由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

大人になる困難 その1

2019年09月28日 | 文学

「太陽の季節」 昭和31年 古川卓巳監督

メインテキスト:石原慎太郎「太陽の季節」(『文學界』昭和30年7月号初出。新潮文庫第六十八版平成23年刊より引用)

 「青春」、そして「青年」という言葉は、いつ頃から現行のように使われているのだろうか。
 言葉そのものは大昔からあったに違いない。陰陽五行説を季節の運行に当て嵌めた場合の呼び名、青春→朱夏→白秋→玄冬の一つなのだから。
 しかし、大きく広まったのは近代以降で、広めたのは主として文芸であることにまず間違いはない。小栗風葉の小説「青春」は明治38年から読売新聞で連載されている。もちろん、それ以前からかなりの人々の口や筆に上るようになっていたのだろう。
 それを可能にするハード面、つまり社会制度上の条件も当然あった。端的に言ってそれは学校の、従って学生の増加だった。青春とは基本的に学生のものだ。
 私見によると、ハムレットは、文芸史上最も早い段階に登場した「青年」だが、三十という年齢(第五幕第一場の、墓堀り人夫の科白によれば)より、ヴィッテンベルク大学の万年大学生であるという身分が、彼の人物像を決定づけている。次の国王は彼だと決定されているが、現在は政治にも生産にも携わらない、従って世間的な責任を免れた、気楽な身分。だから勝手気ままにもふるまえる。
 何よりも、純粋に自分のために使える時間がたっぷりとある。
 それだからまた、世のいわゆる大人たちの不正に関しては、何しろ直接関与はしておらず、「手は汚れていない」ので、一方的に激しく憤ったりして、しかもそれがかなりの時間持続したりする。
 明治以降、日本は近代国家の当然の道筋として、初等教育から高等教育までの学校制度を拡充していった。進学率こそ旧制中学で10パーセント代、旧制高校はほぼ1パーセントに留まったが、何しろそこの学生=書生たちは、旧時代の人々が知らなかった「青春」の担い手として、目立った。「栄華の巷低く見て」放歌高吟し、「ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ」なんぞとわけのわからない遺書を書いて自殺したり。とうに子どもを作る身体能力は備わっているのに、制度的な新たな子ども=青年とされ、世知辛い世間とは一定の距離を置いた観念の世界に生きる者、その華やかさと危うさこそ、現在まで続く「青春」の特性だった。

 戦後日本社会は、「青春」の爆発的な広まりを見た。今となっては、この言葉を誰もが知っているほどに。
 社会的な第一の条件として、新制度下の学校が次第に、着実に増えていったことが挙げられる。つまり、「青年」の絶対数が増えた。
 すると、ここを市場とする新たな産業が成立し、急速に成長する。主にファッションと音楽の分野で、戦勝国である豊かなアメリカをモデルとして、華やかないわゆる享楽文化が、「青年」をターゲットとして流れ込んできたのである。するとそれはまた、「青春」の目に見える際だった特徴を現すイコンともなり、ひいては「青年」が確実に存在する何よりの証拠ともなる。
 前者についてだけ言うと、かの地でティーンズ向けファッション誌『seventeen』が発刊されたのは1944年、なんと戦争中のことである。日本ではその24年後の昭和43年に集英社が日本版を刊行し、ジーパンやらミニスカート、男の長髪などの若者像を発信していった。その前後、多くの媒体が同じ働きをしたことは言うまでもない。
大江健三郎「セヴンティーン」は上記の雑誌より七年前の昭和36年発表。たぶん大江は、本家アメリカの雑誌、あるいは少なくとも、その前提であるセクシャル・シンボルを示すものとなった言葉は意識していたろう。ただしここでのseventeenは反語であって、主人公の右翼少年は「輝かしい青春」なんぞからは弾き出された存在とされている。また、初期大江作品の多くを彩るアメリカに占領された屈辱感は、この作にも底に流れている。】
 
