わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

忘れないように・・・続編

2011年12月13日 | 太平洋序曲2011年公演
岡田誠さんが出演なさいました。
「ペニスの商人」
2011年9月8日~11日 新国立劇場



園岡新太郎さんが出演なさいました。
「八犬伝」
2011年9月16日~25日 原宿クエストホール



さけもとあきらさんが出演なさいました。
「アイ・ハブ・ア・ドリーム」
2011年9月21日~22日・25日~28日 六行会ホール



治田敦さん・広田勇二さんが出演なさいました。
音楽座「アイラブ坊っちゃん」
2011年10月29日~11月6日 青山劇場
2011年11月12日・13日 イオン化粧品 シアターBRAVA!

(11月6日東京楽、観劇しました。)



園岡新太郎さんが出演なさいました。
「SINGEN~風林火山落日~」
2011年11月25日~11月27日 シアター1010
2011年12月2日 宝塚バウ・ホール
2011年12月7日 名鉄ホール

(11月26日マチネ観劇しました。)

これぐらいでしょうか?
また、ありましたら、加筆します。

現在公演中ですが・・・

さけもとあきらさんが出演なさっています。
「ダンスオブヴァンパイア」
2011年11月27日~12月24日 帝国劇場

無事終了致しました、が!!!

2011年07月04日 | 太平洋序曲2011年公演
2011年神奈川芸術劇場における「太平洋序曲」の公演は、7月3日の千秋楽をもちまして、すべての日程を無事終了致しました。

キャスト、スタッフの皆様、本当に素晴らしい舞台をありがとうございました。

そして、客席で舞台を観て下さった皆様、本当にありがとうございました。
私はスタッフでも関係者でもないので、こんなことを言うのも変かと思いますが、観客の皆様があっての舞台です。
再演は皆様の支持があって、初めて可能となります。
再演に向け、声を上げ続けて頂ければ、こんなに嬉しいことはございません。

また、当ブログに参加して下さったり、お読み頂いた皆様、本体のHPをご覧頂いた皆様、本当にありがとうございました。
皆様のコメントやトラックバックが、再演へ繋がります。
公演は一区切りですが、当ブログは引き続き、コメントやトラックバックを受け付けております。
是非、ご参加のほど、よろしくお願い致します。

再演に向け、是非、皆様のお力をお貸し下さい。
よろしくお願い致します。

「太平洋序曲」公演概要

2011年07月03日 | 太平洋序曲2011年公演
ブロードウェイ・ミュージカル
亜門版「太平洋序曲」

会場:KAAT神奈川芸術劇場ホール

公演日程:
6月17日(金)19:00
6月18日(土)13:30/18:30
6月19日(日)13:30
6月20日(月)19:00
6月22日(水)貸切
6月23日(木)14:00
6月24日(金)19:00
6月25日(土)13:30/18:30
6月26日(日)13:30/18:30
6月28日(火)19:00
6月29日(水)14:00
6月30日(木)19:00
7月 1日(金)14:00
7月 2日(土)18:30
7月 3日(日)18:30

チケット代金:S席8,500円/A席7,500円/B席4,500円(全席指定・税込)
その他割引制度あり 詳細はKAATのHPをご覧下さい。

スタッフ:作詞/作曲 スティーヴン・ソンドハイム
     台本/ジョン・ワイドマン
     演出/宮本亜門


キャスト:八嶋智人  山本太郎  佐山陽規  畠中洋  戸井勝海 園岡新太郎  岡田正  石鍋多加史  原田優一 
     富岡晃一郎 石井一彰  さけもとあきら  岡田誠  麻乃佳世  小此木麻里  森加織  田川可奈美  
     田山涼成  桂米團治


公演についての詳細はKAATのHPをご覧下さい。

「太平洋序曲」公式サイトもご覧下さい。

「太平洋序曲」ナンバー担当キャスト紹介

2011年07月03日 | 太平洋序曲2011年公演
(この記事は「太平洋序曲」開幕中、上の方に載せておきたいので、実際に書いた日付を変更しています。)

敬称は略させて頂きます。カッコ内は役名です。出来る限り歌う順番ですが、メインに歌うキャストを優先している曲もあります。

第1幕
「プロローグ」
麻乃佳世(衣装は黒服)

「太平の浮き島」
全員

「帰り待つ鳥」
戸井勝海(ワキ)・畠中洋(ワキ)

「黒い竜が四匹」
さけもとあきら(漁師)・園岡新太郎(泥棒)・桂米團治(ナレーター)・コーラス(香盤表を参考にして下さい。)

「菊の花茶」
佐山陽規(将軍の母)・岡田誠(占い師)・石鍋多加史(神官)・石井一彰(神官)・原田優一(小姓)・森加織(将軍の妻)・小此木麻里(腰元)・さけもとあきら(医者)

