと言うなら、〈あらゆるものは疑える〉こと自体が疑わしいことになるからだ。こうして〈自分〉は定立される」
 面白いか、そんな言葉の堂々巡り? と思っていると、
「面白くないよな」ケイは言った。
「え?」本当に驚いた。あまりにもタイミングがよすぎたから。心を読まれたか、と本当に思ってしまった。
「わかってるよ。そんなの、なんの証明にもなってない、と言いたいのだろう?」
 そんなこと、言いたくなかった。でも、本当にそうか? その時の思いを詰めてみると、そういうことになるのではないだろうか? はっきりとはわからない。
 なんてこともまた、しばらくしてから思ったことだ。その時は少し呆然として、特に何かを考えてもいなかったと思う。その状態の頭の中に、ケイの言葉が流れ込んできて、流れ去った。
「〈自分〉つまり〈自分という意識〉の側から〈自分はあるかどうか〉と問えば、いわゆる自縄自縛で、堂々巡りを繰り返すに決まっている。それではどうするか。ひとつ、視点、というか、出発点を変えてみたらどうだろう」
「出発点?」
 私はいわゆるオウム返しで言った。これでも対話のようになる。対話するコンピューターの得意技だ。つまり、意識のない相手とでも、ある程度なら対話をした、つもりにはなれるんだ。これも後で思いついた。
 現にケイは大きく頷いた。
「うん。意識はどうして生じたか、その起源に遡ってみるんだ」
 私は黙って彼の顔を見つめていた。これでも対話している気になれる。こればかりはまだコンピューターにはできない。生きている人間の得意技だ。
「今地球上に存在している生物は、まあ一日に何百種か絶滅しているという話があるが、種としては何千年かは生き延びているはずなんだから、それだけの特性を備えているはずなんだな。……そうだ」
 私は相変わらずなんの反応もしなかったのだが、ケイの頭の中では私が「特性って?」とでも呟いた感じになったのだろう。この場をビデオにでも収めればそれはモノとして〈客観的に〉残るのだろうが、それとは相対的に独立して、ケイの主観は残る。まあ、忘れるまでは。
「敵から身を守るための甲羅とか、敵を倒すための牙とか爪とかだな。敵というのはこの場合、自分の生存を脅かすものだ。いや、これちょっと早すぎたかな」
 ケイは今は私の頭の上の宙を眺めていた。自分の考えに没入して、私の存在は忘れたか? それとも、眼と、頭の片隅には残っていたか。わからない。忘れられたか片隅に追いやられたかした〈私〉とは何か。わからないまま、ケイの言葉だけは聞こえていた。
「ええと、生命の誕生は、究極的には謎なんだが、だいたいはこうだったかな。約三十五億年前、化学反応によって海中に、まあその元は隕石によって宇宙からもたらされたという話もあるけど、ともかくアミノ酸が産まれ、タンパク質を合成し、簡単に分解されないように細胞膜も作られた。その中で、自己複製能力があるRNAが形成されて、分裂によって増殖していった。これが最初の生命と考えてよい。
 ところで、とても脆いものであっても、細胞膜ができたのなら、膜の〈中〉と〈外〉ができたと言うことだ。そして分裂するんだから元は一つだったとしても、それぞれが別の膜を持つRNAが複数できたということだ。そのそれぞれが〈内側〉を持つ。そのとき自・他の区別がすでにあった、ということになる。こうして〈自分〉はできた。あ、もちろん、〈自己意識〉はまだだろうが。
 その後、より複雑で高度な分裂・再生ができる二重螺旋構造のDNAが生まれ、その他、生物を形成するのに必要なすべてを収納する〈核〉が生まれ、いくつかの細胞が結合して、生殖なら生殖、呼吸なら呼吸を担う部分部分を統合した大きな〈肉体〉と呼ばれるものになった。なんのためだ? 激変する地球環境の中で生き延びるためだ。とりあえず、海の中を、次には陸上を自由に移動できる能力は、その場の環境が悪化してもよそに行けるから、絶滅は免れる。そういう具合に」
「生物は遺伝子の乗り物、ってやつかい?」私はやっと言うことができた。
 ケイはびっくりしたように私を見た。「まあ、そう、だ」
「悪いけど、そこで、意識、じゃなくて意志か、みたいなものを想定するのは順番が違うみたいだよ。遺伝子が、そうなろうと思って、そういう進化を遂げたんじゃない。さまざまな形態が生まれて、そのほとんどが死滅して、生き延びる能力を備えたものが生き延びた。そういう能力は何十億年もの時間の中で、奇蹟のような確率で生じたのかも知れないが、何しろ偶然だ。偶然をあとから振り返ったら、必然のように見えるんだ」
「と、そう思っているのは君だ。そうだろ?」ケイはしたり顔で言った。やはりそうきたか。
「そうだが、それでどうなるんだい? 今君が言っている意識というのは、遺伝子に〈生き延びようとする盲目の意思〉かな、それがあったとしても、そういうものとはまるで違うもののはずだ」
「そう急いじゃいかん。まず、君にそう言わせている〈意識〉だな。それがなんの役に立つのか、を考えようじゃないか」
「役に立つって、ええと、私の中にもある遺伝子が生き延びるために、かい?」
「そうだ」
「立ってるんじゃないかな。世界の人口は、一八〇〇年頃に一億人に達し、その後爆発的に増加して、近年八十億人に達したようだ。乗り物がたくさん増えるのは、まあいいことに違いないから。これは、一八世紀の産業革命からこっち、人間の生活が豊かになったからだ。すべての産業や、医療の発達は、人間の意識がなかったら考えられないものだ」
「そうだな。それは人間が、悪環境から逃げ出すだけじゃなく、自分たちを取り巻く自然環境を〈外部〉とみなして、それを人間の存在にとって有利なものに変えるということだ。もちろん小規模なら他の動物もやる。鳥が巣を作ったり、ビーバーが川の流れを一部堰き止めたり。しかし人間が道具を使ってやることは比較を絶して大規模で、徹底している。それはまちがいなく、意識の中でも知性と呼ばれるものの働きだ。それだけなら、〈生き延びる〉という遺伝子の目的、ああ、少なくとも後からはそう見えるもの、に適合していると言える。しかし、そうではない働きも意識はする」
「そりゃそうだ。遺伝子が生き延びるために生活し、活動しようなんて思っている人はいない。個々人が幸福になりたくてやるんだ。自分一個の都合で子どもを作らないで死ぬ場合もある」
「自殺したり、それどころか、自分勝手な理由で他の個体を殺して、つまり他の個体が子孫を残すことを妨げたりするな。みんな自己意識の働きだ。こういう話の大本になっている感じの〈利己的な遺伝子〉から考えて、不合理極まりない。それはどうしてだ?」
 私は一応反論になりそうなことを頭の中から掘り出した。
「それほど大事じゃないさ。確かに個々の生物という乗り物がたくさんあるのはいいことだとさっき言ったが、ここまで増えたら、個々のモノの重要性は相対的に下がるだろう。だいたい、君を形成して、今も君の中にある遺伝子とは、君のオリジナルじゃない。そうだったら、〈遺伝子の乗り物〉なんて発想も出てこない。個々のRNAにまで分解したら、それは生命誕生の時点まで遡ることができるかも知れない。それにしても、自分をコピーし、様々に結合したり変異したりを繰り返して、多くの人の中にばら撒かれている。人口が半分ぐらいにでもなれば、それは遺伝子にとっても一大事かも知れないが、君一人が子孫を残さないとしても、どうってことはない。
 それにね、遺伝子が我々のすべてというわけじゃない。もうずいぶん前から研究されているみたいじゃないか。一卵性双生児は遺伝子情報は同一だ。しかし、成長の過程で、けっこう違いが出てきて、親なら確実に見分けられるようになる。まあだいたいは、せいぜい六〇パーセントぐらいが生得的に決まっていて、あとは生後に、固有の環境によって得られる特徴になるようだ。だから、指紋は別になる。それより何より、遺伝子は同じでも、双子の兄弟同士はやっぱり別の人間で、それぞれ別の自己意識を持っている。遺伝子は人間の体を作り出す材料と、設計図を提供するかも知れないが、できあがる生物そのものではないんだよ」
 ケイは声を上げて笑った。
「遺伝子から見たら、勝手に行動できる動物は、特に人間なんてのは、発達しすぎて制御しきれない乗り物、ということになるのかな。しかし、今はその人間が、遺伝子を組み換えて、新しい生物を作ろうとしている。もちろん、それは神の領域に手を出すことだ、なんて反対する声もある。それも無理はない。人間が作った乗り物の扱いをまちがって、暴走して、事故が起きる、なんてのはよくある話だけど、人間の意識そのものは、生命の存続から見て、あまりに逸脱し過ぎているようだからな」
「それも、そう思い込んでいるだけかも知れないんだ。私がさっき言った知識は、ごく浅い、いい加減なものだが、最先端でも、自然についてごく一部を単純化したモデルを作って、それですべてを理解したつもりになっているだけかも知れないんだ。極端な話、すべてが幻だということだってあり得る」
「それにしてもだ、自分のルーツを求めて、観察して、実験して、考えて、それについての、たとえモデルでも、イメージでも、作ってしまうのはすごいことだ。例えば自動車は、将来完全な自動運転ができるようになったしても、〈運転する自分とは何か〉なんて決して考えないだろう」
「〈考える葦〉か。しかしこの葦は、まず自分の弱さ、不完全さを見つめ、考えるもんだよ」
「それもまた幻ではない、とどうして言える?」
 幻。その言葉が頭の中で鳴り響くような気がした。最初に自分がそう言ったのだ。が、本当にそうか?
「知ってるかい、分かる、という言葉の語源は〈分ける〉なんだそうだ。上と下、前と後、明と暗、内と外、有と無、知と無知、という具合に世界を分けていって、ついには〈分かること〉と〈分からないこと〉も区分してしまった。意識の、知の方向として、それしかなかったようだ。しかしそれは、遺伝子というのか、〈生命そのもの〉から見て正しい方向だったのかどうか。むしろ、最大の迷妄だったのじゃないか。今の知の範囲だと、生命なるものもまた、極めて稀な、例外的な現象だとしても、惑星の運行と同じような、特に意味のない事態に過ぎない。でも、実際はこうじゃないか。この宇宙に意味を作り出す、それが生命の本当の目的で、我々は今、その前で、子供のようにただ恐れて、途方に暮れて佇んでいるんだ」
 そろそろ目を覚ますべき時だ。内部の何かが呟くと同時に、ケイの姿は消えて、いつもの自分の部屋のいつもの景色が見えてきた。
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【小説】大陰謀

2021年08月21日 | 創作

Witenagemot, scene in the Illustrated Old English Hexateuch (11th century)

  小柄で紙のように白い顔の老人は、小さな部屋の壁際に置かれた机の前にちょこんと座っていた。机にはパソコンが一つと、プリンター。反対側の壁際にはベッド。木の丸椅子が一つ。紙くずが下から半分ほど溜まった屑籠。その他に目立つ調度品は何もなかった。部屋は一応清潔だが、かすかに老人特有の饐えたような匂いがした。
 入って来た二人を見ると、老人はマスクなしのむき出しの口をもぞもぞ動かして、話し出した。

「来たな。まあ、座るがいい。ベッドに腰をおろしてもいいぞ。雑誌記者か。ここまでたどり着いた眼力と根気は褒めてやろう。で、何が訊きたい? 今起きている本当のこと、か? コロナ禍という、現存する人間がほとんど経験したことのない事態のおかげで、世界中が混乱し、そのためにかえって、今まで隠されていた真実が顔を出したのではないか、とな。笑わせてくれるわ。そんなものが簡単にわかるわけはなかろう。わかるなら、それはつまり大したことのない話、という証拠なんで、それだけで、お前がたが知っているような、重要な話、とやらは、みんな作りごと、と思っていい。大抵の人間は、善悪がはっきりしている、単純な話が好きじゃからな。騙そうと思ったら簡単じゃ。むしろ、『俺はダマされたいんだ。どうかうまくダマしてくれ』と言っているのも同様、と儂からは見えるぞ。昔との違いと言えば、どんな他愛のないフィクションでも、インターネットの、SNSのおかげで、はるかに広い範囲に、瞬く間に広まるところじゃ。すると、この手の話にも影響力があるように見える、すると、本当に影響力を持ち出すんじゃ」

「目下のところ盛り上がっている話題は何かな? 例えば、ヒキ・ゲエルか。IT世界の最終的勝利者、世界で三番目か四番目の金持ち。企業経営の第一線を退いてからは、欧米ではよくある話じゃが、福祉事業を手がけておる。その慈善事業が、主に、開発途上国へのワクチン供給なもんじゃから、コロナのおかげで、ワクチンの存在感がかつてなく大きくなるにつれて、より多くの興味を惹くようになったんじゃな。すると、実は彼の真意は、ウィルスとワクチンの二つの手段で、人口削減、つまり人間を大量に殺し、かつ生き残った人間を支配することにあるのだ、などという話も出てくる。これについて解説しようか」

「この話の大本ははっきりしとる。10年ほど前の、ゲエルの講演じゃ。今でもネット上で見ることができる。この中で彼は、地球環境について論じ、その中の一つとして、人口増加問題にも触れている。今の世界の総人口は約六八億、同じ増加率が続けば、二〇五〇年には九〇億に達すると予想される。すると、食料や医薬品を含めた資源不足の危険は当然あるし、人間の呼気だけでも、CO2問題は解決不能になる、と言う者も居る。なんとかせねばならん、と。具体的には、現在人口爆発と言っていいほど増えているのは開発途上国なんじゃから、この状況を変えよう、ということになる。
 ゲエルは、これらの国々にワクチンや適切な保健医療制度を行き渡らせれば、人口増加をいくらか抑制できる、と言った。一見、あれ? と思えるじゃろ。ワクチンを含めた医療とは、人命を助けるものであるはずじゃ。ちゃんとうまく働いたら、子どもを含めて、今までなら死んでいた者も助かるようになって、人口は増えるんじゃないかとな」

「この時は言葉足らずだったんじゃよ。彼の他の言説を閲すると、こう言いたかったんじゃ。開発途上国の人口爆発が止まらないのは、多産多死型社会だからじゃ。南アフリカあたりだと人々の平均寿命は短いし、幼児死亡率は先進国のおよそ倍だ。すると、社会防衛のための本能から、と考えられるが、自然にたくさん子どもを産むようになるのよ。とは言え、実際は九割以上の子どもが五歳以上生き延びるし、半分の人が五十歳以上生きるから、総体として人口は増える。昔は人類社会は全て、どこもそんなもんじゃった。保健医療の発達のおかげで、平均寿命が延び、幼児死亡率が下がれば、そんなに多くの子どもの必要は感じられなくなり、結果出産数は減り、少ない子どもにはより手厚いケアと、教育も施されることになる。すると、国が発展するから、ますます多産の必要はなくなる。現に、先進国では少産少死段階に達したから、人口増加率はゆるやかだし、日本なんぞは、減りすぎが問題になっているほどじゃろ?」

