由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

福田恆存に関するいくつかの疑問 その2(「全体」をめぐって)

2014年08月04日 | 文学
メイン・テキスト:日比野啓「『解つてたまるか!』を本当の意味で解る為に―福田恆存の「アメリカ」」(遠藤不比人編著『日本表象の地政学 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー』彩流社平成26年所収)


 今回のシリーズは軽くすませるつもりでいたが、美津島明氏へのコメント返しでも述べたように、そうもいかない感じになってしまった。なけなしの気力をふりしぼって、できるだけやってみよう。
 人を批判することが主目的ではない。特に日比野氏の論考は、私とは考え方・感じ方がまるで違うので、これに対抗する形で、では私から見た福田恆存とはなんだったのか、改めて深く考えることができた。以下に述べるのはその結果出てきたものである。こういう機会を与えてくださった日比野氏には、心から感謝している。
 以下、敬称はすべて略します。

Ⅰ 原爆という形象
日比野啓の論の骨子は、以下に最も簡明に述べられている。

(前略)『解つてたまるか!』を「解る」必要があると考えるのは、敗戦後の日本において天皇=全体性にとってかわった「アメリカの全体性」を原爆という形象を通じて福田が問題化していること、そしてD.H.ロレンスの影響のもと「生ける全体性」を追求した福田が、「アメリカの全体性」を容認しつつ、それに組み入れられることを最後まで抵抗を示していることが、この作品の分析を通じて明らかになるからだ。(P.114)

 「アメリカの全体性」とはいったい何か、誰しもが理解に苦しむところだと思う。一つ一つたどっていくしかないだろう。
 まず「原爆という形象」とは何か。「解つてたまるか!」の最後で原爆は、最も重要な小道具となる。主人公村木は、自分は夏蜜柑大の原爆を持っていると言って、警察のみならず日本人全員を脅して、半径20キロメートル以内から退避させ、幕切れの廃墟を作り出す。その伏線として、村木は「原子力平和利用研究所」に勤務していたことが第一幕で言われ、第二幕ではそこの守衛であったことが明らかになる。
 守衛が原爆を? というのはあまりにも突飛に思えるので、大笹吉雄のような酷評が出てくるのだが、一応の辻褄合わせはある。ここで日比野は間違えて、「一介の素人が材料を盗んで原爆を製造し、爆発させると脅迫するという突飛な展開に観客がついていくのも難しい」(同前)と言うのだが、実際の戯曲ではこうなっている。原子力平和利用研究所の所長は毛沢東崇拝者で、自分たちの研究を中国に売り渡し、代わりに時々原爆を贈ってもらっていた。それは研究員たちの手には渡らず、守衛を通じて所長の元へ届けられたのだ、と。この話もまた、作中の元研究員のように、「あり得る」と考える人は少数であろうが。
 どのみち、この原爆は、村木の与太話の中でも、アメリカ製とはされていない。アメリカは別の経路から登場する。原子力空母エンタープライズという。
 昭和43年、即ち1968年とは、戦後の反政府運動が最大の盛り上がりを示した年として、1960年と並んで、伝説のように語られることがある。その幕開けがエンタープライズ寄港阻止闘争、略して「エンプラ闘争」であった。
 この艦は世界初の原子力空母であって、つまり核と直接結びつく。次に、それが日本に立ち寄れば、日本国内の米軍基地のみならず、日本全体がベトナム戦争の橋頭堡として使われていることを内外に示すように感じられる。もう一つ、エンタープライズという名称は、大東亜戦争時の米海軍主力艦で、ミッドウェイ海戦で日本軍を破った空母と同じであった。いろいろな面で日本人を刺激する要素を備えていたのである。
 同艦の佐世保への寄港は昭和43年1月、闘争の主戦場は当然佐世保だったが、米大使館周辺のデモもあった。「解つてたまるか!」のモデルである金嬉老事件が起きたのは翌2月、場所は静岡県の寸又峡温泉である。福田は舞台を東京の、米大使館脇(主人公の村木はそれを知らなかった)のホテルに変えて、大使館へのデモを籠城と重ね、警察には人質の救出と国際問題への配慮という二重の困難を負わせることにした。
 そんなに珍しい思いつきでもない。「際物にさらに時事ネタを重ねただけ」に見える、と日比野も言っている。しかし彼は敢えて深読みをして、これによって福田が「原爆=アメリカ」の観念連合を、作品の思想的背景として持ち込んだ、と見るのである。なぜこんな連想が成り立つのかと言えば、アメリカはかつて日本に二度にわたって原爆を投下した国であり、戦後は「戦力なき軍隊」以外に軍備のない日本を、「核の傘」で守っている、と一部で言われているから、であろう(日比野は直接そうは言っていない)。
 ここまでなら私も、賛成はしないが、あり得るかな、ぐらいには言えると思う。【因みに、劇団四季による平成17年の上演台本からは、エンタープライズも米大使館へのデモもカットされ、日比野がこだわっている「アメリカの影」は原爆以外にはなくなってしまった】
 一般に、観念連合を全く含まない文学作品のほうが稀であろう。現に福田も、「原爆=最終兵器=人類の滅亡」という戦後の日本ではよく知られた観念連合は使っているわけだし。さらに彼は、最後の本格的な戯曲「河童」でもこれを使った。ただし、どちらの原爆も、インチキだったのだが。
 そもそも、福田自身がこの連想に囚われていたわけではない。もしそうなら、気楽に、喜劇の題材なんぞには使えなかったはずだ。そのうえ、評論では、例えば次のような形で、核兵器への恐怖を相対化して見せている。

