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わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

AKURO悪路

2006年10月24日 | 観劇記
06年10月24日マチネ
サンシャイン劇場  3列目の上手より

今後書き直すかもしれませんが、感想を少々。

TSミュージカルファンデーションの作品はこれで3作品目の観劇となりました。
3作ともとても充実した舞台だと感じています。

今回は、平安時代の蝦夷征伐のお話。

謝さんの発想で、大谷さんが脚本を書かれているそうですが、いつも人物が丁寧に描かれていることに感動します。

勿論、脚本も素晴らしいのだと思いますが、キャストもスタッフの熱い思いをストレートに観客に伝えて下さっていると思います。

今回の一押しは、彩輝なおさん。宝塚時代、外部出演でも拝見していますが、今回はその時とは全く違う役作りでした。歌もとても安定しています。今後の活躍がとても楽しみです。

今さんの舞台はなんと昨年の「椅子の上の猫」以来。今回は、勿論、熱い役どころ。というか、坂上田村麻呂ですから、それはそれは凛々しいのです。しかし、作品は蝦夷側からの視点ですので、田村麻呂は非道な行いをするように描かれています。まあ、彼は彼なりの理論で蝦夷を征伐したのだと思うのです。そして、その方法や結果が本当に彼が求めたものだったのか・・・。最後の阿倍高麿(坂元健児さん)との戦いのシーンで今さんは田村麻呂の苦悩をきちんと描いてくださるのですよね。大和の血を引いているであろう私は、そこで、ちょっとほっとしました。極悪非道ではないのだと思えたからです。
今さんの舞台って本当にいつも楽しみです。いつも私に熱い思いを下さいます。悪役のような感じも多いのですが、悪を装うのは弱さがあるからということを、役全体のイメージは壊さないギリギリのところで、きっちりと観客に伝えて下さるのです。

作品としては、ちょっと難しい言葉もあったりして、最初は「ついていけるかなぁ」と不安もありました。しかし、2幕では涙、涙、涙・・・。

これは舞台の中だけの出来事ではないのです。

「戦はいやだ。あんなひもじい思いはしたくない。」

戦争を始める権力者に、普通の人々の思いをきちんと伝えられる世の中であって欲しいと思います。

是非、多くの皆様に、舞台を観ながら、今の世界に思いを馳せて頂きたいと思います。

余談ですが、前から3列目は見応えありすぎでした(苦笑)
何しろ、身長180センチを超える男優さん達があの狭いサンシャイン劇場で激しく動き回るのですから!!!
再演があったら、芸術劇場ぐらいの大きさのハコでお願いしたいと思います。

冬の夜の物語・野ばら

2006年09月24日 | 観劇記
2006年9月24日  中目黒GTプラザホール

大島宇三郎さんが主催なさっている「SPACE U」の公演に初めて伺いました。公演があることは知っていたのですが、アトリエ公演でしたので、伺うことをためらっていました。今回は一般のホールでの上演でしたので、思い切って伺ってみることにしました。

小川未明氏の作品を2本、1時間半程で上演。
「冬の夜の物語」は星達が地上での出来事を見つめていると言う設定で、子供とはぐれた母親アザラシ、貧しさゆえに赤ん坊が死んでしまう人間の母親の様子を描いていました。
童話とは言っても、とても難しい話だと思いました。

「野ばら」の方を、大島宇三郎さん、岡田誠さんが担当なさったので、こちらに重点を置いて感想を書きたいと思います。また、この作品では村上勧次朗さんがピアノを演奏されました。
「野ばら」という作品名を聞いたとき全く思い出せなかったのですが、舞台が進むうち、「教科書で読んだような・・・」という記憶が甦ってきました。もしかしたら教科書ではなかったかもしれませんが、学生時代に読んだことは間違いありません。本当に、いろいろ考えさせられる作品なりです。

あらすじです。
大きな国の老兵士(大島さん)と小さな国の若い兵士(岡田さん)は人里離れた国境の警備に当たっていた。国境線を守ることが2人の使命であったが、当初、2人の考え方は大きく違っていた。老兵士は若い兵士と話してみたいと考えていたが、若い兵士は自分の使命は国境を守ることだとして心を開かない。
冬の雪の中で若い兵士がたどたどしく吹いていたハーモニカの音を聞いて、いろいろな歌を思い出した老兵士は、いい季節になったと歌を歌って若い兵士に語りかけた。若い兵士もどこかで聞いた歌だと口ずさむ。
少しずつ、2人は心を通わしていく。夏が来るころにはゲームをするほど心を許していた。
しかし、2人の思いとは関係なく、二つの国は戦争を始める。若い兵士は最前線へ向かうという。老兵士は「自分は老いてはいても少佐。この首をとって手柄にせよ。」と若い兵士に言う。若い兵士は断り、最前線へと向かう。もう秋が来ていた。
戦争は大きな国の勝利。小さな国の兵士は処刑されたと老兵士も知っていた。
次の春が来ても若い兵士は戻ってこなかった。老兵士の手には若い兵士が置いていったハーモニカが残っていた。

感想です。
久しぶりに、大島さんの舞台を拝見しました。テレビなどでは時々お姿を拝見していましたが、生でお声を聴くのは本当に久しぶりでした。
とにかく感じたのは、声が美しく響いている、ということでした。何だか、単純な表現しか出来なくてもどかしいのですが、もっと具体的に言うと、声が口からではなくて、身体全体から出ているような感じなのです。そして、勿論、台詞が台詞以上なのです。行間を埋める演技などともよく言いますが、そういう感じです。これは、岡田さんとの息も合っているからだと思うのですが、観客が考える時間がちゃんと台詞の間にあるのです。台詞を聞いて観客はいろいろ考えているわけです。多分、それは、もしこれが劇ではなくて、普通の会話であれば会話している本人達が次の言葉を考えているのと同じタイミングなのだと思います。ですから、台詞の明瞭さというのもあると思いますが、とても自然に台詞が観客の耳に、そして身体に入ってくるのだと思います。

岡田さんの役は、最初はとてもぎこちない会話を要求され、次第に普通の会話へとなりますが、それがとてもよくわかりました。そして、また、最後の方で、戦場へ向かう決意を語るときのぎこちなさで、心を偽る若い兵士の心情がとても伝わってきました。

この国境はどの国という限定はされていません。私はヨーロッパの国々ではと想像していました。が、劇中に老兵士が歌う歌は日本の歌もありました。
「ふるさと」「やしの実」「赤とんぼ」などが登場しました。この挿入の仕方が心憎いのです。大島さんは歌と台詞のお声が殆ど変わらないのですよね。ですから、ますます「歌」だ、ではなく、普通の会話の中で、鼻歌のようにちょっと歌って、いろいろ説明するよりこの一曲が今の気持ちをぴったり表しているというように思えるのです。

私は、この作品の結末を途中で思い出していましたので、いろいろ思いをめぐらせることも出来たのかと思いますが、台詞の中で本当に考えさせられるものがいくつもありました。
ここでは二つだけお話したいと思います。
一つはあらすじでも書きましたが、老兵士が自分首をとっていくように若い兵士に言うと若い兵士が断る場面での台詞です。
「知り合いになった人間は殺せなくても、見も知らぬ人間は殺せるというのか。」(というような内容です。)
私達が普通に生活している社会で、「人を殺す」というのは絶対の悪であると考える人が多数を占めていると思います。しかし、戦時下では「人を殺す」ことが美徳とさえ考えられるのです。一体、この違いは何なのでしょうか?
どこかで戦いが始まってしまえば、決して「シビリアン・コントロール」は効かないと私は思っています。戦いが始まらないようにし続けることこそが大切なのだと思うのですが、どうも最近は「戦い」にも良い物と悪い物があると考える人が多くなっているようで、とても不安です。
是非、この台詞が本当に伝えたいことを多くの方に感じていただきたいと思いました。

もう一つは若い兵士が言う台詞です。
「私達の国は、強くなることに必死で、音楽を楽しむことなどないのです。」(というような内容です。)
この若い兵士のお兄さんが身体が弱く、ハーモニカを吹くことが好き、という話しが出てくるのですが、軍国主義の小さな国では、その生き方が認められないわけです。
芸術や文化がなぜ大切なのかというのは、はっきりした答えがあるわけではないのです。時々、ただ無駄なもの、という認識をする方に出会うこともあります。でも、やはり違うのだと思います。多彩な民族がいる国家であれば、互いの民族を認めるという点で、芸術や文化が大切です。そして、自分とは違う考えを持つ人への寛大な理解や社会的弱者に対する思いやりの心は、国家が一つのことに必死なときには生まれないのだと思います。芸術が花開くということは、そういう豊かな心をもつ人が多くなった時なのだと思います。
こんなことを考えながら、台詞をじっくりと楽しませて頂きました。

「野ばら」は短いお話ですが、本当にいろいろなことを考えさせられます。心温まる歌と、素晴らしい台詞、そして、村上さんの歌を美しく引き出すようなピアノ演奏もあいまって、本当に心から感動する舞台になっていたと思います。

こちら葛飾区亀有公園前派出所

2006年08月13日 | 観劇記
06年8月9日マチネ
全労災ホール ゼロ・スペース  6列目センター

「こち亀」と略してしか普段は言いませんが、正式な名称は上の通りです。長いです。早口言葉の練習にいいです。最後の「はしゅつしょ」で噛まないように、はい3回どうぞ。と我が家では利用しています(笑)。
舞台も3時間。ちょっと長いです。が、こんなに笑ったのはいつ以来?と言うほど、大笑いの連続でした。

あらすじは、あまりにも複雑なので省略します。マンガやアニメに触れた方はお分かりと思いますが、舞台も信じられない展開をします。特にアニメは、「絶対ありえない」という行動がわんさか出てきますので、舞台になったらつまらないかも、という予想は裏切られました。そこまでやるのか!という感じでした。
舞台版は今回で4回目になります。今思うと残念ですが、私は今回が初観劇です。

ありすじの代わりにキャスト紹介(敬称略)
両津勘吉 / ラサール石井
秋山麗子 / 森下千里
少女サキ / 瀬戸早妃
大原部長 / 佐山陽規
中川圭一 / 伊藤明賢
向島三四郎/ 清水宏
マリア  / 斉藤レイ
白鳥麗次 / 木村靖司
越前屋俵太/ 松村武
一文字まゆ/ 松永玲子
ビックママ/ 仲坪由紀子
屯田所長 / 原金太郎
海パン刑事/ 海津義孝
奥山老人 / 坂本あきら

西村仁・亜久里夏代・柴田健児・盛合大介・久下恵美・栗原亜紀子・安藤由紀・北林明日香

そこまでやるのか、という一方で、下町独特のお節介だけど、ほのぼのした結末でもあるのです。本当に不思議な魅力です。

3時間の舞台を22名のキャストで上演するのですから、一人何役もやります。また、歌って踊って、いろいろなエンタテイメントで楽しませてくださいます。それが、一つの話の中に少し不自然ながらも面白おかしく織り込まれているのです。

ダンスは、まず、サルと一緒に踊る場面。ラサールさんもがんばりましたが、清水さんはすごかったですね。そして、サルのボス柴田健児さんにはびっくりでした。
そして、海パン刑事の登場です。役名の通り「海パン」での登場なのです。それでなぜかバックダンサーに両津、向島、中川さん(以上役名)まで同じいでたちで踊りまくるのです。まさに、不自然なのですが、爆笑でした!
そして、ラサールさんと坂本さんのタップ。ラサールさんは両津の衣装なので便所下駄(わかりますか?)でタップ!!!これもかなり無理のある挿入ではありますが、便所下駄でタップにただただ驚いてしまいました。

歌は、ソロを瀬戸さんが担当されるのですが、私としてはちょっと物足りなかったですね。もう少し、感情が入ると、お芝居の部分にも幅が出たかと思いました。
それ以外にも、いろいろ歌は出るのですが、基本的にソロを歌おうとすると両津が「勝手にミュージカルなするな」と止めてしまうのです。それが、また、とても面白くて、大爆笑でした。

アニメから飛び出してくる生身の人間達は大変です。アニメはキャラクターが極端ですから、そんな人間はいないはずですからね。

実は、私が、一番ありえないと思っていたのが、中川圭一という役です。何しろ、容姿端麗、その上すっごいお金持ちなのに、そういうことを鼻にかけず、両津にもとても礼儀正しいのです。それでいて、面白いところもあって・・・もしこんな人がいたら絶対娘のダンナ様に・・・(自分と言わないところは、私の謙虚なところ?!?!?)という、理想の男性でございます。この雰囲気を出すのは難しいだろうと思っていましたが・・・
伊藤明賢さんは、ぴったりでした。驚きました!!!