「俳句」
八嶋智人(香山)・山本太郎(万次郎)

「ウェルカム・トゥ神奈川」
畠中洋(女将)・富岡晃一郎(女郎)・森加織(女郎)・田川可奈美(女郎)・小此木麻里(女郎)

「木の上に誰か」
石鍋多加史(老人)・原田優一(少年)・岡田誠(武士)・桂米團治(ナレーター)


第2幕
「プリーズ・ハロー」
戸井勝海(アメリカ司令官)・さけもとあきら(イギリス司令官)・石井一彰(オランダ司令官)・佐山陽規(ロシア司令官)・畠中洋(フランス司令官)・桂米團治(ナレーター)・田山涼成(阿部)

「ボーラ・ハット」
八嶋智人(香山)

「プリティ・レディ」
石井一彰(水兵)・原田優一(水兵)・岡田誠(水兵)

「ネクスト」
全員

以上です。
仮面のようなものを付けていたり、薄暗かったり・・・あのお声はどなたかしら?の疑問が解消できれば幸いです。
「あのフレーズを歌っているのは誰?」というご質問はメールでお願い致します。

2011年6月22日作成

紹介文を紐解く

2011年07月03日 | 太平洋序曲2011年公演
パルコ劇場の2011年公演の「太平洋序曲」の紹介文です。


「宮本亜門がカナガワで、あらたな『太平洋序曲』の扉を開ける!

宮本亜門演出による『太平洋序曲』は、2000年10月、東京・新国立劇場において日本語版として初演されました。
この翻訳版『太平洋序曲』を世界文化賞授賞式の為に来日していたソンドハイムが観劇し、『これ以上素晴らしい「太平洋序曲」はない』と高く評価しました。
そして彼自身の強い推薦により、2002年にニューヨークのリンカーンセンターと、ワシントンDCのケネディ・センターでの上演が実現しました。
この公演は、ニューヨークタイムス、ワシントンポストなどから大絶賛を受け、同年10月の新国立劇場での凱旋公演も大成功を収め、この功績によって宮本亜門は、ブロードウェイ史上初の東洋人演出家として、アジア系アメリカ人キャストで念願のブロードウェイ進出を果たしました。そして、2005年同作はトニー賞の4部門でノミネートという素晴らしい成果を得ました。
ブロードウェイの興奮から6年、満を持して宮本亜門が再び『太平洋序曲』を、カナガワで手掛けます。
どうぞご期待ください!」


舞台は毎公演変化します。キャスト、スタッフが変われば同じ脚本、音楽でも変化します。
観客の反応が舞台を変化させます。
そして、上演されている「時代」が舞台を変化させます。

それでも、初演や海外公演のことが気になる皆様もいらっしゃることでしょう。
初演は11年前、再演も9年前になりますので、まだまだネットでの発信も少なかったころです。
「『太平洋序曲』を愛するページ」を参考にして頂ければ幸いです。

また、上記紹介文だけではわかりにくいこともあるかと思い・・・「カナガワ」がなぜカタカナ?のように・・・少しお節介な解説を加えていき、作品の魅力も語れたらと思っています。
なお、この記事は上演中上位に置きたいので、書いた4月10日ではなく7月3日としています。
アンダーラインの語句をクリックして頂くと、お節介な解説を書いた記事にジャンプします。解説は段々に増やしていきますので、時々覗いて頂けると嬉しいです。

キャストの皆様への思い(後編)

2011年07月03日 | 太平洋序曲2011年公演
さて、語りきれそうですかね。ここから、長くなりそうな・・・

石鍋多加史さん。
ソンドハイム氏ご自身が一番好きな「木の上に誰か」。「太平洋序曲」の一番のテーマも入っているといえる一大ナンバーを本当に素晴らしく歌いきって下さいました。白い布をかけられて、亡くなったことが示唆されるのですが、きっとあなたの見たことは、次の世代へと語り継がれました、と声をかけたくなるそんな印象です。この歌のメッセージがきちんと伝わってきました。
ちょっとコミカルな神官も大好きです。政治をもてあそんでいる感じがしました。今の政治家を揶揄していらしたのでしょうか?

畠中洋さん。
あまりにもご活躍の場面があり過ぎて語りきれないぐらい。
私が大好きなフレーズ「他に何か」。その痩身のお姿からは想像もできない厚みのあるお声で「他に何か」。そう、何もない・・・と思わずつぶやいてしまいたくなります。
女将はもう語ったと思うので、飛ばして。フランス司令官。もう、花道を行ったり来たり。それでも、息も上がらず歌いきる畠中さん。もう、すごいとしか言いようがありません。
そして、ラストの殺陣。それまでのご活躍を見ているのですが、やはり畠中さんは日本人なんだなぁと思う場面です。もしかして、最多国際人?殺陣の場面では、一度ぐらい万次郎に勝たせてあげたい、と思うのは私だけ?

