由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

自動人形はチェスマスターを夢見るか

2014年01月26日 | 倫理
メインテキスト:小林秀雄「考へるヒント」(『小林秀雄全集第十二巻 考へるヒント』新潮社昭和43年)

サブテキスト:保木邦仁・渡辺明『ボナンザVS勝負能――最強将棋ソフトは人間を超えるか』(角川oneテーマ21、平成19年)
トム・スタンデージ 服部桂訳『謎のチェス指し人形「ターク」』(NTT出版平成23年)

 エドガー・アラン・ポーのエッセイ「メルツェルの将棋差し」は小林秀雄訳によって、雑誌『新青年』昭和5年2月増刊号に発表された(訳者名の記載なし)。ボードレールによる仏訳からの重訳で、遺漏が多く、さらに小林が原文にはない文章まで付け加えている。これを後に大岡昇平が補綴した訳が、現在『ポオ小説全集Ⅰ』(創元推理文庫昭和49年初版、62年第30版)に収録されている。
 以上はたぶん大岡の手になる創元推理文庫版の註による。そんなことより新たに訳したほうがいいのではないかな、とも思えるが、何しろ「文学の神様」が初期に書き残した文章ではある。「読者は重要な部分において、小林の初期の論文と同じ調子を認める」のは貴重と考えられるので、このようにした、と(たぶん)大岡は註記している。ポーの原文はここで読める。


 話は通称「ターク」(The Turk、トルコ人の意味)と呼ばれる、18世紀後半から19世紀前半にかけて有名だったチェスを指すオートマトン(自動人形)に関するものである。1770年にハンガリーの発明家ヴォルフガング・フォン・ケンベレンによって当時のハンガリー女王マリア・テレジアに献呈されたもので、19世紀初頭のケンベレンの死後、メトロノームの発明者として知られている(実際は違うらしい)ヨハン・ネボムク・メルツェルが買い取った。ケンベレンもメルツェンもトルコ人を持ってヨーロッパやアメリカ各地を巡業し、大評判を得た。
 巡業の中身は、トルコ人の扮装をしたからくり人形(薄いチェス版が嵌め込まれたテーブルが取り付けられている)と、人間との対戦である。非常に強かったが、全勝ではなく、たまには負けることもあった。ナポレオン・ポナパルトやベンジャミン・フランクリンとも対戦し、多くの人がその秘密の解明に挑んだ。
 1827年、ボルチモアでの公開時、二人の少年が、テーブル下のキャビネット部から人間が出てくるのを目撃した。この出来事は『ボルチモア・ガゼット』紙の記事となり、真相の核心はこの時点で明らかになっていた。タークとは、チェスを指す機械ではなく、チェスを指す人間を、からくり機械(大部分が単なる見せかけ)の中に巧妙に隠すための仕掛けなのだった。しかしこの記事も、タークに関する真偽さまざまな憶測(文書だけでもかなりあった)の中に埋もれて、やがて忘れられた。
 1836年、当時27歳のポーは、何回かタークの興行に足を運び、その観察に基づいた推論を発表した。これが「メルツェルの将棋差し」である。さすがに推理小説の元祖になった人だけのことはある鮮やかな推理が展開されており、タークのからくりを見抜いている(人間の隠れ場所を人形の内部だとする、などの誤りはあるが)。もっとも、実地の観察以前に、ポウには確固とした信念があり、これを証明することが文章を書いた根本的な動機であることは、最初に明らかにされている。
 それは、原理的に、機械にはチェスは指せない、ということである。この時代既に初期型のコンピューターというべき計算機はあり、例えばチャールズ・バベッジが発明した階差式計算機は、天文や航海に関する複雑な計算に役立てられていた。それでも、機械には、ある一定の答えがでるような問題にしか対応できないはずである。チェスのように、対手がいて、その出方によって局面が千変万化し、最善手(チェスの勝負に勝つために一番いいという意味で)もその都度変わるようなゲームには、すべてを通した「一定の答え」がそもそもなくて、ならば計算そのものが成り立たず、ならば機械の出番はない、はずだ。
 ポーのこの見解が正しいとすれば、対手の駒を取ったら、それを自分の駒として使える分チェスより複雑な日本の将棋では、なおさらそうだろう。が、小林秀雄は、自分勝手な訳を発表してから約30年後に、あるところで将棋を指すコンピューターの話を聞き、なんとなく不快な気持になって、銀座でたまたま会った中谷宇吉郎に尋ねてみることにする。

