わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

変化し続ける舞台・その2

2011年06月30日 | 太平洋序曲2011年公演
さて、前回は前置きが長かったので、進みませんでした。今回は本題へ即突入。

「菊の花茶」です。
直前の騒ぎがあった後からが変わりました。
00年、02年はナレーターは袖に入って着替えをしていました。なので、この場面に登場する人々の内、占い師、医師、腰元、将軍の母は、下手奥から登場し(これは今回も同じ)舞台奥を上手側に進み、端まで来ると前方へ来て、所定の位置に向かっていました。今回は、ナレーターが着替えをしている屏風があるので、先に舞台後方から前方への動きとなりました。
大した違いはないようなのですが、ひとつ私としては残念なことがありました。
それは、将軍の母が入ってくるのにナレーターが紹介しないので、まず、足を踏みならして催促をします。で、次に、重要人物なのですから当然にあっていいバックグラウンドミュージックがないので、母上はオケに向かって「音」と催促します。この「音」と催促するのが、以前は観客に近い方にいらっしゃるパーカッション担当の方に対してでした。このパーカッションの方は、「すみません。」と一礼して演奏をしていたんですね。いや~~~、将軍の母、強し!と、いつも楽しみにしていた場面でしたので、なくなって残念。
でも、今回の方が将軍の登場の仕方はいいですね。
もう一点、変わったというか、はっきりしたというか・・・
丑の日は占い師が占いをするのですが、最後に「どちらが勝つかわからない。」とはっきり言うようになりました。以前は、もごもごもごでした。はっきり言った方がより笑えるような気がします。

そう言えば、パーカッションで思い出しましたが、もうお一人の男性のパーカッションの方は、接待屋敷に入る行列のときに舞台に登場します。でも、被りものをしているのでお顔ははっきりわからないのですよね。ちょっと残念。
この場面もあるので、挨拶があったりすると、本当にキャストもオケも一体になって舞台をつまり上げていると感じられていたんです。


次は「木の上に誰か」に入るところのナレーターのセリフです。正式文書がないので「これ以上芝居を続けられません。」というセリフが入りました。これは、すごくいいと思いました。この「木の上に誰か」は、素晴らしい歌なのです。私は、聞きながら、「自分も歴史の目撃者になる」と心に誓うのです。が、実のところ、最初に聞いた時は、本当に何か新しいことが分かるのではないかと、それにばかり気が行ってしまいました。はっきり、「ない」とわかって、「木の上に誰か」を聞くと、自分が目撃者なんだとわかるのです。この歌を楽しむ、噛みしめるために、本当によいセリフが入ったと思いました。


「ボーラ・ハット」です。
この場面は香山の演技が素晴らしく、本当に、時の流れによって、人が変わっていってしまうことを実感させられるようになりました。が、その演技を助けているのが、後妻の登場です。00年、02年には登場しなかったと思うのです。他の役割でキャストが登場する部分は変更ありませんが。後妻がちょっと姿を現し、ワインを飲む飲まないで揉め、ボーラ・ハットを持っていってしまう。歌詞だけではなく、やはり視覚に訴えるのはわかりやすいですね。

えっと、脱線です。
そして、最後に「これはカッターウェイ」と香山は言います。
なぜ、「カッターウェイ」という質問受けたことがないので、そんなのわかっているわよ、なのでしょうが、まあ、お付き合いください。私も、勿論、多分こういうこと、という程度ですが・・・
このコートというか上着は燕尾服ですよね。英語でも「tailcoat」といいます。歌詞カードにも「holding up tailcoat」という描写があります。でも歌詞は「cutaway」です。
英語で書くとすごくよくわかります。「cutaway coat」でモーニングコートの意味になりますので、ほぼ同じようなものを差すのですが、敢えて「cutaway」と歌います。「cutaway」を「cut a way」分解できることに注目して欲しいのです。「風習を切り捨てた」という感じではないでしょうか。「cut away」かもしれません。「切り払う、切りまくる、逃げ出す」という意味があります。どうとるかの幅はあると思いますが、香山の「変わってしまったんだ、俺は!」を象徴的に描く一言だと思いませんか。
日本語もかけ言葉がたくさんありますが、英語にもいろいろあるんだなぁと実感します。
訳詞が素晴らしい「太平洋序曲」ですが、多分ここは訳詞きれていませんね。でも、「日本にもいいところがたくさんある」と言っていた香山が洋装を好むことは見ていてわかりますから、「変わってしまったんだ」はちゃんと伝わっていると思います。

