由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

立憲君主の座について その9(今上陛下の退位をめぐって)

2017年07月28日 | 近現代史
  おことばを述べられる天皇陛下

 本年6月9日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が衆参両議院を通過し、成立した。これで来年末には1817年(文化十四年)の光格天皇以来、約二百年ぶりの譲位が実現する見通しとなった。
 それはそうと、この法律に関する議論の過程で、皇室の現在と将来に関する、大きな論点が浮上してきた。
 改めて言うのも迂闊なようだが、今上陛下は、「象徴天皇」として最初から即位なされた、日本史上初のお方である。現憲法下での皇室のあり方に深く思いをいたし、また実践してこられた。陛下のご退位希望も、この一環であったのだ。
 その思いと実践そのものから、日本独特の立憲君主制である天皇制(この言葉は元来共産党の発明であることは知っているが、「日本独特の立憲君主制」を示すものとして使わせてもらう)の矛盾の一つが、明瞭になったのである。
 本当は知らないほうが幸せであったのかも知れない。が、既に浮かんできて目に見えてしまった以上、やり過ごす、というわけにもいかないだろう。もちろん、すぐに結論を出せるほど簡単なことではない。それでも、つまらないレベルで各所に感情的な反発だけが募るのはまことにつまらない。今回は、昭和天皇を題材にして天皇制の問題を細々と考えている者として、論点整理だけでもしておこうと思う。
 多少とも同朋諸氏の参考になれば幸甚である。

 問題を端的に伝えたのは、『毎日新聞』本年5月17日の記事である。以下に全文を掲げる。

 天皇陛下の退位を巡る政府の有識者会議で、昨年11月のヒアリングの際に保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに、陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたことが明らかになった。陛下の考えは宮内庁側の関係者を通じて首相官邸に伝えられた。
 陛下は、有識者会議の議論が一代限りで退位を実現する方向で進んでいたことについて「一代限りでは自分のわがままと思われるのでよくない。制度化でなければならない」と語り、制度化を実現するよう求めた。「自分の意志が曲げられるとは思っていなかった」とも話していて、政府方針に不満を示したという。
 宮内庁関係者は「陛下はやるせない気持ちになっていた。陛下のやってこられた活動を知らないのか」と話す。
 ヒアリングでは、安倍晋三首相の意向を反映して対象に選ばれた平川祐弘東京大名誉教授や渡部昇一上智大名誉教授(故人)ら保守系の専門家が、「天皇家は続くことと祈ることに意味がある。それ以上を天皇の役割と考えるのはいかがなものか」などと発言。被災地訪問などの公務を縮小して負担を軽減し、宮中祭祀(さいし)だけを続ければ退位する必要はないとの主張を展開した。陛下と個人的にも親しい関係者は「陛下に対して失礼だ」と話す。
 陛下の公務は、象徴天皇制を続けていくために不可欠な国民の理解と共感を得るため、皇后さまとともに試行錯誤しながら「全身全霊」(昨年8月のおことば)で作り上げたものだ。保守系の主張は陛下の公務を不可欠ではないと位置づけた。陛下の生き方を「全否定する内容」(宮内庁幹部)だったため、陛下は強い不満を感じたとみられる。
 宮内庁幹部は陛下の不満を当然だとしたうえで、「陛下は抽象的に祈っているのではない。一人一人の国民と向き合っていることが、国民の安寧と平穏を祈ることの血肉となっている。この作業がなければ空虚な祈りでしかない」と説明する。
 陛下が、昨年8月に退位の意向がにじむおことばを表明したのは、憲法に規定された象徴天皇の意味を深く考え抜いた結果だ。被災地訪問など日々の公務と祈りによって、国民の理解と共感を新たにし続けなければ、天皇であり続けることはできないという強い思いがある。【遠山和宏】


 もちろん今上陛下の「ショック」がどのような性質の、どの程度のものであるか、正確にはわからない。そこには留保が必要だとしても、「やるせない思い」が事実あるとしたら、「おいたわしい」と感じないわけにはいかない。
 陛下が被災地の御訪問や大東亜戦争の犠牲者への慰問に精勤しておられたことは周知だが、そこにこれほど強い思いがあったとは。これと、「保守系の専門家」との間の懸隔は、越えようがないのかも知れない。しかし、それが現にある以上は、見えないところで燻っているより、明らかになったほうがよいとも考えられる。
 それにつけても、論点は正確にしておかなくてはならない。まず、陛下が公的におっしゃった昨年8月8日の御言葉から引用する。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。
 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。


 次に、「陛下に対して失礼」と言われた有識者のうち、名前が出ている平川祐弘氏と故渡部昇一氏の意見を、前者は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(以下、「有識者会議」と略記)(第3回)議事録」(平成28年11月7日)、後者は「有職者会議(第4回)議事録」(同年同月14日)から、順に引用する。