やはり、残ってしまった初演組。
11年間いろいろ観てきていますので、いろいろな舞台でのことが思い出されて、「太平洋序曲」で暴れまわると形容した方がふさわしいぐらいのご活躍ぶりに、嬉しいだけでは片づけられない思いなのです。
深呼吸して、心を落ち着けて書きます。

岡田誠さん。
岡田さんのバリトンがなくては絶対にこの舞台はあり得ないです。
「木の上に誰か」も「プリティ・レディ」も。あの低音があるからこその美しいメロディです。
そして、思うのはこの9年で、ものすごく演技力がついたということです。勿論、歌も以前より素晴らしいのですが、歌の色がすごく増えたと感じです。
「菊の花茶」は以前も楽しかったです。「木の上に誰か」が本当に変わりました。武士のしたたかさが出ました。それゆえに、歴史の目撃者は見るだけではないということがすごく重く感じられるようになりました。
語り部を呼ぶ場面は、観客に背を向けているのですが、セリフがこもることなく以前にもまして美しいのにはびっくりします。意外に、気付かないのですが、後ろ向きでセリフを言い、観客に伝えるのは難しいことなのです。

さけもとあきらさん。
畠中さんと双璧をなす忙しさ。歌詞も忙しいものばかり。
「ボーラ・ハット」で畠中さんもさけもとさんも、ちょこちょこ出てきていろいろやるのですが、これって本当に難しいと思うのです。演技や歌の邪魔にならないように、うまいタイミングで出なければならないですから。きっとこのお二人は「ボーラ・ハット」を歌ったも素晴らしいと思います。
さけもとさんと言えば「四匹の黒い竜」にして「菊の花茶」にしても、目の動かし方がとにかく素晴らしい。前者は、思わず後ろになにかあるのか、と思ってしまう強い眼差し。後者は、目だけでセリフを語ってしまいますからね。そうそう、結構ツボだったのが「菊の花茶」で原田小姓を突き飛ばすところ。原田さんも凄いです。本当に緊迫感が溢れる場面にするために、身体を張っていると思いました。でも、見ているときは、おっ!!!!!ぐらいしか思っていませんので、苦笑。
イギリス司令官はもうお話しすることもございません。が、一体普段、どれほど早口でお話しする方なのかという興味が湧いてしますよね。(まあ、私の人生経験からいうと、そういう方は、普段のんびり屋さんなんですけどね。)

園岡新太郎さん。
泥棒さんなのに、いいよ、盗んで、と言ってしまいたくなるような、悪党ぶりかと思えば、幕府に選ばれたすごい武士。はたまた、語り部。強く、厳しく師匠であり父親。その変幻自在の演技。艶やかなお声。江戸時代に絶対にいるこういう侍。という素晴らしい剣術。殺陣じゃなくて、剣術だと思うのですよ。迫力すごいですからね。
先日も書きましたが、なにがすごいって、園岡さんは一人で舞台を仕切る場面が多いのです。一歩間違えば、緊張感が緩んでしまうのです。それがないばかりか、すっかりリラックスした観客を、また大混乱の幕末ワールドに引き戻して下さるのです。
この幕末を描く作品に絶対にいらして下さらなくてはならない方だと私は確信しています。

さて、トリは・・・
佐山陽規さん。
勿論語りたいのはあの場面にこの場面なんですが、その前に・・・
亜門さんも人使いが荒いというか、苦笑。「黒竜」のときに孔子の話が挿入されるのですが、そのときに、屏風の狭い位置にじっとしているのが火消し役の佐山さん。02年の時からツボだったのですが、まさか、今回も佐山さんがおやりになるとは!きっと若手に譲ると思っていので、初日に「佐山さんだ!」とわかった時に、一人大笑いしてしまいました。本当にすみません。
「ボーラ・ハット」の机運びだって・・・と思って香盤表をみると、他にやる人がいない?
勿論、これは佐山さんに限った事ではありませんが、あの場面、黒服で登場するためには、ロシア司令官から刺客ではなく、黒服への着替えという作業が増えるわけです。本当に、袖にいるのに休む暇がない!
さて語ると言えば「菊の花茶」。セリフの中にメロディーがある歌。その上言葉遊びもしている。そして、演技・・・私は、この作品の歌詞を殆ど暗記しています。楽譜はさすがに頭に入っていませんが、この音が出たら歌、という感じはわかってるのです。この歌は出を間違えたら、一生もとに戻れないほど淡々とした歌です。で、あれもうすぐ出なのに、というそのぎりぎりのところまで、将軍の妻の叫び声を聞いて止めて・・・ぱっと歌に入るのです。この切り替えが凄い。演技の中に歌があるのですよね。
ロシア司令官は相当いろいろなところで語りましたが、他国の司令官があんなに頑張るのに「コートに触るな」の一言で、おいしいところを全部持っていきますからね。