「仕切りが縦に三つしかない小さな盤で、君と僕とで歩一枚づつ置いて勝負をしたらどういふ事になる」と先づ中谷先生が言ふ。/「先手必敗さ」/「仕切りをもう一つ殖やして四つにしたら……」/「先手必勝だ」/「それ、見ろ。将棋の世界は人間同士の約束に過ぎない。(中略)問題は約束の数になる。普通の将棋のやうに、約束の数を無暗に殖やせば、約束の筋が読み切れなくなるのは当り前だ」/「自業自得だな」/「自業自得だ。科学者は、さういふ世界は御免かうむる事にしてるんだ」/「御免かうむらない事にしてくれよ」/「どうしろと言ふのだ」/「将棋の神様同士で差してみたら、と言ふんだよ。(中略)神様なら読み切れる筈だ」/「そりや、駒のコンビネーションの数は一定だから、さういふ筈だが、いくら神様だつて、計算しようとなれば、何億年かゝるかわからない」/「何億年かゝらうが、一向構はぬ」/「そんなら、結果は出るさ。無意味な結果が出る筈だ」/「無意味な結果とは、勝負を無意味にする結果といふ意味だな」/「無論さうだ」/「ともかく、先手必勝であるのか、後手必勝であるのか、それとも千日手になるのか、どれかになる事は判明する筈だな」/「さういふ筈だ」

 中谷との対話はもう少し続き、それに基づき、「常識」に関する小林一流の、飛躍したご教説が展開される。ここでは、「無意味」の意味についてもう少しこだわりたい。
 機械がチェスや将棋を差す(指す)かと言えば、そんなことはない。機械自体がそんな「勝負」に「意味」を見出すわけはないのだ。この点でポウが唱え、小林も賛同した「常識」は、いかにも正しい。ただ、勝負事ではなく、一つのパズルとして捉えるなら、コンピューターも相当深くこの内部に入り込める。この観点がポーにはなかった。
 中谷の説明を言い換えると、こうなる。盤上でのチェスや将棋の駒の動かし方は、有限である。将棋だと、ゲーム開始の段階で30通り(30手)の動かし方がある。これはもちろん対手も同じ。ゲームが進むにつれて動かし方(及び相手の駒を取った場合にはどこへ張るかを含めて)も増えて、平均してだいたい一回に80通り、可能な手がある。二歩など、ルール上決められている禁じ手を除いて、すべての可能な駒の動かし方を尽くしていって、勝負がつくいわゆる「詰み」の状態か、千日手の引き分け状態まで進めたとしよう。それがゲームとしての最終形なわけだが、それだけでも何通りあるものか、見当もつかない。
【因みに、9手目に先手が後手を詰めるのが最少手順。将棋を多少でも知っている人は簡単に見つけられる。しかし、ルール上可能な手をランダムに指していってこの局面になる確率は、ちゃんと計算したわけではないが、だいたい2兆分の1以下である。人間が先手後手に分かれて指した場合には、二人で協力してやった場合以外にはあり得ない】

【相入玉となり、何手やっても勝負がつかない、これが将棋の「最終解答」だということもあり得る。これは今、考慮外とする】。
 コンピューターが上のすべての手順を記憶できるものならば、対手の手に応じた、自分が勝つための最善手を必ず見つけられる道理なので、最強となる。しかし記憶以前に、すべての可能な手はいくつあるのか。現在のプロの対局で終わるまでの平均指し手が120ぐらいとして80の120乗ほどの手数を検討すればいいんじゃないだろうか(実際はもっと多いだろうが)。と、軽く言ったが、これは宇宙に存在する原子の数より多いのだそうで、1秒に400万手以上読めるコンピューターを使っても、計算し終える頃には地球は無くなっているだろう。
 人間の身の丈で考えたら、そんなのは無限と同じで、計算不能と考えてよい。してみると、ポウは決してまちがっていたわけではない。また中谷のように、人間が遊びとして考え出したそんな煩雑なものは相手にしない、という態度も、充分に道理に適っている。私としては逆に、全部で9×9=81に区切った盤面と20×2=40の駒数で、宇宙全体を扱うに相応しい、いわゆる天文学的な数の変化のあるものを、大昔に発明した(もちろん、一度にできたのではなく、インドでできた原型に各地で長い年月の洗練が加えられ、チェスや将棋の形になった)人間という存在に、畏敬の念が持たれてしまう。
【因みに囲碁は、全可能手は361!前後だろうから、それよりさらにずっと多い。】

