由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

立憲君主の座について その7(敗北を受け入れるまで)

2015年08月28日 | 近現代史
メインテキスツ:日米関係資料集1945-1960(東京大学東洋文化研究所田中明彦研究室作成データベース「世界と日本」中のウエッブページ)



 原田眞人監督「日本のいちばん長い日」(以下、「原田版」)を見た。昭和42年の岡本喜八監督による同名映画(以下、「岡本版」)のリメイクかと思ったら、そうとは言えない。岡本版の原作は昭和40年に大宅壮一編『日本のいちばん長い日――運命の八月十五日』として文藝春秋社から出版された(後に角川文庫に収録)ものである。これは本来、当時『文藝春秋』誌の編集部次長であった半藤一利の筆に成ったものであって、平成7年半藤の著作として同じ版元から同じ書名、ただし「決定版」として、改めて刊行された(後に文春文庫)。原田版はこれを原作としている。
 岡本版は昔、8月15日前後に毎年のようにTVでも流された(近年では高畑勲監督「火垂るの墓」がその地位に取って代わったようだ)から、それを含めれば五回は見ていると思う。鈴木貫太郎といえば、笠智衆演じる岡本版のイメージが私にはこびりついている。原田版の山崎勉は、より老獪さを出しており、これはこれで悪くないのだが、あのとき日本をポツダム宣言受諾=終戦に導いた人物としては、少なくとも見かけ上、愛読書であったという「老子」の「無為天然」を地で行くふうこそ相応しいような。
 もっともこの感覚自体、映画などからもたらされた「終戦の日」のイメージがしからしめるのかも知れない。
 このイメージの中心にいるのは、宰相鈴木ではなく、「身はいかならむとも」国民を救いたい、と言っていくさを止めた聖王の御姿であろう。長谷川三千子『神やぶれたまはず』は、この神話を描破した名著である。
 「神話」というのは、我々戦後日本人の精神の根底に横たわるイメージ、ぐらいの意味で使ったのだが、「歴史的事実」として見ても、大枠ではこれでまちがいないのであろう。しかし、『神やぶれたまはず』に対する長々しい書評もどき(「その1」~「その3」「その4」に分けて美津島明のブログ『直言の宴』に掲載)でも言ったように、それで能事足れり、とするにしては我々は余計なものを抱え過ぎている。無視したままでは、今後日本の躓きの石になるかも知れないような。
 今回の記事は歴史叙述でも映画評でもない。日本人は二度の御聖断によって大東亜戦争の敗北を受け入れ、それまでの近代史を巨大な悲劇としてしめくくった。この期において、現代の我々から見て意味不明の謎、あるいは、解決、はできなくても、気にかけるべき課題、として残されたようなものには何があるか。当然あくまで私の眼に映じた範囲でしかないが、それをいくつか拾い上げようとする作業の一部である。
 長らく手をつけかねていたのだが、二つの映画がきっかけを与えてくれた。感謝申し上げる。

 岡本版はポツダム宣言(以下、『宣言』)がもたらされた7月27日から始まり、これをプロローグとして、8月14日の御前会議で、ほぼ正午に語られたという天皇の「御錠」の前にタイトルが入って、翌15日正午に玉音放送が流れるまでの文字通り24時間、日本政府と陸軍内部で何があったかを描いている。
 原田版はもっと遡って、4月5日、小磯内閣の後継首班として鈴木貫太郎が指名された時から始めている。鈴木は固辞したが、天皇から「政治に経験がなくてもよい。耳が聞えなくてもよいから、ぜひやってくれるよう」と言われ、やむなく承知する。
 ここは半藤著ではなく、角田房子『一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾』(新潮社昭和55年。後にちくま文庫)に依っているのだが、原田はこのとき天皇に、「お前と阿南(天皇はなぜか『アナン』と呼んだ)がいた頃は楽しかった」と言わせている。
鈴木は昭和4年から11年まで侍従長を務め、阿南惟幾は昭和4年から4年間侍従武官としてお側近く仕えている。しかしこのお言葉は角田著にもどこにもなくて、脚本も手掛けた原田の創作である。その意図は、昭和天皇、鈴木貫太郎、阿南惟幾の三者を軸にこの映画作品は作られる、と最初の段階で明らかにするところにある。
 実際、原田版は、キャスティング表からしても阿南が主役であり、より群集劇に近い作りの岡本版(脚本は橋本忍)とはこの点が一番異なる。にしても、三船敏郎演じる阿南には圧倒的な迫力があることは確かだが。
 さて、原田版の、角田著に基づく場面はもう少し続く。鈴木は阿南に陸軍大臣就任を依頼すべく、陸軍省に赴く。陸軍の三幹部、杉山元前陸相、梅津美治郎参謀総長、土肥原賢二教育総監は、次の三条件を付して阿南入閣を承諾する。①あくまで戦争を完遂すること。②陸海軍を一体化すること。③本土決戦必勝のため、陸軍の企図する諸政策を具体的に躊躇なく実行すること。
 まとめると、戦争をやめない以上必然となる本土決戦には、完全に陸軍中心でいってもらう、ということである。鈴木はこれをあっさり了承する。終戦4か月前にして、日本はそれが当然と考えられるような状態だった。原田版はごく簡明にこれを示し得ている。
 その後で、岡本版の冒頭に追いつき、『宣言』になる。今回はこれを中心にして述べる。