(前略)原水爆であらうと惡魔であらうと、生れてしまつたら、もうどうにもならないのです。あと私たち人間にできることは、さらにそれをおさへる強力なものの發明あるのみです。半歩後退はできない。後退するとすれば、イエスやガンジーのやうに文明を徹底的に抛棄することしか道はないのです。(『全集3』)

 これは昭和30年の文章「戰争と平和と」の一節だが、最晩年の吉本隆明は、原子力発電所について同趣旨のことを言って、評判を悪くした。のみならず、吉本が『「反核」異論』(深夜叢書社昭和58年)で展開した反核運動批判は、福田「現代の惡魔」(昭和36年)とほとんど軌を一にしていて、私は驚いたものだ。次の二点がそうだ。
①反核運動は結果として、そのような運動が禁じられている全体主義体制の国(ソ連や中国)を軍事的に利する。
②人類の滅亡というようなあまりにも壮大でニヒリスティックな事態への恐怖感をベースにしたのでは、大衆動員はできたとしても、建設的な方向へ人々を導くことはできない。
 上に加えて、吉本は言わなかったことで、福田が一番言いたいのは、
③「原水爆は私達の前に始めて出現した「惡魔」ではない。全人類を殺せる核兵器が「惡魔」で、五人しか殺せぬダイナマイトが「惡魔」ではないと考へる人は、すべての價値を數量で割切るといふ最も現代的な「惡魔」の思想に囚れてゐる事を反省してみるがよい
 これをもっと手厳しく言うと、こうなる。「全人類の死が五人の死より「惡魔的」に見えるのは、世界戰争が局地戰争より恐ろしく見えるのは、正直のところ、全人類の死や世界戰争には自分の死が含まれてをり、五人の死や局地戰争なら自分が助かる余地が大であるといふ利己心の働きでしかないのではないか」。
 少し説明を加える必要があるだろう。福田は必ずしも利己心そのものがいけないと言うのではない。ただ、利己心を何かの理想めかして押し出す偽善はよくない。それは、真の理想へと至る、少なくともその可能性はある「狭き門」を、いよいよ見えづらくするから、というのが、主に昭和30年代から相次いで発表された彼の論争文の根幹にはある。結果彼は戦後日本の「平和主義」を初めとする「理想」の欺瞞を最も痛烈に撃つ者として、孤立した。
 福田や、それから吉本が、絶対に正しいと思えと言うのではない。ただ、彼らは、イデオロギーや、まして感情の次元を越えて、ラディカル(根本的、かつ過激)に思考することを目指した、日本では少数の思想家に属する、それは確かであろう。
 私はまた遠回りしたように見えるだろうか。そうでもない。原爆―アメリカ、という観念連合は確かに戦後日本にはあるが、福田個人にとって原爆の意味は以上のようなものであると指摘するのは、日比野の論に沿って福田を考えるために重要である。つまり、「解つてたまるか!」の最後に唐突に原爆が持ち出されたのは、「福田の想像力のなかでは原爆のイメージはあまりに圧倒的なものなので、台詞として口に出されるだけで観客の不信の停止がおこなわれるはずのものであった」(P.128)からだという日比野の論は、とうてい首肯できるものではない。その論拠は示し得たであろう。