逆にちょっと残念だったのが、中川麗子役の森下千里さん。今回は、もう一役、奥山老人の思い出の中での話として、奥山さんの奥さん、みつを演じていました。下町の勝気な女性なのです。このみつはとてもよかったのです。もう少し麗子を演じるときにも元気な感じが欲しかったですね。あまりにもお金持ちのお嬢さん、という感じが漂い過ぎていたように思いました。

両津勘吉のラサール石井さんは声優として両津をいつもなさているので、声はあのままと想像がついていましたが、姿もそっくり。思わず、大笑いしてしまいました(失礼)。

多分、この方がいらっしゃらなかったら舞台版はなかったのではと思うのが、海パン刑事の海津孝義さん。アニメのキャラを超えたのでは。アニメで出来ることは、生で出来るんだと思い知らされました~~~(感動!)

今回、声優も担当なさって、舞台でも同じ役をなさったのが、大原部長役の佐山陽規さん。声はあのままですが、体型がマンガとは全然違うのでどうかな、と思っていましたが、やはり声の勝ち!という感じでしたし、演技でマンガやアニメのキャラを膨らませていらっしゃいました。アニメでもよくあるのですが、両津が中川さんや麗子さんに部長の悪口を言っていると部長がやってくるのです。両津は部長に気が付かず・・・怒鳴られる。そのやり取りや部長の表情といったら、アニメの楽しさそのままでした。臨場感がとてもある舞台は、アニメ以上なのかもしれません。
これは、マニアックな想像ですが・・・アニメのアフレコはとても狭い場所でやるのですよね。あの狭い中でも、すごい演技しながら声出されているのかしら・・・舞台を観たら、そういう妄想が!!!(笑)

と、永遠に続けると終わらないので、最後に・・・
今回の舞台での話しの主役とも言える向島三四郎役の清水宏さんは、初めて舞台を拝見したのだと思いますが、とにかくすごかったです。ここまで、観客を惹き付けるパワーは一体何でしょうか?

本当に、他にもいろいろお話したいことが山ほどある楽しい舞台でした。

9日に観劇し、さらに千秋楽の13日にも観劇しました。
私は、割とアドリブでやっているのかと思っていたのですが、2回ともほとんど変わらなかったので、脚本がとても綿密であったことにも驚きました。そして、2回目もすっごく笑えました。補助席を出すほどの大盛況でした。演じる方たちは相当大変だと思いますが、また、何かの機会に舞台版ができるといいなぁと思いました。今回は連載開始30年周年だったのです。30年ですよ。信じられない長寿マンガです。

マンガの原作にあるおもしろさ、脚本・演出のラサール石井さんの様々な工夫、マンガやアニメのキャラに負けない俳優の皆様の熱~~~い演技。すべてが爆発したような、素晴らしい、楽しい舞台でした。

勿論、感動の涙にくれる舞台やいろいろな問いかけのある舞台も私は大好きです。でも、舞台が好きなのは、小さな空間にギュッとつまったエネルギーを、そこにいる全員が分かち合い、そして、また作り出す楽しさにあるのだと思いました。

写真は、千秋楽のサービスに俳優の皆様が舞台からプレゼントして下さったサイン入りボールです。ボールのほかに両さん人形やお菓子もあったようでした。舞台からいろいろな物が飛んでくるので、ぶつからないようにしようと思っていたら、ボールが真っ直ぐ飛んで来ました。いや~~~びっくりしました。どなたが投げて下さったのかはわかりませんでした。残念。でも、日頃の子供との遊びが役に立ち、ナイス・キャッチ!

子供から大人まで、そして男も女も楽しめるこんな舞台をまた楽しみにしています。

ダンス・オブ・バンパイア

2006年07月17日 | 観劇記
06年7月17日マチネ
帝国劇場 1階10列目センター

感想が思い切り割れる舞台ではないかと思います。
私の感想もあまたある感想のひとつとしてお読み頂ければと思います。

あらすじ。(とにかく単純です。)
寒い冬の日に、プロフェッサー・アプロンシウス(市村正親さん)とその助手アルフート(泉見洋平さん)がヴァンパイアの研究のために村にやって来る。村人はヴァンパイアの存在を否定するが、ある晩、村の宿屋の娘サラ(剱持たまきさん)がヴァンパイアであるクロロック伯爵(山口祐一郎さん)の誘いを受けて城へ行ってしまう。サラに恋するアルフートとプロフェッサーは伯爵の城へ侵入する。無事にサラを助け出したと思ったが、すでにヴァンパイアになっていて、アルフートもヴァンパイアに。

アルフートは泉見洋平さんでしたが、情けなくて可愛くて、愛すべきアルフートでした。歌も安定していて、見ていてとても気持ち良かったです。

せむし男のクコールの駒田一さん。もう、上手過ぎます。こういう俳優さんが日本にいらっしゃることがとても嬉しいです。

しかし、他の主要キャストには失望でした。まあ、そもそも作品自体がつまらないと言ってしまえばそれまでなのですが・・・

山田和也さん演出のコメディは何作も観劇しています。おおよそ、コメディらしいコメディで、観劇した後、理屈ぬきで楽しい時間だったと感じていたと思います。が、今回はコメディという感じがしませんでした。

音楽も、同じような曲や曲想の繰り返しで、ミュージカルらしい心に響く歌かなかったように思います。

そして、何より「ダンス・オブ・バンパイア」の「ダンス」は何だったんだろうと思いました。ウィーン発のミュージカルはダンスを独立させる傾向にあります。「エリザベート」のトート・ダンサーはその典型です。「エリザ」ではとても新鮮でした。しかし、私の好みではないのです。ミュージカルはやはりプリンシパルの皆様が歌って、踊って、演技もして、という超人的なことをするからこそ楽しいのです。「ダンス」とわざわざ付いているのですから、歌って、踊って、キャストの皆様はさぞかし大変だろうなぁと思いながらも、ギュッとしたエネルギーの爆発するような舞台になっているのだろうと期待したのです。が、がっかりでした。歌は歌、ダンスはダンスですから、とても気持ちが分散してしまいました。

そして、舞台が暗い。暗過ぎます。夜で、ヴァンパイア達の話ですから、暗くなくてはいけないのだと思いますが、暗いです。本当に暗いです。だから余計に、コメディの部分の記憶がないのです。くら~~~~~い、くら~~~~~い「地底で歌うヴァンパイア」という印象でした。

いつもご活躍を楽しみにしているさけもとあきらさんは、開幕直後の村の宿屋の場面で、たくさんのソロを聴くことが出来ました。相変わらず素晴らしい歌声です。いろいろな扮装で舞台に立たれるので、さすがに見逃してしまった場面もあるようです。

舞台を作り上げることは、それがどんな結果であろうと、大変なことであることはわかっているつもりです。特に、ミュージカルはやることがたくさんありますから、その大変さはどれほどでしょう。それだからこそミュージカルはステキなのだと思っています。ですから余計に辛口になってしまうのです。東宝(特に帝劇での演目は)のミュージカルは、多くの観客のミュージカル観劇の入口であると思うのです。最近の演目ならオペラの方がいいと感じてしまいます。ですから、もっともっとミュージカルらしいミュージカルを制作して欲しいと考えています。歌に踊りに演技にと3拍子揃った俳優の方々に、ミュージカルの本当の楽しさを広めて頂きたいと思うのです。

泣かないで

2006年07月04日 | 観劇記
2006年7月4日 ソワレ 東京芸術劇場・中ホール 3列目上手

原作は、遠藤周作著「私が・棄てた・女」です。今回は出演者よりその原作に興味がありました。また、音楽座復活後二作続けて観劇したので、今回も!ということで観劇しました。

あらすじは、ネタバレになりますので、注意してお読み下さい。(舞台は原作にとても忠実です。)

舞台は昭和25年頃の東京。
大学生の吉岡(吉田朋弘さん)は苦学生をしていた。恋もしてみたい年頃だった。雑誌の「文通しましょう」という欄に投稿していた森田ミツ(今津朋子さん)に手紙を出し、会うことになった。ミツは犬コロのような雰囲気で、吉岡はがっかりしたが、自分の欲望を満たしたいという思いは変わらなかった。嫌がるミツだったが、吉岡が子供のときに小児麻痺を患ったと聞き、可哀想という気持ちからか、身体を許してしまう。
吉岡は就職し、会社の重役の親戚の三浦マリ子(中村桃花さん)と付き合い始める。ミツのことを思い出しもしなかった。
吉岡はマリ子に対しては結婚するまで貞節を守ろうとするが、身体は言うことを聞かず、欲望を満たすためにそういう場所に行ってしまう。それを会社の同僚の大野(渡辺修也さん)に見つかり、金をせびられる。
そんなとき、ミツの友達から、ミツがまだ吉岡のことを大切に思っていることを聞かされ、ミツに自分の相手をさせようと訪ねていく。しかし、ミツは病気になり御殿場の「復活病院」に行くところだった。
絶望の中、ミツは病院でやっていく勇気を少しずつ、同じ病気の患者やシスターからもらっていた。
ところが、ミツは誤診で、病院から退院出来ることになった。
駅まで来たミツだか、いろいろな気持ちが渦巻き、病院に戻り、スタッフとして働くことになった。
一方、吉岡はマリ子と結婚した。その知らせの年賀状を書いた残りの年賀状で「復活病院」のミツにも年賀状を書いた。
年が明けてしばらくたったある日、吉岡のもとにスール・山形(秋本なみ子さん)という人から手紙が届いた。そこには、ミツの入院後のことが書かれていた。誤診だったこと、スタッフとして働いたこと、そして自動車に轢かれて死亡したこと。さらに、スール・山形が吉岡に手紙を書いた理由が記されていた。最後に意識が少し戻ったとき、ミッちゃんは『サイナラ、吉岡さん』と言ったことが。

