由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

小浜逸郎論ノート その4(共同態・中)

2024年04月26日 | 倫理


メインテキスト:小浜逸郎『倫理の起源』(ポット出版プラス令和元年)
サブテキスト:和辻哲郎『倫理学』(初版は岩波書店全三巻昭和12~24年。岩波文庫全四巻平成19年)

 前回は、『倫理の起源』の結論部分に即応して愚考を述べました。これはやや性急過ぎて、小浜の論の魅力的なところを取りこぼしてしまったようです。今回と次回、改めて、各種共同体の相関・相克関係や、公私の別について、小浜の言説をきちんとお浚いして、自分なりに感じる問題点を提出してみようと思います。

Ⅳ 和辻倫理学の継承と批判 往還の相と信頼
 第一のテーゼと言うべきもの。重要なのは常に共同態なのだ。共同態があるからこそ、善がある。また、ある共同態がまずます平和に、幸福に営まれているなら、そこに善は実現されている。

 では、悪とは何か。その共同態が乱れ、さらには失われること、ということになるだろう。
 共同態のための場所である共同体がほぼ完全に消失する場合、BC1世紀ローマ帝国に滅ぼされたカルタゴとか、16世紀スペインのコンケスタドールに征服されたインカ帝国などの例は、今後も起こらないとは言えないが、倫理は共同体内部の人間の在り方を考えるものだ。
 人は共同態の中で生まれ育って初めて人となる、共同態以前にいかなる個人もない、というのは、いわば発生論。元はそうでも、人が太郎とか花子とか固有名を持ち、一個の人格として扱われ、他者とは違う自分を意識したら、それだけで既存の共同性からは微妙に逸れている。
 最も重要なのは、この逸れた個人がもう一度共同態に復帰すること。というよりは、共同性の核(それが何かは少し曖昧だが)を保存したまま、新たに創り上げていく、と言ったほうがいいだろう。

 ある家庭の息子や娘が成長して結婚し、今度は自分が父母になって、子どもを産み育てる。今でも三世帯同居など、大家族はあるけれど、それでもそれは、元の「家」とは別のものになっている。子どもが結婚して嫁さんなり婿さんなりが入ってくるだけでも元とは違う。そこに新たな子どもが誕生すればまた違ってくる。
 それでも、子育てなどの基本的なモデルは代々ずっと受け継がれた部分が大きく、それこそ共同態なのだが、親子が別居した場合でも、そのような無形の部分の継承はなされている。

 小浜が、というより彼が最も影響を受けたと認める和辻哲郎の倫理学は、このような過程を共同態からの「往還」と呼ぶ。
 個人が、反抗期とか何かで、意識的にもせよ無意識的にもせよ、共同態から背き離れるのが「往」、それからまた共同態に復帰するのが「還」、これが人間の、生活の歴史を形成する。
 それで、「往」が悪の過程で、「還」が善の過程なのだが、いつかまた還る運動の過程にあるなら、「往」も全き「悪」とは呼べない。行ったっきりで戻る道が見つからない、あるいは完全に否定するとしたら、それこそが「悪」になる。
 これでもう贅言は要さないかも知れないが、和辻―小浜が最重要と考えたのは、現にある家庭とか国家とかを保ち守ることよりむしろ、個々人が他者と共有し共生できるだけの、精神的なものを含めた場を創ることで、「他人への思いやり」と言えば、ほぼ尽きている。

 小浜が悪の代表と考えるのは、個人の自由を重んじるあまり、「自分が正しいと信ずるなら、人を殺してもいい」なんて思うこと。ドストエフスキー「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフはこの状態に陥ってしまった。
 文学からまた別例を探すなら、ロビンソン・クルーソーは、事故で共同体からは離れてしまったが、それまで同胞とともに生きてきた英国社会の共同性から身につけたマナー(考え方と行動のパターン)は保っているので、共同性を失ったわけではない。それは、食人の習慣がある南米の原住民を野蛮人とみなすprejudice(偏見、だけど、元義は、「前もってする判断」)を含めての話ではあるが。