 昭和天皇が鈴木内閣に期待したのは和平交渉であったろう。しかし、何をする暇もなく、世界の政局・戦局のほうが激しく動いた。
 まず、組閣の5日後の4月12月に米大統領F・ルーズベルトが亡くなった。鈴木は友好国の国家元首向けと見紛うばかりの丁重な弔電を贈っている。同月25日、敗戦後のイタリア北部で抵抗を続けていたムッソリーニのイタリア社会共和国が瓦解、28日にはパルチザンに捉えられたムッソリ-ニは即日処刑される。30日、ヒトラーが自決、後を受けたカール・デーリッツ大統領は5月7日に降伏。細かい事務手続き上のことを除けば、ヨーロッパ戦線での第二次世界大戦はこのとき終了したのである。
 ことここに至ってもまだ、日本が簡単に降伏するとは連合国軍ではほとんど誰も思っていなかった。ドイツでもそうであったように、日本本土での戦闘が必要だろう、と。日本もそのつもりでいたことは前述の通り。
 しかし、硫黄島や沖縄での日本軍の頑強な抵抗は、連合国にとってのこの見通しを暗いものにした。日本国内にまだ陸軍だけで二百三十万余の兵力がある他、支那大陸に百万人超。これらをすべて撃破して勝利を得るまでには、アメリカ軍の損耗は兵士百万人にも及ぶだろうと見積もられた。
 なるべくならその前に降伏させたほうがよい、という思惑は、米政府上層部で、6月頃から浮上した。ただし、無条件降伏でなければ、日本への敵愾心に燃えた連合国国民を納得させることはできない。そのために有効な手段は二つ。原爆投下と、日本と不可侵条約を結んでいたソ連の対日戦争開始。このどちらか、あるいは両方が必要であろうと予想された。
【少し後になると、米新大統領トルーマンは、日本占領政策、ひいてはアジア戦略に対するソ連の影響力が高まることへの警戒心から、ソ連参戦を喜ばなくなる。第二次世界大戦後のいわゆる冷戦構造の、アジア版はこれを端緒とする。】
 7月2日、米陸軍長官ヘンリー・L・スティムソンは、ポツダムへの出発間際のトルーマンに、自らが起草して各方面の検討・訂正を経た「対日警告草案」を手渡した。その第十二条は、藤田宏郎「ヘンリー・L・スチムソンとポツダム宣言」によると、

 われわれの諸目的が達成され、かつ日本国民を代表する性格をもつ、明らかに平和的志向と責任ある政府が樹立された時には、連合国の占領軍は直ちに撤収されるものとする。このような政府が再び侵略の野望いだくものではないことを世界の諸国民に完全に納得させることができたならば、前記は、現皇統のもとにおける立憲君主制を含みうるものとする。

 この文書は『宣言』の原型になったものだが、実際の『宣言』からは、後段の、天皇制に関する部分は削除されている。スティムソンや国務次官ジョゼフ・グルーは、これがあれば日本人は降伏勧告を受け入れやすくなる、と主張したのだが、この時点では米国民の六割以上が天皇を戦争犯罪人として処罰することを望んでいた。その時期に、日本に多少なりとも譲歩したと見えるような措置をとることは避けたい、とする新国務長官(7月3日就任)ジェームズ・F・バーンズなどの意見が最終的に通った結果である、と藤田は述べている。
 これに対する日本の対応。公式な外交文書ではなく、ラジオと新聞を通じて「日本国民」に呼びかけた『宣言』なのだから、秘密にしておくわけにはいかず、政府として態度を明らかにする必要があった。28日鈴木首相は記者団に次のように声明した。

「あの共同声明はカイロ会議の焼き直しであると考えている。政府としてはなんら重大な価値があるとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは戦争完遂に邁進するのみである」(半藤著より引用)