語り尽くせない「太平洋序曲」です。
明日(正確にはもう(十数時間後)に千秋楽を迎えます。
気持ちの整理はもちろんします。
でも、これからも再演にむけて、悪あがきを続けていこうと思うのです。
その、エネルギーを全身に浴びてこようと思います。

キャストの皆様への思い(前編)

2011年07月03日 | 太平洋序曲2011年公演
少々固い文章の後ですが、今度は思い切りファン・モード全開で飛ばしましょう。
全員分書けるかわかりませんが・・・
順不同。思いついたまま。長い短いはご容赦下さい。後日、つけ足したりするかもしれませんが、今は、とにかく書けるがままに・・・

やはり、この方から。

八嶋智人さん。
誉めたり、けなしたりといろいろブログに書いてしまいましたが・・・すみません。
とにかく、素晴らしい。初ミュージカルとは思えないです。是非、ミュージカルにまたご出演下さい。普通、初めてミュージカルに挑戦すると、歌なんだけど全然セリフじゃない俳優さんが多いのですが、八嶋さんはセリフが歌になっているのです。とにかく感動致しました。もちろん、演技が素晴らしいのは、私がどうのこうの言うようなことではありませんね。香山として生き抜いて下さったと思います。で、こうなると、もっと出来るのに、とか、こうやって欲しいのに、とか、欲が出て、ついつい辛口のことを言ってしまうのです。なんという天邪鬼。そして、万次郎と刀を交え、最期のときを迎え倒れる場面・・・涙なくして見られません。

山本太郎さん。
いろいろなことがあったようですが、それなりに様になったのではないでしょうか?この作品との出会いが、自分に何が出来て、何が出来ないのか。何をするべきで、何をするべきではないのか。そんなことを考えるきっかけになって下さったのなら良いなぁと思います。私は、この作品を観ながら、楽しんでいるわけではありません。いろんな難題が思い出されるので、ある意味辛い作品です。でも、その難題から逃げないという気持ちで作品と向き合っているつもりです。山本さんの方が私よりもずっと深く関わっていらっしゃるのですから、もっと強く感じていらっしゃると思います。
今後のご活躍に期待しています。

戸井勝海さん。
戸井さん目当てで観劇した舞台がどれほどあったでしょう。そのたび、戸井さんの素晴らしさに、「この舞台観てよかった」と何度思ったことでしょう。
その期待はあまりにも高かったのかもしれません。あるいは、共演者があまりに個性的で、ちょっとイケメンすぎる戸井さんが霞んだ???
アメリカ司令官の高飛車さは最高です。
そして地味ですが、結構好きなのは、侍として舞台の端に控えていらっしゃるところでしょうか。ピシっとしながらも、いろいろとお芝居があって、無言なんですけど、いろいろ伝わってきて本当に楽しませていただきました。

小芝居と言えば・・・
岡田正さん。
老中として、なかなか地味な役どころではありますが、中間管理職の悲哀みたいなところがすごく感じられました。

さらに、小芝居と言えば・・・
原田優一さん。
えっ、歌じゃなくて、ダンスじゃなくて?とファンの方には言われてしまいそうですが、まあまあそれはもうよくわかっていらっしゃるではないですか。
「木の上に誰か」の少年の伸びやかな声は素晴らしかったです。はつらつとしていて、でも、お芝居もしっかりしていて、こんな少年がきっと今も歴史になっていくいろいろなことを見つめていてくれるだろうと希望がわく場面でした。
小芝居は「菊の花茶」の小姓です。普段の原田さんの活躍から言って、逆に、こんな小芝居が見られるのは貴重な舞台だと思います。ご本人にとっても、きっといろいろ勉強になったと思います。一つの場面の中で、あれだけいろいろなことが起こり、いろいろなことをしなければならないのですから。
今までも舞台でのご活躍楽しみでしたが、ますます楽しみになりました。

原田さんと言えば、子役の頃から知っているもうお一人・・・
小此木麻里さん。
この作品は男優さんより女優さんの方が活躍しないちょっと変わった作品ですが、小此木さんの存在感はど~~~んという感じでした。
そして、とにかく素晴らしい歌唱力。コーラスとして声が重なっていく曲が何曲かあるのですが、小此木さんが加わると、一気に厚みが増します。


麻乃佳世さん。
たまて、ほんとに素晴らしいです。はかなげな女性をしっかりと演じて下さっていたと思います。観劇するたび、私もこんな女性でありたいと思うのですが、今回はさらに強く思いました。
丁度反対の女性に憧れるのですね、苦笑。