 別様に表現すると、人間は関係性によって形成される、関係的な存在である。しかし、関係的存在であることを認識するところに自己が現れる。そして、それゆえにまた、人としての正道と言えば、関係性を自ら背負うところにある。つまり、関係性こそが倫理となるのである。【キルケゴールの「自己とは関係がそれ自身に関係する関係である」はそういうことではないかと私は思っている。】
 ここまでなら特に異論はない。しかし実は倫理上の実際の問題は、この次からなのである。

 小浜逸郎は和辻哲郎の倫理学を高く評価し、自分はその後継者を目指す者であることも認めている一方で、その弱点も厳しく指摘している。小浜の倫理学は、この弱点の克服を目的としている、と言っても過言ではない。
 以下、小浜の和辻批判を私なりに言葉をやや変えて紹介すると。

(1)和辻は、共同体の中心核となる感情は信頼だと言う。それはそうで、成員同士に信頼感がなかったらいかなる共同体も成り立たないのは自明。ただ、それだけで共同体が保たれるかと言えば、これまた明らかに違う。
 和辻がそう言っているわけではない。が、共同性こそ人倫の基礎という割には、共同性につきまとう諸問題にはあまり言及していない。
 小浜の言い方だと、和辻は「ザイン」(現にあるもの・現実)と「ゾレン」(あるべき存在・当為)をちゃんと区別していないようだ。別言すれば「倫理学は、生の暗黒面という現実を直視しつつ、しかも最終的には「ゾレン」を追究する学であるという姿勢を一貫するのでなくてはならない」(pp.308~309)とすると、和辻にはその直視が足りないと言わざるを得ない。
 例えば和辻『倫理学』第三章「人倫的組織」中の第4節「地縁共同体」における、村落の共同労働や祝祭における絆の深さについての記述など、現実にはまず存在しない、いいことずくめである。それから、第5節「経済的組織」では、そこでの人倫精神の要は「奉仕」というキーワードで語られてい、これではブラック企業の経営者が喜ぶばかりだろう。

(2)共同体相互の関係。上に一部示したように、和辻は人間社会の「人倫的組織(=共同体)」を、家族・親族・地域共同体・経済的組織(企業など)・文化共同体(ある、一定、と見なし得る文化、例えば日本文化を共有していること)・国家、に分類している。近代人はこの全部、あるいは少なくともいくつかには属しているのが普通である。
 それぞれの共同体には固有の論理と倫理があり、すべて相俟って人間社会を支えている。しかし、すべてが矛盾なく並び立つ、なんてことはない。それはかつての徴兵制があった時代の戦争を考えただけで明らかだろう。
 男たちは基本的に、自分や家庭や地域の都合とは関係なく、国家の命令で戦地に赴き、最悪の場合には命を落とした(これが前回採り上げた「永遠の0」の主題)。今でも、企業人としての激務に追われ、家庭や親族間ではほとんど長期不在状態が続き、最悪その共同体の崩壊に繋がることもある。
 こういう場合、最小のもの(家族)から最大のもの(国家)まで、共同体の範囲が広くなるのは当然だが、その分価値も高くなるように感じられるのは、功罪相半ばする、というか、当然なところと危険なところがある。

Ⅴ 改めて、国家とは何か
 小浜は、現存する最大の共同体である国家については、その幻想性を語るところから始めている。
 国家とは実体ではなく、人々があると思っているからある。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』、吉本隆明『共同幻想論』、古くはカール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』にも同じ考えはある。
 一理あるが、殊更に「幻想」と呼ぶと、他所に何か実体があるような印象を与える。「しかし少し考えてみればわかるように、その程度はさまざまであれ、およそ人間が作る共同性は、すべてある意味で「想像」によって成り立ち、「幻想」を媒介としたものであることを免れない」(P.405)
 これは「少し考えてみればわかる」ことではないかも知れない。例えばこういうことだろう。結婚して新たな家庭という共同体を創る場合、自分及び相手に対する幻想、と言って言葉が強すぎるなら、ある種の思い込み、あるいは期待、がなくて結婚生活は始めるケースは稀だろう。前述の〈信頼〉も、結局はこれに基づく。
 だから、他のより小さな共同体に比べて、国家とは単なる幻想であり擬制だ、とは言えないのだが、しかし、その幻想―信頼の質そのものが、他とは決定的に違うものであることなら、誰にでも直感的にわかる。