Ⅱ 天皇は全体か
 次に、天皇の全体性とはなんだろうか。これは、福田ではなく、三島由紀夫「文化防衛論」(これも昭和43年の発表)中の言葉が元である。文化には三つの性質があり、その中の一つが全体性、そして日本でそれを代表するのが天皇、ということ。これだけでも、そんなのは福田がロレンスから受け継いだ「全体―部分」の概念とはなんの関係もない、と直感できそうに思うが、即断は禁物だ。じっくり見ていこう。
 日比野が主な論拠としたのは、田の他の戯曲「總統いまだ死せず」(昭和45)である。ただ、この作品には「象徴」という言葉は数回出てくるが、「天皇」は全くない。そこから、福田恆存の天皇=国体観をあぶり出そうとして、日比野は三島との対談「文武両道と死の哲学」(昭和42年。いくつかの刊本に収録されているが、ここでは歴史的かなづかひで表記された文春文庫『若きサムライのために』所収のテキストを使う)を援用している。私としては、福田の天皇観が直截出ているこちらをまず採り上げたい。
 「戦後の天皇制の是非に拘泥する三島に押し切られるようなかたちで」(日比野、P120)出てきたという次の発言を日比野は引用している。「【天皇は】祭司の代表だからね。祭司といふものを農耕儀礼を追求して行けば、天皇は人間であつていいといふ証拠はどこにも出てこない」。
 このように、福田は、三島共々、戦後の「人間天皇」を否定していた。それはよいとしても、だから「戦後占領軍によって定められた天皇の在り方では「文化の全体性」を防衛することはできない、という認識を二人は共通して持っていた」(同前)というのは飛躍である。だいたい、この後の日比野の行文は、もっぱら三島に関するものになり、福田が戦前までの天皇に「文化の全体性」、あるいはそれを防衛するに足るものを見ていた、ということの吟味はなされていない。と、言ったからには、私が「文武両道と死の哲学」における福田の天皇観を吟味すべきであろう。
 まず上の言葉は、三島が天皇制の顕教・密教ということを言い出したので、それに対する応答として出てくる。主に「思想の科学」グループが言っていたことだが、戦前では、天皇は現人神というのが一般大衆向けの顕教、それに対して「天皇機関説」が密教であって、政府の要路は暗黙のうちに理解していた。戦後ではこれが逆転した。即ち、天皇もまた人間である、というのが顕教、しかし、決して学校などでは教えられないが、いわば密教として、現人神信仰の部分も残っている、と三島は言う。
 そこで福田も、天皇は「ただ象徴だったり、人間だつたりするわけはないよ」と言ったわけだ。最初に掲げた言葉はこれに続く。おそらく、ここで福田は、「天皇はただ人間であつていいといふ証拠は……ない」と言うべきところで、「ただ」を落としているのだろう。前の「祭司といふものを農耕儀礼を追求して行けば」なんぞという混乱した言い方から推しても、「口が滑った」のがそのまま活字になった可能性が高い。
 それは可能性だから措くとして、文字通りにとって、天皇は人間ではない、としても、神、にもいろいろあるが、西洋風のGod(唯一絶対神)であるとは、福田は決して考えていなかった。「文武両道と死の哲学」中の、前掲に続く以下の発言は、福田の二元論からした天皇制観をよく伝えるものとして、重要である。

 たヾぼくにとつて問題なのはエゴイズムの処理なんですよ。個人のエゴイズムといふのは、ときには国家の名において押へなければならない。それなら国家のエゴイズムといふのは何によつて押へるかといふと、この原理は、天皇制によつては出てこないだらう。(中略)ぼくは天皇制を否定するんぢやなくて、天皇制ともう一つ併存する何かがなくちやいけない。絶対天皇制といふのは、どうもまづい
 さつきの神話に話をもどすと、西洋の旧約聖書の場合、もちろんセム族といふ一民族の所産で、その限界はあるけれども、とにかく世界創造、人間創造といふ普遍性を持たせてゐる。ところが、日本の神話といふのは、日本列島、日本人の創造しか説明できない。だからキリスト教につけといふ意味ぢやないけど、やっぱりわれわれは、もう少し二重に生きる道を考へなくちやいけない。
 天皇制の必要と、それを超える――優位といふ意味ぢやなくて――他の原理をたてなければならないんだけど、自由主義とか民主主義といふものではだめなんだ。だめだといふのは、いまの自由主義、民主主義といふのはいけないんで、それでは真の自由といふのは何か、といふものをもつと考へなくちやいけない。自由陣営といつたつて、本当はアメリカだつて真の自由といふものは考へてゐない。結局は、精神の自由とか文化といふものだ。さういふものの価値意識が必要なんだ。


