暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

窓から眺めていると

2017年04月19日 18時08分06秒 | 日常

 

外気の温度が9℃、10℃では外に出る気もせず、抗癌剤の副作用で冷たさに過度に敏感になっていて家の中でさえ手袋をして過ごすのだからよっぽどのことがなければいくら陽が射しているとはいえ出ることはない。 そんな中で居間やダイニングキッチンのガラス窓から大きな空を眺めていると春先であるから様々な鳥が屋根を掠め庭の上空を飛び回るのが眺められる。 今は寒いのであまり見られないがムクドリなのだろうか数百羽、数千羽が群れて海中のイワシの群れのように夕空を動き回るのがみられるのだがそれをよく見てみると大体二羽づつペアで塊となって飛び回っているのが分かる。 仮令鴎でものんびりと飛んでいると後から一羽が付いて来て同じ方向に同じように飛び去るのが見える。 それは今の時期だからだろうか。 そのうち巣に入り卵を産んで5月の中頃になると雛が孵るということになるのだろう。 こう書いていると窓の外1mのところのバルコニーの手すりの上に野鳩が二羽仲睦まじく止まってクルクルと鳴き声を立てている。

窓からそんな鳥たちを眺めていてふとオランダ語が一番最初に記録された文章のことを思い出した。 大体オランダ語で最初に書かれたテキストが紀元1100年あたりの次の文だと言われている。 日本では万葉仮名が紀元5世紀ごろと言われているのでそれに比べるとオランダでは随分遅いと思われるがそれはそれまで様々な言語が混ざった状態で書記ではラテン語が用いられていたから敢えて方言のような言葉を書かなかったということにも依るのだろうけれど兎に角初めての文章がベルギー北部フランダース地方のイギリス僧院でラテン語の写経に専念していた僧が筆の遊びにページの後ろの余白に書き込んだ巷に流布していたらしい恋の歌を書き留めたものと言われている。

Hebban olla vogala nestas hagunnan hinase hic anda thu, wat unbidan we nu?    これを現代オランダ語にすると Alle vogels zijn al aan het nestelen, behalve jij en ik; waar wachten we nog op?  あなたとわたしだけを除いて鳥たちはみんなつがいになって巣ごもりをしているというのに、わたしたちは何をまだ待ってるというの? というものだ。

自分はもう大方30年前に巣ごもりをし雛を孵し小鳥も成鳥になって巣を離れているからそんなつがいの鳥たちを眺めていても私たちはまだ何を待っているというの、といってももう待つものは子供たちが巣ごもりをして雛を孵すことぐらいしかない。

尚、鳥たちが仲睦まじく交歓しているのを観て思うことがあった。 大抵は雌がおっとりと枝や屋根に停まると雄が何かと雌の為に働きかけ興味を惹く仕草をするのが見られる。 動物の場合殆どがこのパターンで雄がかいがいしく雌に働きかけなければことが進まないようだ。 しばらく雄が忙しく雌の周りで動いていると雌がふとどこかに飛び去りそれを雄が追うというのが普通のパターンのようでそのようにして別のメスが煙突の上にどこかからか飛んできて止まりそこに雄が追ってくるのだ。 それを見ていて自分の場合どんなことをしたのだろうかと思い出してみようとするけれど、、、、。


小説 「Makkelijk Leven 」   を読む

2017年04月19日 17時13分42秒 | 読む

Makkelijk Leven  (苦労のない快適な生活)

Herman Koch 著

オランダ語  94頁 

2017年

CPNB 出版

ISBN 978 90 5965 411 2

 

本書は2017年度のオランダ読書週間に書店で2000円以上の書籍を買うと付録につけられる掌編小説である。 本書につけられたバーコードを駅でスキャンすると4月2日(日)には1日オランダ国鉄を乗り放題というような恒例の特典も付けられており電車を乗り継いでオランダを1日周遊するあいだに読んでしまえる体裁にもなっている。

 「時間は時として鳥のように飛び去り、また時には虫が這うように過ぎるが、人に関しては時の遅速に気付かないということが何事も上手く行っているということだ。」

 ツルゲーネフ; 「父と息子たち」 より   というような言葉が扉につけられている。

 

 

1. 問題があればそれについて考えることをせず無理に解決しようとはしない。 問題は考えなくとも屡々それ以前に解決しているものだ。

2. 他人を許すこと、自分を許すこと、自分を祝福せよ。

3. 時が解決してくれる。 一晩寝れば翌朝には既に幾分かは回復し、一週間後には何が問題だったか憶えていないほどになる。

4. 他人に干渉されそうなところを避ける事。 屡々文字通り問題が始まるときにそういう部分が現れる。

5. 問題のリストなど作るな。 リストに上がる様な重要なことなどはない。

6. 他人に影響し他人を変えようとするなかれ、それは自分自身についても同様である。

7. 自己の悪い性格が本当に悪いのかどうか問うてみよ。 その性格を抑えたときに自分の全人格が否定されるかどうか問うてみよ。

8. 何かが始まるまで待たないこと。 様々な可能性が全てかなたにあるという未来のことを考える事。

9. 満足した人であること。 満足できない者はとりわけ時間を無駄にする。

10.今日できることは明日までしないこと。 例えば、流しに洗い物を放っておいてもそれに罪悪感を感じることはない。

11.生きることは今から始まる。

 