感想です。
が、感想を書くのは難しいです。まあ、内容が内容ですから。

舞台全体としての感想は、とてもよかったと思います。音楽がとても素晴らしかったです。ただ、音楽座の作品を三作観て共通して感じていることは、ちょっとダンスが多すぎないかなぁ、と言うことです。ミュージカルは歌、演技、ダンスがあって成り立っているわけですから、ダンスはあっていいのですが、厳しいことを言えば、ダンスに逃げているような感じがするのです。もっと丁寧な演技や歌があってもいいのに、と思う場面が何箇所もありました。原作を読んでいなければ、わからないのではないかと思う場面もありました。
舞台は、本と違って、どんどん消えていってしまうので、もっと極端に作らないと心に残らないのではないかと思うのです。
ただ、原作の内容が現在社会では触れられない病気のことや、男女の差別、宗教のことに及んでいるので、ある場面を強調すると、問題提起がはっきりとし過ぎるとも考えられます。が、やはりもう少し深く描いて欲しい場面がありました。

吉岡役の吉田朋弘さんは初舞台だそうです。もし、聞いていなければ気が付かないほどの堂々とした舞台でした。年齢が役にぴったり合っているのですから、のびのびと演じていらしたと思います。視線の取り方もとてもよかったと思います。が、もう少し後方で観るとなるとまだ弱いかなぁという気もしました。これからの活躍がとても楽しみです。

三作とも重要な役をこなした中村桃花さん。まだ19歳ですよね。それなのに本当にすごいなぁと思います。今回も激しいダンスを終えてすぐの台詞もすっきりと言っていました。鍛えているんだなぁと実感します。そして、演技プランが素晴らしいですよね。天才と言ってしまえば、そうなのでしょうけれど、どんな努力をしているのかお聞きしてみたいと思います。こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、現実の世界で恋愛をそんなにたくさんしているはずもないのに、こういう時には、こういう表情をするなぁというのが私の感覚と合致するのです。観察力や想像力が素晴らしいのだと思います。次の舞台も楽しみです。

他にもいろいろ思うことがあるのですが、普段滅多に言葉にしないようなことに踏み込んでしまいそうなので、なかなか書くのが難しいです。
また、いつか、何かの折に書きたいと思います。

みにくいアヒルの子

2006年07月02日 | 観劇記
06年7月2日築地本願寺にあるブディストホールにて

治田敦さんの作・演出・出演の三作目「みにくいアヒルの子」を観ました。
いや、理屈ぬきで楽しかったです。よくもまあ、こういう展開にこういう歌を当てはめるなぁ、と、笑い続けました。選曲がすばらしかったと思います。客席が盛り上がりましたね。その盛り上がりも、勿論、出演者の皆様の歌声が素晴らしかったからですね。

お話の本筋は、ちょっと難しい気がしました。「みにくいアヒルの子」の原作もいろいろな解釈ができるそうですから、この舞台もいろいろな解釈があってもいいのだと思います。が、そんな小難しいことは置いておいて、楽しめました。

治田敦さん、神崎順さん、Belleさん、速水翔さん、杉山奈央さん、TEAさんの6人のキャストで繰り広げれるコメディです。Belleさんは突然の出演決定だったそうですが、彼女無しではお話が成立しないと言うほど重要な役所でした。短期間でここまで仕上げるとは・・・本当にすばらしい実力の女優さんなんだと実感しました。

治田さんのこういった舞台は三作目で、私は前二作も拝見しました。
作り方や、出演者の数も違うので、一概には言えませんが、三作目は本当によくよく練られた作品だと思いました。
そして、なんといっても神崎さんのキャラクターが治田さんの作りたいコメディに合っているんだろうなぁと思いました。
神崎さんは本当に素敵な方ですよね。何度か舞台を拝見していますが、今日は本当にじっくりと歌も踊りも堪能させて頂きました。
漫画の主人公は目に星が輝いたりしていますが、神崎さんの目はまさにそんな感じです。宝塚的目の使い方と言えなくもないのですが、本当に輝きがあります。
と、ミーハーなことを言いつつ、ちょっとまじめに一言。何人かでダンスをする場面があるのですが、その時の目線の動かし方が皆さん本当に違うのですよね。普段の大きな舞台ですとあまり気がつかなかったのですが、目線は本当に大切なんだなぁと思いました。演技(ミュージカルでは歌っている時も演技ですから歌う時も)では勿論とても大切だと感じていましたが、ダンスでもこんなに大切だとは思いもせんでした。神崎さんのちょっとした流し目、伝えようという強い意志での凝視・・・観客の心をわしづかみです。
あまりにも素敵な神崎さんですが、数々のギャグもすべることなく、楽々こなし、「ヒロシです」のキャラまでもこなしていらっしゃいました。

治田さんの脚本もすごく面白かったと思います。それを具現化して楽しませて下さるキャストの皆様がいらして、ますます脚本が輝くと思いました。

治田さんの次回作も楽しみにしています。お話自体ともとても楽しみですが、どんな選曲、どんなキャスティングをなさるのか、そのあたりも興味津々です。

梅雨空のじめじめした気分を忘れる、さわやかな、軽やかな舞台を、本当に心から楽しみました。

当世流小栗判官

2006年03月26日 | 観劇記
今日は初めて画像付きのブログです。
この桜は、国立劇場の敷地に咲いていた「神代曙」という種類の桜です。ソメイヨシノより早く満開です。色もサクラ色という感じです。ソメイヨシノは結構白いですからね。

この桜の満開と同じように、舞台の方も素晴らしい出来でした。
歌舞伎もよく観る方だと思いますが、ミュージカルほど入れ込んでいるわけではないのです。ですから、楽日に観るのはちょっと・・・と思いましたが、今日しか観ることが出来なかったので、勇気を出して出かけました。

国立劇場では通し狂言を上演することが多いのです。歌舞伎を観ない方は「通し狂言?」となると思います。実は、歌舞伎座での歌舞伎の公演は、ある作品のある一場面を上演する、というスタイルなのです。
ストレート・プレーやミュージカルでは考えられませんよね。「レ・ミゼラブル」の酒場の場面、「エリザベート」の結婚式の場面、「オペラ座の怪人」の怪人の住まいの場面を観劇するといった具合です。
「通し狂言」というと普通の「レ・ミゼラブル」の公演ということになります。
いつから歌舞伎がこのようなスタイルになったのかは知りませんが、私の父が子供の頃にはお弁当を持って一日歌舞伎座で「忠臣蔵」を見ていたそうです。
歌舞伎は長い演目が多く、また、時代の流れによって理解できない、また時代にはふさわしくない場面もあって、今のような上演スタイルになったのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、通し狂言は上演時間がとても長くなります。4時間もよくあること。そして、今回はそれでも足りず、一部と二部に分けて上演しているのです。ですから、2枚チケットをとって見ないとお話が完結しないのです。
二日に分けて見るもよし、一日で見るもよし。
本当は二日に分けたかったのですが、なかなか日程が組めず、一日に、それも千秋楽に、午後1時から夜8時過ぎまで、一時間のお休みをはさみ7時間・・・。
しかし、その時間の長さを感じさせない、とても引き締まった、中身の濃い、スピード感溢れる素晴らしい舞台でした。

あまりにも長いので、あらすじは書きません。
ちょっと感想を。

市川右近さんの三枚目は初めて見ました。千秋楽ということもあってかノリノリでした。いや、ステキな俳優さんは何をやってもステキです。

今回とてもよかったのは市川段治郎さん。
よくなったから以前思っていたことを書いてもよいと思います。
段治郎さんは背も高く、お顔もこれぞ歌舞伎役者!という恵まれた方なのです。
しかし、私が最初に意識して拝見したときは、とてもよい役なのに窮屈そうに演じていました。その大きな四肢を縮め、役をそうっと演じているような感じがしていました。
その後も、段取りを間違えないようにという感じが観客の私にさえ伝わるような演技が続いていました。本当に恵まれた体格なのに勿体無いと思っていました。
ところが、今回、本当に素晴らしく成長していました。本当に見違えるほど演技が大きくなっていました。演技に「ため」が出来て、自分の間をきちんと持てるようになっていました。
これらのことは、私の感覚でしかないので、なかなか他の方にわかっていただけないとは思います。しかし、手の動きの美しさは多くの方にわかっていただけたのではないでしょうか?演技が大きく見えるのは、その指先にまで行き届いた演技であったと思います。
これから、ますます活躍の場が増えると思います。その恵まれた身体を思う存分活かし、印象に残る役を作って行って欲しいと思います。

作品としては、忠義のために自分を犠牲にするという、今となっては古臭い内容です。しかし、笑いの場面ではここ数日紙面を賑わせているニュースが織り込まれ、「今」を感じさせてくれました。
千秋楽ということもあったのかもしれませんが、本当に本当に本当に出演者の熱演に、胸を熱くしました。

先日の野球で言えば、選手一人一人の熱い思いが、一つ一つのプレーに出て、それが観客に伝わり、勝負以上に、野球っていいなぁ、となりました。

舞台も同じです。作品の内容も勿論大切ですが、役者の心意気がバンバン伝わってくる舞台は、それだけで感動するのです。心から、舞台って素晴らしい!と思いました。

最後に、今後の再上演のときの参考に一言。一部も二部も見るのが一番だと思います。が、とうしてもどうしても無理なら、一部を観ることをお勧めします。

過ぎ去りし日々

2006年03月15日 | 観劇記
無事生きていました。というぐらいご無沙汰をしました。
悪性の風邪も夫を避けて通り、ほっとしたものの、他の3人は本調子になれず、不調のまま3月に突入。体調が良くなってきたな、と思ったら仕事がとても忙しく、ここ数日は数時間の睡眠しか取れませんでした。一息、ということで久々の観劇でした。しかし、疲労気味で観るときにはやはりコメディがいいのですよね。今日の舞台の前は「ベガーズ・オペラ」でしたが、この時も相当イライラした精神状態で暗い舞台を観劇したので、さらに暗い気分になってしまいました。
今日はコメディどころではなく人間の生き方を問うようなお話でした。落ち込んではいませんが、深く感情移入出来ていません。
そういう日の感想はあまり書かない方がいいのかもしれませんが・・・ちょっと書いてみたいような・・・
春なのに花粉症なので、外出でうきうき!とも行かず・・・春なのに暗い気分・・・あまり暗くならないように、深呼吸です!!!