 引用し始めたら途中で切れなくなって、長々と書き写してしまった。この発言に出ている重要な論点を、ここで充分に採り上げることはできない。興味が持たれた方は、西尾幹二『三島由紀夫の死と私』(PHP研究所平成20年)や持丸博・佐藤松男『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(文藝春秋同年)に採り上げられているのを読まれることをお勧めする。
 今は次のことがわかればよい。福田は、日本国統治の原理として天皇制を認めぬではない。が、天皇の絶対性など求めてはいない。当面問題になっている言葉を使うと、「文化の全体性の統括者としての天皇」のイメージ(「文化防衛論」)はまあよいとしても、そうであればなおのこと、国家を超えた普遍(≒全体)への道をつけるために、それを相対化する別の原理が必要である、ということになろう。つまり彼にとって、国家は究極的に重大なものではなかったのである。

Ⅲ 「象徴」について
 そこで「總統いまだ死せず」に移る。福田自身によって「劇作家福田恆存の最高傑作」と呼ばれた本作は、なるほど完成度は高いが、ひどく手の込んだ論理操作がなされている、というより、それのみで書かれたような印象さえ与えかねない。
 日本の秘密結社F・A(ヒューラー・アンベートゥング、総統崇拝)が、ドイツ料理店のコック長をしている初老の男アドルフ・ボルマンはヒトラーの替玉だったのではないか、と目をつけ、どうやらまちがいない、と思えた矢先、もう一人、1942年から43年にかけて、整形して総統の身代わりを務めたと言うドイツ人が現れる。彼らのどちらが「本物の偽物」なのか、両方ともそうなのか、それともどちらかが、身代わりを殺して逃げ果せたアドルフ・ヒトラーその人なのか。
 こう書くと、この作は一風変わった、凝った推理もののように思えるだろう。そうならないのは、F・Aの首領水巻の真の狙いが、「本物」を突きとめるところにはないからだ。「僕は改めて君達に訊ねたい、總統を憧れ求める君達の情熱は本物なのか偽物なのかと――もしそれが本物なら、相手が本物か替玉かなどと、この期に及んで、そんな穿鑿に耽つてゐる閑(ひま)などあるものだらうか?」(『全集八』)
 本物など、ありはしない。実在のヒトラーと言ったところで、それは20世紀にフリードリヒ大王になろうとしてなりそこなった男、つまり偽物=替玉ではないか。言い換えると、それ自体で価値のあるものなどこの世にはない。ただ、価値あるものをあらしめようとする意思と情熱は、何ものかではあろう。水巻の主張を簡単にまとめると、こういうふうになろうか。
 それは、晩年の福田恆存がよく言っていた「すべてはフィクション(偽物、ですね)だ」ということの中身でもある。
 こういう戯曲のどこに日比野は天皇の影を認めるのだろう。わずかに出てくる「象徴」という言葉に。当然、象徴天皇制が含意されているに違いない、というわけで。F・A、のみならず、本作の思想を代表する水巻は、「象徴とは何です」と別々の人物から、二度にわたって聞かれて、答えている。日比野はそのうち後のほうだけ挙げているのだが、ここで両方引用すると、
 第一幕で。「生身の肉體は滅んでも亡靈はこの世に殘るものです。總統は死んでも、象徴は永遠に生きるのです」「象徴とは……、替玉のことです」。
 第二幕で。「本物の總統以上に總統に似てゐる總統とは――それは、詰り象徴の事だ」「象徴とは(中略)替玉のことだ。替玉は本物より本物に似てゐなくてはならない
 いかにも、本作の主題に直接関わる科白である。また、この言葉によって、福田が戦後の天皇のことを全く意識していなかった、とは確かに考えづらい。ただ、その両者がそんなにストレートに結びつかないこともまた確かである。最も単純に言って、水巻の言う「象徴」は、一度否定をくぐった後で肯定に転じた意味合いで使われている(そう使っているのは福田ではなく、彼が創造した登場人物だが)のに、福田が直接象徴天皇を論じた二つの文章(「象徴を論ず」昭和34年、「象徴天皇の宿命」平成元年)では、否定的にのみ使われる。
 後者の要旨をできるだけ簡潔に述べると、次のようになる。天皇は、プリースト・キング(祭祀王)であれ国家元首であれ象徴であれ、ただの人間ではない、あり得ない、ということはわかりきった話である(これは私が加えた前置き)。しかし、戦前の国家元首なら、感情を持った人間である余地も少しはあった。象徴では、感情はあるにしても、全く問題にされない。つまり、全く人間扱いされない。日本国民は、そのような立場に追いやられた昭和天皇や今上の孤独を思いやるべきである。
 前出の科白を使うと、象徴とは永遠に生きる亡霊なのだから、生身の肉体では耐え得ない、と言い換えることもできそうだ。これは少しこじつけめいているが、以下の日比野の論よりは自然な連想であろう。
 彼は、アドルフ・ボルマンがかつてヒトラーだかその替玉だかに言ったという科白、「その震へをののく左脚はドイツ國民全體の象徴であり、その自由の利かぬ左手はドイツ軍全體の象徴なのであります!」からこう論じる。これは「国体をめぐる議論を示唆しているように見える」(P.121)。なぜなら、「国体とは、「国」を身体に重ねあわせることでその「生きた全体性」を強調するのだから」(P.122)。
 国と身体とを重ね合わせて国体。比喩としてならありそうだし、現に福田もそれに近い比喩を使っているわけだが、それは日本のことではない。日本国と天皇の身体(玉体)を重ねた国体論となると、佐々木惣一でも三島由紀夫でも、私は見た覚えがない。もしもどこかにあるなら、日比野初め諸賢のご教示を請う。
 ただ、そういうものがあったとしても、福田恆存とは関係ない。単純に「国の体制(レジーム)」の意味ならともかく、それ以外の、国家の「生きた全体性」云々と議論されるような国体は、およそ彼の関心の外にあった。福田の年来の読者としても、それは明らかに言い得る。

