吉 幾三
潮風乗って 港のカモメ
あの人 恋しいと 泣いている
日暮れ間近の女の宿に
泊まるは北の風と波の音
帰ってくるはず ないのにネ
窓に書きます罪ごころ
漁火 灯台 女のかぞえ唄
・・・・・・・・
「かぞえ唄」というのは、数を順に詠み込んだ歌謡のことです。
数と同じ音韻をもつことばを連ねてゆく形が多いですよね。
平安末期成立の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の「四句神歌(しくのかみうた)」に、「吹田(すいた)の御湯(みゆ)の次第は、一官(かん)二寺(じ)三安楽寺(あん
らくじ)、四には四王寺(しおうじ)五侍(さぶらい)六膳夫(ぜんふ)……」と、現福岡県筑紫野(ちくしの)市二日市(ふつかいち)温泉の入浴順序を歌ったものが
みえます。
しかし数え唄が広く流布するのは室町時代からで、柑子(こうじ)売りなどの物売りが売り物を手玉にとって歌い囃(はや)したり、門付(かどづけ)芸人の
祝賀的な歌の形として発展していきました。
数え唄は、いまでもおもに鞠(まり)つきやお手玉、縄とびなどの童唄(わらべうた)として歌われているが、かつてはむしろ大人の歌であり、
「一つとや一夜(ひとよ)明ければにぎやかで……」のように、歌舞伎(かぶき)の下座(げざ)音楽として今日まで伝わるものも多いようです。
江戸中期の天和(てんな)・貞享(じょうきょう)(1681~88)ごろ成立の上方(かみがた)唄『十二月(じゅうにつき)』は、月の名を詠み込んだ手鞠唄によるもので、
多分にバレ唄(破礼唄)的なところがある。数の増加に子孫繁栄の願いを暗示する祝福芸的傾向は、今日の酒席で歌われる春歌(しゅんか)にもみられる数え唄の特徴
の一つと言えるでしょう。
江戸後期から明治にかけての数え唄には、「一人(ひとり)来な二人(ふたり)来な見て来な寄って来な、いつ来てみても魚子(ななこ)の帯を矢の字に締めて……」
(羽根突き唄)、「一に橘(たちばな)二に杜若(かきつばた)三に下(さが)り藤(ふじ)四に獅子牡丹(ししぼたん)……」(お手玉唄)、「せっせっせ、一れつ談判破裂
して、日露戦争始まった……」(手拍(てう)ち唄)など種々の形式のものがあり、今日まで多少形を変えたり、創作されたりして歌い継がれているとのこと。
かぞえ唄