あらすじ。
ホルストメール(篠本幸寿さん)という斑模様の雄馬が生まれました。斑は不吉ということで子孫を残すことも許されない。去勢されたホルストメールは暗い日々を送っていた。仲間の馬は競で落とされて、素晴らしい飼い主に引き取られていく。競には出されなかったけれど、セルプホフスコーイ公爵(佐山陽規さん)がホルストメールに気付き、買って行った。ホルストメールは自分のことを認めてくれた公爵のために尽くそうと考えていた。競馬で昔の仲間で今は皇帝の持ち馬であるミールイ(吉田朋弘さん)を破りロシアで有名になる。
しかし、幸せは長く続かなかった。公爵が自分のもとを去る恋人マチエ(蜂谷眞未さん)を追うために馬車を全力疾走させ、その結果ホルストメールは転倒、重症を追うことに。
早く走れないホルストメールは労働馬として次々と人手に渡っていく。そして20年の月日が過ぎ、ヴォレンスキーの厩で公爵と再会する。
すっかり年を取り、酒びたりになっている公爵。公爵という身分があるとはいえ、他人の家に居候をするまでに身を落としている。ホルストメールに出会っても気が付かない。他の馬達がその薄情さに怒り、一騒動となってしまう。ホルストメールと過ごした楽しい日々にも歌っていた「過ぎ去りし日々」に反応するホルストメール。公爵もついにホルストメールだと気が付く。
しかし、再会は悲しい別れでもあった。公爵にはホルストメールを買い取るお金もない。騒動を起こしたために、居候を断られてしまう。そして、ホルストメールも騒動のもとだとして殺されてしまうのだった。

多分、こんな感じです。原作がトルストイなのです。ロシア文学に出てくる人名はとても難しくて・・・セルプホフスコーイ公爵・・・何度も台詞に出てくるのですが、俳優の皆様はサラっと言われていました。下を噛みそうです(笑)。言う前に、覚えるのも大変で、あらすじの中の名前がもし違っていたらお許し下さい。

馬が主人公なので、馬の役のときに馬のいななき、しぐさをとても取り入れています。動きがとても大変そうで、体力勝負の作品だなぁと思いました。ホルストメール役の篠本さんはほぼ出ずっぱり。その上、老いた時期を演じるときは脚が悪いことも表現するので、本当に本当に大変だったと思います。
しかしその一方で、そこまで「馬」にこだわる必要かあるのかなぁ、という思いもあります。馬の衣装は白に手綱を連想させる紐をかけているのです。それで、「馬」という印象があります。人間と馬が登場する場面では、馬としての身体的表現があることによって人間と馬との間にある壁とても際立つと思いましたが、馬同士の場合にはもう少し自然動きの方が、馬達の感情に観客が感情移入出来るのではないかと思いました。

老いには、荘厳な老いと惨めな老いがあるというような表現があるのです。なるほどとも思いつつ、馬の老いは荘厳で、人間は惨め、と捉えているようで、少し悲しい気持ちになりました。トルストイの描いた時代はロシア帝政。身分制度が前提となってもいますから、現在とは人間の捉え方が大きく違うとは思いますが、もう少し人間の生き方に希望のある結末であったらいいなぁと感じてしまいました。トルストイは人間の生き方に警鐘を鳴らしたのだとわかっていても、今日は特に希望が欲しかったのです。・・・相当疲れてます(苦笑)・・・

名前が覚えられない・・・ということで、間違っていたら申し訳ないのですが、フリッツをなさった山村秀勝さんは、セルプホフスコーイ公爵の御者役もなさっていたのでしょうか?フェオファーンという役名でしたか?パンフレットを見つつ、役名に関するわずかな記憶を辿る私です。惨めな老い・・・(暗)
どちらの役も、とても心温まる演技でした。公爵の御者はホルストメールも公爵もとても大切にしていることが、しっかりと伝わってきました。フリッツも心優しいので、公爵も辛い居候生活でも心和んだのではと、いろいろ想像が広がる演技だったと思いました。
ちょっとした場面でも、その奥を垣間見せてくれる演技に出会うと、とても嬉しくなります。
が、その逆もあるわけです。
もともとの脚本で描いていないのかもしれませんし、そこまで観客として探求しなくてもいいと思いつつもとても気になるのが、公爵とマチエの関係です。公爵が20年で没落してしまう原因でもあると推測されるので、もう少し描いて、もっと深い演技をしてほしかったなぁと思いました。

セルプホフスコーイ公爵を演じられたのが佐山さん。年を重ねてからの演技が素晴らしかったです。「過ぎ去りし日々」という歌を何度も歌うのですが、その歌い分けがやはり凄いですね。歌詞の内容は、過ぎ去った日々を悔いることなく、前を見ていこう、という感じです。メロディはちょっと切ない感じです。若いときは、過ぎ去った日々を・・・と歌いながらも、あまり感慨にふける様子もなく、メロディの美しさを楽しんで歌っているようでした。しかし、年老いてからは、歌の意味するところをとても感じさせてくださいました。私自身、まだ、というか、したくないと、というか、過去を振り返りませんので、本当の歌の深さを感じ取ってはいないと思いますが、心に残る1曲になりました。
若い時代の時に「公爵」という身分を考えてか、とても落ち着いたお声で演じられていましたが、もう少し優しい、ちょっと軽めのお声で演じられたら、もっともっとよかったかなぁと思いました。

ちょっとお疲れモードの私が観劇するには、辛い内容の舞台でしたが、美しい音楽に心癒されました。

とってもゴースト

2006年01月15日 | 観劇記
2006年1月15日
東京芸術劇場・中ホール  実質2列目上手より

音楽座、再出発の第二作目。「21C:マドモアゼル・モーツァルト」はかなり難しい作品だったので、音楽座はこの路線で行くのかもしれない、と思っていましたが、今回の「とってもゴースト」はとてもわかりやすい、楽しい舞台でした。

あらすじです。
華やかなファッション・ショーが始まる。大盛況のうちに終了。このショーのブランド「ユキ・イリエ」を率いる社長は、華やかなショーとは裏腹に悲しげに公園に佇んでいる。今日は、クリスマス・イヴ。彼は25年前のクリスマス・イヴを思い出していた。

入江ユキ(鈴木ほのかさん)は新進気鋭の若手デザイナー。才能もあるが、とても厳しい。ある意味とてもわがままだ。翌日のファッション・ショーを控えてイライラもしていたのだろう、気晴らしにドライブに出かける。そして、交通事故に遭う。幽霊になったユキだが、本人は死んだことに気付かず、ショーの準備の現場に戻ってくる。しかし、誰もユキがいることに気付かない。ガイド(広田勇二さん)に「あなたは死んだのです。」と言われても気が付かない。「さあ、私と一緒に行きましょう。」とガイドに言われるが、この世に未練のあるユキは逃げてしまう。
公園のベンチで若者達の楽しそうな話を聞くユキ。その中の一人、靴のデザイナーを目指す光司(安中淳也さん)がユキに気が付く。夜中の12時を過ぎたので、姿が現れたのだった。ユキの様子がおかしいので心配し、光司はユキを家に連れて行く。ユキの絵を描こうとモデルを頼むが午前3時になるとユキは消えてしまう。
翌日、光司は由美にレストランで告白するがふられる。その様子をユキは見ていた。12時になり姿が現れるユキに驚くが、ユキの「失敗がなによ。それこそが成功の一歩!」と勇気付けられる。
ガイドは連れて行くべきユキに逃げられ、厳しい試練を受けていた。やっと見つけて一緒に来るように説得するが、木に取り付いている霊のかたまり様にそそのかされたユキはまた逃げてしまう。
光司とユキはどんどん惹かれあっていた。しかし、人間ではないユキは、自分の名前も、職業も話さないし、プレゼントも受取らない。手も触れさせない。混乱する光司を見て、ユキはガイドに「一日だけ生き返らせて」と懇願する。
結婚式を挙げ、幸せな時を過ごしていたが・・・光司は新聞に「入江ユキ」死亡の写真入り記事を見て、すべてを悟るのだった。
クリスマス・パーティのダンスを終え、光司と別れ、ユキはガイドに「もう、行きます。」と告げる。光司はその様子を見ている。そして、行きかけるユキに自分も死んで一緒に行く、とすがる。ユキは「生きていることは素晴らしいことなのよ。」と、光司を諭す。
ガイドはユキに「生まれ変わればいいのです。」と告げる。

25年後のクリスマス・イヴ。思い出に浸る光司は、ユキにそっくりな女性に、あの公園で出会った・・・

こんなお話でした。
「生きているって素晴らしい」と当たり前のことながら、なかなか実感できない大切なことを気付かせてくれる、ステキな作品でした。
「死」という暗いテーマですが、全然暗くないのです。ガイドという面白い役を作っていることと、ダンスシーンが多く、勢いのある舞台構成だからだと感じました。
かたまり様というとてもわがままな霊が出てくるのも、面白い構成だと思いました。
また、最初の場面に戻って終わりと言うだけではなく、もしかしたら生まれ変わったユキと出会って、これから光司も本当に幸せになるのかなぁ、といろいろ想像が膨らむラスト・シーンは心憎かったです。
その一方で、どうして光司が「ユキ・イリエ」のブランドを引き継ぐことになったのか、と不思議でした。ユキと光司が惹かれあう過程もちょっと描ききれていないと思いました。大学卒業を控えた人間が、自分よりかなり年上の女性と結婚するというのは相当の思いがないと・・・と思うのは私だけでしょうか。ユキにしてみれば、今日一日だけ、ということですが、光司にはわかっていないわけで・・・まあ、深く考えるのはおかしいのですが、ダンスシーンを少し減らして、もう少し心の移り変わりを芝居や歌で表現してほしかったなぁと思いました。
いろいろ思いはあるにしても、音楽も美しく、コシノジュンコさんの衣装の輝きが重なって、素晴らしい舞台に仕上がっていたと思います。

入江ユキの鈴木ほのかさん。歌も演技も素晴らしいですね。ただ、こういう役には見た感じが優し過ぎますね。衣装がちょっと気になりました。真っ赤なインナーに白のスーツという服装に意味があるのはわかるのですが、鈴木さんがとても優しく見えてしまうのです。段々(これが重要)心が柔らかくなる感じをいろいろな面でもっともっと表現して欲しかったです。

服部光司の安中淳也さん。確かに、光司は初々しさ、不安げな感じが必要だと思います。が、ダンスの時になるととてもとても自信に満ちている様子を見ると、その表現力を演技に活かして頂きたいと感じてしまいました。

かたまり様の鳥居かほりさん。さすがです。ガイドのいじめ方も、この世への恨みの伝え方も凄いです。あらすじには書きませんでしたが、このかたまり様もユキの生き様(本当は死んでいるので、生き様ではないような・・・)に触れ、心を開き、あの世へ無事行くのですが、そのときの短い歌も、すてきなダンスも、とても心に残っています。かたまり様というキャラクターを考えた原作者も素晴らしいし、その意図をきちんと観客に伝えた下さった鳥居さんに大きな拍手を送りたいです。

このかたまり様とガイドのやりとりのときに、老婆のガイドとして登場なさったのは大津裕哉さんだったのでしょうか?もし違っていたら申し訳ありません。この老婆のガイドさんがいい味出しているんですよ。台詞を言わない部分でも、その軽妙な動きで、観客の笑いを誘ってしまうのです。舞台と観客の距離を縮めることの出来る俳優さんだなぁと思って拝見していました。