上のリストは最終頁に載っている本作の主人公が出版した自己啓発本の目次でオランダでベストセラーになっただけではなくアメリカでも当たり世界中で4000万部売り上げたとされ、そのタイトルは「Easy Life」でありオランダ語の本書と同じタイトルである。 主人公はこのようなジャンルの作家ではあるけれど精神科医でもなく、自己啓発に関する何の学位ももっていない。 もう成人して結婚している二人の息子がおり長男夫婦はカナダに住んでいる。 主人公は長男の性格を退屈極まりない男だと断じ、次男を優柔不断で母親のいいなりであったけれど今は嫁のいいなりになっている凡庸な男だと思っている。次男がのちに結婚する彼女を初めてうちに連れてきた時には妻も自分もいい印象をもってはおらず、結婚してからも嫁は厳しく潔癖で何事も決めてかかり、こどもには色鉛筆は攻撃的な性格を育てると黒鉛筆しか与えず、テレビも見せず、喰い物は甘いものを与えず健康食品だけで育てるそんな嫁には諦め感をもっており、尻にひかれた次男を憐れみをもってみているけれど妻はそれ以上に嫁に敵愾心を抱いている。 だから孫が家に泊まりに来た時には色鉛筆とお菓子をふんだんに与えマクドナルドに連れて行き好きなものを腹一杯喰わせるようなこともする。 

主人公は自分は自分の性格を、飽きやすい性格で印税で買った黒のジャガーFXを妻に眉を顰めさせてからはオランダで著名な弁護士が乗るベントレーに気を引かれるような性格でもあるという。 着るものは妻のいいなりでテレビでサッカーを観るのが趣味である。 人生は上手くいっており自分の著書どおりだと感じているところから話は始まる。 オランダの中年以上の夫婦のように全てが自動操縦のように生活が流れていきその中でも最低限度の社交として誕生日のパーティーは重要で主人公も仕方なく従来のやり方で見知った人々を招き変わり映えのない話で時をすごす。 そんな時に次男夫婦が来るはずが嫁だけが遅れてきて玄関で涙ぐみ居間に通すのは他の客たちにも当惑の基になるので別室に連れて行き話を聴く。

眼が腫れていて次男に殴られたのだという。 家庭内暴力で初めてのことではないと聞かされ当惑する。 暴力は絶対悪であって次男には何の言い訳もいい分もない、ただ嫁の言いなりになっていた次男が暴力をふるうまでの夫婦間の経緯をここで一方的に判断することもできず、話は話として取敢えず聴き、後日次男と話すことを約してその日は収める。 パーティーの後妻に仔細をはなして後日次男とはなすことを約するけれど妻は次男の肩を持つ。

どのようにことを収めようかと思案するときに参考になるのは自分の著書でありそれに従うと急いではことを仕損じる、時間に解決させよ、他人を影響するようなことをするな、などの条項があるけれどそれには納得できないようなこともあり結局は中途半端にカフェーで次男と酒を飲みながら取り留めもない話をするけれど話を始めることはできず再度嫁とバーで会うことになる。 嫁の性格を厭っていたけれど同情心もあり話す態度が柔らかくそれを嫁が邪な心をもっていると採る。 説得途中で思わず手を重ねるとそこで嫁は主人公の眼は初めから邪な心をもっていたのだと言い募りそこを去る。 翌日次男が玄関に現れ主人公は鼻から血を流して気絶する。 その後次男夫婦はオーストラリアに移民として去ることになり、妻はカナダの長男夫婦のところに出かけ戻ってこない。

以上が粗筋でありオランダ語で本書を読むような日本人は多分いないだろうし、また本書が日本語に翻訳されることも考えられないので話の筋を上のように述べた。 本書は性格上重厚な文学でもナンセンスな軽薄本でもなく、どこにでもだれにでもあるような普通の生活の中に潜むことごとを掌編小説にしたもので、本書を読むものは初めから隅々に「アルアル感」を共有するだろう。 ドラマはあるにはあるが天地を揺るがすものでもなく、ましてや人の生き死ににかかわるものでもない。 主人公の自足した快適な生活が些細なことから瓦解するのは気の毒なことではあるけれどそれがどうした、という種類のものでもある。 世間ではこういうことは始終起こっていてとりわけ話にも登らない種類のものかもしれない。 それが読書週間の「オマケ本」という性格に甚だあったものであるのはこのジャンルに精通した作者の僥倖でもある。

作者の Herman Koch は現在64歳の作家・俳優・コメディアンで、我々には90年から10年以上テレビのユーモア・ドタバタ番組の三人組の穏やかな性格を演じる一人として広く知られている。 このような著書も多く、実際2013年には彼の著作がアメリカでベストセラーになりオランダでは未だかつてそこまでアメリカでベストセラー・リストの上位に登った作家はいないほどだと言われている。 

人生60年以上生きてきて多かれ少なかれその時々で自分の存在を危ぶませる気配や切っ掛けを感じることは誰にもあるだろう。 その一つの可能性が自分でものした自己啓発本でも救えないというようなシニカルなコメディーではあるが話の体裁としては何か月か経てば忘れてしまう種類のものではあり、電車で3時間もあれば楽しめる佳作とでも言えるものでもある。 尚、表紙のデザインもウイットに富んだものとして微笑ましいものといえるだろう。 一人取り残された主人公がどうなるのか、時が解決してくれるのかどうか、我々は自分たちの周り、自分の経験からしてどうなるのか幾通りにも想像でき、そこから自分で新たな話を紡いでいけるようでもある。


気分は向上しているのだが、、、

2017年04月18日 12時15分44秒 | 健康

 

2017年 4月 18日 (火) 外気10℃   抗癌剤療法第三期 6日目

昨日今日と別の抗副作用錠剤を飲んでいる。 抗癌剤の毒を2週間毎日朝晩と飲むのに合わせて副作用を調整するためだ。 一昨日が一日抗副作用錠剤を飲まなかったのでその日は頭が鬱陶しく気力も湧かなかったのだが昨日はそれがかなり戻って朝から普通に服を着替えて過ごしていた。 けれど今朝朝食を卵かけごはんと海苔、渋茶で摂ってからネットのモニターに向かっていると8時ごろに眠気が襲ってきて耐えきれず寝床にもどったら起こされるまで11時まで眠っていた。 家人が額に触れ熱があるようだからと耳に入れて測る体温計で診ると下にして寝ていた方の耳では38.5℃、 上になっていた方が37.3℃と値が違う。 念のため別の体温計で肛門の温度を測ると36.5℃とこれまたまちまちだ。 目覚めて頭がすっきりしているので服を着て普通に過ごすことにした。 この頭の具合は今期ではいちばんはっきりしているように感じる。 気力も出ているようだ。 これで外気が10℃でなければ散歩に行ってもいいと感じるぐらいだ。 一昨日家人と娘に一緒に近所を散歩することを勧められたがその気にはならず拒んで家の中にいた。 その時と今では明らかに気分が違うのが分かる。 