 小浜は国家を次のように定義している。「近代国民国家とは、人々がさまざまな形で共有する土着的・伝統的な同一性、同質性を基礎にしながら、それらを一つの統治構造によってまとめ上げていこうとする虚構であり、運動なのである」(P.407)
 ポイントは〈運動〉とその〈作用〉というところにある。この着眼と表現は、たいへん秀逸なものだと思う。

第一に、国家は個々の政府機関のような実体なのではなくある統合性をもつ力の作用(はたらき)である。したがって第二に、その作用(はたらき)が有効に機能するために、統合を維持するに足る象徴性を必要とする(たとえば皇室や憲法や国旗や国籍のような)。そうして第三に、メンバー全員の間に、その象徴性に対して、たとえ無意識的にではあれ、同意と承認を与える心のシステムが成立しているのでなくてはならない。(P.410)

 そうである以上、「愛国」という言葉は今もあるけれど、国家への〈愛〉とは、普通に使われるこの言葉の示す心の働きとはずいぶん違う。前回述べたことをもう少し詳しく言うと。
 人は生まれ育った土地、いわゆる故郷に愛着を感じることはある。「忘れ難きふるさと」ということで。しかしそれは、唱歌の中でも、「兎追ひしかの山/小鮒つりしかの川」と歌われているように、風景や、そこで共に過ごした人々の具体的なイメージと結びついている。国全体となると、大きすぎて、各人が各人の想像力を使って思い浮かべるしかない。
 保守派の論客が愛国心教育のためにとよく持ち出す日本文化も、非常に多様で曖昧な諸概念である。他国と比較すると、特徴が際立つようにも思えるのだが、日本国内で普通に暮らしていて、何が「日本的」かなどめったに意識することはないし、もちろんそれでよい。
 逆から見ると、何が国の価値であって、どうすればそれを〈愛する〉ことになるのか、かなり好き勝手に言えることになる。サミュエル・ジョンソンの警句の通り「愛国心は悪党の最後の逃げ場」(もっともこの場合の愛国心はnationalismではなくて、patriotismだから「愛郷心」のほうが適当)になり得る。

 これらを要するに、あらゆる共同体がフィクションではあるが、国家、特に近代国家は、人間が成長するにつれて自然に身につく情感や知見とは最も遠い、という意味で、最も人工性、つまりフィクション性が高い。
 そもそもなぜ人類はこういうものを必要としたのか、小浜の論述から少し離れて、試みに、素朴なモデルを示しておこう。

 例えば老子は、「小国寡民」こそが理想的な社会だとした。一番大事なのは、そこで暮らす人々が、小さな共同体の中で完全に自足し、今ある以上のものは求めないこと。ならば、他所と交通する意欲もなく、他人を羨むことも、争うこともない。すると、文明の進歩はない。文明は、人々に快適をもたらすが、それ以上に不幸をもたらすものだというわけなのだろう。一理ある。が、人類は、西洋でも東洋でも、ほとんどこの道を採らなかった。
 今以上を求めるから、産業も商業も発展するのだが、一方、自分たちにはなくてよそにあるものを妬む心から、争いへとつながることは避けられない。争いはほとんど直ちに暴力に結びつき、他より立ち勝り、できれば支配するために、暴力の手段(兵器)も集団(軍隊)も発達する。これが野放図に横行したりしたら、明らかに安定した生活はない。
 対応策として、ある集団が揮う暴力のみを正当(公的)として、他のすべてを禁ずる、といってもなくすことなどできないので、不当・不法として取り締まる、という方式が選ばれた。そのために国家という機関ができた、とさえ考えられる。
 マックス・ウェーバーの有名な定義「国家とは、ある一定の領域内部で、正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体」(「職業としての政治」)はたとえ言い過ぎだとしても、それこそ、つまり暴力の管理こそは国家の枢要な仕事の一つであることはまちがいない。

