Takepuのブログ

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曹操の墓捏造なのか?!

2010-08-26 11:41:11 | 時事

昨年末に突如報じられた三国志の魏の曹操の墓が発見されたというニュース。真偽についてはまだ完全に証明されたわけではないようだが、河南省安陽県で町おこしを目論む地元は、たった3カ月で早くも参観施設を完成させ、試験的に参観者の入場を始めたらしい。9月に60元の入場料で対外開放するそうだ。

一方で、「曹操の墓は偽物だ」と主張する学者たち23人が蘇州に集まり、シンポジウムを開いたという。南京の夕刊紙・揚子江晩報の記事によると、23人の専門家たちはシンポジウムを通じて「曹操の墓」は発見と発掘の過程で偽造行為の可能性があると一致した。



1、曹操の墓の発見は、まず1998年4月に出土した「鲁潜墓志」が関係している。鲁潜は後趙時代の役人で、曹操と関係はないが、墓誌に曹操の墓の方角と位置について詳細な記述があったため、それをたどって曹操の墓が発見されたという。まず、この墓誌の真偽から考える必要がある。要約すると、墓誌の文字の書き方が、その時代とは合致せず、限りなく現代風の書き方だという。すなわち「歳」の上の部分が「止」でなく「山」だったこと。現代中国の簡体字では「歳」は「山」かんむりの下に「夕」と書く。

2、曹操の墓と主張する大きな証拠とされた出土品に彫られた「魏武王常所用挌虎大戟」「魏武王常所用挌虎大刀」と「鲁潜墓志」の「武」の字に共通の誤った書き方が見られ、同一人物が彫ったのではないかと考えられること。

3、「魏武王」との呼称について。曹操の生前はまず「魏公」と、次いで「魏王」と呼ばれた。ただ、死後は魏王といえば、子の曹丕のことで、曹操はおくりなの「武王」のみを使うべきで、生前と死後の呼び方を厳格に分けていた古代社会において、魏武王のような陽名と陰名を混ぜて呼ぶことはありえない。ということで、曹操の墓から出土したとされる石碑は贋物だという。これらは実際、「墓の中から盗んできた」と盗品として市場に出ようとしていたものを入手していた。

4、歴史学的にも考古学的にも「常所用」という表現は一度も見たことはないという。


まだほかにも「証拠」はたくさん挙げられている。