「この見通しが正しいかどうかはわからん。ゲエルその人やワクチンに反発する人間の多くと、それよりもっと多くの、この世界の悪の元凶を見つけたい人々にとっては、往々にして、そんなことはどうでもいい。言葉の表面の矛盾に固着して、ワクチンは、少なくともゲエルが開発や普及に関与しているものは、むしろ殺人兵器だ、というお話のほうが、ショッキングでスリリングだから、すぐに広まる。あとは、ネット空間を主な住処としている創作家たちが、より分かり易くて面白い物語を作り上げるんじゃ。
 もっとも、ゲエルについては、まださほど面白いストーリーはできていないようだがな。まあ、SNSの記事というのは、基本短いから、断片的になってしまう、ということはある。儂がまとめると、概ねこうなる」

「すべてはDS(ダーク・ステイツ、陰の政府)が仕掛けたことだ。彼らは以前から各国政府を裏で操っていたのだが、いよいよ支配を完璧にすべく動き出した。コウモリの体内にいたウィルスから、ヒトにも伝染るように改変したキメラウィルスを作って、撒く。何しろ人類がこれまでに出会ったことがない病気が広範囲に流行るのだから、全世界的なパニックとなる。ワクチンの開発が急がれ、事実それは驚嘆すべき早さで作られ、実用化される。少し怪しいな、と疑う気持ちもなんのその、自分が接種するだけではなく、他人に伝染されるのはまっぴらごめんと恐れる人々は、陰に陽に未接種者に圧力をかけるから、このワクチンもまた、瞬く間に広まる。この段階でDSに結びついた製薬会社等は大儲けできるわけだが、そんなのは序の口。ワクチン中には、微少なナノチップが仕込まれており、接種した者の位置情報がわかるだけではなく、いざとなれば爆破して血管を破壊し、その人間を殺すこともできる。こうして、誰もがDSに逆らうことはできなくなる。ゲエルが開発途上国へのワクチン普及に熱心なのも、つまりはそのためだったのだ、と。
 ……何か言いたげじゃな。できの悪いSF小説じゃないか、とでも? だから最初から言っておろう、たいして面白くはない、と。別に儂らが作った話ではない。しかし、今起きている本当のことを覆い隠すためには都合がよさそうだから、放っておくばかりなんじゃ」

「だいたいな、DSというか、ワイズメンでも、名前はどうでもいいんじゃが、儂らの捉え方が根本的にまちがっておるのよ。闇の組織の大物というと、どこか奥地の要塞とか、そうでなくても大豪邸に住む成金を思い浮かべる。これがまず、漫画並の想像力なんじゃ。儂らの仲間には、ゲエルがそうであるかどうかは言えんが、確かに金持ちもおる。それも、小さな国の年間予算並みの金を自由に出来るような。するとどうなるか、わかるかな? 金に対する興味が無くなるんじゃよ。金なんてものは、現金であれ預金通帳上の数値であれ、所詮はモノを交換して流通させる手段に過ぎない、それがはっきりわかるからな。その、モノにしてもじゃ、人の物欲には限りがない、などと言うが、個人単位でみれば、あるんじゃ。つまり、飽きるんじゃな。栄耀栄華、錦衣玉食、酒池肉林、などなど、やり尽くす前に、うんざりする。それでもやり続けようとする者も、まあいるが、哀れなもんじゃよ、これがなくなったら自分が消えてしまうとでもいうような執着心とは、むしろ、モノに必死で縋っているようなもんじゃないか。一番原始的な、生命への執着の現れかな。別に悪くもない。どんな者でも、寿命という限界はあるんで、それを越えて欲望が追求される、なんてことはないんじゃからな」

「権力にしても、だ。周りの人間が、なかなか自分の思う通りに動かん、いやかえって、こっちを好きなように動かそうとするのが不満じゃから、社会的な力が欲しいんじゃろうが。儂を好きなようにできる人間なぞおらんぞ。儂は儂の好きなように生きておる。孤独に耐えられる精神の強さがあるなら、そんなことはすぐに実現できるんじゃ。そうでなくても、お前がたに訊きたいんじゃが、地球のどこかにいて、まず一生会う見込みのない人間が、自分をどう思うかなんて、気になるかな? ふん、まあ、この問い自体が無意味じゃな。そういう人とは、お互いに全く知らないんじゃから、どうとも思いようがないからな。ヒキ・ゲエルのような、超有名人にしても、知らない者の方が絶対に、圧倒的に多い。で、それを踏まえるとじゃ、世界全体を支配する権力、とはいったい何かな? 全く知らない人間でも思うように動かしたいと? 動かすも何も、お互い、存在していないも同様なのに? そんな力こそ、さっきのSFと同様、それ自体が子どもっぽい空想でしかないんじゃよ。わかるかな?」

「つまり、金儲けに狂奔する奴、それに、権力闘争に血道をあげる奴というのは、あらゆる意味で、中途半端な分限者としか言えんのじゃよ。儂らの仲間は、とっくにそういう段階を越えた者から成っておる。だから、こういう狭い部屋に逼塞しているように見えても、一向に平気なんじゃ。そしてそういう者だけが、自分一個を超えて、この世界と人類について、真面目に考えることができる。それこそ自分たち選ばれた者に課された義務だとわかるからな。だって、そうじゃろ、君たち庶民は、自分の生活で精一杯なんじゃから。それでいい、ではなくて、いいも悪いもありゃあせん、どの時代でも、大部分の人間はそうしたもんだというだけじゃ。それだけに、個々人としてあたりまえにやっていることが、総体としてはどえらい結果を招くとしても、気づくことはできん。目の前に突きつけられても、およそ現実感のない、夢物語としか思いようがない。だから、いろいろ埒もない夢物語が流行るんじゃ」

「さてそこで、今起きていることの正体、というより、意味じゃがな、お前がたにどの程度理解出来るか、心許ないが、せっかく来たんじゃから、一番の根源だけ話そうかの。それは、個々人やら、個々の国家や、民族ではない、人類全体の不幸に関することじゃ。なくなったわけではない。人類がある限り、永久になくなりはしないが、今それが、かつてなく見えづらくなっておる。不幸、という言葉は相応しくなかったかな、常に身近にあって、こちらの生存を脅かす危険のことじゃ。飢えとか、疫病とか、戦争とか。人類は今まで、そういう危険を完全に逃れることはできなかったのは、わかるな? 無論、人類だけではない、あらゆる生物が、厳しい生存競争をくぐり、ある種は滅び、他の種は子孫を残す。それが、生きる、ということの常態なんじゃ。人類は、他の生物との競争に打ち勝ち、全く例外的な安全で安穏な生き方ができるようになった。ここに、最大の罠があるんじゃ。さっきの話にも出てきた、地球環境がどうとかではないぞ。人為による環境の変化など、地球の誕生からこっち、この星が経てきた数々の変動から見たら、取るに足らぬ。ただその変化の中に、人間にとって都合が悪いことがありそうなんで、騒いでおるだけで、人間中心主義は少しも変わっておらん。それも当然、しかし、当然としか思えないとしたら、生物としてのまっとうなあり方から外れる。正道にもどるためには、目に見える形で、大きな危険を呼び戻さねばならん。昔はそれは、神罰を下すという、神の仕事だったのだが、宗教心が衰えた今は、神も無力になったのか、それもできんようじゃ。それなら、最も神に近い儂らがやるしかない。手段としては、物質でもなく、生物でもなく、その中間のものを使うのが適当じゃ。だから」

 老人は突然言葉を切り、がっくりとうなだれた。二人の雑誌記者は驚いて、しばらく様子を見たが、やがてかなり大きな鼾が聞こえてきた。老人は眠っていたのだ。
「ああ驚いた。マスクなしなんでコロナにやられたか、それとも、余計なことを言い過ぎたから、ナノチップを爆発されちまったのかと思いましたよ」と、若い方の男が言った。
「そんな大したことは言わなかったじゃないか」
 先輩記者は老人に近寄って少し顔を眺めてから、室内のインターホンを押して、この老人ホームの職員を呼び出した。
「それで、どうです? 記事にはなりそうですか?」
「無理だな。令和の葦原将軍を期待したんだが、そんな痛快な爺さんじゃなかった。妙に理屈っぽいだけで。政治家や有名人をこきおろすでもなく、宗教的なところも中途半端、壮大な予言もなし。つまらない暇つぶしだったな」
 こうして、現在最も貴重な真理は、片鱗も世に出ることなく、葬られたのだった。
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【小説】宇宙をぼくの手の中に