 ただし、暴力は悪なので、押さえるためには、それを上回る暴力がなくてはならない、というのは、矛盾に見える。そこでその暴力の正当化の根拠として、国家の正当性が宣揚された。先の引用文中の「土着的・伝統的な同一性、同質性」さらにそれを簡明にした「象徴性」が動員される。「この国は、神に選ばれた偉大な民族である我々が建てたのだ」というような。時には、このような神話とも呼ばれるフィクションが新たに創られる場合もある。
 そして、暴力が最大限に発揮される場である対外戦争が仕上げをする。
 ヨーロッパ中世期では、戦争は王侯貴族がやるもので、一般庶民は、無理矢理駆り出されたか、他は金で雇われた傭兵が大部分で、命がけで戦う義理など感じていなかった。戦局が剣呑になれば、すぐに逃げ出した。マキャベリ「君主論」には、合計二万の軍勢が四時間戦いながら、戦死者は一人だけ、それも落馬した時の怪我がもと、という例も書かれている。

 徴兵制はフランス革命の産物だ。革命が自国に飛び火することを恐れたヨーロッパの諸王国は連合してフランスを攻撃した。フランスの国民公会は、これに対抗するために、様々な曲折の後、ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑された年である1793年に「国民総動員令(または、「国民総徴兵法」)」を成立させ、18歳から25歳までの国内青年男子を動員し、百万人規模の軍隊を作った。この〈国民軍〉はその後ナポレオンに引き継がれ、戦時には民兵を指揮し、平時には軍事訓練を事とする専門の軍人によるいわゆる常設軍もできる。
 これはその後すぐに西欧世界全体に広がり、ここに、〈国民〉とナショナリズムが歴史の前面に躍り出た。以前に書いたように、あらゆる共同体が〈内〉と〈外〉を分けるもので、程度の差こそあれ、排他的になる。この力学をさかさまにして、〈外〉の脅威とそれによる危機感を煽って、〈内〉の結束を強めるのもよくある手法である。
 強大な外の脅威に対抗するには全力を挙げて戦わねばならない。戦争はいまや苛烈を極めたものとなり。何人もの人が命を落とす。すると、これまた逆転して、何人もが命懸けで保ち守ろうとしたからこそ、そこには価値がある何かが存在する、とも感じられる。それが即ち、(近代)国家である。

 しかも国家の価値は、根拠は怪しい分だけ、巨大でダイナミックである。その一部として、その存続を懸命に保ち守ろうとすることで、個人の背丈を遙かに超えた歴史の過程に参入した感じになれる。
 幻想だと言って侮る勿れ、その高揚感は、安定した日常生活では得られないものだ。20世紀の多くの若者を捉えた「革命」への熱情も、たとえ旧来の国家の廃絶を唱えたとしても、質的には同じである。いや、民主主義で、一国の政治に責任を感じて主体的に関わるように求められるなら、誰もがこの心性と無縁ではない。

 現代では、欧米のいわゆる先進国の多くは、常設軍はあっても、徴兵制は廃止している。20世紀末に冷戦が終わり、デタント(緊張緩和)が訪れた結果なので、ウクライナ戦争でロシアの脅威が再び高まったので、また導入が検討される場合も稀ではないようだ。
 それでも、成人前の(たいてい)男子に兵役に就く気があるかどうか答えさせるのがせいぜいで、つまり、いやだと言えばそれまで、無理矢理兵士として使役するまではとてもやれないのが実際らしい(六辻彰二「徴兵制はなぜオワコンか――ウクライナ戦争でもほとんど‘復活’しない理由」)。
 個人の意思の尊重をたてまえとする民主主義国ではそれが当然だろう。ただそれも、ヨーロッパの今後の情勢次第ではどうなるかわからない。

