(06年7月に整理し、掲載したものです)
2003年8月06日マチネ 新宿コマ劇場4列目センター
ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の舞台化です。
あら筋
舞台は、ブルックリン・ベイブリッジ地区。
トニー(大澄賢也さん)は、土曜日の夜にフェイシスの仲間とオデッセー2001で踊ることだけが楽しみという生活をしていた。
今年のダンス・コンテストが近づく中、昨年のダンス・キングとなった時のパートナーのアネット(シルビア・グラフさん)は、今年もトニーと組みたがっていた。トニーは自分に夢中すぎるアネットとは上手くいかないと思っていた。そして、大人びたダンスの上手いステファニー(純名りささん)と出会い、組むことになった。
その一方で、思うように行かない事もあった。仕事を解雇されたり、一家の期待を一身に浴びていた兄(安崎求さん)が神父を辞めてしまったり、フェイシスの仲間ボビーC(美勇士さん)が恋人を妊娠させてしまったり、仲間の一人が喧嘩で大怪我をしたり・・・ しかし、トニーはコンテストで優勝する。それなのに、「身びいきの判定だ。」と言って、優勝を2位となったプエルトリコ系のカップルに譲ってしまう。
そして、ボビーCが事故で死んでしまう。
大人になるときだと思い始めたトニーは、ステファニーを追うようにマンハッタンで生活しようと決意するのだった。
こんな感じでしょうか。
私も、映画を観ているのですが、ほとんど話は記憶に残っていませんでした。あのトラボルタの歩き方しか覚えていなかったんですね(笑)。
この観劇記は「ちょっとだけ辛口」と言っているのに、この頃「かなり辛口」になってしまっていて反省しています。が、今回も辛口です。
舞台が出来上がるまでには、長い月日がかかり、そして多くの人達が心を込めて作り上げていることはわかってはいるのですが、その前後により良い舞台を観てしまうと、この舞台ももう少しがんばれたんじゃないだろうか、と・・・で、つい辛口になってしまいます。
こんなことを言ってはいけないかもしれないのですが、キャストを見て、ダンスを楽しむミュージカル、と割り切って出かけたのです。私は、やはり歌や芝居中心の方が好きなのですが、ある面ダンス・ミュージカルにあまり歌や芝居を期待しても無意味だとも思っています。踊る場面を堪能しようという思いでした。
ビージーズの聞きなれた音楽。心踊るメロディーですよね。このメロディーにどんなダンスを付けてくださるのか?
トラボルタ・ダンスはありえないと思っていましたが、ヒップ・ホップ系のダンスってこんなに切れのない、ごちゃごちゃしたダンスだったかナァ、という感想です。
舞台設定として、踊っているのは、まだ10代の若い子。それも、楽しみで踊っているわけですから、まあ、リアリティを追求したというのであれば、これもありかと思います。が、舞台というのは現実と夢をごちゃ混ぜにしなければならないわけで、もっともっとダンス・シーンは迫力があって欲しかったです。
ダンスに関しては、全体のレベルの低さ、振り付けの単調さ、そして、人数の多さと何だか救われない感じでした。
そして、何よりも一番盛り上がるはずの「ダンス・コンテスト」の場面が短いし、あまりにも拙いダンスでこれがコンテスト???という感じでした。
歌や芝居の面は、期待していなかったので、まあ、こんなものかと思いましたが、一幕の無意味なダンスをもう少しカットして、この頃の時代背景、家庭環境を語れば、トニーが優勝を譲ってしまうことや、ステファニーとの関係もわかりやすくなったのではないかと思いました。
全体の感想は厳しいのですが、とても嬉しい出会いもありました。でも、それが余計に、「他の人ももっとがんばれるのでは・・・」という思いとなったような気もします。
その出会いとは・・・
トニーの仲間に、フェイシス4人組がいるのですが、そのお一人の西村直人さんに私の目は釘付けでした!!!