と、またまた、長くなってきました。
最後は脱線のまま終わりではなく、締めに書きたいことがあるのですが、長くなってしまうのでまたの機会に致しますね。

(7月1日に、一部訂正致しました。)

変化し続ける舞台・その1

2011年06月30日 | 太平洋序曲2011年公演
神奈川芸術劇場で7月3日まで上演中の「太平洋序曲」をお楽しみに頂いていますでしょうか?
このブログやHPが皆様のお役に立っているようでしたら、この上のない喜びです。

また、観劇するかどうか迷っている方に、少し前に書いた記事をお読み頂き、是非お出かけ頂ければと思います。ネタばれを相当していますが、少し予備知識があった方が、舞台に入りこめるという感想をあちらこちらで読みますので、拙い文章ですが、参考になさって下さい。

さて、今日は「変化し続ける舞台」ということで、00年、02年、11年の公演で大きく変わったことなどをお話ししながら、創り手のメッセージを観客がどう受け取るのか、また、社会の変化が観客にどのような影響を与えるのかを考えてみたいと思います。

よく「進化」という言葉を使います。多分「進化」は拙いことが洗練されていくという感覚で使っているのだと思います。私は、「進化」という言葉はあまり使いません。あくまで「変化」です。なぜなら、先程も触れましたが、舞台は社会の変化の鏡でもあるので、変更したことが舞台を洗練したり、多くの観客が感動するようになるとは限らないからです。
「太平洋序曲」についても同じように感じています。

本題に入ります。

私が、00年最初に観たときに、ものすごく感動したけれど、これだけは無理、と思った場面があります。それは、休憩時間に女性が集まるところでほぼ全員がブーブー言っていました。日本人女性の総意かもしれませんね。
「たまての自害」
の場面です。
上演されるたびに、まああの時代なら自害も仕方がないなぁと思える演出に変わっています。
00年の日本初演はどうだったのでしょうか。つまり、これは、原作の通りということです。
「帰り待つ鳥」で香山が出かけてしまい、悲しみの踊りを見せます。なんと、そのあとすぐに自害してしまうのです。日本人というか東洋人はすぐに自害するというイメージがアメリカ人にはあるのでしょうね。「蝶々夫人」のイメージが強いのでしょうか。「ミス・サイゴン」もそうです。
しかし今の日本女性はどうでしょう。男性よりも強く、明るく、しっかりと生きているではありませんか。そんな私たち日本人女性にこの場面は侮辱しているとしか思えません。
相当反発があったのでしょう。02年、今回とほぼ同じように、「帰り待つ鳥」では白い衣を掛けられるだけになり、自害したことがはっきりわかるのは「俳句」のあとでした。
ここから先は、私の記憶違いもあるかもしれませんが、いくつかのセリフによって、よりたまての自害が、仕方ないことだった、と受け入れられるようになったと思います。

最初は、香山と万次郎が逃げ帰った後に、ナレーターが
「交渉が失敗したことが、日本全国に伝わりました。」
というようなことを言うのですが、後半の部分は今回加えられたと思います。
なるほど、交渉が失敗すれば、香山も自害しただろうから、たまても後を追うのは当然と思えるわけです。

また、一幕のラストで、屏風の上でたまての自害のシーンが再現され、万次郎が「香山様」というと、香山が「これでいいのだ。我が国の平穏は保たれたのだ。」というセリフも、今回加えられたと思います。このセリフで、たまての死が無駄ではなかったのかもしれないと観客に思わせているようです。

確かに、「たまて」については今回が一番しっくりきます。
しかし「帰り待つ鳥」の歌詞からすると、やはり00年つまり原作がぴったりします。
「他に何が」つまり「他に選びようがない」と歌っているからです。
この歌の表現の仕方も、すぐに自害するときと、今回ではやはり変わってくると思います。
02年も変えても良かったかもしれませんが、キャストは00年と同じでしたので、「自害する」とわかって歌っていたのです。
今回の戸井さんと畠中さんの歌い方は今回の舞台に合っているかな、と思います。
が、私としては、たまての覚悟を歌いあげるので、死に向き合った時のもっと強い覚悟を表現して頂きたいなぁと思うのです。