 が、話はこれでは終わらない。人間とコンピューターとの対戦は、チェスでも将棋でも、かなり前から始まっている。可能な限りのすべての手順を解明できなくても、人間が将棋を指すときの思考と似たものを、アルゴリズムとして組むことができればよい。
 具体的には、まず、10万以上の棋譜を覚え、いわゆる定石ができている場合には、それに従う。対局が始まってだいたい20数手目ぐらいに、定石から外れるので、それ以後は局面の有利不利を独自に判定していく。この場合も既存の棋譜の局面をモデル化して、その分析結果に基づいて点数化を行うのである。具体的には、自分の駒全部(盤上の駒+持ち駒)とその配置に点数をつけて(例えば、金が持ち駒なら5点、玉傍にあった場合は4点、相手陣地にあったら3点、という具合)、総合点を出し、対手側も同じように計算し、その差引計算をする。次に、以後により有利な局面を作るための最善手を見つける。先程のしらみつぶしの全検索をやったとして、(平均80手というのは、王手がかかった場合の可能手は平均10手前後になるからで、切迫した局面なら普通100手ぐらいであるとして)3手先なら100万手ほど、最近のコンピューターなら1秒以内に読める。5手先なら100億になるけれど、3手先の時点で、大多数の手はとうてい局面を有利にできないことはすぐに判定できるだろうから、それは捨てて、この点から見て可能性がある手順を、10分なら10分の制限時間でできるだけ先まで読み込み、最も見込みが高いと計算できた手を選ぶ。
 最大の問題は、すぐにわかるだろうが、有利不利の判定法である。私が例示したような単純なものではとうていないだろうが、それでも完璧にできているとは思えない。しかし、不完全な基準であっても定数があるなら、それを元に計算して、コンピューターは一定の答えを出す。実際の対局で手が進んで、選ばれた手が悪手であったとわかれば、コンピューターはそれを覚えるから、似たような局面で同じような手を選ぶ可能性は減る。また判定基準も修正される。こういうのは、人間の棋士の場合と同じだろう。ただ、すべての手順を試みたわけではない以上は、最強にはなり得ない。
 かくなるわけで、最強のコンピューターはまだできていない。人間と対局して、負ける場合もある。ただし、チェスの世界では人間はまずコンピューターに勝てなくなっているそうで、早晩将棋もそうなる可能性は高いようだ。

 この状況を踏まえると、ポーが唱え、小林秀雄が当然とした「常識」はどうなるだろうか。
 実は、何も変わらないのである。コンピューターは勝負をしているわけではなく、計算をしているのだから。

将棋は、不完全な機械の姿を決して現してはゐない。熟慮断行といふ人間的な活動の純粋な型を現してゐる。

 なぜそう言えるのか。チェス/将棋には未だに完全な解(≒必勝手順)は見つかっていない。だからこそ、やってみる値打ちが、つまり意味が、ある。結局は不完全でしかない、とわかっている考慮を重ねて、その限りでの結末(勝敗)に達するために。この不合理さこそ、人間的なのである。
 もちろん人間は、「チェス/将棋を指さない」を選ぶこともできる。逆に言うと、チェス/将棋というゲームが成立するためには、一手づつ交互に指す、などのルールに従うことが二人の人間の間で合意されていなくてはならない。さらに言えば、遊戯だけではなく、活動の全般が、例えば「言語ゲーム」(ヴィトゲンシュタイン)と呼ばれ得るような、「人間同士の約束」の一種であるのが、人間という、過剰な「意識」を持つ生物の特質であろう。
 さて、そこで機械の話に自分なりの(不完全な)決着をつけておこう。
 まず、人間が何かをする上では、先読みの推論(こうすれば、ああなる)が必ず伴う。その部分だけなら、余計なことを考えないだけでも、コンピューターのほうがずっと速く、確実にやってのけるだろう。だから機械のほうが優れている、なんて話ではない。
 この場合の「意味」とはこうだ。完全な解答はわからないことを当然の前提としてやるので、将棋は、いつも新たに、それに取り組む人間の、個人的な創造的な行為になり得る。即ち、主体がそこにある。それこそ幻想だ、と言われてしまえば、そうではないと証明するのは難しいけれど。そして機械は、そんな曖昧な領域には最初から無縁なものとして作られた。
 第二に、人間同士の約束事であったはずのものが、人間以外にも拡張する、となると、我々は方向感覚がくるわされるような、不安と興味を覚える。計算をする犬と同様に、チェスを指す機械が、見世物として人気を集めたのは、そういうわけである。
 フィリップ・K・ディックらのSF作家が描いてきたように、異星人でもアンドロイドでも、人間とは微妙だが決定的に違う知性と文明を備えた存在が現れたら、最もスリリングな形で「人間とは何か」が問題になるだろうが、幸か不幸か、それはまだない。
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権力はどんな味がするか その3(ピグマリオンのジレンマ)