何度か西村さんの舞台は拝見しているのですが、全然風貌が違うので、「このダンスの上手い人は誰???」状態でした。フェイシスの一人と言えば・・・もしかしたら西村さん?と謎が解けたわけです。西村さんはダンスがお得意だとは聞いていたのですが、今まで、こんなに踊りまくる舞台を拝見したことがなかったり、ダンサーの中ではまあ普通に見えると思っていたりしたので、それが逆だったことにも驚きながら、いろいろ考えてしまったのです。(で、上のような感想になってしまったような気もします。)
ファイシスはいつもグループなので、他の人の動き(ダンスだけではなく、演技も)と、嫌でも比較してしまいます。
実は、西村さんの扮するジョーイは、とても血の気が多くて、悪餓鬼です。母親としては一番なって欲しくないタイプの息子です(笑)。でも、何だか共感してしまって・・・
人生のうちには、こういう時期もあるんだろうナァ、なんて思ってしまったわけです。
トニーはプレイ・ボーイのようでも、とても奥手で、真面目なところがあるんですよね。それを引き立たせているのがこのジョーイの悪餓鬼ぶりだったのです。私は、この西村ジョーイの悪さのおかげで、トニーがステファニーに一歩引いたところで幕となるところも、何となく納得したのでした。
ダンスでは主役を食ってしまうほどなのに、演技の面では、主役の主役たる面を浮き立たせるという西村さんに感動しました。
これはもう私の思い込みかもしれませんが、西村さんのダンスは、ダンスにもちゃんと意味があると感じられたのです。そう考えると、もう少し他のキャストも意味のあるダンスをして下されば、引き締まった舞台になったと思うのです。いくら西村さんががんばっても、あの大掛かりなカンパニーを引っ張るのは限界があると思います。
と言うわけで、すっかり西村直人さんファンになってしまった私です。
勿論、私の観劇の一番の動機は、治田敦さんがご出演なさるからだったのですが・・・ まあ、予想はしていたものの、ご活躍の場が少なくて、悲しかったのですが、トニーの一面を印象付ける、とてもいい場面を作って下さったと思います。
治田さんと同じく、あまりに勿体無い初風さん、安崎さんの起用。ダンスを削って、もう少し家庭や社会を描いて欲しかったですね。
以下は余談ですが、なぜトニーは優勝を譲り、ステファニーとは友達で幕なのか?の私の解釈を・・・
ただ、単にトニーが奥手という気もしますが・・・という無責任なことは言わないで、ちゃんと考えました。
実は、この物語はとてもアメリカ社会の根深い問題を語っているのです。 一つは、人種問題です。アメリカ、特にNYは人種の坩堝です。平等を建前とはしていますが、なかなか現実はそうは行きません。トニーたちのイタリア系もあまり優遇されているとは言い難いのです。それ以上に冷遇されているのが、プエルトリコの人々です。 この舞台でも、ちゃんとそこが語られていますよね。トニーが優勝を譲ると言う前に。 コンテスト前夜、ファイシスが喧嘩するところです。フェイシスの怪我をした仲間の敵討ちとプエルトリコ人と喧嘩したあとに、彼が「俺を怪我させたのは、プエルトリコの奴だったか、わからないんだ・・・」と言うのです。そう、西村ジョーイがプエルトリコの奴って決め付けちゃうんですよね。この事件が、トニーの心には重く圧し掛かっているわけです。
もう一つは、宗教の話です。トニーの兄とボビーCによって語られるわけです。兄が宗教に「真実が見出せない」と言って挫折します。それと、ボビーCが恋人を妊娠させたので結婚しなくてはならない、ということが重なっているように思えます。そして、最後にボビーCは自殺してしまう。(といっても、カトリックは自殺を認めないので、事故死か?)本来人を救うための宗教なのに、その教え、つまり堕胎を許さない、ということがボビーCを苦しめ、死へと追い込んでしまうわけです。それが、宗教のあるべき姿なのか・・・と兄は言いませんが、いろいろな矛盾にぶち当たり、その一つが堕胎のことだったのかもしれません。今でも、アメリカの選挙戦となればこの「堕胎」のことは必ず賛否を表明して戦うぐらいですから、アメリカ社会にとってとてつもなく大きな問題なわけです。 トニーは、一家のはみ出し者と言われていますが、神父を輩出する家庭の空気をしっかりと持っています。他のファイシスの仲間と違い、ある一線は守っているわけです。そういうトニーであるからこそ、本来住む世界が違うであろう(たぶんイタリア系ではない)ステファニーとは、兄の見出せなかった「真実」を語り合い、分かち合う「友達」であろうとするのではないかと思うのです。
ちょっとカッコよく考えすぎかな(笑)。とにかく、とてもとても暗いお話なんですよね。
それだからこそ、華やかなダンス・シーンが似合っているわけです。そのダンス・シーンが華やかであればあるほど、素晴らしくあればあるほど、その裏にある厳しい現実も見えるし、また、その現実を超える勇気も出てくるのだと思います。
暗い方を踏まえないで、明るい方を組み立てても上手くいかないのではないでしょうか。どうして、土曜日の夜、こんなに踊りまくるのか???もう少し考えて舞台構成をしたら、素晴らしいダンス・シーンが作られたのではと思います。
しつこいようですが、西村さんのダンスや演技にはそういう物語がちゃんと見えたんですよね。思い込みだけかナァ?!?!?