Ⅳ アメリカとのつきあい
 以上を踏まえてあらためて日比野論文の骨子を考えると、次のようになる。戦前の天皇は「全体性」を備えた絶対の存在であるのに対して、戦後の象徴天皇は、それを失ったニセモノである。代わりに、核兵器を持ったアメリカが全体性を表象する、福田はそれを認めながら、「無意識のうちに」反発もしていた、と。
 このうち、天皇と象徴(贋物)、それに核兵器に関しては、これまでで、反論、の形で私から見た福田恆存の真意を充分に示し得たと思う。残っているのは、全体性、これは難しいので最後にまわすとして、もう一つ、アメリカそのものへの思いがある。
 時事評論家としての福田恆存にとって、アメリカは大きな主題の一つであった。それは戦後日本の国際的な立場を考えれば、当たり前の話である。そして彼の対アメリカ論の核心は、次のようにまとめられる。
 アメリカが必ず日本を守ってくれるなんぞという保証はない。それを心得た上で、日本はアメリカとの関係をできるだけ堅持するように勤めなければならない。
 矛盾だろうか。実際に、現実の政治の上では、このような立場は数多くの桎梏を生んだし、今も生んでいる。しかし、原則としてみれば、それこそ「常識」に属する。今年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で例えると、毛利・織田のような強力な軍事大国に挟まれた小国・小勢力は、どちらかに付くより他に生き延びる道はない。付いたところで、いざというとき、必ず助力が得られるわけではない。現に織田は尼子を見捨てた。大国のほうでも、自分の都合最優先で動くのが当たり前だからである。それでも。
 と、結局はそういうことになる発言をした人は、福田以外にも少なくない。ただ、福田ほどむきつけに言う場合は少ないのは、常識というのはあまり面白くないからであり、また、自国を弱小国だと認めるのは愉快なことではないので、直視したくないからだろう。
 そのうえ、アメリカとは、かつて日本に何をした国か。現憲法と日米安保条約、即ち戦争放棄と片務的な軍事同盟は、ワンセットとして、彼から与えられた。ならば、日本を守るのは当然ではないか。このような心理がまずあり、それがまた幾重かに屈折して、矛盾を生む。そういう場合には、自分にとって都合のいいように矛盾するのも、世の常である。
 その例としては、「アメリカを孤立させるな」(昭和40年)中で紹介された次のエピソードが一番よいだろう。「當用憲法論」(同年)でも紹介されている憲法記念日の座談会後の、食事会で、福田が「もし自衛隊を廢止しアメリカの基地を撤廢してしまつた後で、萬一敵が攻めて來たらどうする積りか」と問うと、出席者の一人(おそらく、小林直樹)がこう答えたという。「そんな事は起り得ないが、……そんな時はアメリカが黙つて見てはゐませんよ」(全集六)
 自衛隊や米軍基地がなくなっても、なおアメリカは日本を守るはずだという、その安心感を最後の拠り所にしての護憲であり平和主義であり、あまつさえ反米でもある。はねっかえりの学生はともあれ、大人の、いわゆる進歩派の中にはこういう人が多かったろう。それが証拠に、尖閣諸島問題などで、冷戦などよりもっと現実的な形で日本の軍事的な危機が見えてきた現在、安保条約廃棄論者はすっかり影をひそめ、「アメリカには勝手に日本を守らせておけばよい」などと嘯きつつ、なお護憲と平和主義を唱える人は後を絶たない。
 そうであるからこそ、福田は「アメリカが必ず日本を守るなんぞという保証はない」としつこく繰り返したのである。そして、「アメリカといふ「薄つぺらな貝殻」に蔽はれ」(「總統いまだ死せず」)た中での平和や民主主義を少しはましなものにするために、憲法改正・再軍備を唱えたのだった。アメリカがあてにならないから、というよりはむしろ、かの国の善意を少しは信じるとしても、自国民に守る気がない国を、わざわざ守ってやろうというほどのお人好しにはなかなかなれないだろうからだ。あるいは、そういうことを口実にして、アメリカが日本を見捨てやすくなるからだ。
 現状認識として、この見通しが正しいかどうかはわからない。アメリカ自体が、日本がそう動くことを歓迎するかどうかも、わからない。一口にアメリカと言っても、なにせ大きいから、一枚岩ではないし。
 佐藤松男が発掘した『朝日ジャーナル』昭和57年4月2日号のインタビュー記事「文筆業者は一人で責任を取る」では福田は、「私は最大の仮想敵国はアメリカだと思っている」と言っている。なぜなら「アメリカは、日本が強大になることを望んでいない。ムダ金を使わせようとしているのだ」。それなら、「そういうアメリカであることを頭に入れて、原則をきちっとさせてから日米安保も考えるべきではないか」。具体的には、「安保を考えなおすなら、まず現在の安保をなくす。その上で日本の体制をきちっとさせ、日本の自主性を明確にしてアメリカと話し合う。そうしてこそ対等な関係になる。もちろん「仮想敵国」アメリカを、なだめる形にしなきゃいけないだろうが」(佐藤松男「福田恆存、知られざる「日米安保」批判」『正論』平成25年3月号、より引用)。
 「アメリカを孤立させるな」から17年経ち、日米貿易摩擦も経験して、福田の考えもやや変わったのか、と見られないこともない。そうだとしても、それは時代とともに変化する現実の諸条件にぶつかった末のことであって、ある現実には敢えて目をつぶって、都合のいい観念を拵えあげようとするこの国の多くの知識人とは真逆の方向から来ている。

