暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

日曜の散歩

2017年04月30日 21時48分14秒 | 日常

 

2017年 4月 30日 (日)

週末に娘がナイメヘンからやってきて泊まっていた。 医者のひよこでもあるので家人の求めで出来るだけ週末には父親を観察して意見を知りたいということと家人は今日は気温が17度まで上がって春らしい天気になるので町のウオーキングクラブの連中と近郊を15kmほど歩く予定をしていたので自分の御守りを娘に頼んでいたのだった。 抗癌剤服用期が過ぎ体調がほぼ普通に戻っているとはいえ何が起こるか分からないという心配からこういうお守が必要だと思っている節がある。 娘は精神医療が専門ではあるけれど家庭医の資格もあるので癌患者が身内にいて気分が引き締まっている様子もうかがえる。 これに加えて彼女には今二人の祖母がほぼ同時に終末期を迎えているのを経験していることにもなる。

あと10日で大阪に発ち12日ほどいて戻る、戻ってから検査があって5月の末に手術があるというのが大まかな予定で、大阪の介護老人住宅に住む老母の様子も悪いから娘と息子がこれが多分最後になるからと自分に同行する。 航空チケットも宿泊も予約はもう取れている。 家人は自分の母親の様子が怪しいのでオランダに残る。 我々が大阪にいる間にオランダの姑にもしものことがあっても帰らない、我々が大阪にいる間に自分の老母にもしものことがあってもオランダの家人は大阪には来ない、我々がオランダに戻ってから自分の老母にもしものことがあっても自分には手術があり、術後は半年はちゃんと動けないような様子なので大阪に戻れるようになるのは来年の正月辺りになるだろうと見越しそのように大まかな予定はできている。 

火曜日にはオランダの義兄弟たちを呼んでうちで一緒に昼飯を喰う予定で、そこで日本側のことは別としてオランダ側でこれから予想されることを話し、決められることは決めることになっている。 つまり姑は宗教的な縛りがあるから安楽死はできないがそれに準じる「生きることを終わりにする」ことを姑は医師に求めているのでそれについての子どもたちの具体的な対処、態度を決めるということだ。 自分の老母はもうほぼ自分が誰だか分からないようだけれどオランダの姑は意識は透明ガラスの切り口のように鋭い。 明日姑に日本に発つ前のあいさつにいく。 これが最期になるかもしれない。

マフラーをしていると暑く、コートもジッパーをせずデイパックで町なかを目指して歩いた。 三日前とほど同じコースだが日本に行く土産をスーパーで買うために娘も自分もデイパックを背負って出かけた。 日本にはほぼ何でもあるのでオランダのものを持っていっても有難味がない。 だからこの30年いつも同じでコーヒーの粉のパックにオランダの飴、球根ぐらいだ。 でもそれぞれ10個以上買うとなると嵩が高く少々重いから大きめのデイパックもいるというわけだ。 それにスーパーに行くのだから牛乳やジュースのパックを幾つか買うとかなり背中がどっしりとなる。 市役所裏のライン川沿いに日曜の青空マーケットが出ていて地元のチーズや地鶏を沢山ローストしている屋台が出ていてちょっと驚いた。 日曜だからのんびりしたもので土曜なら賑やかだからこれほど鶏を焼いても売れるだろうに今日中に売れるだろうかと要らぬ心配をした。 健康なら小さいものを幾つか立ち食いもするのだが今はそれも出来ず匂いだけで我慢する。 

古い公式計量所を改造したカフェーで昼食にした。 それが済んで近くの美術ギャラリーを覗いてまた来た道をのんびり引き返したら2時半になっていた。 娘とのんびり歩きながら色々なことを話しているともう子供ではないとはっきり思った。 娘が25の今、やっと自分は娘離れができたと思った。 汗ばんで荷物を肩から降ろし距離を測ると6.5km歩いたことになっていた。