 戦後日本は徴兵どころか正式な軍隊もない。そもそも、国家意識に非常に乏しいと言われる。それでいて、国際性がどうのこうのと言っても、その「国際(各国の関係性)」の概念が他国の標準とは合っていないのではないかと思えるのだが、それはここで扱えるような問題ではない。
 小浜も、上の意味の国家意識には乏しいと言えるだろう。国家とはそれ自体が愛憎の対象になる価値なのではなく、機能なのだ、としている。人類が今更小国寡民の原始時代に戻れない以上、現在の生産と流通の状態を維持するために、統括のための巨大組織が必要になる。犯罪の取り締まり。即ち警察力もなくてはすまない。ここに国家の実際的な存在意義もある。

(前略)近代国家の精神は、個人個人の愛国感情によって支えられるよりも、はるかに大きく、そこに属する住民の福祉と安寧とをいかに確保するかという機能的・合理的な目的意識によって支えられているからである。
 このことは軍事・外交・安全保障にかかわる施策や行動においても例外ではない。もちろん実際の戦闘時の士気を維持することにとって参加メンバーの愛国心は大いに寄与しているように見えるが、それはよく個々のメンバーの行動心理に照らしてみれば、個人の愛国の情の力の集積というよりも、大きな目的を合理的に理解した上での、各部署における職業倫理と責任意識であり、同じ目的を追求していることから生じる同朋感情であり仲間意識なのである。これらがうまく機能するとき、「強い・負けない」国家はおのずと現れる。
(pp.417~418、下線部は原文傍点部)

 従ってここでも、何よりも各人が家庭や職場でそれぞれ具体的な責任を果たすことが重要であり、国家サイドからすると「身近な者たちへの愛が損なわれることのないような社会のかたち(秩序)をいかに練り上げるかという理性的な「工夫」」(P.420)こそが肝要と言うことになる。ここから前回掲げた「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」(p.466)という理念も出てくる。

 私も国家の第一の目的は国民の安寧秩序を守るところにあるのは同意する。そのための国家は、できるだけ理性的・合理的に営まれるべきなのも、そうであろう。しかしその道は幾重にも折れ曲がっている。ナショナリズムというかなり非合理な感情一つとっても、そう簡単には決着がつかない。
 そういうことに拘るのは、私が、小浜よりもっと、人間の暗黒面が気にかかる傾向があるからだ、ということは認めつつ、もう少し歩を進めたい。
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物語作者としての宮澤賢治 下(銀河鉄道の夜)

2024年04月08日 | 文学

杉井ギサブロー監督 「銀河鉄道の夜」(昭和60年)

メインテキスト:宮澤賢治「銀河鉄道の夜」(ちくま文庫『宮沢賢治全集7』昭和60年刊。第一~三次稿も「異稿」として収録されています)

 「銀河鉄道の夜」は大正末にはすでに一定の形にまでなっていましたが、その後賢治にとっては晩年の昭和五、六年まで改訂が続けられたことは比較的よく知られていました。しかし従来全集や作品集を編纂してきた編集者たちは、賢治の生原稿まで見ることはさほどはなかったようで、刊本によってけっこう異同があったのです。私が小学校の頃に初めて読んだのは、たぶん、谷川徹三編で昭和26年に出た岩波文庫『童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇』を基にしたもので、以後これを旧版と呼びます。【岩波文庫には現在もこのテキストで入っています。】
 その後昭和46~48年に、入沢康夫と天沢退二郎が、遺されていたすべての生原稿を精査し、用紙やインクや書体などから、作品の生成過程を可能な限り明らかにしました。その成果は、まず『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房全十四巻別巻一)に収められています。
 「銀河鉄道の夜」については、大きな改訂だけでも三回施されています。賢治が生前に手入れした最後のものは、けっこうまとまっているのですが、これを「決定稿」と呼ぶのは入沢・天沢両氏とも反対しています。それでも、この発見以後、「銀河鉄道の夜」と言えば、この第四次稿または新版と呼ばれるものを指すことになり、各種の全集や作品集に入っている他、アニメ映画「銀河鉄道の夜」の原作になったのもこれです。