ガイドの広田勇二さん。
この作品の主役はユキと光司ですが、舞台が盛り上がるかどうかの鍵を握っているのはこのガイド役だと思います。「死」という普段触れたくない話題をどう感じさせるかという重要な役です。
私としては、もう少し前半から飛ばしてもいいのではないかと思いました。一幕の最後に、ユキに逃げられ、雷に打たれたときに、ベンチの金属部分に捕まっていたので、大変なことになります。そして、ベンチに座っていた人にも被害が及んで・・・という場面で、ああ、このガイドは相当ドジなんだなぁと思いました。この場面以降、ガイドの登場のみで会場から笑いが起こっていましたね。もう少し前からもっともっと笑いが来てもいいのにと思いますが、観客には「死」のイメージが大きくて、ちょっと笑えないところがあるのです。ガイドは登場するたびに服装がぼろぼろになるのですが、実はその理由が私には最初よくわかりませんでした。ガイドといっしょに行かないと死を迎えた人がどうなるのか、ガイドもどうなるのか、についてのもう少し詳しい説明が最初にあってもいいですよね。かたまり様の説明もしかりです。段々わかるのですが、最初に説明があった方が私としてはわかり易かったし、舞台に入り込めたと思います。脚本自体に多少難点があり観客が手探りになってしまうのだと思いますが、広田さんも一緒に手探り状態?という感じがしました。観客と同じ視点だから共感するという方向での役へのアプローチもいいとは思いますが、コミカルな役なのですから、ちょっと観客がひくかも・・・というぐらいの思い切りがあってもよかったのかもしれないと思いました。
でも後者なら後者で、観客を置いていくな、とかいう文句が出たりもするんです。
私は、生きている間のユキ以上にわがままです。気をつけないと、広田ガイドに「この世に未練残さず旅立とう」と言われてしまいますね(笑)。
少々辛口な感想も持ってしまいましたが、とにかくステキでした!!!歌は最高です。台詞と歌が混じるというか、歌という意識がないまま台詞として感じていたナンバーもあるようです。本当に、素晴らしいですね。いろいろ言っても私の拙い文章では伝わらないのです。こちらをご覧になって頂けると、素晴らしさがすぐに伝わります。(リンク切れになることがありますので、ご了承下さい。)
僭越かもしれませんが・・・
カーテンコールで広田さんにひときわ大きい拍手が送られているのを聞き、ファンとしてとても誇らしく思いました。
これからもいろいろな役柄に挑戦されて、ファンを魅了して頂きたいと思います。

地方公演は演鑑主催などで一般の観客は見ることが出来ないこともあるようですが、「生きることって本当に素晴らしい」と感じさせて下さるこの作品を是非ご覧になってみて下さい。

クリスマス・ライヴ「飲んだくれ達の聖なる夜?」

2005年12月23日 | 観劇記
2005年12月21日
神保町のDina Gyang (ディナギャン)という普通のレストランが会場でした。
キャストはさけもとあきらさん、小鈴まさ記さん、岡田誠さん、白木原忍さん、高野絹也さん、伊藤俊彦さん、瀬川夏未さん。
ピアノ伴奏は高島みほさん。

四日間のライヴの三日目に伺いました。
午後7時からお食事をしました。私の行った日は和食でした。イタリアン、中華などの日もあったようです。
ゆっくり食事をした後、午後8時よりライヴ・ショーとなりました。
具体的にどなたが企画したのかはわかりませんが、手作りのとても温かい時間でした。何しろ、出演者の皆様自らが出迎えて下さり、席に案内して下さいました。飲み物は足りていますか?もっと食べて下さいね、とか日頃は恐れ多くてお話し出来ない俳優の皆様が気軽に声を掛けて下さったのですから、ファンとしては感激ひとしおでした。
最初は皆様白と黒のシックな装いでした。小鈴さんが「これこの前の舞台衣装で・・・」とに観客が見た見たと拍手。さけもとさんも「結婚、で着ました。」とおっしゃり、これにも拍手。勿論、私は両方拝見していました。小鈴さんは、白の光沢のあるブラウス・シャツに黒のズボン。「雨物語り」の天使というか神様というか、の役で登場なさったときに来ていらした衣装。背が高くていらっしゃるし、キラキラがますますキラキラしていました。さけもとさんは、一昨年の夏、銀座でのライヴ「結婚」の新郎役で着られた衣装でした。ということはまさに新郎が着る服です。これがお似合いなんですよね。

ライヴとは言え、小作品となっていました。
最初に「ジングル・ベル」を全員で歌われました。観客も一杯入っているのでノリノリ。
その後はお話の中での歌となりました。
高野さん扮する、結婚20周年を今度のクリスマス・イヴに迎えるサラリーマンのお話。このサラリーマン、妻が最近ふさぎこんでいることがとても気になっています。飛び切りのプレゼントをしたいと思っているが先立つものがない。とある日、サンタクロースになると副賞に大切な人に好きなものをプレゼントできるというオーディションがあるとチラシで見たのです。今日がそのオーディション。サラリーマンは会場で妻の姿を見つけるが、他にも人がいるので声は掛けない。そして次々とクリスマス・ソングを聞かせて下さる、という趣向です(詳細は後で)。妻の番が来て、「ホワイト・クリスマス」を歌うと、サラリーマンが和します。二人とも互いにプレゼントをしたいという気持ちがわかり、心が通い合いました。
ダンスのオーディションもありました。全員でスキップしながらその場で回転するという課題!これが長い!フラフラになり、隣の人ともぶつかるわ、途中でずるするわ、結構ここは演技ではなく、地?と言う感じでした。
オーディションの結果、ここに集まった人は全員不合格。主催者からは「自分の身近にいる人のサンタクロースになりなさい。」という言葉があったそうです。

お話として、とても心温まりました。そして、皆様方が扮する受験者の個性豊かなこと!笑い過ぎて、飲んだお酒も蒸発したかも。

お話は一段落し、「聖しこの夜」を英語で俳優の皆様が歌ってくださり、その後会場の全員で日本語で歌いました。
お土産があり、お花でした。(持ち帰って育てています。寒い毎日ですが、次々可愛い花が咲いています。)

オーディションでの歌の話をします。全員のお話をするべきなのでしょうけれど、ちょっとはしょらせて下さい。申し訳ございません。
歌う順番とかももめていましたし、いろいろちゃちゃがあったり、本当に楽しかったのですが、あまりに笑い過ぎではっきり覚えていないようです。記憶違いはどうぞご容赦下さい。

最初に歌うことになったのが、高野さん扮するサラリーマンでしたが、それにコーラスのような感じで参加したのがさけもとさん。で、これで終わりなのかと思うと、また、「歌います。」と歌われました。ランニング姿で、いかにもスポーツしますという役回り。ところが、歌声はその外見からは想像できないほどの甘く、美しく、響き渡る歌声です。本当に、さけもとさんがお一人で歌い出されると、会場の空気が変わりました。柔らかい風が吹くような感じです。以前から思っていたのですが、このときにとても強く、「レ・ミゼラブル」の司教様を演って頂きたいと感じました。劇場の空気を変えることがあの役にはとても必要ですし、それによって作品自体がどんなに厚みを増すだろうと考えると、ワクワクしてしまいます。

次は、小鈴さんです。オタクとわかるメガネ、服装。もうそれだけで登場の時から観客の注目を一身に受けていました。その期待に違わず、可笑しかったです。今、思い出しても笑えます。かなり大き目のウエストポーチから大事そうに取り出した人形。皆に「リカちゃん」と言われていましたが、私の目には「羽根」が見えました。もしかして、「さくら???」と思っていると、小鈴さんの蚊の泣くような「サクラ」という声が・・・。もう一人で大笑いしてしまいました。まさか、こんなところで「カードキャプターさくら」の話題が出るとは思ってもいませんでしたから。この漫画はCLAMPが描いたもので、アニメにもなっています。さくらは小学生という設定ですから、子供向けの作品だと思います。それに入れ込む成人男性は相当なオタクですからね。「あなたからメリークリスマス、わたしからメリークリスマス」とさくら人形に歌いかける小鈴さん、本当に可笑しい!!!ポーチからプレゼントも取り出し、観客にも配っていました。最後は、歌い上げてステキと思ったら、苦しくて(?)倒れこむという、素晴らしいエンディングでした。

最後を選んだ岡田さん。「諸人こぞりて」を大熱唱。最初は、オペラ風に歌い出されて、他のオーディション・メンバーがひいていました。それにもかかわらず、どんどん熱が入り、どこまで熱唱するのか?という感じでした。ご本人はとても真面目に歌うのに、なぜかとても笑われてしまうと言う役回りでした。
岡田さんの歌も、会場の空気が変わりますね。なぜか歌声を聴きながら、「オケピ」のことが思い出されて仕方ありませんでした。他の俳優さんの歌もけっして下手ではないけれど、何か面白みがない、心に響いては来なかったのです。岡田さんの「俺達はサルではない。」と言う歌が、今回と同じように真面目に歌うのだけれど笑われてしまう役回りでしたので、あの時、岡田さんの歌がすごく心に届いたことが無性に思い出されていました。歌は上手いだけではだめで、心に響いてこそ歌なんだなあ・・・でも、ただただ大笑いしていました、「オケピ」のときも、今回も。

ご出演の俳優の方が多くていらっしゃるし、ライヴの時間も短いから「どうかな?」と思いつつ出かけたのですが、とても濃い時間を過ごしたという満足感で一杯でした。
とても不思議な、あまりにもゴージャスな時間でした。
その上、とても楽しい楽しいライヴ・ショー!!!
今年最後の観劇(集まり?)に大満足でした。

34丁目の奇跡

2005年11月29日 | 観劇記
05年11月29日ソワレ 
かめありリリオホール 10列目センター

心から楽しめるミュージカルでした。今年、私が観劇した作品は、結構重い内容のものが続いていたので、久しぶりに肩の凝らないウキウキするような作品に出会えて嬉しかったです。

あらすじです。
ところはニューヨーク。時はある年の11月。
サンクスギビングディのパレードが盛大に行われようとしていた。この日から約一月、クリスマスまでは街がとても華やかになる時期で、大人も子供も浮かれているのだった。が、10才位の女の子スージー(橋本愛奈さん)は、同じアパートに引っ越してきたばかりのフレッド(別所哲也さん)に、パレードを見に行こう、と誘われたのに、「出来を評価するためになら見に行ってもいい。」と子供らしくない答えをする。
一方、パレードの中心を飾るメーシーズ・デパートの名物サンタクロース役はなぜか酔いつぶれて、パレード出られそうにない。その事態を取り仕切っているスーザンの母ドリス(愛華みれさん)は、そばにいた白い髭の老人(宝田明さん)に代役を頼む。
ドリスは評判の良いその老人にクリスマス商戦に勝とうと今年のサンタクロース役を依頼した。その老人は、自分が本当のサンタクロースで名前はクリス・クリングルだと名乗った。クリングル氏は子供たちとすぐ仲良しになる。「サンタクロースなんて信じない」と言っていたスーザンとさえ仲良くなってしまう。メイシーズにない商品は競争相手のお店に売っているよ、と教えたりもした。お客は、「さすが、メイシーズ!」と感心する。
メイシー社長(佐山陽規さん)も一旦は、顧客を取られると考えるが、ドリスの助言で考えを換え、クリングルを終身雇用することにする。
スーザンはフレッドに仮のパパになってと頼むほど、フレッドを好きになっていた。
昼間スーザンとフレッドを見かけたことを同僚のシェルハマー(六角慎司さん)に聞いたドリスは、フレッドに近づかないで、と啖呵を切るが、どこか惹かれあう二人。
クリングルは、就職前の健康診断で、自分がサンタクロースだと言い、診断している医者(藤森徹さん)の不評を買い、精神病院に送られてしまう。
精神病院から退院させようと、ドリスは裁判所に審問を開くように嘆願する。弁護士がいるかと聞かれ、フレッドが司法試験に受かり、弁護事務所に就職すると言っていたのを思い出し、「います」と答える。
審問は開かれることになったが、落胆し、もう病院から出ないというクリングルのもとに、スーザンがやってくる。「私のプレゼントのお願いを叶えてね。」と頼むのだった。力がわいてきたクリングルは審問を受けるとこにした。
弁護士初仕事のフレッド。メイシーズの仲間の努力。新聞にも大きく取り上げられたこの前代未聞の「この人は本物のサンタクロース」なのか、という審問(裁判のようなもの)の結論はいかに。

