平尾昌晃
貴女と歩いた あの道に
夜霧がつめたく 流れてた
何にもいわずに うつむいて
涙にぬれてた あの人よ
さよなら初恋 もう二度とは
かえらぬ貴女の おもいでを
淋しくせつなく 今日もまた
呼んでみたのさ 霧の中
貴女のやさしい ほほえみも
夜霧の向こうに 消えたのさ
星降るなぎさの くちづけも
今では悲しく 散った夢
さよなら初恋 もう一度
かえらぬ貴女と 知りながら
あの日の言葉が 忘られず
呼んでみたのさ 霧の中
呼んでみたのさ 霧の中
夜霧がつめたく 流れてた
何にもいわずに うつむいて
涙にぬれてた あの人よ
さよなら初恋 もう二度とは
かえらぬ貴女の おもいでを
淋しくせつなく 今日もまた
呼んでみたのさ 霧の中
貴女のやさしい ほほえみも
夜霧の向こうに 消えたのさ
星降るなぎさの くちづけも
今では悲しく 散った夢
さよなら初恋 もう一度
かえらぬ貴女と 知りながら
あの日の言葉が 忘られず
呼んでみたのさ 霧の中
呼んでみたのさ 霧の中
この曲は、水島哲の作詞、平尾昌章(のちの平尾昌晃)の作曲による楽曲で、平尾自身の歌唱によるシングルとして、1961年にキングレコードから
発売されました。
平尾昌章は、1950年代後半から1960年代前半にかけて日本の音楽シーンを彩ったロカビリーブームの立役者のひとりでした。
本作は、平尾のヒット曲「星は何でも知っている」の作詞者である水島哲の詞に平尾自身が作曲し、かつ歌唱も担当して1961年に発表。
平尾曰く、「発売当初の本作は「ミヨちゃん」の陰に隠れて全く売れなかったが、平尾がロカビリーブーム終焉の後、燻るように表舞台から遠ざかっていた
1965年頃、北海道のラジオ局・HBCラジオのDJだった三浦陽二が番組で流したことにより注目されたのです。」
同局のリクエストランキングでは、当時の最新ヒット曲だった加山雄三の「君といつまでも」、ビートルズの「イエスタデイ」、倍賞千恵子「さよならはダンスの後
に」を抑えて1位にまでなりました。
それに伴い、既に廃盤となっていた本作シングルは再プレスされ、北海道限定盤として発売、再プレス盤は3万枚を売り上げます。
この思いがけないヒットにより、平尾は久々に脚光を浴びるきっかけを得ることに。
その後、本作は渡辺プロダクション所属でキングレコードからデビューした新人歌手・布施明のシングルとしてレコーディングされ、1966年3月に
リリースされます。
布施はこの曲のヒットによりスター街道を歩むことになり、作曲者の平尾自身も歌手から作曲家へ本格的に転向することになるのです。