わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

お知らせ

2011年05月27日 | 太平洋序曲2011年公演
Y152(横浜開港152年目のことらしい)のオープニングイベントに、「太平洋序曲」のキャストの皆様が出演なさるそうです。

神奈川芸術劇場アナトリウム
2011年6月3日(金)17時30分から

と発表されていますが、変更があるかもしれません。

詳細は
http://www.kaat.jp/news/2011/05/y-kaat.html

http://www.y151-200.com/index.html
でご確認下さい。


記事の削除

2011年05月18日 | 太平洋序曲2011年公演
5月16日に書きました「きっと気になるあんなこと その6」は、諸事情ににより削除致しました。
お読み頂き、興味や期待をお持ちになった皆様には、心からお詫び申し上げます。

この作品は、動きが大変ですから、いろいろ変更があるようです。
ということで、お察し下さい。

では、また。

ちょっと熱くなりました

2011年05月13日 | 雑記
先日の雑記はちょっと熱くなりました。
聴くのをやめていたのに、「Pacific Overtures」のCDを聴いた上に、聴きながら書いてしまったものですから・・・

舞台をどう楽しむかは、観客一人一人によって違いますので、押し付けないようにしないといけませんね。
反省中です。

「Next」も、今、聴くと、応援歌に聞こえるかもしれないなぁ、と思います。
そもそもが、アメリカは日本に追い越されたよ、ということを言いたかった曲なのです。1976年頃は日本は高度成長期でしたから。
今は、まるで違います。「立ち上がれ」と言う歌詞に何を感じるか、楽しみでもあり、怖さもありです。

あんなに語ったのは、私も、初演時「太平洋序曲」のチラシを読んで、「なんかよくわからないけど・・・」と観劇しましたが、観てびっくり、なんというか、チラシのあらすじはあらすじだけど、あらすじではない部分が面白い、魅力的、それに、文字では絶対語れない、音楽が素晴らしい!!!と、なりました。

というわけで、あらすじででないところばかり、熱く語ってしまいました。申し訳ありませんでした。

きっと気になるあんなこと その5

2011年05月11日 | 太平洋序曲2011年公演
今回こそネタばれしていません。
上演時間です。休憩をはさんで、約3時間ですが、前半が長いです。90分、休憩20分、60分という感じでした。
ずこく面白いので、あっという間ですが、前半が長いので、用事は観劇前に済ませておきましょう。

「太平洋序曲」っていう題名なのに、「序曲」の部分はありません。いきなり始まります。最初のナンバーはCDでは5分ぐらいですが、実際の舞台は曲の間にいろいろあるので、10分ぐらいかかったと思います。その間入場できないと思いますので、要注意です。
開演時間には余裕をもってお出かけ頂き、用事を済ませ、早めにご着席頂くことをお勧めします。

あれ、やっぱり少しネタばれした。すみません!

きっと気になるあんなこと その4

2011年05月09日 | 太平洋序曲2011年公演
今日の話はあまりネタばれしていません・・・いや、やっぱりしています、苦笑。

もう、チケット発売となっているので、今更こんな話をしてもと思いますが、座席の話をしたいと思います。
神奈川芸術劇場のHPに「太平洋序曲座席表」という表記があります。ご覧になっていましたでしょうか?

観客席のど真ん中に「花道」!!!

この花道はどんな使われ方をするのか知りたいですよね。自分の座席との関係、気になりますよね。
歌舞伎の花道は位置も違いますし、舞台そばで役者がとどまることはあっても、比較的通過のために使われます。
しかし、「太平洋序曲」では、舞台の一部として使われることがたびたびあります。
ということは、あまり前方に座ると、振り返って花道を見なくてはなりません。ちょっと大変かもしれません。花道の真横だと、見上げることになるかもしれません。
サイドの席から見るのも結構楽しいのではないかと思います。
でも、前方や花道脇は、俳優の皆様の息づかいに触れられますから、お薦めです。特に、あの場面(観てのお楽しみ)花道脇はおいしいんですよね。

というわけで、前方に一回、サイドかやや後方に一回、花道脇に一回、でどうでしょう???さらに、一番のお気に入りにもう一回。

KAATの営業に雇ってくれないでしょうか?なんて、笑。

冗談はさておき、私は、ある場面で、思わず客席後方を振り返ってしまいました。花道にも、後方に何もないとわかってからも、振り返ってしまうのです。ほとんどの観客がここで振り返っていましたね。
どこの場面かを話してしまうと楽しみがなくなってしまうのでここでは言いませんが、この場面に出会ってから、いかに演技や歌唱が、観客の想像力をかきたて、ただの劇場という箱を、海に、船に、幕末に、と変えていくのかを知りました。目線一つで、劇場が海岸に変わるのです。
本当にすごいと思いました。だから10年も忘れずにいるのでしょうか。
この場面は必ずあると思うので(ということは、あの3名の内のお一人の登場シーンですよ)楽しみにして下さい。