天気の変わり方が激しい。 30分ごとに景色が変わり暗くなり雨が降りそのうち雲が去って陽が射し青空が覗き雲が流れてまた灰色の世界に戻り、とせわしない。 以前の療養期にこういう気分が戻って陽射しが出たときには近くの公園を散歩したのだがそのときは外気も16℃ほどにはなっていたのだからそれからすると、実際、昔からオランダで言われているように「四月というのは気まぐれで自分のしたいようにどうにでもする」というのを実感する。 

梨の木には沢山花が咲き始めているのだが天気予報の言うように夜間氷点下になれば花が落ちる。 もしそうなるとこの何年かのように秋には2,3個だけしか実が生らないというような惨めな結果になるかもしれなく果樹園などでは夜間火を焚いて果樹の温度を保つようなことをする準備をしているとニュースでは言っていた。


四日目がいちばんキツイのかもしれない

2017年04月16日 20時48分17秒 | 健康

 

2017年 4月 16日 (日) 外気10℃

外は寒い。 昨日は気力があったので土曜の青空マーケットに出かけて散歩したり本屋や市立図書館で時間を過ごしたりジャズのライブを覗いたりしたのだが今日は外に出る気力がなく一日家の中でブラブラしていた。 そのブラブラは頭がすっきりしていて何もしないで家の中にいるポジティブなものではなく頭がボヤーッとして体がだるくベッドがいつもおいでおいでをして招いているような状態のブラブラだ。 だから7時半に朝の服毒を終えて暫くしていると眠気が襲ってきて8時にはベッドに潜りこみ11時にお茶だと言って家人に起こされるまで眠ってしまっていた。 その理由がわからなくもない。 

昨日までは抗癌剤の副作用予防のための薬を飲んでいたのだが徐々に慣れるために今日一日はそれがない。 だから今日は副作用がまともに襲ってきてこういう風になっているのだろう。 幸いなことに数多ある副作用のリストから自分の身の上に起こっているのはこの怠い様な感じだけで他には吐き気も腹具合も何も人がいうような悪いことはない。 だからただゾンビのように家の中をうろうろしていればいいわけでこれが自分の抗癌剤服用期で一番キツイ症状なのだ。 これぐらいだけなのだから不幸中の幸いとでも言わねばならないようなものだけれど怠いことは怠い。 明日からは二日ほど続けて別の抗副作用剤を飲むことになっているからそれからあとは徐々に正常に戻ることになるのは前の二期で経験済みだ。 26日には服毒期も終わり5月3日にアムステルダムの癌研に出向き担当医と会う。 そこで手術の日が知らされるかもしれない。 早ければ6月の初めになるのだろうけれどそれまでに、手術前にできれば日本に2週間ほど出かけたいのでそのことの可否をこの2,3日の間に担当医に訊ねるつもりだ。

先日どこかの庭にパンジーが群れて咲いていた。 昔漫画でみたどこかのオヤジのように見えてそのイメージが一度頭の中に坐ると髭を生やした怒ったオヤジの群れがこちらを眺めているようで花の写真にしては不穏な雰囲気を醸している。 このイメージを払拭する様なトリックはないものか。

 

 


クレラー・ミュラー美術館で印象に残った作品(続)

2017年04月16日 20時33分11秒 | 見る

 

 

今回この美術館に出かけて数多くの作家の作品群を眺めていて印象に残った作品をメモしている。 そこでは従来名の知れた作家の作品からその今まで持っていたイメージと違う印象をうけたものについて記している。 世界の美術・芸術に親しく接していてそれを時代・スタイル・作家の年代などから類型化して我々は記憶に残す。 例えばそれは単なる色でも印象を残しフェルメールの青なりボッティチェルリの肌色という風にも類型化される。 そんな中で抽象度の高い彫刻、インスタレーションが森に転々と配置されている中で壁掛けの馬の首のようにも見えるブロンズ像に惹かれた。 馬の首のようにみえるけれど写実ではなく目や鼻の空洞はデフォルメされ怪物や恐竜のようでもなく多分馬なのだろうと想像できる種類のものだ。  口の上の筒のような鼻孔の形に対する口に通じる蛙のような鼻筋や左右非対称の頬骨などに興味が行った。 タイトルと作家を示す芝生の上の小さなプレートをみて「動物の頭(1956) ヘンリー・ムーア」と書かれているのに少々の驚きを禁じ得なかった。 それはそこから10mほど離れた日当たりのいい芝生の上に横たわって両足をすこし上に上げている見るからに紛う方なきマイヨールの裸婦像があるからで、この頭からはヘンリー・ムーアが思い浮かばなかった。 ムーアはあちこちの美術館や野外で見るから彼の作品の「イメージ」がありここでそのイメージが裏切られた意外さに新鮮なものを感じるのだ。 ムーアのものをこの前に観たのは去年5月に大阪の御堂筋を歩いたときでそれを次のように記していた。

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65216637.html

それはヘンリー・ムーアの「二つに分断された人体」と題されたあまり大きくもない像で自分はその時それがムーアの作だとは初めに思わなかった。 ここでの動物の首と比べると分断された人体の鋭角的ではあるとはいえ端々の柔らかさにムーアの特徴が認められるのだろうが類型的に記憶していたムーアのものからは離れていたのだろう。 ここでの獣の頭はそれ自体で興味を惹くものでありそれがムーア作だというので自分の固定観念が覆された驚きと作家の中に在る一面を発見した喜びというようなものがあったのかもしれない。