 この「黙殺」はしばしば話題になる。外務省としては、「静観」あるいは「黙過」ぐらいにすることを望んでいた。それにまた、この語はignoreあるいはrejectと訳されたのだが、これはむしろ誤訳であって、「黙殺」はそれらの英語よりずっと軽いニュアンスである、という人もいる。そうですか?
 いずれにもにせよ、これは大した問題ではない。『宣言』は日本に降伏を促している。それに対して戦争を遂行する、と言っているのだから、明らかな拒否という以外にない。
 それより、スティムソンの原案にあった天皇に関する言及が残っていたら、日本側の対応は違っていたかも知れない、という可能性のほうが大きいであろう。その後の展開を見れば、自然にそう考えられる。
 ただしそれでも、この時点で日本がすんなり降伏を受けいれたとは考えづらい。本音の部分では日本の勝利の見込みはないと政府も軍の中枢の大多数も思っていたろうが、ソ連の仲介によってできるだけ有利な条件で和平を結ぶ、という一縷の望みは抱いていた。と、言うより、それ以外に局面打開の途はなかった。
 そのソ連は、『宣言』に署名せず、日ソ不可侵条約はまだ残っていた(ソ連は4月には廃棄を通告していたが、それは延長しないということで、条約自体は後1年は有効であるはずだった)のに、2月のヤルタ会談でヨーロッパ戦線終了後の対日開戦を密約していた。また、原爆投下も米政府内で決定済みのことだった。この時点で、日本の希望の芽はことごとく摘まれていたのである。
 8月6日、広島に原爆が投下され、9日にソ連が宣戦布告するに及び、日本は史上初の敗戦に向けた、「いちばん長い一週間」を迎えた。争論の主題は「国体」。それは本当は何なのか、日本人がこのときほど真剣に考えたことはなかった。
 首相は最高戦争指導会議(構成員は首相、外相、陸相、海相、参謀総長、軍令部総長の六名)、次いで閣議を招集。前者の冒頭で彼は、「これ以上の戦争遂行は不可能であると思う」と述べた。思っていても公には口に出せない「空気」がここで破られたのである。
 そうなってみると、軍部代表もまた、現実に勝利の目算は立たないことはあっさり認めた。それでも、必ず負けると決まったわけではない、「死中に活を求める」ことはできるかも知れない、などとは言ったが、具体的な戦略などは全く提示できない。結果徹底抗戦論は棚上げされ、議論の焦点は『宣言』受諾=降伏するにしても、どのような条件を付するか、になった。
 それは、①国体護持②自主的戦犯処罰③自発的武装解除④可及的小範囲短期間進駐、の四つが考えられた。東郷茂徳外相や米内光正海相は、これを全部提出すれば米国に「黙殺」されて終戦の機会を失うとして、①だけを提示することを唱え、阿南陸相、梅津美治郎参謀総長、豊田副武軍令部総長は四条件に固執して譲らなかった。
 『宣言』は無条件のものか、条件付きなのかは、現在まで議論があるが、その第五項に「吾等ノ条件ハ左ノ如シ。吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス」とあって、代替案はなし(There are no alternatives)とは言うものの、こちらから新たな条件を付与することまでだめだとは言っていないし、「遅延ヲ認ムルヲ得ス」(We shall brook no delay.)と言っても日限を切っているわけでもない。交渉の余地がないわけではない、と思われたのも無理はない。
 実際、上の四箇条には、『宣言』の文言とは正面から衝突しないように気を使った気配はある。『宣言』第十三項「吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ」(この「無条件降伏」はunconditional surrenderであって、第五項の「条件」termとは区別されている)には、誰が日本軍の武装解除をするかまでは書かれていない。同じく第六項「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者」でも第十項「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人」でも、誰が誰をそのような戦争責任者及び犯罪者と認め、誰が処罰するのか、文章上の主語はない。
 一番の問題は第七項「聯合国ノ指定スヘキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルヘシ」であろう。東京を占領地から外させろという主張もあって、それでは明らかに「聯合国ノ指定スヘキ」points in Japanese territory to be designated by the Alliesに背馳する。具体的な場所は言及せず、占領はできるだけ小範囲に短時間のうちにやってくれ、というだけの希望ないし要求なら、「条件」termを変えろ、とまではしていない、と言うことはできる。
 と、書いているうち私自身にも改めて得心されたのだが、上の言い草は三百代言、というか、「ヴェニスの商人」の人肉裁判におけるポーシャ判決のようなものであろう。アメリカを怒らせることはあっても、交渉の余地が生じるなんてことは到底期待できない。
 すると阿南以下は、無理な要求によって『宣言』に基づく停戦交渉をぶちこわし、戦争継続に持ち込むことを狙っていたのだろうか。そうかも知れない。最高戦争指導会議後の閣議の最中に長崎に第二の原爆が落とされたが、阿南は、捕虜の米兵から聞いたという、「原子原爆はなお【アメリカに】百発あり一か月に三発できる」なんぞというデマを披露し、それでも「大したことなし」と気を吐いている。【このあたりは主として鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943-1945』(東京大学出版会平成23年)に依った。】
 あるいはまた、戦争継続まではともかく、軍人の最低のメンツは守らねばならぬ、というのが彼らの根本の動機だったろうか。四条件のうちの②と③からすれば、そうも見える。「軍人達は自己に最も関係ある、戦争犯罪人処罰と武装解除に付て、反対したのは、拙い事であつた」と天皇も『昭和天皇独白録』(文藝春秋平成3年。後に文春文庫)で言っている。
 さらに別の見方もできる。6月22日の最高戦争指導会議で、天皇は、「これは命令ではなく懇談」としながらも、早期終戦の希望を明らかにしていた。この時点では天皇以外でも、何人かの過激な軍将校を除けば、誰も、戦争継続など望んでいないことは、阿南たちにもわかりきっていたはずである。それでも軍代表として、徹底抗戦路線を捨て切ってはいない姿勢を保つ。そうすることで、健軍以来不敗の神話を誇りとする軍人たちを宥めつつ、終戦へと日本をソフトランディングさせることを期したのではないか。
 角田著によって一般に知られるようになり、原田版の映画にも取り入れられた阿南の「腹芸説」である。これについても、そうかも知れない、としか言えない。

 閣議は延々7時間に及んでもなお決着がつかず、夜中の11時をまわっていたが、首相は改めて最高戦争指導会議を開くことを提起した。出席者は正規の六人に平沼騏一郎枢密院議長を加え、他に発言権のない幹事として迫水久常書記官長(これは通例)と、陸海両軍務局長、綜合計画局長官の計四名が陪席した。
 平沼を入れたのは、条約締結(『宣言』受諾はそれとほぼ同等)には枢密院の諮詢を経なければならないことになっていたので、一応その長の了承を得る形にするためであった、と昭和46年の迫水の回想(『別冊正論24』に「終戦御前会議 二度も示された国民護持の聖慮」のタイトルで収録されている)にある。また、両軍務局長は、軍を蔑にしたのではないという、これまた形をつけるため、通例より多い軍関係者を出席させたのだろう、とこちらは長谷川毅『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(中央公論新社平成18年、後に中公文庫)で推測されている。
 そのうえで、軍部には事前になんの予告もない不意打ちで、天皇の臨席と発言を仰ぐ。すべて鈴木、東郷、迫水等の周到な計画によるものであった。
 よく知られているように、この席上、天皇の「御聖断」によって、国体護持のみを条件とした『宣言』受諾が決定した。
 しかしこの受諾を先方にどう伝えるかがまた問題であった。東郷外相は外務官僚に命じて会議以前にもう原案を用意させており、そこに「右宣言は天皇の国法上の地位を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に受諾す」とあったものを、平沼が強硬に主張して、「天皇の国法上の地位」を「天皇の国家統治の大権」に変えさせた。
 天皇の地位は神聖なものであって、法律の規定に依るものではない、という国体観のしからしむるものであった。平沼は法律家であって、軍隊の処遇などには無関心であり、その点では東郷たちの側に立ったのだが、このこだわりは譲れなかったのである。
 最終的な「天皇の……了解の下に」部分の英訳with the understanding that the said Declaration does not comprise any demand which prejudices the prerogatives of His Majesty as a sovereign ruler.
 「変更する」にprejudiceを当てているのにはちょっと感動する。辞書によると、この語を動詞で使うと、「偏見あるいは悪意をもって何かを変える」の意味になる。公平に、好意的に、天皇の大権(prerogative)を見てほしい、という願いが込められているのだろう。この時期の外務省も、天皇制が守られないなら戦いをやめることはできない、と本気で思っていた証拠である。