今を見つめる手がかりに

2011年05月07日 | 雑記
「太平洋序曲」のことをいろいろ書きながら、「こんなに楽しんでいていいのだろうか?」という自問の声が聞こえます。
その一方で、是非、多くの方に「太平洋序曲」を観て頂きたいと思うのです。そして、是非、今を見つめる手がかりにして欲しいのです。

私たちは、常に歴史を刻んでいます。今刻む歴史の先に、次の歴史が刻まれます。
私たちは、刻まれた歴史を捨てることはできないのです。それが輝かしい歴史であっても、忌まわしい歴史であってもです。

(ここからは「太平洋序曲」の作品の内容を書いていますので、これから観劇なさる方はご了承の上お読み下さい。)
邦題「太平洋序曲」の原題は「Pacific Overtures」。
この作品は、アメリカ人のジョン・ワイドマン氏が脚本を書き、アメリカ人のスティーブン・ソンドハイム氏が作詞・作曲しています。アメリカ建国200周年の1976年に出来あがった作品です。ワイドマン氏は日本にとても興味があり、大学で研究対象としていたと聞いています。
お二人には、アメリカが日本にした砲艦外交への反省、それはアメリカが他国にもしたとの反省があったようです。

多くの場合アメリカは、砲艦外交の歴史を、輝かしい一面として掲げています。しかし、それはどうでしょう?
2001年9月11日。
砲艦外交を強く反省すべき出来事が起こりました。しかし、星条旗が揺れ、パール・ハーバー以来の攻撃だ、との市民の声に、なぜ、この出来事が起こったのか振り返ることはありませんでした。そして、10年の歳月が流れ、アメリカ軍によるパキスタンにおけるビンラディン氏の殺害が起こりました。
アメリカの外交は何百年と変わっていません。

とは、お話ししたものの、「太平洋序曲」の作品は、どちらかというとアメリカ人が見た、感じている、日本人の政治力や外交力をおもしろおかしく描いています。当然ですが、それはとても日本人には痛烈な批判に思えるのです。
日本は、科学技術の発達をして、世界経済を牽引するという意味では、世界の大国です。
しかし、大国とは思えない、何かちぐはぐな歯がゆさを常に感じて、私たち日本人は過ごしているのではないでしょうか?
それが何なのかを、この作品は私たちに教えてくれます。

第一幕に「将軍の寝室」という場面があります。そこで「菊の花茶」というナンバーが流れるのですが、この内容が日本の政権のありようを象徴していて、苦笑するしかないとなってしまうのです。
さて、この「菊の花茶」ですが、ペリーから1週間以内に米大統領の親書(手紙)を受け取る儀式をしないと攻撃するぞ、と脅かされ、鎖国を守るか、攻撃を防ぐかの英断を迫られる将軍とそのとりまきの数日を描く歌なのです。
英断しなければならない将軍はのんびりし、当事者意識はまるでない。そのかわりに、将軍の母は、将軍の医者と結託し、策をめぐらす。その策とは、「手紙を受け取る将軍がいなければ、ペリーも諦めて帰るだろう」と、将軍を毒殺してしまいます。(史実に基づいた流れもありますが、かなり創作されています。このことは、「太平洋序曲」が批判的にとらえられる一因でもあるのですが、私は、アメリカ人から見た日本だと思って受けて容れています。)

毒殺してしまうのは極端としても、

最高責任者が当事者意識がない、
とりまきが政治の実権を握ってしまう、
問題解決をせずに、問題の先延ばしをすることだけを考える、
最高責任者の首を据え変えれば問題が解決すると考えている、

など、昨今の政権のゴタゴタの生中継をみているような錯覚に陥るのは、私だけではないはずです。


さて、将軍がいなくなっても、ペリーの件はどうにかしなくてはなりません。
ここで優秀な下級武士(今でいえば、官僚ではなく事務方でしょうか)香川と、アメリカ帰りの万次郎は奇策を思いつきます。

浅瀬に続く海岸の砂浜に畳を敷き詰め、儀式を行い、儀式が終わったらその畳をすべて焼いてしまう。
儀式は行えるし、外国人に日本の土を踏ませないで済む。
儀式自体がなかったことにもなる。

頭がいいですね。素晴らしいです。でも、本当の問題は何も解決していないのです。
国民は何が起きているか、全く知らさせていいない。
そんなことでいいのでしょうか?