2014年01月06日 | 倫理
メインテキスト:バーナード・ショー 小田島恒志訳『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫平成25年)

サブテキスト:大江麻里子『マイ・フェア・レディーズ バーナード・ショーの飼い慣らされないヒロインたち』(慧文社平成17年)

 

 昨年12月1日に新国立劇場で宮田慶子演出の「ピグマリオン」を見た。台本になっている小田島恒志訳の文庫本もそのとき買った。
 主演の石原さとみは、米国の映画サイト「TC Candler」が選ぶ「世界で最も美しい顔100人」で、今年日本人トップの32位になったそうで、さぞかし綺麗だったのだろうが、何しろ一番安い席で、舞台から遠かったので、顔はよく見えなかった(学生時分からの癖で、観劇に5,000円以上は出したくないのだ)。その限りで言うと、石原は、前半の花売り娘のときは、とても生き生きしていてよかった。しかし、後半レディになると、声が上ずった感じになるのがどうも耳について、あまり楽しめなかった。こちらのほうが彼女がTVや映画で演じている役柄に近いというのに(NHKドラマ「坂の上の雲」の、秋山真之夫人など)、舞台経験の浅い女優はこうなりがちなのはなぜだろう。
 という感想の他には、この戯曲の類まれなる性格が、あらためてよくわかったのが収穫だった。男女関係の一典型が描かれている。ただし、性愛の要素は一切含まずに。これが難しいのは、本作品がその後たどった変遷からもわかる。それについては後述。
 1912年に完成したオリジナル作品に即して言うと、題名にもなっている神話は、一種の(変態的な)恋愛譚ではある。そのヒーローとヒロインだからこそ、作者は敢えて惚れた腫れたを禁じたのではないだろうか。そう考える根拠の一つは、最初から「ロマンス」と銘打たれているところだ。だってこのバーナード・ショーという人、「ロマンチックではないロマンスを見せてやろう」てな思いつきが好きなんでしょう?【もっとも後出の「後日談」には、現実にはありそうもない話だと思われるだろうから、「お話」の意味もあるロマンスと名を付けたのだ、と言っている】。ショーはまた、クレオパトラの色香に迷ったわけではないシーザーを描いているし(「シーザーとクレオパトラ」1898年)、女嫌いのドン・ファン(「人と超人」1902~03年)も創造したし。女に強いマッチョはけっこう好きなんではないかな。
 色恋の代わりに劇の動力となるもの、それは教育である。ここにもまた、駆け引きもあれば嘘もある。当事者たちが社会的に定められたある合意点(結婚とか、卒業とか)に達しない場合には、最も厄介な感情の縺れをもたらす。ドラマチックになり得る要素は、いずれにも劣らず含まれていると言える。