2020年01月27日 | 創作

望月一扶脚本・演出「銀河鉄道の夜・前編」 『80年後のKENJI~宮沢賢治21世紀映像童話集~』NHKBSプレミアム平成25年

 私にしては珍しく、葉書をもらった。門にある郵便受けから出して眺めたら、なんだか変だった。裏面に「僕は行く。今度はどうやらわかりそうだ。それを君に伝えることができないのが唯一の心残りだ」とだけ殴り書きしてあり、それ以外には差出人の住所も名前もない。もしかして配達違いかと思って表をじっくり見てみたが、こちらの住所と名前は合っていた。もっとも、郵便番号はない。
 ケイだな。他の者であるはずはない。あいつ、私の実家の住所を知ってたっけか。
 ケイは大学時代の同級生だ。親しかったかと言われると、どうだろう。だいたい私には、小学校から大学にかけて、そして今も、親しい友人なんぞというものができた例はない。彼もそうらしかった。この共通点(かな?)があるので、ちょっとは話すようになった。そういう仲だ。
 つまり、どっちも変わり者だった。その中では、たぶん、向こうのほうが度合いは上だろうと思う。何しろ、脈絡なんて全く関係なしに、突拍子もないことを言い出す。例えば、「なあ、ビッグ・バンて知ってるかい?」とか。
 思い出した。季節は今と同じ、冬で、五時半ぐらいだったか。校舎も街並みも闇に沈んでいて、空には星がよく見えた。宇宙を考えるには相応しい時間ということか、ケイの口調には妙に熱気が籠っていた。
「こないだホーキング博士が日本へ来て、言ってたのを、テレビで見なかったか。宇宙は大昔、始原の原子の爆発的な拡張から始まった。時間も空間もその時から生じたものだ。だから、ビッグバンよりも『前』というのはない。ビッグバンの前には何があったのだと問うのは、北極点でここよりは北はどこだ、と尋ねるようなもんだって。この話、ちょっとおかしくないか?」
 試してるわけ? と思ったが、私も、いつもたいていそうであるように、ヒマだったので、話に乗ったのだった。
「ええと、こういうことかな。ビッグバンが、起きた、んだよな。起きた、のなら、起きた状況があるはずで。たとえ、全くの偶然みたいなものだったとしても、偶然が起きる状況は、ある。それがなけりゃ、ビッグバンもない、はずだ。その状況は、ビッグバンに先駆けていることになる。そんなようなことか?」
「そう思えるよな」ケイは何か考え込む様子で言った。
「まあ普通の人間なら、そう考えるよな」と、私は言った、と思う。
 私たちは薄暮の中を黙って歩き、やがて別れた。
 もうこの話はこれで終わりかと思っていた。しかし、そうではなかった。何日かして、また二人になった時、言ったのだった。
「あらゆることには原因がある。これは普通の人の考え方っていうより、近代科学の出発点になった信念なんだよね」
「ああ、ええ、確か、そんなようなことを聞いたことがあるような」
「それなのに、科学は今、ビッグバンが起きた理由を考えることを、科学の名において拒否してるんだぜ。これって、科学の敗北じゃないのか?」
 私の頭の中は、その時も今も、ゴチャゴチャいろんなものが渦巻いている。しかし、時折、何かが閃くことはあった。例えば、次のようなことを。
「それさ、どっちかっていうと、言葉の問題のような気がするんだけど?」
「え?」ケイは驚いてこちらを見た。
「宇宙の果てはあるのかないのか、時間の始まりはあるのか、終わりはどうか、なんて、一九世紀に、もう、科学者じゃなく、哲学者のカントが、問題として提出して、これには答えは出せないっていう答えを出してた、はずなんだ。それは、一定の答えはないっていうより、人間の認識能力、認識のために使う言葉が、そういうふうにはできていないんだ、ってことで」
「それはつまり」ケイは低い声でゆっくりと言った。「ハイゼンベルクの不確定性原理もゲーデルのなんたらも、相対性理論もない時代に、人間の認識能力の限界はわかってたってことか?」
「たぶんね。言葉の問題ということなら、科学者より哲学者のほうが専門家だから」
「つまり、認識の問題とは言葉の問題である、と」
「そうでしょ。人間て、言葉を使って認識するもんだから」
「数式は?」
「それも言葉の一種。情緒からは一応切り離されてるんで、客観的で正確な記述のように見えるけど、しょせんは人間が考えたもんじゃないか」
「だから、限界はある、と。ただ、限界があることだけはわかるんだな?」
「ううむ、むしろこうじゃないのかなあ。あらゆることに原因がある、そして人間はそれを知ることができる、という信念から出発した近代科学は、どんどん発達して、ついにもうこれ以上は知ることができない、という限界に到達した。地球が動いているのか、地球以外の宇宙が動いているのか、宇宙の外側から見る視点がない限り、決してわからない。しかし、それを認めたって敗北じゃない。そこまではわかった、ってことなんだからね。しかも、限界内部でも役に立つことはたくさんはある。
 本当に本当のことって、人間にはわからない。例えば、引力なんてものが本当にあるのかどうか、誰にも分からない。その意味では、全部仮説なんだ。しかし、そんなことにはあんまり頭を使わないで、一応あるってことにして、地上でりんごが落ちるのも、惑星の運行も、すべてを単一の法則にまとめることができれば、この条件なら次にこういうことが起きるって予測できる。それで、飛行機も飛ばせれば、ロケットも打ち上げられる。つまり、世の中の役に立つんだ。電気も同じでしょ。そんなものがあるかどうか……」
 私は確かに、調子に乗っていた。この種の長広舌にまともにつきあってくれる人は滅多にいないからだ。それだけに、ケイが急に顔を背けて、「じゃ、さよなら」と、スタスタ歩み去った時には驚いた。
 またか、と思った。私は、ふだんはどちらかというと無口なのに、一度しゃべり出すととまらなくなる。たぶん、それが主な理由で、ずいぶん人から疎んじられた。しかし、これほど急激で露骨な疎まれ方は初めてだ。しかも、(自分の言葉なり振る舞いの何が、彼を怒らせたのだろう)と反省してみても、何も思い当たらない。強いて言えば、私の話や話しぶりの全体が気に入らなかったのか。
 仕方がない。人と仲良くなる方法など、私にはわからない。もう口を利きたくない、顔も見たくない、ということなら、ご自由に、と思うばかりだ。
 また何日かして、学食で百二十円のサービスカレーを食いながら、漠然と本を眺めていたら、突然、「なあ」と声をかけられた。前を見ると、ケイが座っていた。最後に話したときから、半月ほど経っていた。彼の中では、そんな時間など簡単に越えてしまえるようだった。全く屈託なく、明るくしゃべった。
「ビッグバンについては、もっとおかしな話があるんだ。時間より空間に関して。この宇宙は、ビッグバンからこっち、ずっと膨張し続けている、っていうじゃないか。膨らんでいるものなら、当然、膨らむ余地、つまり外側がなくちゃならないはずだ。すると、宇宙は無限ではない、有限だって認めるのか? そうでもない。どうするか?
 こう、丸い、球体のものが、例えば風船とかが、膨らんでいる状態を考えよう。真ん中と、端ってか、風船のゴムの、すぐ裏の部分を考えたら、膨らんでいるスピードはどっちが速いか。そう、端のほうだよね」
 ケイはこっちが答える前に自分で言って頷いた。
「この風船をどんどん大きくしよう。すると、膨らんでいくスピードもどんどん速くなる。スピードには限界はないのか? あるんだ。知っているように、光速を越える速度はない。だから、光速で広がっている部分が、宇宙の端なんだ。その外側はどうなっているのか? 人間にはそれを知ることは決してできない。だって、向こうは光速で遠ざかっている。そこへは何ものも、望遠鏡がキャッチするはずの映像も、追いつけない。だから人間にとっては、宇宙の外側は、絶対にわかりゃしないんだから、あると言ってもないと言っても同じことなんだそうだ」
 お互いにしばらく黙っていた。私は皿に少し残っていたカレーを、スプーンで口に運んだ。タマネギの切れ端が残っていた。本当はそんなことを気にしている場合ではない、のかな。ケイは、答えを待っているようだった。でも、それに応える義務なんてあったけ? 成り行き? どんな? それこそ宇宙空間に放り出されたような、上も下もない宙ぶらりんの気分だったが、なんとなく思いついたことを口にした。
「それ、科学者が言ってるのかい?」
「いや。違う。いやいや、そうじゃなくて、科学者かな、俗流の。君の言いたいことはわかってるよ」
 いや、別に言いたいことはなかったんだが。
「これもうまい言い抜けだ。宇宙が本当に光速で広がっているのかどうか、分からないんだが、そういうことにしておけば、何か、ちゃんと説明できたような気がする。それだけの話だ」そこで言葉を一度切って、「みんなこの地球の、ちっぽけな肉体の中に閉じ込めらている人間が、身の丈に合わせて考え出した、答えはないという答えなんだ」
「そうだね」
 それが当然なのだ。肝心なのは、それを忘れないことだ。一番ダメなのは、そんなちっぽけな人間、ちっぽけな自分じゃダメなんだ、身の丈を越えなきゃ意味ないんだ、なんて思い込むところだ。
 という確信ができたのはずっと後のことだ。それにはあるいは、この時のケイの話もきっかけにはなっているかも知れない。何しろ、またまた呆れるしかないようなことを言い出したのだ。
「限界なんてないんだよ。あっても、それは乗り越えるべきものとしてあるんだ。こう言ったほうがいいかな。謎はある、と。それは、人間が謎だと認定した、ということだ。ただね、謎である以上、それは解かれるべきものとしてあるはずなんだ。解けないことになるべくうまい言い訳を考えるんじゃなくてね」
「うーん、ごめん、話が飛んじゃったような気がするんだけど」
「論理的に証明とか、そういうことはできないんだけどね、ただ、僕は感じるんだ」
「何を?」
「宇宙の中の、恒星である太陽からあるとき別れた惑星が、冷えて、大気中に酸素が発生して、生命と呼ばれるものが生まれ、その中のほんの一部が知性を発達させて意識を持ち、この宇宙はどうなっているんだろう、なんて考えている。これは途方もない奇蹟だよ。その本当の意味を、まだ我々は知らないんだが、きっとあるはずなんだ。もし、なけりゃ、作るべきだ」
 私は困惑した顔でケイの顔を見つめるだけだった。向こうは委細構わず、続けた。
「科学はダメだ。君も言ったように、科学はあくまで限界内に止まることで、いろいろな発見・発明もして、我々の生活を便利にしたりしたろうさ。しかし、そのことは一方で、『限界』をより強固に見せる働きもする。結果として、我々の存在は無意味なまんまだ。そうじゃないか? 根本的に、発想を変えなきゃダメなんだ」
「例えば」私はようやく、機械的に言った。
「例えば、目を外側から内側に向けるんだ。科学は、宇宙同様、人間の内面についてもほとんど何もわかっていない。たぶん、我々の意識や記憶は、途方もない何かであるはずなんだ。ユングが言うように、古代からの生命の記憶がすべて貯蔵されているのかも知れない。ここを隈なく探ることができたら、我々と宇宙とを結ぶものも発見できるかも知れない。いや、意識を、宇宙の深奥まで届かせることだって可能だ。光の速さは越えられないって言っても、それは物質界の話なんだから」
「そっち系か」私は呟いた。きっとケイにも聞こえたろう。当時はまだオウム真理教事件以前で、ニューエイジとかニューサイエンスとかいうオカルトが結構盛んな時期だった。私は、個人的なある事情から、そういうものには強い嫌悪感を抱いていた。
「じゃ」と言って立ち上がった。これは聞えなかったかも知れない。私は相手の反応も見ずに立ち上がって、学食から出た。別にこの間の仕返しをしようというつもりはなかったが、あいつにはこれでいいんだろう、という思いはあった。
 その後、ケイとは会っていない。一度他の同級生から、「あいつ、どうなった?」と訊かれたことがあるが、何も知らなかった。どうやら大学はやめたらしい。それも、必修科目の教授の口ぶりから察しただけだった。
 大学を卒業してから私は故郷に帰り、なんとなく高校教師になって日を送っていた。そこへこの葉書だ。相変わらず一方的なやり方ではある。
 ケイよ、と私は心の中で呟いた。君は僕を選んでくれた。なぜだかは分からないが、それはけっこう嬉しい。他に僕を選んでくれる人なんて、ほとんどいないんだから。こういう気持を持ち合うだけじゃダメなのか? うーん、ダメなんだろうな。だからといって一足飛びに、人間の世界から飛び出して行こうとするなんて。
 それで、何か見つかったのかい? 心の中に? 宇宙に? 見つかったのかもな。しかし、それを他人に伝える手段がないんじゃあ、やっぱり無意味じゃないか。意味意味言うけど、人と共有できて初めて意味なんだぞ。
 それこそ、限界の中に閉じ込められた思考だってか。反論はできないさ。君には、できたら、ここへ、普通のちっぽけな人間の世界へ帰ってきてくれ、と願うばかりだ。
 長いこと立って考えていたので、体が冷えてしまった。くしゃみをして、我に返った。その途端に目から涙がこぼれ落ちた。濡れた頬を手で拭ったとき、ひとしずくが、星のように煌めきながら地面に落ちるのを見た。
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教育的に正しいお伽噺集 第九回

2018年08月12日 | 創作

Tourandot, the Metlopolitan Opera, 2017 Dec. - 2018 Jan.

13 謎かけ姫
は昔、世界のいろんな場所にいました。姫との結婚を望む男は、向こうが出す謎を解かなければならないのです。解けなかった場合には、一番極端な場合は死刑とか、非常に過酷な罰が科せられます。それでも姫との結婚を望む男がたくさん来るんですから、この姫はあらゆる男を惹きつけずにはおかないほどの、圧倒的な美貌の持ち主であったことは言うまでもありません。
 このお話に出てくる謎かけ姫のお婿さん候補は、三つの謎に答えなければなりません。答えられなかったり、答えをまちがってしまった場合には、どんなに高貴な身分であっても、どんなにお金持ちであっても、全財産を取り上げられたうえで、奴隷にされてしまうのです。
 普通の男なら、そんな危ない橋は渡らず、自分にふさわしい普通の女と結婚しようとするものです。しかし、冒険好きな男はどこにでもいます。というか、いなかったら文字通りお話にならないので、登場してもらうことにしましょう。
 謎かけ問答の最中、男は姫をなるべく見ないようにこころがけました。まともに見ると、彼女の美しさにボーッとなってしまって、ちゃんと頭が働かなくなるおそれがあったからです。姫のほうでは、そんなことには頓着しないようでした。
「では、第一問。お前がある村へ行ったら、最初に会った村人に、『この村の奴らはみんな嘘つきだ』と言われた。お前はどうする?」
 男はすぐに答えることができました。
「『嘘つきはお前だろ。そうでなかったら、同じ村の人間を、嘘つきだなんて言うはずはない』と言ってやります」
 姫は笑いました。玉を転がすような、という音は実際は聞いたことがないのでわかりませんが、ともかく、心地よい響きが男の耳に届いたのです。
「よい。それで正解ということにしよう。ほんの小手調べのようなものだから。
 第二問。お前は死んで、あの世への道を歩んでいる。すると、分かれ道へ来た。一方は天国、もう一方は地獄へ通じる道だ。お前は当然、天国へ行きたい。正しい道を選ばなければならないが、それは見ただけではわからない。道案内は、と思うと、分岐点に三人の者が立っている。見かけは全員人間だが、本当は一人だけで、あとの二人は天使と悪魔だ。
 天使はあらゆる質問に対して、いつも本当のことを答える。悪魔は逆に、必ず嘘をつく。人間は、知っての通り、あてにならない。正しく答える時もあれば、嘘をつくこともある。そして彼ら自身は、正しい道だけではなく、誰が天使か、悪魔か、人間かも知っている。ここまでが前提だ。
 問題はこうだ。三人の正体も、天国へ行く正しい道も、見分けがつかないまま、次の条件で、正しい道を見つけるにはどうすればいいか。
『三人の中の二人に質問できる。質問回数は一人につき一回、合計二回。そして、〈はい)か〈いいえ〉で答えられるような質問でなければならない』
 以上だ。お前はどう訊けばよいのだろう」
 男は黙って考え込みました。似たような問題なら、以前に聞いたことがあります。今回のは、それを複雑にしたもののようです。ポイントはもちろん、答えが本当か嘘かわからない、人間、でしょう。
「紙に書いて、考えてもよろしいでしょうか?」
と男が尋ねると、姫は鷹揚に頷いて、
「いいわ。ただし制限時間は十分よ」
 それから男はすっぽりと、自分の中へ入り込んだようでした。時々紙に何かを書いては、消し、一つ一つ、いろんな可能性を試しては、つぶしていっているようでした。やがて姫が焦れたように、
「もう時間よ。答えは出たの?」
と訊くと、直ちに返事がありました。
「ユリイカ」
「なんだって?」
「いえ、失礼。答えが出ましたのです」
「聴こう」
「わかりやすく言うために、三者を、A・B・Cとします。
 まず、一問目。Bを指さして、Aに、
『〈これは人間ですか?〉と尋ねたら、あなたは〈はい〉と答えますか?』
と尋ねます。答えが〈はい〉ならCに、〈いいえ〉の場合はBに、道の一方を指さして、こう尋ねるのです。
『〈この道で天国へ行けますか?〉と尋ねたら、あなたは〈はい〉と答えますか?』
 答えが〈はい〉ならその道を、〈いいえ〉ならもう一方の道をたどれば、天国へ行けます」
 どうやら姫は不機嫌になったようです。部屋が少し暗くなった感じがしましたから。そして、硬い声がこう言いました。
「どうしてそうなるのか、説明してごらん」
「道案内が天使と悪魔の二人だけだったら、簡単です。どちらかの道を指さして、
『この道で天国へ行けますか?』 
と訊くと、それが実際に天国へ行く道なら、〈はい〉と天使は答え、悪魔は〈いいえ〉と答えるわけです。
 そこで訊き方を二重にして、
『〈この道で天国へ行けますか?〉と尋ねたら、あなたは〈はい〉と答えますか?』
とすれば、悪魔は、それが実際に天国へ行く道なら、〈はい)と答えるしかありません。そうじゃないと、嘘をついたことにならないからです。天使の場合は、いつも本当のことを言うので、どちらも〈はい)です。一方、私が地獄行きの道を指してこう尋ねたとしたら、答えはどちらも(いいえ〉。こうして私は、結果としていつも正しい答えを得ることができるわけです。
 ですから今回の問題のポイントは、人間に道を尋ねてしまうのを避ける方法を、見つけるところにあるんです。
『〈これは人間ですか?〉と尋ねたら、あなたは〈はい〉と答えますか?』
の訊き方なら、Aが天使か悪魔だった場合、私は正しい答えが得られます」
「Aが人間だったら?」
と、つりこまれるように姫が言いました。その一瞬後には、釣り込まれたことを後悔したようでした。部屋がますます暗くなりましたから。
「その場合は、〈はい〉も〈いいえ〉もあてになりませんね。それでも意味はあるのです。答えがあてにならないのは、つまりAが人間だということで、つまりBとCは人間ではないことになります。それなら、どっちに訊いても、さっきのやり方で、正しい答えは得られます。もっと説明しますか?」
「もうよい」
 姫は小さく舌打ちをしたようでした。
「つまり、つまり、と繰り返されるたびにつまらなくなるようだわ。では最後の質問よ。人間はどうして時々嘘をつくの?」
「ああ、それは」
と、男はすぐに答えました。
「人間は言葉を使うからです」
「天使と悪魔も使うようだけど?」
「〈はい〉と〈いいえ〉のことですか? それがいつも正しいとか、いつも間違いなんだとしたら、言葉ではありません。事実に貼り付けられた符号のようなものです。人間には使えません。貼り付ける前に、〈事実〉には行き着けないからです」
 男はこれでいいかどうか、しばらく姫の反応を待ちましたが、何もないので、言葉を重ねました。
「人間が知ることができるのは、〈事実〉ではなく、それについての〈言葉〉なのです。〈事実〉を見たとしても、〈言葉〉にできないとしたら、〈知っている〉ことにはなりません。そして〈言葉〉は〈事実〉そのものからは必ずズレます。言葉同士もまた、ズレます。ズレがあんまり激しいと、多くの人に感じられたときには、その言葉は〈嘘〉と呼ばれます」
 また向こうの様子を感じ取ろうとしましたが、何も伝わってきません。しかたなく、
「例えば、『この村の奴らはみんな嘘つきだ』と言った村人には、そう言いたくなる体験したのでしょう。しかし村人の多くの側からしたら、それは〈事実〉ではないでしょう。ですから……」
「もうよい」
 ここで姫がやっと、苛立たし気に言いました。
「ベラベラよく喋るけど、お前のその言葉も、正しいかどうかはわからないのよね」
「嘘、というほどズレてはいないと思いますが」
 姫はため息をつきました。
「では、どうしたらいいかしらね。私は生憎、自分がした約束を覚えている。〈嘘つき〉と、他人から言われるのはまだ我慢できても、自分で自分を〈嘘つき〉とは思いたくない。一方私は、お前とは結婚したくない。これも今の私にとって、嘘ではない」
「それは第四問ですか? そしたら、ルール違反になりますね。でも、いいです。美しいあなたのために、ついでにもう一つ、ルールを変えましょう」
「と、言うと?」
「私のほうから、あなたに謎を出します。それにあなたが答えられたら、あなたの勝ちです、私は奴隷になりましょう。答えられなかったら。あなたの負けです。いやでしょうけど、私の妻になってください」
 また少しの沈黙の後、こう言われました。
「言ってみて」
「私は誰でしょう?」
 今度は確かに、何かが動いたようです。男は姫の顔をちらりと見ないわけにはいかなくなりました。すると、姫は笑っていたのです。
 男の胸は凍りつきそうになりました。ひどく邪悪で醜いものが、そこに姿を現したようでしたから。
 しかしそれは一瞬で、すぐに、世にも愛らしい顔がもどり、しかもそれは朝日のように晴れやかに輝きました。
「お前もルール違反をしたね。自分でも答えのわからない質問をするとは。
 いや、もう何も言わなくてよい。お前の勝ちということにしてやろう。私と結婚して、ずっと考え続けるがいい。『私の妻はいったい誰なんだろう』と。その答えが出たときには、お前のさっきの質問『私は誰でしょう』にも答えが見つかる時だ。そうなるかどうか、また賭をしたいところだが、やめておこう。お前の見つけた答えが〈正しい〉のかどうか、知る手段はないのだから」
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教育的に正しいお伽噺集 第八回