Ⅴ そして全体性
 日比野にも上記のことがわからぬではない。「たしかに、核を保有する二つの超大国が対峙する冷戦下において完全な自主独立は困難なので、現実的な解として日米同盟において「自決権」を一部のみ担保する、という福田の考えは政治のリアリズムに基づいているだけだ、とも言える」と言うくらいだから。しかし、ここでも彼は深読みをする。「三島が国体としの天皇に「全体性」の根拠を求めたのと同様、福田はアメリカに「全体性」根拠を求めている」から、「日本の独立は「部分」でしかなく、日米安保条約によってはじめて「全体」になれる、と福田は考えていたとしても不思議ではない」(以上126)、と。
 いや、不思議だ。最も根本的な人間観として福田から提出されたものを、最も現実的な政治論にかくも簡単に結びつけるとは。
 日比野はその根拠として、「人間・この劇的なるもの」を、ではなくて、ここに結実している「福田の全体性(wholeness)の思想」を要約したという浜崎洋介『福田恆存 思想の〈かたち〉』(新曜社平成23年)中の文章を使っている。引用で改めて読んで、この要約が、実に問題の多いものであることが痛感された。かつて私ははしなくも、美津島明のブログ「直言の宴」で、チャンネル桜の討論会(平成25年4月)に出演なさった時の浜崎の発言に違和感を抱いたことを表明したが、そのときの感じより、根は深かったようだ。
 「〝私″は、〝私″を越えて〝私″を貫いている関係の「全体」を引き受け、それへ盲目的に従うことで〝私″を開き、そこから踏み出される一歩によって初めて他者に直面できる」(浜崎P.218)。私を貫き、かつ越えている関係の全体。目に見えるものとの関係の総体という意味ならば、それは普通「社会」と呼ばれるものであろう。そのまとまりのうち最大のものは国家。それを作り維持するものは、ロレンスの言葉だと集団的自我である。福田の代表的な評論の一つ「一匹と九十九匹と」中の言葉を使えば、人間性のうち九十九匹の側に属するもの。それに「盲目的に従う」とは、「私」を社会や国家に無条件に「差し出」(日比野P.127)す、ということになる。
 これでは全体主義であり、福田の思想とは全く相容れない。福田恆存は全体主義に抗する処方箋を提出することを、生涯の課題の一つとした人なのだから。ではなぜ「全体」と言うのかといえば、個人の恣意としての自由をできるだけ追求しようとする意味の個人主義は、論理的に全体主義に帰結するからだ。それはドストエフスキーが「悪霊」の中で詳しく述べたことでもある。
 福田の言う「全体」は、外部ではなく、個人のうちにその可能性が見出されなければならないものだ。全体から完全に切り離された個は、部分ではなく、単なる断片に過ぎない。それをいくら集めても、全体にはならない。即ち「全體は量の概念ではない。あくまで質の概念である」(「人間・この劇的なるもの」『全集三』)。ビンの蓋は、いくら集めようとも断片にしか過ぎぬが、一個の蓋が一本のビンと出会いさえすれば、それで全体を構成する。しかし、蓋が蓋のまま「自分は完全だ」と思い込んだとすれば、全体に出会う契機は完全に失われる。
 即ち、自己は部分である、と覚悟することが第一歩なのである。繰り返すが、国家の一部とか社会の一部、というのではない。もちろん、誰にもせよ、集団的自己の部分のほうが大きいのだから、国家や社会が全体としてよくなり、その中の個人もより幸福に生きられようにと考えるのは、いつの時代も変わらぬ重大事ではある。だから福田も、日本がアメリカとうまくつき合っていける道を模索した。しかし、人間にはそれとは別次元の、個人的自我に直結する「全体」=「絶対」もある。

