わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

レ・ミゼラブル

2003年09月14日 | 観劇記
(06年7月に整理し、掲載したものです)

2003年9月14日マチネ 帝国劇場8列目下手

 「新生レ・ミゼラブル」を観劇してきました。
 「遅~~~~~い」と笑われそうですが、いろいろありまして・・・

 実は、(以前掲示板に書きましたが)7月10日のプレビューに行きました。が、一幕で帰ってしまったのです。自分の体調があまり良くなかったこともありましたが、それをおしてまで観るほどの舞台ではないと感じてしまったからです。

 そして改めて、上記の日に観劇したわけですが、作品には感動しましたが、舞台には感動できませんでした。どうしても前回バージョンを重ね合わせてしまうのです。

 一番のお目当てだった、今ジャベールは、とても素敵でした。やはり、プレビュー初日は今さんと言えども緊張して、無駄な動きが多かったのだと思いました。

 7月10日も一幕のみとはいえ、全キャストが登場しますし、私が一番のこの舞台で大切だと思っている、一幕のラストは観ています。
 その、「ワン・デイ・モア」がどちらの日もあまりにもひど過ぎました。はっきり言って、何の曲なのかわからないほどばらばらの歌声。隊列のひ弱さ。9月14日に至っては、吉野アンジョが逆の足になってしまうという有様。
 この場面は、全員が舞台に登場する唯一の場面。このカンパニーの力がわかるといっても過言ではありません。そして、とても難しい場面であることもわかっています。が、何の曲かわからないほどの乱れは、プロとしてあまりにも情けないのではないでしょうか。

 吉野圭吾さんのことを厳しく言ってしまったようですが、私は、吉野さんをとても買っています。「モーツァルト」の時は大絶賛でした。美しい立ち姿はアンジョルラスそのものです。が、この役は高音もさることながら、低音がしっかりしていないといけないのです。
 この作品で一番有名で、もっとも印象深い歌、その歌い出しは他の高音を響かせる歌と違い、低い音で始まります。「たたかうもののうたがきこえるか・・・」
 吉野さんは、とても上手くこの部分を切り抜けたと思います。が、印象に残らないのです。ここが印象に残らないと、ラストの歌詞違いの同メロディの高揚感がまるでありません。このあとコンブアェールやフイィも同じメロディを歌いますよ。でも、アンジョルラスが優しくも、力強く歌うことに意義があるのです。

 フォンテーヌはマルシアさんでした。彼女の声も、張りがあり美しいのですが、フォンテーヌの幸薄い、はかなげな美しさを表現してはいません。

 テナルディェ夫妻は三遊亭亜郎さんと瀬戸内美八さん。演技が求められる役であるにも関わらず、歌うことで必死。笑うはずの宿屋の場面で、とても疲れてしまいました。

 上では、プリンシパルの方たちについて書きましたが、この舞台はアンサンブルが主役です。長短あるにしても、全員にソロがあり、見せ場もあります。が、その役として生きていないのです。

 例えば、宿屋の場面で、お金持ちの旅人が二人やってきます。一人は少し用心深いのですが、もう一人は本当に金持ちらしいのです。というのは、前回バージョンでの感想。今回は、「金持ち」と言われなければ、金持ちに見えない。
 ほとんどか、こういう感じなのです。

 確かに、短縮するために表現する時間も短くなり、キャストの皆様が苦労なさっているのもわかります。が、もっともっとその役に、そして、この時代に生きていかなければならないと思います。

 勿論、今拓哉さんをはじめ素晴らしい歌、演技をみせて下さった方もいらっしゃいます。が、とにかくこれが本当に、真剣に、オーディションをした結果起用されたキャストなのか、と思ってしまいました。役者さんの実力うんぬんではなく、選んだ側に多大なる責任があると思います。
 もともと楽譜にある音を出せないキャストを起用するなど、ミュージカル(特に、この作品のように絡みが多いと、音を変えられない。)ではあって欲しくないことです。
 全キャスト入れ替えにも疑問が残ります。短縮して、どうしても舞台が平坦になるなら、なおのこと作品を知り尽くしているキャストが半分は残って、作品の中での役としての生き方を伝えるべきだったのではないでしょうか?
  
 新キャストの起用、複数キャストの起用で、多くの人がこの素晴らしい作品に携わることが出来るのは素晴らしいことだと思います。しかし、とても厳しい言い方ではありますが、それは創る側の都合であり、観客不在の舞台制作だったのではないでしょうか?
 
 今回の観劇記は、今までの中で一番辛口の文章だったもしれません。が、この「レ・ミゼラブル」という作品を大切に思い、21世紀もずっと上演し続けていって欲しい作品だと考えればこそなのです。