暇つぶし日記

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史上最大の作戦 (1962);観た映画、 June ’13

2013年06月12日 09時22分24秒 | 日常



史上最大の作戦  (1962)

原題;THE LONGEST DAY

179分
監督;  ケン・アナキン、  ベルンハルト・ヴィッキ、  アンドリュー・マートン
原作:  コーネリアス・ライアン
脚本:  コーネリアス・ライアン、 ジェームズ・ジョーンズ、 ロマン・ギャリー 、 デヴィッド・パーサル、 ジャック・セドン
撮影:  アンリ・ペルサン、 ジャン・ブールゴワン、 ワルター・ウォティッツ
音楽:  モーリス・ジャール

出演:
ジョン・ウェイン
ヘンリー・フォンダ
ジャン=ルイ・バロー
ロバート・ライアン
リチャード・バートン
ロバート・ミッチャム
アルレッティ
ショーン・コネリー
ロッド・スタイガー
ロバート・ワグナー
ジェフリー・ハンター
リチャード・ベイマー
ポール・アンカ
メル・ファーラー
フェビアン
スチュアート・ホイットマン
スティーヴ・フォレスト
トム・トライオン
サル・ミネオ
ロディ・マクドウォール
レッド・バトンズ
エディ・アルバート
エドモンド・オブライエン
ケネス・モア
クルト・ユルゲンス
ゲルト・フレーベ
ブールヴィル
クリスチャン・マルカン
イリナ・デミック
マドレーヌ・ルノー
フランソワーズ・ロゼー
マーク・ダモン
フランキー・アヴァロン
レイ・ダントン
ブラッドフォード・ディルマン
フランク・フィンレイ

1944年6月、フランス、ノルマンディー。第二次世界大戦は佳境に差しかかろうとしていた。この地では、司令官ロンメル率いるドイツ軍が、英仏海峡を挟んで戦機をうかがう連合軍の攻撃に備えている。敵には人数で圧倒されているが、天候を味方につけて堅固な防御態勢を敷いていた。一方イングランドでは、アイゼンハワー司令官率いる連合軍が、ノルマンディー上陸作戦の日であるDデイを何日にするか最終的に絞り込んでいた。こうして6月6日の早朝、連合軍の空挺部隊が降下したのを皮切りに、いよいよ熾烈を極めた上陸作戦が始まるのだった…。

44年6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸作戦に材を取ったコーネリアス・ライアンのノンフィクションを基に、名プロデューサー、ダリル・F・ザナックが製作費36億を投じて作り上げた一大戦争パノラマ。米・英・仏・独のトップスター総出演と、大画面いっぱいに展開される戦場の再現は、映画的興奮に満ち溢れ、至福と驚嘆の3時間を約束する。ビデオはワイド版の他、コンピュータによるカラライゼーションを施した<カラーライズ版>(サイズはスタンダード)がある。

上記が映画データベースの記述である。 オランダ・民放テレビ局のゴールデンタイムに観た。 この時期になると毎年放映される。 もうこれで何回この映画を観たのか記憶にないほどだ。 まだ小学生の頃大阪難波駅前の南街劇場という映画館で封切り時に観たのが最初だったと思う。 何年か前まではモノクロ画面だった。 けれど今回初めてコンピューターで彩色された画面を観てあたかも明治時代に撮られた写真を石版で色づけして後年売られた日本の絵葉書、風俗写真の色合いのようだと感じた。 例えば軍服、景色の緑、顔色などとフィルムの陰にそういうものを感じたのだ。 多分劇場封切り時にはスタンダードサイズだっただろうものが後年テレビ放映のときシネマスコープサイズにして妙な割合になっていたり画面が切られたり人物、物の伸び縮みがあったりと内容に関係のないところで映画に集中する事を妨げられる事もあったのを思い出す。 古い映画をデジタル処理で色のあせたものをよみがえらせDVDにして再販するというような作品をこの何年も観ていて1950年代のカラー映画が色鮮やかに蘇ったものを観て驚いていたのだから1962年の本作の色づけ処理された結果が1959年代の再処理されたものより時代掛って映るというのも我々にとっては第二次世界大戦の影響を引きずっている時代の色を感じてむしろ現在のCG映像より生に見える少々倒錯したような思いに浸ることになり、これには本作に初めて接する二十代の人たちには理解しにくいセンチメントなのだろう。 もっとも若い人々がこれから40年経って自分の少年少女時代の映像作品をどのような感慨をもって観るのかには大いなる関心はあるけれどそれもその時代に軽いワープでもしなければ自分には知る由もない。

それぞれ少年少女時代に接した映像作品は意識・無意識を問わずそれぞれの人生の様々なところで様々な影響を沁みこませているのであって特に歴史を描いたものであればそこに通底する様々なメッセージ、思想に触れるのであるからその影響は無視するわけにはいかない。 自分にとっては本作は日本の敗戦から17,8年経って中学生になったかなっていない少年が観たものとしてある。 それを今に移し変えてみると、例えば、エジプトの中学生が湾岸戦争とイラク戦争の間の頃を理解するために嘗ての敵国側が作った映画をどのように観るか、というような少々例えは歪であるとしてもそんなものだろうと思う。 周りにはその戦争を直接間接に経験した人々が取り巻き、様々な言説が渦巻いてる中で制作されたものだ。

1950年に生まれたものにはまだ直接間接に太平洋戦争の影響は大きくあったように思う。 子供にはそれを比較する基準が無いのだからそれをそれとして周りのものを貪欲に吸収消化していくのだが、後年ある時期に振り返り自分が育ってきた次代を相対化することができ、そこである種の感慨や意見を持つのだがそのときには次世代、次次世代の育った時代との違いに気付き自分の育った時代、その前、などと近い過去の歴史を物語にした映画にある種の深い思い入れを持つのを自覚する事となる。 その一つとなるが本作だ。 けれどそれでは戦後日本に育った子供にとって第二次世界大戦を代表する映画が本作であるとすると少々の倒錯がそこに見て取れないだろうか。 英米などの連合国に対する日独伊・枢軸国として戦った日米であり本作はヨーロッパ戦線で日本の同盟国ドイツが日本の敵国アメリカに破れる決定的な端緒となった作戦をもとにしたものである。 日本は一切出てこない。 しかし1962,3年当時では本作に比肩する作品は登場していない。

娯楽として製作された戦争映画の諸作では戦勝国、特にアメリカの戦果を極度に英雄視し敵国を不必要に貶めるような作風が絶え間なくみられる。 当然その殆んどがアメリカ映画であってそれは単に戦争映画だけに限らず犯罪、アクション映画などのジャンルにも亘って顕著なのだが、雑にいうとそれらの差異がA,B,C級映画のランクになるとでも言える場合もあるようだ。 様々な戦争映画にみられる制作国の嘗ての敵国の扱い方の違いを論じるとそこには興味ある姿が浮かんでくるだろうしそのことによって思想性が大きく見えてくるということもいえるだろう。 それはただ単に暴力を視覚・聴覚から排除しようとするポリティカル・コレクトネスの範疇だけには収まるものではなく歴史を通じて現前してきた戦勝国を中心にした世界思潮にあてはまるものといえるのではないか。

いささか風呂敷が広がってしまった恐れがあるのでここでは本作に現れるドイツ軍の様々な描かれ方について見てみよう。 本作以降様々なヨーロッパ戦線に関する映画を見てきて本作でいえることは勝ち組、負け組み、若しくは善玉、悪玉のとりわけ悪玉とされるドイツ軍将兵が例外的なぐらいにフェアーに描かれている事で、ドイツ軍の参謀本部の将官にはある意味では米軍以上の威厳がみえることだ。 それがロッド・スタイガーに具現されているようだ。 我々はこれ以後現在に至るまで醜いほどの善玉対悪玉の構図を見てきておりそれをイケ面対悪面として視覚化されたものの洪水に浸っている。 だからほとんどの映画では初めから筋を追わなくとも登場人物がどのような性格付けをされているかが分かる仕組みにもなっている。

邦画では本作に似たタイトルで日米開戦の事情を基にした「日本のいちばん長い日(岡本喜八監督、1967年)」があるが質は別としてもスケールの点では比較にならなく、ここでもあの戦争の性格であった量の圧倒的な差が認められるようだ。

カメラワークでいつも息を呑んで見つめるシーンがある。 ドイツ軍が陣取るカジノに攻め込む場面なのだが、ヘリコプターから見下ろして撮るカメラは兵隊が走り進む姿を追って運河か岸壁に沿って移動しながら最後は回りこむようにして長いシークエンスを終えるのだが自分にはこれが数多ある戦争映画の中でもっとも忘れられないものとなっている。

30年ほど前にノルマンディーからブルタニューの海岸沿いをバカンスの折、車で移動した事がある。 ユタ、オマハ海岸と名づけられた辺りの崖から海を見下ろして細かい雨が降る中で昼食を摂ったのだが海岸から少し離れた沖にまだ点々と戦争当時の上陸用舟艇がそのまま残されているのを見て驚いた。 我々が見たのはそのときから40年前の残骸だったのだ。 今からもう70年前の話だ。