我々は日常と非日常のあいだで生きている。 何らかの安定を求めその中でそれに慣れてくるとそのうち内外に差異を求め、親和力を感じたり逆に反発したりしてそこで生まれる感情の動きや「揺れ」に従い興味に添う。 多分芸術と娯楽の大きな違いは芸術では今迄既に在るものに安住せず興味の向くまま差異を求めて移動する運動にあるのだと思う。 芸術家でない我々は芸術家の営為を眺め彼らの興味、作業の結果を追い、或る形やそこにあるだろうと思われるものに親和力を感じ、それに慣れ、あるときに何かのきっかけでそこから離れていったりまた戻ったりする。 そのきっかけが創る者と観る者の対話の焦点なのだろうと思う。 ここで自分の驚きとなったのは今迄ムーアの人となりや思想を知ることなく眼前に現れた諸作品だけである種の親和力を感じていたけれどその眼前に置かれていた諸作品がある種のパターンを持ったイメージとしてそれがムーアの「売り」だったのだろうけれどここでは別の貌が見えてそれが自分の中のムーアのイメージから離れたものであっただけに戸惑いとなり、自分の持っていたムーアのイメージから離れてもそれ自体に好ましいものを認めそれが自分が既存で持っていたムーアのイメージを補強する好ましいものとして作用しているのを感じた。 

現代では書籍を始めネットで様々なイメージが簡単に求められる中、美術館の機能が著しく変化していることを感じることがある。 それぞれの美術館が美術館の「売り」として有名・無名の作家の作品を「買い(集め)」展示するとき、特に我々は有名な作家の作品に接するとその「良さ」のパターンを追い、他の美術館などの作品と比べ、それを記憶の中に留めその類型化、差異化で作家を理解しようとする。 商売でもある美術館が「集客力」を高めようとすると「有名作品」「将来有望作品」を買い展示するのが使命に沿っているのだろうが、それらのバイヤーは目利きたちのアドバイスを参考に財源である財布の口を緩めてもらいながらもその限度に従って欲しいものを手に入れるには学芸員の芸が肝心になるのだろう。 大美術館には集客力が高い有名作品が多くそれらは高価である。 制作当時の価値・値段は別としてもその価値・価格は現代の価値に従って貨幣価値にも置き換えられる。 或る作品群はその価値が限りなく高く貨幣価値となると膨大で値段がつけられなく,だから保険もかからないとも言われている。 それには多くがクラシックな作品であり、近・現代ではその価値の「発見・創造」によりゴッホが一番の「売り」となったことは天国かどこかでゴッホが喜んでいるかどうかは別として周知の事実ではある。 

自分の友人の一人は陶芸家で生前は、自分は泥から茶碗を創ってそれを一個300万ほどで売っている、詐欺師みたいなものだ、と笑っていた。 誰かがその価値を認め価格をつけそれを買う者がいてそれが値段である。  値段というのは厄介なものだ。 芸術的というものが付加価値となり値段という形に現れている。 美術館は美術商のギャラリーではないのでそれぞれには値札がついてはいないものの大抵は想像がつくものである。 あちこちの美術館で作品の脇につけられた名札の裏に値段がついていると思えばいい。

ヘンリー・ムーア作の「動物の頭」の像から妙に生臭い金のことになった。 何故こうなったのか自分でも分からない。 ムーアの「ムーアらしい」作品に比べて本作が安いとも思わないし「ムーアらしい」作品ばかり集めないでこういうものも「買った」ところにこの美術館の大きさを感じたからでもなさそうだ。 この間何年も前に盗まれていたゴッホの絵がイタリアのマフィアのもとから戻り、修理の後展示されたときに盗んだ者へのインタビューで何故あの絵だったのかと訊かれて、単に金になるからだと応えていたのが印象的だった。 ゴッホが生まれた田舎の村の寂れた鬱陶しい絵の裏にはいくらの値札がついていたのだろうか。 そこには「芸術」というものがどのように関わっているのかそれを想うと途方にくれそうになる。


抗がん剤治療第三期3日目;青空マーケットに行った

2017年04月15日 18時21分46秒 | 日常

 

2017年 4月 15日 (土)

外気10℃ 晴れ

前二期に比べて服毒期3日目にしては気力があるので外に出ることにした。 前回までは4日目頃までは副作用の微熱が効いて気分が優れず家にいて寝たり起きたりの日々だったのが第三期目となると同じことをやってもそこには慣れがでるのか目の周りが微熱で軽く酔ったような気分がするものの気力はあって、だから別段用もないのに青空マーケットを歩こうと外に出た。 この間まで20℃を越すこともあったのにこの週末から1週間は10℃を越すぐらいだと天気予報は言っているのでその準備をして自転車に乗った。 当然手袋はつけるけれど走り始めるとハンチング帽のつばの両端から二本の冷気が両頬に当たり頬に沿って流れそれが徐々に痺れから痛みに変わるのを知覚した。 こんな経験は生まれて初めてだ。 慌ててマフラーを巻いて顔の下半分を隠して何とかことを得た。 これは毎回第一日目に点滴で抗癌剤を注入してその後病院から外に出るときにしたことと同じで多分外気20℃ほどであればこんな反応はなかったのだろうが外気10℃だと自転車に乗ると皮膚感覚では2度ほどは下がるからそれがこのような反応となったのだろう。