 第四次稿と第三次以前の原稿は、「風野又三郎」と「風の又三郎」ほど別の話になっているわけではないのですが、かなり重要な変更があります。最大は、第一次稿から登場していて、銀河鉄道の旅を言わば主導していた人物・ブルカニロ博士が消失してしまったことです。
 結論から言うと、これによって、作品のテーマというか、大枠の構造が次のように変化したことが認められます。
 旧版〈少年が宇宙の神秘に目を開かれる〉→新版〈孤独な少年の魂の彷徨〉
 以下、これについて述べます。

 第四次稿=新版ならば、第三次稿=旧版なのかというと、必ずしもそうではありません。
 まず第三次稿には、「一 午后の授業」→「二 活版所」→「三 家」と続く冒頭部分がなく、「ケンタウル祭」から始まります。ジョバンニは街にいて、「ぼくはまるで軽便鉄道の機関車だ」と考えながら元気よく走っているのだが、同級生のザネリとすれちがった時、「どこへ行ったの」と訊き終わる前に「ジョバンニ、お父さんから、らつこの上着が来るよ」と冷たい言葉を投げつけられる。
 そこから主にジョバンニの内面の声によって、
(1)彼の父は遠洋漁業に出て長いこと留守なのだが、実はらっこや海豹の密猟をしていて、そのときのいざこざで人に怪我をさせてどこか遠くの国の牢屋に入っているという噂があること、
(2)彼の母は一家を支えるために農作業に従事していたのだが、無理がたたって体をこわしてしまったこと、
(3)そのためにジョバンニは朝は新聞配達、夜は活版所で働き、せっかくの祭の日なのに、遊びにも行けないこと、などがわかる。そして今彼はおつかさんのために、届かなかった牛乳を取りに来たのだった。
 牛乳は「今日はない」と言われる。金さえあればどこかで買うことが出来るのに。そこから、裕福で、賢くて、誰からも好かれているカムパネルラへ憧れる思いが浮かぶ。歩いていて再びザネリを含む子どもたちの一団とすれ違うと、また「らつこの上着」を囃し立てられる。その中にはカムパネルラもいて「気の毒さうに、だまつて少しわらつて、怒らないだらうかといふやうに」見ていた。
 すっかり悲しくなったジョバンニは、家へは帰らず、川を越えて暗い林を抜けて天気輪の柱のある丘の頂上にまで着く。そこで牛乳の川=milky way=銀河を眺めているうちに、いつの間にか銀河鉄道の中にいる。それも、カムパネルラといっしょに。

 ここから、本作のボディである、魅惑に満ちた銀河の旅が始まるのですが、今回は物語の構成だけを考えます。いきなりブロカニロ博士までいきましょう。もっとも彼は、実際に姿を現すまでに、「セロのやうな声」で「ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ」など、ジョバンニの心の中に語りかけていろいろ知識を授けるのですが。
 彼が「黒い大きな帽子をかぶつた青白い顔の痩せた」姿を現すのは、旅の終わり、カムパネルラが突然姿を消して、ジョバンニが「はげしく胸をうつて叫びそれからもう咽喉(のど)いつぱい泣きだし」たとき。次のようにジョバンニを教え諭す。

(前略)みんながカムパネルラだ。おまへがあふどんなひとでも、みんな何べんもおまへといつしよに苹果(りんご)をたべたり汽車に乘つたりしたのだ。だからやつぱりおまへはさつき考へたやうに、あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし、みんなと一しよに早くそこに行くがいい。そこでばかりおまへはほんたうにカムパネルラといつまでもいつしよに行けるのだ」

 この次に博士は、一頁が一冊の(地球の各時代の)地歴の本になっている本を開いて、人類の意識の歴史を語り、やがて科学と宗教が一致する真理、人類全体の本当の幸福の時代が訪れる(ということだろうと思います)、そのためにこそ「一しんに勉強しなけあいけない」とジョバンニを励ます。

