由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

立憲君主の座について その1(小谷野敦氏との議論の後で)

2012年09月28日 | 近現代史
 ごく最近、小谷野敦氏とメールのやりとりで、天皇制に関して議論した。これは小谷野氏のブログ「猫を償うに猫をもってせよ」にアップされている(9月11日9月14日の記事)。私は必ずしもこの問題に、今、正面から取り組むつもりはなかったので、論争は主として『天皇制批判の常識』の著者である小谷野氏側からの慫慂で始まったものである。
 9月20日に「小谷野氏からのすべての疑問に答える」として、長文のメールを送り、私としてはこの議論を終わらせた。小谷野氏からはこれに対して今のところなんの反応もない。それこそ私が望んだことなので、ありがたく思っている。議論自体はなんだかな~、になってしまったが、これを通じて普段漠然と考えていたことを少しは明確にすることができたのだから、これもまたありがたいと言わざるを得ない。
 以下に、小谷野氏への長文メールの最初のほうに手を加えたものを掲げる。私は最近昭和天皇に興味を持ち始めている。その考察のいわば序文になりそうだから、小谷野氏からは離れて、私個人にとって意味がある。

 国家とはフィクションであり、故吉本隆明の言葉を借りれば共同幻想である。まずこの意味をじっくり考えておこう。
 フィクションの意味は辞書を引けばすぐにわかる。実態のない作りもの、「作り話」、さらには「うそ」の意味もある。
 例えば数字はフィクションだ。「(一人の)人間」や「(一個の)りんご」は現実に存在しているかも知れないが、1、2、3、…なんて「数」はどこにも実態がなく、人間の頭の中にだけある。この例のような一番素朴な数には、なぜか「自然数」だの「実数」などという欺瞞的な名前がついているが。ある、ということにしておくと、人間の世の中にとって便利だから、約束上あることにしておくものでしかない。
 人間の作る組織もフィクションである。人は通常必ず群れるものだが、ただなんとなくいっしょにいるだけではまとまったことはできない。何かの目的のために、何人かの人が約束して(明文化したものは「規約」とか「定款」と呼ばれる)、「会社」なり「委員会」なり「組合」なり「親睦会」なりを作る。組織のメンバーは実在する人間だが、組織そのものは、約束上あることにしておくもので、その点で数字と変わらない。
 この組織中最大のものが現在までのところ国家である。その不思議の第一は、なんのためにあるのかよくわからないところ。よく「国民の安寧秩序を守るために」とは言われるけれど、怪しい。ヤクザにみかじめ料を払った場合に比べて、どれくらいあてになるものか。それどころか、国家は国家の名において、国民に生命の犠牲を要求することだってある。戦争の場合や、死刑がそれだ。そういうことをしてもいいことになっている、国家とはなんなのか。
 万人を納得させる答えはたぶん見つからない。何しろ、デカすぎる。バチカン市国のような、人口約八百人の国は別として、普通は同じ国の国民同士でも、生涯一度も会わないほうが多いだろう。だから、国の全体を具体的に見渡せる人などいない。そのうえ、各人、生まれたときに自動的に「国民」というメンバーにされてしまっている一方、少なくとも日本のような平和な国なら、普段生活している上ではめったに意識せずにすむ、というか、意識したってしょうがない、そう思わせる組織でもあるから。
 たぶん普通人が「国」というものと直面する、ような気分になるのは、外国へ行くときではないだろうか。なにしろ、国によるアイデンティフィケーション(身元証明)がなければ行けないことになっているのだから。すると、国は人々に国民というアイデンティティ(身分、属性)を与えるために存在するのだろうか? そうかも知れない。しかし、では、国民はなんのために存在するのか? 国家を存立させるために……。冗談ではなく、この循環論法の、完結した観念の世界こそ、国家が揺るぎない存在として出現する場所かも知れないと私は思っている。
 
 国家とはなんなのか、今度は「どうしてできたのか」の角度から考えよう。今までに言われてきた代表的な理屈を二つ、私の言葉でまとめてみる。便宜上、新しいものから先に。
(1)あらゆる組織がそうであるように、国家もまた、成員、即ち国民同士が約束して作ったものである。この約束の他に、国家の根拠はない。
 いわゆる社会契約説として知られているものだが、明らかにヘンだ。例えば今の日本に、「よし、それじゃあみんなで日本という国を作ろう」と約束した覚えのある人がいますか? 新たにこの国に生まれた者には、その約束は不要であるようだ。では、元々、そう約束した人々がいたのだろうか? どうもいないようだなあ。約束なんて、最初からなかった。そう言ったほうが明らかに真相に近い。
(2)かつて偉大な指導者(神とか王とか英雄とか呼ばれる)がこの国を作って治めた。その力はともかく、栄光は受け継ぐ者が現代にも存在する。国民がその「事実(実は神話)」に信服していることが、その国が「ある」ことの根拠となる。
 こちらの弱点は、あからさまにフィクションだというところではない。その点は(1)とどっこいどっこいだろう。むしろ(1)についての問題は、「約束」の前提だか結果だかになるはずの国民の「一般意思」など、何しろ数字みたいな純粋な概念なので、「ない」ともなかなか証明できないところだ。幽霊がいないことを証明するって、難しいんじゃないですか? 一方、指導者への「信服」が失われたことは現実に、歴史上数多い。
 ところで、(2)のような「かつて」によらずに、国の代表者を決める場合、それはその人間への国民の「信服」を、投票その他の手段で明らかにすることになる。すると同時に、その人間を「信服しない」者の存在も明らかになってしまう。それでも大丈夫か? 大丈夫らしい。自分の意見は通らなくても、とりあえず「選ぶ」課程には参加した(参加する機会は与えられた)ということにおいて、「国民」ではあるんだから。つまり、「国民」は存在する。ひいては、国も存在する……?
 まあ両方とも、現にある国家に正当性と正統性を与えるための「後付け」の理屈であり、「作り話」である。嘘の辻褄を合せようとしてさらに嘘を重ねたようなものとも言える。