とここであらすじはやめます。普段は大いにネタバレで書いてしまいますし、この作品は何度も上演され、映画もあるので、書いてもいいかな、と思ったのですがやめておきます。私にとってこれから先の展開がとても面白かったし、舞台もとても良かったので、是非是非「サンタクロースは本当にいるのか?」の結論は劇場で聞いて頂きたいと思います。

もうひとつフレッドはスーザンの本当のお父さんになってくれるかという方は、クリスマス・シーズンの作品ですからね、子供にはステキなプレゼントがあるわけです。

別所さん、愛華さん、宝田さんでの舞台は昨年に続いて2回目だそうです。(私は昨年は観ていません。)
プレビュー公演にしては、キャストの皆様はとてもしっくりと役をこなされていたと思います。様々なところにジョークが織り込まれ、とても軽やかな舞台運びです。でも、今の私達がどこかに忘れてきてしまった大切なことを考えさせてくれる、深みのある内容でもあります。
フレッドは軍務を終えて帰ってきたばかりという設定です。もともとのオリジナルは1947年に製作された映画ですから、第二次世界大戦を念頭においているのだと思います。フレッドは「大切な人を守ることは、戦うことだ、と思っていたが・・・」と人を信じることや、人間同士の違いを認め合うことの大切さに気がつくのです。
このときからもう60年の歳月が流れようとしているのに、人間は何度過ちを犯し続けるのでしょうか。
という場面もありますが、それもさらっとしているので、楽しい、どうなるんだろうとわくわくしながら観劇しました。

宝田さんは本物のサンタクロースです。私はもう子供ではないけれど、どうしても一つ欲しいものがあるんです。お願いを聞いて頂けないかなぁ、と真剣に思っています(笑)。

別所さんは、コメディもいいなぁと思いました。お芝居は「間」だと思っている私ですが、コメディは特にそうですね。アドリブなのか脚本に書いてあるのかわからないジョークをさらっと言って、観客の笑いをとっていらっしゃいました。お子さん達にも大うけでしたね。

とても華やかな場面もある舞台ですが、なんと子役を入れて15人で作り上げている舞台なのです。ですから、殆どのキャストが出ずっぱりです。早代わりも相当大変なことでしょう。でも、とてもまとまったいい舞台でした。もっと大きなカンパニーでやることも出来そうな作品ですが、こういう編成もいいですね。おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが感じられます。

そんな楽しい舞台で、大好きな俳優の方に出会えるのは本当に嬉しいものです。佐山さんのご活躍に、ステキだなぁと思ったり、大笑いしたり。まあ、大雑把に言うと、一幕は見て楽しみ、二幕は聞いて楽しむ、という感じでしょうか。
髭をはやした、とても威厳のあるメイシー社長なのかと思いきや、二幕の裁判所ではとても楽しい歌を歌って下さいます。さらに・・・は審問結果に繋がるのでお話しませんが、歌が続きます。
順番が逆になりましたが、一幕はもう大変です。社長の役以外にいろいろとコスプレ(?)をなさるのですから!お髭を付けたままでないと早代わりが間に合いませんから、探すのは簡単なのですが・・・
数日前に書いたブログに『俳優の皆様は、本当にいろいろなことに挑戦され、ファンを楽しませてくれます。でも、時々、「・・・」(絶句)と言うときもありました。が、今回の今さんに出会って、「これ以上怖いものはあるはずがない。もう何でもど~~~んと来い!!!」となりました。』と書きましたが、まだまだ私の修行は足りないようで、「ど~~~んと来い」とはなりませんでしたね。「・・・」(絶句)と目を疑ってしまいました・・・いえ、華やかな場面、とても可愛い衣装がお似合いでしたということにしておきたいと思います(笑)。
話があらぬ方向へ行ってしまいましたが、あんな楽しい社長がいらっしゃる会社は繁盛するだろうなぁと思えるほど、ステキなメイシー社長でした。

いろいろ小難しいテーマや上演の目的を表明しての舞台もそれなりの感動があります。でも、こういうオールドファッションの、これぞブロードウェイ・ミュージカルという作品には、作り手の変な気負いはなく、どちらかというと作り手が楽しもうという気持ちが伝わってきます。立ち上がれないほどの感動はなくても、ワクワクドキドキする心弾む作品でした。
このカンパニーはこのあと地方を回り、12月中旬に東京へ戻り、25日までアートスフィアで上演の予定です。私も、また、観劇したいなぁと思っています。

椅子の上の猫

2005年11月13日 | 観劇記
05年11月13日  マチネ公演 シアター・アプル10列目やや下手

思い切りネタバレしていますので、これから観劇なさる方はご了承の上お読み下さい。

あらすじ
失恋した、傷心の類子(匠ひびきさん)は馴染みのゲイバー「マダム・G」のママG(川崎麻世さん)のマンションに居候する。「マダム・G」は10周年を迎えるので、その記念のショーを企画している。類子はママの衣装作りを手伝いながら、ショーにも参加することになる。Gの以前の恋人で今は共同経営者ユリ(大浦みずきさん)は、類子にいろいろ忠告する。
類子は自立しようとするが、それを邪魔するG。類子を猫のように扱おうとする。
10周年のショーは成功するが、類子はGのもとを去っていく。

本筋はあらすじに書いたとおりです。が、ここにゲイバーの店員?として、深沢敦さん、野添義弘さん、今拓哉さんがいるのです。常連客の入澤正明さん、アルバイトの冨田真之介さんというカンパニーでした。

本当に楽しかったです。本筋は暗い話ですが、ゲイ達には大笑いさせて頂きました。
その話は後にして、本筋に絡んだ感想を。
類子を演じた匠さんですが、こういう役はあまり得意ではないんだなぁと思いました。もと宝塚の男役さんですから、猫というには程遠いのです。頼りない女の子が自立するという感じがないのです。切なさがあまりにも足りませんでした。
これに対し、ユリの大浦さんは、本当にステキでした。サラッと演じながらも、何かあるんだなぁと思わせる、その何かを漂わせるところの上手さ。さすがです。ショーでのタンゴもうっとりでした。

というわけで、よくよく考えたら、お話としてはあとから考えさせられるということもなく、ありそうなお話でしかなかったのですが、とにかく劇場にいた間は、本当に楽しかったです。

私は、今拓哉さんの舞台ということで観に行きました。
男性が女を演じることに違和感がないとはいいません。が、歌舞伎も好きですから、そういう状態は見ています。また、私のこよなく愛する「太平洋序曲」は歌舞伎の手法を取り入れていますから、男性が女を演じました。歌舞伎より、もっと男性を感じる女役ですしね。そして、今拓哉さんの女装は「SHOCK」で見ていますので、ある程度の予想はしてました。
しかし、しかし、しかしです!!!
「SHOCK」と違って露出度が高いのです。衣装が最初からタンクトップにズボン。まあ、脚は出されないのかと思いきや、スリットの思い切り入ったドレスでも登場。ショーの中ではピンクの看護婦さんの衣装やフレンチカンカンの衣装も。そして、ショーの中では一度だけ男性の服装でも登場。でも、それが、前の開いたベストに、短パン、色は黒だったのです。
髪は、鬘です。ボブっぽいストレート。お化粧がキレイ。顔だけなら、女性だと信じます。
体格ですぐ今さんとわかるわけですが、もう最初の登場で、椅子から転げ落ちそうになりました。「椅子の上の猫」じゃなく「椅子から転げ落ちる観客たち」という題名かと思ってしまいました。
その服装だけでも大笑いなのですが、今さんの演じる愛ちゃんにぞっこんの銀行員高原さん(入澤さん)とのやりとりが本当に面白いのです。ゲイと付き合う男性ってこういうところに惹かれているんだろうなぁと社会勉強をさせて頂いた感じです。今さんのいじめ方がカラっとしていて、でも甘えるようなところもありで、これをステキと言えないとしても、上手いとは思いました。
今さんには、本当に、いつも驚かされます。今回は今まで以上の驚きでした。
しかし、今さんの女装姿を見ながら、うう~~~気持ち悪いとならず、やっぱりかっこいい、と思える私もすごいなぁと思いましたよ!

俳優の皆様は、本当にいろいろなことに挑戦され、ファンを楽しませてくれます。でも、時々、「・・・」(絶句)と言うときもありました。が、今回の今さんに出会って、「これ以上怖いものはあるはずがない。もう何でもど~~~んと来い!!!」となりました。
これって褒め言葉?!?!?

