2006年9月24日 中目黒GTプラザホール
大島宇三郎さんが主催なさっている「SPACE U」の公演に初めて伺いました。公演があることは知っていたのですが、アトリエ公演でしたので、伺うことをためらっていました。今回は一般のホールでの上演でしたので、思い切って伺ってみることにしました。
小川未明氏の作品を2本、1時間半程で上演。
「冬の夜の物語」は星達が地上での出来事を見つめていると言う設定で、子供とはぐれた母親アザラシ、貧しさゆえに赤ん坊が死んでしまう人間の母親の様子を描いていました。
童話とは言っても、とても難しい話だと思いました。
「野ばら」の方を、大島宇三郎さん、岡田誠さんが担当なさったので、こちらに重点を置いて感想を書きたいと思います。また、この作品では村上勧次朗さんがピアノを演奏されました。
「野ばら」という作品名を聞いたとき全く思い出せなかったのですが、舞台が進むうち、「教科書で読んだような・・・」という記憶が甦ってきました。もしかしたら教科書ではなかったかもしれませんが、学生時代に読んだことは間違いありません。本当に、いろいろ考えさせられる作品なりです。
あらすじです。
大きな国の老兵士(大島さん)と小さな国の若い兵士(岡田さん)は人里離れた国境の警備に当たっていた。国境線を守ることが2人の使命であったが、当初、2人の考え方は大きく違っていた。老兵士は若い兵士と話してみたいと考えていたが、若い兵士は自分の使命は国境を守ることだとして心を開かない。
冬の雪の中で若い兵士がたどたどしく吹いていたハーモニカの音を聞いて、いろいろな歌を思い出した老兵士は、いい季節になったと歌を歌って若い兵士に語りかけた。若い兵士もどこかで聞いた歌だと口ずさむ。
少しずつ、2人は心を通わしていく。夏が来るころにはゲームをするほど心を許していた。
しかし、2人の思いとは関係なく、二つの国は戦争を始める。若い兵士は最前線へ向かうという。老兵士は「自分は老いてはいても少佐。この首をとって手柄にせよ。」と若い兵士に言う。若い兵士は断り、最前線へと向かう。もう秋が来ていた。
戦争は大きな国の勝利。小さな国の兵士は処刑されたと老兵士も知っていた。
次の春が来ても若い兵士は戻ってこなかった。老兵士の手には若い兵士が置いていったハーモニカが残っていた。
感想です。
久しぶりに、大島さんの舞台を拝見しました。テレビなどでは時々お姿を拝見していましたが、生でお声を聴くのは本当に久しぶりでした。
とにかく感じたのは、声が美しく響いている、ということでした。何だか、単純な表現しか出来なくてもどかしいのですが、もっと具体的に言うと、声が口からではなくて、身体全体から出ているような感じなのです。そして、勿論、台詞が台詞以上なのです。行間を埋める演技などともよく言いますが、そういう感じです。これは、岡田さんとの息も合っているからだと思うのですが、観客が考える時間がちゃんと台詞の間にあるのです。台詞を聞いて観客はいろいろ考えているわけです。多分、それは、もしこれが劇ではなくて、普通の会話であれば会話している本人達が次の言葉を考えているのと同じタイミングなのだと思います。ですから、台詞の明瞭さというのもあると思いますが、とても自然に台詞が観客の耳に、そして身体に入ってくるのだと思います。
岡田さんの役は、最初はとてもぎこちない会話を要求され、次第に普通の会話へとなりますが、それがとてもよくわかりました。そして、また、最後の方で、戦場へ向かう決意を語るときのぎこちなさで、心を偽る若い兵士の心情がとても伝わってきました。
この国境はどの国という限定はされていません。私はヨーロッパの国々ではと想像していました。が、劇中に老兵士が歌う歌は日本の歌もありました。
「ふるさと」「やしの実」「赤とんぼ」などが登場しました。この挿入の仕方が心憎いのです。大島さんは歌と台詞のお声が殆ど変わらないのですよね。ですから、ますます「歌」だ、ではなく、普通の会話の中で、鼻歌のようにちょっと歌って、いろいろ説明するよりこの一曲が今の気持ちをぴったり表しているというように思えるのです。
私は、この作品の結末を途中で思い出していましたので、いろいろ思いをめぐらせることも出来たのかと思いますが、台詞の中で本当に考えさせられるものがいくつもありました。
ここでは二つだけお話したいと思います。
一つはあらすじでも書きましたが、老兵士が自分首をとっていくように若い兵士に言うと若い兵士が断る場面での台詞です。
「知り合いになった人間は殺せなくても、見も知らぬ人間は殺せるというのか。」(というような内容です。)
私達が普通に生活している社会で、「人を殺す」というのは絶対の悪であると考える人が多数を占めていると思います。しかし、戦時下では「人を殺す」ことが美徳とさえ考えられるのです。一体、この違いは何なのでしょうか?
どこかで戦いが始まってしまえば、決して「シビリアン・コントロール」は効かないと私は思っています。戦いが始まらないようにし続けることこそが大切なのだと思うのですが、どうも最近は「戦い」にも良い物と悪い物があると考える人が多くなっているようで、とても不安です。
是非、この台詞が本当に伝えたいことを多くの方に感じていただきたいと思いました。
もう一つは若い兵士が言う台詞です。
「私達の国は、強くなることに必死で、音楽を楽しむことなどないのです。」(というような内容です。)
この若い兵士のお兄さんが身体が弱く、ハーモニカを吹くことが好き、という話しが出てくるのですが、軍国主義の小さな国では、その生き方が認められないわけです。
芸術や文化がなぜ大切なのかというのは、はっきりした答えがあるわけではないのです。時々、ただ無駄なもの、という認識をする方に出会うこともあります。でも、やはり違うのだと思います。多彩な民族がいる国家であれば、互いの民族を認めるという点で、芸術や文化が大切です。そして、自分とは違う考えを持つ人への寛大な理解や社会的弱者に対する思いやりの心は、国家が一つのことに必死なときには生まれないのだと思います。芸術が花開くということは、そういう豊かな心をもつ人が多くなった時なのだと思います。
こんなことを考えながら、台詞をじっくりと楽しませて頂きました。
「野ばら」は短いお話ですが、本当にいろいろなことを考えさせられます。心温まる歌と、素晴らしい台詞、そして、村上さんの歌を美しく引き出すようなピアノ演奏もあいまって、本当に心から感動する舞台になっていたと思います。
大島宇三郎さんが主催なさっている「SPACE U」の公演に初めて伺いました。公演があることは知っていたのですが、アトリエ公演でしたので、伺うことをためらっていました。今回は一般のホールでの上演でしたので、思い切って伺ってみることにしました。
小川未明氏の作品を2本、1時間半程で上演。
「冬の夜の物語」は星達が地上での出来事を見つめていると言う設定で、子供とはぐれた母親アザラシ、貧しさゆえに赤ん坊が死んでしまう人間の母親の様子を描いていました。
童話とは言っても、とても難しい話だと思いました。
「野ばら」の方を、大島宇三郎さん、岡田誠さんが担当なさったので、こちらに重点を置いて感想を書きたいと思います。また、この作品では村上勧次朗さんがピアノを演奏されました。
「野ばら」という作品名を聞いたとき全く思い出せなかったのですが、舞台が進むうち、「教科書で読んだような・・・」という記憶が甦ってきました。もしかしたら教科書ではなかったかもしれませんが、学生時代に読んだことは間違いありません。本当に、いろいろ考えさせられる作品なりです。
あらすじです。
大きな国の老兵士(大島さん)と小さな国の若い兵士(岡田さん)は人里離れた国境の警備に当たっていた。国境線を守ることが2人の使命であったが、当初、2人の考え方は大きく違っていた。老兵士は若い兵士と話してみたいと考えていたが、若い兵士は自分の使命は国境を守ることだとして心を開かない。
冬の雪の中で若い兵士がたどたどしく吹いていたハーモニカの音を聞いて、いろいろな歌を思い出した老兵士は、いい季節になったと歌を歌って若い兵士に語りかけた。若い兵士もどこかで聞いた歌だと口ずさむ。
少しずつ、2人は心を通わしていく。夏が来るころにはゲームをするほど心を許していた。
しかし、2人の思いとは関係なく、二つの国は戦争を始める。若い兵士は最前線へ向かうという。老兵士は「自分は老いてはいても少佐。この首をとって手柄にせよ。」と若い兵士に言う。若い兵士は断り、最前線へと向かう。もう秋が来ていた。
戦争は大きな国の勝利。小さな国の兵士は処刑されたと老兵士も知っていた。
次の春が来ても若い兵士は戻ってこなかった。老兵士の手には若い兵士が置いていったハーモニカが残っていた。
感想です。
久しぶりに、大島さんの舞台を拝見しました。テレビなどでは時々お姿を拝見していましたが、生でお声を聴くのは本当に久しぶりでした。
とにかく感じたのは、声が美しく響いている、ということでした。何だか、単純な表現しか出来なくてもどかしいのですが、もっと具体的に言うと、声が口からではなくて、身体全体から出ているような感じなのです。そして、勿論、台詞が台詞以上なのです。行間を埋める演技などともよく言いますが、そういう感じです。これは、岡田さんとの息も合っているからだと思うのですが、観客が考える時間がちゃんと台詞の間にあるのです。台詞を聞いて観客はいろいろ考えているわけです。多分、それは、もしこれが劇ではなくて、普通の会話であれば会話している本人達が次の言葉を考えているのと同じタイミングなのだと思います。ですから、台詞の明瞭さというのもあると思いますが、とても自然に台詞が観客の耳に、そして身体に入ってくるのだと思います。
岡田さんの役は、最初はとてもぎこちない会話を要求され、次第に普通の会話へとなりますが、それがとてもよくわかりました。そして、また、最後の方で、戦場へ向かう決意を語るときのぎこちなさで、心を偽る若い兵士の心情がとても伝わってきました。
この国境はどの国という限定はされていません。私はヨーロッパの国々ではと想像していました。が、劇中に老兵士が歌う歌は日本の歌もありました。
「ふるさと」「やしの実」「赤とんぼ」などが登場しました。この挿入の仕方が心憎いのです。大島さんは歌と台詞のお声が殆ど変わらないのですよね。ですから、ますます「歌」だ、ではなく、普通の会話の中で、鼻歌のようにちょっと歌って、いろいろ説明するよりこの一曲が今の気持ちをぴったり表しているというように思えるのです。
私は、この作品の結末を途中で思い出していましたので、いろいろ思いをめぐらせることも出来たのかと思いますが、台詞の中で本当に考えさせられるものがいくつもありました。
ここでは二つだけお話したいと思います。
一つはあらすじでも書きましたが、老兵士が自分首をとっていくように若い兵士に言うと若い兵士が断る場面での台詞です。
「知り合いになった人間は殺せなくても、見も知らぬ人間は殺せるというのか。」(というような内容です。)
私達が普通に生活している社会で、「人を殺す」というのは絶対の悪であると考える人が多数を占めていると思います。しかし、戦時下では「人を殺す」ことが美徳とさえ考えられるのです。一体、この違いは何なのでしょうか?
どこかで戦いが始まってしまえば、決して「シビリアン・コントロール」は効かないと私は思っています。戦いが始まらないようにし続けることこそが大切なのだと思うのですが、どうも最近は「戦い」にも良い物と悪い物があると考える人が多くなっているようで、とても不安です。
是非、この台詞が本当に伝えたいことを多くの方に感じていただきたいと思いました。
もう一つは若い兵士が言う台詞です。
「私達の国は、強くなることに必死で、音楽を楽しむことなどないのです。」(というような内容です。)
この若い兵士のお兄さんが身体が弱く、ハーモニカを吹くことが好き、という話しが出てくるのですが、軍国主義の小さな国では、その生き方が認められないわけです。
芸術や文化がなぜ大切なのかというのは、はっきりした答えがあるわけではないのです。時々、ただ無駄なもの、という認識をする方に出会うこともあります。でも、やはり違うのだと思います。多彩な民族がいる国家であれば、互いの民族を認めるという点で、芸術や文化が大切です。そして、自分とは違う考えを持つ人への寛大な理解や社会的弱者に対する思いやりの心は、国家が一つのことに必死なときには生まれないのだと思います。芸術が花開くということは、そういう豊かな心をもつ人が多くなった時なのだと思います。
こんなことを考えながら、台詞をじっくりと楽しませて頂きました。
「野ばら」は短いお話ですが、本当にいろいろなことを考えさせられます。心温まる歌と、素晴らしい台詞、そして、村上さんの歌を美しく引き出すようなピアノ演奏もあいまって、本当に心から感動する舞台になっていたと思います。