 上に加えて、日本の場合、近代国家になってからの歴史が短い。「女」がなければ「男」の概念はないように、「他国」を知らなければ「自国」の概念も生じない。日本は島国で、大陸との間に荒れやすい日本海があって、「外国」というものを特定の人以外にはほとんど意識することもなかったろう。だから、「くに」と言えば、主に地理的な条件で区別された共同体のことであって、「国民国家」なる概念はほぼなかった。
 明治になって、「開国」を強要され、国家同士で作る「国際社会」というのがあるから、日本もそこに加わらねばダメだ、と主にアメリカから言われ、しょうことなしに近代国家日本をつくるとき、どういう「国のかたち」にするか、明治維新の指導者たちはけっこう迷ったらしい。伊藤博文などは、共和制にすることも考慮したが、まあ帝国を採用しよう。幕府を倒すときに日本には将軍より偉い「天皇」というものがあるんだ、と言ってその権威を利用したんだから、これを皇帝にすればいいんだし。てなわけで大日本帝国が出来上がり、「天皇制」が生まれた。
 ただし、もう絶対王権というわけにはいかない。憲法(国を作る上での最高の「約束」、ということになっている)を制定し、天皇の地位もそこで定める立憲君主制が最終的には採用された。(1)+(2)、つまり、「建国の偉業を受け継ぐ者」は世襲にして別扱いにしておき、実際の為政者は国民が選ぶ、という形。多くの国が、君主が倒されて、その後で「一般意思」を最高権威とする共和制になったという過程を踏んでいるので、立憲君主制は、王を殺すまでの過激は避けて、抽象概念としての国民にすべての権威を付与する手前の、過度的な段階を固定したものと見ることもできる。
 このいいところは、国の中心に実質的な権力を持たせなくてもすむところである。なにせ、君主は、統治の能力などによってその地位についたわけではないことぐらいはみんな知っているから。共和制では大統領が「戦争だ」と言えば、議会などは止められるとしても、えらく苦労しなければならないのではないかと思うが、立憲君主が同じことを言っても、無視してもかまわない。それぐらいの違いはある。
 だからといって、必ずうまくいくとは限らない。戦前の天皇制は大東亜戦争を止められなかった。天皇の威光を体現しているのだと称する一部の軍人と、何よりもマスコミに煽られた国民の多くが戦争を望んだなら、天皇にも、おそらく他のどんな指導者にも、止めることはできないだろう。これは、君主が戦争を望んでも国民に反対する意思と手段があれば止められる、とは真逆の事態である。
 それでも、昭和天皇に戦争責任があるのかないのか、議論は尽きない。私も後でそれに触れるつもりです。
 さて一方、終戦のときには、天皇の権威が利用された。もちろん、鈴木貫太郎や木戸幸一あたりの発案と根回しによって成ったことではあろうが。ただ、戦前の天皇も金正日並みの独裁者ではなかったので、「いくさはやめる」と聖断をくだしたところで、それだけでは公式決定にはならない。各大臣の副署が必要だ。徹底抗戦派の代表とみなされていた阿南陸相には、天皇が「苦しかろうが我慢してくれ」と涙を流して要請したそうで。で、無事に全閣僚の副署が得られて、大東亜戦争は終わった。
 どうもこういう浪花節はいやだなあ、という人もいるだろう。私もあまり好きではない。ただ、日本人はそういうものとして天皇を、そして天皇制を受容してきたのである。天皇制の問題を考える上で逸することはできないポイントであろう。
 それは今不問に付すとしても、上記のエピソードは天皇制擁護の論拠としては使えない。全く逆方向に、つまり戦争遂行のためにこの権威が使われることもあり得たのだし、大統領の権威だって同じことはできるかもしれないのだから。
 ただ、戦争責任の有無はともかく、以上のような体験を通じて、天皇家の人々は、権威を利用されることへの警戒心と、「余計なことはしないし、言わない」ことに関する訓練にかけては、右に出る者がいなくなってるんじゃないかな、と私は思っている。そういう国家の中心(国家元首、かそれに近い者)が一番よいのではないですか?
 まちがっているかも知れない。だから、議論されるのはよいことだ。何よりも、人間が作ったものである以上、人間によって変えることもできる、という真実は忘れてはならない。どうも日本人は、他国人より以上に、国家についてはこれを忘れがちだと思えるので、私は国家とはフィクションであり、共同幻想だと繰り返したくなるのである。
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