2005年6月27日ソワレ
サンシャイン劇場 1階3列目下手
6月だというのに、猛烈に暑かったです。そして、湿気。和物の舞台ということで、和装で劇場へ行ったのです。夏の装いですから涼しいはずなのですが、やはり暑かったです。そして、舞台も熱かったですね。
あらすじ
時は明治9年。大政奉還、戊辰戦争、廃刀令と武士たちを取り巻く環境は大きく変化していた。武士たちはその日の食べ物を手に入れることさえ困難な状態に追い込まれていた。
そんな日々でも細々と道場が存在していた。その道場一の剣豪、橘右近(今拓哉さん)は仲間に疎んじられていた。その右近に試合でたまたま勝った片山平吾(坂元健児さん)は右近に果し状を叩きつけられる。廃刀令があるから大丈夫と田島郡兵衛(畠中洋さん)と加納弥助(川本昭彦さん)に言われ決闘の場に行く平吾。郡兵衛が連れてきた巡査のおかげで右近は去る。しかし、賄賂が払えず困っているところへ、アメリカ帰り轟由紀子(絵麻緒ゆうさん)が通りかかりお金を払ってくれる。が、由紀子は右近を仲間に入れて「本物の武士による“パフォーマンス”一座を結成したいと言うのだった。
由紀子の提案を伝えに、右近の屋敷へ行くと、妹の静江(風花舞さん)が身売りをすることが判明。静江を買い戻すために奔走する平吾。その姿を見て由紀子の従僕である捨吉(鈴木綜馬さん)は200円を貸してくれる。
そのお金を返すまでということで右近も由紀子の一座に加わる。
一座には、上記4人に加え、刀を振り回せるのならと加わった斎藤小弥太(幸村吉也さん)と新畑伝四郎(平野互さん)、行き倒れ寸前に助けられた栗山大輔(福永吉洋さん)、身投げ寸前に弥助に救われた佐々木誠一郎(武智健二)が加わっていた。武士道とパフォーマンスということで由紀子といざこざは絶えなかったが、何とか開幕した。評判になり、サンフランシスコでの公演の話が舞い込んできた。が、一座は割れていった。それは、今の世に疑問を持ったり、不満を持ったりする武士が日本各地で挙兵していることへ呼応する人間が現れたためだった。
佐々木は、日下ゲキという会津藩の生き残りを探すために一座へ潜り込んでいたのだった。栗山大輔は会津の人間だった。しかし日下ではない。右近は栗山に誘われ、この東京で事を起こそうと思案橋事件で命を落としてしまう。
鹿児島では西郷隆盛が兵を挙げるということが確実となる。それに加わるため斎藤と新畑は鹿児島へ行ってしまう。
右近や栗山のことがあり一座は解散。しかし、平吾は再開したいと考えていた。ある日捨吉に会う。平吾は捨吉が日下ではないかと聞く。捨吉は否定しない。そして、白虎隊の悲劇を語る。捨吉は政府への反乱を起こすために下準備をしていた。しかし、8年も経った今、白虎隊の悲劇を繰り返す意味があるのか、死ぬために戦う意味があるのかを考えているという。平吾の「生きていこう」という言葉に感動したため、軍資金の200円を差し出したのだと言う。
郡兵衛は新聞記者として鹿児島へ、弥助と佐々木は政府軍の兵士として鹿児島へ向かった。
平吾は、彼らを連れ戻し、また一座を開くために、鹿児島へと向かった。静江と生きて戻ってくると約束をして。
本当に「あらすじ」です。考えさせられる台詞がたくさんあり、目頭を押さえながらの観劇でした。
でも、全体としてはコメディ。畠中さんがとても面白いのです。本当にお調子者です。
坂元さんの演じる平吾は、時代に乗って、地に足をつけて生きているのです。
このお二人の強烈なキャラクターとともに、いつも行動している弥助の川本さんがまたとても素敵なのです。今回の舞台で一番印象に残る方でした。自分のことではなくても、自分のことのように喜び、悲しみ、怒る郡兵衛の陰に隠れてしまいそうで、隠れない。とても進歩的な平吾について行きそうで、やはり自分の生き方を見つめている、そんな弥助をさわやかに演じていらっしゃいました。
鈴木さんが演じられた捨吉の、最後の告白は本当に考えさせられる言葉でした。「8年経った今、また死ぬために戦うのか」というような言葉です。人間は、何年経ったら、何十年経ったら、過去の争いを許せるのでしょうか?戦いの結果、どちらかは官軍となります。しかし、戦って死を迎える人間は両軍にいます。戦いとはそういうものです。それを繰り返したくないという捨吉のような考えの人が増えてくれたら、この世から戦は無くなるはずなのですが・・・
しかしながら、「武士は、どう生きるかではなく、どう死ぬかなのだ。」という橘右近にもとても惹かれました。このことで由紀子と言い争います。今となっては、どう生きるかが正論だと思えるのですが、武士道とはそういうものだったのだと思います。そして、私の心のどこかにもその道が少しあるように思えます。どう死ぬかというのは大げさだとしても、よくスポーツの世界で「自分に勝つ」と言いますよね。あの気持ちはとてもよくわかります。西洋文化圏の人も「自分に勝つ」って言いますか?言わないような気がします。そのあたりが武士道を始め、いろいろな「道」、柔道、剣道、華道に茶道、「道」とは自分を見つめることなのではと思うのです。そんな、とても素晴らしい生き方が明治維新の西洋化によって失われてしまったような気がしてなりませんでした。
今さん、本当に素敵でした。時の流れに乗ってしまえば、どんなに楽なのかわかっているけれど、どうしてもそれが出来ない。不器用なのかもしれません。しかし、今さんにかかると、それが「勇気、美徳」に思えるのです。最期の思案橋で、巡査たちとの壮絶な戦いの中、自分の一生を歌い上げる場面は、涙なくして見られません。
感情を表さないのに、とても心の中が熱いと感じられる右近。本当にこんな武士がたくさんいたんだろうなあと思うのです。だからこそ西南戦争が起こったわけですしね。
今さんの舞台を観ると、背筋を伸ばし、居ずまいを整え、自分の生きるべき道を見つめ直そうと思うのです。本当に、理想を高く掲げ、その理想を貫こうとする役どころを演じられると輝かれる方です。一歩間違えば、「無理を承知でなんでそんなこと・・・」と思えてしまう役どころではありますが、今さんが演じると、「どうして周囲が理解してあげないんだろう。」と今さん中心に社会が回って欲しいと思えるからとても不思議です。
なんて、かっこいいこと言いましたが、とにかく素敵でした・・・本当に、素敵でした!
この作品についてはいろいろ考えさせられることがあります。幕末から明治初期にかけては史実についてとても興味があり、いろいろな小説や文献も読んでいます。また、時間がありましたら、作品と重ね合わせて書いてみたいと思います。
サンシャイン劇場 1階3列目下手
6月だというのに、猛烈に暑かったです。そして、湿気。和物の舞台ということで、和装で劇場へ行ったのです。夏の装いですから涼しいはずなのですが、やはり暑かったです。そして、舞台も熱かったですね。
あらすじ
時は明治9年。大政奉還、戊辰戦争、廃刀令と武士たちを取り巻く環境は大きく変化していた。武士たちはその日の食べ物を手に入れることさえ困難な状態に追い込まれていた。
そんな日々でも細々と道場が存在していた。その道場一の剣豪、橘右近(今拓哉さん)は仲間に疎んじられていた。その右近に試合でたまたま勝った片山平吾(坂元健児さん)は右近に果し状を叩きつけられる。廃刀令があるから大丈夫と田島郡兵衛(畠中洋さん)と加納弥助(川本昭彦さん)に言われ決闘の場に行く平吾。郡兵衛が連れてきた巡査のおかげで右近は去る。しかし、賄賂が払えず困っているところへ、アメリカ帰り轟由紀子(絵麻緒ゆうさん)が通りかかりお金を払ってくれる。が、由紀子は右近を仲間に入れて「本物の武士による“パフォーマンス”一座を結成したいと言うのだった。
由紀子の提案を伝えに、右近の屋敷へ行くと、妹の静江(風花舞さん)が身売りをすることが判明。静江を買い戻すために奔走する平吾。その姿を見て由紀子の従僕である捨吉(鈴木綜馬さん)は200円を貸してくれる。
そのお金を返すまでということで右近も由紀子の一座に加わる。
一座には、上記4人に加え、刀を振り回せるのならと加わった斎藤小弥太(幸村吉也さん)と新畑伝四郎(平野互さん)、行き倒れ寸前に助けられた栗山大輔(福永吉洋さん)、身投げ寸前に弥助に救われた佐々木誠一郎(武智健二)が加わっていた。武士道とパフォーマンスということで由紀子といざこざは絶えなかったが、何とか開幕した。評判になり、サンフランシスコでの公演の話が舞い込んできた。が、一座は割れていった。それは、今の世に疑問を持ったり、不満を持ったりする武士が日本各地で挙兵していることへ呼応する人間が現れたためだった。
佐々木は、日下ゲキという会津藩の生き残りを探すために一座へ潜り込んでいたのだった。栗山大輔は会津の人間だった。しかし日下ではない。右近は栗山に誘われ、この東京で事を起こそうと思案橋事件で命を落としてしまう。
鹿児島では西郷隆盛が兵を挙げるということが確実となる。それに加わるため斎藤と新畑は鹿児島へ行ってしまう。
右近や栗山のことがあり一座は解散。しかし、平吾は再開したいと考えていた。ある日捨吉に会う。平吾は捨吉が日下ではないかと聞く。捨吉は否定しない。そして、白虎隊の悲劇を語る。捨吉は政府への反乱を起こすために下準備をしていた。しかし、8年も経った今、白虎隊の悲劇を繰り返す意味があるのか、死ぬために戦う意味があるのかを考えているという。平吾の「生きていこう」という言葉に感動したため、軍資金の200円を差し出したのだと言う。
郡兵衛は新聞記者として鹿児島へ、弥助と佐々木は政府軍の兵士として鹿児島へ向かった。
平吾は、彼らを連れ戻し、また一座を開くために、鹿児島へと向かった。静江と生きて戻ってくると約束をして。
本当に「あらすじ」です。考えさせられる台詞がたくさんあり、目頭を押さえながらの観劇でした。
でも、全体としてはコメディ。畠中さんがとても面白いのです。本当にお調子者です。
坂元さんの演じる平吾は、時代に乗って、地に足をつけて生きているのです。
このお二人の強烈なキャラクターとともに、いつも行動している弥助の川本さんがまたとても素敵なのです。今回の舞台で一番印象に残る方でした。自分のことではなくても、自分のことのように喜び、悲しみ、怒る郡兵衛の陰に隠れてしまいそうで、隠れない。とても進歩的な平吾について行きそうで、やはり自分の生き方を見つめている、そんな弥助をさわやかに演じていらっしゃいました。
鈴木さんが演じられた捨吉の、最後の告白は本当に考えさせられる言葉でした。「8年経った今、また死ぬために戦うのか」というような言葉です。人間は、何年経ったら、何十年経ったら、過去の争いを許せるのでしょうか?戦いの結果、どちらかは官軍となります。しかし、戦って死を迎える人間は両軍にいます。戦いとはそういうものです。それを繰り返したくないという捨吉のような考えの人が増えてくれたら、この世から戦は無くなるはずなのですが・・・
しかしながら、「武士は、どう生きるかではなく、どう死ぬかなのだ。」という橘右近にもとても惹かれました。このことで由紀子と言い争います。今となっては、どう生きるかが正論だと思えるのですが、武士道とはそういうものだったのだと思います。そして、私の心のどこかにもその道が少しあるように思えます。どう死ぬかというのは大げさだとしても、よくスポーツの世界で「自分に勝つ」と言いますよね。あの気持ちはとてもよくわかります。西洋文化圏の人も「自分に勝つ」って言いますか?言わないような気がします。そのあたりが武士道を始め、いろいろな「道」、柔道、剣道、華道に茶道、「道」とは自分を見つめることなのではと思うのです。そんな、とても素晴らしい生き方が明治維新の西洋化によって失われてしまったような気がしてなりませんでした。
今さん、本当に素敵でした。時の流れに乗ってしまえば、どんなに楽なのかわかっているけれど、どうしてもそれが出来ない。不器用なのかもしれません。しかし、今さんにかかると、それが「勇気、美徳」に思えるのです。最期の思案橋で、巡査たちとの壮絶な戦いの中、自分の一生を歌い上げる場面は、涙なくして見られません。
感情を表さないのに、とても心の中が熱いと感じられる右近。本当にこんな武士がたくさんいたんだろうなあと思うのです。だからこそ西南戦争が起こったわけですしね。
今さんの舞台を観ると、背筋を伸ばし、居ずまいを整え、自分の生きるべき道を見つめ直そうと思うのです。本当に、理想を高く掲げ、その理想を貫こうとする役どころを演じられると輝かれる方です。一歩間違えば、「無理を承知でなんでそんなこと・・・」と思えてしまう役どころではありますが、今さんが演じると、「どうして周囲が理解してあげないんだろう。」と今さん中心に社会が回って欲しいと思えるからとても不思議です。
なんて、かっこいいこと言いましたが、とにかく素敵でした・・・本当に、素敵でした!
この作品についてはいろいろ考えさせられることがあります。幕末から明治初期にかけては史実についてとても興味があり、いろいろな小説や文献も読んでいます。また、時間がありましたら、作品と重ね合わせて書いてみたいと思います。