わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

イーストウィックの魔女たち

2003年12月11日 | 観劇記
(06年7月に整理し、掲載したものです)

2003年12月11日マチネ 帝国劇場4列目上手

「おしゃれで、ちょっとエッチな・・・」「好き嫌いがはっきりする」と形容された「イーストウィックの魔女たち」。
正直言って、私はあまりセクシー度の高い作品は好きではありません。潔癖症と言うわけではありませんが、う~~~ん、いろいろ観たけど好きになれなかったわけで・・・

この話はここまでにして、「イーストウィックの魔女たち」の話にしましょう。
一言で私の感じたことを表現すると「ある意味、非常に道徳的な作品」となるでしょうか。「ちょっとエッチな・・・」はどこへ行ったと思われるかもしれませんが、何とも不思議な舞台だったということになります。
非常に道徳的、というのは、この作品の簡単なあらすじ、「現状に不満を持ったり、心が寒いと悪魔がすぐに入り込んでしまう」という点から感じたことです。で、その「現状に不満を持ったり」がとても極端に描かれているので、セクシャルな舞台となるのだと思います。

もう少し、詳しいあらすじを書きながら、感想も交えたいと思います。
アレクサンドリア(一路真輝さん)、スーキー(森公美子さん)、ジェーン(涼風真世さん)の三人は、夫と離婚か別居している。理想の男性を求めているが、現実はなかなか難しい。
この三人が住むイーストウィックはフェシリア(大浦みずきさん)の「モラルを大切に」という考えに支配されているし、ちょっとしたことが大きな噂になってしまう田舎町。

この設定が「フット・ルース」に似ているナァと思いました。こういう舞台設定が生まれるということは、アメリカにはこんな堅苦しい町がたくさんあるということなのでしょうね。

そんな田舎町にNYからダリル(陣内孝則さん)が引っ越して来て、豪邸に住み付くのだ。
そして、不満がたくさんあり、悲しげなアレクサンドリア、スーキー、ジェーンに次々と言い寄る。女達はダリルの魔力で次々とダリルの女になってしまう。

この言い寄る場面がなかなか・・・ アレクサンドリアが一番セクシャルな感じ。スーキーはチェロ奏者なので、音楽の表現と自分の解放が重なり合って、狂気に取り付かれた感じでした。涼風さんの歌もいいけれど、演技がすごかったですね。スーキーはとても恥ずかしがり屋で、人前でうまく話せないのだけれど、ダリルの前で早口で話すことが出来るという設定。というわけで、すごい早口歌があるわけですけれど、森さんは素晴らしい。歌詞も明瞭。響きもいいですね。 口説かれた3人は、最初にダリルの屋敷で顔を合わせた時はダリルを責めたが、魔力のためか一緒に暮らし始めてしまう。
こんな状況を許すことの出来ないファシリア。何かと文句をつける。ダリルはファシリアが目障りで仕方ない。ダリルの力で魔力を使えるようになった女三人を利用してファシリアを苦しめる。そして、最後にはファシリアの尻に敷かれている夫クライド(安原義人さん)が、ファシリアを殺すように仕向ける。がファシリアも最後の力を振り絞り夫を殺してしまう。

と書くと、とても残酷なようですが、この二人が死んでしまうシーンでは客席は大笑い。まあ、なんと不思議な舞台なんでしょうか!勿論脚本も面白いから笑えるのですが。ファシリアの苦しみは、ビスケットの瓶に入れた物が、ファシリアの口から出てくるという魔法のせいなのですが、ちゃんとマジックで大浦さんがいろいろな物を口から出すんですよね。そういう演出も面白いし、大浦さんと安原さんの演技がもう凄いのなんのって!!!大浦さんの台詞は殆どが歌なんですが、上手い、の一言に尽きます。今思い出すと、メロディが付いていたはずですが、台詞として記憶されているのです。

女3人は、遊びだと思っていたビスケット瓶の魔法で人が死んだことに自責の念に駆られる。そして、ダリルから遠ざかった。
今度はダリルが寂しくなり、新しい獲物を探す。すると、ファシリアの娘ジェニー(笹本玲奈さん)が両親の死にショックを受け、悲しんでいた。ダリルは彼女と結婚しようとする。しかし、女3人はダリルからジェニーを守ろうとする。一致団結、ダリルの力に勝ることができる。
ジェニーは前から付き合っていたアレクサンドリアの息子マイケル(新納慎也さん)と結ばれる。
ダリルのせいで、町全体が熱にうなされたようになっていたが、ダリルがいなくなって前の平静さを取り戻したようだ。
女3人も、いろいろなことがあって変わったけれど、今の自分を受け入れようと心を決めたようだ。でも、ダリルにちょっと未練があるのかも。

あらすじ(感想付き)は以上です。ここからは感想に徹します。

道徳を学ぶ時に必ず「反道徳」な例が提示されるわけですよね。この舞台はその例がとても極端。おもちゃ箱をひっくり返したような、とういうかガラス玉を高いところから落として粉々にしてしまったような、と言う方がいいかもしれません。もしかしたら、元に戻せないほど反道徳的なところもあるからです。この作品では魔法という隠し味で、魔法にかかった間の不道徳を許してしまうんだけど、こういう作品が生まれる世界って危険だナァと思うし、その反面、やっぱり道徳や規則がないとダメなんだと思わせてもくれるから、まだまだ世の中捨てたもんじゃないとも思えますね。
しかし、楽しめる年代にちょっと問題がありますよね、こういう作品は。
松井るみさんの舞台装置が度肝を抜きますよ。劇場に入ったら、舞台の上におっぱいが一対。それだけで驚いてはいけません。その奥は身体なんですよ。おへその辺りからダリルは登場。おっぱいはあとで半分になって家になるし。これを笑い飛ばし、おしゃれだと思えるか思えないかでこの作品の評価は大きく分かれると思います。

演出は、今コメディの舞台作りで一番乗っているのは山田和也さん。立て続けに山田さん演出の舞台を観ていますが、飽きることがないですね。結構オーソドックスだと思います。
前回観劇した「十二夜」が物語の進行を織り込んでいないような踊りが多くて、踊りはこりごりだったのですが、この舞台は歌いながら、状況が進みながら踊りがありました。それを観ながら、「そうそうミュージカルの踊りはこうでなくちゃ」と確信しました。こういうオーソドックスな演出にも助けられ、あまり好きではないセクシーな舞台を楽しめました。

さらに私が苦手を克服して楽しめたかというと、キャストの良さですね。こういっては何ですが、どの舞台でも「なんでこんな役者が主要キャストに!」と思ってしまう俳優が一人二人カンパニーにいることが殆どなんです。それが、今回はない。アンサンブルの人数もいいですし、その歌、踊りも良かったです。それに、演技も。何しろ、最初は平穏な田舎町の気の良い人たちを演じているのに、ダリルに毒されて性欲が高まってしまうわけですから。その変化を思い切り付けてあげないと、女3人組が浮いてしまって、元の世界に戻るのがあまりに不自然に思えますからね。本当に、まとまりのある素晴らしいカンパニーだと感じました。

この舞台は、久しぶりに歌も踊りも演技も心から楽しめるミュージカルらしいミュージカルです。舞台装置、衣装、音楽も含め、本物のエンターテイメントを見せてもらったと思いました。
しかしながら、台詞や表現に奇抜なところが多いので、カンパニーの良さを感じるところまで落ち着いて観劇できない観客もたくさんいたと思います。是非、もう少し正統派の作品内容を、こういう実力のあるカンパニーに任せて欲しいと感じたのも正直なところです。