2018年05月27日 | 創作

Tangled, 2010, directed by Byron Howard and Nathan Greno

12 塔の上
の部屋にいる少女に会ってくれと言われて、天野さんは戸惑いました。
「なんで私が」
と訊くと、担任の鳥居先生は、
「君は瓜生千紗(ウリュウ・チサ)さんの幼馴染なんでしょ? クラス中で一番親しいんじゃない?」
「今はそうでもないです。話をしたのも、今年になってから、三回、いや、二回ぐらい、かなあ」
「でも、他の子はゼロだよ。なんの話をしたの?」
「別に、なんとなく」
 「魔女になりたいんだよ、あたし」なんて言ってたな。そんな話を一応まともな顔をして聞いたのは、天野さんだけだということでした。
「放課後にいっしょに行ってくれよ。瓜生さんが学校へ来なくなってから三か月になる。今までに五回家庭訪問に行ったんだが、会ってくれない、どころか、部屋にも入れないんだ。知ってるだろ、駅前のあのタワーマンション。あの最上階にいるんだが、住人以外は、住人の許可がなけりゃ建物の中、てか、住居の部分ね、へも入れないんだ。五回行って五回とも、玄関払い、いや、エントランス払いだった。
 『千紗は体調が悪くてお会いできません』て、お母さんに言われて。お母さんとだけでも会って話したいんだけど、言う暇もなくインターフォンを切られちまう。電話しても、絶対に出ないし。先生、嫌われたかな、それとも、嫌いなのは学校全体ってことか。本人だけじゃなくて、お母さんもそうらしい。もう、困っちまう。藁にもすがりたい思いってのかな」
 私は藁か。
 そう思いながらも、先生の頼みを断り切れず、天野さんは駅前のタワーマンションへ行きました。回転ドアの入口を抜けると、プッシュフォンみたいなのを嵌め込んだ壁、反対側は全面ガラス張りの、自動ドアらしきものの向こうに、エレベーターが二基あるのが見えました。先生がこの、インターフォンかな、のボタンをいくつか押すと、スピーカーから「もしもし、瓜生ですけど」という女の声。
 先生が名乗ると、インターフォンの向こう側の声はうんざりした調子になりました。
「千紗は体調が悪くて……」
 先生がすぐに
「今日はお友だちの、天野さんもいっしょなんですが」
「天野さん?」
「天野翔子さんです」
 インターフォンの向こうで、誰かと誰かがひそひそ話している感じでした。やがて声が、
「会うそうです。しばらくそこでお待ち下さい」
「部屋にはどうしても入れてくれないんだな」
 それは、天野さんに言ったのではなく、独り言でした。天野さんは、透明で大きな自動ドアの向こうをじっと眺めていました。一つには、何かぶつぶつ言いながらウロウロしている先生がウザくて、話しかけられたくなかったからです。
 二つのエレベーター扉の真ん中には、細長い表示板があり、1から20まで数字と目盛りが刻まれています。
 やがて赤い光点が一番上の20の目盛りからゆっくり下がり始めました。それが一番下に付いてから、五秒後に扉が左右に開いて、女が二人、大きいのと小さいのが降りてきました。二人がこちらに近づくと、透明の自動ドアも音もなく開きました。どうやら、向こうに人が立つと、すぐに開く作りのようです。
「初めまして。千紗の母です」
 大きい方の女が挨拶したので、先生が「私は……」と言いかけるのにかぶせるように、
「すみません、千紗は天野さんとだけ話したいそうです。先生は、お帰り願えませんでしょうか?」
「え、いや、それはちょっと……。用が済んだら天野さんを家まで送らなくちゃいけませんので」
「そうですか」
 女は小さいほうを見ました。なんだか、おどおどした感じです。お母さんなのに、なぜ? 一方小さいほうは、無表情で立っていました。
「わかりました。しばらく近くをぶらぶらしてますんで。話がすんだら、携帯のほうにご連絡いただけますか」
 女が頷くのを見て、先生は、「じゃ」とだけ言って足早に表に行ってしまいました。無責任なやっちゃなあ、と背中を見送る天野さんに、瓜生さんが声をかけました。
「お久しぶりね、翔子さん。ずっとあなたを待ってたのよ」
 え? 待たれてたの? なんで?
「向こうにゲスト・ルームがあるのよ。今なら誰もいないから、ゆっくり話せるわ」
瓜生さんはさっさと先に立って歩き出しました。透明なドアが、また音もなく開きました。お母さん(なんだろうな、やっぱり)は、「じゃ、私はこれで」と、足早にエレベーターに向かって、二人には背を向けました。
 しかたない。天野さんは瓜生さんについて行きましたので、後姿をよく見ることになりました。以前よりずっと髪が伸びて、腰どころか、お尻まですっぽり包んでいる感じです。貞子かよ。明治時代じゃあるまいし、ないわ、これ。これだけでもなんとかしなきゃ、そりゃ、学校へ来られないわなあ。
 エレベーターのある壁と直角の角を曲がると、奥にドアがありました。二人はそこに入りました。
 変わった作りの部屋でした。全体に角が丸まっていて、灰色の壁紙で、窓がなく、洞窟? を思わせるような。その代わり、家具はあっさりしたもんです。テーブルにソファ、その他には、奥に古ぼけたテレビと、ジュースの自動販売機があるきりでした。
「何か飲む?」
「じゃ、カルピスソーダ」
「相変わらずカロリー高いのが好きなのね」
 大きなお世話じゃないの? と思っていると、瓜生さんはスカートのポケットから百円玉を二枚出して、天野さん用のカリピスソーダと自分用の烏龍茶を自販機で買いました。
「学校はどう?」
 烏龍茶を一口飲んでから瓜生さんが訊きました。
「別に。普通よ」
「はん。学校は学校だもんね。面白いわけないか」
「あなたは、毎日、何してるの?」
「何も。窓から外を眺めてるわ。学校も見えるし、あなたのおうちも見えるのよ。神社の前の家よね」
 え? 見張ってるってこと? なんか、すごく、変。あり得ないぐらいに。
 しばらく両方とも黙っていました。天野さんは、退屈より緊張を感じました。何もなく時が過ぎて行くようではなかったからです。だいたい、用がないんだったら、瓜生さんは天野さんをこんなところへ呼んでジュースを御馳走するどころか、会いもしなかったでしょう。でも、そんなの、ろくな用じゃないに決まってる、ああ、やだな、来るんじゃなかった、帰りたいな、とカルピスソーダを少しづつ口に含みながら思ったとき、瓜生さんが言いました。
「先生も知ってるのよね、私たちのこと」
「え? 私たちのことって?」
「あなたが私の悪口を言ってることよ」
「なんのこと?」
「とぼけないでよ。あなた、私のこと、ヘンな女だって、みんなに言いふらしてたじゃない」
「いえ、私、絶対、そんなこと、言ってないから」
 瓜生さんは、イヤな感じで笑いました。
「別にいいのよ。私、そんなことで学校へ行かないわけじゃないし」
「あのね、魔女になりたいとか、素で言う子なんて、普通引くでしょ。それだけのことよ」
「私、あなた以外に、それ、言ってないよ」
「教室の中で、けっこう大きな声で言ったよね。聞こえちゃうわよ」
「あなたいつもあたしを羨んでたよね。あたしがお金持ちで可愛いから。できれば代りたいって思っても、できないから、それで嫌いになったんだよね」
「私、もう帰るわ」
 立ち上がった天野さんを、瓜生さんは瞬きもせずに見つめて、
「どこへ帰るっての? そんなとこ、あるわけ?」
 天野さんは足早に部屋を出て、走って、透明ドアの前に立ちました、が、
 開かない!
 体重が軽いからか、と思ってぴょんぴょん跳んでみましたが、ドアは全く知らん顔をして、天野さんの前に立ち塞がっていました。体をぶつけても、ガラスの冷たさが額と手に伝わっただけでした。
「いいのよ。代わってあげても。私も、塔の上にいるのにちょっと飽きちゃったから」
 後ろから声が聞こえるのといっしょに、ふいに眠気に襲われました。え? もしかしたらさっきのカルピスソーダに何か……。前のめりになってガラスに寄り掛ったとたんに、前につんのめり、倒れそうになったのを、誰かが受け止めてくれました。
「どうかしたのか?」
 どうやら、鳥居先生の声でした。
「この子、突然気分がわるくなっちゃったみたいで。先生、送ってってくれるんですよね」
「うん? ああ、そりゃあ……」
 鳥居先生と二人で表に出ると、普通に歩きました。
「大丈夫かい?」
 答える代わりに、塔の上を見上げて、言いました。
「あの子、毎日、一番上にある部屋の窓から、外を眺めてるんですって」
「え? そう言ってたのか?」
「あの上からだったら、私たちはどう見えるんでしょうね。蟻みたいなもんかな」
「そうかも知れんが。このままってわけにはいかんじゃないか。一生あそこに籠ってるなんて、できっこないんだから」
「そうですか? まああの子もそう思ってるかも知れませんね。誰かが連れ出してくれるのを待ってるのかも」
「連れ出すって、どうやって?」
「髪がもっと長く伸びて、下まで届いたら、誰かがそれを伝って上まで上ってきてくれるかも。そういう人だったら、きっと、蟻の世界にいる意味を教えてくれるんです」
「そりゃたいへんだなあ」
 先生は呑気そうに笑いました。この人は憎めない、自分が何をしたかもわかってないんだから。だから、およそ、なんの役にもたたない。少女は、そんな先生には見えないように脇を向くと、顔を歪めて、嗤うような、泣くような表情をしたのです。
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教育的に正しいお伽噺集 第七回