マーケットの端で自転車を駐めマフラーをはずして手袋のまま本屋を覗いたりマーケットの屋台を見て回りムール貝の揚げたのを歩きながら喰い、市立図書館に入って新聞を読んだ。 金日成生誕150年で北朝鮮が核実験を行いそれに対してアメリカが自衛のためにロケットを飛ばすというシナリオの西部劇のにらみ合いが今行われているのだそうだ。 金日成の孫が読めない、急にシリアを爆撃するようなトランプが艦隊をアジアに向ける先が読めないという不確定要素が満載のにらみ合いであるから緊張が走り、その間で中国が北朝鮮を弄びあぐねながらもこのカードを使って優位に立つなかで北朝鮮のもつロケット攻撃可能射程距離にはきっちり日本は入っている。 それだけなら周知のことでアメリカもどうということもないのだが北朝鮮のロケットの射程がカリフォルニアまで伸びるとペンタゴンの将軍は、ことが起こったらこちらの攻撃で北朝鮮の大部分は破壊できるけれどロケットのすべては掃討できるわけではないからかなりの数が韓国、日本に向けて発射されるだろうという。 

そんなことを読んでいるともう80を越すかというような老婦人が突然自分の鼻先に来て、あなたは私を存じないかもしれないけれどあなたの奥さんとは読書クラブの仲間で何回かお宅で会を開いているのにその時は大抵あなたは射撃クラブにいて顔を合わすことはないけどあなたのことは奥さんから聞いている、お加減はどうか、と挨拶された。 周りの新聞や雑誌を読んでいる老人たちに悪いのでひそひそ声で経過を話していると、あなたはご存じないかもしれないけれど私はあなたの義弟と一緒の大学病院の胃腸検査室で40年働いていた、という。 あんな男とよく一緒に仕事ができたですね、というと、周りから私たちは仲の悪い夫婦みたいだと言われていたと笑って自分の新聞に戻って行った。 

喫茶部でミント・ティーを求め盆に乗せて上階の開架図書部に行こうとすると隣町に住んでいる自分とほぼ同年配の日本女性に会った。 この人とはもう25年ほど半年に一度あるかないかあちこちで顔を合わせ殆ど立ち話で済ませるのだが昔名前を一度聞いたきりでその後忘れたままでことを済ませている。 近況を尋ねられたので簡単に先ほど老婦人に話したことをまた繰り返すのも何なのでこのブログのアドレスを知らせて読後コメントを呉れるように頼んで別れた。 上階の開架図書部で空いたテーブルを探してコートを脱ぎ椅子の背に掛けて静かな午後読みかけの本を書架から持ってきてミント茶でムール貝の脂を漱ぎつつ読んだ。 イタリアに住むオランダ人の作家のアフリカから押し寄せる避難民の問題をエッセーにしたものでこの間その作家の小説を買ったのだがまだ初めの章しか読まず図書館の短いエッセー集をここに散歩がてらに来るたびに一章づつ読んでいる。 

1時間ほどここにいてスーパーで買い物をする前に図書館の斜め向かいにあるジャズカフェーの土曜ライブを覗こうと陽の陰った少々寒い表に出るとそんな寒さでもカフェーの前のテラスで中年男女が寒そうにワイングラスを傾けている。 ドアの前には二三人の娘がタバコをふかしていてそこを分けて中に入るとかなりの客がいた。 若いギタートリオがスタンダード曲を演っていたのだが音大で訓練されたと思われる技術は持っているけれどフェンダー・ストラスキャスターでエフェクトをかけてロックトーンにした音色は普通元気なら落ち着いて聴くのだろうが今の病人では辛抱が続かないので10分ほどしてそこを出た。 セミ・アコ―スティックでエフェクトなしのストレートな音色ならもう少しいたかもしれない。 家を出る前にYou Tubeでこのバンドのものを何曲か聴いていたので惜しくはなかった。

広場に駐めた自転車に戻るとき青空市場のモロッコ青物屋で50セントのミントの束を一つだけ買った。 スーパーでは朝食のジャムとローストビーフ、セロリのサラダ、日本のオカキにジュースを買いマフラーをまた顔に巻いて自転車を漕いだ。 真冬でもこんな風に顔を覆ったことはないので妙な感じがする。 スーパーを出るとき周りの眼がこちらを一瞬見るのが分かる。 それは病院に入るときに同じようにマフラーを巻いた病人が出てくるのを観た時の反応と同じだ。 すぐに相手が抗癌剤治療中だということが自分には分かるし周りからすると少々異常に映るからだ。

夕食には美味いステーキがハーブや野菜を混ぜたクスクスと一緒に出てステーキを100gほど食べた。 薬の副作用で唯一プラスになっているのが味覚が鋭くなるということだ。 量は減るけれど質が高まるというのは悪くない。 殊に朝食の量を保つのがローストビーフの薄切りとジャム、濃いミルクティーである。 マイナスの副作用がなく喰えるというのは嬉しいことだ。 手術後は胃がなくなって暫くは苦労するのが分かっているからこれも今のうちでしか味わえないものとして心しなければならない。

 


抗癌剤点滴の前に国立古代博物館に行った

2017年04月14日 12時48分36秒 | 日常

 

2017年 4月 13日 (木)

午前中に大学病院で午後からの点滴に必要な検査の為血液検査の血をとり、その後10時半から癌専門医と面接で前日アムステルダム癌研AVLでの話し合いで6月に手術が行えること、それまでの日程と変更になる可能性があればそれはどういう点なのかということなどを説明され喜んだのだが、その報告がこのライデン大学病院の医師に届いていてそれを基に話し合いが進んだのだった。 40分ほど面接をして多分これで手術前には最後になるだろうと思われる抗癌剤治療の第1日目の点滴まで3時間以上あるので付き添いの娘と歩いて町に出ることにした。 ライデン国立民族学博物館、フォン・シーボルトハウスでは日本関係の文物の展覧会がよくあるのでそれでも見ようと思ったからだ。 民俗学博物館のクール・ジャパンと題された展覧会が翌日がオープンで観られないからフォン・シーボルトハウスに行ったのだが神社にかかった絵馬ばかりの展示会なのであまり興味ももてずその向かい側にあるオランダ国立古代博物館に行くことにした。 29年間大学で働いていて仕事の時はほぼ毎日この前を自転車で走っていて辺りは眼を瞑っていても分かるところなのだがおかしなことにここに入ったことは唯一度、市民大学の何かのパーティーで入口を入ったすぐの広いホールで石造りの神殿を眺めながら飲み食いしただけだ。 中には未だ入ったことが無かった。 ギリシャ、ローマ、エジプト、中東の古代文物が中心で興味の無いことはないのだがいつでも見られる、というような意識が敢えて出かけるということにならなかったのだと思う、実際今日にしても既に二つ日本関係のものをパスしてここに来ているのだから。 時間つぶしなのだ。