 アメリカからの回答は、12日になったばかりの深夜0時過ぎ、まず短波ラジオでもたらされた。これは通例「バーンズ回答」と呼ばれる(正式名称は「米英ソ中各政府の名における8月11日付アメリカ政府の日本国政府に対する回答」)。その夜のうちに文書化されたものを読んで、最初東郷も迫水も落胆した。そこには天皇の身の安全や天皇制の保持については、ほとんど何も書かれていなかったからである。
 僅かに末尾に近くに「日本国ノ最終的ノ政治形態ハ「ポツダム」宣言ニ遵ヒ日本国国民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」とあって、これは文字通り『宣言』の第十二項「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府」を繰り返したに過ぎない。それ以上の約束は拒否している、とも受け取れる。
 しかし、やがて彼らは気を取り直した。「ものは言いよう」を逆に使って、アメリカの「言いよう」から、直接はいわれていない「もの」があることにすればよい。つまりこうだ。アメリカは、天皇の身体と天皇制を保全するとは言っていないが、拘束したり廃絶したりするとも言っていない。国民が天皇制存続の意志を「自由に表明」したなら、それで文句はないはずである、と。
 また、と、以下は各種文書にはない、私の頭の中から出てきた付け加え。最初の「降伏ノ時ヨリ天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」にしても、降伏して占領される以上統治権が占領者によって制限されるのは当たり前の話である。そしてこの場合制限する側の「連合国最高司令官」には関係代名詞がついていて、「降伏条項を実施するために必要と認められる措置をとる」のが仕事であって、やがてその仕事が終われば、『宣言』第十二項によって引き上げることまで明記されている。そうなれば「制限」も自然に取れ、日本の政体(=国体、か?)は元に戻る、とまでアメリカは約束している、と考えられる。
 さらにまた、中間の降伏の仕方に関する文章は、英語でも日本語でもひどく入り組んでいてわかりづらいのだが、要約すると天皇に要求されることは次の三つらしい。①降伏文書調印の権限を政府と大本営に与えて保全すること。②内外日本軍当局に降伏を命じること。③連合軍最高司令官が降伏条項を達成するために適当とする命令(orders)を出すよう軍当局に命令(commands)すること。これからすると、戦争に関する天皇の権限は間接的であることをアメリカは理解していたようだ。ならば、天皇の戦争責任を問う可能性はその分低くなりそうにも思える。
 以上は私の妄言に過ぎないかも知れない。が、実際に出てきた反発は、これに劣るとも勝らないものだった。
 最初の部分にあるsubject toを、外務省は上記の通り「制限ノ下ニ置カルル」と訳したのだが、辞書を引けばこの言葉には「隷属する」という訳語もある。神聖な天皇が外国に隷属するとは何事か、と陸軍が騒いだのである。自分たちが東南アジアなどの占領地でやったことを、今度は日本がやられるだけ、などと言うだけで不敬として殺されそうなのだから、仕方のない話ではある。
 一方、前出迫水の回想によると、13日の閣議では平沼が次のように主張した。

「日本の天皇の御(おん)位置は、神(かん)ながらの御位置であって、日本国民の意思以前の問題である。然(しか)るに先方の回答は、そのことを理解しないで、日本国民の意思によって天皇制の護持をするかどうかということを決めようとしておるが、それは明らかに日本国体の本義と若干違うんじゃないか。この際、もう一遍アメリカに対して日本の国体の本義のことをよく説明して、納得のいく説明を取らなければ自分は同意できない」

 そうであるならば、第十二項で「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府」を要求している『宣言』自体も断然受け入れ難いことになる。この条件が満たされるならば「現皇統のもとにおける立憲君主制」も認め得るとしたスティムソン草稿中の言葉が残っていたとしても、まだダメだろう。
 それ以前に、こういうことをアメリカ人に理解しろと言うのが無理である。国民の意志からも憲法からも超越している君主は、立憲君主ではない。平沼の国体観は、ヨーロッパに類例を求めるならば、王権神授説に近いだろうが、欧米ではそれは、とっくに捨てられた迷信に過ぎない。
 何も近代的な制度が絶対に正しい、と言うのではない。アメリカ型民主主義にも疑問の余地は多々ある。しかし、そこまで考えるなら、明治期に、「帝国」という、かなり古臭くはなっていたが依然として近代西洋にもあった国のかたちを採ったことに、そもそも問題があったのではないかと、疑問を持つべきであろう。さらに遡れば、「主権国家」の概念そのものが、日本人には馴染みづらかったのかも知れない。しかし、それでいてそういう「国」が、近代的な交戦権に基づく(のでしょう?)戦争を起こした。
 それなら、負ける時には、今までの敗戦国と同じように負けるしかない。そんなことはできない、となると……。上の陸軍や平沼の主張は、それは日本の国体に悖る、そんなふうに負けるぐらいなら滅びるべきだ、と言っていることになる。いや、実際にこれに近いことを言った人もいたようだ。
 これはやっぱり困る。でも、今はさすがにそんなの殆どなくなったから、いいでしょ、と言って済ませられますか?

 14日正午、第二の御聖断が下った。「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ 毛頭不安ナシ」(半藤著に引用されている梅津参謀総長のメモより)として、『宣言』受諾が決定された。
 このとき天皇が言った「国体」は、もちろんアメリカも認めることができる類のものであったろう。即ち、現憲法第一条に言う「主権の存する日本国民の総意に基」いて保持される天皇制である。
 それ以外の、軍が徹底抗戦によって護持しようとした「神州不滅」の「神州=国体」は、捨てられなければならなかった。阿南惟幾の真意など私にはわからないが、彼の言動は、天皇と、「統帥権の独立」によって天皇に直属しているはずの軍の、双方に可能な限り忠節を尽くそうとしたものだと思えば、理解できる。この二つが分裂する、それも、天皇自身の意思で、などということは、あり得べからざるはずであった。それに直面した以上、彼は彼の「忠節」とともに、滅びなければならなかった。近代には珍しい、悲劇的必然性が感じられる死である。
 それから、平沼の言うような「神ながらの御位置」など、天皇は個人的にも喜ばなかったろう。天皇機関説に賛成だった、と『昭和天皇独白録』で言っているし、昭和21年元旦の、「人間宣言」と呼ばれる詔書中では、「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」などとしているのだから。
 もちろんそれで悪いはずはない。が、ただ一つ、「信頼と敬愛」とはなんだろう。それは何から生じ何を根拠とするのか、などとしつこく問うのは日本風ではないかも知れない。が、当時でもそんなにいたわけではないファナティックな青年将校や、平沼のような右翼思想家だけではなく、鈴木や東郷でさえ、その対象が失われるくらいなら日本人の大部分が死ぬことになる戦いもまたやむなし、とするような「信頼と敬愛」となると。
 今の日本人からは、そんなものはとうに失われた、というなら、もう考えることもない。でも、そうとも言い切れないような気はしませんか? それはまあ、天皇制が変わった以上は、日本人も確かに変わったのであろう。が、それはどんな変化か、気にかけるべき値打ちはありそうではないですか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲劇論ノート 第4回(ハムレット)