2017年09月08日 | 創作

Ivan the fool, from bedtimestory TV

11 悪魔の罠
は単純と言えば単純なのですが、一度はまってしまったら、容易に抜け出すことはできません。そこはさすがに悪魔だ、というところでしょう。
 おなじみの三兄弟、力持ちのシモンに太っちょのタラス、そして馬鹿のイワンの話から考えてみましょう。シモンは喧嘩が強かったので王様の家来の兵隊になり、タラスはずる賢く計算高いので都へ出て商人に、働き者のイワンは故郷に残って農民になりました。
 シモンはいくつかのいくさで手柄を立てたので、王様に認められ、将軍になりました。しかしそれまでに、戦死した者やその家族をたくさん見て、いくさというのはずいぶん人を不幸にするものなのだな、と実感するようにもなっていました。何よりも、自分も何度か死にかかったことが大きかったのは言うまでもありません。
 いくさはやらないに越したことはない。でも、全然やらなくなってしまったら、自分のような者は必要がなくなってしまう、ということでちょっと困りました。そこへ悪魔がやってきて、こう囁いたのです。
「あなたがたが、世界一強くなればいいのです。すべての若者を訓練して、兵隊として使えるようにし、威力のある鉄砲や大砲をたくさん作るのです。戦争をしたら、負けるに決まっているし、万が一勝ったところで、それまでに払う犠牲が大きすぎて、結局は損になる、と他国に思わせることができたら、いくさにはなりませんし、でも兵隊は不必要ということにもならないではありませんか」
 なるほど、とてもよい考えだ、と思えましたので、シモンは王様を説得して、できるだけ強い軍隊を作るようにしました。他国の誰もが、こんな国とやりあったらとても無事では済まないな、と思わないわけにはいかないぐらいの。
 ところが、話はこれでは終わりません。この国の王様は、
「どんなに強い軍隊があっても、自分の国を守るだけだ、他国を攻めたりはしない」
と言っていましたが、これは信用できるものでしょうか? いや、今は実際にそう思っていても、人間の気持ちは変わりやすいものです。ある時急に、この王様が、他の国も自分のものにしよう、などと考えだしたら? 最強の軍隊があるのだから、すぐに滅ぼされてしまうでしょう。
 その危険はある、だけでも充分でした。周りの国々も、すべて、自分の国を守るために、軍隊を強くするようにはげみ出しました。それには、この国の真似をして、そのやり方をもっと押し進めて、兵隊も武器も強くすればいいのですから、お金と手間を惜しまなければよかったのです。
 シモンは困りました。自国の軍隊が世界一ではなくなってしまったからです。まわりの国々はすべて、
「自分の国を守るだけだ、他国を攻めたりはしない」
と言っていましたが、信用できるものかどうか。今は実際にそう思っていたとしても……。
 安心のためには、もっとお金と手間をかけて、軍隊を強くするしかない、と感じられました。そうすると、しかし、周りの国々も……。
 こうしてシモンは、ある点では幸福に、別の点では不幸になりました。自分たち兵隊が、国にとって決して不必要にはならない、という点では幸福でしたが、周りの国より強くなくてはならない、と絶えず気にかけていなくてはならない点では、けっこう不安で、不幸でした。しかも、この状態を変える方法は全く見つかりません。
 悪魔はかくして目的を達したのです。
 太っちょのタラスの場合は、もう少し複雑でした。お金儲け以前に、この国ではお金の値打ちがあまりないことに気づかざるを得なかったのです。例えば、馬鹿のイワンは、金貨を、「ピカピカ光るきれいなもの」としか思っていませんでした。だから、金貨を持って麦や野菜を買いに行っても、
「そんなもんなら、うちにはもう三枚もあるから、いらない。魚とか布とか、役に立つものを持ってきてくれ。それと交換しよう」
などと言われてしまったりするのです。それではどんなにお金を儲けても、あんまり旨味がありません。なんとかならないもんかな、と思っているところへ、悪魔が現れました。
「一つお尋ねしますが、この国の王様は税を取るのですかな?」
「そりゃ、取るとも」と、タラス。
「それはどういう形で納めるのですかな?」
「我々商人は、たいていお金でだが、農民や漁民や木こりは、麦や魚や木、つまり自分たちの収穫物で納めるな」
「それがいけないのです。ひとつ、王様を説得して、税を、税金と名前を替えて、必ずお金で納めるように、法律で決めさせて御覧なさい」
「え? そりゃ無茶じゃないか? お金をほとんど持っていない連中もいるんだぞ」
「わけもありません。あなたがた商人が、お金を貸せばいいのです。無利子でね。いや、貸す、というのは不適当な、むしろ間違った表現でした。正確には、前もって、買うということです。彼らの収穫物に対して、できる前に、代金を先払いしておくのです」
「ふうん。わかるような気もするが、ちょっと危険だなあ。これからできるはずのものなんて、どれくらいの値打ちがあるもんか、あくまで予想でしかない。もしかしたら、麦なら麦が、全く採れなくて、大損する、なんてことにもなりかねん」
「多少のリスクは覚悟しなければなりませんし、何より、今は商売のための地ならしをするのが大事なのです。まず、農民や漁民や木こりに、お金の有難味をわからせてやらねばなりません。税金は必ず納めなければならないものなんですから、そこで絶対に必要なものになります。必要性が理解されたら、彼ら同士が、麦や魚や木を交換するためにも、お金を使うようになります。そうすると、やがてお金は、ただピカピカ光るきれいなものではない、もっと有難いものだと、自然にわかってくることでしょう」
「お金の有難味って、いったい何かな?」
「あなたのような商人が、そんなことでは困りますな」
「いや、そりゃわかってるよ。他のものよりかさばらないから、持ち運びに便利だ。腐ったりもしないから、保存にも適している」
「確かにそれもありますが、それはほんの小さな部分にすぎません」
「と言うと?」
「お金は、ここではイコール金貨のことと考えてください。それ自体は、ほとんど、生活の、実際の役には立ちませんでしょう? つまり、麦や魚のように食べることも、木のように家を作ることも、布のように服を作ることもできません。溶かしたり叩いたりして、伸ばしても、粉にしても、普通は装飾にしか使えません。なければ絶対に困るというものではないのです。そこが大きいのです」
「すまん。何を言っているのかな?」
「生活の、実際の必要性と言うものは、時により場所によって変わります。砂漠では水はとても貴重です。しかし、山国で、河川がたくさんあって、水なんていくらでも汲んでこれるような場所だったら、さほどの有難味は感じられないでしょう。家をこれから建てるときには、木はたくさん必要ですが、出来上がってしまったら、もうそんなにはいりませんよね。こんなふうに値打ちが不安定なのは、交換のためにとても不便で、ひいては、世の中が豊かになるための妨げになるのです。
 お金は、そんなことはありません。百円は、いつでもどこでも百円です。いや、それは本当はまちがいです。百円で買えるものは、時と場所によって変わりますから。でも、わかりづらいでしょ? それは、お金というものは、それ自体に値打ちがあるのではなく、『これは百円のものと交換できる』という約束を示すからです。ものの値打ちは変動して、ゼロになることもあり得ますが、約束したという事実のほうは、消えません。いや、消えないことにしませんと、人の世は保たないんです」
「後のほうの理屈はどうでもいいが、前のほうのは使えそうだな。一つ、王様を説得して、税はすべて税金とすることにしよう」
「ついでに、金貨には王様の肖像を刻み付けるように勧めてください。おまじないみたいなもんですけど、王様以外の人が勝手に金貨を作ることは難しくなりますし、何より、金貨の表す約束が、より神聖なものになったような気はしますから」
「ああ、言っておこう」
 こうして、タラスたちの説得のおかげで、税にはすべて、王様の肖像が刻印された金貨が使われるようになりました。すると事実、国が豊かになっていきました。早い話が、シモンの軍隊も、そのおかげで大きくなったのです。
 タラス自身も金持ちになりましたが、それですべてよし、というわけにはいきません。国全体のお金の量が増え、さまざまな場面で使われるようになると、お金儲けの機会は増えますが、また、お金を失う機会も増えるからです。
 例えば最初にタラスと仲間の商人たちが実行した「これからできるはずのものを前もって買う」やり方は、先物取引と呼ばれ、賭けを含んだ、それだけ危険でもあれば面白くもある商売だと考えられて、広まりました。多くの人がそこにお金をつぎ込んで、儲けたり損をしたりしました。こうして、タラスもまた、大金という満足と、それを失う不安の両方を抱えたのです。
 最後に馬鹿のイワンと、その仲間たちです。彼らは実に頑固で、強そうに見せかけることに興味はなく、お金なんぞというわけのわからないものは必要最低限の分しか受け付けませんでした。こういう人間を誑かすことは、悪魔といえども難しいことでしたので、回り道をして、王様を通じてやることにしました。
 王様はまず、
「こんなものは本当は値打ちがないんだが、他にないのだからしかたない」
などと言って、麦などの収穫物のほとんどを取り上げました。その食べ物は、役人たちや軍人たちを養うために使われ、余った分は、もちろん、お金に換えられました。悪魔がタラスたちを使って広めた、「すべてはお金に換えられる」やり方は、ここでも活用されたわけです。そうでなかったら、余分な食べ物は腐ってしまうだけなんですから、悪魔の用意周到ぶりは、やはり侮り難いものではありますね。
 ただ、問題はまだあります。食べ物をほとんど取られたんでは、こっちは生きていくことができない、とさすがに馬鹿たちも抗議しました。すると王様は、
「仕方ない。国民を死なせるわけにはいかない」
と、生きていくために最低必要な分だけは返してよこしました。 
 さらにその時、役人に、
「お優しい王様が、お前たちのためにくださるのだ。ありがたく受け取れ」
などと言わせたのです。馬鹿たちは感激しました。元は自分たちで作ったものなのですが、一度王様の手元に入ってもどってくると、そこで神々しい何かが付け加わったような気になったのです。彼らは、以前よりもっと貧しくなったけれど、もっと幸福になりました。
 さて、そこで問題です。悪魔の罠にかかったのは、馬鹿たちなのでしょうか、それとも、彼らを馬鹿だと感じてしまう、私たちなのでしょうか?
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教育的に正しいお伽噺集 第六回

2017年03月24日 | 創作

Mirror Mirror, 2012, directed by Tarsem Dhandwar Singh

9 大きな鏡
が中にあるその部屋には、誰も入ってはいけない、とお城では言われていました。
 ある日王様は、お姫様に教えてやらねばなくなりました。娘がもう、子どもとは言えない年頃になったからです。
「その鏡は誰も見てはならんのだ」
「なぜ見てはいけないの?」
「その鏡は見た者に本当のことだけを告げる。本当のことなんて、誰も知りたくないものだ。いつも、とは言わんが、時には、本当のことほど恐ろしいものはない。わかったな」
 そう言うと王様は足早によそに行きましたので、お姫様は口から出かかっていた言葉を出すことができませんでした。そこでお妃様の部屋へ行って、改めて出してみました。
「ねえ、お母様はあの、大きな鏡を、見たことがあるの?」
 お妃様は苦い顔をして娘を迎えました。最近よく頭痛がするというので、ずっとその表情だったのです。お城の人々にとって、これはけっこう不便なことでした。お妃様がどんな時に、本当に機嫌をわるくするのか、わかりませんでしたので。
 この時お妃様は、「見たわよ」と簡単に答えました。
「それじゃ、本当のことを知っているのね?」
「まあ、そうね」
「怖かった?」
「どうして怖いと思うんだね?」
 お姫様は、さっき王様が言った言葉を繰り返しました。
「ああ、あの人たちにはそうなんだろうね。でもね、本当のことが怖いのは、それを告げられることじゃない。誰にも言われなくても、だんだんに、じわじわと、わかってしまうところなんだよ」
「それじゃ、私にもいつか、わかるのかしら?」
「まあ、そうだろうね」
「それじゃ、鏡を見てもいいはずよ。だって、いつかはわかるはずのことを言うだけなんでしょ?」
「いつかはいつかってことはけっこう難しくてね、誰にも確かには言えないんだよ。もしお前がどうしても本当のことが知りたいんだったら、あの部屋のドアのところまで行ってごらんな。いつもは鍵がかかっているけれど、入れるかも知れないよ。鏡が、今がその時だと考えたらね」
 お姫様がまだ何か言おうとするのを、お妃様はうるさそうに手を振って止めました。
「さあ、もうお行き。私は、頭が痛くてたまらないのだから」
 その夜、お姫様はその部屋の前に立ちました。自分が本当のことを知りたいのかどうか、よくわかりませんでしたが、やっぱり気になったからです。
 ドアを押しました。ドアは古ぼけた軋む音と一緒に苦もなく開きました。しかたない。お姫様は中に入りました。
 部屋の中は灯りも窓もなく、暗かったのですが、真ん中にぼんやりと光るものがあるのはわかりました。お姫様がそこへ近づくと、若い娘の姿が次第にはっきりと現れてきました。雪のように純白の肌で、血のような深紅の唇、エボニーのように漆黒の髪の。
「これは私よね」
と、お姫様はつぶやきました。それではやっぱり、鏡がそこにあるのでしょう。やがて、どこかで聞き覚えのある声が、どこからか聞こえてきました。
「来たんだね。じゃあ、今が、その時なんだ」
「待って。いきなり言われても困るわ。心の準備とか、あるし」
 鏡は、少し笑ったようでした。
「王様に禁じられたことを気にしてるんだね。心配することはないんだよ。お前がここへ来ることなら、先刻御承知さ。だからわざわざ、『入るな』なんて言って、お前の気を向けたんじゃないか」
「でも、お父様は、本当に怖がっていたみたいよ」
「それだから、さ。本当のことが本当に怖いのは、本当は自分でもわかっているのに、わからないふりをしなくちゃいけないと思える時なんだよ」
 わかっているのにわからないふりをするのはいけないことなのでしょうか? その答えがはっきりする前に、お姫様は言葉を出していました。
「いいわ。言って」
「お前は美しくなりすぎた。危険なほどに。とりわけ、このお城ではね。気づいているだろ? 王様はもう、お前とまともに目を合わせることもできないじゃないか。それで、冬の日に、白い肌と赤い唇と黒い髪を持つ娘を産むことを願ったお妃様も、後悔して、苦しんで、あんたが死ねばいいんじゃないかって思い始めてる」
「それが本当のことなの?」
「か、どうかは、あんたにはわかるだろうさ」
「それが本当だとして、私はどうしたらいいの?」
「ふむ、忠告は鏡の仕事のうちに入っていないんだけどね、せっかくだから、してあげよう。すぐにここから出ていくこと、それが今のあんたにできる一番いいことのようだね」
「でも、どこへ行けと? 私に行ける場所なんて、ないわ」
 その時、たぶん鏡の中の、お姫様のすぐ後ろに、もう一つの女の姿が浮かび上がりました。
 それはお妃様のようでした。
 お妃様のようなものの像の口が動いて、鏡の声で言いました。
「大丈夫だよ。全部用意しといたからね。城の外にあんたを待っている者がいて、森であんたの世話をする者たちのところへ、案内してくれるよ」
「でも、お父様は? このことを知ったら、どう思うかしら?」
「あんたはお妃様に殺されたんだって思うだろうね」
「でも、この鏡が、本当のことを知らせるんじゃないの?」
「まだわからないのかね、知らなくちゃいけない本当のことなら、とっくに自分でわかっているものなんだよ。でも、人間は、自分にとって都合のいいほうを信じることもできるからね。王様は、鏡に訊くこともないだろう。訊いたとしても、それを信じないなら、同じことだしね」
「でも、お母様は? そのうち本当に私を殺したくならないかしら?」
「さあ? 予言も鏡の仕事じゃないんでね。『そのうち』の『本当』なんて、訊かれたって、わからないとしか言いようがないよ」
「でも、私は、やらなくちゃいけないの?」
「だから、やらなくちゃいけないのさ」
 お姫様は、お妃様らしき者の像の目をじっと見つめました。いつもの怒ったような様子はなく、深い悲しみをたたえているようでした。すると、お姫様の心の中にも悲しみが。でもその底の方から、なぜか、勇気のようなものも湧いてきました。
 お妃様らしきものの像は話し続けていました。お姫様そっくりの像の赤くて可愛らしい口も、それに合わせるかのように動きました。二つの像の口から、同時に同じ言葉が出たのです。
「さて、もう行こうか。この厄介な美しさを隠すために、顔に獣の皮か、鉢でもかぶるか、あるいは頭から灰をかぶるかしてね」

10 「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」
と呼ばれてそっちへ行っても、誰もいません。
 暑い日差しといっしょに、蝉の声が空から降り注いでいました。その底に、他の子供たちの気配があります。
 クスクス笑う声がします。
 そっちを向く。
 小さな声と息遣い。足音。
 でたらめに動いたら、手に誰かがぶつかりました。
「痛い、なにすんだよっ」
と向こうは芯から怒ったように言いますので、よけないわけにはいきません。
 捕まえるなんて、できません。
 子どもは迷います。そういうときには決まってアマノジャクがやってきて、そっとささやきかけるのです。
「坊やは、ルールに従わなくちゃけないんだよ。お友だちと遊んでるんだから」
 そうだ、ルールだ。僕はそれに則って、何かしなくちゃいけないんだ。
 でも、それはなんだろう? 知っていたはずなのに。もう覚えていない。
 子どもはぼんやりします。するとこんな声が聞こえてきます。
「なんだい」
「つまんない」
「白けるヤツ」
 子どもは戸惑います。すると、またアマノジャクが、役に立たない忠告を与えてくれます。
「今知らなくちゃいけないのはね、ルールを決める権利も、変える権利も、坊やにはないってことだ。それは他のみんなのものなんだよ」
 そうか。子供はできるだけゆっくり歩いてみました。よけたようです。どこかでふと曲がる。またよけた、んだろう。
 いや。気が付くと、もう気配がなくなっている。地面からは、虫の声だけが湧き上がって。それだけ。
「ここにいない友だちを見つけるなんて、できないよ」
 子どもは叫びました。こういう問いには答えはないことになっています。
 でも、やがて子どもは、自分で答えを見つけたようでした。
 ここにいない友だちとやるゲームはある。そうか、かくれんぼだな。いつのまにそうなったろう。それとも、最初からそうだったのだろうか。
「僕は、うまく見つけてもらうことができるかな?」
 どちらにしても、頬に風を冷たく感じながら、待つしかないようです。ゲームを終える権利も、きっと彼らのものなのでしょうから。
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教育的に正しいお伽噺集 第五回