中はかなり賑やかだった。 時節柄か小学生たちのグループが多かった。 それに「エジプトの女王たち展」があって中年以上の女性の姿が多かった。自分には特に取り立てて観たいというものはなかったのだが今から3000年前の物が目の前に在る、というのが不思議でもあるし様々な像、書画、器物を眺めていると古代の人が近づいて来るような気分になる。  エジプトの石像の顔貌はすでに見知ったもので特に新しいものではないけれど時代が下がってギリシャや中東との接触からヘレニズムのものがいろいろ出てくると顔貌が変化して俄然おもしろいものが見えてくる。

古墳の石棺、その置かれていた部屋のようすが実際に窺え、その中に入ってみると装飾、歴史、由来がエジプト象形文字でびっしりと上下左右に詰まった空間に圧倒される。 だからその近くに展示されていた象形文字を解読したシャンポリオンの学習ノートがあってそれをみると彼がそんな世界を読み取っていく興奮が見えてくるようだった。 つまりそこに埋葬されている貴人の世界が地下深く永劫に闇の世界で続くという事を示している。 奇妙なことに死後の世界から戻る可能性も含んでそのように処理されているけれど実際的には彼らは生き返ることを信じてはいなかったのではないか。 地下深く闇の世界からどのように現実世界に戻るのか、生まれ変わるのか、誰かに憑依するのか、そのところは自分には辛抱がなく説明の文字を追う気力が今はない。 だから親しみやすい小さな像に惹かれてそういうものにカメラを向ける。

明らかにエジプトだけではないギリシャ、ビザンチン様式の影響を受けたと思われる顔貌の4人がワニを運んでいる。 説明には ワニのレリーフ、紀元4,5世紀、石灰岩とある。 ナイル川氾濫の時のものを写したものと思われ、建造物の装飾の目的で彫られたものらしい、と記されている。

ワニは他にも神の化身でエジプトの帽子を被った人間の顔をして這うワニもあり、また幾つもあるミイラの内、犬、猫、鳥などに加えてワニのミイラもあってそれをCTスキャンした映像も動かして内部までも見られるようになっている。 彼らにとってワニは身近なものであるのだがこういうワニを男たちが運んでどうするつもりだったのだろうか。 東南アジアで喰われているように食用にしていなかったのだろうか。 ガイドがいれば訊くのだが今日は子供たちが辺りを走り回り係り員たちも忙しそうだったしそこまで訊く気力もない。 子供たちが辺りを忙しく手に持ったプリントを頼りに与えられた質問に答えるべく展示番号を探してはあった、なかった、などとゆっくりものを眺めず走っていくのが面白かった。 ミイラのところではCTスキャンの像を上下左右に動かしながら目の前のミイラと見比べ何がどうなのか突然怖いと行って逃げて行く歯の抜けた少女もいた。 彼らの頭の中の死というものと自分の中の近い死というものではどちらかというと自分はこのミイラに近いし子供たちには抽象のせかいでしかない。 ここに在るミイラたちは自分の大先輩なのだ。 死後の世界への土産物をどっさり見てそれらを面白く思うし逆に現代人の死生観を想像すると「あの世」へ持っていく物は思い出はべつとして物では今は圧倒的に少ないように思う。 大富豪でも精々大きな墓石ぐらいを立てて小さなものを棺に入れるとしてもここの物とは比較にはならない。 それは現代の貴人たちは死後の世界を信じないのかたとえあってもそれはどうということはない、と考えているからなのだろうか。 そういう意味では現代人の死後というのは甚だ味気ないもののような気がして、霊園のびっしり並んだ50cmほどの立方体の中に骨壺を入れてそれで永代供養にするのだからそれは高層アパートの縮小版でしかない。 だからそれに嫌気をさす人は空中や海中に灰を撒くということをするのだろう。 それに自分の2、3代あとの子孫が供養してくれるなどほとんどだれも信じていないし現実的に現代の核家族では代が変わると同じ先祖代々の家にもどるなど全く例外的になっていることを知っている。 古代人に比べると現代人には自分の40年ほど先も危いものとみて永劫の未来など考えられないしほぼ存在しないのだろう。

エジプトの王女たち、という展示は自分には興味がなく年寄りたちの後ろを通り抜けて眺めただけだった。 けれど2時間半ほどでエジプトだけを観てギリシャ、ローマ、中東などの膨大ともいえる収蔵物を見ることが出来なかった。 次にここに来ることがあるのかどうか思案しながら建物を出て近くの古いカフェーでオムレツと水で昼食にして病院に戻った。

時間通り2時半に点滴を始めた。 初めての若い看護婦に左腕の前回より上部に針を入れてくれるように頼んだら上手に針を入れ例の通り抗癌剤の副作用止めを始めに注入してから20分ほどで抗癌剤とグリセリンを別々にいくつかの袋から点滴を始め1時間半ほどで終わり最後に洗浄の液を10分ほど注入して手術前最後の点滴を終えた。 義弟に電話をして家まで車で送ってくれるよう頼んだら玄関で待っていたら我々の後ろから段ボールの箱を畳んだものをいくつも抱えて出てきた。 彼の娘婿が病院の資材管理をしているのでそこでもらって来たのだという。 義弟も4階の胃腸検査室で働いている。 ここには近しい親戚の者が4人働いている。 朝の血液採取のときに血を採ってもらったオバサン看護婦から医学生の時注射の実習を受けたと娘が言っていた。 