2015年08月06日 | 


  ギリシャ時代から幾世紀かを経て、神といへば、人間とはまるで次元の違ふところにまします者といふ信仰がヨーロッパで一般的になると、悲劇もまた、より直接に人と人の「あひだ」で起きるものを題材とせざるを得なくなる。そこで「誤解」は大きな役割を果たす。
 誤解(misunderstanding)とは何か。理解(understanding)しそこなふ(mis)ことである。人と人のあひだではそれは、コミュニケーションの「意味」を取り違へることを指す。ディスコミュニケーション状態が続いて起こる。そこで人は、「私」は「あなた」とは違ふ、と痛感させられる。即ち、人間の個別性が際立つ。その結果、人間関係が緊張し、揺れ動く。これはそのまま、劇、と呼べさうである。
 とはいへ、単なる思ひ違ひによつて右往左往するのは、悲劇のヒーローには相応しくないと考へられてゐたのだらう。古代では、さういふ者は喜劇の主人公になつた。
 しかしまた、悲劇と喜劇とはそんなに遠いものではない。少し目のつけどころを変へれば、滑稽なものが悲惨にも、またその逆にも、見える。さういふものだ。

 シェイクスピアは、「間違ひの喜劇」以来、実際にはありえないやうな誤解(双子を使つた、人物の取り違へなど)に基づいた喜劇を多数書いてゐる。悲劇ではさすがにそれは使へなかつたが、もつと深刻な認識の違ひなら、ほとんどすべての作品に見られる。
 「マクベス」は、予言の言葉の曖昧さ、その二重性(double sense)そのものを劇の動力にしてゐる。オィディプスなど、ギリシャ悲劇のヒーローが躓いたものが、ここでは最初から企まれたものとしてある。このやうな予言をもたらすものは、もはや神とは呼ばれない。「魔」である。それでも、予言の性質は変はらない。結果だけを、正確に告げるのだ。
 多少の工夫はあつて、一番有名な「バ―ナムの森がダンシネーンに向かつて来ない限り、マクベスは滅びない」は、「バーナムの森が……来るとき、マクベスは滅びる」を二重否定で表現してゐる。かう言はれると、最後だけが印象に残つて、「マクベスは滅びない」といふことだと思ひ込むのは、なるほど、ありがちな人間心理である。それだけマクベスは、神話的な英雄から、普通の人間に近づく。
 彼がからうじてヒーローであるのは、予言の真の意味が明らかになつた後でも、戦ひをやめないからだ。
「バーナムの森がダンシネーンに向かつて来やうと、敵のお前が女の胎から生まれた者でなからうと、俺は最後まで戦ふぞ。盾などは捨てる。かかつてこい、マクダフ! 先に『待て、もういい』と言つたはうが地獄行きだ」。
 この絶望的な戦ひは、まちがひなく彼のものである。即ちここに、他の何者でもない、彼自身がゐる。

 「オセロ」では、主人公を致命的な誤解に導くのは、超自然的な魔ではなく、邪悪な意図を持つた人間である。「リア王」になると、意図と呼べるほどのものさへなく、人の世によくある単純な追従を、主人公がそれと見抜けなかつたところから、国家全体の破滅に到る大騒動が始まる。
 それには一応理由があつて、彼らは、他人の上に絶大な権力を揮へる高い身分の者たちなので、単なる思ひ違ひが、一個人の範囲をはるかに超えたところまで被害を及ぼしてしまふのだ。さうでなければ、シェイクスピアも、他の誰も、これを悲劇の題材とすることはできなかつたであらう。
 それはさうでも、彼らの誤つた認識の下に始めた行為によつて、最も影響を与へられるのは彼ら自身であることは疑へない。
 そんなのは当たり前だ、と思へるかも知れないが、さうでないことは現実にいくらもある。リアが、三人の娘のうち上の二人に領土を譲つた直前か直後に、安らかな死に見舞はれたとすれば、彼の誤解によつて傷つくのは、追従を言ふことを潔しとしなかつたために冷たく扱はれた末娘のコーデリアと、彼女を支持する人間たちだけといふことになるだらう。例へばそんなやうなことは、けつかう起きるものだ。

 別人の悲劇だと、ラシーヌ「フェードル」では、テゼー(テセウス)は新しい妻フェードル(パイドラ)と息子との間に起きたことについて偽の情報を与へられ、その誤解に基づいて罪のない息子を呪ひ殺す。フェードルは、義理の息子への恋慕と、その結果彼を死なせてしまつたことへの自責の念に耐えきれず、自害する。一人残されたテゼーは、嘆くことしかできない。誤解し、決定的な行為をしたのは彼だが、彼は悲劇のヒーローではあり得ず、むしろ、妻と息子の悲劇の外側に置き去りにされた男である。
 だから、ヒーローの資格は、彼が何に基づいて何をしたか、に掛かつてゐるわけではない。その動機はなんであれ、彼が現にしたことの結果を、全身で受け止めることこそが要件なのだ。オセロは自死によつて、リアは狂乱によつて、自らの誤つた動機による行為の結果に対応する。彼らが「責任をとつた」ことになるのかどうかは難しい。しかし、彼ら自身と、彼らの行為とを改めて結びつけるやうな結末はつく。完結した悲劇が、そこに立ち現れるのである。