 それでも、「ピグマリオン」の教育は、最初は、自動車教習所での運転のようなものに、教える-教わる範囲が限定されており、危険はごく少ないはずだった。
 ヘンリー・ヒギンズは音声学者である。各地の方言を研究して、話しているのを少し聞いただけで、その人がどこ出身か、直ちに当てるのが特技だった。また、自分でもけっこう乱暴な言葉も使うのに、「正しい、美しい英語」の使徒をもって自任しており、それを人に教えるのを主な収入源としていた。
 さてここに街頭で花を売る娘イライザは、ロンドン下層の、コックニーと呼ばれる「汚い」英語の話し手だった。綺麗な言葉が話せさえすれば、もっといいポジション、例えば大きな花屋の店員になれるのではないかと考え、ヒギンズの授業料も知らず、彼のところへ教わりにやって来る。ヒギンズが、自分が三カ月も訓練すれば、「お前みたいな腐ったキャベツ」でも、大使館の園遊会でも公爵夫人として通用するようにしてみせる、と豪語したからだ。友人のピカリング大佐が、もしヒギンズが言った通りのことを実際にやり遂げたら、授業料は全部自分が出す、という一種の賭けを申し出るので、ヒギンズはイライザを手元に置いて、正統的なキングズ・イングリシュを叩き込むことにする。
 しかし、最大の困難がやがて見えてくる。話し言葉は、話し手の実際の生活、そこでの日常の意識と密接不可分に結びついている。発音だけ矯正しても、生活意識が元のままで、花売り娘が公爵夫人になることはやはりできないのだ。だからこそ言葉は社会階層の標識になるのだし、また「正しい、美しい言葉」を学ぶ需要も出て来る。逆に言うと、言葉を完璧にしようと思えば、意識そのものの改造が必要になる(俳優やプロの詐欺師など、特殊な意識の持ち主はここでは度外視する)。ここでヒギンズの、イライザへの教育は、「人間教育」と呼ばれることもある、危険な領域にまで踏み込むことになる。
 この種の危険は、教育の試みが失敗した時より成功した時のほうが露わになる。ヒギンズ、よりもこの点ではピカリングの存在が大きかったのだ、と後にイライザは言うのだが、ともかく彼らは成功した。大使館の園遊会で、誰もイライザの出自を見抜けなかった、どころか、皆が彼女の優美さに魅了された。これは即ち彼女の成功ではないか? そうかも知れないが、そこでイライザは何を得たのか。彼女は何になったのか? 公爵夫人の皮を被った花売り娘か。いや、上流のマナー(≒意識)まで身につけた彼女は、もう泥の中へはもどれない。ヒギンズは賭けに勝って、自分の技量に満足すればそれでいいので、イライザがこの後どうなるかなどおよそ無関心だ。それは無責任ではないか?
 これは一見不当な非難である。ヒギンズはイライザが望んだことを、望み以上に完全にやり遂げた。それ以外には何も約束しなかったし、後でほのめかすこともなかった。彼女と同居(≠同衾)して、秘書兼女中のように使ったので、いなくなれば、部屋履き用のスリッパがどこにあるのかわからない、とか、今日の予定がわからない、とか、実際上の不便が生じる。また彼女に馴染んでもいる。しかし、それ以上の関係になることは拒む。彼にとって理想の女性は母親(ヒギンズ夫人、と表記される)で、つまりマザコン男であり、「それに、女はみんなバカだから」、劇の最初から最後まで独身主義者である。
 だから、彼がイライザから非難されるいわれはないのだが、ただ一つ、次のように言うことはできる。

誰にでも習って身につけられること(着こなしとか、正しい喋り方とか)は別にして、本当の意味でレディと花売り娘の違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかにあるのです。ヒギンズ先生にとっては私はいつまでも花売り娘のままです。先生はいつも私のことを花売り娘として扱われ、これからもずっとそうでしょう。でも、あなた【ピカリング大佐】の前では私はレディでいられるのです。いつだってそのように扱って下さり、これからもそうでしょうから。

 これは劇中最も有名なせりふであり、ショー一流の言い方で、人間世界の一般的な真実の半面を言い当ててはいるが、劇の中では、ヒギンズの唯一の、最大の過ちを告発するものになっている。イライザがいつまでも花売り娘でしかないのは、ヒギンズがそう扱うからだ、と。それでは彼の教育は完成しないはずではないのか?
 ジレンマは双方にある。イライザはレディに相応しい言葉遣いや所作を身に付けたが、生活の基盤はなく、ヒギンズとピカリングに頼るしかない。一方ヒギンズからすれば、イライザをレディとして扱うとは、特別な心遣いが必要な存在を日常生活の中で抱えることを意味する。それはいやだ、できない、となると、ヒギンズとイライザはいつまでも教師-生徒関係を続けるしかない。即ち、教育は終わらず、イライザは決して一人前にはなれない。ヒギンズはそれを望んでいるのか? いや、別に、と彼は言うのだが、実際は同じことになる。
 教育は支配-被支配の、つまり権力関係の一形態である。ヒギンズは、イライザがよい生徒であったからなおさら、生徒に恵まれた多くの教師がそうであるように、それに無自覚であった。そこでごく自然に、なんら後ろめたい気持ちもなく、イライザに対して支配者として振る舞う。イライザから「残酷な暴君」と言われても、全くピンとこない。イライザがこの関係を脱しようと思えば、師であるヒギンズの思いとは無関係に、一方的に「卒業」するしかない。
 それには、彼女に恋焦がれているフレディと結婚して、ヒギンズの元を去ればよい。しかし、フレディは、家柄はいいが、全く無力で無能力な青年だから、生計の道は別に考えなければならない。ヒギンズやピカリングから援助を仰がないとすれば、どうするか。イライザがヒギンズから学んだことを今度は人に教えればよいのだ。音声学、というか、発音の矯正を。そう思いついたイライザを、意外にもヒギンズは歓迎する。「けど、泣きごとを言うよりずっといい」と。「五分前には、君は僕の首にぶら下がる挽き臼みたいに重荷だった。今は、君は頼れる存在だ、味方の軍艦だ。君と僕とピカリングは、もう、ただの二人の男と一人のバカ娘じゃない、三人の独身連合だ」。
 結婚する、と言っているのに「独身連合」とはヘンだが、要するに独立した人間同士の繋がりが保てる、と言っているのだ。それが男であっても女であっても、他人に頼られることは鬱陶しくてたまらない男だから。しかし彼には本当のことはわかっていない。以下はショーが最初に書いたこの劇の結末である。これはネット上でも、ペンギン版でも、一番簡単に手に入るテキストなのに、たぶん現在まで訳されておらず、拙訳による本邦初訳(^^;)ということになる。

