わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

センス・オブ・ワンダー

2012年04月27日 | 観劇記
「センス・オブ・ワンダー」

2012年4月24日と27日(両日とも19時開演)  光が丘IMAホール

ミュージカル作品がおもしろいかそうでもないかは、いろいろな要素が絡み合っていると思いますが、おおむね3点にあるのではないかと思います。
まず、ミュージカルに限らないと思いますが、脚本も含めたお話自体がどうであるかです。
次に、ミュージカル特有の歌詞も含め音楽がどうかだと思います。
そして、ミュージカルでははずせない俳優の歌の力がどうかだと思います。

今までたくさん舞台を観ていますが、多くは、俳優の特に主演級の皆様の歌の力がどうかで、私の舞台への感想は左右されてきたと思います。

しかし、この「センス・オブ・ワンダー」は、最初にあげた「脚本も含めたお話」が私にはしっくりきませんでした。観客になにを伝えたいのかがわからないのです。

あらすじは「沈黙の春」を書いたレイチェル・カーソンという女性の一生なのですが、なぜ彼女が、多くの人、企業を敵に回してでもこの本を書こうとしたのかが、すごくあっさりしているのです。
そして、もっと深く描いて欲しいのに、と思う話は・・・
「沈黙の春」は出版当初一般市民からも叩かれます。単に社会を混乱させるだけだと。批判する市民の台詞に「世界は害虫でいっぱいになってしまう」という感じで、今の私たちからしたら農薬の方が害虫より(そもそも多くの害虫は人間にとっては害のある虫であるけれど、自然の営みの中では害ではありません。)危険であることは常識です。しかしながら、当時、農薬は魔法の薬だったのです。
出版当初の批判にも関わらず、この本は、アメリカ政府を動かしていき、今の私たちの農薬に対する常識を当時の社会へ浸透させてくれました。
このことは、とても大変なことであり、すばらしいことであったわけです。が、舞台ではそこがとてもあっさりと描かれているのです。彼女のガン病状が進み、病床に横たわっているところに、出版に関わった仲間がやってきて、「ケネディ大統領が動き出した」「シュバイツァ賞に輝いた」と伝えるだけなのです。
確かに、彼女の一生を描くだけならそう描くしかないのだと思います。「沈黙の春」が世の中に出てからは、彼女は体調を崩し、活動はほとんどしていなかったようですから。でも、今、この話を舞台にしようというのは、大きな問題を投げかける人がいて、それを受け止める人がいない、どちらかというと批判されるという時にでも、問題の投げかけが正しければ、いつか批判していた人々も受け入れてくれるというという面があることを伝えたかったのではないのでしょうか。
そうであるとすれば、「沈黙の春」で投げかけられた問題を、どういう人たちが作者の代わりに、あるいは、彼女に勇気づけられて、多くの人々に伝えたのか、そして、人々はどうして受け入れるようになったのか。その面こそを描かなければいけなかったのではないでしょうか?
より具体的に言えば、原発の危険性を唱える人がいても、その危険性が現実のものとなるまで誰もその人の言葉に耳を貸そうとしなかった今の私たちへの大いなる反省を促す舞台にして欲しかったですね。

また、なぜ、最初に「沈黙の春」が出版されて危険な本だという抗議が起きた場面を出してしまったのかがわかりません。
初日にあった、繰り返しばかりの場面は2回目に観たときはカットされていました。が、カットすべきはこの場面だったのではないかと思います。
抗議の場面は、彼女の一生で最大のピンチだったわけで、一番の盛り上がる場面でもあるわけですから、2回見せるのは興ざめです。

と、作品自体はなにを伝えたいのかよくわからなかったのですが、俳優の皆様の歌は素晴らしかったです。全編歌だったので、歌の素晴らしさを堪能しました。

レイチェル・カーソンの伊東恵里さんの歌声はいつ聞いても心地よいです。ただ、年とったレイチェルとはいえ見た目をあんなに老けさせなくてもよかったのでは。

最後の方にだけ登場するレイチェルの晩年に出会った親友ローラの井料瑠美さん、歌い方がかわったなぁと思いました。いわゆる四季的な歌い方を脱却して、井料さんの本来の声量が生かされているように思えました。
ただ、このローラを登場させる意味があったのかな、という感じはしています。秘書のマリー・ローデル(杵鞭麻衣さん)に晩年のレイチェルに付き添う役をさせてもよかったのではないかと思います。

レイチェルの本の挿し絵を書いているボブの阿部よしつぐさん。歌も、演技も素晴らしかったです。

レイチェルの父親の佐山陽規さん。レイチェルの海への憧れを誘う歌など、いつもながらに説得力のある素晴らしい歌声でした。この舞台の前の作品では、あまり歌がなかったので、ファンとしては佐山さんの歌声に少々飢えていました。そのせいもあったかとは思いますが佐山さんの歌にとても引きつけられました。

素晴らしい歌と演技、元気な子供たちのかわいいダンスなど魅力いっぱいだっただけに、何か、煮えきらない脚本が本当に残念でした。

レイチェル・カーソンの偉大さを広めるとともに、いつまでたっても減らない環境破壊への警鐘のためにも是非、もう一練りして上演して欲しいと思います。


もし、私が脚本を書くなら・・・
最初に、今の私たちの置かれている状況、3.11の後のさまざまなニュース音声を流してもいいと思います。その後少し落ち着いたことを想定して、例えば、高校の教室などを想定して、生徒の一人が、こんな本があって「今、私たちは分かれ道に立っている・・・」と朗読しているところへ、レイチェルの声を重ねていって、今回のお芝居をはめていきます。
そして、先に述べたあたりを膨らませて、最後にまた高校の教室にもどして生徒たち全員が「今、私たちは分かれ道に立っている・・・」と朗読しているという設定はどうかなぁ、などと考えました。

伝えて欲しいことが詰まっているのに、勿体ない舞台だったので、ついつい余計なことを書いてしまいました。失礼しました。