わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

「パッション」~ミュージカルの旋律~

2015年10月26日 | 観劇記
「パッション」新国立劇場にて初日(2015年10月16日)に観劇して、タンボウッリ軍医はすべて台詞で、歌がないことに、どういうキャスティングと思いつつも、佐山陽規さんのまた新たな面を発見したような嬉しさもありました。
歌わないことにあまりストレスは受けませんでした。台詞なのですが、まるで音楽のような印象もありました。井上芳雄さん演じるジョルジオとのやり取りが多いのですが、二人の台詞の応酬は、そのままメロディにしてもいいような印象でした。

あれだけの長台詞になぜメロディがないのか??????

このことは、心のどこかにあったのです。佐山さんが歌わないということよりも、この「なぜ?」が心から離れませんでした。

約10日後、ワイルドホーン氏が作曲を手掛ける「スコット&ゼルダ」を観ているとき、突然、もしかしたら・・・という考えが浮かびました。

前々から思っていましたが、ワイルドホーン氏の曲は歌い上げる曲が多いのです。「スコット&ゼルダ」は特に多かったですね。ミュージカルとして盛り上がりはあると思いますが、気持ちも切れることがあります。お話として区切られていないのに、歌い上げられると、なんというか興ざめなこともあるのです。拍手して、そういえばどんな話だったっけ?という感じです。
ソンドハイム氏は芝居の中に音楽があり、台詞にメロディがついている。そのメロディがある方が役柄の気持ちが観客に伝わりやすくなるという感じで、作曲をしているように思うのです。淡々とし過ぎて「パッション」は一幕が終わっても拍手がなく、最後にようやく拍手をするのです。本当に、ストレートプレーと同じです。

ワイルドホーン氏のこれでもか、という華やかな音楽を聴きながら、華やかとは言い難いけれども、ソンドハイム氏の、奇想天外なメロディや早口歌など、その感情や状況をこんなメロディに乗せるのか!という曲の数々が不思議と思い出されていたのです。そして、ソンドハイム氏の作曲の多彩さを考えれば、軍医の台詞にメロディがついていないことには、何か意味があるのではないかと思い至ったのです。

ジョルジオの行動にいつもきっかけを与えているのは軍医です。医者として最善を尽くすために、ジョルジオに相対するのです。そのきっかけがジョルジオにとって良いとは思えない方向に行き、結果として意地悪をしたのか?と思えるようなこともあるのです。でも、多分そういうつもりはなくて、最善を尽くしたけれど、結果はそうはならなかっただけだ、と私は思っています。もし、軍医の台詞にメロディを付けたら、こういう結果になってほしいと観客に伝えてしまうことになるでしょう。それでは、話が薄っぺらになってしまうような気がするのです。ジョルジオは自分の行動は自分で責任を持つ、という態度を随所で表現します。軍医からのきっかけがあったのに、それは命令ではないから、自分の行動は自分で決めると印象付けるためにも、軍医が歌わず、ジョルジオの行動の結果を観客が予想できない方が観客は芝居に入り込めるのではないでしょうか?
あえて、メロディを付けないことで、ジョルジオの意思の強さが引き立っていくというわけです。
足し算で舞台の魅力を増そうとするワイルドホーン氏の楽曲を聞きながら、敢えて引き算をすることで舞台に、そして、作品の中に観客を引きずり込むソンドハイム氏の思いがわかったのでした。

と言っても、本当のところはわかりません、苦笑。
そして、ファンの贔屓目ですけど、佐山さんが歌でジョルジオにきっかけを与えたら、まるで魔法にでもかかったように行動しているな!っとなってしまうと思うのですよね。
(完全に、「太平洋序曲」のあんな曲やこんな曲が、聞こえています!!!)