2003年8月06日マチネ 新宿コマ劇場4列目センター
ジョン・トラボルタ主演の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の舞台化です。
あら筋
舞台は、ブルックリン・ベイブリッジ地区。
トニー(大澄賢也さん)は、土曜日の夜にフェイシスの仲間とオデッセー2001で踊ることだけが楽しみという生活をしていた。
今年のダンス・コンテストが近づく中、昨年のダンス・キングとなった時のパートナーのアネット(シルビア・グラフさん)は、今年もトニーと組みたがっていた。トニーは自分に夢中すぎるアネットとは上手くいかないと思っていた。そして、大人びたダンスの上手いステファニー(純名りささん)と出会い、組むことになった。
その一方で、思うように行かない事もあった。仕事を解雇されたり、一家の期待を一身に浴びていた兄(安崎求さん)が神父を辞めてしまったり、フェイシスの仲間ボビーC(美勇士さん)が恋人を妊娠させてしまったり、仲間の一人が喧嘩で大怪我をしたり・・・ しかし、トニーはコンテストで優勝する。それなのに、「身びいきの判定だ。」と言って、優勝を2位となったプエルトリコ系のカップルに譲ってしまう。
そして、ボビーCが事故で死んでしまう。
大人になるときだと思い始めたトニーは、ステファニーを追うようにマンハッタンで生活しようと決意するのだった。
こんな感じでしょうか。
私も、映画を観ているのですが、ほとんど話は記憶に残っていませんでした。あのトラボルタの歩き方しか覚えていなかったんですね(笑)。
この観劇記は「ちょっとだけ辛口」と言っているのに、この頃「かなり辛口」になってしまっていて反省しています。が、今回も辛口です。
舞台が出来上がるまでには、長い月日がかかり、そして多くの人達が心を込めて作り上げていることはわかってはいるのですが、その前後により良い舞台を観てしまうと、この舞台ももう少しがんばれたんじゃないだろうか、と・・・で、つい辛口になってしまいます。
こんなことを言ってはいけないかもしれないのですが、キャストを見て、ダンスを楽しむミュージカル、と割り切って出かけたのです。私は、やはり歌や芝居中心の方が好きなのですが、ある面ダンス・ミュージカルにあまり歌や芝居を期待しても無意味だとも思っています。踊る場面を堪能しようという思いでした。
ビージーズの聞きなれた音楽。心踊るメロディーですよね。このメロディーにどんなダンスを付けてくださるのか?
トラボルタ・ダンスはありえないと思っていましたが、ヒップ・ホップ系のダンスってこんなに切れのない、ごちゃごちゃしたダンスだったかナァ、という感想です。
舞台設定として、踊っているのは、まだ10代の若い子。それも、楽しみで踊っているわけですから、まあ、リアリティを追求したというのであれば、これもありかと思います。が、舞台というのは現実と夢をごちゃ混ぜにしなければならないわけで、もっともっとダンス・シーンは迫力があって欲しかったです。
ダンスに関しては、全体のレベルの低さ、振り付けの単調さ、そして、人数の多さと何だか救われない感じでした。
そして、何よりも一番盛り上がるはずの「ダンス・コンテスト」の場面が短いし、あまりにも拙いダンスでこれがコンテスト???という感じでした。
歌や芝居の面は、期待していなかったので、まあ、こんなものかと思いましたが、一幕の無意味なダンスをもう少しカットして、この頃の時代背景、家庭環境を語れば、トニーが優勝を譲ってしまうことや、ステファニーとの関係もわかりやすくなったのではないかと思いました。
全体の感想は厳しいのですが、とても嬉しい出会いもありました。でも、それが余計に、「他の人ももっとがんばれるのでは・・・」という思いとなったような気もします。
その出会いとは・・・
トニーの仲間に、フェイシス4人組がいるのですが、そのお一人の西村直人さんに私の目は釘付けでした!!!
