由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

子どもはどこにいるのか その3(福澤先生に訊こう)

2013年06月20日 | 教育
メインテキスツ:(1)山住正巳編『福沢諭吉教育論集』(岩波文庫平成3年)
(2)「福翁百話」(原文は明治29年より30年『時事新報』紙に連載され、30年時事新報社から単行本として刊行された。『明治文学全集8 福澤諭吉集』筑摩書房昭和41年、昭和59年第6刷より引用)


草一 : 明治期の学校についていろいろ、もちろんおおざっぱに、考えて来たのですが、ここらで、近代日本最大の教育者にして啓蒙家の福澤諭吉先生のお話を聞きたくなって、厚かましく参上いたしました。よろしくお願いします。

福澤 : 手短に頼むよ。死んだ人間なんだから時間なんてもう関係ないと思っておるか知らんが、儂は今、日本で一番高い札になって、日本中、いや世界中を飛び回っておるのだからして、そんなに暇はありゃせん。

草一 : はい、わかりました。では、単刀直入に。先生の教育理念の要諦を一言で示したものとしては「一身独立して一国独立する」(「学問ノスヽメ」第三篇。拙ブログ中「近代という隘路 その3」参照)が一番よいように思われます。それでよろしいですか?

福澤 : まあ、そうじゃな。これから日本が西欧列強に伍していくためには、国民一人一人が、知識と気概を備えた独立不羈の国民とならねばならん。実際のところ、西洋の強さの秘訣はそこにあるんじゃから、日本もそこは学ばねば、国家の独立は保てん。それは儂の目には全く明らかに見えた。そのためには、学校が是非必要じゃ。これもまた、全く明らかなことじゃった。

草一 : そういう単純明快さは、明治という時代の特長で、私たちからは羨ましく見えます。独立した国民と、国家との齟齬を、全く考えなくてよかったということが。

福澤 : 儂にわからん後の時代のことを言ってみてもしかたないじゃろ。そういう話を続けたいなら、儂はもう帰るぞ。

草一 : 申し訳ありません。話を戻しますので。教育の目的は国民に知識と気概とを与えることであるわけですね。人は知識があれば必ず、独立した個人としての気概が持てましょうか。

福澤 : そこはなんとも言えんな。ただし、逆は言えるじゃろうな。人として知識がなければ、世間を渡って行く上で、自分ではどうしたらいいのか皆目わからず、他人の言うがままにせざるをえんじゃろう。それでは、一個の独立した人間としても気概なんて持ちようもない道理じゃ。

草一 : ごもっともで。ところで、実際に先生の言うように教育を推進していくうえで、障害と言いますか、問題視されてくるところがざっと二点あると思うのです。
 第一に、知識ばかりあっても徳がなければ人としてダメだろう、また、国としてもまとまらないだろう、だから、教育の要諦は、知識の取得ではなく、道徳の涵養に置かれるべきではないか、という論です。先生の時代でしたら、明治23年に出た教育勅語を中心にして、これが非常に盛んだったように思うのですが、先生はいわゆる「徳育」の問題についてはどうお考えでしょうか。

福澤 : いろいろなことがこんがらがって、そういう意見が出がちなのだがな。今の場合の「教育」とは、学校教育のことを指す、でいいのかな?

草一 : はい、それでけっこうです。

福澤 : そうだとすると、まず、短絡があるな。人として大事なものは、個々の知識より徳性である。それには反対しづらい。そこで、学校も、というわけだが、それは学校教育というものの特質を弁えん論じゃ。
 学校だけで人間ができるわけではない。これを植物に譬えるなら、教育とは肥料のようなものじゃ。ある植物が形成されるについては、肥料の他に、種子のときから持っている性質、つまり天稟じゃな、これもあるし、土壌や天候も大きな影響をもたらす。肥料は重要だが、それだけで植物がどういう性質かが決定されると考えたら、それはまちがいじゃ。
 人間の場合もな。実を言えば、土壌や天候、この場合は家庭環境と社会状況がそれに当たるかな、これが立派な植物、この場合は立派な人間、の育成に適していないのに、肥料、即ち教育だけで育成せよというのは、無謀を通り越して愚かなんじゃよ。
 今の子どもや青年に徳が足りんと、本当にそう思うのであれば、学校教育をどうこうより、まず、その人間が立派な徳性を発揮して、後身の手本になるよう努めるべきじゃ。そういう人間が世の中に多くなれば、水が自然に低きところへ流れ込むように、青年一般の品行もよくなるじゃろう。それ以上の妙策なんぞありゃせんし、学校にだけやれと言うのは、一種の責任転嫁と言ってよいな。((1)中の「徳育如何」。明治15年初出)

