由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

立憲君主の座について その17(祀られると共に祀る神)

2021年02月28日 | 近現代史
大日本名将鑑神功皇后武内宿弥 月岡芳年画 明治10年頃

メインテキスト:和辻哲郎『日本倫理思想史 上巻』(岩波書店昭和27年、28年第3刷)

 このシリーズもだいぶ間が開いてしまったので、天皇の特質について改めて考えます。
 天皇とは神を祀ることを主な役割とする祭祀王(priest king)である。これが(ある意味で)国家の中枢というのも現代では珍しいが、そもそもどうして神聖不可侵な存在と感じられるのか、よくわからないところがある。
 例えば福田恆存は昭和32年にこう書いている。

 私自身はもちろん「天皇制」には反対です。が、その理由は、天皇のために人民が戦場で死んだからといふことではありません。私と同じ人間を絶対なるものとして認めることができないからです。だからといつて、天皇を絶対視する「愚衆」を、私は単純に軽蔑しきれません。少なくとも、絶対主義を否定し、相対の世界だけで事足れりとしてゐる唯物的な知識階級よりは、たとへ相対の世界にでも絶対的なものを求めようとしてゐる「愚衆」のはうが信頼できます。(「西欧精神について」、『福田恆存全集 四巻』P.221)

 福田にとって、天皇とは絶対者の代用なのだった。ただ、「非合理なものは認めない」なんぞというインテリの浅薄な現世主義(福田の言葉からは相対主義とか唯物論とかに近いようだが、私にはそんな立派なもんじゃないと思える)よりは、どんな形であれ、日常生活の次元を越えたものを求め、それに仮にもせよ形を与えずにはいられない一般民衆の方が信頼に値する、と。
 こういう福田の「絶対者」観は当ブログで既に述べたが、簡単におさらいすると、「個人」が立ち上がるためにこそそれを超えた存在が必要とされるのである。だから、ある絶対の者に完全に帰依する、ということを求めるのではない。どちらかと言うとむしろ反逆者のほうがいい。「神への反逆者」は、強烈な自意識を内に抱かざるを得ないだろうから。
 そこまではいかずとも、「完全なもの」に比べて一個の人間とはいかに不完全か、それを思い知ることが「個人」の、明確な「個人意識」が生じる第一歩なのである。不完全であるところは誰もが同じでも、なぜ、そしてどのように不完全であるのかは、各人によって違うからだ。そしてまた、国家を初めとする組織や共同体もまた、もちろん物理的には個人よりはるかに強力だが、価値からしたらいずれも相対的でしかないので、従わなくても良心の問題にはならない。
 言い換えると、国家・社会・家庭などの共同体に埋没しない個人が見出される契機が絶対者なのであり、それは文字通り不変不動、永遠に何も足せず、何も引けないものでなくてはならない。また、人間の目に触れるようなものであってはならない。天皇は、人間の姿をしていて、代替わりという目に見える変化もする。政治的にも、時代によって、権力があったりなかったり、近代だと帝王になったり象徴になったり。さまざまな形態をとり、しかも、どうも、それがそんなに大きい問題だとは、一般に思われていないようだ。そういうところこそ日本人の特質と言えそうだが、福田が求めるような絶対者とはまるで違う。
 これ以上は、主にこちらこちらをご参照ください。

 もちろん、絶対者の観念がちゃんとしていないから、日本人はダメだ、なんぞという話ではない。だいたい、そうだとしても、例えば今後日本人全員がキリスト教信者になる、なんて、あるわけがない。つまり、どうにもならないのだから、言っても仕方ないのだ。
 見方を変えて、天皇とは摩訶不思議な存在であり、2,000年以上にわたってそのような存在を戴いて国家を運営してきた日本人もまた、不思議な民族である、ならば、その不思議の中枢部はどうなっているか、神代史から深く考究した文章に基づいて、いつものように勝手な考えを述べよう。