実は、初日と他の日で変わったというのもありました。というか、ずっとこの演出だったのに、今回の初日だけ違っていのです。
それは、たまてが香山に刀を渡さなければならないのですが、それを渡せば香山が出かけてしまうので、そうはさせたくないと、たまては刀を抱きしめ後ろを向くのです。
そのたまてに対し、一回だけ違っていた時は、香山が優しくたまての肩を抱くようにして刀をもらう、でした。
それ以外は、香山はたまてを叱るように、やや乱暴に刀を奪い取る、という演技でした。

私の好みは、やはり後者ですね。
侍というものは、優しさを表現するのは苦手ですし、妻に対しても自分と同じ気持ちでいることを望んでいるはずです。
今を基準に考えると、「侍」なんて・・・でも、ここ数年「侍ブルー」だの、「侍ジャパン」だのと、やはり日本人は「侍」が大好きです。そこにあるイメージが香山にはあって欲しいのです。

たまての自害について批判的な話はまったく聞かないので、「今」の観客の感覚に合った演出になっているのだと思います。


と、書き始めたら止まらない!!!
全部の変更点を一回で書くつもりだったのに。
大きな変更点があるのは「菊の花茶」「木の上に誰か」「ボーラ・ハット」などです。
さて、次回は全部書けるでしょうか???

香盤表、煮詰まってきました

2011年06月26日 | 太平洋序曲2011年公演
香盤表の完成に向け、ご協力頂いている皆様、ありがとうございます。
どうか、香盤表を気にするあまり、肝心な場面を見落とすことのないように、そこそこに集中して頂ければと思います。

ほぼ、以下4点に絞られております。


「黒い竜が四匹」の最終盤の戸板をバンバンやる場面に、山本太郎さんが百姓役で登場していますか?

「菊の花茶」の直前、戸板の上に首を出したり、引っこめたりして、騒ぐ人々に、石鍋多加史さん、田川加奈美さん、小此木麻里さんは登場しますか?多分、このうちのお二人が登場していると思うのですが・・・

「ボーラ・ハット」で、香山の家に机を運んでくるのは、佐山陽規さんと富岡晃一郎さんでしょうか?佐山さんは上手側と確認しました。

「東海道」の場面の篭かきは、客席からの判別はもはや不可能かと思いますが、もしお分かりになれば、よろしくお願い致します。阿部の篭かきが岡田正さんかと思います。香山の方がさけもとあきらさんかと思います。


02年公演より会場が広いので、以前に比べるとスタッフさんがいろいろなものを運んで下さっているようです。
他にも、いろいろ変わった点など、ますますマニアックに書きたいと思います、苦笑。

が、6月26日マチネを観劇致しましたところ、かなり空席がありました。
「どうしようかな?」と考えている皆様、当日券が必ずあると思いますので、是非、神奈川芸術劇場に足をお運び下さい。

「コートに触るな!」の理由

2011年06月26日 | 太平洋序曲2011年公演
ここにもよくおいでいただくchawanさんがtwitterで質問をなさっていたので、お答えしたいと思います。

あらためて、質問を・・・
ツィートは文字数が限られますので、多分、こんな疑問なんだろうと思いますし、私もそう思いました。

第2幕の最初のナンバー「プリーズ・ハロー」は5か国の司令官がやってきていろいろな要求をします。
アメリカは、港をひとつ開いて欲しい。
イギリスは、大使を置きたい。
オランダは、港をふたつ開いて欲しい。
ロシアは、治外法権を求めます。
フランスは、漁業権を求めます。

この要求をおもしろおかしく歌い、将軍阿部は困り果てるという場面なのです。

その中で、ロシア司令官はコートに阿部の手が触れると
「コートに触るな!」
と叫ぶわけです。
(英語でも
「Don't touch the coat!」
と叫んでおります。)
まあ、歌詞の脈絡からすると、突拍子もない感じがします。

ロシア司令官の佐山陽規さんが、冷静沈着にロシアの要求を
歌っているのに、後ろで各国司令官も阿部も文書を見たくて、
ごそごそやっているのです。で、ついついコートに触ってしまい、
そこで叫ぶ?というところで「コートに触るな!」といい、また、
何事もなかったように冷静沈着に歌い続けるのです。
それ自体が、とにかく、面白いのです。
意味とかいうより、本当におかしくて、おかしくて・・・