 代々続く天皇には、優れた方もそうでない方も出られましょう。健康に問題のある方も皇位につかれることもありましょう。今の陛下が一生懸命なさってこられたことはまことに有り難く、かたじけなく思います。しかし、一部の学者先生が説かれるような行動者としての天皇とか象徴天皇の能動性ということも大切かもしれませんが、私はその考え方にさかしらを感じます。その世俗、secularの面に偏った象徴天皇の役割の解釈にこだわれば、世襲制の天皇に能力主義的価値観を持ちこむことになりかねず、皇室制度の維持は将来困難になりましょう。

(前略)天皇のお仕事というのは、昔から第一のお仕事は国のため、国民のためにお祈りされることであります。これがもう天皇の第一の仕事で、これは歴代第一です。だから、外へ出ようが出まいがそれは一向構わないことであるということを、あまりにも熱心に国民の前で姿を見せようとなさってらっしゃる天皇陛下の有り難い御厚意を、そうまでなさらなくても天皇陛下としての任務を怠ることにはなりませんよと申し上げる方がいらっしゃるべきだったと思います。


 多言は不要かも知れないが、一応解説もどきに述べる。
 「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」について陛下が出された答えは、第一に、前述の、各種の行幸を指すのであろう。御言葉の後半にある、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」などからしても、それは明らかである。
 因みに、行幸とは天皇が宮廷や御用邸以外の場所へ行くことを言うから、もちろん今上陛下が創められたことではない。特に近代になってからは、明治天皇の六大巡幸(明治5~18年。巡幸とは、行幸のうち、外泊して複数の場所へ行くこと)や昭和天皇の戦後の巡幸(昭和21~29年)はよく知られている。被災地への慰問や、ほぼ必ず皇后を伴うこと、などは、先例がなくはないが、今上陛下が最も積極的に、精力的になさった。また、膝を折って被災者と同じ目線で親しくお言葉を交わされたのは、今上が最初であるらしい。こういうのが、お言葉にある「象徴の務め」「象徴的行為」の中身である。
 平川・渡部両氏も、ほぼ同じ考え方の人々(大原康夫、八木秀次、櫻井よしこ、などの各氏)も、その活動自体を批判しているのではない。それは尊い、有難いことであった。しかし、天皇なら当然やるべき「公務」(上の記事では明らかにそう言われている)とまでするなら、疑問がある。将来、健康上の理由その他で、そういうことがちゃんとできない人が天皇になった場合には、「あれは天皇に相応しくない」という批判が出ることに繋がるからだ。
 もっとも、批判なら現在までにも出ているし、それは「言論の自由」に含まれている、と言うこともできよう。問題は、これが皇位継承にまで影響を与える可能性が出るときだ。
 現皇室典範は、第一条で皇位は皇統に属する男系男子が継ぐべきこと、第二条で継承権の順番を「一皇長子、二皇長孫、……」と定めてあり、これが改変されない限り、次の天皇が誰になるかは紛れがない(皇統に属する男系男子が絶えた場合はどうするか、というようなことはここでは述べない)。
 しかし、退位はどうか。今後の天皇も、高齢によって、あるいは「健康上の理由その他」によって、「全身全霊」で「象徴的行為」ができなくなった場合には、やっぱり退位すべきなのだろうか。
 事は一見するより重大である。天皇は、元来、能力や実績などによって選ばれるべき存在ではない。もっとも、長子相続が厳密に定まっていなかった近代以前には、「兄弟や従弟の中で、誰が皇位に相応しいか」などと考慮されたこともあり、それに従って譲位も頻繁に行われた。
 しかしそもそも、個人の能力の判定など、見方により立場により、様々に変わり得る。必ず衆目が一致する、とは期待できない。現に日本史上にも様々な見方が出て、南北朝の大乱などを招いた。その故知から、伊藤博文を初めとする明治の先人が、現行の原則を定めたのである。
 この時から天皇は、明確に、「その地位に相応しい能力」によって選ばれる存在ではなくなった。そうであれば、「相応しい能力がなくなった」から辞める、というものでもない、と考えられるだろう。それが首尾一貫、というものである。
 そのような存在には意味はない、と考える人もいるが、私は大いに意味がある、と思う。それについては後述する。
 今はその手前で、現在、いったい誰が、AならAという人は、もはや天皇に相応しくない、などと決めるのか、を少し考えていただきたい。民主主義なのだから、主権者たる国民が、人物を見て、ということになりそうだ。それくらいなら、もう血統主義などは完全に捨てて、選挙に依る大統領制にするに如くはない。これは即ち天皇制の廃絶である。この点で平川氏らが言うことは、全く正しい。