うちに戻ると毎回の最初に出る副作用がはっきり現れてきた。 金属に限らず木でも触れるものが冷たく手袋をして過ごした。 一週間は続き徐々に弱くなるけれどこれは毎回のことだ。 8時を廻ると視界が狭まるようで酒に酔ったような視界の動き方がした。 これから4,5日鬱陶しい日が続くけれど天気もそのようらしいから家の中でパジャマのままで過ごそうと思う。


クレラー・ミュラー美術館で印象に残った作品

2017年04月13日 21時09分12秒 | 見る

 

 

今回クレラー・ミュラー美術館で印象に残った作品の幾つかをメモに残す。

この37年で4回ぐらいはここに来ていてその度に印象に残った作品が数々ある。 最初はやはりゴッホの作品群だった。 アムステダムのゴッホ美術館でも大量に観ているけれどその環境が観る者にとって最良のものと言えずよっぽど静かでなければもうそこに行くことはないと思っているけれどそれは作品に依るのではなくその展示方法と世界から押し寄せるあまりにも多い観客に圧倒されるからだ。 

今回ゴッホに関しては「耕作地の花とバラによる静物(1886-1887)」と題された花の絵が印象に残った。 ゴッホの特徴がここには殆ど見られることなく17世紀のオランダ絵画にみられるようなバラの雰囲気が下部に、20世紀になっても続くような印象派の様子が上部耕作地の花にみられ、当時にしてみるとこれなら売れるのではないかという感じもするけれどそうなるとちょっとしたその頃の画家なら誰でも出来そうで、これなら小市民の家の居間を飾る絵画には成り得ても芸術意識をもった中産階級の食指に訴えるかどうかそれが問題のようにも感じるのだ。 結局これも当時売れなかったのだ。 2017年に生きる我々はゴッホが世界中の美術愛好家を引き寄せる存在であることを承知し、そんな眼で彼の特徴ある絵の印象をもって眺めるのだがその眼を暫くどこかに預けて置いて19世紀の小市民の眼で判断するならこの彼の作品を買おうという気になるかどうか、そういう意味では生涯売れなかった彼の絵画のなかでは一般に売れそうな作品として目の前にあるのではないか。 ただそれが現在の我々にはゴッホの作品というお墨付きがなければ見過ごしそうになる種類のものであり、そうであるからこそ本作が館内で他の印象派の作家たちの作品からゴッホの作品群に導く回廊にさりげなく飾られている展示者の意図も測られるというものだ。

今回行ったり来たりして観た中で最も印象に残ったのがルドン作キュクロープスだった。 この作品については下の解説が詳しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%B9_(%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B3)

美女を覗く巨大な怪物はつぶらな一つ目で、同様な巨人が背景に現れる例としてゴヤの巨人があるけれどその印象がまるで違うのはモチーフがそもそも違うのだからそれは当然のことであるのはいうまでもないけれどここでは絵の前に立つ我々は美女の驚きというより一つ目に惹かれこの巨大な怪物の美女を眺める内面に入り当惑するようでもある姿に親和性を示すことになるのではないか。 いわゆる「美女と野獣」とも一味違うようなものであり、それはひとえに一つ目の表情から来るものだろう。 けれどその顔、表情自体はどちらかというと稚拙なものであり絵画全体の芸術的処理、当時の美術・芸術界の緊張からも外れた奇妙な感情をもたらすものだ。 それはゴヤの巨人が野獣というより人間を巨大化し人間的な憤怒の情を感じさせるものとの対比ができる種類のものであるし、またその絵画全体が当時の社会・政治的な緊張を反映した重厚な芸術として受け入れられた作品でもあるという違いもある。 

6年ほど前に地元の作家から買った絵がありそれもこの二作に通じるようなものがあるのかもしれないとふと思った。 眼がないような主人公にどこか親和性を感じることからこれが今回ルドン作のキュクロープスの前を何回も行ったり来たりさせるもととなっていたのかもしれないとも思った。 

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62222450.html


手術することになった

2017年04月12日 21時28分27秒 | 健康

 

アムステルダムの癌研AVLに出かけ一昨日のCTスキャンの結果と自分の体調などが検討され、胃癌と胃癌から腹膜に転移した癌細胞を除去する研究に試験的研究対象として参加できると担当医師から伝えられた。 その結果明日から始まる抗癌剤治療の第三期3週間が手術前の最後の抗癌剤治療期間となる。 その後CTスキャンなどの再検査があり解毒期を4週間から6週間経て癌を含む胃の切除、同時に抗癌剤を使って腹膜の洗浄というプロジェクトのハイライトとでもいうべき手術が行われることになる。 

癌専門の担当医師、手術時の執刀医の二人を含め40分ほど面談し検査の結果、体調の状態、プロジェクトの内容と自分はその中でどの位置にあり、手術を含めプロジェクトがどのように執行されるのか、またそのリスクとその可能性の詳細などが質疑応対の形で行われ、これで今までの漠然とした観測的希望が実現するという確信を得て一応の安堵を得た。 何らかの原因で手術不可能との回答があっても何も言えないところが予想より早く手術が行われるというのが朗報となった。 それは自分の健康状態が良好であることによっていると知らされ嬉しく思った。 大方の予想はあと2期抗癌剤療法のあと検討されるがその時には何の保証もなくどうなることかと思案していたのがこんな早い時期の手術と知らされて嬉しい限りだ。 手術日の揺れはあっても6月の初めか中頃には手術されることは確かであるから取敢えずこれで最初の関門を突破したということになる。 詳細は後日徐々にはっきりしてくるので今日は手術できるというところで喜んでおこうと思う。