ヒギンズ:(前略)ああ、ところでイライザ、ハムとスティルトン・チーズを注文しといてくれないか。それと、トナカイの手袋の八号と、僕の新しいスーツに合うネクタイをイール・アンド・ビンマンズで買っておいてくれ。色は君に任せる。(彼の陽気で、無頓着で、精力的な声は、彼がどうしようもない人間であることを示している)
イライザ:(軽蔑を込めて)自分で買いなさい。(彼女はすばやく出て行く)
ヒギンズ夫人:あなたはあの娘を甘やかしてきたようね。でも、心配することはないわ。私が手袋とネクタイを買ってあげるから。
ヒギンズ:(快活に)ああ、ご心配なく。彼女がやっぱりちゃんと買ってくれますから。さよなら。
(二人はキスをする。ヒギンズ夫人は走って出て行く。ヒギンズは一人残って、ポケットの中の小銭をじゃらじゃらさせ、ほくそ笑んで、自分にひどく満足した様子で寛ぐ)


 イライザは戻る、とヒギンズは確信している。しかし、たぶん、今日明日はともかく、いつかは彼女は出て行くだろう。ヒギンズとイライザの関係がいつまでも続くことはあり得ない。男女関係は、教育とは、似たところはあっても、決定的に別な何かだし、そうあらねばならない。これがショーの確信だったようだ。
 つまり、「ピグマリオン」という題名自体が反語なのである。ギリシャ神話の名工は、自分の手で自分の理想の女ガラテア像を作り上げ、神様がそれに生命を与えてくださった。めでたし、めでたし、になるわけないよ、と少なくとも我々男は、経験上(でしょ?)わかっている場合が多いのではないかな。
 まあ妄想としてなら、例えば、光源氏が幼い紫の上を手元に置いて教育して、自分好みの女に仕立ててから、妻にする、というようなことは、やってみたくはあるけれど。やれるだけの権力や財力はない以外に、自分が一から十まですべて知っている存在と毎日暮らしても、面白くもなんともないのではないだろうか。それに、そうなれば、彼女の一から十まで、男の意思でそうなったことになり、彼女のすべてが男の責任だということになる。そんなものを負いきれるほど立派な男はめったにいない。ヒギンズもまた、大多数のほうに属するのだ。
 「源氏物語」とか、ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」(たまたま、「ピグマリオン」が完成した1912年の発表)もその一種だと私には思えるが、これらの物語の中でピグマリオン的試みがうまくいくのは、やっぱり作者が女性で、男性を理想化できるからではないだろうか。以前に取り上げた田山花袋「蒲団」とか、谷崎潤一郎「痴人の愛」だと、男の師匠の、女弟子への性愛感情がモロに入り込んできてグダグダになり、教育は失敗して、女は男たちの支配を逃れる。だからこそ、彼らにとってのファム・ファタル(宿命の女)になる。こちらのほうがどうしてもリアリティがある。