 和辻哲郎は、天皇の独特の神聖性を示す例として、記紀にある神功皇后のエピソードを取り上げている。
 皇后は、熊襲征伐のため、夫である第十四代仲哀天皇とともに九州に赴いた時、神懸かりする。それをきちんと聴くための儀式は、天皇が琴を弾き、重臣・武内宿禰が審神者(さには。神の言葉を解釈する者)となって行われた。神託は、「西方にたくさんの宝物がある國がある。それを与えよう」というもので、天皇はそれを信じず、琴を弾くことやめた。するとやがて死んでしまった。そこで皆大いに恐れかしこみ、大がかりな祓い清めを実行した後、皇后が神主となって再び神の御言葉をうかがうと、やはり海の向こうの国に赴け、と、また「この国は皇后のお腹の中にいる子(應神天皇)が治めるべきだ」ともご託宣があった。そこでその神の御名を尋ねると、「天照大神の御心であり、また住吉三神である」とのお答えであった。そして、かの国を求めるなら、我が御霊を御船の上に祭り、のみならず天神地紙、山神及び河海の諸神に幣帛を奉れ、云々とも命じられた。
 和辻が注目するのは、ここで、神降ろしの儀式はちゃんと形式が整っているのに、降りてくる神のほうが曖昧に描かれている点だ。問われない限り名も告げない。だから仲哀天皇も信じない。それで神罰で命を落とすのだから気の毒だ。【そう言えばこの帝の父である日本武尊も、伊吹山の神の化身(「古事記」では猪、「日本書紀」では大蛇)を単なる使いだとみなして軽んじ、ために怒りを買って失神し、このとき得た病によって命を落とすのである。】
 因みに、上の叙述は「古事記」に基づくが、「日本書紀」では、この神はまず撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメノミコト)、というのは天照大神の荒魂(暗黒面?)らしいが、そう名乗り、審神者(このときはイカツノオミ)に「まだこの他に神は有りや」と問われて二柱の神の名が挙り、「また有りや」→「有るとも無しとも知らず」→「今は答へず、後に言はれることありや」→住吉三神の名が挙る→「また有りや」→「有るとも無しとも知らず」、という具合に進行する。神が複数いて、しかもその御名が顕れるまでに、ずいぶん手数がかかる。訝しいので、印象的である。

 一般に、宗教心は、まず台風や雷、地震など大きな厄災をひきおこす自然力への畏怖が、その背後にある大いなる力を想像させ、また変転極まりない人間の運命を思うとき、それを司る力の存在を考えるところから生じるものだろう。このとき既に、かなり明確な人間の自己意識あり、一方で超自然力が「神」として擬人化される契機があるはずだ。
 次の段階では、この「神」に関わるための儀式が整備され、これに応じて、あるいはこれと共に、その他の日常生活上の倫理も整えられていく。儀式を司る者が倫理を教導する者でもあり、これを中心として、神についても人のありかたについても多くのことが語られる。
 一定の語りが広い範囲に浸透し共有されると、それが民族の内実を形成する。ユダヤ教やヒンズー教(インド教)がそうである。やがてその中からナザレのイエスとかゴータマ・シッダールタというような優れた人が出て、説得力豊かで論理的にも整った言葉を語ると、抽象性も高まるから、民族・国家をも超えた世界宗教になっていく。
 この最終段階にまで至る例は稀だが、どの段階でどのように留まったかは、外部から見たその宗教の特徴となる。日本の場合、前述のように、神と交流するための方法はあっても、その神の言葉≒神を語る言葉は、さほど詳細にならないところがそれである。

究極者は一切の有るところの神々の根源でありつゝ、それ自身いかなる神でもない。云ひかへれば神々の根源は決して有るものにはならないところのもの、即ち神聖なる「無」である。それは根源的な一者を対象的に把捉しなかつたといふことを意味する。それは宗教的な発展段階としては未だ原始的であることを免れないが、しかし絶対者に対する態度としてはまことに正しいのである。絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することに他ならない。それに反して絶対者をあくまでも無限定に留めたところに、原始人の素直な、私のない、天真の大きさがある。(P.76-77、下線部は原文傍点、以下同じ)

 日本に限らず東洋について語る文脈で、「無」とか「空」とか言われると、なんだかいかがわしくなるような気が、私にはする。和辻哲郎のような碩学の文でも、例外ではない。ただ、要は、神は「有るとも無しとも知らず」、それについて直接語ろうとするのは抑制的であるべきだ、ということであろう。人間の身の丈をはるかに超えたはずの者を、対象化して、人間の言葉であれこれ語る、というのは、人間の認識の中に入れて、限定する、ということだからだ。
 無限のものを限定する、とは、端的に矛盾ではないだろうか。これは私も、(すすんだ?)宗教に接する度に、なんとなく感じてきた疑問である。因みに、それだからだろうか、福田恆存も、絶対者という観念の重要性は説いたが、その絶対者の内実は何か、については決して語ろうとしなかった。