明日の抗癌剤点滴の前に解毒期4-6週間の間に2週間ほど日本に帰れるか否かを尋ねてみようと思う。 


天気がいいうちにちょっとは運動しておこう

2017年04月11日 18時04分14秒 | 日常

2017年 4月 11日 (火) 

抗癌剤治療が続く毎日、三週間の最後の一週間は解毒期間でこの時は気分も体調も普通に戻る。 だからこの時期に天気が良ければできるだけ外に出るようにしている。 それは多少とも体力を付けておいて更なる抗癌剤治療と来るべく手術のためだ。 

このところポカポカと天気がいい日が続いている。 けれど気温は平年並みの14℃ほどで留まり北西の風も吹いている。 この間は家の周りを2kmとか4kmとかを歩いたけれど今日は自転車でのんびり見知ったコースを行くことにした。 牧草地にはこの時期の野鳥がいるかもしれないという期待もあったのだがそれは大して叶わなかった。

 今の時期に kievit (タゲリ)が巣の中で卵を孵していてその上空を雄が外敵から巣への注意をそらすために飛び回り攻撃したり他の場所に誘導するような行動をとったりとその鳴き声と共に牧草地では一際眼につく野鳥であるのだが、タゲリの卵が先日ナショナルニュースになっていた。 中世からタゲリの卵を一番先に見つけたものは国王に献上するという伝統があり、この卵を採るべく争って一番を競うもので今年は3月の9日にユトレヒト州で見つかったとの報告がある。 自然保護団体、EUの環境省などから止めるよう勧告があったものの厳しい条件をつけて許可している州もありこれも狩猟の是非を巡る議論と並ぶものである。 そんな厳しい規制のなかでその競技に参加できるのは団体に登録されたメンバーで捕獲すればすぐに携帯で組織に日時、場所を詳しく報告すること、捕獲の個数が決められていること、この規制によりタゲリの数が絶滅種にならないよう監視できると考えられているとのことだ。 実際この何年かで多くの州が全面禁止を決めている。 そんな中、今年は一挙に卵が各地から消えていることが観測され、その捕獲方法、処理が計画的、組織的であることから誰が何のためにこのような「犯罪」を犯しているのか戸惑っている、というのだ。 この卵に関しては長年の伝統があり今更乱獲の必要もなく卵の需要が急に増えたということも考えられなく、外国人が乱獲して他国の需要を満たすためにしたものだろうという声もある。 旧東欧諸国のものだろう、中国人だろう、というのがすぐ頭に上るのは今までにそういうことがあったからだ。 何年も前に鉄道から銅線が多く消えてダイヤが乱れたことがあった。 組織的に取り外され中国の需要を満たすためだと言われていた。 今回もそれだというものがいる。 けれどなぜそんな卵が特に望まれるのだろうか。 去年はこの辺りを通った時には何羽も頭の上を掠めて喧しかったものが今年はまだ数が少ないようで3,4羽ぐらいしか見なかった。 

今日牧草地の水路で見たのが scholekster (ミヤコドリ)だった。 赤く長い嘴に体の上部、羽根が黒、腹が白というごく普通の鳥だが自分には今年初めて見たことになる。

2月の中頃に通った牧草地に中を走る幅が2.5mほどの自転車道はまだアスファルトの匂いが新鮮で轍のあとがついていない黒い出来立ての道だった。 これからサイクリングの人数が格段に増えることを見越して新しくしたのだろうが前に通った時には途中で前から来る自転車と行き会ったけれど道にデコボコがあったり荒れているというような記憶はなかったのにいずれにしても広い道なら問題がなくともこんな狭い所ではたとえ小さなでこぼこや割れ目であっても危ないことになるのだからこのようにちゃんと舗装がされているというのは充分な配慮であり流石自転車の国だという思いがする。

酪農農家がならぶ古い村の通りをいくと自家製のチーズやバター、自家製のアイスクリームを売っている農家があって前回2月にはまだ店開きはしていなかったものの今日は農家の前に旗が立っているのが見えたので喉の渇きを癒すのにバニラアイスを一つ買い裏庭に出てベンチに座り日向ぼっこをしながら甘いアイスクリームを舐めながら前に広がる牧草地を眺めた。 もう乳牛を牧草地に出す時期なのに今日走ったコースでは牛の姿を見ることは稀だった。 ここ何年かはこんな季節でも乳牛を牛舎から出さず飼料と干し草で牛乳の量を増やす農家が増えていて偶には外に出すことはあっても嘗てのようにはならない、と聞いた。 牛乳ではそうだがとりわけチーズなどでは青草や野草を喰わせて良質のチーズを作り付加価値で収入を増やすというのがトレンドだと思っていたのだが大勢はとにかく大量生産というのが農家の厳しい現実のようだ。 けれどこの村の何軒かは自然食団体と提携してそのように創っているとのボードがそんな農家の前に出ていてその製品も隣村にある物産直売所で生産者名・製品明細とともに並べられている。

2,3キロも真っすぐ続く田舎の一本道を走るのは気持ちがいいけれどそれも風向きに依る。 天気はいいけれど少々強い北西の風の午後では田舎を大きくぐるっと回るのに半分は追い風半分は向かい風という具合で追い風の時はまるで電動自転車を走らせているような気分になる。 それが幸いなことに2,3キロも続く真っすぐな一本道だった。 追い風の時は変速機のシフトを一番遅いものにしてゆっくり走ったけれど戻りの4分の1ほどは向かい風と言っても並木で風が大分弱くなっていたので楽だった。

あちこちでブラブラと休み休み行ったから21.5kmを2時間半ほどで走っていたことになる。 明日はまたアムステルダムの癌研に出かけ昨日のCTスキャンの結果と抗癌剤治療の中間報告を受ける。