草一 : まことに、おっしゃる通りです。

福澤 : ついでに言うがな、今の(もちろん明治時代の)大人が、最近の若い者の品行の衰えを嘆いたり、第一若い者が生意気になって、目上の者の教えに素直に耳を貸さん、なんぞと言うのは全く馬鹿げておる。だいたい、年寄りがそう言って嘆くのは、今に始まったことではないが、そうすると、人間の品行は時代が下るに従ってどんどん劣化していることになって、人間世界はとうの昔に真っ暗闇になっていなければならん。そうなっていないのは、そんな嘆きにはさしたる根拠がないことの何よりの証拠ではないか。
 若者が生意気というのもそんなもんで、自分が若いときのことを思い起こしてみればいい。今の(明治時代の)政財界の大立者と言えば、明治維新を成し遂げたか、それに貢献した者じゃないか。彼らが、若い頃、目上の者達の言うことに素直に従っていたとしたら、維新そのものがなかったはずじゃ。そうではなかったおかげで出来上がった新時代には、旧弊な目から見たら、ずいぶん新奇で、時には風俗の紊乱と見えることもあるじゃろう。しかし、そうなった前後の経緯も考えずに、これを嘆くとしたら、大人というのはずいぶん忘れっぽいと言わざるを得ん。(同前)

草一 : 全く異論がございません。福澤先生のような著名で偉大な方のおっしゃることが、未だに常識になっていないのが不思議なばかりです。
 さてそこで、第二の、より根本的というか、やっかいな点に移らせていただきたく思います。他でもございません、学問知識は、それを学んだ者を、必ず幸福にするものでしょうか? 先ほどの「気概」とは当然別の話なのですが。いや、これは先生に対してはまずい訊き方ですね。ええと、順序を踏んでお尋ねしましょう。
 先生の大ベストセラー「学問ノスヽメ」が出版されたのと同じ年(明治5年)に「学制序文」が出まして、ここでは先生のお考えと一致すると思われる学校観が述べられています。つまり、「学校」以前にも学問はあった。しかしそれは、「方向がまちがっており」「枝葉末節や空理空論に走り、高尚にみえても実践性・実用性に欠くものがほとんどだった」と言われています。ここからすると、今後必要とされる、だから学校で教えなければならない学問とは、実用的、すなわち実際の役に立つものだということになります。ここがけっこうひっかかるところでして。個々人に即して見た場合、学問は学んでも、役に立たないこともけっこうあるのではないでしょうか?

福澤 : それは、あらゆる知識があらゆる人の役に立つわけではない。漢籍を読むのも、和歌を習うのも、悪いとは言わんが、その類のみが学問の名で呼ばれてきたのは、我が国にとって不幸なことじゃった。おかげで、学問と言えば、世の中の実際の役には立たぬものの代名詞のようにさえなったのだから。まず、これを改めねばならん。これまた、新時代をこれから作ろうとする者にとってはあまりにも明らかだったから、儂の「学問ノスヽメ」と「学制序文」が同趣旨になったのは、どちらかがどちらかを真似たとか、影響したとかいうのではなく、ごく自然なことだったのじゃ。
 しかし、明治も二十年もたってみると、新奇だからという理由で、その人間には無用な知識を学ぶ者がでてきた。虚飾に走って自分の分限を弁えぬ輩がな。山村にも女子英語学校なるものができて、生徒数が常に十数名を数えるのを、教育が盛んになった証拠だ、などと言って喜ぶ者もおったが、狂気の沙汰じゃよ。三度の食も覚束ない農民の娘、嫁しては夫の服を繕うようなことが主な仕事になる貧者たちに、英語を教えてなんになる。有害無益でしかないではないか。((1)中の「文明教育論」。明治22年初出)

草一 : はい、そのお話はよくわかります。しかしそうだとすると、学校で教えることはすべて世の中で実際の役に立つことに限られるべき、ということになりそうです。しかし、実際はそうではない、そう思われることは、明治期から、我々の時代まで多く、むしろ普通のことになってさえいます。

福澤 : そこは学校というものの実際が儂の理想とは一致しなかった点なのじゃ。学問とは、ただ文字を読むことに止まるべきことではない。それを儂は既に「学問ノスヽメ」第二篇(明治6年刊)の緒言に記しておいた。実際問題としても、特に初期の頃は、貧窮のために小学校も途中でやめねばならぬ者も多かったんじゃから、小学校では、多くの人間から見て、途中までであっても、それなりに役に立つことを教えるべきじゃ。読み・書き・そろばんから、帳簿のつけ方、などをな。
 そうならなかったのは、実際に学校を始めるときには西洋に範を仰ぐしかなかったから、我が国の国情には必ずしも合致しない制度になったこと、これと、先ほどの徳育と並んで、小学校でさえ、学問と言えば何やらもっと高尚なもののように見せかけたがる悪い癖が合体して、妙なものになってしまったせいじゃ。知識とは別になるが、学齢期の七、八歳になれば、農家の子どもは田畑の仕事を手伝わされるのが普通じゃ。そこで一日中追い使われて、疲れ切っている者に体育をやらせて何になる。しかし、西欧諸国の学校のカリキュラムには入っているし、また、学校はいわゆる勉強だけやらせるわけではないと示したいために、入っておる。残念ながら世の中は、往々にしてそういうもので動かされるんじゃ。((1)中の「小学教育の事」。明治12年初出)

草一 : ここに既に、容易には解きがたい問題があるように思いますが、それを先生にお尋ねするのは控えましょう。今はお話の流れに従いますが、そうしますと、大多数の国民は、読み・書き・そろばんに帳簿つけ等までで、学校で習うことは終わりにしたほうがいいように思いますが、それでよろしいのですか?