 やがてジョバンニは元の丘の上にいる。そこにも博士はいて、「私は大へんいい實驗をした。遠くから私の考へを人に傳へる實驗をしたいとさつき考へてゐた」と言うので、銀河鉄道の旅はすべて博士の「考へ」をジョバンニに伝えたものらしい。そして、「僕きつとまつすぐに進みます。きつとほんたうの幸福を求めます」と力強く言うジョバンニに別れを告げ、「さつきの切符です」と、銀河鉄道でズボンのポケットに入っていることを発見した緑色の紙(「こんな不完全な幻想第四次の銀河鐵道なんか、どこまででも行ける」切符だと言われた。曼荼羅ではないかとも言われる)を改めて渡す。林の中を通って家へ帰る途中、ポケットが重いので、調べてみると、緑色の紙の間に金貨が二枚包まれていた。これでおっかさんに牛乳を買える。

 何かいろいろのものが一ぺんにジヨバンニの胸に集つて何とも云へずかなしいやうな親しいやうな氣がするのでした。
 琴の星がずうつと西の方へ移つてそしてまた蕈(きのこ)のやうに足をのばしてゐました。


 以上が、第一次稿から三次稿まで共通した作品の末尾です。

 推測を交えて言うと、旧版は次のようにできあがったのでしょう。
 まず、第四次稿で登場した「一」から「三」まで、つまり、学校の授業で、銀河について説明を求められてうまく応えられないところから、活版所でのアルバイト、家で病気のおっかさんと会話し、彼女のために届かなかった牛乳を取りに出かけるまで、すべてジョバンニの体験として直接描写された部分は活かす。結果として、「四 ケンタウル祭〈第四次稿で「ケンタウル祭の夜」、と改められた〉」で説明過剰になる部分は削る、そこまでは賢治自身がやっています。
 ところで、「三 家」で、おっかさんの直の言葉から新たに与えられた情報があって、ジョバンニの父とカムパネルラの父は小さい頃から仲が良く、その関係で、ジョバンニは、以前はしょっちゅうカムパネルラの家へ行って、いっしょに遊んだ、ということです。
 ここでジョバンニの淋しい生活を描くだけでなく、以前は全く登場していないカムパネルラの父について言及したことは、第三次稿までは宙ぶらりんにされていた二つの〈現実〉の事情、
①カムパネルラはどうなったのか、
②ジョバンニの父は今どういう状態で、これからどうするのか、

をきちんと伝える最初の伏線です。
 実際にここは明らかにされました。カムパネルラは川に落ちたザネリ(ジョバンニを一番苛めていた子)を助けるために自ら川に飛び込み、行方不明になってしまうのです。
 因みに、「三」でジョバンニが外出する直前、おっかさんが「川に入らないでね」と注意します。こういう細かい伏線を張れるのも物語作者としての才能ですね。
 第四次稿初登場のカムパネルラの父は、河原にいて懐中時計を眺めながら「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」と言い、またジョバンニに、「あなたのお父さんはもう帰つてゐますか」と問いかける。「ぼくには一昨日大へん元気な便りがあつたんだが。今日あたりもう着くころなんだが。船が遅れたんだな」。

 さて、物語の重要な結束点というべき、原稿用紙で五枚ぐらいのこの場面は、第四次稿で初めて登場したわけですが、これは明らかにあったほうがいいですね。最初は確かに生きて活動していたカムパネルラが、銀河鉄道の中からは消えて、現実世界ではどうなったのか、わからないのではどうしてもおちつかない。
 それでまた、作品中のどこに置かれるべきかと言うと、やはり最後に、言わば謎解きのようにあるのが、一番適当なようです。実際作者・賢治も、わかっている限りでは最後に、そのように物語を締めくくることにした。しかし、では、ブロカニロ博士に勇気を与えられる、元の最後の会話はどうなるか。二つの結末はどうしても並び立たないので、賢治はとりあえず、潔く前のを消すことにしたのですね。
 今思いついたのですが、博士はあくまで銀河鉄道の中にいるだけで、そこから目覚めたジョバンニが川へもどって、カンパネルラの現実の死を知る、という筋立てはできそうです。なぜそうしなかったのか、賢治がもう少し長生きしてなお改稿したら、そんなふうにした可能性があるのかどうか、もちろん想像するしかありません。
 因みに新版の最後は次のようになっています。