石井一彰さん。
とにかくイケメン。そんな印象しかなかったのですが・・・オランダ司令官のおとぼけをすごくしっかりやって下さいました。そのおとばけの中ですが、オランダ司令官の歌の中で聞かせどころはしっかり歌い上げていて、何ともそのコントロールの良さに脱帽しておりました。イギリス水兵のセーラーも予想通りとてもお似合いでした。ちょっと嬉しくなってしまいました。

富岡晃一郎さん。
女郎がかわいいのですよね。もう少し、男っけがあったらもっと楽しいなぁと思っていました。神官の場面も、とても朝廷の考えがわかる鋭い演技で楽しませて頂きました。

影???の主役
桂米團治さん。
本当にご苦労なさったと思います。
初日は、笑いが取れず・・・それはそうです、落語は「笑うため」にお客様が集まりますが、ミュージカルはそうではありませんので。
でも、さすが笑いのプロ。お客様を乗せるのがお上手。日に日に観客と一体となっていったように思います。
歌の方は、もうそれはそれは・・・ソンドハイムさんの曲ですから。ここから歌です、という合図が伴奏にない!演出上、助けてくれるキャストもそばにいない!音程もさることながら、「歌い出し」が崩れることがしばしば。でも、これだけ歌えれば、普通のミュージカルなら絶対合格点だと思います。
やはり、素晴らしいのは、「ボーラ・ハット」のときの語り。八嶋さんの素晴らしい歌も、米團治さんの素晴らしい語りに引き出されていたのかもしれません。

(遅くなりましたが8月4日に加筆、訂正致しました。)

お願いとお詫び

2011年07月02日 | 太平洋序曲2011年公演
公演日全日程についてブログの記事「感想をお寄せ下さい」を配置しています。是非是非このブログにお立ち寄り頂いた皆様、一言のコメントでも頂ければ幸いです。

自分のブログだけで「感想を書き込んで下さい」とやっていてもだめということで、さまざまな検索サイトから日々検索をし、トラックバックができるブログで「太平洋序曲」の感想を書いて下さっている皆様には、トラックバックをこちらからさせて頂きました。本来、コメントを書き込むべきだと思うのですが、コメントだと、たくさんにはお邪魔できませんので、ご無礼を致しましたこと、こんなところでますます失礼ですが、お許し頂きたいと思います。

感想を拝見し、是非、トラックバックを頂きたいと思うブロガーでいらっしゃるのに、トラックバックを禁止なさっていて私からのトラックバックが出来ないブロガーの皆様もいらっしゃいます。どうか、是非、当ブログへトラックバックをお願い致します。

また、私のトラックバックをご覧頂き、こちらへもトラックバックを送って下さった皆様、本当にありがとうございました。

やはり、この作品は、繰り返し上演する意味があると思いますので、是非、そのための署名活動のようなものですので、何か一言でもコメントを、また、トラックバックをよろしくお願い致します。


「太平洋序曲」7月1日感想

2011年07月01日 | 太平洋序曲2011年公演
今日は、上手のサイドから観劇しました。
違う位置から見ると、新たな発見があったりします。
ただ、やはりここまでサイドに寄っていると、音響はよくないです。
花道を含めた劇場全体を見渡すにはとてもよい席でした。

舞台は、「生(なま)」何が起こるかわからないところに、面白さもあり、怖さもあるのですが・・・
この話は最後の方で。

開幕してかなりの日数が経ち、落ち着いたところもあれば、雑になったところもあります。体力を相当消耗するので、疲労も目立ってきました。
が、こういう感想は、リピートする一部の観客の感想なので、どうかとも思いますが、少しお付き合い下さい。

観劇するたびに、観客の反応がいろいろ違うことに、私も一観客ながら驚いています。
そこで笑う?ここで拍手しない?などいろいろあります。
その観客の反応によって、キャストの皆様もいろいろ小芝居を打ってくるわけです。
それが成功しているときもあれば、やり過ぎではないかというときもあります。

さて、話は少々変わりますが、私も「太平洋序曲」で検索をして、いろいろな方の感想を読みます。まあ傾向として、面白かった、感動した、考えさせられた、など、好意的な感想が多いです。それは当然なのです。ブログを書かれる方が多いと思いますが、それなりに時間も、体力も、思考力も必要ですから、その原動力が舞台になければ感想を書く、という行為をしないわけです。私も、その傾向にあります、苦笑。
ですから、批判的な感想を書いて下さるブロガーの方々はとても貴重な意見を書いて下さっていると思います。
その批判的に感想のほとんどは、以前に私も書きましたが、「歴史がめちゃめちゃ。」という点から出発しています。きっと、教科書に書かれた歴史こそが本当の歴史だと信じていらっしゃるのだと思います。その視点から離れられないと、音楽が、構成が、キャストのがんばりが、とお話ししてもこの作品の良さはお分かり頂けないと思うのです。が、負けずに、その視点から離れてみて欲しいとアプローチさせて頂くこともあります。話してみなければ、わかりませんからね。

