わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

宇宙劇「ウレシパモシリ」

2014年05月30日 | 観劇記
宇宙劇「ウレシパモシリ」
2014年5月18日12時開演の部
ザムザ阿佐ヶ谷

原作は遠藤周作氏の1959年に発表された「おバカさん」。

 原作が小説ですので、ネタバレということはないですから、簡単なあらすじを書きながら、配役を紹介していきましょう。
 哲治(中本吉成さん)と聖(ひじりと読みます、平川めぐみさん)兄妹のもとに、哲治が以前文通をしていたというジェルマン・ボナパルト(じぇいそんさん)が日本にやってくるという手紙が届く。四等船室に隠れるようにして来日した。哲治達は自宅にジェルマンを招き、歓待するが、聖はジェルマンの汚れた服装や捨て犬(ポールと名付ける、野田久美子さん)をかわいがる様子に失望する。
 3人は繁華街に出かけて、チンピラに絡まれる。ジェルマンを残し二人は逃げてしまう。心配して戻ってきた二人に、ジェルマンは別れを告げる。
 ジェルマンは古市(阿部裕さん)にいたぶられていた娼婦のみどり(黒瀬千鶴子さん)を助けると、みどりは食べ物を与え、謎の占い師(有希九美さん)に寝るところを提供してもらえるよう頼んでくれる。
 占い師がちょっといなくなったところへ殺し屋の古市がやってきてジェルマンを連れて行ってしまう。
 古市は胸を患っていた。そして、兄の復讐をするから手を貸してほしいとジェルマンにいう一方で、川田(足立公和さん)への復讐を邪魔したため痛めつけるのだった。
 古市に痛めつけられ、警察に保護されたジェルマンの見受け人として哲治と聖がやってきた。少しゆっくりするように伝えるが、小森(村松曜生さん)へ復讐をしようとしている古市を止めるため、追いかけて北へ行くという。
 古市と小森が対決し、ジェルマンも巻き込まれる。病気が悪化している古市も倒れ、ジェルマンも沼にはまってしまう。小森がジェルマンを瀕死の状態に追い詰めた後、古市に最後の一撃を加えようとしたとき、沼からジェルマンが飛び出してその一撃を阻止する。
 古市と小森のいさかいは事件となっていた。ジェルマンの行方を捜している哲治と聖に警察は瀕死の古市が見た話を伝えた。
「気が付くと、一羽の白い鳥が空に飛び立っていった」と。

こんなところでしょうか。

ジェルマンは一体何のために遠いフランスから日本にやって来たのか?
古市はその後どうしたのか?

私は、推理小説が大好きで、ここ数日中に「名探偵コナン」と「相棒」の映画を見ていました。そうなると、謎が謎のままではいやで、苦笑。
でも、よく考えれば、世の中なんてよくわからないことばかりです。コナン君の名言「真実はいつも一つ」は理想だけれど、そんな風にはうまく行きません。

古市も迷いに迷っていました。ジェルマンに出会っていていなくても、自分の生き方に自分で疑問を抱いていたのだと思います。暴力、暴言の裏にあるさびしい、弱い古市。
阿部さんの演技に大注目です。
古市によって、この舞台はかなり色がかわるのだと思います。主役はジェルマンなのかもしれませんが・・・。古市から目が離せません。
そのわけは、舞台だけではなく、現実の社会が、この時代を再び歩むかもしれないと感じているからです。
古市は殺し屋です。しかし古市は、戦争の被害者です。戦争が起こればこういう人がどんどん出てきてしまいます。戦争の本当の敵はどこにいるのだろうか?この作品は第二次世界大戦からまだ間もない時代が描かれていいます。ですから、敵はアメリカということになります。しかし、古市が復讐を考えていたのは同じ日本人です。古市の悪人ぶりは、古市の生まれながらの性(さが)ではなく、時代が、そして軍隊という怪物が古市に押し付けたものだったのではないかと思えるのです。戦争というのは、「敵」と認識している「敵」ではなく、「本当の敵」から目をそらせるために権力者が起こす最悪の業だと思います。
古市のような思いを、自分の子どもや兄弟にさせていいはずはないのです。

ストレート・プレーでも音楽が効果的に使われることが多いわけですが、それがインスツルメンタルではなく、ソングだという感じです。
14曲ぐらいあるのだと思いますが、どの曲も曲想がかなり違います。それを主に2人の歌い手が歌い尽くします。

歌については後で触れたいと思います。

この作品は音楽劇という形をとっていて、演じ手と歌い手が分かれているのですが、実は、演じ手もミュージカル界で大活躍をなさっている方々ばかり。歌わないのが勿体ないと思うのは私だけではないはずです。
しかしながら、その一方で、ミュージカルの舞台だとついつい「歌」に関心がいって、「演技」に注目しないことが多いと思うのです。
これは、私の主観ですが、ミュージカルでも「演技」がとにかく土台です。「演技」の台詞の代わりに「歌」があり、演技の一表現として「踊り」があるだと思います。つまり、演技の技量がなくては、どんなに歌がうまくても、薄っぺらな歌唱でしかないと感じています。
ミュージカル俳優の皆様の場合、歌がなくて演技だけを見ることが出来る機会はあまりないので、ファンにとっても、「演技」の素晴らしさに気付く、すごくいい機会だと思います。
私も、阿部裕さんってこんな悪人だったのか、と思ってしまいましたから、笑。
中本さんは、ミュージカル座の舞台で何度か拝見しています。じっくり演技をなさる役は拝見したことがありませんでした。この舞台では、すごく普通の、本当に普通のおにいちゃん役の哲治を好演していらっしゃいます。この「普通の」っていう役所をここまで「普通」に演じるってすごいって心から思いました。そして懐が深い人物なんだなぁと思わせてくれます。それだからこそ、ジェルマンが哲治を頼って来日したんだと思えるのです。

このそうそうたるミュージカル俳優の代わりに、また、語りかけるようにほとんどの歌う唄1の佐山陽規さん、唄2の日野原希美さん。結構プレッシャーでは??????
佐山さんの歌はコンサートなども含めたくさん聞いてきたはずですが、今までとはまた違う曲想の曲を歌われていて、また、新たな魅力に出会ったように思います。
佐山さんが歌ったことで、曲が輝いたこともあったでしょう。そして、素晴らしい曲が佐山さんを輝かせて下さっているようにも思います。
佐山さんファンとしては大満足です。
ジェルマンが古市に復讐をやめさようと汽車で東北へ向かうのですが、ジェルマンが古市に再会し、「詩、ポエムを作ったから」と伝えます。そしてそのポエムを佐山さんが歌うのですが、他の歌と違って、ジェルマンの代わりに歌うという感じなのです。ここで、何となく、ジェルマンは何のために日本に来たのか、ジェルマンは何者なのか・・・という疑問に、もしかしたら、と気づくのです。是非、劇場でその不思議な感覚を味わって頂きたいと思います。
でも、ちょっと、他の唄1の方の歌も聞いてみたくなるのです。曲想がバラエティに富んでいるので、もしかして、あの曲はかなり違う雰囲気なのではと想像し始めると止まらなくなります、笑。

とてもいい舞台だと思いますが、一つ気になったことがあります。「季節」を表す服装です。聖はほぼ夏仕様。でも、ほかの人は早春か、秋という感じなのです。変なこだわりですが、私は日本人として季節をとても大切にしています。最近は、異常気象なのか、季節も以前ほど着実に進まないこともあります。が、やはり四季があり、季節が私たちの行動を決めることもあります。なので季節は大切にしてほしいのです。


最後に、ザムザ阿佐ヶ谷という劇場についてです。小劇場なのでキャストの皆様の息遣いがダイレクトに届いてきます。小劇場はこういう魅力もあるのですが、小劇場の恐怖というのもありまして、靴を脱ぐ、タイトスカートはNGだった、とかいろいろ体験してきました、笑。が、ザムザは「自由席には背もたれ(座椅子)がない」というだけです。靴も履いたまま、椅子の高低も普通です。なお自由席でも座椅子の貸し出しもあるようです。一日に二公演とか観るのであれば、座椅子があった方がいいと思います。

6月15日まで阿佐ヶ谷駅のそば、ザムザ阿佐ヶ谷で上演中です。