福澤 : さっきは必要最低限のことを言ったまでじゃ。もし可能なら、もっと深く学ぶ方がいいに決まっておる。ただ、英語とか、古典の注釈とか、実際の生活とほとんど関係ないものは、少数の人間がやればよい。
 万人が学びたきものは、例えば物理じゃ。火をつけるにしろ、薪を割るにしろ、そこには必ず一定の法則が働いておる。それを知らなければ出来ぬわけではないが、より合理的なやり方があり得る、とわかっておれば、長い目で見れば役に立つこともある。そういうのが根底で、文明の進歩を促すのじゃ。
 あるいは医学。万人が医者と同等に人体の仕組みや病への対処法を知る必要はない。しかし、少なくとも、まじないなんぞで病気が直るわけはないと知り、科学的な医療を信頼して、医師の指示に従うようになっていなければ、すぐれた医師が何人いようと、無益なこととなる。これで明らかにわかるじゃろうが、学問と、それがもたらす文明が、どの程度に広く、深く伝播しているかは、なんら抽象的・精神的なことがらではなく、国民の生活そのものに密接に関わっておるのじゃよ。((2)中の「実学の必要」)

草一 : たいへんお見事なご説明で、感服の他はありません。
 最後におうかがいしたいのは、人々が学校に対して漠然と抱く、ある種の反感についてです。先生がおっしゃったような学問の効用を否定できる者はいないと思いますが、そこにもっときらびやかなと言いますか、自分の、あるいは自分の子どもの栄達、というような望みを込める場合は非常に多いのです。これは今日でもそうですが、明治時代にはもっとあからさまだったことでしょう。
 「学制序文」にある「身ヲ立テ」るということ、「学問ノスヽメ」でしたら「一身(の)独立」でしょうか、その意味は、最初の頃おっしゃったことで尽きているのでしょう。しかし、明治17年頃から卒業式で歌われることになった「仰げば尊し」ですな、その歌詞には「身を立て、名を挙げ」と列挙されます。それが自然な感情で、つまり「身を立てる」とは栄達することで、学校とはその手段を与えてくれる機関ではないのか、と期待してしまうのです。実際、そうなった人も多いでしょう。しかし、より多くの人はそうならなかったし、今でもならないので、そこで何か、だまされた、と言うか、無理をして子どもを学校へ通わせたのはなんのためだ、という恨みが生まれ、年々堆積されると、けっこう大きな社会感情として働いてしまいます。

福澤 : それも儂に尋ねられてもしかたのないことじゃな。しかし、せっかくじゃからちょっと関連しそうなことを言おうか。
 学校で、できるだけ高級なことも学ばせると、みんなが高級なことに目覚めるようになる。すると、糞桶(こえおけ)を担いで畑へ出るというような仕事がいかにもつまらなく思えて、誰もやらなくなるのではないか、と心配する者があった。無用のことじゃ。学校教育が始まって間もないので、それを受けた年少者が、受けていない年配者よりものが分かったように思って、生意気になり、またよそからも重んじられることもあろうが、賢愚はしょせん比較相対の話なのじゃ。今後学校教育が普及すれば、そんな知識はたいていは凡庸でしかなくなる。既にそうなれば、多少の学問があったとて農民は農民、商人は商人で、他に稼業などありはせん。稼業の上でも学問が役に立つこともあるのは、前に言った通りじゃが、さればとて、つまらぬ、賤業(原文のママ)につく者がいなくなるわけはない。((2)のうち「教育の過度恐るヽに足らず」)

草一 : まあ、そうでしょうな。「やればできる」なる言葉が私たちの時代では盛んで、つまり努力すればなんでもできると言って、子どもに勉強させようとしているのですが、将来の成功までその「なんでも」の中に含めるとしたら、確かに、皆が「できる」わけはないことは最初からわかりきっています。そうは言えないのが、私たち現代の教師のつらいこところでして。

福澤 : 教育は人間の天稟を伸ばすことしかできんのじゃ。人間や世の中をすっかり変えるような魔法の杖ではない。しかし、必要なんじゃよ。((2)のうち「教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ」)

草一 : 確かにそうなのですが…。いや、これ以上は愚痴になります。先生にはご迷惑なだけですね。これまでにいたしましょう。ありがとうございました。
 最後に、読んでくださった人にお断りいたします。福澤先生のお言葉の出典は(  )内に記しましたが、それは現代語訳ではなく、私の言葉も付け加えた、いわゆる翻案と言うべきものです。これをもって、私ではなく、福澤先生を批判するようなことは…。そんな人、いないか。
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