なぜ、私がこの話をしたかといいますと、勿論、脚本に書かれたお話自体に問題はあります。しかし、観客にこのお芝居の舞台は幕末、つまり、武士が武士道を守っていた時代だと伝えることは、とても大切にことです。また、その武士道自体が、この作品の一つのテーマともなっているわけですから。

具体的にいいますと、香山役の八嶋智人さんと万次郎役の山本太郎さんで芝居をなさる場面が多いのですが、はっきり言って、初日、3日目、中日と進むにつれ、芝居が雑になっていると思います。
セリフは、言いたいことは確かに同じかもしれませんが、言葉自体が全然違っています。
脚本に忠実にお願いしたいのです。
特に、語尾。語尾には会話の相手に対する身分の違いが表れるのが日本語ですから、絶対に勝手に変えてはいけないと思います。「よ」とか「ね」とかをつけたら、目下の者に対するセリフになってしまいます。
また、八嶋さんの笑顔が魅力的なのは私も同感です。しかしながら、香山自身のセリフにもあるように「私はわらったりしないぞ。」が、あのころの武士なのです。とにかく感情をあまり出さないのが武士です。だからこそ、たまての死に直面したときにも、香山が泣声を上げるのではなく、ナレーターが泣くのだと思います。
万次郎は歯を見せて笑っていいのですが、香山は絶対にしてはいけないと思います。
そういう対比が、日米の習慣の違いや、服装は西洋風になっても、心がついていかないあのころの日本人の苦悩を描きだすのだと思います。

観客の笑い声は、キャストの皆様にとって魅力的なのだと思います。一番によくわかる反応ですからね。でも、それがだらだらと垂れ流しになったのでは、つまらないと思いませんか。ぎゅううううっと絞って、わっと出る方がもっと楽しいと思うのです。
あくまで、私の好みですが・・・

是非、もう一度、日本から一歩も出たことのないけれど、西洋を理解しようとする香山、
アメリカの素晴らしさを知っているが、日本の身分制度もしっかりわきまえている万次郎、を描いて頂きたいと思います。

香山と同じような身分と思われる武士を「剣士」として演じていらっしゃるのが、園岡新太郎さんです。
いくら、00年、02年に演じられていたとはいえ、2週間で仕上げるとは・・・毎日殺陣をなさっているのかしら、と思ってしまうほどです。つまり、武士道が身に付いていらっしゃるように感じるのです。
一幕の「ウェルカム・トゥ・神奈川」のあとも、二幕の「プリーズ・ハロー」のあとも、観客が楽しんで、気持ちが高揚している時に、お一人で何かをなさるのです。一幕の方は、多少笑いの部分もありますが、それでも、それまでの観客のイケイケムードを、幕末モードに冷やして下さるのです。客席のムードに流されず、己を通す。まさに武士!
立ち姿だけでも、現代を江戸時代に変えてしまえる感じが、もしかして、毎日、武道(殺陣)をなさっているのではと思わせるのです。

話がまた飛びますが、ブロードウェイ公演の冒頭の踊りを見てものすごく感じた違和感。これは、腰の高さにあると思うのです。東洋人の血が流れているとはいえ、日本の風習にはなじんでいないので、何をやっても腰高になってしまうのです。
多分、ソンドハイムさんが日本初演の舞台に感激したのも、自分たちが追及したのに追求できなかったもの、つまり日本人が大した意識もせずにしている所作の美しさを目にしたからではないかと思います。

「太平洋序曲」は全体として、笑いがちりばめられた作品です。
先日来話がよく出ている「プリーズ・ハロー」のロシア司令官の「コートに触るな」なんて、なぜおもしろい?と聞かれて、答えられますか?私は他の場面は、いろいろ考えますが、考えるなんて損、とにかく面白い場面です。そんな場面がちりばめられた作品ですから、あまり無理に、笑いを取ろうとすると、とてもダレた作品になってしまうと感じています。

しかし、笑いを取るつもりもなく、必死に演じているのに、舞台は生(なま)!!!ハプニングは起こるものなのですねぇ。
詳しく書こうかと思ったのですが、まあ、やめておきます。そのうち時効かな?って思いましたときにでも書きます。

と、いろいろ思いましたが、本当に「太平洋序曲」最高!