2016年11月18日 | 創作

Cinderella, 2015, directed by Kenneth Branagh

8 お城の舞踏会
が三十年ぶりに開かれるというので、国中の娘たちは大騒ぎになりました。そのうえ、今度のは、年頃になった王子様のお妃様探しも兼ねているのではないか、という噂でしたから、なおさらです。
 娘という娘が、服や装身具を整え、化粧を工夫して、自分はどれくらい美しく見えるだろうかと、半分不安に、もう半分はわくわくしながら待ちました。
 ペログリム家の姉妹も例外ではありませんでした。姉妹の父親は、たいして豊かではない商人だったのですが、娘たちにできるだけのことはしてやりたいと考えました。
「さすがはあんただね」と、妻も喜びました。「あたしが娘たちと、できるだけいい服を誂えるよ」
 父はもちろん、衣服などなどの準備はすべて、女たちに任せたのですが、金を支払う段になると、代金は覚悟していたのよりだいぶ高いので、驚き、またがっかりしました。しかし父は、平和な家庭の夫がたいていの場合そうするように、家族のうちの誰かを追及することは控えることにしました。
 その日は来ました。そしてその日は過ぎました。これは、舞踏会の次の日のお話です。
 普段着になった姉娘が、街で聞いた噂を夕食のときに家族に披露したのです。
「昨晩、誰か、靴を片方、忘れていったらしいわ」
「舞踏会でかい?」
と、母は、父にスープをよそってやりながら尋ねました。
「そうよ」
「舞踏会に出た、誰かのなのかい」
「女ものの靴だって言うんだから、そうなんでしょ」
「そいつは奇抜だな」
と、父親が、よそってもらったスープを啜りながら、言いました。
「忘れものったって、ハンカチや指輪ならわかる。靴なんて、普通忘れんだろ。だいたい、その娘さんはどうやって帰ったんだ? 片方だけ裸足でか?」
 娘たちは顔を見合わせました。いくら父でも、男のいるところで言うのは相応しくないように思える話題を口から出すべきか、腹の中にしまっておくべきか、迷ったからです。
 母は平気で言いました。
「新しい工夫だね」
「何が?」
と、マヌケな顔で聞いたのはやっぱり父でした。
「ハンカチとか、指輪ならお決まりだけど。つまり、ありふれてるってことだからね。なかなか、探してはもらえないよ」
「靴だったら、探してもらえるかしら?」
と、妹娘が真剣な顔で尋ねました。
「王子様がその娘を覚えていればね、探すだろうさ」
「探したら、見つかるかしら?」
と、姉娘はぼんやりした口調で尋ねました。
「そりゃ、見つけてもらうために置いといたんだからね、見つかるはずさ」
「王子様が覚えていたら、靴じゃなくても、他の忘れ物でも、見つけてくれるわよね」
「それで、あんたは何を忘れてきたの?」
と、姉が意地悪く尋ねました。
「何も忘れてなんかないわ。姉さん、後であのハンカチ、貸してくれない? 変わった刺繍がしてあったから、写しておきたいのよ」
「刺繍のあるハンカチ? あれね、鼻水をかんで、とろとろになっちゃったから、捨てちゃったわ。それよりあんた、ちょっと変わった指輪をしてたわよね? ちょっと見せてくれない?」
「変わった指輪? あれのことね。あれだったら、ゆうべ来てたどこかの娘が、『素敵な指輪ね』なんて、姉さんみたいな嫌味を言うもんだから、『そう? よかったらあげますわ』って、あげちゃったのよ」
「へえ? それで、それからどうなったの?」
「その娘があの指輪をどうしたかってこと? 知らないわよ。捨てちゃったかも」
「うまく、目につくようなところに捨ててくれたらいいんだけどね」
「お前たち」と母。「今は食事中なんだから、お喋りじゃなくて、食べるために口を使いな」
「それで母さん、お前は何を忘れて来たんだね?」
と、パンの最後の一切れを飲み込んだ父。
 娘たちはまた顔を見合わせました。女同士の話にいきなり男が割り込んできたので、ちょっと驚き、ちょっと嫌な気分にもなったのです。母のほうは、落ち着いたものでした。
「なんの話だい? あたしは舞踏会になんか行ってないよ」
「三十年前には、お前も娘だったろ? あのときも舞踏会があったじゃないか。行ったんだろ?」
「そんな昔のこと。行ったかどうかも覚えてないんだから……。お前たち、食べ終わったら片づけるよ。皿を洗っておくれ」
 姉と妹との第二戦は、台所が舞台でした。
「ねえ、靴を忘れてきたの、母さんだったりして」
と、皿を洗いながら妹が言いました。
「何言ってるの? 母さんが舞踏会へ来るわけないでしょ」
「だから、三十年前によ。その時に忘れたのよ。それが、今度発見されたってのは?」
「面白いわね」
と姉が、皿を拭きながらつまらなそうに言いました。
「三十年前の靴ってどんなのかしらね。今でもまだ可愛いかしら、それとも……」
「どっちみち、ボロボロでしょ。持ち主が見ても、わからなくなってるんじゃない?」
「残念でした。その靴はガラスでできてるのよ。だから、何年たっても、汚れさえ落とせば、ピカピカになるのです」
「あんた、今日はいつもよりしつこいのね。そんなに言うんだったら、あんたがガラスの靴を履いていって、忘れてくればよかったじゃない」
「ガラスの靴なんて、魔法使いがまだいた、三十年前にしかないわ。生憎、あたしは生まれてなかった。姉さんはいたかも知れないけどね」
「さて、お皿は片付いた。嫌味もおしまいにして、もう寝ましょう」
 三戦目は、当然寝室で。もっとも、妹は、横になってから、しんみりとこう言ったのです。
「ねえ姉さん、王子様って、どういう人だったか、覚えてる?」
「いいえ。いつも大勢の人に囲まれてたから、近くに行くこともできなかったもの」
「誰か、王子様に誘われて、踊った娘はいたっけ?」
 姉はちょっと黙っていましたが、やがて調子を変えて、別のことを言い出しました。
「ねえあんた、それより、覚えてる? あたしたちの下に、もう一人、妹がいたことを」
「え?」
「頭から灰をかぶったみたいに白っちゃけてて、煤けてて、あんたと違って無口で、全然目立たないから、みんな、つい忘れてしまうんだけど、いたのよ、もう一人、この家に、女の子が」
「女中じゃないの?」
「あんな小さな女中なんていないし、この家には女中を雇うお金はないでしょ。あれは、末の妹なのよ、あんたと私のね」
 妹はほんの少し上体を起こすと、寝室の中を見廻しました。もう一つベッドがないかどうか、確かめるために。
「今はいないようね」
「あんたもまだ小さくて、自分にしかわからない理由で泣いたり笑ったりしていた時分に、たぶん、どこかにもらわれて行ったのよ。あたしも、それに気づいたのはずっと後で、気づいたとたんにまた忘れちゃったんだけど」
「それで、なんで、今夜は思い出したわけ?」
「来てたのよ、ゆうべ、舞踏会に」
 さすがに妹は息を呑みました。
「話したの?」
「ちょっとね。すっかり変っちゃったから、最初はわからなかったけど。向こうから声をかけてきたの。『妹さんはどうしたんですか』って。あんたはどっかで、友だちとおしゃべりしてたわよね。それをあたしがちょっと見廻して探して、『今、ちょっと』って言おうとしたら、もういなかったわ。
 それで、考えたの。見たこともない娘なのに、どうしてあたしに妹がいることを知ってるんだろうって。それにね、誰かに似てるなって思えてね。しばらく考えたら、わかったわ」
「何が?」
「その娘、母さんに似てたのよ。あんたやあたしより、ずっと」
 二人の間の沈黙を破ったのは、やはり姉でした。
「たぶんこういうことだと思うわ。母さんは、父さんや私たちにも内緒で、その娘の身なりも整えてやって、舞踏会へ行かせたのよ。一つだけ頼みごとをしてね。それは、三十年前の舞踏会に母さんが置いてきた、靴のもう片方を持って行くこと。
『私はあなたに見つけてもらいたかったんですけど、ダメでした。せめて少しでも思い出してほしくて、あのときの片身を置いておきます』
という思いを込めて」
「誰への思いなの?」
「さあ? 昔の王子様、つまり今の王様かしらね」
「どんな靴だったの?」
「そりゃ、ガラスの靴でしょう」
 ここで姉は、とうとう笑い出しました。
「さあ、一所懸命お喋りしたおかげで、疲れて眠くなったわ。お休み」
 話はこれだけです。やがて、忘れていった靴のおかげで、王子様と結婚できた娘がいるという噂は流れましたが、それは本当だったのかどうか、昔のことなのでよくわかりません。
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教育的に正しいお伽噺集 第四回

2016年06月13日 | 創作


7 夢負い人
というのは、後の人が付けた名前です。最初その人は、「眠り屋」と呼ばれていました。眠るのが仕事なのです。
 詳しく言うと、眠れなくて困っている人に添い寝してあげるのです。彼はいつでもどこでも眠ることができました。それも、とてもすやすやと、気持ちよさそうに眠るので、傍にいる人もつられて眠くなってしまうのです。心にどんな悩みを抱えている人でも、一晩中むずかって泣き続ける赤ん坊でも、彼の寝息を聞くと間もなく、安らかな眠りに落ちました。
 これはなかなかすばらしい能力だなあ、と今でも思えるでしょう。眠り屋が生きていた大昔でも同じことで、おかげで彼は毎日のようにあちこちから呼ばれ、一晩眠ってはお礼をもらって生活しておりました。
 その眠り屋がある日、国一番の智恵者と言われていたソーシ君を訪ねてきたのです。取次に出た弟子のヨーシ君に、ソーシ君は、どんな様子の男か尋ねてみました
「控え目に言って、肥えておりますな。丸い筒のような胴体でして。丸太ん坊から太い枝のような頭と手足が出ている、といったところです」
「なんの用か、訊いたかね?」
「なんでも、夢の話がしたいそうで。先生の『胡蝶の夢』の説話が評判になったおかげで、最近多をございますな。お引き取り願いますか?」
「いや、会うよ」
 ソーシ君が直接見ると、ヨーシ君の言ったような体型よりもっと印象的なのは、円筒の上に載っかった頭でした。てっぺんから後ろ側にかけて、毛が生えているので、こちらに向いているのは顔なのでしょうが、表情はわかりません。厚い肉が垂れていて、目も口も覆っているので、よく見えないからです。
「ご用件をうかがいましょう」
と、ソーシ君が言うと、顔らしきところの下の部分の肉がもぞもぞと動いて、音声が聞こえてきました。案外はっきりした言葉でしたが、まるで地面に掘った暗い穴の奥から響いてきたもののようでした。
「夢だ。私は商売柄、どんな夢を見ようとすぐに忘れたのに、最近妙に気がかりなのだ」
「と、言われると、どんなことがあったのですかな?」
「昼間、目が覚めている、と思っているときに、突然目の前に闇が広がる。そこから声が聞こえる。時には、闇の中に人の姿が見える時もある。何をやっているか、たいていはわからない。しかし、少しはわかることもある。どっちみち、しばらく経つと跡形もなく消えてしまうのだから、夢なんだろうが、昔はこんなふうに夢を見たことはなかった」
「例えば、どんな夢ですかな? 比較的よくわかったものをお話し下さいますか?」
「非常に美しい若者がいた。水に映った自分の姿を見て、自分がどれほど美しいか、初めてわかったようだった。この世に私以上に、見る価値のあるものなどない。それに気がついた」
「それから、どうなりましたか?」
「知らん。夢はそこまでだ」
「それでは」と、辛抱強くソーシ君が言いました。「別の夢についてお話し下さい」
「女がいた。たぶん、狭い家の中に取り残されていた。そしてずっと長いこと、何かを待っていた。長いこと、待っているのも忘れるぐらい長いこと。ある日、小さい男の子と女の子がやって来た。そして私は自分が何か、わかったような気がした」
「その女というのは、ご存じの人だったのですか」と、ソーシ君は尋ねました。
「わからない。前の夢の美しい若者が女に変わったような……。いや、やはり覚えていない」
「では、また別の夢にうつりましょう。お話し下さい」
「丸々と太った男がいた。こいつは王様だった。なのに、裸で表を歩きまわっていた。間の悪い思いをしながら、ではあったが。誰かが『王様は裸だ』と言ったようだった。やっぱりな。しかし私はどうすることもできなかった」
「その王様には、見覚えがありましたかな」
 ソーシ君の問いに、眠り屋はしばらく答えませんでした。もしかしたら眠ってしまったのかな、と思う頃、同じ部分の肉が動いて、同じ声が響いてきました。
「そう言えば、金持ちのサイ君に似ていたような気がする。最近、腰が痛くてよく眠れんと言うので、添い寝してやったことがある」
「では、そうなのでしょう」
「しかしサイ君は、金持ちだが、王様ではないぞ」
「それは、夢だからです。夢なら、人はなんにでもなれます」
「私が、サイ君が王様になった夢を見た、ということかな?」
「そう言ってもいいです。しかし、先に王様になった夢を見たのは、サイ君自身だったろうと思います」
 眠り屋の顔らしきものがゆっくり動いて、また元にもどりました。
「わかるような気がする。もっと言ってくれ」
「あなたは、これまで数多くの人に添い寝したのですよね。いっしょに眠っているうちに、その人の夢が、あなたの夢の中へ入り込んでくることもあったでしょう。今まではそれも、すぐに忘れてしまって、問題がなかったのですが、ここへきて、夢の総体が大きくなり過ぎて、眠っていないときのあなたの眼にも映るようになったのではないですかな」
「そうかも知れん。これが続くと、どういうことになるのかな?」
「そうですな。あなたは今も、あなた自身とそうでない人、それはたぶんあなたが添い寝した相手なのでしょうが、その区別がだいぶ曖昧になっているようです。このままでしたら、区別そのものがすっかりなくなってしまうかも知れません」
「夢の中でか」
「夢の中でです。でも、それが覚めているときでも現れる、ということは……」
 再び沈黙が流れて、ソーシ君も、眠気に襲われました。何度か払いのけて、もうこれ以上はダメか、と思えたとき、とうとう、眠り屋が声を発しました。
「それは少しまずいような気もする。どうしたらいいのだろう?」
「記録すればいいのではないでしょうか。何月何日、誰それに添い寝したときに、かくかくの夢を見た、とか。そうすれば、それが誰の夢であったか、はっきりします。また、今はいつ誰の夢であったかわからなくなっているものも、あなた以外の誰かの夢であったには違いない、とあなた自身が納得するようになるでしょう。それなら、他人の夢に飲み込まれることは防げるかと思います」
 眠り屋の頭らしきものがゆっくり下に傾きました。どうやら、肯いたか、お辞儀をしたようです。それから、音もなく立ち上がると、まるで雲の上を歩んでいるような足取りで、眠り屋は出ていきました。
 それから十日ばかりたった夜のこと、ヨーシ君がひどく慌てた、取り乱した様子で、ソーシ君の前にまかり出ました。
「先生、眠り屋のことで、何かご存知ですか?」
「そう言えば、あれっきりだな。どうしたか、知っているのかね」
「最近、彼の姿が見えないという噂を街で聞きまして。いえ、別にそれが気になる、ということもなかったのですが、気がつくと私は眠り屋の家の前に立っておりました。そして、なんでそうするのか、さっぱりわからないまま、家の中へ入りました。
 中は真っ暗で、まるで夜でした。入った時には、確か昼間だったのです。でも、その時は私は別に不思議とも思わず、『ああ、夜なんだな』と思っただけでした。するとその時、闇の奥からこう言っている声が響いてきたのです。
『せっかく忠告してもらったのだから、挨拶ぐらいはしておこう。ソーシ君に伝えてくれ。私は字が書けないんだった。記録する、というのは無理だ。それに、夢に飲み込まれる、というのも、そんなに悪いことでもないような気になった。だから、このままでいい』
 それから私は、急に眠りから覚めたように感じて、するとなんだか恐ろしくなって、その家から出ると、外も夜でした。なんでも、実際にしばらく眠ってしまっていたようです。ますます怖くなって、一目散に走って、こちらへうかがった次第です」
「そうか」ソーシ君はしばらく考えてから言いました。「本人がいいなら、いいだろう。確かに、眠り屋という人間のままでいるほうが、必ずしもいいとは限らんしな」
「先生、人間ではなくなったということなら、彼は何になったのですか」と、ヨーシ君。
「夜になったのさ。無数の人の夢を飲み込んで、ひっそりしているこの夜にな」
「しかし先生」と、ヨーシ君は思わず叫びました。「眠り屋が人間の姿をしていた頃から、夜はありましたし、私はそれを見ていました。彼が夜になったと言われますが、それは私が見た、そして今も見ている夜と同じものなのでしょうか、それとも違うものでしょうか?」
「そういう問いは、私の学派では禁句なのだよ。ヨーシ君が自分の頭の中であれこれ理屈をこねまわすのはかまわんが、そして、それには答えは決して出ないだろうが、どちらにもせよ、人前では言わんようにな。ヨーシ君が私の弟子でいるうちは、これは守ってもらうよ」
 そう言うと、ソーシ君は立ち上がり、ヨーシ君に、もう帰るように手で指示をして、自分も眠るために、明りを消しました。
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教育的に正しいお伽噺集 第三回