 いはゆるシェイクスピア四大悲劇のうち、最後の一つについてこれを見ると、どういふことになるだらう。主人公の境遇はオレステスとよく似てゐる。彼は身内の者によつて殺された王を父に持つ。そして母は、父の殺害者と結婚してゐる。これだけの条件がそろつたら、彼がやることは単なる復讐劇では終はれない。
 と、我々は予測する。劇の観客の特権は、実際は自分よりはるかに優れてゐるはずの人物が見通せない未来まで見通し、彼らがドラマのただ中にゐるがゆゑに斟酌できない事情まで考慮に入れることができる点だ。アリストテレスは、劇は叙事詩に比べると、限られた場所で起きた、より短い時間のできごとを描くので、鑑賞者が全体を見通しやすいのが長所だと言つてゐる(「詩学」)。
 ならば我々は、観客席に坐つた以上、かう思ふ権利があるのだらう。
「なるほど、こんな複雑な事情なのでは、ただ父親の仇を討つだけでは終はれないな。もつといろんな葛藤が生じるのだらう。よろしい、それを見せてくれ。全く予想もつかない事件が起きてもいつかうにさしつかへない。でも、最後には、ああ、かうなつたのはかういふ事情からなのだな、と必ず納得させてくれよ」。
 これに反して、最後まで見たのに、見通せない事情が劇の中にまだあると感じられたら、我々はひどく居心地の悪い思ひをしなければならなくなるだらう。
 もっとも、現代では、観客の、当然だつたはずのこの特権に挑戦するのだ、などと言つて、敢えて見通しを与へないままに劇を終へる劇作家も珍くない。さういふ時には、我々は別のやり方で納得する。わけのわからない劇世界の向かうに、世界をそのやうなものとして提示したがる作者の、心情を読み取るのである。それで感動ないしは満足が得られるのかどうかまではわからない。ともかく、劇がイベントとして、興業として成り立つ以上は、劇を作る側と受け取る側に、なんらかの黙契が存在してゐなければならない。それは確かなはずだ。

 「ハムレット」の見通しの悪さは、たぶん上に述べたやうなこととは違つてゐる。主人公は、何をどうなすべきか、最後の最後になるまでよくわかつてゐないやうだ。それだけなら、劇の世界でも物語の世界でも、よくあることだ。しかし、主人公とともに我々観客も、もしかすると主人公以上に、よくわからないまま、置き去りにされるかのやうな感覚がある。そんな劇と、我々はどのやうな黙契を結べるのだらうか。
 たぶんそのために、「ハムレット」は古来多くの批評家を悩ませてきた。いつたいこれは悲劇なのだらうか。
 人と人のあひだで、彼のものとされた役割を担ふこと、さうすることによつて、他の誰でもない、彼自身になること、自分の目にも他人の目にも。それが悲劇のヒーローの最低条件であるはずなのだ。役割は、苛酷なものほどよい。悲愴な感じが強まるから。オイディプスは知らぬうちに父を殺して母を娶り、しかも王者の義務として自らそれを明らかにする。オレステスは王の一族に連なる者の義務として、母殺しの大罪を犯す。このやうな並はずれた「義務」を背負ひきれる者が果たしてゐるのだらうか。ゐてもらひたいものだ。その願望と可能性をこそ、悲劇は示すのである。
 現実に生きてゐる者であれば、次のやうに言つたところで、我々は同じ人間として、人間の弱さを知るなら、決して非難はできないはずだ。
「オレは好きこのんである者の子どもとして生まれてきたんじやない。それなのに、お前はだれそれの子だから、当然何々をすべきだとか、すべきではない、とか、すべてオレ自身のせゐでもあるかのやうに言はれるなんて、全く不当だ」
 これで役割から逃げ出す者は、つまり平凡な人間である。とはいへ、こんな言ひ草がけつかう普通に聞かれるやうになつたのは、比較的近年のことであるかも知れない。「お前はAだ。だからaをやるべきだ」と言はれるのに対して、「オレは本当にAなのか。オレがaをやらねばならない理由は本当にあるのか」と問ひ返すのは、他人にばかりではなく自分にも問ふのは、自分自身に対する意識、即ち「自意識」と呼ばれ、優れて近代の産物だと考へられるから。
 ところで、ハムレットはかう言ふ。
「この世の関節がはずれてしまつたのだ。なんの因果か、それを直す役目を押しつけられるとは!」
 王子である彼自身に与へられた役目を、「なんの因果か」と、理由の分からぬもののやうに言ひ、「押しつけられた」とそれを担ふことへの不満も口にする。彼は「近代的自意識」の持ち主なのだらうか。さうも見える。それはこの端倪すべからざるヒーローの、特質の一つである。