変化し続ける舞台・その2

2011年06月30日 | 太平洋序曲2011年公演
さて、前回は前置きが長かったので、進みませんでした。今回は本題へ即突入。

「菊の花茶」です。
直前の騒ぎがあった後からが変わりました。
00年、02年はナレーターは袖に入って着替えをしていました。なので、この場面に登場する人々の内、占い師、医師、腰元、将軍の母は、下手奥から登場し(これは今回も同じ)舞台奥を上手側に進み、端まで来ると前方へ来て、所定の位置に向かっていました。今回は、ナレーターが着替えをしている屏風があるので、先に舞台後方から前方への動きとなりました。
大した違いはないようなのですが、ひとつ私としては残念なことがありました。
それは、将軍の母が入ってくるのにナレーターが紹介しないので、まず、足を踏みならして催促をします。で、次に、重要人物なのですから当然にあっていいバックグラウンドミュージックがないので、母上はオケに向かって「音」と催促します。この「音」と催促するのが、以前は観客に近い方にいらっしゃるパーカッション担当の方に対してでした。このパーカッションの方は、「すみません。」と一礼して演奏をしていたんですね。いや~~~、将軍の母、強し!と、いつも楽しみにしていた場面でしたので、なくなって残念。
でも、今回の方が将軍の登場の仕方はいいですね。
もう一点、変わったというか、はっきりしたというか・・・
丑の日は占い師が占いをするのですが、最後に「どちらが勝つかわからない。」とはっきり言うようになりました。以前は、もごもごもごでした。はっきり言った方がより笑えるような気がします。

そう言えば、パーカッションで思い出しましたが、もうお一人の男性のパーカッションの方は、接待屋敷に入る行列のときに舞台に登場します。でも、被りものをしているのでお顔ははっきりわからないのですよね。ちょっと残念。
この場面もあるので、挨拶があったりすると、本当にキャストもオケも一体になって舞台をつまり上げていると感じられていたんです。


次は「木の上に誰か」に入るところのナレーターのセリフです。正式文書がないので「これ以上芝居を続けられません。」というセリフが入りました。これは、すごくいいと思いました。この「木の上に誰か」は、素晴らしい歌なのです。私は、聞きながら、「自分も歴史の目撃者になる」と心に誓うのです。が、実のところ、最初に聞いた時は、本当に何か新しいことが分かるのではないかと、それにばかり気が行ってしまいました。はっきり、「ない」とわかって、「木の上に誰か」を聞くと、自分が目撃者なんだとわかるのです。この歌を楽しむ、噛みしめるために、本当によいセリフが入ったと思いました。


「ボーラ・ハット」です。
この場面は香山の演技が素晴らしく、本当に、時の流れによって、人が変わっていってしまうことを実感させられるようになりました。が、その演技を助けているのが、後妻の登場です。00年、02年には登場しなかったと思うのです。他の役割でキャストが登場する部分は変更ありませんが。後妻がちょっと姿を現し、ワインを飲む飲まないで揉め、ボーラ・ハットを持っていってしまう。歌詞だけではなく、やはり視覚に訴えるのはわかりやすいですね。

えっと、脱線です。
そして、最後に「これはカッターウェイ」と香山は言います。
なぜ、「カッターウェイ」という質問受けたことがないので、そんなのわかっているわよ、なのでしょうが、まあ、お付き合いください。私も、勿論、多分こういうこと、という程度ですが・・・
このコートというか上着は燕尾服ですよね。英語でも「tailcoat」といいます。歌詞カードにも「holding up tailcoat」という描写があります。でも歌詞は「cutaway」です。
英語で書くとすごくよくわかります。「cutaway coat」でモーニングコートの意味になりますので、ほぼ同じようなものを差すのですが、敢えて「cutaway」と歌います。「cutaway」を「cut a way」分解できることに注目して欲しいのです。「風習を切り捨てた」という感じではないでしょうか。「cut away」かもしれません。「切り払う、切りまくる、逃げ出す」という意味があります。どうとるかの幅はあると思いますが、香山の「変わってしまったんだ、俺は!」を象徴的に描く一言だと思いませんか。
日本語もかけ言葉がたくさんありますが、英語にもいろいろあるんだなぁと実感します。
訳詞が素晴らしい「太平洋序曲」ですが、多分ここは訳詞きれていませんね。でも、「日本にもいいところがたくさんある」と言っていた香山が洋装を好むことは見ていてわかりますから、「変わってしまったんだ」はちゃんと伝わっていると思います。

と、またまた、長くなってきました。
最後は脱線のまま終わりではなく、締めに書きたいことがあるのですが、長くなってしまうのでまたの機会に致しますね。

(7月1日に、一部訂正致しました。)

変化し続ける舞台・その1

2011年06月30日 | 太平洋序曲2011年公演
神奈川芸術劇場で7月3日まで上演中の「太平洋序曲」をお楽しみに頂いていますでしょうか?
このブログやHPが皆様のお役に立っているようでしたら、この上のない喜びです。

また、観劇するかどうか迷っている方に、少し前に書いた記事をお読み頂き、是非お出かけ頂ければと思います。ネタばれを相当していますが、少し予備知識があった方が、舞台に入りこめるという感想をあちらこちらで読みますので、拙い文章ですが、参考になさって下さい。