02年の再演時などは、普段の生活で、何か邪魔されると、「コートに触るな!」と
叫んで、楽しんでもいました。
意味なんていいじゃない、という感じですね。

が、多分ちゃんと意味があるのだと思います。
ジョン・ワイドマンさんに聞かないと本当のところはわかりません。
あくまで、私の推測です。

この「コート」には「coat」と「court」がかけられているのだと思います。
CDの歌詞カードにも書いてあると思いますが、英語の脚本(持っているのか!!!
それも、違うタイプを2冊!!!)でも確認しましたが、これにによると、
イギリス司令官が歌う間に、ナレーターが床下から出て歌う歌詞に
「from the Court」
という歌詞があるのです。
多分、これを受けて、ロシア司令官に「coat」を言わせたのだと思います。
日本語の歌詞には、この「from the Court」が訳し切れていなくて、
「○○したいし~~~」の「たいし~~~」と「大使」を
かけて、言葉遊びをしています。
「court」には、宮廷とか王室とか裁判所とかいう意味があります。
「おべっか(機嫌を取る)」なんて意味もあります。
が、ここでは多分、
「コートに触るな!」で「干渉するな」というような意味に
取っているのではないかと思います。
はっきり「干渉するな」とは言っていませんが、
佐山さんの役作りからしても、他の司令官に比べて、
とっつきにくいというか、ものすごく高飛車ですよね。
そんな雰囲気からしても、「ロシアのやることに口出しすると、
痛い目にあうぞ」という意味があるように思えませんか?

この「プリーズ・ハロー」は言葉遊びの大好きなソンドハイム氏が
楽しんで作られた曲だと思いますので、こんなに深くは追求する意味があるのかは
疑問です。
また、最初にもいいましたが、本当のところはジョン・ワイドマンさんに
聞いて頂ければと思います。


大震災のため、北方領土へのロシアのさまざまな働きかけが、
最近は報道されませんが、昨年末から、まさに帝政ロシアのころと同じように、
ロシアのプライドの高さと、領土拡大主義が復活していると感じていました。
このような、ロシアの姿勢があの「コートに触るな!」に
現れているなぁと思います。

というか、私の場合、ロシアのいろいろな外交姿勢に触れるたび
「コートに触るな!」
がよみがえっていたというのが正しいのですが・・・苦笑。

こんなところで、いかがでしょうか?

改善!最前列

2011年06月24日 | 太平洋序曲2011年公演
ご報告致します。

先日来、ブログで

「神奈川芸術劇場で上演されている「太平洋序曲」の座席で、
最前列の上手、下手ともかなり見切りがあり、何か改善して欲しい。」

と話題にさせて頂いておりました。
このこの件につき、以下のように改善されているようですので、ご報告致します。

6月22日の貸切公演から対応頂いてる点は、
最前列の下手、上手の座席に、座布団が用意されたことです。

また、上記に加え、最前列の両端3席ほどだと思いますが、
23日からは後方への席になりますが、希望があれば
変更することができるとのことです。
係員が聞きに来てくれるようです。


実際に、座布団を利用した方から連絡を頂きました。
かなり見やすいととのことでした。

神奈川芸術劇場のスタッフの皆様には、心からお礼を申し上げたいと
思います。


ただ、今後のために辛口に申し上げますが・・・
劇場に舞台装置を入れて6日あったわけですし、ゲネプロもあったわけです。
最前列の上手、下手を中央に寄せるという改善をして頂いたことは、
公式HPの座席表の変更で確認はしていました。
が、どう考えても、左右というか、上下の問題だったと思うのです。
舞台の上にキャストがいなくても、最前列に座れば、「見切る」とわかったはずです。
今後も、可動舞台、可動座席を使用した劇場作りが行われると思いますが、
見切りがないかの確認は慎重にお願い致します。
勿論、見切っても最前列を選択したい観客もいます。
以前、「見切りあり」ということで、今回で言えばA席としての
販売をしていた劇場もありました。