 最初に亡霊が城壁に出現する。急死した先王ハムレットそつくりの姿をしてゐて、いかにも不吉だが、このときは見た者に予兆をもたらすだけで、何も告げない。
 次に、舞台は、一夜明けて、新王クローディアスの戴冠式直後の場面になる。ここで初登場する、父と同じ名を持つ王子は、昨晩の予兆も知らぬまま、不満をかこつてゐる。
 父の死の直後、父の弟、即ち彼の叔父が、王位と、先王の妃にして彼の母ガートルートの両方を手に入れた。「オイディプス王」と同じ設定。王が急に変はつた場合、王妃はそのままで、つまり新たな王と再婚する、といふことは、古来どれくらゐ実例があつたかは知らない。しかし、先王の所有物をそつくり引き継ぐのが次の王だとすれば、妻もその中に含まれるのも、女性の人格があまり尊重されない時代にあつては、自然なことに思はれたらうとは想像がつく。
 ただ、さうだとすると、「新王は、妃の夫にはふさはしくない」と言へば、それはそのまま、王たるに相応しくないことになるだらうか。多少の疑問は残るが、シェークスピア劇の鑑賞では、細かいことにこだわるのは禁物であるやうだ。ともかく、王子が最初に口にする不満はそれである。
「おなじ兄弟とはいふものの、似ても似つかぬあのやうな男と。それも、たつた一月。(中略)おお、なんたる早業、これがどうして許せるものか……いそいそと不義の床に駆けつける、そのあさましさ! よくないぞ、このままではすむまいぞ、いや、待つた、こればかりは口が裂けても、黙つてをらねばならぬ」
 この最初の独白に、既に、ハムレットの真骨頂が余すところなく示されてゐる。
 ガートルートは「不義の床」に行つたわけではない。前夫の死後一ヶ月で再婚するのは、当時の、そして今も、一般的な風習からして、早すぎるとは言へても、いはゆる不貞と同じだとは誰も言はない。ハムレットにはそれも許せない。母が、よりにもよつてあんな男と。それを皆が認め、祝ひさへするとは。彼は、「このままではすむまいぞ」と物騒なことまで口にする。
 この段階では誰も、劇中の人物たちも劇を見てゐる者たちも、この感情は、息子のものとして多少は共感できるとしても、正義に適つたものだとは言はないだらう。それはわかつてゐるからこそ、「口が裂けても、黙つてをらねばならぬ」のだが、その分彼の怒りは内攻し、その矛先は、だらしない母ガートルードをはるかに超えて、世界全体にまで向けられる。
「この世の営みいつさいが、つくづく厭になつた」
と、この独白の最初に彼は言つてゐた。この男の感情は、登場したときから過剰なのである。

 その夜ハムレットは、亡霊から真相を明かされる。
 新王こそ、先王を暗殺した張本人なのだつた。先王の霊は、仇討を依頼する、ただし、母を責めてはならぬ、と条件をつけて。
 今やハムレットの憎しみは明確な理由と対象が与へられた。あとはまつすぐに、使命を果たせばよい。オレステスは、仇討の相手が実母だつたにもかかはらず、さうしたのだ。他人からみてもそれが正義と言へるのかどうか、考へるのは他人に任せればよい。「オレステイア三部作」はそのやうな道筋を示してゐる。
 しかしハムレットは、この道を辿るにしては、複雑なものを抱へ過ぎてゐる。彼は、非道な方法で新王となつたクローディアスその人より、非道な王位継承を結果的に良しとしたデンマーク王国全体に疑惑の目を向ける。ガートルートはその代表者なのである。
 彼女を初め、誰もが真相を知らないのだから、で済む話ではない。王の人格は王国全体の性質を決定すると考へられるのであれば、王たるに相応しくない男が、王に相応しくない方法で現に王位についたデンマークは、それだけで腐つた国と呼ばれてよい。
 さらに話を複雑にする要素があつて、それはハムレット自身がデンマークの王子なのだから、腐つた体制の一翼を担つてゐる、とも見られることである。これはまた、ハムレットの、それまでの悲劇のヒーローとは違つた、特殊な位置である。
 オイディプスもオレステスも、生まれからすれば正当な王位継承者なのに、自力で回復するまでは、継承権を奪はれてゐた。ハムレットは、先王の死後すぐに王位を継ぐべきであつたのに、クローディアスに妨げられたのだらうか。そこはよくわからないが、前述の戴冠式直後の場で、他ならぬクローディアスが、ハムレットこそ自分の次の王となるべき者、と宣言したのである。あるいはこれは、彼がガートルートを我がものにするための条件だつたのかも知れない。
 これらを勘案し、さらに、知らなかつたではすまいない、といふほどに厳しい見方をするなら、ハムレットは、クローディアスとガートルートの次ぐらゐには、責任を問はれるべき存在だとされねばならない。

 もう少しさかのぼつて考へることもできる。悲劇のヒーローとは、状況が強いてくる「お前は何者だ」といふ問ひに、全身で向き合ふ者である。
 では、ハムレットとは誰か? デンマークの王子だ。誰が、どのやうにしてさう決めたのか? 先王ハムレットがノルウエーのフォーチンブラスと争ひ、一対一の決闘によつてその地位を得た。それを息子に譲るのなら、自然なこととして、全員ではないとしても(これまた父と同じ名を持つフォーチンブラスは、デンマークの王位奪還を狙つてゐる)、多くの者が納得し、何よりハムレット自身が納得し、「お前は何者だ」の問ひは、彼に関する限り、そこで終はつたであらう。
 その継承の間に叔父が割り込み、母もそれを良しとしてしまつたために、問ひは続いた。そして、続けば続くほど、この問ひは呪はしいものになつていかざるを得ない。
 ハムレットは、問ひに答へられぬままに、問ひ返し続ける。お前は何者だ。女郎屋の亭主か。違ふのか。ではせめて、その程度には正直であつてほしいものだな。お前は何者だ。美しい女か。では、亭主に角を生えさせぬやうに、尼寺へ行くがいい。デンマークとは何だ。牢獄だ。世界は牢獄だと言つていいのだらう。しかしデンマークは、中でも、最もたちの悪い牢獄だ、少なくとも俺にとつては……。
 彼は諧謔を弄んでゐるのか、あるいはさう見せかけて、彼にとつての真実を伝へようとするのか。おそらく自分にも定かではないだらう。どちらにもせよ、周囲にとつては、自分で持て余さざるを得ない自分を、臆面もなく人前にさらすような輩は、気違ひとしか扱ひやうがない。身分が高いために、捕へてどこかに押し込めるやうなことは簡単にできないのが厄介なところである。