 ジョバンニはもういろいろなことで胸がいつぱいでなんにも云へずに博士〈これはブロカニロではなく、カムパネルラの父〉の前をはなれて早くお母さんに牛乳を持つて行つてお父さんの帰ることを知らせやうと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。

 旧版の最後にある「何とも云へずかなしいやうな親しいやうな氣」のうち、「親しいような」は見当たらなくなります。また、「みんながカンパネルラだ」という言葉もなくなったので、カムパネルラの幻想と現実双方での消失は、ジョバンニにとってどんな象徴的な意味があるのか、よくわかりません。父の帰宅という嬉しいニュースはあるとはいえ、淋しい気分のほうが強く残ります。
 牛乳については、新版では、銀河の旅から目覚めたジョバンニは、川へ行く前にまず再び牛乳屋へ行って無事に手に入れますので、ブロカニロ博士から金貨をもらわなくても、おっかさんに牛乳を持って帰るという外出のミッションを果たすことはできます。それで、新版からは、「セロのやうな声」を含めて、ブロカニロ博士は跡形もなく消されます。
 思うに、旧版の編集者たちは、宮澤賢治の思想を直截に述べていると思えるこの超越的な人物がいなくなることは、どうも了解できなかったのでしょう(単純に、賢治の推敲がちゃんとわからなかっただけの可能性はもちろんありますが)。それで、問題の、カンパネルラの死に関する部分を、銀河鉄道に乗る前にもってきて、その後は第三次稿そのままで完成作としたのでしょう。
 結果として、ジョバンニは、
一度天気輪の丘で眠って→その後川へ行ってカムパネルラの死を知る→その後でなぜかまた丘に戻って→銀河鉄道に乗る、
ということになってしまいました。
 新版が出るまでは気づかなかったのですが、考えてみれば、これは物語としてはけっこう無様、とまでは言わなくても、スマートさには欠けます。賢治という人は、このへんの物語作者としての感覚も、ちゃんと備えていました。

 さて最後に、どうしても暗く淋しい気分が勝る新版、そのために人によっては、旧版のほうがいい、とも言われるこの改変は何に拠るのか。物語の構成をきちんと整えるため、というのは、上で暗示したことで、それは小さな要素ではありません。しかし、それだけではないとすると。
 夢幻譚である「風野又三郎」から「風の又三郎」への改編で、現実の子どもを生き生きと描きながら、その現象の底に潜む奥深い世界をも開示して見せることに成功した賢治が、ここでももっと現実に寄せた物語にしたくなったのでしょうか。それも考えられます。
 もう一つ。旧版では、ジョバンニはブルカニロ博士の実験動物のようです。それで最後に、友を喪う悲哀の意味も、(凡人にはよく理解できないながら)教わり、それが救いになるのです。新版には、ジョバンニを教え導いてくれる大人はもういません。彼はこれから独力で

夢の鐵道の中でなしに本當の世界の火やはげしい波の中を大股にまつすぐに歩いて行かなければいけない〈←旧版の、ブルカニロ博士の言葉〉

のです。その厳しさ。何人かの親友と、最愛の妹とし子を喪った賢治の覚悟と、裏腹の寂寥感が、ここには滲み出ているのかも知れません(これについては以前当ブログ記事「銀河鉄道に乗る前に」で省察を述べました)。
 いや、人間は、さほど厳しい境涯ではなくても、大なり小なり、みんなそうなんじゃないか、とも、今の私の頭の中にはぼんやり浮かびます。
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