 さて、そういうわけで、超自然的な神々は、存在が疑われはしないものの、正体が明らかになることはなかった。そもそも、「正体」なんぞないのかも知れない。人は、そういうものには畏怖は感じても、敬愛はしない。愛されもするのは、この神を祀ることで人の世に恵みをもたらそうと能動的に活動する者である。

神代史において最も活躍してゐる人格的な神々は、後に一定の神社において祀られる神であるに拘はらず、不定の神に対する媒介者、即ち神命の通路、としての性格を持つてゐる。それらは祀られると共にまた自ら祀る神なのである。(P.66)

 人智・人力をはるかに超えた存在に対して人間にできることは、怒らせないように(神罰がくだらないように)、正しい態度とやり方で臨むことぐらい。その正しい態度・やり方を祭儀として示し、執行する者こそ、普通人から見て最も有り難い。「祭り事の統一者としての天皇が、超人間的超自然的な能力を全然持たないにかゝはらず、現神として理解せられてゐた所以」である。そしてまた、その祭儀が正当で正統なものと認められたところに、日本の国家と民族の内実が自覚されたとしてよいのであろう。「天皇の権威は、日本の民族的統一が祭祀的団体といふ形で成立したときに既に承認せられてゐるのであつて、政治的統一の形成よりも遙かに古いのである」(以上P.84)

 改めて考えると、現存する西洋世界の祭祀王であるローマ法王と比べても、天皇はずっと人間的である。共通するのは、超越的なものへの通路、ということぐらい。天皇は、ローマ法王がそうあるような、「神の代理人」とも言えない。何しろ代理すべき主が不定にして不明なのだから。
 また、天皇は神の声を直接伝えるシャーマンでもない。身近な女性がシャーマンになった例が記紀には二つあり、一人は上記神功皇后、もう一人は第十代崇神天皇の叔母である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)で、災害が多く国が治まらないわけを八百万の神々に尋ねた時、「自分をちゃんと敬い祀れ」とのご託宣を伝える。ここでも、天皇に「そのように教えて下さるのはなんという神様ですか」と問われてから、「大物主神(大国主神の別名ともいわれる)である」と名乗る。
 もっとも、このときは、言われるままにしたのに霊験がなかったので、天皇が改めて祈り、夢で祭祀の詳細を聞いて、やっと無事に解決を得たことになっている。神は、一時でも人間の肉体に宿るより、人の祈りに応じて夢かうつつか定かならぬうちに意向を伝えるほうが、日本では正統的なのである。
 このように、祈るのが主な仕事である天皇が、天照大神の血統を継ぐものだというのは、後から付け加えられた話ではないだろうか。これは、和辻は書いていない、私一個の想像である。それというのも、これも神功皇后の逸話にある通り、先祖であるはずの大神に祟られて死んでしまうことさえあるのだから。
 逆に考えると、そのような頼りない存在だからこそ、神聖性を付与するために血統神話が必要とされたのかも知れない。ローマ法王は、独身でなくてはならないのだから、このような権威付けは使えず、みんな元はタダの人でも、何しろ後ろ盾が唯一絶対神という最強者なんで、誰も文句は言えないのだろう。

 そして、こちらは和辻も書いているが、天皇のような存在がもたらす最大の徳目は、「清く赤き心」とか「清明心」とか呼ばれる、素直でまっすぐな心であろう。実際、神に相対するときには、そうでなければならぬはずである。ただし、神が必ずそれに応えてくれるかどうかはわからない。だいたい、そんなことを期待して祈るとしたら、取引のようになり、汚れた心だとみなされるのではないだろうか。
 では結局、天皇の祈りはなんにもならぬのか? そう言ったもんでもない。例えば、最近ではほとんどなくなってしまったろうが、日本には「お百度参り」という宗教行為がある。同じ寺社に百日間欠かさずお参りする、というもので、それによって心願が適うとは限らないのだが、神ではなく人間のほうとしては、その願い祈る心の強さにうたれずにはいられない。
 そんなふうに、毎日くにたみの安寧を願っておられる者が、この日本にはずっとおわします、と思うと、いささか心が洗われるような気がする。そういう存在として、天皇は尊貴なのであり、また、そのような存在をずっと保ってきたところに、我々日本人の、かけがえのない美質がある、と考えられる。
 しかし、こういう存在を俗世の「中心」ともするのは、やむを得ぬこととはいえ、問題が多いのは当然である。次回からまた、それを見ていこう。
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