 ひるがえって、御言葉に表現されている今上のお気持ちを、できるだけ深く推察する。
 いくら「有り難く、かたじけなく」云々と言われようとも、その後で「そうまでなさらなくても天皇陛下としての任務を怠ることにはなりません」などと言われたのでは、よい気持ちがしないことは当然である。自己の行為を「全否定」されたと感じることもあるかも知れない。しかしそれだけなら、「売り言葉に買い言葉」レベルの、感情の問題である。今度少し長く考えて、たぶんここには、感情は感情でも、もっと深い淵源を持つものがあるように思えてきた。
 何度も話には出てきたことだが、この際なぜ公務を代行する摂政を置かないのか。それなら、現制度下で可能なのである。即ち、皇室典範の第十三条第二項「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」。高齢で、と言うことが「身体の重患又は重大な事故」に当たるかどうかは議論の余地はあるかも知れないが、前例として、父君である昭和帝が、大正10年から摂政を務められていたことは、もちろんご存知だろう。因みに、この時適応された旧皇室典範では「天皇久キニ亙ルノ故障ニ由リ大政ヲ親ラスルコト能ハサルトキハ皇族会議及枢密顧問ノ議ヲ経テ摂政ヲ置ク」。
 字句からして、戦後の皇室典範は、なるべく摂政を置きたくないのだな、とはなんとなくわかるが、それより問題なのは、「(前略)この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」との御言葉にあるように、天皇としてやるべきことをやらないまま、名前だけそうであるような存在は無意味だ、と今上陛下はお考えであることだろう。大日本國憲法の時代の帝王ならならともかく、象徴としては。
 では、天皇のやるべきことのうち、中心はなんだろうか。現憲法第五~七条の「国事行為」ではない、とお考えなのだろう。それなら代理が務めても、さしたる大事ではない。前述の、「象徴的行為」が、明らかにより重大なのだ。単純に言って、被災地で慰問されるにしても、天皇自身とその代理とでは、有難味がまるで違うだろうから。
 さらに、御言葉には、次のようにもある。これは「象徴的行為」のある文の、前の部分である・

 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 「人々の傍らに立ち」「思いに寄り添う」ことができないままに、宮中の深いところで国民の安寧や幸せを祈っても、それは「空虚な祈り」でしかない、とまで思われているかどうかは定かではない。ただ、そうなれば、本当に祈っているかどうか、一般人には知りようがなく、それでは国民の支持は得られないから、「象徴天皇」は存続し難くなるのではないか、とお考えのようである。
 それを「さかしら」と言われたのでは、怒るのも無理はない。そこは理解した上で、私はなお、この点では平川・渡部氏らに賛同する者である。天皇主義者からは、不敬だ、と言われるかも知れないが。

 つまり、私は天皇主義者ではない。私が天皇制を支持するのは、これまで『軟弱者の戦争論』や本シリーズ「その1」で書いてきたように、第一に、権力の中心と権威の中心を分けるのは、独裁制・全体主義国家を遠ざけるためによい方策だと考えるからだ。これは平川氏も言っているが、最も恐ろしい独裁者は、ヒトラーや毛沢東がそうであったような、権威(社会一般で尊重されるべきとされる価値)と権力(実際に人々を動かせる力)とを一身に備えた者であろう。
 だから、時々リベラル派が、「天皇を尊重すると言う人が、天皇の考えや気持ちを軽んじるのはおかしい」などと言うのは、理解が足りないと思う。ここは他人の代弁をするわけにもいかないので、自分一個の考えとして述べると、私は、神話時代を含めると二千年以上、血統が明確な継体天皇からでも千五百年存続してきたという意味で、日本という国の歴史的連続性を象徴する天皇家を尊重するのであって、昭和帝や今上天皇などの個々人を崇拝するのではない。むしろ、個人崇拝には陥りたくないから、立憲君主制を支持するのである
 つまり、実際の政治は国会で成立したり改廃される法律に基づき、行政府が行う。後者のトップが内閣総理大臣で、それなりの権力があるのは当然である。しかし、しょせんは公務員のトップなのだから、ヘマをしたら替えればいい。国民全体の代表でもある大統領より、それはやり易いのではないか。「国民統合の象徴」は別にあるのだから。
 ただ、象徴を、国旗のような物質的なものではなく、生きた人間にやらせるのは、親しみやすいという長所もあるが、その反面の弱点もある。人間なら、どうしても何か言ったりやったりはするので、それを無視するわけにはいかない、という。
 今回のことは、もはや決まった通りにやるしかないだろう。しかし、ここで一度退位が行われた以上、将来先例とならないわけにはいかないのだから、皇室典範を改正して、退位できる場合の条件を恒久的に定めておくべきだと思う。それが今上陛下のご希望でもあったのだから。
 これについては民進党が、法案提出にまではいたらなかったが、昨年12月「皇位継承等に関する論点整理」を出して、皇室典範の第四条に、「天皇は、皇嗣が成年に達しているときは、その意思に基づき、皇室会議の議により退位することができる」との規定を新設すべきである、としている。①次代の皇位継承者に不安がないこと(皇嗣が成年に達しているとき)と、②時の政権の都合で天皇が替えられたりしないこと(その意志に基づき、以下)を、恒久的な条件としようとするところは、賛成できる。ただ、特に②に関しては、これで本当に権力者の恣意による天皇交代が行われ、皇室の権威が損なわれることがないか、不安が残る。
 いずれにしろ、急ぐことはない。現状で、現制度で、三代先までの皇位継承者は決まっているのだから、ゆっくり時間をかけて、できるだけ妥当な法案を作っていただきたい。一国民として、切に希望する。
コメント (2)
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