 最後に学問的に、というほどではないが、今回調べられた限りでの、戯曲「ピグマリオン」が辿った変遷の跡を略記しておこう。美しい女がなかなか男の思うようにはならないように、この作品が魅力的であればあるほど、原作者ショーの思い通りにはならなかった。年代順に言うと、
(1)1914年、ロンドン、ヒズ・マジェスティズ劇場初演。ヒーローのヘンリー・ヒギンズはここの劇場主であるハーバート・B・ツリー卿が、ヒロインのイライザは当時五十歳目前のパトリック・キャンベルが演じた。バーナード・ショーは最初からキャンベルに当てて書き、彼女が年齢の点でためらったのを説き伏せることはできたが、その後事故にあったり結婚したりとキャンベル側の事情が重なって、1912年に完成していたこの戯曲の英語での上演が二年遅れたのだった(13年にドイツ語訳がウィーンで、先に上演されている)。
 幕が上がってみると、キャンベル以上にショーを悩ませたのはツリーだった。彼は「そちらのほうが絶対にウケる」からと、ラブ・ロマンスとして演じることに固執した。終幕で去っていくイライザに取り縋ったり、窓からイライザに花束を投げたり。業を煮やしたショーは、16年に出た版本に「後日談」を書いて載せる(今度の光文社文庫版には全文翻訳収録されている)。
 これによると、イライザはフレディと結婚し、ピカリングの援助で花屋を始めるのだ。するとピカリングとは、したがってヒギンズとも、縁が切れなくなるが、彼女の最初の望みに即したものではある。ただ、そうなってもイライザの生活が順風満帆というわけにはいかないことまで、ショーは書いている。それでも、ヒギンズとは結婚しない。
 作者曰く、イライザが、自分にとって最も強力な存在であるヒギンズと、自分の思い通りになるフレディと、どちらとも結婚できるとしたら、どちらを選ぶか、そんなことは明らかだ。それは「女性の本能だ」。「彫像のガラテアがみずからの創造主であるピグマリオンを本当に好きになることは決してない。彼女にとっては彼はあまりにも神のごとき存在であり、到底付き合えるものではないのである」。
 まあ、そうかも知れないな、とまたしても私は体験的に納得する。ただ残念なことに、現実的な話というのは、話としてはあんまり面白くないのである。

 
(2)1938年、映画化される。監督はアンソニー・アスキスとレスリー・ハワード。後者は「風とともに去りぬ」(ヴィクター・フレミング監督、1939年)のアシュレー役で日本でも有名な俳優で、本作のヒーローを演じてもいる。ヒロイン役はウェンディ・ヒラー。原作者バーナード・ショーは脚本にも関わり、アカデミー脚本賞まで得ている。
 ところが、大江麻里子によると、脚本についてとんでもないことが起こった。プロデューサーのガブリエル・パスカルは、この後45年の「シーザーとクレオパトラ」映画化の際には監督もしている、ショーと親交のある人物だったが、ショーが用意した結末がどうしても気に入らず、他人に書き直させた。ショーはそのことを、映画完成後の試写会まで知らなかったという。
 大江の本に「資料」として挙げられているショーのオリジナル台本によると、イライザとフレディがヒギンズ夫人とともに(急に成金になったイライザの父の結婚式に出席するために)車で去ったのち、一人残ったヒギンズの想像として、フレディとイライザが自分たちの花屋で仲睦まじく働くシーンが描かれて、終わりになる。
 実際の映画では、一人自分の研究所に戻ったヒギンズは、録音機に収めた、彼らが知り染めた頃のイライザの声を聞く。そこへもどって来たイライザが、肉声で、録音された言葉を繰り返す。「ちゃんと顔も手も洗っちきたんだ、出掛ける前(めえ)に」(小田島訳による)。ヒギンズは答える。「一体全体スリッパはどこだ、イライザ?」。
 ショー以外の誰かが書いたこの結末(他の脚本家として、W.P.リップスコームとセシル・ルイスの名がクレジットされている)は、その後、舞台のミュージカルからミュージカル映画へと引き継がれる。なぜイライザがヒギンズの元へ戻ってくるのか、映画ではこれ以前に特に伏線はない。逆にこの結末によってのみ、ヒギンズがイライザを愛していたことが観客には印象づけられる。考えてみると、このような終わり方は、その唐突さ(≒意外な結末)まで含めて、特に当時の映画の常套ではある。
 ショーは自分のあずかり知らぬところで起きたこの改変に抵抗しなかったのか? 現在の私にわかっているのは、1941年のペンギン版で、彼は大幅な改定をこの作品に加えていることだ(ピーター・カシラー「イライザ・ドゥリトルはどうなったか」に依る)。因みに、倉橋健による訳(『バーナード・ショー名作集』白水社昭和41年刊所収)も、今回の小田島恒志訳も、これを底本にしている。
 オリジナルの「ピグマリオン」は、典型的な近代劇の様式で、五幕の各幕は、すべて同一場面で展開する。41年版では、第二幕の、イライザがヒギンズを訪ねてくる場面に、イライザがピアス夫人(ヒギンズの家政婦)によって風呂に入れられる場面が挿入される。また、第四幕と五幕の間には、ヒギンズの元を飛び出したイライザが、ストーカーよろしくイライザの姿を一目でも見たいと外に立っていたフレディといっしょに、深夜のロンドンを徘徊する場面が描かれる。非常に映画的、と言うより、映画のシーンがそのまま取り入れられたのである。
 が、ラストは違う。ハムとか手袋の注文をするヒギンズのせりふまではオリジナルと同じで、次がこうなっている。小田島訳で引用する。