さて、今日は「変化し続ける舞台」ということで、00年、02年、11年の公演で大きく変わったことなどをお話ししながら、創り手のメッセージを観客がどう受け取るのか、また、社会の変化が観客にどのような影響を与えるのかを考えてみたいと思います。

よく「進化」という言葉を使います。多分「進化」は拙いことが洗練されていくという感覚で使っているのだと思います。私は、「進化」という言葉はあまり使いません。あくまで「変化」です。なぜなら、先程も触れましたが、舞台は社会の変化の鏡でもあるので、変更したことが舞台を洗練したり、多くの観客が感動するようになるとは限らないからです。
「太平洋序曲」についても同じように感じています。

本題に入ります。

私が、00年最初に観たときに、ものすごく感動したけれど、これだけは無理、と思った場面があります。それは、休憩時間に女性が集まるところでほぼ全員がブーブー言っていました。日本人女性の総意かもしれませんね。
「たまての自害」
の場面です。
上演されるたびに、まああの時代なら自害も仕方がないなぁと思える演出に変わっています。
00年の日本初演はどうだったのでしょうか。つまり、これは、原作の通りということです。
「帰り待つ鳥」で香山が出かけてしまい、悲しみの踊りを見せます。なんと、そのあとすぐに自害してしまうのです。日本人というか東洋人はすぐに自害するというイメージがアメリカ人にはあるのでしょうね。「蝶々夫人」のイメージが強いのでしょうか。「ミス・サイゴン」もそうです。
しかし今の日本女性はどうでしょう。男性よりも強く、明るく、しっかりと生きているではありませんか。そんな私たち日本人女性にこの場面は侮辱しているとしか思えません。
相当反発があったのでしょう。02年、今回とほぼ同じように、「帰り待つ鳥」では白い衣を掛けられるだけになり、自害したことがはっきりわかるのは「俳句」のあとでした。
ここから先は、私の記憶違いもあるかもしれませんが、いくつかのセリフによって、よりたまての自害が、仕方ないことだった、と受け入れられるようになったと思います。

最初は、香山と万次郎が逃げ帰った後に、ナレーターが
「交渉が失敗したことが、日本全国に伝わりました。」
というようなことを言うのですが、後半の部分は今回加えられたと思います。
なるほど、交渉が失敗すれば、香山も自害しただろうから、たまても後を追うのは当然と思えるわけです。

また、一幕のラストで、屏風の上でたまての自害のシーンが再現され、万次郎が「香山様」というと、香山が「これでいいのだ。我が国の平穏は保たれたのだ。」というセリフも、今回加えられたと思います。このセリフで、たまての死が無駄ではなかったのかもしれないと観客に思わせているようです。

確かに、「たまて」については今回が一番しっくりきます。
しかし「帰り待つ鳥」の歌詞からすると、やはり00年つまり原作がぴったりします。
「他に何が」つまり「他に選びようがない」と歌っているからです。
この歌の表現の仕方も、すぐに自害するときと、今回ではやはり変わってくると思います。
02年も変えても良かったかもしれませんが、キャストは00年と同じでしたので、「自害する」とわかって歌っていたのです。
今回の戸井さんと畠中さんの歌い方は今回の舞台に合っているかな、と思います。
が、私としては、たまての覚悟を歌いあげるので、死に向き合った時のもっと強い覚悟を表現して頂きたいなぁと思うのです。

実は、初日と他の日で変わったというのもありました。というか、ずっとこの演出だったのに、今回の初日だけ違っていのです。
それは、たまてが香山に刀を渡さなければならないのですが、それを渡せば香山が出かけてしまうので、そうはさせたくないと、たまては刀を抱きしめ後ろを向くのです。
そのたまてに対し、一回だけ違っていた時は、香山が優しくたまての肩を抱くようにして刀をもらう、でした。
それ以外は、香山はたまてを叱るように、やや乱暴に刀を奪い取る、という演技でした。

私の好みは、やはり後者ですね。
侍というものは、優しさを表現するのは苦手ですし、妻に対しても自分と同じ気持ちでいることを望んでいるはずです。
今を基準に考えると、「侍」なんて・・・でも、ここ数年「侍ブルー」だの、「侍ジャパン」だのと、やはり日本人は「侍」が大好きです。そこにあるイメージが香山にはあって欲しいのです。

たまての自害について批判的な話はまったく聞かないので、「今」の観客の感覚に合った演出になっているのだと思います。


と、書き始めたら止まらない!!!
全部の変更点を一回で書くつもりだったのに。
大きな変更点があるのは「菊の花茶」「木の上に誰か」「ボーラ・ハット」などです。
さて、次回は全部書けるでしょうか???