 (前略)自我は自分と他人といふ相對的平面のほかに、その兩者を含めて、自他を超えた絶對の世界とかゝはりをもつてゐるのである。(中略)他人はつねに自分によつて見られつくしてゐるものでもなく、自分もまた他人によつて、自分自身によつて、知りつくされてゐるものでもない。さうして、未知の暗闇にとりかこまれてゐればこそ、自我は枠をもち、確立しうるのだ。その枠のないところでは、自我は茫漠として解體する。私のいふ演戯とは、絶對的なものに迫つて、自我の枠を見いだすことだ。(同前)

 最も重要な「演戯論」については、私はまたしてもここで充分に論じることはできない。入口の部分だけを言うと。
 「私」には全体を見通すことはできないが、他人にも「私」の全体像を見通すことはできない。他ならぬその事実にこそ、自我が確立し得る根拠があるのだ。「私」を「開き」、「盲目的に」差し出すべき相手など、この世にはいない。逆に、多少とも個人として生きようとしたら、「解つてたまるか!」と叫ばねばならない時は、きっとある。
 いかにも、個人は無力で、脆い。だが、国家も社会も、物理的には強力だし、またそうではなくてはならないのだが、やっぱり相対的なのである。決して全体ではない。まして、外からやってきて原爆の威力で人々を従わせようとする者が全体であるはずがない。そんなふうに考えるなら、イエスにとってローマ帝国が全体だったというような、グロテスクな倒錯に陥ることになる。

 当初予定したものとはずいぶん違うものになり、例えば「解つてたまるか!」論にはまったくならなかった。そのうえ、自分なりにこだわった論点もまだ言うべきことは残っている。しかし、人に一度に読んでもらえる分量はとうに超過しているだろうし、現在の気力も尽きようとしている。ここまでで一応納めて、拙論に対して何か反応があればいいのだが、なくても、現在少なくない福田恆存論のどこかからまた刺激を得て、再び三たび、この巨人に取り組もうと思う。
コメント (2)
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