2015年05月16日 | 創作

Maleficent, 2014, directed by Robert Stromberg

5 理想の妻
を得るためにはどうしたらいいだろう、とたいていの男は一度は夢見るものです。ピグマリオンがその夢から踏み出したのは、世界一の金持ちだったからです。ほしいと思ったものをたいてい手に入れた挙げ句、とうとう男にとって究極の野望の一つに手を出してみたくなったわけです。ただし、そのときにはもう、生身の女ではとても無理なことは経験上わかっておりました。そこで、ロボットを作ることにしました。
 まず、見た目。数え切れないダメ出しの結果、どうやらこれで理想だ、と思える美女の姿形はできました。そのロボットはピグマリオンがそれまでに知った女たちに少しずつ似ていたかも知れませんが、そんなことは忘れられるぐらいに完璧でした。
 彼女(便宜上こう呼んでおきます)にはオラピアという名前がつけられました。
 次には、中身です。誰にでもすぐに予想がつくでしょうが、こちらのほうがずっとやっかいでした。
 誰にでも予想のつくことは、オラピア制作を請け負った自称世界一のロボット技師コッペリウスも予想しましたので、まずこう切り出してみました。「何も言わない美しい人形、というのはいかがでしょうかな」
「そんなことを言って、手を抜こうとしてるんじゃないのか?」と、ピグマリオン。
「とんでもございません。中身がわからないので、あれこれ想像している方が、いつまでも憧れの、新鮮な感じが保てる、ということもあろうかと思いまして」
「馬鹿を言いおって。中身がわからない、じゃなくて、ないんじゃないか。それがわかっているものに、どうして憧れたりするものか。
 それに第一、若造でもあるまいし、女に憧れる、という年でもない。ワシがほしいのは遠くから見ていて胸がときめく美女ではなく、いっしょに過ごしていて心地よい伴侶なんじゃ」
「はあ」と溜息をついたコッペリウス「そうなりますとやはり、従順な女、ということになりましょうな」
「まあな。しかし、ただ従順なだけではそのうち飽きがくるなあ」と、ピグマリオン。
「では、時々は反抗的なほうがよい、と。それはどれくらいの頻度がよろしいでしょうか? 週に一度とか、月に一度とか、あるいは……」
「いや、待て。ただ機械的に決められても困るぞ。こちらの調子もある。ワシの虫のいどころが悪いときに逆らわれたんでは、すっかり逆上して、壊したくなるかも知れん。そんなことになったら、大損だ」
「お任せください。オラピアには、ご様子からご気分のほどを判断できるセンサー機能を搭載します。それで、ご機嫌がお斜めのときには大人しく、退屈だから少し刺激がほしいかな、と思っておいでの時には、少し逆らったり拗ねてみせたりする、とこういうふうにいたしましょう」
「ふん。ワシの顔色を読むというわけか。そういう小賢しい女は、きっと鼻につくぞ」
「その点は御心配には及ばないかと。オラピアには、あなた様をうまく操って自分の満足を得ようとするような邪心は全くございません。ひたすら、あなた様のご満足のためにだけ、ご機嫌をうかがいますので」
「なるほどな。邪心はなからろうよ、だって心がないんだから。そう見えるものは全部お前があらかじめ仕込んでおいた見せかけだ。つまりは、オラピアではなく、お前の小賢しさに鼻を突き合わせねばならんというわけだ」
「ええと、そうおっしゃるなら、ファジー機能をつけましょう。そうすれば、もちろんあなた様を本気で怒らせるようなことがない範囲で、この私めにも予想のつかない突飛な言動を、稀にさせるようにもできますので」
「どんな予想もつかないことかは知らんが、それを起こさせるのはやっぱりお前だ。つまり、予想もつかないことが起きることはちゃんと予想している。いや、知っている。その話を聞いたワシもまた、知っている。何か白ける話だとは思わんか?
 『だって機械なんですから』なんて言うなよ。並の機械なら並の技師に任せておる。ワシが世界一のロボット技師だと言うお前に期待しているのは、機械であることを忘れさせるぐらい完璧な機械なのだ。それを忘れんようにな」
 コッペリウスはこの難問を解いて、ピグマリオンを満足させることができたのでしょうか。それは私などにはそれこそ予想もつかないことです。

6 また森の中で
少女はゆっくりと目を覚ましました。目に入るものはすべて同じ灰色の木でできた壁と天井と床、壁には窓はなく、外の様子は見えません。小さなドアが一つあるきりでした。
 少女は一度、そのドアから外をちらりと見たことがあるのは覚えていました。それはずっと昔のような気も、つい昨日のような気もして、はっきりしないのですが、ともかく、彼女以外の誰かがここにいたのです。その人がドアから外へ出かかったので、彼女もついて行こうとしたのでした。するとその人はぴしゃりとこう言ったのです。
「あなたは出てはいけない。森の中にはいろいろなものがいる。綺麗な花やいい声で鳴く小鳥たちもいるが、恐ろしいオオカミもいるんだ。その他、わけのわからないものがいろいろいと。直接見るのはあなたにはちょっと早すぎる」
「でもいつまで、私はここにいればいいの?」
「たぶん、そんなには待たせないと思う。ともかく、私がまた来るまでは、ここを動いてはいけないし、誰かが来ても、ドアを開けてはいけない。わかったね」
 そう言うとその人はすばやく外へ出ました。再び閉ざされたドアの向こうから、こんな声が聞こえました。
「ああ、それから、森の中のいろんなものがいろんなことを言うだろう。それを聞いても、信じてはいけないよ。みんな嘘つきなんだから」
 それからその人は行ってしまったようです。だからここは森の中なのです。少女はその人を待っていなければならないのです。この二つだけが彼女にわかっていることでした。
「いろんなものがいろんなことを言う」。この言葉を思い出して、少女は思わず呟きました。すると、小鳥たちの囀りが聞こえてきました。いえ、それは以前からあって、少女が気づかなかっただけなのでしょう。今、少女はじっとその声に耳を傾けました。すると、それがだんだん、意味のある歌のように聞こえてくるのです。
 あの娘は目を覚ましたのかい? わかるもんか
 目を覚ました夢を見ているだけなのかも
 あの娘はここにいるのかい? わかるもんか
 誰かがあの娘になった夢を見ているだけなのかも
「それは私のことなの」と少女は心の中で尋ねてみました。答えるのはもちろん自分自身です。「わかるはずないわ。私がもともと誰かなんて、私にもわからないんだから」
 その時、外からドアをノックする音が聞こえました。少女が答える前に、声がしました。
「もしもし、娘さん、ここを開けてくれんかね」
「なあに? なんの用なの?」
「ははあ、その返事だと、あくまで女の子に化けるつもりなんだな。それとも、もっと完璧に、自分でもすっかりそのつもりになってしまったのかね」
「すると、私は女の子ではないの?」
「当り前だ。女の子だったら、どうしてあんたの目はそんなに大きくてギラギラ光ってるんだね? 口だって大きくて、歯がものすごく鋭いのはなぜなんだい?」
「わからないわ。ここには鏡がないんだもの」
「それじゃあ腕を見てみな。毛むくじゃらじゃないかどうか」
「いいえ、スベスベしてるわ」
「そうか、さては毛をむしって、チョークでも塗りたくったな。それとも、女の子の中身をみんな食っちまって、皮だけ残して、それを被ってるんじゃないのか?」
 少女は黙ってしまいました。
「どうした? 図星を指されたんで、何も言えないんだろ?」
「あなたの言うことって、何が何だか全然わからないわ。まるで森の中の獣が吠えているみたい」
「なんだと、獣はお前だろ。いいからここを開けろ、そしたら俺がお前に、本当のことをわからせてやるから」
「そんなの、知りたくもないんだわ」と、少女は、もう相手に聞かせる気もなく、口の中で呟きました。
 するとどうでしょう、さっきの小鳥たちのときとは逆のことが起こったのです。外から聞こえてくるのは人間の声ではなく、オオカミか何か、恐ろしい獣の咆吼になりました。そしてその恐ろしいものは、何度もドアに体当たりしてきたようです。家全体がガタガタ揺れました。少女は両手で耳を塞ぐと、じっと蹲っておりました。
 ドアはなんとか持ちこたえました。やがて騒ぎが収まって、あたりはすっかり静まりました。少女は立ち上がると、自分にこう言いました。
「あれはあの人だったのかしら。わからないわ。どっちにしろ、私が受け入れられる『私』を持ってきてくれたわけじゃないようだから、入れるわけにはいかない。私は、まだ待たなくては」
 こうして、少女は待ち続けました。とても長い間、以前にお話しした、少年とその妹とが迷い込んで来るまで。

