暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

故郷(ふるさと)への長い道/スター・トレック4(1986);観た映画、June ’13

2013年06月08日 11時24分52秒 | 日常

故郷(ふるさと)への長い道/スター・トレック4    (1986)

原題;   STAR TREK IV: THE VOYAGE HOME
邦題;   スター・トレック4/ 故郷への長い道

119分

監督:   レナード・ニモイ
原作:   ジーン・ロッデンベリー
原案:   ハーヴ・ベネット、  レナード・ニモイ
脚本: ハーヴ・ベネット

出演:
ウィリアム・シャトナー     ジェームズ・T・カーク提督
レナード・ニモイ        ミスター・スポック
デフォレスト・ケリー       ドクター・マッコイ
ジェームズ・ドゥーアン     モンゴメリー・スコット
ジョージ・タケ        スールー
ニシェル・ニコルス      ウフーラ
ウォルター・コーニッグ     パーヴェル・チェコフ
キャサリン・ヒックス      ドクター・ジリアン・テイラー
マーク・レナード        サレク大使
ロビン・カーティ        サーヴィック
ロバート・エレンスタイン    連邦評議会議長
ジョン・シャック        クリンゴン大使
ブロック・ピータース      カートライト提督
マイケル・ベリーマン
ジェーン・ワイアット      アマンダ
マイケル・シュナイダー

突如地球を襲った謎の生命体。彼等の発する言語とコンタクトの取れる生物が、死滅したクジラだけと知ったカーク達はクジラの生存した時代、1986年のロスへタイム・トラベルを決行。良くも悪くもTVシリーズの影響の色濃かった前3作と打って変わって、戦闘らしい戦闘も無くコメディ・タッチをベースにした造りが効を奏したのか、トレッキーだけでなく誰にでも楽しめるという意味では映画版の中でも一番の出来となった。「2」「3」「4」は完全に時間の経緯が続きの作りになっているので注意のほどを。

上が映画データベースの記述である。 オランダ民放テレビ局の深夜番組として観た。 間のコマーシャルには近年の作も近々再度放映されるとのことで何週間かこのシリーズを連続して放映している中の一作なのだろう。 スターウォーズにもスタートレックにもさしたる興味もなく初期の作はいくつか見たというだけで周りにいる熱の入ったファンが話すのをそんなものかと思いながら過ごしてきた。 SFやファンタジーのジャンルで、例えばロードオブリングズやハリーポッターにいたる一連の作にも力を入れて見る事ができないのは多分自分には想像力が欠如しているからだろう。 だからそのようなものベースにしたコンピューターゲームにも皆目興味が無い。 それでここに書くのはそういう質の定年親父が呟くものであるから多くの読者にはこれはピントの外れたものとして映るものだろうと看做している。

それでも本作を見たのは舞台が1980年代のカリフォルニアであることとミスター・スポックことレナード・ニモイが監督していることに興味が惹かれたからだ。 1986年というのは自分が今の仕事を始めた年でそのときのカリフォルニアにワープしてそこを舞台にするのはこの手の映画としては現実的ではあるし妙な舞台装置をみることもなくかつ制作費としては安くつく。 それに妙な生物や退屈な電子ビーム銃などの撃ち合いもなくアクションものをあまり好まないものには観ていて「居心地」のいいものだった。 作中オフィスで使われているアップルコンピューターの小型でサイコロのようなモデルが見えて懐かしく思った。 それは海外で日本語を比較的楽につかえる機種だったから使っていたもので、作中それを使って初期のCGを画面に示したものは今ではとるに足りない稚拙なものとして映っているけれど当時としては最先端であったことも思い出し、それは話の筋とはまったく違うもののけれど見ている自分には2013年から1986年にワープしたような感じにもなるのだ。 ただこのような話の常でワープしたのだから経済が当時に比べて現在どのようになるかということには全く示されていないのはSFなりこの手の話が簡便さを求めた結果の所謂「科学の進歩」のみに集中しがちだからだ。 ひょっとして彼らには経済には進歩がないと薄々感じているのではないかと邪推もしないではない。 地球の歴史の中で起こってきた戦争の理由として経済はかかすことのできない理由であるのだが宇宙戦争、異次元での抗争の理由は何なのだろうか、入っていけない自分には分からない。

鯨を守れキャンペーンは当時から興味のあるテーマではあり、本作中のドクター・ジリアン・テイラーの設定が当然予想できるような画一的なものであり面白かった。 当時フィットネス・タイツにハイレグの靴下、鉢巻姿の歌手、オーストラリア出身の歌手オリビア・グリース・ニュートンジョンが日本が捕鯨国だからという理由で公演をキャンセルしたことがあったことも思い出し、SFに関係すれば一寸前にシリーズで放映されていた「ヒーロー」の主演少女俳優が和歌山の捕鯨漁港で撮られオスカーも取った反捕鯨ドキュメントに出ていたことも思い出す。 だから本作では「悪役」の捕鯨漁師にカリフォルニア在住の二世・三世の日系俳優が意味の通じない妙な日本語を話しながら鯨を追いかける姿が現れるのかと少々うんざりしながら待っていたのだがそうとはならず人相の悪いいかにも安物の悪漢というコケイジアン連中がサビのでた怪しい漁船で旧式の銛を構えて鯨を追いかけるという稚拙な画像が登場してそれにも笑ったのだったが怪しい漁船というのだったらジョーズのロバート・ショウ演ずる船長の漁船を懐かしさをもって思い出すことができる。

レナード・ニモイ演じるミスター・スポックはシリーズで欠かせる事のできないキャラクターだそうだ。 バルカン星人の父と地球人の母との間に生まれ感情がなくコンピューター同様のロジックで物事を判断しそのようなバルカン人の性格と人間のもつ感情との葛藤が好ましく思われているようで、カーク船長や特に医師でもあるドクター・マッコイにはもっと感情を表し人間的になれるよう働きかけられているように見える。 それはあたかもナードやヒキコモリ、ある種の高機能自閉症に対するまなざしに似ているように思える。 

そういえば卑語俗語が本作の中では少なかったことに思いが行ったのは「現在」の1986年のロスアンジェルスの街角、ドクター・ジリアン・テイラーからさえも出てくる俗語、卑語の類を聞いたときでそれはまさに宇宙の無音から俗社会の騒音と同様に現実感をもたらすものだった。 この手の宇宙ものでの会話は理論的で書き言葉のような言葉になっているのは似非理系のファンタジー作品であるから、それは俗を厭う人たちに向けての御伽噺として意図されているからだろうと愚考するがどうだろうか。

キッチンの改装 (4) タイルも大分敷かれてきたけれど

2013年06月07日 14時47分36秒 | 日常

システムキッチンの家具、電気製品類も計画通りほとんどがそれぞれの場所に収まったあとこの一週間は床のタイル張りにかかっている。 余り広くない台所に続いて玄関から繋がる5mほどの通路に敷くものとしてポルトガルのタイルを選んだ。 それまでこの45年ほどは光沢のある茶色の焼きタイルが通路に、御影石風に整った正方形の硬いタイルが台所の床に張られており何も暖かい雰囲気をかもし出すものはなかった。 比較的単純でダルにも映った床に代わって新しいアクセントを入れるために南の雰囲気を持ち込む意味で選んだものがこれだった。 北ヨーロッパの冬は長くて鬱陶しい。 それに対抗できる日常生活の場の雰囲気は日中家を離れて仕事する身から定年して殆んどの生活の場が家庭になる者には重要なことだからだ。

タイル職人のマーティンがこの一週間ほど9時前から5時前までタイルを貼るのに来ている。 10時、3時のお茶の時間には色々な話をし、昼の休みにはかれは一人庭のテーブルで弁当を広げて仕事中ずっとかけたままになっているFM局のポップソングを聴いている。 67歳だそうだ。 ギターを上手に弾きバンドであちこち回りオランダだけではなくドイツまで遠征公演に出かけたほどだそうだ。 年齢がら我々のナツメロからベンチャーズまでいろいろと話の種はつきない日本の音楽事情を話すと共通することが多いから今までそんなことを考えた事もないと驚いていた。 

今日中に貼り付けてしまい来週には目地をいれ焼き物でないから表面の処理にかかるのだそうだ。 そのあとまだ色々と作業が続きまだまだ二階に持ち込んだ仮の台所で不便な食事作りと殺風景な食卓に耐えなければならない。

石楠花と躑躅、どういう風に区別するかということ

2013年06月06日 10時40分41秒 | 日常

庭の一角に小さな石楠花の木があって毎年咲く。 そして何も手入れをしないから他の木にはつかないものの毛虫か青虫かといわれるようなものに噛まれて縁が欠けた葉で一杯だ。 そんなシャクナゲに顔を近づけて花だけを見ているとあれ、これはツツジみたいだな、と思うことがあり、そう思うと、でもこれはシャクナゲなのだろうとまた思いかえし、そうするとその根拠はいったい何なのか一瞬迷い頭の中を探り、これは Rhododendron なのだから日本語になれば シャクナゲ のはずだ、というところに戻って、結局は言葉だけがその根拠となるのだがそれでもまだどこかちょっと納得できないところがあるからこんな風に戸惑っているのだろう。

先日アムステルダムの町を南駅の方から歩いて途中フォンデルパークで大きなシャクナゲの木が両側に二階建ての屋根ほどの高さに何本も並んいる小徑を通った。 薄暗いような緑の壁に見事な花が沢山ついたところを通り抜けたのだがその時に、ああ、見事なシャクナゲだなあ、とは思ったものの見事なツツジだなあ、と思わなかったのはそんな大きな花が団子状に集まった塊が深い緑の光沢のある葉のあいだに沢山付いたような様子がそう思わせたのであって自分の中のツツジのイメージに合わなかったからだと思う。

シャクナゲとツツジのイメージを思い返してみる。 ツツジについての小学校低学年の時の思い出がある。 当時動物園、遊園地にテーマパークをあわせたような大型公園が電鉄会社によって作られていてそういうところでは花のシーズンになるとそれもあわせて何々展という宣伝で人を沢山集めていた。 大阪では、枚方の菊人形、近鉄奈良線の沿線では菖蒲池、南海沿線の和歌山方面にあたらしく作られたみさき公園が学校の遠足の目的地となっていた。 まだ1960年にもなっていなかった。 

自分が育った大阪南部の町からは当時出来たばかりのみさき公園が魅力で、水族館の付いた動物園と遊園地のセット、それに季節によってテーマが変っていろいろなショーがある盛りだくさんの催し物が魅力だった。 小学生の遠足ではアルミの水筒を肩にかけ、のりまきに玉子焼きの弁当をもって 一日そんな公園にいくのだが、学校から行くと動物園も遊園地も催しもないみさき公園の外郭にある自然公園のようなところで半日あそぶことになる。 そこは入場券を買わなくても済むような丘陵地で岡にはツツジが一杯咲いていて子供たちはそんなところで動物も見ず、ジェットコースターにものらず、精々ブランコとシーソー、滑り台ぐらいの公園がいくつかあるところで向こうに見えるジェットコースターやセメントで作られた山などを羨ましく思いながらもツツジが咲き乱れるそんなところで遊んで帰るというのが遠足だった。 しかし家族で来るときにはゲートからみさき公園に入り象やライオン、トラなどを見てアメリカから来た本物のインディアンやガンマンの早打ちの実演をみるようなことがあった。 初めて外国人をじっくり見た経験だったったのだはないか。 それにパンダなどはまだだれにも知られていないような時代だった。 そんな時代の、高さがこどもの頭ほどで団子にもならず小振りの花が一面に咲いているツツジ山の経験が自分の躑躅の原イメージとなっているようだ。 

こどもの頃自分の周りにはシャクナゲはあまり身近にはなかったのではないか。 あっても記憶にのこるような印象をのこしていなかったということか。 成人になる頃、いくつか廻った寺社の境内にシャクナゲの木が植わっていたのを記憶しているけれど多くはだれかからそれがシャクナゲだと聞かされていたのだろうし、それも花の季節ではなかったようで、その一見枇杷の葉のような形が特徴的なシャクナゲの葉は明らかに躑躅のものとは違っていた。 それに総体にシャクナゲだと説明された木はツツジより大きいものだったように思う。 自分はまだ行った事はないけれど親が何度も行って感銘をうけた長谷寺のシャクナゲが見事だと聞いていてその写真をいくつか見てこれがシャクナゲなのだと記憶に収めてからそれがイメージとしてある。 比較的高くて花が幾つも球状に集まりその下から特徴のある葉がスカート状に広がっている、というものだ。

今の家を買ったときからそこにあって手入れもせず虫に食われた葉だらけだけれど毎年なんとか花が咲き、ツツジではなくシャクナゲだと思ってきた。 あるときオランダ語でどういうのだと家人に尋ねると Rhododendron というから、なるほどそれがシャクナゲなのだと納得させてそう覚えてきた。 今回確かめるためにオランダ版 Wikipedia の Rhododendron の項をみるとなるほど家のものと同じような写真が載っていて、それはシャクナゲのものだ。 そしてこれに対応する各国のことばのなかで日本語を選んでクリックすると驚いたのがシャクナゲではなくツツジが出てきてそこに示されていた写真はオランダ語や英語で Rhododendron として示されていたものではなく子供のときから親しんでいたツツジのものだったので何だかトリックにかかったような気がしたのだがよく読んで見ると Rhododendron というのはツツジ属の植物の総称でその中にツツジもシャクナゲもある、ということのようだ。

そんなことを思っていると、そういえば英語で昔 azalea  ということばをツツジと訳したし、オランダでもそのまま小さな鉢に入ってスーパーの入り口のあたりで売っているものも英語と同じくアザリアと呼んでいることも思い出し、デンドロンとアザリアをそれぞれシャクナゲ、ツツジと覚えていた事も思い出した。 だから英版の Wikipedia の azalea で日本語をクリックすると躑躅が対応していて写真も日本のツツジなのだが「ツツジ」としては表記されずに「アザレア」と出ている。 英版から辿ってきたので英版は azalea=アザレア なのだがそこからオランダ語に戻ると azalea=Rhododendron というようになる。 逆に日本版の「ツツジ」の項をみるとそれに対応する英語、オランダ語は azalea は出てこず先ほどの Rhododendron が出るのだからややこしい。 

だから大まかに覚えなおすとアザレア=ツツジ=azalea=rhododendron であり、シャクナゲ=Rhododendron ということなのだろう。 その花、葉、枝の形状に応じて重なったり違ったり様々にラテン語で分類された名前が出てくるのだがそこまで話を進めると植物学の入り口を大部入ったところまで行くのだろうからややこしいことが苦手な自分は鈍くなった頭を抱え記憶の棚をかき回し何とか整理しようとするのだが、それも一時的なものでしかなく、そのうちまた闇に紛れてその境目も分類も訳が分からなくなり、そうなるとそのうち記憶の区分けが自分の部屋同様にあいまい雑然、混沌とした景色として見えてくる。 一対一の言葉だけの対応でものごとが簡単に済めばことは楽なのだが往々にしてものごとはそれだけで済まない様で、その言葉を示す説明や写真に今まで思っていたこととの齟齬が出てくるとそこで躓きうろたえる。 だから当然として事態を理解しようとその回りの付随する事項やそれぞれの関係性を探ってある程度のところまで行くのだがそうなるとこの歳では物事がややこしくなってそのうちどうでもよくなり、適当なところで納得させて放ってしまう癖がでる。 シャクナゲとツツジでも同じ事、今日ここでこのように書いても来年この花が咲いたときにはまた シャクナゲ=Rhododendron という言葉はでるけれどそれに関係して ツツジ=azalea という言葉が出るかどうか確かではない。 ただ、スーパーや青空市で azalea を見かけたときには頭の中にカタカナの「アザレア」という言葉は浮かんではこないけれど「ツツジ」という日本語は出る事は確かで、そうなるとこれらの花に関してはこれらの花の記憶は視覚に大きく拠っているのだなあと思うのだが名前になると途端に怪しくなるのだし、これからはそれらの乖離に一層拍車がかかるものと見ておかなければならなくなることは確かだ。

 

水辺にアオサギが見えるようになった

2013年06月04日 05時10分11秒 | 日常

町の周りの濠の縁や水路端にアオサギが最近よく見えるようになった。 アオサギは一年中いるけれど特に今それが水辺に見えるようになったと感じるのはどうしてだろうか。 多分餌になるものが活動し始めそれを狙うために水辺に「常駐」とまではいかないものの頻繁にずっと留まっているのだろうと推測する。 厳寒の灰色の世界の中でちらつく雪の下でじっと水面をにらんで佇むアオサギの姿は見る我々に様々な想いを喚起させるけれど今のように暖かくなり始めてきたときに見るアオサギには何かゆったりしたものを感じるのはそれを見る者の中に湧く勝手な思いだろう。 羽根の色にしても冬には灰色が勝った青なのだが今では日光に映って白が勝っているのもそんな印象をあたえる材料になっているはずだ。 彼らにとっては一年中同じ事をしているだけなのだ。

それにしてもまだ水温は普段の今の時期からすると冷たいもので水中の生物の活動がこの鳥をここにいさせるほど活発なのだろうかとも訝るのだがアオサギがいること自体がそれを証明しているのだろう。 例えば蛙にしてもまだ卵から孵化してはいないはずだ。 そんな時期には毎年大きな蛙が夜間何千、何万と2日ほどで一方の水辺から道路を越えて他に移動することがあってそんな時地元の生物好きのボランティアがその場所で監視していて通過する車を停めるような映像を毎年みることになるのだがそれも今年はまだない。 だからそれがまだないとすると多分小魚が水面近くまで上がってくることが多くなっているということなのだろう。

昨日アムステルダムの公園を歩いているとき高い木の上にアオサギの巣が架かっておりその中に成鳥とともに雛の頭が小さく見えた。 その雛に食わせる餌の量も並大抵のものではないから普段の仕事量にもまして餌をもっと獲る必要もあるわけでそのためにも普段以上に水辺にいる頻度が増えてそれが我々の眼にとまるということでもあるのだろう。


ウィキペディア、アオサギの項;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%82%AE

今年初めての初夏アムステルダムを歩きその後長く合わなかった友達とその家族に会った

2013年06月03日 00時56分41秒 | 日常


今年初めての初夏という気分になった。 ヨーロッパのお菓子の品評会選定で4年連続金賞を獲ったとしてその式典のためにスウェーデンに来た日本の友人家族がオその後オランダに来るというので久しぶりにゆったり食事をしながら積もる話でもとこの間オランダ新国王の戴冠式に列席した皇太子夫妻が滞在したアムステルダムの高級ホテルで5時に会う約束をしていた。  天気予報では気温16℃の上天気だというから長らく歩いていなかった事もあって今まで歩いたこともなかったアムステルダムの南にあるワールドトレードセンター駅からブラブラと公園めぐりをしながら約束時間に間に合うようなコースを歩いたら結局8kmほどになっていた。

驚いたのはこの地区の建築スタイルが1930年代の典型的なもので、都市計画がしっかりしており広い道路を挟んで5階建てほどの住宅が規則正しく何キロにも亘って当時そのままに見られることだ。 当時そのように設計されて作られたということが一つとそれが今までそのままに保存されているということがもう一つある。 建物と建物が並ぶ間の通りは比較的広い道路となっていてそこには芝生が植えられていてゆったりとしたグリーンベルトとなっている。 今そんな部分を利用して長さ2kmほどのところに様々なオブジェが展示されている。 嘗てジョンレノンとオノヨーコがベッドのなかから世界にピースメッセージを送ったヒルトンホテルの前の芝生には幾つもの造形作品がならんでいた。

当初町並みを眺めながら歩くという計画はなく、ただ町の中をいくつかある大きな公園を順番に巡って歩こうということだったのだが思わぬ建築スタイルの見て歩きに目を奪われたかたちとなった。 日曜日だったからか公園ではゼッケンをつけた人たちがマラソンをするのもみられ、たまたまそこに到着した救急車の先には銀色の箔に包まれた女性が道路に横たわっており介抱を受けていた。 そこを少し行くとゴールまで1kmの表示が見えた。

アムステルダムの中心にあるフォンデルパークは人であふれ緑地には様々なグープが自分達の場所を占めて中にはバーべキューの煙を上げているものも何組かいた。 野外ステージではオランダで名のある女性ソウル・ジャズ歌手がギターのバックに数千の聴衆に張りのある喉を披露していた。 

そういう人出はコンセルトへボー前の国立美術館につづく広場でも同じだった。 先日もう何年かぶりかで開館した国立美術館の入り口を観たかった。 建物の腹を抜いた形で従来からあった自転車道が依然としてみられ、そんなトンネルに自転車を通すか否かについて大きな議論を呼んだとニュースでは報じられていたものの市民の民意が美術館側の反対を押し切ったという形となっているらしい。 オランダではどこでも自転車がはばをきかしているのだし、もしここに自転車が入れなければ向こう側に行くのにはものすごく遠回りをしなければならなくなる事は確かなことなのだ。 

1時を廻って歩き始め、その間にゆっくりとカフェーで昼食をも摂りこの段階でもう4時は大分廻っていた。 約束のホテルまでそこから市電に乗ろうと地図を見たら道順では簡単な事ながら市電のルートは複雑になっていて国立美術館まえからホテルにいく電車に乗るにはコンセルトへボー近くまで1kmほど戻らねばならないことに気付き、それでは仕方なし早足でハイネケンビールの建物まで進みそこからまっすぐ一本道を南下し約束の5分前にホテルに着いた。

ロビーで久しぶりに会った友達夫婦、その弟夫婦と顔を合わせ積もる話をした。 友人が家人と喋るとその英語の流暢な事にびっくりした。 ホテルの従業員に紹介して貰った旨いイタリアレストランで家人ともども6人の食事会となった。 7時半から11時までそこにいたのだが天気がよかったから11時ごろになってやっと夕暮れのような光になってからそこを出た。

Opel Astra Cosmo 1400cc, 2012

2013年06月02日 02時52分08秒 | 日常

前に自分の不注意から新しく買った Peugeot 307 SW の左後ろのドアに傷をつけてしまった事について書いた。 都合ですぐに修理に出せずにそれから一週間してこの前の火曜に修理工場に持っていったら金曜日までの3日間代わりに貸してくれたのが Opel Astra Cosmo 1400cc, 2012のステーションワゴンだった。 その修理工場は家から高速を通って20kmほどのところにある。 途中にはオランダでは名のある植物がいろいろと植わっていて取り分け、チューリップが有名な公園、キューケンホフがあって、修理工場とはほんの近くではあるけれどそこはまだ入った事もなく、また入るつもりもないのだが、そこを横目に走っているとその大きな駐車場にはパスが殆んど見えなかった。  今年は寒いのに加えてどこの国の経済指標も芳しくないことから今の閑古鳥の鳴くようすも分からなくも無い。 そのすぐ近くの修理工場に着いて事務所で修理の見積もりを聞いた後キーを渡され、それに乗って帰ってきたのだが、人の車に乗る事は殆んどないのでこの代替車に少々戸惑った。 その工場の親父から、スタートするときはクラッチを踏んでからキーをまわすこと、とだけ言われていたからそうしてすぐに発車した。 自分の1600ccのものより力強いように感じるし坐ったシートの具合がしっくりいき運転するのに見晴らしがいいようだ。 クラッチの深さもちょうどいい。

自分は車には興味がないし必要だから買ったというだけで特別にどの車が欲しいというようなものはない。 けれど今までドイツ製の オペルにはなぜか偏見を持っていたようだ。 どういう具合か好きではなかった。 多分喰わず嫌いなのだろう。 けれどこれは自分には何かとしっくりいって甚だ都合がいい。 ただ生産されて一年しか経っていないのにエンジン音がもう使いつくされたような、ディーゼル車に乗っているような音なのだ。 家についてそれまでシフトを変える度にレバーの前のほうに握るための小さなレバーがあるのに気付いていたのだがそれが何だか分からなかったのだがバックするときに握って普通ならローにいれるまだ左側前方のバックギヤーの位置だった。 大抵は一番右を手前に引くとそこがバックなのだがこれは違う。 その代わりにこれは6速まであるのだ。 スピードメーターは270kmまで切ってある。 1400ccで270kmとはとても信じがたい。 火、水、木、金と四日間借りていたのだが結局その間に使ったのはスーパーに買い物に行ったとき一度きりだった。 

  

梅雨のような天気の中、苧環ふたたび

2013年06月01日 13時06分34秒 | 日常

公園の芝生の上に沢山寝そべるビキニ姿が見えたのはたった一日で、そんな「虫」たちの啓蟄も次に期待して、本来なら本格的な夏になってもいいような今の暦ではあるけれど地球の変化は暦には合わないこともあることを今年の天気は示しているようだ。 夕方9時前に娘のところから戻るときに角の税理士の看板にある温度表示板を一瞥すると10℃と出ていて細かい雨が降るような灰色の空と合うようでまたも後退した空模様にうんざりした。 けれど9時前でもこんなに垂れ下がった雲に覆われているのに暗くはないからやはりその厚い雲の上にはまだ太陽の光が燦燦と輝いている事は確かなのだ。

夕食はまた娘のところで摂った。 キッチンの改修が進んでいるとはいえ業者が二日がかりでシステムキッチンの殆んどを据えつけたものの冷蔵庫と冷凍庫を別々に覆うパネルの寸法を間違えており工場に連絡して正確なものを作り出さねばならないこと、流しのステンレスの漕に注文もしてもいない器具のための穴が穿たれていて取り替えなければならないこと、まだ床のタイルが大工の作業場に搬入されたばかりで来週にならなければ作業に入れないこと、電気工事が終わっていないから夜になると依然として闇の空間である事などなど、まだ完成するまで一週間はかかる見込みだからもうこの4週間ほど二階の仮台所で調理するのを厭いがちな我々に時にはこどもたちが助けの手を差し出してくれているという格好だ。 自分はともかく女親である家人は喜んで子供たちの豚小屋のような下宿にも行きたがる。 

先週の日曜にアイルランドの大学に犯罪学の修士論文を仕上げに半年出かけていた息子のガールフレンドが帰ってきたので彼女の両親のうちで帰国のサプライズパーティーをするために呼ばれ家族で出かけてきた。 車で1時間ちょっと、100kmほどのところにある村の70年代の新興住宅地だった。 それはオランダ中どこにいっても見られる共通の建築スタイルからそう分かるからだ。 半年ほど前に向こうの両親が我が家に来て半日遊んで既に初顔合わせをしているから今回はそのリターンということでもある。 息子には慣れた道なので運転は彼に任せ久しぶりに後部座席に坐った。 そうすると当然の事ながら今まで見えなかった景色がいろいろと見える。 

こちらの家族4人、向こうもガールフレンドの姉とそのボーイフレンドを加えて5人、そこに彼女の女友達が5人来て14人の賑やかなホームパーティーだった。 若者達はだれもが大学、学校のコースをひとまず終えて次の段階に進む、というのが多かった。 息子の下宿の近くにあるガールフレンドの下宿は来週にも完全に引き払うので今のところ彼女は息子のところに同居している状態だ。 息子にしても9月からの大学院はロッテルダムなので今いるところも引っ越さなければならなくなる。 ガールフレンドの姉のボーイフレンドは法学部の大学院を卒業になってヨハネスブルグの法律事務所に半年間の研修にでかけるらしくそれも来週早々オランダを発つようだ。 このように今に時期、若い者達には9月からの新学期なり新しい仕事に向けて準備が忙しいようで互いのこれからの事の情報交換の場としてこういうパーティーが機能しているということになる。 こちらといえば相変わらずあと2年の完全定年を待っているということを繰り返すだけだ。 

先週は息子とのところでコーンスープと鱈のムニエルを振舞われたのと娘のところでは一日の夏日だったのか南欧風米のサラダ、和風に言えばベジタリアンの混ぜ寿司なり五目寿司にナッツやフルーツがはいっているというようなものだった。 今夜は息子のガールフレンドの希望で親子どんぶりとデザートはバナナ入りのチョコレートムースだった。 

腹がくちくなったとはいえ10℃と夕方の曇天で滅入った空気の中で家にもどるとこの4,5日で一度にオダマキがあちこちに咲き乱れているのに気がついた。 今年はいままでになく数も多く背丈も高くなっているような気がする。 特に白が圧倒的に多い。 だから少数派の紫のものに目を向けてシャッターを押した。