わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

21C:マドモアゼル・モーツァルト

2005年07月30日 | 観劇記
2005年7月30日マチネ  PARCO劇場 4列目上手

音楽座の再スタート。私は、旧音楽座の作品は観ていません。ですが、ミュージカル・ファンとして、純粋に応援したいなぁと思っています。やはり、日本人(日本文化圏人)が作り上げる作品に期待しているからです。
そういう思いがありながらも、さらに良い作品を求め、ついつい言いたくなってしまうのがファン・・・いえ、私のわがままです。

一言で言ってしまえば、大風呂敷を広げ過ぎた作品だ、という感想です。

細かい感想等を書く前に、モーツァルトへの私の思いを書いてみたいと思います。
私が、音楽の道に進むかどうか悩んでいたとき、丁度レッスンしていたのがモーツァルトの曲でした。どうしても自分の作り出す音が納得できない。ため息交じりで、楽譜の上のほうを見ると。「26.Mai.1766」とあります。なんとその曲はモーツァルト10歳の時の曲。協奏曲ですよ!!!天才モーツァルトの曲とはいえ、自分の才能のなさを実感しました。
その後も人生の大きな転換期何度もモーツァルトの作品と向き合ってきました。それゆえにその作品を作った人間にもとてもとても興味があります。

そして、東宝でも現在「モーツァルト!」をやっていますね。また、映画「アマデウス」も有名ですよね。モーツァルトは音楽だけではなく、その人柄も多くの人に愛されているのだと感じます。

前置きが長くなりました。
あらすじです。
モーツァルト(新妻聖子さん)はエリーザという女として生まれた。が、その才能に気付いた父レオポルト(園岡新太郎さん)は女では活躍できないと男としてモーツァルトを育てていく。
ウィーンで人気を博す。それを疎ましく思うサリエリ(広田勇二さん)。しかし、心惹かれる。
モーツァルトはコンスタンツェ(中村桃花さん)と結婚するが女だと告白する。コンスタンツェは秘密を守るがモーツァルトの弟子フランツ(丹宗立峰さん)と浮気をする。
父レオポルトの死をきっかけに男として生きることに疑問を感じるモーツァルト。女に戻って、正体を隠しサリエリに会う。サリエリはモーツァルトと気付く、そしてその才能には嫉妬してしまう。
自分は音楽に生きていこうと決心するモーツァルト。しかし、死期は迫っていた。
大衆を相手にした作品「魔笛」を初演し、「楽しかった」との言葉を残し、モーツァルトは息を引き取った。

というのが大筋です。
ここに、戦争を絡めているのです。それも、現在の戦争なのです。
そして、劇中劇として、モーツァルトのオペラ「後宮からの逃走」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コン・ファン・トゥッテ」「魔笛」が短く紹介されます。

モーツァルトは確かに、大きな戦争や貴族社会から民衆社会へという時代の大きな流れの中に生きていました。ですから作品がその流れに影響されたことはあると思いますが、作品が時代を変えたということはなかったのではないかと思うのです。

オープニングとラスト近くで、死期が近い老いたサリエリや、モーツァルトが21世紀に生きている女の子を見ているとか、その子が銃弾に倒れるという場面があるのですが、モーツァルトの音楽とどういう関係があるのか、ちょっと不思議に思いました。モーツァルトの音楽に現代の私達は癒されるかもしれませんが、当時は、音楽はごく一部の上流階級の楽しみであり、戦いに明け暮れた民衆にまで届いていたとは思えないのです。
自由な、奇抜な発想は私も楽しめます。が受け入れ難いこともあるのは確かです。

逆に、モーツァルトは女だったのではという発想はとても面白かったですね。悪妻の代表コンスタンツェの弁明もこれなら十分ですね。
サリエリがモーツァルトの音楽に嫉妬しながら、惹かれていた理由も納得がいきますよね。サリエリはモーツァルトの子供を自分の子供のように可愛がっていたというエピソードももしかしたら・・・などと想像はいろいろ広がります。

なぜ、同じ自由で、奇抜な発想なのに、一つは受け入れられて、一つは受け入れられないのか?多分、私の身近にありそうなことだから(それも怖いけど、笑)です。
いろいろ舞台を観てとても感じることは、とても身近なことや、時代は違うけれどある個人の生き様を綿密に描いていて、自分がその人になったみたいで、その人の視点を借りることが出来る作品の方が、最初から大きなテーマをぶつけるより感動も出来るし、創り手が本当に伝えたかったことが伝わるということです。
時代劇で忍者が屋根裏に忍び込んで節穴から覗くと部屋全体を見渡すことが出来るけれど、広い部屋にいる人たちはその節穴の先の瞳をみることは出来ない現象に似ています。
音楽座として今回の作品で、モーツァルトの音楽や生き様を通して、これからの世界や子供達にどんな世界を作っていくべきなのかを観客に伝えたかったのかもしれません。しかしテーマが大き過ぎると感じました。そして、もしそれを伝えるのなら、人を愛するということはどういうことなのか、という恋愛や自分の子供に対する愛情、愛する人の子供に対する愛情に絞ったほうがよかったのではないかと思います。モーツァルトの音楽がこうして今に伝えられているのは、大衆に愛されていったという点もあると思いますが、きっとサリエリという個人が惚れ込んでいて、自分弟子に演奏させたのではないかなどと思ってしまいます。モーツァルトとサリエリを軸にした恋愛物語でも、大きなテーマにつなげられたのではないかと思うのは、私だけでしょうか。

音楽について一言。
先ほどモーツァルトを描いた作品として東宝ミュージカル「モーツァルト!」と映画「アマデウス」を挙げました。この両者の大きな違いは音楽。「アマデウス」は全編モーツァルトの曲が流れます。「モーツァルト!」も今回の作品も少しモーツァルトの作品が出てきます。この作品のほうがモーツァルトの作品の分量は多いですね。
はっきり言って、モーツァルトの曲とミュージカル楽曲との落差が大き過ぎます。耳に馴染んでいるモーツァルトの曲に軍配が上がるのは仕方ないとは思いますが、モーツァルトを題材とするミュージカルはもういいかな、と思わせてしまうほどの落差です。
テーマ曲のような「ラグナレク」はとてもとてもステキで、心が開放されるような感じです。しかし、ミュージカルのナンバーにはそぐわない気がしました。インステュルメンタルであれば、最上級の楽曲だなぁと思いました。
そして、日本語の歌詞に曲を付けている(逆だとしても)、翻訳劇ではないので、歌の中で一番大切な言葉をもっと歌い易い旋律に付けるべきだと思いました。
今でも人気のあるオペラは、歌い手にとってもとても感情を乗せ易い歌いを作曲家がつくっているのだそうです。歌い手がどんなに上手くても、一番大事な言葉が、その曲の一番低い音となっていたら酷です。話し言葉では強調されない単語内の音が、旋律の切れから、頭の音に当たってしまっている曲もありました。歌詞の並べ替えや、ちょっとしたリズムの変更で解決できる部分だと思いますので、本当に残念だと思いました。
(歌詞が書かれているチラシが配られたので、あれ?と思った歌詞を確認しました。)

劇場の大きさも作品のテーマ、音楽の広がりからすると小さいような気がしました。これが800人ぐらいの劇場で上演されていたら、私の印象もかなり変わっていたと思います。
ダンスシーンも多いのですが、ぶつかっているのを何度も見てしまいました。
舞台の狭さもあるのか、演出もとても画一的。去りかけて、振り向いて・・・役柄が違っても同じパターン。音楽の流れ方も、止まることがないのはいいのですが、ソロがあってもすぐに別のメロディに入ってしまうので、観客が(私が)その役の歌を噛み締める余韻がないのです。当然、拍手も起こらない、というか、そのタイミングがないのです。まるでサスペンス・ストレート・プレイを固唾を呑んで見ているような劇場の静けさです。心揺さぶる歌には、熱い拍手を送りたい・・・ミュージカル・ファンの心理です。それが積み重なって、舞台と観客が近くなるはずなのです。小さな空間なのに、舞台と客席の間には相当の距離があったように感じました。
このあたりは、回を重ねるうちに解決してくるかもしれませんが、地方公演では一回で移動ですから、もっと盛り上がる演出や曲の配置が必要なのかと思いました。

