女のかぞえ唄 

2023-10-04 11:32:45 | Jポップス
吉 幾三


潮風乗って 港のカモメ

あの人 恋しいと 泣いている

日暮れ間近の女の宿に

泊まるは北の風と波の音

帰ってくるはず ないのにネ

窓に書きます罪ごころ 

漁火 灯台 女のかぞえ唄 

・・・・・・・・





「かぞえ唄」というのは、数を順に詠み込んだ歌謡のことです。

数と同じ音韻をもつことばを連ねてゆく形が多いですよね。

平安末期成立の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の「四句神歌(しくのかみうた)」に、「吹田(すいた)の御湯(みゆ)の次第は、一官(かん)二寺(じ)三安楽寺(あん

らくじ)、四には四王寺(しおうじ)五侍(さぶらい)六膳夫(ぜんふ)……」と、現福岡県筑紫野(ちくしの)市二日市(ふつかいち)温泉の入浴順序を歌ったものが

みえます。

しかし数え唄が広く流布するのは室町時代からで、柑子(こうじ)売りなどの物売りが売り物を手玉にとって歌い囃(はや)したり、門付(かどづけ)芸人の

祝賀的な歌の形として発展していきました。
 
数え唄は、いまでもおもに鞠(まり)つきやお手玉、縄とびなどの童唄(わらべうた)として歌われているが、かつてはむしろ大人の歌であり、

「一つとや一夜(ひとよ)明ければにぎやかで……」のように、歌舞伎(かぶき)の下座(げざ)音楽として今日まで伝わるものも多いようです。

江戸中期の天和(てんな)・貞享(じょうきょう)(1681~88)ごろ成立の上方(かみがた)唄『十二月(じゅうにつき)』は、月の名を詠み込んだ手鞠唄によるもので、

多分にバレ唄(破礼唄)的なところがある。数の増加に子孫繁栄の願いを暗示する祝福芸的傾向は、今日の酒席で歌われる春歌(しゅんか)にもみられる数え唄の特徴

の一つと言えるでしょう。
 
江戸後期から明治にかけての数え唄には、「一人(ひとり)来な二人(ふたり)来な見て来な寄って来な、いつ来てみても魚子(ななこ)の帯を矢の字に締めて……」

(羽根突き唄)、「一に橘(たちばな)二に杜若(かきつばた)三に下(さが)り藤(ふじ)四に獅子牡丹(ししぼたん)……」(お手玉唄)、「せっせっせ、一れつ談判破裂

て、日露戦争始まった……」(手拍(てう)ち唄)など種々の形式のものがあり、今日まで多少形を変えたり、創作されたりして歌い継がれているとのこと。



かぞえ唄

















































































この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 思い出のソレンツァラ | トップ | Evening Twist »
最新の画像もっと見る

Jポップス」カテゴリの最新記事