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キング・コング (1976);観た映画、 July  ’14

2014年07月30日 19時46分08秒 | 見る
 

キング・コング (1976)

 

134分

 

 
 怪獣映画の古典をイタリアの製作者ディノ・デ・ラウレンティスが巨費を投じてリメイク。旧作のようなモデル・アニメーションにこだわりさえしなければ、ヌイグルミのコング(特殊メイクアップ・アーティストのリック・ベイカー自らが演じる)というのは質感・力感の表現に長けており悪い選択ではないのだが、いかんせんドラマの展開が平板なのと視覚的な見せ場に欠けるのとで内容空疎な作品に終っている。機械仕掛けで作動する実物大のコングのロボットが製作当時話題になったが、本編ではほんのわずかの登場で、あれが単なるデモンストレーション用にしか過ぎなかったと知らされたのは映画を観終わった後であった。調査隊の給仕としてジョン・ローンがチラリと出演。

 以上が映画データベースの記述である。

キング・コングを初めて見たのはいつごろだったのだろうか。 多分1960年代だったに違いない。 だからそれはオリジナルと言うべき「キング・コング(1933)」であり東京オリンピックの際に買った白黒テレビの画面で観たそのときの衝動と感動は忘れられるものではない。 モノクロであるがゆえに却って想像力が湧き昭和8年当時の特撮力に驚いたものだ。 そのころ観たテレビの円谷プロ制作作品とはこれほど時代を隔てているのに映画的真実の差には子供ながら雲泥の差があると感じていた。 また恐竜達との戦い、エンパイアー・ステートビルの頂上で片手でぶら下がり複葉機の射撃を撃破し墜落していくコングには同情しつつ当時の子供には美女と野獣の意味もよく理解しなかったもののコングへの思いいれは充分に湧いた。 その後本作をいつごろか、多分80年代に見ていたかもしれない。 オリジナルの印象があまり強かったのでその時はデータベースの記述にほぼ沿った印象をもったのだろうと思う。 だからその後「キング・コング(2005)」でナオミ・ワッツ、「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディの出演作を観たとき、これは前作よりははるかにいい、と思ったのはそのテンポと特撮、CGの効果に依っているとみたのだが基本的にどれもオリジナルの話のバリエーションでもあり、そのときにも1933年作が作る方、観る方の両方に定本としてあった。 いずれにせよオリジナルを越える作品を作るのが如何に難しいか垣間見えるようだ。

興味深いのは30年以上前に本作を観たときに比べるとこの間、出演者たちの諸作を眼にしているので彼らを微笑ましく見ることができたことは本作品の出来にはかかわらないものだけれどこれが映画の瑕疵、稚拙さを充分カバーして上記の破れ目を覆うのに充分だったと感じた。  ジェシカ・ラングの出演作を幾つか観ているけれどこれほど瑞々しくコケティッシュなものは観た事がない、と思ったら本作がデビューだったのだ。 2005年のナオミ・ワッツに比べると遥かに情緒的、エロスが感じられ明らかにマリリン・モンローが底に見える。 今本作を観るとあちこちに70年代が見える。 それにスティーブ・マーティンの「ロンリー・ガイ(1983)」などで奇妙な可笑し味をかもし出すチャールズ・グローディンをみるのも面白かったし、味のある悪役をこなすエド・ローターがここでは普通に船員として演技し、橋代わりの大木をコングに振り回され奈落に堕ちて絶えるというのもあっけなかった。 ジェフ・ブリッジスに関しては今更いうことがない。

今本作を観て奇妙に思うのは衝撃の映像でこの10年世界の動きを変えた9・11の今は無いワールド・トレード・センターのツインタワーが本作ではオリジナルのエンパイヤー・ステート・ビルディングにとって代わって当代第一の建築物としてコングのよじ登る記念塔になっている事だ。 いくつものショットには今は無い建物の面影を現し、ツインタワーの崩壊直後アポカリプス的映像となった建物の骨組みの様子が整ったかたちでコングを見上げる警察隊、軍隊を集めた広場の後ろに垂直の幾何学模様として見えるのは奇妙な感覚だ。 キングコングというのはこれから先もその時代時代の雰囲気を留めながらバリエーションを変えながら作られていくクラシック・ストーリーなのだ。


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