 別の見方では、本来は世直しに着手すべき立場の者としては、ハムレットはひどく女々しいふるまひをしてゐる。彼自身も時にさう感じ、自分を叱咤する。
 とはいへ、現実に復讐に着手する前に、冷静に考へて、やつておくべきことはある。亡霊の告げたことは真実かどうか、確認しなければならない。彼はマルティン・ルターが教授をしてゐたこともあるウィッテンベルグ大学で学んでゐたのだから、幽霊の存在にはもともと懐疑的であつたはずだ。
 かくて第三幕の、宮廷内での芝居の上演がある。芝居の題名は「ゴンザーゴ殺し」。ゴンザーゴと呼ばれる王が暗殺され、その犯人が、遺された妃を、言葉巧みに誑かし、まんまと我が物とする、といふ筋だ。ハムレットはそこに新たな科白を追加し、亡霊から聞いた、実際のできごとへと芝居をより近づける。この芝居を見たときの王の様子から、彼が実際に罪を犯したものであるかどうか、窺はうとするのが、一応、目的だとされる。
 しかし、王夫妻といつしよに、大勢の廷臣たちの前で演じられ、さらに芝居をよく知つてゐる野次馬よろしく、ハムレットが解説的な野次を飛ばすものだから、この上演は、彼がやつてきたことの集大成、即ち、諧謔を弄ぶやうに見せて、彼だけが知つてゐるデンマーク王国の醜聞を暗示するものとなる。
 さらにそれ以上のものも潜んでゐるやうだ。劇中の王を殺すのは、王の弟ではなく、甥になつてゐる。これは何を示すのか。自分がこれから叔父に対してなさうとすることを予言してゐるのか、それとも、先の王の殺害に関しては、自分もまた完全に潔白なわけではないと言ひたいのか。
 我々はかういふところに、この複雑な人物の核心を見るべきなのだらう。ギリシャ悲劇にも、シェイクスピア劇にも、予言に拠つて行動し、予言に因つて滅ぶヒーローはゐる。オイディプスの場合でもマクベスの場合でも、予言とは彼らの隠れた欲望を外在化させて見せたものと考へることもできる。だからわかりやすい。
 一方ハムレットは、ヒーローであると同時に、自分自身とデンマーク全体の、予言者でもあるのだ。「オレステイア三部作」第一部の「アガメムノン」に登場するカッサンドルは、アポロンから正真な予言の能力を授けられたのだが、彼女の言葉は狂気のものとしか人々には受け取られない。この事情は、ハムレット自身についてもいくらか当て嵌まる。
 ただし、あくまで「いくらか」である。すべてが見えてしまつた者は、ヒーローたり得ない。もう何も行動する必要がないからだ。ハムレットの言動にはいかにも予言者めいたところがたくさんあるが、彼自身がどこまで本気でさうしてゐるのか、明らかではない。あるいは、行動するために、敢へて明らかにはしないのかも知れない。

 芝居の後、ガートルートに呼ばれたハムレットは、彼女の部屋へ行く途中で、自分の犯した罪の恐ろしさに打ちのめされて、祈りを捧げるクローディアスを見る。今ならたやすく彼を殺せる。さう思ふのだが、実行に移せない。父は罪を告白する前に殺されたので、今煉獄の炎に焼かれてゐるのに、祈つてゐる最中のクローディアスを殺したのでは、こちらは真直ぐに天国へ行つてしまふ、あまりに釣合ひが取れないではないか、といふのがその理由である。
 さうしてハムレットが去つてから、我々は、クローディアスが、「心をともなはぬ言葉が、どうして天にとどかうぞ」とひとりごちるのを聞く。ハムレットの見込みは大外れだつたのだ。しかし観客は、彼の迂闊さを嗤ひはしない。これだけ大掛かりな復讐劇が、ただの偶然によつて幕が降りたとしたら、それこそ納得しやうがないのだから。
 次に、ガートルートの部屋で、ハムレットは不実な母をさんざんに詰り、あはや殺しさうにさへなるので、壁掛の後に隠れて様子を窺つてゐた者がつい大声を出してしまふ。ハムレットは、壁掛の上から、その者を剣で刺し殺す。それは王か、と見れば、かつて彼が宿屋の亭主並みに正直であつてくれれば、と諷した、クローディアスの忠臣ポローニアスだつた。こんなところでクローディアスが死んだのでは話にならない、いや、芝居にならないのは前と同じ。
 それにしても、ポローニアスは、自分は「直接、まつすぐを狙わず、間接かつ適確に的を射当てるコツを知つてゐる」と自負してゐた。それは本当はハムレットの特技だつたやうだ。彼はいつもことごとく的を外してばかりゐるやうに見える。さうしながら、一歩一歩、最後の大目的、つまり、彼自身とクローディアスを含めて、先の王殺しに関りを持つ者全員を犠牲とする、デンマークの大浄化へと近づくのだから。

 ハムレットは境目に立つ人物なのだらう。彼は、たやすく亡霊や、そのお告げを信じることはできない。しかし、窮極のところで、自分の運命を、自分が他の何者でもない、自分自身にしかなれない瞬間がいつか来ることを、信じてゐる。
「一羽の雀が落ちるのも神の摂理。来るべきものは、いま来なくても、いずれは来る――いま来なければ、あとには来ない――あとに来なければ、いま来るだけのこと」
 我々にとつて、亡霊も予言も、もはや信ずるに足るものではない。それでも、運命がどうしたかうしたとは口にするが、それが何なのかは、皆目わかつてゐない。私にももちろんわからないが、なんとなく、次のやうなことは言へさうな気がする。
 「自分とは何か」の問ひには、つひに答へは得られないだらう。もしこの問ひがもはや尽き果てた、と感じられるときが来たら、そこで我々は自分の運命と、「自分自身」と出会つてゐるのだらう。いずれにしても、道は真直ぐであるはずはない。我々がこの世の中に生きるとは、人と人のあひだの、隘路を通ることでしかないのだから。あつちにぶつかり、こつちにぶつかり、躓いたり転んだりした果てに、いつかそのやうな瞬間が訪れると期待できるものだらうか?
 確信は持てない。我々は迷信をなくし、次いで「神の摂理」への信頼をもなくしたハムレットなのである。現代世界にも悲惨は満ち溢れてゐる。けれどそれから悲劇はもはや生まれない。悲劇といふジャンルは、人間が、「私は私だ。私は私以外の何者でもない」と断言できるほど偉大になり得る可能性に根拠を置いてゐる。さういふものは運命観といつしよに、とうに見失はれてゐるからだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする