わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

当世流小栗判官

2006年03月26日 | 観劇記
今日は初めて画像付きのブログです。
この桜は、国立劇場の敷地に咲いていた「神代曙」という種類の桜です。ソメイヨシノより早く満開です。色もサクラ色という感じです。ソメイヨシノは結構白いですからね。

この桜の満開と同じように、舞台の方も素晴らしい出来でした。
歌舞伎もよく観る方だと思いますが、ミュージカルほど入れ込んでいるわけではないのです。ですから、楽日に観るのはちょっと・・・と思いましたが、今日しか観ることが出来なかったので、勇気を出して出かけました。

国立劇場では通し狂言を上演することが多いのです。歌舞伎を観ない方は「通し狂言?」となると思います。実は、歌舞伎座での歌舞伎の公演は、ある作品のある一場面を上演する、というスタイルなのです。
ストレート・プレーやミュージカルでは考えられませんよね。「レ・ミゼラブル」の酒場の場面、「エリザベート」の結婚式の場面、「オペラ座の怪人」の怪人の住まいの場面を観劇するといった具合です。
「通し狂言」というと普通の「レ・ミゼラブル」の公演ということになります。
いつから歌舞伎がこのようなスタイルになったのかは知りませんが、私の父が子供の頃にはお弁当を持って一日歌舞伎座で「忠臣蔵」を見ていたそうです。
歌舞伎は長い演目が多く、また、時代の流れによって理解できない、また時代にはふさわしくない場面もあって、今のような上演スタイルになったのではないかと思います。

前置きが長くなりましたが、通し狂言は上演時間がとても長くなります。4時間もよくあること。そして、今回はそれでも足りず、一部と二部に分けて上演しているのです。ですから、2枚チケットをとって見ないとお話が完結しないのです。
二日に分けて見るもよし、一日で見るもよし。
本当は二日に分けたかったのですが、なかなか日程が組めず、一日に、それも千秋楽に、午後1時から夜8時過ぎまで、一時間のお休みをはさみ7時間・・・。
しかし、その時間の長さを感じさせない、とても引き締まった、中身の濃い、スピード感溢れる素晴らしい舞台でした。

あまりにも長いので、あらすじは書きません。
ちょっと感想を。

市川右近さんの三枚目は初めて見ました。千秋楽ということもあってかノリノリでした。いや、ステキな俳優さんは何をやってもステキです。

今回とてもよかったのは市川段治郎さん。
よくなったから以前思っていたことを書いてもよいと思います。
段治郎さんは背も高く、お顔もこれぞ歌舞伎役者!という恵まれた方なのです。
しかし、私が最初に意識して拝見したときは、とてもよい役なのに窮屈そうに演じていました。その大きな四肢を縮め、役をそうっと演じているような感じがしていました。
その後も、段取りを間違えないようにという感じが観客の私にさえ伝わるような演技が続いていました。本当に恵まれた体格なのに勿体無いと思っていました。
ところが、今回、本当に素晴らしく成長していました。本当に見違えるほど演技が大きくなっていました。演技に「ため」が出来て、自分の間をきちんと持てるようになっていました。
これらのことは、私の感覚でしかないので、なかなか他の方にわかっていただけないとは思います。しかし、手の動きの美しさは多くの方にわかっていただけたのではないでしょうか?演技が大きく見えるのは、その指先にまで行き届いた演技であったと思います。
これから、ますます活躍の場が増えると思います。その恵まれた身体を思う存分活かし、印象に残る役を作って行って欲しいと思います。

作品としては、忠義のために自分を犠牲にするという、今となっては古臭い内容です。しかし、笑いの場面ではここ数日紙面を賑わせているニュースが織り込まれ、「今」を感じさせてくれました。
千秋楽ということもあったのかもしれませんが、本当に本当に本当に出演者の熱演に、胸を熱くしました。

先日の野球で言えば、選手一人一人の熱い思いが、一つ一つのプレーに出て、それが観客に伝わり、勝負以上に、野球っていいなぁ、となりました。

舞台も同じです。作品の内容も勿論大切ですが、役者の心意気がバンバン伝わってくる舞台は、それだけで感動するのです。心から、舞台って素晴らしい!と思いました。

最後に、今後の再上演のときの参考に一言。一部も二部も見るのが一番だと思います。が、とうしてもどうしても無理なら、一部を観ることをお勧めします。

野球ってやっぱり楽しい!

2006年03月21日 | 雑記

今日は、本当に久しぶりにじっくりと野球のテレビ観戦。

世界一、おめでとう

いや、本当に嬉しかったですね。

どきどきはらはら・・・

ここ最近のブログからは全然わからないと思いますが、私は野球が大好きです。

いろいろあって一昨年手放してしまったのですが、長い間、年間ボックスシートを持っていたのですから、その入れ込みようがわかっていただけると思います。

プロ、アマとも野球は環境が激変して、深くかかわっている関係者の方々は本当に大変だったと思います。

大きな大会での日本代表の活躍も、思うように行かず、その活動の苦しさは端から見ていても、心が痛んでいました。

今回のWBCでも出だしは大変でしたから、まさかこんなに嬉しいことが起こるとは

何度かのキューバとの対戦を思い出すと、10点とっても安心できない。一点差になったときは、またかとなりましたが、本当にすばらしい粘りでした。

今シーズンは、おいしいも楽しみに、また球場へ出かけようと思います。

本当に本当に、すばらしい夢を現実にしたナインに

おめでとう

そして

ありがとう


過ぎ去りし日々

2006年03月15日 | 観劇記
無事生きていました。というぐらいご無沙汰をしました。
悪性の風邪も夫を避けて通り、ほっとしたものの、他の3人は本調子になれず、不調のまま3月に突入。体調が良くなってきたな、と思ったら仕事がとても忙しく、ここ数日は数時間の睡眠しか取れませんでした。一息、ということで久々の観劇でした。しかし、疲労気味で観るときにはやはりコメディがいいのですよね。今日の舞台の前は「ベガーズ・オペラ」でしたが、この時も相当イライラした精神状態で暗い舞台を観劇したので、さらに暗い気分になってしまいました。
今日はコメディどころではなく人間の生き方を問うようなお話でした。落ち込んではいませんが、深く感情移入出来ていません。
そういう日の感想はあまり書かない方がいいのかもしれませんが・・・ちょっと書いてみたいような・・・
春なのに花粉症なので、外出でうきうき!とも行かず・・・春なのに暗い気分・・・あまり暗くならないように、深呼吸です!!!

あらすじ。
ホルストメール(篠本幸寿さん)という斑模様の雄馬が生まれました。斑は不吉ということで子孫を残すことも許されない。去勢されたホルストメールは暗い日々を送っていた。仲間の馬は競で落とされて、素晴らしい飼い主に引き取られていく。競には出されなかったけれど、セルプホフスコーイ公爵(佐山陽規さん)がホルストメールに気付き、買って行った。ホルストメールは自分のことを認めてくれた公爵のために尽くそうと考えていた。競馬で昔の仲間で今は皇帝の持ち馬であるミールイ(吉田朋弘さん)を破りロシアで有名になる。
しかし、幸せは長く続かなかった。公爵が自分のもとを去る恋人マチエ(蜂谷眞未さん)を追うために馬車を全力疾走させ、その結果ホルストメールは転倒、重症を追うことに。
早く走れないホルストメールは労働馬として次々と人手に渡っていく。そして20年の月日が過ぎ、ヴォレンスキーの厩で公爵と再会する。
すっかり年を取り、酒びたりになっている公爵。公爵という身分があるとはいえ、他人の家に居候をするまでに身を落としている。ホルストメールに出会っても気が付かない。他の馬達がその薄情さに怒り、一騒動となってしまう。ホルストメールと過ごした楽しい日々にも歌っていた「過ぎ去りし日々」に反応するホルストメール。公爵もついにホルストメールだと気が付く。
しかし、再会は悲しい別れでもあった。公爵にはホルストメールを買い取るお金もない。騒動を起こしたために、居候を断られてしまう。そして、ホルストメールも騒動のもとだとして殺されてしまうのだった。

多分、こんな感じです。原作がトルストイなのです。ロシア文学に出てくる人名はとても難しくて・・・セルプホフスコーイ公爵・・・何度も台詞に出てくるのですが、俳優の皆様はサラっと言われていました。下を噛みそうです(笑)。言う前に、覚えるのも大変で、あらすじの中の名前がもし違っていたらお許し下さい。

馬が主人公なので、馬の役のときに馬のいななき、しぐさをとても取り入れています。動きがとても大変そうで、体力勝負の作品だなぁと思いました。ホルストメール役の篠本さんはほぼ出ずっぱり。その上、老いた時期を演じるときは脚が悪いことも表現するので、本当に本当に大変だったと思います。
しかしその一方で、そこまで「馬」にこだわる必要かあるのかなぁ、という思いもあります。馬の衣装は白に手綱を連想させる紐をかけているのです。それで、「馬」という印象があります。人間と馬が登場する場面では、馬としての身体的表現があることによって人間と馬との間にある壁とても際立つと思いましたが、馬同士の場合にはもう少し自然動きの方が、馬達の感情に観客が感情移入出来るのではないかと思いました。

老いには、荘厳な老いと惨めな老いがあるというような表現があるのです。なるほどとも思いつつ、馬の老いは荘厳で、人間は惨め、と捉えているようで、少し悲しい気持ちになりました。トルストイの描いた時代はロシア帝政。身分制度が前提となってもいますから、現在とは人間の捉え方が大きく違うとは思いますが、もう少し人間の生き方に希望のある結末であったらいいなぁと感じてしまいました。トルストイは人間の生き方に警鐘を鳴らしたのだとわかっていても、今日は特に希望が欲しかったのです。・・・相当疲れてます(苦笑)・・・

名前が覚えられない・・・ということで、間違っていたら申し訳ないのですが、フリッツをなさった山村秀勝さんは、セルプホフスコーイ公爵の御者役もなさっていたのでしょうか?フェオファーンという役名でしたか?パンフレットを見つつ、役名に関するわずかな記憶を辿る私です。惨めな老い・・・(暗)
どちらの役も、とても心温まる演技でした。公爵の御者はホルストメールも公爵もとても大切にしていることが、しっかりと伝わってきました。フリッツも心優しいので、公爵も辛い居候生活でも心和んだのではと、いろいろ想像が広がる演技だったと思いました。
ちょっとした場面でも、その奥を垣間見せてくれる演技に出会うと、とても嬉しくなります。
が、その逆もあるわけです。
もともとの脚本で描いていないのかもしれませんし、そこまで観客として探求しなくてもいいと思いつつもとても気になるのが、公爵とマチエの関係です。公爵が20年で没落してしまう原因でもあると推測されるので、もう少し描いて、もっと深い演技をしてほしかったなぁと思いました。

セルプホフスコーイ公爵を演じられたのが佐山さん。年を重ねてからの演技が素晴らしかったです。「過ぎ去りし日々」という歌を何度も歌うのですが、その歌い分けがやはり凄いですね。歌詞の内容は、過ぎ去った日々を悔いることなく、前を見ていこう、という感じです。メロディはちょっと切ない感じです。若いときは、過ぎ去った日々を・・・と歌いながらも、あまり感慨にふける様子もなく、メロディの美しさを楽しんで歌っているようでした。しかし、年老いてからは、歌の意味するところをとても感じさせてくださいました。私自身、まだ、というか、したくないと、というか、過去を振り返りませんので、本当の歌の深さを感じ取ってはいないと思いますが、心に残る1曲になりました。
若い時代の時に「公爵」という身分を考えてか、とても落ち着いたお声で演じられていましたが、もう少し優しい、ちょっと軽めのお声で演じられたら、もっともっとよかったかなぁと思いました。

ちょっとお疲れモードの私が観劇するには、辛い内容の舞台でしたが、美しい音楽に心癒されました。