新しい劇場ですから、これから発展していくと思います。
いろいろな試みで、多くの皆様から愛される劇場になって
いくことを期待しております。

そして、この神奈川の地で「太平洋序曲」がまた上演されることを
願ってやみません。

感想をお寄せ下さい6月22日(水)貸切公演

2011年06月22日 | 太平洋序曲2011年公演
コメント、トラックバックなどで感想をお寄せ下さい。


この記事には、
2011年6月22日(水)の感想をお願い致します。

貸切公演でしたが、女子中高校生の皆様が観劇なさったようですので、もしかしたら感想をお聞かせ頂けるかと思い、この記事を書いています。

薬と毒は紙一重

2011年06月22日 | 太平洋序曲2011年公演
「薬と毒は紙一重」と申しましても、「菊の花茶」ではございません、笑。

ファンとしての立場で、いろいろ不満というか、こうだったらいいのに、という思いがいろいろあるのです。
こういうファンは、劇場にとって、作品にとって、舞台にとって、薬なのか、毒なのか、微妙だと思うのです。
一応、それを自覚して、少々物申してみたいと思います。

ことの起こりは、「最前列、見切りが多過ぎる」に始まっています。
この件を書いた時、「新国立でもクレームをつけた」と書きました。
神奈川芸術劇場さん、確かに、貴劇場にとって、「太平洋序曲」は初ミュージカルです。でも、新国立劇場と同じクレームを受けてはいけないと思うんですよね。
私、クレーマーのようになっていますが、劇場の係りの人にクレーム付けたのは、この「太平洋序曲」関してだけですから。愛情の裏返しなんです、ハイ。
で、そのクレームとは・・・
「ミュージカル・ナンバーの担当キャストの記載が、プログラムにない」
です。
こんなにキャストの皆様が熱演する舞台ですよ、それも、顔が見えないこともあるのに・・・
ミュージカルの華、ミュージカル・ナンバーの担当キャストは書いてあげて下さい。
今更、プログラムに入れることは無理だと思いますので、ブログにアップしました。参考になさって下さい。

自慢になってしまいますが、新国立劇場は私のクレームを受けて、00年の時はロビーに担当キャストの用紙を用意してくれました。
02年は、ちゃんとプログラムに載りました。

この時以来、クレームはつけてみるもの、と思いましたが、11年間実行しませんでした、笑。

まあ、今はネットで捕捉できることは、誰かがやればいいのではないかと思っております。
座席はネットで捕捉出来ないですから、クレームを言うしかなかったわけです。


以下、舞台に関して、こうだったらいいのになぁと思うことです。
確かに、神奈川芸術劇場は今年1月のオープン。その上、ミュージカルはこの「太平洋序曲」が最初。いろいろ大変なことはわかります。
私も、初日だけなら、仕方がないと思うのですが、気になったのが、照明と音響です。

初日は悪夢の最前列下手。19日はほっと一息、実質10列目あたりの上手寄り。で、観劇しました。

照明から。
照明は、初日、スポットが遅いことが多々あり、あらあら息が合っていないのね、と思っていましたが、19日も同じことが何度もあり、なんとかならないのかと思いました。
「黒竜」の時に、さけもとさんに、注連縄の影が当たっているのが、すごく気になりまして、照明の角度を見たら、上から当てているんですよね。影が出来ることが分かっているなら、何か工夫出来なかったのでしょうか?
また、全体に、点くときも、消えるときも、なにかホワホワした感じなのです。
きびきびとした舞台なので、スピード感が欲しいです。
19日のアフタートークでも話していましたが、この舞台は装置がとてもシンプルなのです。舞台の変化と言えば、屏風の配置と、照明がメインです。その点からも、照明が舞台装置の主役といっても過言ではないと思いますので、とても気になってしまいました。

次は音響。
初日は、舞台からキャストの声は生で飛んできていました。
19日もそうでした。これは、すごくすてきでした。これだけ実力のある俳優の皆様だと、この大きさの劇場なら、ほぼマイクなしでもいけるのかと感じています。
キャストの皆様の声ではなく、場面の臨場感を出す場面での音、音響と言うか、効果音の配置に問題があるのかと感じています。
ちょっと、夢のない話になってしまうのですが・・・
確か、香山、万次郎そして老中の作戦会議の場面と、「黒竜」の歌のない間、町の人が騒ぐ場面は、キャストの声だけではなく、騒々しい声の効果音が流れていたと思います。この効果音が小さいのです。もう少し、客席の四方八方から流れてきた方が、臨場感があるのではないかと思います。新国立劇場小劇場と同じ音の配置では、臨場感が不足していると思います。
それに対し、ラストの大ナンバー「ネクスト」は、オケの音が強過ぎて、歌詞が聞き取り難いです。

以上です。
すべて、愛情の裏返しですので、毒じゃなくて、薬になるといいなぁと思っております。