イライザ:(軽蔑するように)羊毛の裏地がついているのがよければ、八号じゃ小さすぎます。ネクタイは新しいのが三本、洗面台の引き出しに入れたまま、忘れておいでです。ピカリング大佐はスティルトンよりグロスター・チーズの一級品がお好きです、あなたには違いはお分かりにならないでしょうけど。ハムは、忘れないように今朝ピアスさんに電話で念を押しときました。私がいなくなったら、どうなさるおつもりでしょう。想像できませんわ。(さっと出ていく)
ミセス・ヒギンズ:ヘンリー、あの子のこと、ちょっと甘やかしたようね。あの子はピカリング大佐の方が好きなようだからいいけど、そうでなければあなたとあの子がうまくやっていけるか心配になるところですよ。
ヒギンズ:ピカリング! 何言ってるんですか! あいつはフレディと結婚するんですよ。はっ! はっ! フレディですよ! フレディ!! はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!!!!!
(彼が大声で笑う中、芝居は終わる)


 
 イライザは、少なくとも家政婦としてなら、どれほど高貴な家庭でも通用するほどのマナーを身につけていること、ヒギンズのほうは、愚かしさが減り、イライザが彼の元を去ることを正確に予測する、これを示すのが原作者の最後の希望だった。しかし50年のショーの死後、作品はさらなる変貌を遂げていく。

(3)1956年、「マイ・フェア・レディ」と改題されてブロードウェイミュージカルになる。アラン・ジェイ・ラーナー脚色及び作詞、フレデリック・ロー作曲、モス・ハート演出、ジュリー・アンドリュース主演。
 ラーナーは映画から多くの要素を取り入れている。有名なミュージカル・ナンバーThe rain in Spain stays mainly in the plainは、[ei]の発音がコックニーだと[ai]になるのを矯正するための例文として、映画で初めて出て来る。フレディはオリジナルでは、第一幕と第三幕にだけ出て、イライザにうっとりするだけの文字通りのデクノボーでしかないが、映画版では出番と存在感を増し、ミュージカルではこれまた有名なナンバーOn the street where you live(君の住む街角)をソロで歌うまでになる。
 結末については前述の通り。映画にはなかった伏線としては、イライザの歌うまたまた有名なI could have danced all night(踊り明かそう)が、イライザのヒギンズへの恋心を直截に示している。
 1958年シグネット・クラシックス版の『ピグマリオン マイ・フェア・レディ』に付したノートで、ラーナーは言っている。「私は後日談は省いた。なぜなら、その中でショーは、イライザがどんなふうにヒギンズとではなくフレディといっしょになるか説明しているのだが、――ショーと神よ、許したまえ――私には彼が正しいとは確信できないからである

(4)1964年、映画「マイ・フェア・レディ」。上記の舞台の映画化で、歌はもちろん同じ、脚本のラーナーやヒーロー役のレックス・ハリソンなど、舞台から引き続き参加している。ジョージ・キューカー監督。八つのオスカーを得た名画であり、ハリウッド製ミュージカル映画の代表作。イライザと言えば本作のオードリー・ヘプバーンを思い浮かべる人が最も多いだろう。ショーが気づかなかったか、気づいても等閑視したのは、この作品のシンデレラ物語としての側面であったことは、圧倒的に華やかなオードリーの姿を見ていると、よく納得される。
 また、戯曲「ピグマリオン」と言えば、「マイ・フェア・レディ」の原作、と説明されることが普通になった。かくして、イライザとヒギンズは、原作者の望まぬ形で人々のイメージの中に残り、一方「ピグマリオン」は、それとは別次元で、劇文学として生き続けている。皮肉屋ショーとしては、もって瞑すべきではないだろうか。
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