かなり壊れてしまったわまでした。


雨物語り

2005年11月06日 | 観劇記
05年11月6日マチネ  銀座小劇場
劇団カントカークトの第三回公演「雨物語り」に、第二回公演に引き続き小鈴まさ記さんが出演なさるということで、観劇しました。

アングラが流行っていたとき、知人が劇団に入っていたので殆どの公演を観ていました。私もとても若かったし、華やかな舞台が好きな時期だったためもありましたが、あまり楽しい観劇ではありませんでした。そういうことを差し引いても、つまらなかった原因は、細かい設定は各公演で違うのですが、伝えたいことがいつも同じなのです。まあ、それがあの時代のアングラだったのかもしれませんが、途中まで観ると、最後の展開がわかってしまうのです。
作り手が同じだと、どうしても似たような展開になってしまうのは仕方がないとしても、どのような題材をどう味付けし、次の作品も楽しみと観客に思わせるのか、それがまず小劇場の劇団の課題だと思います。

前回のカントカクートさんは政治の話でした。とても原案がよかったので、今回も楽しみでした。そして、今回は「家族」にテーマが移り、親子の在り方を考えさせる内容になっていました。前回とはまったく違うテーマ、切り口でしたので、また次回が楽しみです。

あらすじを。
雨が降っている。
雨森幸介は27才。父親の幸太郎と2人で暮らしている。と思うと実は父親は幽霊。幸介にしか見えていない。一人暮らしの幸介を気遣い、幼馴染で、今は有名なニュース・キャスターとなっている花岡夏美が時々家にやってきては、世話を焼いている。幸介はもっぱらフリーター。そして、小説を書いている。しかし、発表するつもりはなく、夏美と幽霊の父にだけ読んでもらっている。
いつものように夏美が幸介の家に来ていると、夏美の婚約者だという五条もやってくる。幸太郎は幸介と夏美がうまくいくことを願っているので、姿が見えないことをいいことに五条に意地悪をする。
夏美が雨でびしょびしょになっていた高校生の巽一哉を幸介の家に連れてくる。この一哉の父は著名なジャーナリストで夏美の憧れの人だった。幸介の小説を通し、なんとなく息が合う幸介と一哉だが、ゆっくり話す間もなく五条が祈祷師を連れてやってくる。この家に悪霊がいるというのだ。この場は父の幽霊のことはばれずに済んだが、祈祷師が一哉のかばんの中に幸介の小説を入れてしまう。
一哉が自宅に戻ると、変な人がやってくる。一哉は麻薬の密売をしているのだ。父親の一義が戻ってくる。ギクシャクとしている2人。一義は小説を見つけ「お前が書いたのか?」と聞く。「そうだ。」と答えてしまう一哉。
幸介の家に一哉が来る。夏美もやって来る。そして、五条がまた祈祷師を連れてやってくる。祈祷師は塩をもって悪霊をやっつけるという。父の幽霊をかばう幸介。何しろ、塩に触るとこの世にはいられなくなってしまうからなのだ。そのため、皆に父親の幽霊がいることをばらしてしまう。祈祷師は、死んでから7年以上この世にとどまるとその霊は天国へは行かれなくなること、霊がこの世にとどまることはとても苦しいこと、それをしてもとどまるには余程の心残りがこの世にあること、を幸介に伝える。父親がいることに疑問を感じていなかったのか、幸介はとても驚く。
一哉がやってくる。父親との関係が上手く行っていないことを告白する。幸介はもう一度父親とやり直す努力をするべきだと伝える。
幸介は、幽霊の父親に「何が心残りで、この世にいるの?」と聞く。父親は、お母さんに合わせる顔がないから、と答えた。
巽一義のもとに、一哉の高校の担任が来た。登校日数が不足していること、麻薬の密売にからんでいることを伝えに来たのだ。一義は担任に一哉が書いたという小説を見せた。担任は「15年間の国語教師の面子にかけて、一哉君の書いたものではありません。」と一蹴する。担任が帰ったところへ一哉が帰宅する。何とか父親と話し合おうとする一哉だが、「嘘をつくな。」と一言残して父親は出て行ってしまう。
小説の本当の書き手が幸介だと知った一義は幸介の家を訪ねる。「是非、出版しよう。」と勧める。しかし、幸介は拒否する。なぜか・・・
幸介は、母親が交通事故で亡くなった日の話しをする。留守がちな父。その日も遊園地に行く約束をすっぽかされた幸介は、母親に八つ当たりをしてしまったのだ。「お母さんなんかどっか行っちゃえ。」と言った幸介の言葉に家を出た母親は、そのまま帰らぬ人となったのだった。幸介は自分のせいで母親が亡くなったと、自分を責め続けていたのだ。書くことでやっと心のバランスをとり、生きているのだ、と。だから、誰かに読んでもらいたいとか、有名になりたいとかではなく、生きながらえるために書いているのだと幸介は言う。
そこへ、刑事に追われ一哉が入ってくる。刑事は一哉を「屑だ」と決め付けた。その言葉に怒るのかと思われた一義だが、意外なことを告白する。
「大雨の日に、幸介君のお母さんを車で轢いたのは、私です。屑は私の方です。」と。
17年間わからなかった母親殺しの犯人がわかった。しかし、あんなに憎んでいたはずの犯人が目の前に現れても幸介は一義を憎む気にはなれなかった。それどころか、自分を責める気持ちが整理されたような気がしたのだ。
そのとき、神父様(神様か?)がやって来て、幸太郎に「もう、天国に行かれますね。」と言う。幸太郎は幸介に「自分の感じたまま生きていきなさい。」と言葉を残して、本当に旅立っていった。幸太郎を引き止めていたものは、幸介の自分を責める心だったのだ。
雨が上がった。幸介と夏美は幸せそうに、外へ出かけていった。

と、こんな感じでしょうか。一度しか観ていませんので、多少場面が前後しているかもしれません。申し訳ありません。

最後の場面は、本当に泣かされました。親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ち、どちらも強く美しいのです。でも、そのすれ違いも起こります。どうやって、解決しようか、焦れば焦るほど溝は大きくなるのです。本当に難しいですね。
また、人間の生きている意味や人を裁くのは誰か、など、次々と人間社会の永遠のテーマとも言える事柄について深く深く語っていました。
原案は角田裕志さんだそうですが、本当に素晴らしい発想です。幽霊という存在を作ることによってコメディの雰囲気も生まれますし、より深くいろいろなことに対して考えようとさせてくれるのです。
前回の「国会ランチ」以上に、人物のキャラクターもはっきりとしていて、まとまりのある脚本だったと思います。何しろ、私は「希望」があるお話が好きなので、涙しながらも、私もがんばろうと思いました。さらに、子供がいる私にとって、共感することもとても多かったです。そして、反省することも・・・(苦笑)。

何度も言いますが、俗に言う「本」(原案や脚本をまとめて)は、本当にとても素晴らしいのです。しかし、舞台の運びとなるとかなり辛口になってしまいます。演出ではどうにもならないであろうと想像してしまう演じ手の実力の差があまりにも大きいのです。
舞台は、現実であれば長い長い時の流れを、数時間に凝縮するわけです。ですから、無駄はないわけですし、無駄があっては困るのです。どんな短い台詞、時にはちょっとした動きだけで、観客に何かを伝えなければならないはずです。というか、そうして頂けないと、観客は演じ手とともにその場に生きていくことが出来ないのです。小劇場だからかもしれませんが、私には、無駄な動きが多いように思われました。そうなると、「ここ」というときがぼやけてしまうのです。
お芝居は「間」だ、と簡単に言ってしまいますが、言ってみれば呼吸の間隔ではないでしょうか。この「間」が、演じ手と観客とで一致してくると、劇場内の一体感がもっともっと増すと思います。あくまでも、観客を入れての公演なのですから、演じ手のペースではなく、観客のペースを考えて舞台を運んで頂きたいと思います。

さて、小鈴さんについてですが、今回は祈祷師、麻薬を買ったいかれた兄ちゃん、担任の先生、刑事、神父(神様?)と5役をこなされ、どの役も場面を転換させるという重要な役を受け持たれました。グハハハ・・・と、笑わずにいられない変な役から、小鈴さんってやっぱりビジュアルがステキとぐっと来る役まで、ファンを楽しませてくださいました。
台詞の明瞭さにとどまらず、何を伝えるのかがはっきりわかる台詞回しに、さすがだなぁと思いました。舞台美術も担当されたそうで、すっきりとしたステキな舞台を作っていらっしゃいました。が、もう少し、じっくりと役作りをしていただきたいのです。劇団のメンバーではなく、ゲストという形でのご出演ですから、こういう役になりやすいのは仕方のないことかもしれませんが、また、出演なさる機会がありましたら、是非、お願いしたいです。

Composiesta 第3回

2005年10月26日 | 観劇記
すみだトリフォニーホール 小ホール

「Composiesta」はコンポジエスタと読むそうです。作曲の「composition」と昼寝の「siesta」を組み合わせた造語とのこと。
若い作曲家が新作を発表する場でした。殆どがいわゆる現代曲です。
今回は8点の新作が発表されました。
出品者でもいらっしゃる元川威夫さんが、他の作曲者に今回の作品の内容についてインタビューをしてから、演奏を聴くという形式で進んでいきました。
アンケートがあり、書くつもりでいたのですが、演奏の間に客電が落ちてしまうのでメモ程度にしか書けませんでした。新作の発表ということなので、もし、出品した方に参考になればと少し感想を書いてみます。

少し、私事を。
ピアノとバイオリンは長年レッスンを受けていました。子育てが少し楽になったらまた演奏活動を再開したいと思いつつ、本業があまりにも忙しく、今はもっぱら聞いたり、見たりする側に徹しています。

今回、新作発表ということで、曲についての感想を中心に書こうと思ったのです。しかし、司会の元川さんもおっしゃっていましたが、曲は演奏され、聴く人がいて存在し、評価されるわけです。ですので、演奏家の力量も曲に対する感想を大きく左右すると思います。また、私自身、この曲ならどう演奏するかな、という点に重点がいきますので、感想も紙の上にある楽譜へのものではなく、演奏に対してに偏ってしまうかもしれませんが、どうぞご了承下さい。

1. Air~Electoronica+
作曲、ピアノ演奏 山田香さん
コンピュータで作った音をCDに吹きこんで、それとピアノのコラボレーション。
曲は揺らぎのような音の運びで、美しい空気を感じさせるものでした。ただ、もっとコンピュータ音をメインにするような部分があったほうが、もっと変化があって良かったのではと思いました。そして、奏法の問題だと思うのですが、せっかくの風のような音の運びが途切れることがあり、曲の良さを伝えきれていないと感じました。

2.外郎(ういろう)売り
作曲 鈴木一真さん、フルート 一戸敦さん
楽譜代がたくさん並んでいて、まず、日本語で鈴木さんが「外郎売り」を朗読してくれます。そして、次に、フルートで演奏します。ですから、立っている位置で、日本語ではどんなことを言っていたところかがわかります。
とても楽しい試みだと思いました。オペラが誕生したドイツやイタリアは言葉自体が音楽的であると言われ、日本語はかなり単調だと言われています。しかし、こうして聞いてみると日本語もとても音楽的であることがわかります。でも、少し気になったのは、日本語を音楽にするとこの作品のように渋い感じなのだろうか、ということでした。リズムに関してはとても共感できましたが、旋律は日本語の透き通った感じがもっとあるといいなぁと思いました。

3.SONATINE pour trompette et piano
作曲 井上透馬さん、トランペット 渡辺隆太さん、ピアノ 堤雅那子さん
井上さんは、渡辺さんに演奏してもらうつもりでこの曲を書かれたそうです。なるほど、と思いました。とても、かっこいい演奏でした。同じ主題を縦方向と横方向に展開させていくという手法での作曲だそうです。こういう作曲の仕方は知らなかったのですが、現代音楽の難しさをちょっと感じました。私にとって、音楽は楽しむものであるので、心からあふれ出たものだと思っていました。そうではなく、パターン化していくというのでは、少し私の楽しみ方とは違うのだなぁと感じました。

4.Dazzling drops
作曲 南寛子さん、フルート 神田勇哉さん、ビオラ 藤原歌花さん、ピアノ 川原彩子さん
題は訳すと「きらびやかな雫」だそうです。曲の説明で、流れる水の方を意識しているとおっしゃっていましたが、確かにそうでした。雫を感じられなくて、せっかくつけた題名が勿体無いと感じました。流れに乗っている曲はそれで魅力的ですが、やはり、水が雫であったときの雰囲気が感じられるともっとよくなると思います。