何度か西村さんの舞台は拝見しているのですが、全然風貌が違うので、「このダンスの上手い人は誰???」状態でした。フェイシスの一人と言えば・・・もしかしたら西村さん?と謎が解けたわけです。西村さんはダンスがお得意だとは聞いていたのですが、今まで、こんなに踊りまくる舞台を拝見したことがなかったり、ダンサーの中ではまあ普通に見えると思っていたりしたので、それが逆だったことにも驚きながら、いろいろ考えてしまったのです。(で、上のような感想になってしまったような気もします。)
ファイシスはいつもグループなので、他の人の動き(ダンスだけではなく、演技も)と、嫌でも比較してしまいます。
実は、西村さんの扮するジョーイは、とても血の気が多くて、悪餓鬼です。母親としては一番なって欲しくないタイプの息子です(笑)。でも、何だか共感してしまって・・・
人生のうちには、こういう時期もあるんだろうナァ、なんて思ってしまったわけです。
トニーはプレイ・ボーイのようでも、とても奥手で、真面目なところがあるんですよね。それを引き立たせているのがこのジョーイの悪餓鬼ぶりだったのです。私は、この西村ジョーイの悪さのおかげで、トニーがステファニーに一歩引いたところで幕となるところも、何となく納得したのでした。
ダンスでは主役を食ってしまうほどなのに、演技の面では、主役の主役たる面を浮き立たせるという西村さんに感動しました。
これはもう私の思い込みかもしれませんが、西村さんのダンスは、ダンスにもちゃんと意味があると感じられたのです。そう考えると、もう少し他のキャストも意味のあるダンスをして下されば、引き締まった舞台になったと思うのです。いくら西村さんががんばっても、あの大掛かりなカンパニーを引っ張るのは限界があると思います。
と言うわけで、すっかり西村直人さんファンになってしまった私です。
勿論、私の観劇の一番の動機は、治田敦さんがご出演なさるからだったのですが・・・ まあ、予想はしていたものの、ご活躍の場が少なくて、悲しかったのですが、トニーの一面を印象付ける、とてもいい場面を作って下さったと思います。
治田さんと同じく、あまりに勿体無い初風さん、安崎さんの起用。ダンスを削って、もう少し家庭や社会を描いて欲しかったですね。
以下は余談ですが、なぜトニーは優勝を譲り、ステファニーとは友達で幕なのか?の私の解釈を・・・
ただ、単にトニーが奥手という気もしますが・・・という無責任なことは言わないで、ちゃんと考えました。
実は、この物語はとてもアメリカ社会の根深い問題を語っているのです。 一つは、人種問題です。アメリカ、特にNYは人種の坩堝です。平等を建前とはしていますが、なかなか現実はそうは行きません。トニーたちのイタリア系もあまり優遇されているとは言い難いのです。それ以上に冷遇されているのが、プエルトリコの人々です。 この舞台でも、ちゃんとそこが語られていますよね。トニーが優勝を譲ると言う前に。 コンテスト前夜、ファイシスが喧嘩するところです。フェイシスの怪我をした仲間の敵討ちとプエルトリコ人と喧嘩したあとに、彼が「俺を怪我させたのは、プエルトリコの奴だったか、わからないんだ・・・」と言うのです。そう、西村ジョーイがプエルトリコの奴って決め付けちゃうんですよね。この事件が、トニーの心には重く圧し掛かっているわけです。
もう一つは、宗教の話です。トニーの兄とボビーCによって語られるわけです。兄が宗教に「真実が見出せない」と言って挫折します。それと、ボビーCが恋人を妊娠させたので結婚しなくてはならない、ということが重なっているように思えます。そして、最後にボビーCは自殺してしまう。(といっても、カトリックは自殺を認めないので、事故死か?)本来人を救うための宗教なのに、その教え、つまり堕胎を許さない、ということがボビーCを苦しめ、死へと追い込んでしまうわけです。それが、宗教のあるべき姿なのか・・・と兄は言いませんが、いろいろな矛盾にぶち当たり、その一つが堕胎のことだったのかもしれません。今でも、アメリカの選挙戦となればこの「堕胎」のことは必ず賛否を表明して戦うぐらいですから、アメリカ社会にとってとてつもなく大きな問題なわけです。 トニーは、一家のはみ出し者と言われていますが、神父を輩出する家庭の空気をしっかりと持っています。他のファイシスの仲間と違い、ある一線は守っているわけです。そういうトニーであるからこそ、本来住む世界が違うであろう(たぶんイタリア系ではない)ステファニーとは、兄の見出せなかった「真実」を語り合い、分かち合う「友達」であろうとするのではないかと思うのです。
ちょっとカッコよく考えすぎかな(笑)。とにかく、とてもとても暗いお話なんですよね。
それだからこそ、華やかなダンス・シーンが似合っているわけです。そのダンス・シーンが華やかであればあるほど、素晴らしくあればあるほど、その裏にある厳しい現実も見えるし、また、その現実を超える勇気も出てくるのだと思います。
暗い方を踏まえないで、明るい方を組み立てても上手くいかないのではないでしょうか。どうして、土曜日の夜、こんなに踊りまくるのか???もう少し考えて舞台構成をしたら、素晴らしいダンス・シーンが作られたのではと思います。
しつこいようですが、西村さんのダンスや演技にはそういう物語がちゃんと見えたんですよね。思い込みだけかナァ?!?!?