相当厳しいことを言いましたが、キャストの質の高さには本当に感動しました。オーディションをきちんとして、作品ごとにさらに座内オーディションをなさっているだけのことはあると思いました。これだけのキャストが集結しているのに、これ位の感動しかないなんて!!!、という思いが、辛口になった原因です。

新妻聖子さん。明るくて、楽しい舞台を作って下さいました。歌も伸びやかでよかったです。男でもない女でもない難しい役ですが、これが本当だったのかな、と思わせるほど自然体で演じられていたと思います。

中村桃花さん。本当の女の強さを感じさせて下さいました。実在のコンスタンツェとはかなり違った女性と描かれたと思いますが、一番共感できた役でした。

園岡新太郎さん。レオポルト役以外に、劇中劇の役、宮廷貴族などもなさっていました。相変わらずの美声、素晴らしいです。ですが、レオポルト役での活躍が少なくてちょっとがっかりでした。これも作品への不満なんですが、モーツァルトは「パパ」ってすごく慕っているのに、パパが亡くなったことで女に戻ろうとするほどなのに、その信頼関係が殆ど描かれていないのは残念でした。

広田勇二さん。サリエリ役とお聞きしたとき、本当に嬉しかったです。音楽座の再起をかけたこの作品で主演なさるにふさわしい実力の持ち主だと確信しているからです。広田さんをサリエリ役に登用して下さった音楽座は、本当に実力主義で、良い作品を作ろうとしているんだという心意気に、嬉しく、日本のミュージカルも変わっていくに違いないと期待したのでした。その思いは今も変わりはありません。
モーツァルトは女だった?という発想はどこから生まれたのかわかりませんが(原作の漫画を読んでいませんので)、サリエリの視点であると推測しています。また、映画「アマデウス」もサリエリの目からのモーツァルトが描かれているので、とても印象深いものになっていると思います。
モーツァルトの人物像に興味があると言いましたが、それは私自身が演奏家を志していたときのこと。年齢を重ね、またモーツァルトの楽曲を聴くことの楽しみの対象と出来るようになった今は、モーツァルトは音楽の神様に愛され、モーツァルト自身が音楽だったのだと思えるのです。ですから、人間像にあまり興味がありません。しかし、サリエリはどうでしょう。とても人間的です。自分と変わらないかもしれないと思える人物です。そのサリエリが、天才モーツァルトを人間としてどう見ていたのかということにはなぜかとても興味があります。モーツァルトは大き過ぎるから小さい部分を眺めることも出来ないし、その意味があるとは思えないのです。けれど、サリエリの目が天井の節穴の役割をしてくれると興味がまた湧いてきます。
サリエリがモーツァルトを愛していた?となれば、その嫉妬、愛憎の感情はどんなに激しかったことでしょう!とそれをサリエリに期待して観劇したので、私が勝手に想像していたサリエリ像とは、ちょっと方向性が違うなぁと思いました。確かに、これからの子供達への思いや世界観は大切です。でも、それは身近な人を愛し、大切にすることから始まるのではないかと思うのです。
広田さんの歌、演技は相変わらずとてもステキでした。役に対する真摯なお姿はいつもと変わらないです。でも、少し遠くを見過ぎかなぁと感じました。脚本からすると、確かに時空を超えなければならないのだと思いますが、その前に、もう少し深く傍にいるモーツァルトを嫉妬し、愛してほしいなぁと感じました。広田さんの歌を聴くたびに、「歌」は歌詞にある言葉だけではなく、もっと多くのことを伝えることが出来るのだと、歌の無限の可能性にいつも驚くのです。今回はちょっとそれが少ないかなぁと。歌の神様に愛されている広田さんのことですから、きっとこれからどんどん良くなると信じています。

モーツァルトへの思い入れが大きく、ミュージカル界への新風を期待した私にとって、「21C:マドモアゼル・モーツァルト」は作品としてはあまり好きではない結果しなってしまいましたが、音楽座の作品作りへの情熱や質の高い作品作りのためのシステムを素晴らしいと感じています。
これからも、音楽座の作品を楽しみにしていきたいと思っています。
「21C:マドモアゼル・モーツァルト」自体も、私が観劇したのはプレビュー公演を入れて5公演目。これからどんどん変化していくと思います。その変化も楽しみですね。

はあ~~~長くなりました。最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。