5.点から線へ
作曲 加藤めぐみさん、バイオリン 竹内弦さん、ビオラ 滝本麻衣子さん、チェロ 本倉信平さん

6.積極的消費による環境保護
作曲 元川威夫さん、オーボエ 本多啓佑さん、ビオラ 吉田篤さん、チェロ 横山二葉さん
5と6を聞いて、現代音楽について考えるところがありましたので、ここで触れたいと思います。
加藤さんは、演奏家にいわゆる現代曲用奏法を求めることをやめていらっしゃいました。
また、元川さんはクラッシクな音の運びになっても、それが自然であれば、あえて現代曲の音運びには直さなかったとおっしゃっていました。
加藤さんの曲は、確かに聴きやすい曲でした。が、現代曲の演奏法を特に演奏家に求めないとしても、どうしてもそちらの方になっていました。もう少し、バイオリンが音をしっかり響かせて弾いてくれたら、さらに印象は違ったと思います。後半は美しい音色を響かせて演奏していたので、その違いがはっきりしていました。
元川さんの曲も、割とクラシカルな感じでしたが、やはり奏法が現代曲用なのです。もう少し、単純な演奏の方が、この曲にはあっていたと思います。
現代曲が面白くないとは私は感じていません。ただ、自由な、と言う建前と、奏法の画一化がちょっと矛盾してしまい、本当に音を楽しむことを忘れていると感じました。弦楽器の伸びやかな音はやはり聞く側の心を豊かにするのです。あまりにも現代奏法にこだわると、なんだかこもった音しかでなくなりそうで不安です。現代音楽が生まれてからかなり経ちますから、さらなる現代音楽へと変化してもいいのではと思っています。その際に、音楽は日常を豊かにする存在でありつづけることを忘れないで頂きたいと思います。

7.Gone with the Cloud
作曲 栗橋寛子さん、ピアノ 友清祐子さん
主題がありますが、その記憶を出来るだけ消したり、遠ざけることを目指されたそうです。
雲が流れていくような曲でした。とても、さらりとしていました。

8.よしおとジョンとイゾルデ
脚本・演出・ピアノ 田中敦さん、作曲 福井崇、ソプラノ(イゾルデ) 木村聡子さん、テノール(ジョン)  村上勧次朗さん、バリトン(よしお)  佐山陽規さん。

まず、あらすじのようなものです。
よしおはジョンに「返せよ。」と言います。どうやらジョンはいろいろとよしおから物を取っているらしい。しかし、ジョンは盗っていない、自分を信じて欲しいと。
イゾルデが次に、自分の内面について歌い、なぜかお餅になってしまったのです。
よしおとジョンがやってきて、なぜ餅があるのか考えます。すると、餅がしゃべります。イゾルデなのかと2人は思いますが、餅は最初は自分が誰だかわからないようなことをいいます。よしおは、餅でもイゾルデを愛していると歌います。自分も餅になりたいとまで。
餅は、自分がイゾルデであることを自覚します。餅になったイゾルデはよしおに優しい言葉をかけますが・・・
ジョンは本物のイゾルデと幸せになっていたのでした。

というよう感じだったと思います。
何しろ、この作品の直前までは、ちょっと怖い顔をして一つ一つの音を聞き逃さないようにと緊張して聞いていたのですが、この作品はコメディだったのです。なかなか気持ちが切り替えられなく、作品に感情移入するのに時間がかかりました。と言うわりには、大笑いしていましたが!
作品としては、題名からして三角関係なのかと想像できます。お餅になってよしおを騙すというのは、ちょっと単純すぎるのかなぁと思いました。時間が短いので、そういう突拍子もない運びも仕方がないのかもしれませんね。
曲については、現代曲をずっと聴いてきた耳にはとても心地よい、割と普通の旋律でした。ジョンが歌った、自分を信じて、という内容の歌はとても気持ちと旋律が一致する曲でした。何曲かは、かなり現代曲的で、こういう音の運びなのかと不思議な気持ちになる部分もありました。
イゾルデの曲は全体に非常に高音で、日本語を響かせるには少々難しい旋律なのではないかと思いました。
もう一つ、ジョンとよしおが二人で歌った曲だと思うのですが、フレーズと日本語があっていない、具体的にいうと、拍子の頭であり、その上フレーズの最高音に単語の途中の音が来ている箇所がいくつかありました。翻訳の場合、仕方がないと思いますが、最初から日本語の場合、直せるはずなので、私としてはとてもがっかりしてしまいます。勿論、わざとそういう運びをして、何かの効果を期待するということがあるのかもしれませんが、今回はそういう効果はとくに見当たりませんでした。
歌が伴う場合、日本語への意識はもっともっとあって欲しいと思います。

この作品については、演奏家である歌い手の皆様を、他の作品でも観ていますので、ついつい、この方たちが歌われてもかなり違和感があるという部分があり、作品への感想が厳しいものになってしまいました。

新作なので、作品の仕上がりがギリギリだったとお聞きしました。勿論、台本と譜面を見ながら、でも、演技もするという演じ手には過酷な舞台だったと思います。
上で触れました、フレーズと日本語が合っていないというところも、佐山さんや村上さんは途中で切れている単語を自然に繋ぐように歌われているのです。が、続くとやはり気になってしまいます。

短時間の上演、短期間での仕上げと言うことで、3人の役柄の背景をよく理解できない部分はあります。まあ、それは観客の想像に任せるという作品なのかも知れません。
コメディなのですが、パァーと明るいというよりは、内側に向かうおかしさです。
イゾルデはあくまで普通の女性という気がしました。あまり深く描かれていないので、木村さんも手探りだったのではないかと感じました。
ジョンはかっこいい、要領のよい男性という感じでしょうか。村上さんの優しく伸びやかな歌声で、イゾルデでなくても女性は誘惑されるかも思いました。でもちょっと冷たいところがもっと前面に出ても役柄が際立ったかもしれません。まあ、あくまでも、私には、ジョンは要領が良過ぎると感じたゆえの感想ですが・・・
このジョンの要領の良さに対し、人が良過ぎるというのか、疑うことを知らないというのか、よしおには笑ってしまいました。でも、お餅になったイゾルデだからお餅でもいいのか、お餅はお餅として好きなのか、ちょっと謎めいたところもありました。まあ、一途に愛を貫き通すというところは同じなのかもしれませんが。この役を佐山さんがなさったわけです。よしおの歌や台詞に特別笑いをとる部分があるわけではないのですが、普通疑うでしょ!と思うことに対し、真面目に考えるので、そこが笑いのツボになっていました。お餅に対して切々と愛を語る歌は説得力があり、お餅になったイゾルデにもよしおの気持ちが届き、お餅が生き続けるという奇跡も起きるだろうと感動もするのですが、もう可笑しくて可笑しくて、大笑いをしてしまいました。よしおという役柄は3人の中でははっきりしたものだったと思いますが、短時間であれだけの複雑な旋律の歌をこなし、内向きのコメディを演じるのは大変だったのではないかと、今、舞台を振り返ると感じます。

作品内容はもう少し練ったほうが良いと思いましたが、演じ手のそれぞれの力量で、行間を埋めた作品という感じです。

などなど、しっかりと分析したようなことを言いましたが、正直なことを言いますと、久しぶりに佐山さんの生の舞台を拝見し、歌声をお聞きし、ああ!なんてステキなお声なんだろう、と劇場に響く歌声にただただうっとりとしていたのでした。その一方で、その歌声に大笑いしているわけで、私自身に、一体どんなファン?と突っ込んでいました!

かなり長くなりましたが感想は以上です。

アスペクツ・オブ・ラブ

2005年10月10日 | 観劇記
2005年10月10日マチネ  自由劇場 2階4列目下手

フランスの作家デイビッド・ガーネットの小説をアンドリュー・ロイド・ウェバーがミュージカルにした作品です。
ミュージカル・ナンバー「Love Changes Everything」はとても心に残ります。このナンバーがどういう風に作品に絡んでいるのかを知りたい、というのが劇場へ向かう一つの理由でした。

あらすじ。
約17年間にわたる、2人の男と3人の女の恋模様を描いています。
アレックス(石丸幹二さん)は17歳のとき、女優ローズ(保坂知寿さん)とひょんなことから叔父の別荘で甘い生活を送る。様子を見に来た叔父ジョージ(村俊英さん)にローズは心惹かれる。ローズは舞台に戻るとアレックスと別れる。
二年の兵役を終えアレックスは叔父のところへやってくる。ローズが叔父と住んでいることを知る。叔父ジョージはアレックスとローズがやり直すことを望み、ベニスにいる元の愛人ジュリエッタ(大鳥れいさん)のもとに向かう。ところが、ローズはジョージの後を追う。
失意のアレックスは兵役へ戻る。
叔父のジョージとローズは正式に結婚し、娘ジェニー(八幡三枝さん)が誕生する。
12年の時が流れ、アレックスはローズに再会。ジョージとジェニーが住む、あの懐かしい別荘に招かれ、一緒に過ごすようになる。日々美しくなるジェニー。ジェニーはアレックスに恋する。戸惑うアレックス。ジェニーとアレックスの関係を心配したジョージは発作を起こし死亡。
葬儀の場でアレックスとジュリエッタは話しにだけ聞いていた相手に初めて出会い、互いに心惹かれる。アレックスに一緒にいて欲しいと願うジェニー、そしてもっと深くそれを願うローズを振り切って、アレックスはジュリエッタとの新しい生活へ踏み出していく。

こう書くと、すごいお話です。勿論、こんなお話と知って観劇したわけです。というか、こんなお話だから余計にあのステキな音楽がどういうふうに絡んでいるのか、知りたくて仕方なかったのです。
観劇して、とてもいろいろな感想が生まれる作品だろうなぁ、ということを感じました。それゆえに、ちょっと現実離れした内容でも、多くの人々に愛されるのだと思います。私、という一人の人間でも、観る時が違えば、まったく違う感じ方をすると思います。「アスペクツ・オブ・ラブ」という題名は、愛がいろいろの局面を持っているという意味だけではなく、受取る側もいろいろな局面に出会うということを意味しているのかなぁなどと思います。

悪者と言い切れないとは思いますが、ローズの気まぐれやわがままが人間関係を複雑にしていることは間違いないと思います。そういう役を演じるのは、一歩間違うと本当に嫌な人間になりますが、保坂さんの作り出されたローズは、自分に正直に生きている女という、比較的肯定的な印象でした。
ローズに振り回されるアレックスの石丸さんは、青年のときと、大人になってからの雰囲気の違いがステキでした。とても好感がもてました。
おいしい役はジュリエッタですね。最後の展開は違和感がありますが、ジョージとローズのわがままを許す大人の女性として描かれています。大鳥さんの雰囲気にぴったりです。

ウェバーさんのミュージカルですから、全編歌です。台詞でもいいのではというところまで歌です。その台詞でもいいのでは、という部分での演じ手の力量があまりに差があり、今ひとつ舞台に引き込まれないところがあったのは残念でした。
でも、それの方が良かったかもしれません。あまりに引き込まれると、ちょっと抜き差しならないお話に巻き込まれますから(笑)。

幸せを感じる一瞬、もしかしたら誰かを不幸にしているのかもしれません。
でも、人を愛する気持ちは簡単にはとめられないものです。
人生はなかなか難しいですね。