 もう一つ、未曽有の敗戦によってもたらされた、いわゆる「大人」の権威失墜を見逃すことはできない。
 戦前から終戦直後の日本を主導している連中は、無謀な戦争によって多くの人命を奪い、またどうやら、同じ道を歩もうとしている(いわゆる「逆コース」)らしい。そう言われれば、確かにそう見えた。このような社会悪・国家悪に染まっていない若者が、これに反対することは正しい。
 日本版造反有理であり、当初母や叔父に感情的に反発していたハムレットが、亡霊に「真実」を告げられて、反抗心を正当化され、明確な行動指針が与えられたようなものだ。かくして昭和35年のいわゆる60年反安保闘争は日本の反政府運動中空前の盛り上がりを見せた。その中核を担ったのは学生たちだった。これに次ぐ1960年代のいわゆる大学紛争期を通じて、「異議申し立て」は「青春の特権」であるとして、逆から言えば「特権ある者」としての青年像が、認知されるようになる。
 もっとも、70年代からこっち、こういうのは薄れていく一方のようではあるが、今でもまだあることはある。

 文芸では「太陽の季節」が、最も早くこのような若者像を描いたものとして知られている。他にもあったのかも知れないが、圧倒的に目立っている。何しろ芥川賞をとり、映画化もされ、「太陽族」なる流行語及び流行現象の元になったのだから。
 改めて読み返してみると、これはやっぱり不愉快な小説である。倫理的に、なっていないのだ。と、言えば、「今更……」と笑われそうだが、その本当の意味がよく知られているとは言えないと思う。
 主人公・竜哉は裕福なサラリーマンの次男坊で、たぶん慶応高校生。拳闘(ボクシング)とヨットと賭事とナンパで日を送っている。すぐ後に大量発生した学生運動の闘士たちと違って、「社会正義」とか「革命」などには無関心。【全日本学生自治会総連合、いわゆる全学連は昭和23年に結成されているが、当時は内部で、代々木系(共産党系)と反代々木系(反共産党系、いわゆる新左翼)の理論闘争に耽っていて、社会運動としては停滞していた。】その分欺瞞はないが、また、行動の拠り所もない。
 一応こんなことは言われている。

 人々が彼等を非難する土台とする大人達のモラルこそ、実は彼等が激しく嫌悪し、無意識に壊そうとしているものなのだ。彼等は徳と言うものの味気なさと退屈さとをいやと言う程知っている。大人達が拡げた思った世界は、実際には逆に狭められているのだ。彼等はもっと開けっ拡げた生々しい世界を要求する。

 どうも舌足らずな主張で、よくわからないところが、若者らしいと言えば言える、という困った代物である。要するに、従来のモラルと呼ばれているものは、せせこましくて無味乾燥で退屈だ、と言いたいらしい。何より、それを自明の「常識」だなんぞと言って押しつけてくる大人自身が、実際はそんなに尊重しているようでもなく、人目がなければ簡単に無視してしまうではないか。世間を支える規範とは、そういうものなのだが、頭の単純な子どもには欺瞞にしか見えない。と、言うか、確かに欺瞞ではあり、だからこそ役に立つのだが……。
 そんなのおかしい。欺瞞のない生き方だってできるはずだ。俺たちにはできるんだ。そんな傲慢な感情もまた、商品化された何やら輝かしい意匠を纏った「青春」のイメージから生じる。ところが、それを造ったのはたいてい大人なのだ。若者が自ら造り、選んだのだという錯覚もまた、販売戦略の一部であって、つまり欺瞞なのである。
 と、いうような都合の悪いことは考えないに限る。すると彼らの行動原理は、「カッコよく生きたい」だけになる。生活のためにつまらない仕事を一日中・一年中やっている大人は、まことにつまらないし、カッコ悪い(その後生まれて最近まで使われていた言葉だと、「ダサい」)。そういうつまらなくカッコ悪い大人が稼いだ金をもらって自分たちは遊んでいられるのだ、という事実にもやっぱり都合良く目をつぶる。夏目漱石「それから」の主人公に似ているが、戦後のは可能な限り精神的なことを気にかけないだけ、さっぱりしているが、それと反比例して、馬鹿さ加減は増進している。
 要するにうざったいだけの社会的な「責任」などを逃れた場所で、いつまでも遊んでいたいのだ。そう言われても仕方がないように、「太陽の季節」中の若者たちは描かれている。
 恋人の英子(ひでこ)が、少々重く感じられてきたので、兄に金で売るような真似をするのも、つまらない大人が作ったつまらないモラルなんて歯牙にもかけないタフでクールな若者を演じたいからだ。女の方では、自分が幼い頃ほのかな恋心を抱いた男が二人、戦争で死に、親も認めた許嫁には事故で死なれるという体験をしている。自分には異性を愛することは許されていないのではないか、という恐れを抱いていたので、竜哉との恋がもたらした、人間らしい真の情熱(古くからあるロマンチックな感情だ)、と思えるものを失うことに耐えられず、彼の兄に金を払って自分を買い戻す。文学的には、こちらのほうがずっと興味深い。が、この心理が掘り下げられることはない。
 とどのつまり、ヒロインは妊娠し、子どもを産むことを希望する。主人公は当初、仲間より先に父親になるのはカッコいいかと思い、黙認するつもりでいたが、自分の好きな拳闘のチャンピオンが家庭で子どもを抱いている写真を新聞で見て翻心する。「丹前をはだけたその選手は、だらしない顔をして笑っている。リングで彼が見せる、憂鬱に眉をひそめたあの精悍な表情は何処にもなかった
 こんなカッコ悪い大人になることはなんとしてもいやなので、彼は女に中絶を命じる。結果彼女は腹膜炎を併発して死んでしまう。
 英子の友だちからそれを電話で伝えられた竜哉は、悲しみ以上に厭な気分に襲われる。「かえって、これで一生英子から離れられないような気持に襲われた。それは矛盾してはいたが、妙にしつこく頭に絡んだ」。
 そして彼は、遅れて英子の葬式に出る。