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教育的に正しいお伽噺集 第二回

2015年03月13日 | 創作

Echo and Narcissus, 1903, by John William Waterhouse

4 ナルシスとエコー
ぐらい奇妙なカップルは珍しいでしょう。しょっちゅう一緒でしたから、恋人同士に見えましたし、たぶんそう呼ばれてもいいのでしょうが、この二人の会話は、次に見るような具合でした。
「風が肌を刺さないようになった。もう春なんだね」
「もう春ね」
「オキザリスはもう咲いた。オオイヌフグリの花はまだかな」
「まだかしらね」
「山へ行こうかな。花もきれいだが、オオアゲハとかサンジュウロクホシテントウムシなんかが飛んでいるのを見られるかも知れないぞ」
「見られるかも知れないわね」
「いや、やっぱりよそう。アナコンダやホラアナグマが目を覚ましたのに出くわすのはいやだ」
「いやあね」
 こんなふうに、エコーはいつも、ナルシスの言葉の、最後のあたりをただくりかえすだけでした。
 それはこういう理由からです。ナルシスは、質問されたり、反対意見を言われたりするのが何よりも嫌いでした。それなのに、今まで彼と仲良くなろうとした若者や娘達は皆、話をしているうちに、軽い気持ちで、例えばこんなふうに言ってしまうのです。
「まだ春というにはちょっと早いんじゃないかなあ」
「山には行かない、とすると、あなたはどうなさるおつもり?」
 そんなときナルシスは、たちまち機嫌を悪くして、もうその人たちとは口を利かないどころか、目を合わせることすらなくなってしまうのです。
 エコーは、元々はとても活発でおしゃべりな娘でしたが、ナルシスに恋をしてから変わりました。できるだけ長く彼と一緒にいるにはどうしたらいいか一所懸命に考えて、とうとう、自分の頭から言葉を出すのではなく、ナルシスの言ったことを言った通りに口にすればいいのだ、と気がついたのです。そうすれば、ナルシスは、エコーを見つめることはありませんでしたが、邪魔にもしなかったからです。世界一気難しい若者を愛する身としては、とりあえずそれで満足するしかないようでした。
 しかしここにはまた、エコーも知らない深い事情があったのです。
 ナルシスの母親はレイリオペという名の水の妖精でした。彼が生まれて言葉を話し始めてから間もないある日、名高い予言者のテレンシアスに出会って、こう尋ねてみる気になったのでした。
「この子は長生きできますでしょうか」
「ああ。自分自身を知らないでいればな」
 と、予言者はいつものように謎めいた言い方で答えました。
 レイリオペにはその意味がなんとなくわかるように思えました。「自分を知る」、いやむしろ「自分を見つける」、それはたぶん恐ろしい試みに違いないだろう、と。
 レイリオペも、一日に一時間以上は鏡の前で過ごしはしましたが、それはむしろ、誰もがうっとりするほど美しくなって、「私って、結局、何?」なんて疑問が他人の頭に、そして自分の頭にも、浮かばないようにするためでした。あまりに純朴な我が子には、どうもそういうことはできそうにありません。すると、どういうことになるのでしょう?
 また、我が子がしたことの理由を尋ねたりするのも、どうかと思われました。結局のところ、親は、幼子に「それをしてはいけない」と教えるために訊くのでしょう。でも、「なぜやってはいけないのか」まではいいとして、またそれは理解されたとして、次に来るのは、「ではなぜ僕はやってしまったのか」、それから「それをやってしまった僕って何なのか」という問いではないでしょうか。
 たいていの人は、そんな問いに長く関わっていたくないからこそ、余計なおしゃべりをして時を過ごすのですが、ナルシスは、一度こんな疑問に取り憑かれたら最後、どこまでも一途に考え込まなくてはすまない、そういう性格ではないか、と、母親の直感でわかっていたのです。
 そこでナルシスは、鏡を見ることもなく、「なんでそんなことをするの」と尋ねられることもなく、「いけません」とさえ滅多に言われずに、子どもから青年へと成長しました。おかげで、よそからはひどく傲慢でいやな男だと思われるようになりましたが、実際には、自分でも知らないうちに(それが大事なのです)、母親の望み通りになった、非常によい子だったわけです。
 だけでなく、彼は誰よりも、この世で生きていくための重荷を感じず、毎日愉快に暮らしていたのです。この日突然悲劇がやって来るまでは。
 最初に述べたようなことを言いながら、ナルシスは春先の野に出ました。後にはエコーが影のように寄り添っていたのですが、彼はいつものように彼女を意識することもほとんどありませんでした。ふと、泉のせせらぎが聞こえてくると、急に喉の渇きを覚えた彼は、そちらへ行って、一口飲もうとしました。
 その時です、ナルシスは水底に、非常に美しい若者がいて、こちらを見つめているのに気がついたのです。息も詰まる思いがして、自分でも知らないうちに、こう言っていました。
「君は誰?」
 これは彼の口から出るには全く相応しくない言葉でした。質問されることが嫌いなので、質問することもなかったからです。
 その上、この質問はそのまま彼に返されました。声は聞こえませんでしたが、泉の中にいる若者の赤く優雅な唇も、「君は誰?」と動きましたので。そして、エコーが心底から驚いたことに、ナルシスが答えたのです。
「僕はナルシスだ。君は誰なんだい?」
 同じ答えと、質問とが返ってきます。ナルシスはこれまで一度も味わったことのない激しい感情に襲われて、大声で叫びました。
「どうして答えてくれないんだ。僕は本当に君のことが知りたいんだ」
 そばで見ていたエコーには、彼の言葉を繰り返すことはもうできませんでした。こんなに心乱れたナルシスは初めて見たからです。
 とてもよくないことが起ころうとしている、いえ、もう起きてしまったことはエコーにもわかりました。たぶんもう手遅れなのです。それでも彼女は、それまでの習わしを破り、自分は知っているのにナルシスは知らないことを、口から出さずにはいられませんでした。
「無駄よ、ナルシス。あなたが話しかけているのは、水に映ったあなたの像なんですもの。答えてくれるはずはないわ」
「そうだったのか。僕はこんなに綺麗だったんだな。
 それだけじゃない。あの褐色の、大きな目は何を見ているのだろう。僕か? そりゃそうだ、これが僕だとしたら、僕以上に見る値うちのあるものがどこにあると言うんだ。
 栗色の艶やかな巻毛に半分隠れているあの耳は、何を聞いているのだろう。僕の声だけ、に決まっている。それ以外の何かを聞いたとしても、それが何になるだろう。
 この世に僕以上に、僕以外に、見たり聞いたりして、知らなくちゃならないものなんて何もなかったんだ。どうして僕は今までそれに気づかず、どうでもいいつまらないことばかりにかまけて、生きてきてしまったろう」
「しっかりしてよ、ナルシス」
 とエコーが必死に叫びました。
「そこにあるのはあなたじゃないわ。とても綺麗だけど、ただの影に過ぎないのよ。そんなの、あなたが泉の傍を離れたら、たちまち消えてしまうのよ。
 あなたが本当にいる場所は、あたしたちの間なのよ。お母様やあたしのようにあなたを愛していたり、他のたくさんの若者たちのようにあなたを嫌っている人たちの中で、怒ったり笑ったり泣いたりしているのがあなたなのよ。つまらなくても、くだらなくても、それが生きるということなのよ。
 ねえ、戻ってきてよ、お願いだから」
 しかしこの言葉はもうナルシスには届かないようでした。彼はいつまでも水の中の彼自身を眺めていようと決心したのです。
 すると、母親譲りの、妖精の力が働き出しました。彼の体はするすると縮こまり、小さな玉のようになったかと思うと、緑と白と黄色いものが音もなくそこから生えてきて、気がつくと、ナルシスがいたところには、可憐な水仙の花が一輪、そよ風に揺られておりました。
 エコーは長い悲鳴を上げました。花になったナルシスに触れることも、彼が魅入られた泉の中を覗き込むことも恐ろしく、他にどうしようもありませんでしたから、泣きながらその場を離れました。
 以下は後日談です。この水仙は、たまたま通りかかった裕福な商人の娘の目にとまり、抜かれて、彼女の家の花瓶に移されました。それから、ともかくそれまで誰も見たことがないほど美しい花ではありましたから、枯らすのは惜しいと、天井から吊り下げられて、ドライフラワーになりました。
 こうしてナルシスは、ガラスケースの中に入れられて、ただ見られるだけの存在となって、長くこの世にとどまりました。テレンシアスの予言は、このようにして成就されたのです。
 エコーのほうは、あまりにも悲しかったので、ナルシス抜きの、人と人の間の世界に完全に戻る気にはなれず、姿を隠しました。でも、声だけはときどき現れます。山の中で大きな声でしゃべると、自分で言った話の最後のところがどこからか聞こえてくるでしょう。あれが、今もまだナルシスの面影を慕い続けている、エコーの声なのです。
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教育的に正しいお伽噺集 第一回

2015年01月30日 | 創作
 【これは現在同人誌『ひつじ通信』に連載中の新作fablesですが、書き続けているうちにだんだん愛着が深くなり、一人でも多くの人に読んでもらいたくなりましたんで、こちらにも載せます。】



1 「王様は裸だ」
と、子どもが叫んだとき、王様の行進を見物していた人々の間に軽いどよめきが起きました。しかし、その表情を見ると、驚きもありましたが、戸惑いというか、間の悪い思いをしている、といった感じの人のほうが多かったようです。「ああ」とか「うう」というような間投詞以外、言葉は何も出ないまま、人々は周りの人と顔を見合わせて、すばやく会話を交わしました。「目は口ほどにものを言い」と言いますから、顔と態度全体なら、実に多くのことが伝達可能なのです。
(やれやれ、とうとう言っちまったか。まあ本当のことだからな、いつかは言われてしまうもんさ)
(しかし、そんなこと、誰もが知っていたんだぜ。その上で、言うより、言わないことの方が大事だと、みんな感じていたのに、言ってしまったら、これまでのことが台無しじゃないか)
(何が台無しになるんだ? そもそも、どうして、わかっているのに言わないことにしたんだ?)
(そりゃ、王様を怒らせるのが怖いってことだろう)
(裸の王様なんて怖いもんか)
(そんなに怖くはなくてもさ、わざわざ機嫌を損ねるこたあないだろ? それも、みんなが知っているようなつまらんことでさ)
(しかし、あの透明の服? だったかな、つまりは本当はないもののために、ずいぶん金を使ったって話だぞ。もったいないじゃねえか)
(お前の金じゃねえだろ)
(王様の金なら、俺たち国民のために使うことだってできたんじゃねえのか)
(なんだい、それこそみんな知ってるじゃねえか。王様に余った金があったところで、絶対に俺たちのためになるようにゃ、使ってくれない。これはもう、昔からの決まりごとみたいなもんだ。戦争とか、俺たちのためにならないことのために使われるんじゃなけりゃ、いいぐらいのもんさ)
(それじゃ、本当はないもののために、ある金を使っても、結局悪いことはないってか)
(まあ、若い娘のじゃない、あんな太っちょのおっさんの裸を見せられるのは、ありがたくねえがな、すぐに通り過ぎちまうんだから、それくらいの我慢はするさ)
(しかし、どうする? もう言われちまったんだぜ)
(みんなで聞かなかったことにするのさ。そうすりゃ、なかったことになる)
(そうするか)
(うん、そうすべえ。せっかく今まで黙ってきたんだもんな)
 大人達の顔に出た意見は一致し、決定はすぐに実行に移されました。両親に耳を引っ張られ、手で口を塞がれ、おまけに周りの大人全員に怖い顔で睨まれては、さすがの泣く子も黙るしかありません。これによって、ざわめきもすぐに止みました。
 ところで、王様です。王様も子どもの声は聞いてしまいました。(やっぱりそうか)とがっかりもし、恥ずかしくもあったのですが、この人は、頭は悪いけれど、よい王様でした。特に、よい王様だと国民のみんなに思われたいと思っているところが、まことによい王様でした。みんなが望んでいるのは、みんなが知っていることを自分だけは知らないでいること、不幸にしてそれができなくなっても、知らないふりはすることだと、はっきり知りました。
 かくして、裸の王様の行進は、威風堂々、とはいきませんけど、とりあえずもっともらしく、何事もなかったように続けられたのでした。

2 よくあることですが
池にいる蛙めがけて、少年たちが石を投げておりました。少年たちのピッチングは下手くそで、威力もなければコントロールも悪かったのですが、それでも危険には違いありません。蛙は、少年たちとコミュニケーショをとることにしました。あいにく蛙の口では人間の言葉は話せませんので、直接心に、テレパシーで語りかけることにしたのです。これはあまりお勧めできるやり方ではありません。心は、口よりもっと、余計なことを言ってしまいがちなものですから。
(もしもし、ぼっちゃんたち、石を投げるのはやめてもらえませんか。あなたたちは遊びのつもりでやってるんでしょうが、私には命がけなんですよ)
(そりゃそうだろうさ。お前が命がけで逃げまわらなけりゃ、面白い遊びにはならない。おい、もっと真剣に逃げろよ。そうじゃないと、俺たち、お前を嫌いになっちまうぜ)
(弱ったなあ。弱い者いじめが、面白いんですか)
(わからない奴だな。面白いからやってるってんだろ)
(じゃあ、ぼっちゃんたちが私の立場で、私がぼっちゃんたちの立場だったらどうです? それでも面白いですか?)
(本当にわからない奴だなあ。そういう立場じゃないから面白いんだ、って言ってるんだよ)
(少しは想像力を働かせてみてくださいよ。誰か、あなたたちより強い人が、あなたたちをいじめたら、やめてほしいと頼むんじゃないですか? 私は今それと同じ事をやってるんですよ。だったら、私の頼みは無理がないものだってわかるじゃないですか)
(ああ、それはわかるよ。でも、お前の話から、もうひとつ別のわかる、いや、わからないことが出てきたぞ。お前は、俺たちより強いやつがいて、俺たちをいじめるかもしれない、ということを前提にしている。世の中には悪いことがあって、俺たちも被害者になる可能性はある、だから俺たちは悪いことをするのはやめるべきだ、と言っていることになる。説得力があると思うか?)
 思いがけない反論に、蛙は驚いて、ちょっと考えました。そのとたんに、少年の一人がでたらめに投げた石が間近に当たって、土ぼこりが立ちました。蛙は驚いて水の中へ。たぶん怪我はなかったでしょうが、土で水も濁ったので、見えなくなってしまいました。
 こうして彼らの議論は、よくあることですが、双方に煮え切らないものを残したまま、終わったのでした。

3 森の中で
道に迷うことは、誰にでもできるというわけではないのです。とりわけ、その挙げ句に正しい場所へ行き着くことは。
「やっと着いたか。長かったなあ」
「ちょっとあなた、何を言ってるの? ここがどこで、私が誰だか、わかってるのかしら?」
「そう言われるとうまく答えられないけど、でも、僕がずっとここへ来たかったのは確かなんだ。お菓子でできた家でしょう? ここなら僕は、仕事なんか何もしないで、お菓子だけ食べてればいいんでしょう?」
「まちがってるとは言わないけど、その前に、変だとは思わないの? 森の中にこんな家があるなんて、普通に考えてあり得ないことよ」
「聞いたことはあるよ。森の中に魔法使いのおばあさんが住んでいて、お菓子の家に住んでるんだって」
「そう? それから?」
「ええとね、そのおばあさんは、子どもが大好きなんだけど、子どものほうでなかなか来てくれないから、寂しがってるんだって」
「それから?」
「知らない。僕は子どもなんだから、歓迎してもらえるんでしょ?」
「都合のいいところしか聞いてないのね。まあ、ありがちなことだけど。私がその魔法使いのおばあさんだったとして、なんのために子どもを待っているのか、なんて考えたことはないの?」
「考えるのって、苦手だし、考えたって、ろくなことはなかったからな。ねえ、僕は森の中を歩いてきて、とても疲れてるんだ。ここで眠ってもいい?」
「しかたないわね。お休みなさい。目が覚めたらもっといろんなことがわかるわ。いやでもね」
「ねえ、起きてよ、兄さん」
「ンンン? なんだい? もう食えないよ」
「寝ぼけないでよ。さあ、行くわよ」
「行くって、どこへ?」
「うちに決まってるじゃないの。一晩留守にしたから、たくさん仕事がたまってるわよ。薪を割ったり、水も汲まなくちゃならないのよ」
「めんどくさいなあ。ここにいればいいじゃないか。食べ物はたくさんあるんだし」
「バカね。食べられるのはお兄ちゃんのほうだったのよ。あれが悪い魔法使いだってことぐらい、わからなかったの?」
「そうかい? で、あの人は今どこにいるんだい?」
「知らない。どっかへ行っちゃったわ」
「お前が殺しちゃったんじゃないのか?」
「どうでもいいでしょ。どうせいつかは帰らなくちゃいけないんだから」
「帰り道なんて、わかんないじゃないか」
「ここへ来る途中、あたしがちゃんと、目印に小石を落としてきてあげたのよ」
「小石? そんなにたくさん持てないだろ? だから途中からお前はパン屑を落として、それが小鳥たちに食べられちゃったんで、おかげで僕たちは道に迷うことができたんじゃないか」
「よく覚えてるのね。それだけここへ来るまでのことがわかってるなら、大丈夫よ。必ず道を探し出せるわ」
「もしかして、適当なこと言ってないかい?」
「そうだとしても、お兄ちゃんよりはマシでしょ。だから、たとえまた迷ったとしても、ここよりはマシなのよ。『僕が来たかったのはここじゃない。よそへ行かなくちゃ』と思えるだけね」
「そうやって、一生、『行きたかった場所』を探すだけかい? なんてつまらないんだ」
「しかたないでしょ。『僕には他にもっとふさわしい場所があるはずだ』なんてお兄ちゃんが思って、思うだけじゃなくて森を歩き出したときにこれは決まったのよ。あのとき、あなたはもう、罠にはまっていたのよ」
 最後にこう言ったのは妹でしょうか、それとも魔法使いでしょうか?
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