私たちは観客として、この作品を見つめる間に、いろいろなことを考えるのです。
その皮肉たっぷりの舞台は、私たちに「今」を見つめさせてくれるのです。


奇策によって隠されるたくさんの事実。
先送りしたばかりに、問題が大きくなる現象。
何も知らないばかりに、危険ととなりあわせになる。
それでも、政治は国民に知らせない、知らない方がよいとさえ考えている。

しかし、いくら隠そうと努力しても、歴史は誰かに見つめられている。
全体は見ていなくても、一部を見ている。
それは、普通に生活している人々である。

と歌うのが一幕のラストナンバー「木の上に誰か」です。
ソンドハイム氏自身が一番好きな曲と言われている「木の上に誰か」。
是非、最後の方の歌詞をじっくり聞いて下さい。
政治に直接携っていない普通の人々、そして、子どもでも大人でも、自分の今見ていることを、知っていることを大切にしなければいけないと語りかけます。
立場が違えば、見えるものも違う、と語りかけます。
ソンドハイム氏の世界観が垣間見られる一曲です。

私も、震災によって発生した、本当にいろいろなことに心痛め、政治に憤慨してます。
いろいろな立場で、いろいろな人が発言しています。

原発を止めたら、あんな不都合、こんな不都合・・・
政治的に利用しているだけ・・・

わが日本は、民主主義の社会ですから、発言は自由。そしてそれはとても大切です。
でも、いつも心に留めて頂きたいことがあるのです・・・
ライトナンバーは「Next」という力強い曲です。
わき目も振らず前進する危うさを描いています。
私は、こんナンバーを聞くと、
「50年後、100年後の人々に、恥ずかしくない歴史を刻んでいるか?」
と、口癖のように言っていた、某予備校の世界史の先生を思い出します。
今、目の前にあることだけを見ていると、選択肢を誤ると思います。
この作品を見ても「あの時、あんな選択をしなければ、今の日本は違っていたかも」と思うことがたくさん出てきます。
将来を見つめて、きちんと対応したいし、して欲しいと思います。


多くの方々に、50年後、100年後の人々に恥ずかしくない社会をつくるために「今」を見つめ直す手がかりとして、35年前に作られたこの「太平洋序曲」を是非見て頂きたいと思います。

きっと気になるあんなこと その3

2011年05月07日 | 太平洋序曲2011年公演
ネタばれしていますので、ご注意下さい。
前回の続きです。

敢えて、主役というか舞台を引っ張るという意味でいえば、ナレーターが主役でしょうか?
オープニングからそれが伺えます。歌い、動き回り、とにかく忙しい。
ミュージカル・ファンなら一度は観劇していると思います「エリザベート」のルッキーニーの役回りにとても似ています。
それ以上に、ある場面では、将軍になったり、天皇になったり・・・その場面での主役となりますので本当に忙しいです。
ナンバーもとても難しい。ソロの部分もありますが、掛け合いが多いので、ますます難しい。
群像劇ですから、どの俳優も、どこかの場面で主役になるのですが(詳細はこちらこちらで)、ナレーターが押したり、引いたり、その匙加減で作品が締まるか、ばらばらになるかのカギを握っているように思います。

そして、私も一観客なのでこんなことを言うのは僭越かもしれませんが、観客が一番の主役の舞台なのかもしれないとも思います。というのも、重いテーマですが、コメディなのです(ここ強調します)。楽しい場面の笑い声や、舞台の上の皮肉に噛み殺したような笑いが客席から沸かなければ、進まない舞台です。
まあ、強くこう思ったのは、新国立劇場の小劇場というとても小さな空間での舞台だったからかもしれません。
でも、劇場の大きさは違っても、作品が観客に問いかけるものは変わらないと思うので、私たち観客も、舞台を創るんだ、という意気込みでいたいと思います。

ただ、先にボールを投げるのは板の上の皆様です。観客が投げ返しやすいボールをお願い致します。

きっと気になるあんなこと その2

2011年05月05日 | 太平洋序曲2011年公演
今後もしつこく書くと思いますが、ネタばれしていますので、ご注意下さい。

「その1」のコメントで「歌」のことを話題にして頂き、それに対しての考えを書こうと思ったのですが、ちょっと難しいので、それは後に回すことに致します。

今日は、初演の時からもしばしば話題というか問題になっていたのですが、この作品に「主役」あるいは、ヒーローやヒロインは存在するのか?という点を何度かにわたってお話ししたいと思います。

多くの舞台は、主役がはっきりしています。私たち観客はそういう舞台を見慣れているので、どうしても主役、脇役、アンサンブル、という括りをしたくなるのだと思いますが、この作品はそういう舞台ではありません。

万次郎と香山が主役とも言えますが、万次郎の単独のソロナンバーはありません。香山と歌う「俳句」のみ歌います。
しかし、万次郎は私たちに「日本人のあるべき姿」を問うというとても難しい演技というか、所作というかが求められます。
そして、この演技の際に香山が歌う「ボーラ・ハット」はとても長いナンバーで、リズムというか曲想というか、観客に何を伝えるかが非常に難しい歌です。

が、この二人が主役か?と言われると、「レ・ミゼ」のバルジャンとジャベールというほど印象的ではないのです。

本当に「群像劇」です。全員が、どこかの場面で主役になるのです。
男優の皆様は、かなりソロが多いです。ファンの皆様、楽しみにして下さい。

敢えて、主役というか舞台を引っ張るという意味でいえば・・・
また、長くなりますので、次回に。