(前略)彼は英子の写真を見詰めた。笑顔の下、その挑むような眼差に彼は今初めて知ったのだ。これは英子の彼に対する一番残酷な復讐ではなかったか。彼女は死ぬことによって、竜哉の一番好きだった、いくら叩いても壊れぬ玩具を永久に奪ったのだ、

 そこで彼は香炉を遺影に投げつけ、「馬鹿野郎っ!」と叫ぶ。動揺する会葬者に、「貴方達には何もわかりゃしないんだ」と言って、会場を去る。
 「大人はわかってくれない」はフランソワ・トリュフォー監督の映画(1959年)のタイトルだが、これ及びその変形(「大人は頭が固い」「大人は汚い」などなど)は、もちろんよく考えられもしないまま、現在まで使われている。たいがいは、そう言っている人間のほうがタチが悪い。最初からわかることを拒否しているのだから。それがつまりは、彼らの「青春」を支える最大の欺瞞なのだ。
 拒否していることの一つに、彼らもまたいつか大人になる、少なくとも歳はとる、という、呆れるほど当り前の事実もある。当り前すぎるからつまらない、つまらないからあまり言われない、言われれないから忘れていられる。そのほうが都合がいいから、ますます忘れられる。 
 そんなこんなで、「三十歳以上は信用するな」とまで、調子に乗って言った者までいたらしい。彼らは私同様、とうに三十の倍の還暦を超えていると思うが、今は何を思って何をしているのだろう。かつて言ったことは忘れて、その時分の「大人」よりもっと、もっともらしい顔で、若者に説教してたりして。あり得ますな。もともと、その程度の軽いノリで言われたのだ。
 竜哉の好きな「いくら叩いても壊れぬ玩具」というのも、軽いノリで叩かれるから壊れなかっただけなのだ。妊娠もそうだ。子どもが産まれても、父になる決意などは必要ない。英子の家も資産家なのだから、養育はなんとかなる。
 ただ、死、だけは、現実に起こってしまったら、さすがに冗談にはできない。その「責任」は、やはりある。いや、そんなものはない、とまで言ったら、それこそ軽いノリではすまない破壊者となるが、いつまでも呑気に遊んでいたいだけの連中に、そこまでの覚悟があるはずもない。
 ならば、この「責任」を背負って行かねばならないのだが、それはどうやっていいのかわからない。途方もなく余計で厄介なものを遺しやがって、と竜哉は、全く理不尽に、英子を恨む。
 「太陽の季節」の文学的な質は以上にしかない。この難問を解く道筋、いや、意欲だけでも示すなら、文学としてもモラル上も立派な作品になったと思うが、それは「ないものねだり」でしかないだろう。

 最後にやっぱり告白しておきます。今回罵倒した、欺瞞的で、それに気づかなくてすむように馬鹿になった若者の一人は、紛れもなく私自身でありました。この記事は自己批判の試みなんであります。
 そんな者が肯定できるところが、この作品には一つだけあります。この時代からこっち、「大人になること」はひどく難しいことになりました。「太陽の季節」には、その里程標の一つが刻まれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする