俳優座劇場
2012年9月6日A組初日 前から2列目ほぼセンター
2012年9月16日A組楽日 後方上手寄り
9月になれば少しは涼しくなっているかと期待していましたが、両日ともとても暑い日でした。以前も真夏にこの作品を観劇しましたが、やはりもう少し寒い時期に観たい作品です、笑。
有名なお話ですし、もともと脚本の形式で書かれた作品なので、あらすじは割愛致します。
「森は生きている」は、1943年に作られた作品ではありますが、今の私たちのために書かれた作品ではないかと思えるのです。
私が、この作品を最初に知ったのは、記憶にないほど幼い頃だったと思います。林光さんの「十二月の歌」を冬になると歌っていたものです。
ここ数年は、林光さんの音楽ではないいろいろなバージョンを拝見したり、林光さんの音楽を取り入れた子どもの学芸会の出し物として関わったりもしてきました。
そのような関わりの中で、この作品で一番大切にしたいもの、一番伝えて欲しいものはこれだなぁと感じています。
それは、「女王の成長」です。
作品では「女王」ですが、愚かな人間の代表といえるのではないでしょうか?
女王の成長は二つの面から支えられています。
一つは、十二月の精に出会って、自然が自分にとって大切であり、怖いものであるかを知るという体験による成長です。
そして、もう一つは、貧しい娘との出会いによる権力者としての成長です。
女王の目を通して、私たちは、自分の身の回りを振り返ることが出来ます。
自然の大切さを感じることもあるでしょう。
権力者ではあったけれど、人間として大切なことが欠けていてはだめなんだと感じることもあるでしょう。
また、子どもには、親の愛情、もしくは、それと同様の温かくも厳しい見守り大切であることも感じられるのです。
私は、こう感じているので、子どもも大人も楽しめる作品だと思っています。
さて、こんにゃく座の「森は生きている」はどうだったのでしょうか?
大変厳しい意見だと思いますが、私が大事だと思っている「女王」の存在が弱かったように思います。逆に十二月の精が強いのです。
こんにゃく座はオペラなので、マイクを使いません。そうなると、台詞も含む歌声の実力の差が歴然です。
十二月の精の男性陣の歌声の素晴らしさからすると、存在感が増すのは当然だと思います。
それなら、どこかでバランスを取るべきです。とすれば、「見た目」つまり衣装ではないかと思うのです。
ところが、今回のこんにゃく座の十二月の精達の衣装の豪華なこと!!!子どもたちは喜ぶかもしれません。まず興味を引く、が大切ですから学校公演を考えてのことだったかもしれません。しかしながら、疑問も感じます。まず、十二月の精の衣装が季節のイメージと合わない月がある点。そして、衣装はその役柄のイメージを観客に知らせる大切な役割も果たします。舞台は短い時間でその役柄を観客に知らせなければなりません。身分、職業、性格などです。私は、こう考えているので、他の役の衣装についてもかなり疑問を持ちました。特に、娘とその継母と義姉の衣装はもっとみすぼらしい方がいいと思います。継母と義姉が太っているなら、なぜそこまでして金貨が欲しいのかわかりません。また、この後の旅公演は小学生の観客が多いと思います。今の子供たちは「貧しい」娘一家の印象がないと、娘の必死さが伝わらないと考えます。
プログラムを拝見すると、今回の新演出を担当された大石哲史さんは「十二月の精が主人公」と考えていらっしゃるようなので、主人公は「女王」と考えている私が観るといろいろ違和感が出てきて当然なのかもしれません。
また、女王、先生(博士)、老兵(兵士)の三人が十二月をいっぺんに経験する時の季節の変化がわかり難いなぁと思いました。ここは、女王が自然から学んで成長するところなので、もっと季節が変わって行くときの人間の感じ方をはっきりと表現した方がいいのではにいかと思いました。歌だけでは少し弱い気がします。照明も含めた舞台装置が限られた中ですから、やはり、衣装や小物に工夫が欲しいと思いました。何といっても「冬、女王」と言えば、「毛皮」ではないでしょうか。着る物で季節の変化を感じることが私たちには容易に出来ます。
これは舞台装置と演出の問題だと思いますが、女王が他の人たちより低い位置にいるというのは問題だと思いました。子供たちが観る場合の、身分の違いを感じさせないという配慮があるのかもしれませんが、この作品は身分の違いがあった時の話です。身分の違いがあるという点を強調しないとおもしろくない作品とも言えます。もっと、女王が威圧的に登場する方が、ラストでその成長を感じることが出来るはずです。
などなど、いろいろ思うところはありますが、音楽の素晴らしさと、歌い手の表現力の素晴らしさが舞台の魅力を引き立てていました。逆説的にいえば、そこに素晴らしさがあるのですから、もっとシンプルな衣装、シンプルな演出がよいのではないかと思うのでした。
たまたま、初日は1月の精がB組の高野うるおさんでした。もう一回は武田茂さんでした。お二人ともとても伸びやかな歌声、威厳のある佇まいでした。
この威厳に対して、さわやか、さわやか、さわやか、という歌声を聞かせて下さったのが4月の精の金村慎太郎さん。甘いマスクに甘い歌声、本当に4月の精にぴったり!!!オオカミ役もしっかり楽しませて頂きました。
そして、沖まどかさん。いじわるな義姉を演じるのですが、素晴らしい歌声と表現力で笑わせて頂きました。こんなにしっかりと歌える女優さんはなかなかいないのではないかと思います。今後の活躍が楽しみです。
一番の注目は佐山陽規さんなのですが、つくづく思いました。佐山さんは本当にすごいと。勿論、前々からわかってはいたのですが、最近、コンサートなどばかりに伺っていたので、佐山さんだけが歌うわけです。となると佐山さんの歌声が普通になっていました。こんにゃく座はオペラなのでマイクなしです。皆様素晴らしい声量とマイクに頼らない緻密な強弱のコントロールなのですが、それに表現力、説得力となると佐山さんは抜きんでていらっしゃるなぁと感じました。
今、お名前を挙げた皆様のすごさはもう一つあります。初日はかなり前方で観劇し、もう一回は逆にかなり後ろでした。それでも、皆様の声は同じように聞こえていました。近くても大き過ぎず、遠くとも小さくならず・・・どんな魔法なのでしょうか?
いろいろ厳しいことも言いましたが、この「森は生きている」はこんにゃく座の素晴らしさが伝わる作品だと思います。またの上演を楽しみにしています。
では。
2012年9月6日A組初日 前から2列目ほぼセンター
2012年9月16日A組楽日 後方上手寄り
9月になれば少しは涼しくなっているかと期待していましたが、両日ともとても暑い日でした。以前も真夏にこの作品を観劇しましたが、やはりもう少し寒い時期に観たい作品です、笑。
有名なお話ですし、もともと脚本の形式で書かれた作品なので、あらすじは割愛致します。
「森は生きている」は、1943年に作られた作品ではありますが、今の私たちのために書かれた作品ではないかと思えるのです。
私が、この作品を最初に知ったのは、記憶にないほど幼い頃だったと思います。林光さんの「十二月の歌」を冬になると歌っていたものです。
ここ数年は、林光さんの音楽ではないいろいろなバージョンを拝見したり、林光さんの音楽を取り入れた子どもの学芸会の出し物として関わったりもしてきました。
そのような関わりの中で、この作品で一番大切にしたいもの、一番伝えて欲しいものはこれだなぁと感じています。
それは、「女王の成長」です。
作品では「女王」ですが、愚かな人間の代表といえるのではないでしょうか?
女王の成長は二つの面から支えられています。
一つは、十二月の精に出会って、自然が自分にとって大切であり、怖いものであるかを知るという体験による成長です。
そして、もう一つは、貧しい娘との出会いによる権力者としての成長です。
女王の目を通して、私たちは、自分の身の回りを振り返ることが出来ます。
自然の大切さを感じることもあるでしょう。
権力者ではあったけれど、人間として大切なことが欠けていてはだめなんだと感じることもあるでしょう。
また、子どもには、親の愛情、もしくは、それと同様の温かくも厳しい見守り大切であることも感じられるのです。
私は、こう感じているので、子どもも大人も楽しめる作品だと思っています。
さて、こんにゃく座の「森は生きている」はどうだったのでしょうか?
大変厳しい意見だと思いますが、私が大事だと思っている「女王」の存在が弱かったように思います。逆に十二月の精が強いのです。
こんにゃく座はオペラなので、マイクを使いません。そうなると、台詞も含む歌声の実力の差が歴然です。
十二月の精の男性陣の歌声の素晴らしさからすると、存在感が増すのは当然だと思います。
それなら、どこかでバランスを取るべきです。とすれば、「見た目」つまり衣装ではないかと思うのです。
ところが、今回のこんにゃく座の十二月の精達の衣装の豪華なこと!!!子どもたちは喜ぶかもしれません。まず興味を引く、が大切ですから学校公演を考えてのことだったかもしれません。しかしながら、疑問も感じます。まず、十二月の精の衣装が季節のイメージと合わない月がある点。そして、衣装はその役柄のイメージを観客に知らせる大切な役割も果たします。舞台は短い時間でその役柄を観客に知らせなければなりません。身分、職業、性格などです。私は、こう考えているので、他の役の衣装についてもかなり疑問を持ちました。特に、娘とその継母と義姉の衣装はもっとみすぼらしい方がいいと思います。継母と義姉が太っているなら、なぜそこまでして金貨が欲しいのかわかりません。また、この後の旅公演は小学生の観客が多いと思います。今の子供たちは「貧しい」娘一家の印象がないと、娘の必死さが伝わらないと考えます。
プログラムを拝見すると、今回の新演出を担当された大石哲史さんは「十二月の精が主人公」と考えていらっしゃるようなので、主人公は「女王」と考えている私が観るといろいろ違和感が出てきて当然なのかもしれません。
また、女王、先生(博士)、老兵(兵士)の三人が十二月をいっぺんに経験する時の季節の変化がわかり難いなぁと思いました。ここは、女王が自然から学んで成長するところなので、もっと季節が変わって行くときの人間の感じ方をはっきりと表現した方がいいのではにいかと思いました。歌だけでは少し弱い気がします。照明も含めた舞台装置が限られた中ですから、やはり、衣装や小物に工夫が欲しいと思いました。何といっても「冬、女王」と言えば、「毛皮」ではないでしょうか。着る物で季節の変化を感じることが私たちには容易に出来ます。
これは舞台装置と演出の問題だと思いますが、女王が他の人たちより低い位置にいるというのは問題だと思いました。子供たちが観る場合の、身分の違いを感じさせないという配慮があるのかもしれませんが、この作品は身分の違いがあった時の話です。身分の違いがあるという点を強調しないとおもしろくない作品とも言えます。もっと、女王が威圧的に登場する方が、ラストでその成長を感じることが出来るはずです。
などなど、いろいろ思うところはありますが、音楽の素晴らしさと、歌い手の表現力の素晴らしさが舞台の魅力を引き立てていました。逆説的にいえば、そこに素晴らしさがあるのですから、もっとシンプルな衣装、シンプルな演出がよいのではないかと思うのでした。
たまたま、初日は1月の精がB組の高野うるおさんでした。もう一回は武田茂さんでした。お二人ともとても伸びやかな歌声、威厳のある佇まいでした。
この威厳に対して、さわやか、さわやか、さわやか、という歌声を聞かせて下さったのが4月の精の金村慎太郎さん。甘いマスクに甘い歌声、本当に4月の精にぴったり!!!オオカミ役もしっかり楽しませて頂きました。
そして、沖まどかさん。いじわるな義姉を演じるのですが、素晴らしい歌声と表現力で笑わせて頂きました。こんなにしっかりと歌える女優さんはなかなかいないのではないかと思います。今後の活躍が楽しみです。
一番の注目は佐山陽規さんなのですが、つくづく思いました。佐山さんは本当にすごいと。勿論、前々からわかってはいたのですが、最近、コンサートなどばかりに伺っていたので、佐山さんだけが歌うわけです。となると佐山さんの歌声が普通になっていました。こんにゃく座はオペラなのでマイクなしです。皆様素晴らしい声量とマイクに頼らない緻密な強弱のコントロールなのですが、それに表現力、説得力となると佐山さんは抜きんでていらっしゃるなぁと感じました。
今、お名前を挙げた皆様のすごさはもう一つあります。初日はかなり前方で観劇し、もう一回は逆にかなり後ろでした。それでも、皆様の声は同じように聞こえていました。近くても大き過ぎず、遠くとも小さくならず・・・どんな魔法なのでしょうか?
いろいろ厳しいことも言いましたが、この「森は生きている」はこんにゃく座の素晴らしさが伝わる作品だと思います。またの上演を楽しみにしています。
では。