暇つぶし日記

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哲学五重奏、「オランダ(人)にとってはアイデンティーとは何か」 

2013年06月21日 03時11分52秒 | 日常


哲学五重奏、「オランダ(人)にとってはアイデンティーとは何か」というテレビシリーズがあるらしいと知ったのは夜中に居間に降りてきて、初めを見過ごした深夜映画を見ようとつけたテレビでオランダテレビ局の日曜午後の番組を再放送をしているのを観たときだ。 見覚えのある背景はアムステルダム中央駅の丸天井を船着場の向こうにみるオランダ・ジャズの殿堂、BIMHUIS の入り口廊下であるし、そこに出ている四人のうちの二人は知らない仲でもでもない人たちだ。

十年ほど前に市民大学の講演で、現代フランス哲学がひとあたり行き渡った中でドイツ系、とりわけナチズムとも関係があるとも言われるハイデガーの再検討を試みるていた若き哲学者 Ad Verbrugge を引率者としてゲストを毎回三人づつ呼び、アンカーを加えて哲学に関して彩り様々な和音・不協和音の5重奏を奏でようとするプログラムのようだ。 彼の傍にはオランダ中世文献の専門家であり,自分の好きなことだけをしていたかったのに業績が祟って学部長、オランダ学術協会の長の職が廻ってきて断れないと愚痴をこぼしながらもまだ小さい子供たちのフィールド・ホッケークラブで観戦しながらそんなことをいいつつ、また町で時々買い物の途中立ち話をする、そんなご近所さんの Frits van Oostrom を久しぶりにテレビの画面にみて、彼らがどのようにオランダ(人)のアイデンティーを歴史の観点から語るのかに興味をもって番組を見始めた。

教鞭もとる哲学者二人(Ad Verbrugge, Marten Dorman) と19世紀を中心に研究するオランダ学者 Lotte Jansen に加えてオランダ中世専門の Frits van Oostrom に司会者を加えて五人での五重奏という趣向らしい。 これから何週間か何ヶ月か不明だが自分の観たこの番組は下記のサイトで観られるだろう。

哲学四重奏、「オランダ(人)にとってはアイデンティーとは何か」・歴史の視点から; オランダ語のみ
http://www.uitzendinggemist.nl/afleveringen/1351104

話はこの100年以上続いていた女王の御世がこのあいだまで三代以上続いた女王から国王となったウィレム=アレクサンダーの即位のことから始まり、取り分け、新王にとって彼のアイデンティティーとは何だろうか、ということで歴史性を語ることから始まった。 日本と同じようにオランダは立憲君主制であるけれどその歴史はかなり違う。 天皇家とオランダ王室の近さは同じような年代の新国王と皇太子の関係で比べられるようだ。 オランダ王室は国民にかなりオープンであり個人の意見を述べるという点では彼らのインタビューでの言動をみると明らかな違いがあり、それは日蘭の政治、文化、伝統の違いを反映しているともいえるだろう。 彼らの意見では新王は彼の母親、祖母、曾祖母の時代とそれぞれの負った役目を認識しており自分が現代の国民から求められている王の役目を母親以上に意識しているのは確かでそれに沿うよう努力しているように見受けられる、それが国王としてのアイデンティティーであり歴代王の中でも他とは違った王として個性を示す意思表明をしているとの意見だ。  新王のインタビューで自分はプロトコールを嫌いヴィレム四世と呼ばれるのではなく自分をヴィレム・アレクザンダー王と名づけたこともその現れであり、時代により王室も変わっていくということであるとの声があった。  これには王室も皇室も時代によって変わるというひとつの例が Frits van Oostrom から示された。 2000年に日蘭交流400年の記念行事で天皇が来蘭されたときに謁見されるる事になってプロトコールとして天皇に挨拶するときには15度の角度でお辞儀する事、深すぎればへつらうことになり浅すぎれば失礼にあたる、15度を守ることとその筋から聞かされて何度か練習したあと実際に望んだら天皇から声がかかって握手を求められた、そのときの戸惑いは聞かされていた仕来りも時代やその場に応じて変るということが日本でも起こっているという事例で実際にその一端を理解した、ということだった。 

次にそれぞれオランダがオランダとなったと思う年月日を示すよう司会の女性コメンテーターから問われたのだが、 Marten Dorman は1830年代に兼ルクセンブルク大公でもあったウィレム3世が建てた様々な像、建物に象徴されている19世紀がその瞬間だといい、とりわけアムステルダムに建てられたレンブラントの像が当時の国家意識高揚の時代を示すものだと指摘する。 レンブラントは17世紀に生きた画家ではあるけれど国にとってはそういう意味では19世紀の人間なのだとあおり、その喩えには他から微笑が湧いた。 自分の経験からしてもレンブラントの大判の絵には19世紀の印象派の筆使いみたいなものを見ていたので彼の説には別の角度から共感ができた。 

19世紀を中心に研究するオランダ学者 Lotte Jansen は国家規模でのアイデンティーティー構築のメカニズムはナショナリズムとの関係が大きく、特に先進国各国では産業革命後、国民国家が起こるにつれてその兆しがつよかった19世紀にそれが顕著であり、オランダでは16世紀の80年戦争の後、国としての統合を謳うに際して最初のナショナリズム及び国としてのアイデンティティを構築する作用が権力を持つ市民の間から起こっのを指摘、特に Ad Verbrugge は自分の出身地ゼーランド州のオランダ独立に際して活躍した英雄的行動が同時に奴隷貿易で巨額の富を蓄えたミドルブルグの暗い歴史と裏腹にオランダ人というよりゼーランド人というアイデンティティーをアイロニーとともにもつと指摘、19世紀の世界規模のナショナリズムが様々な形をもって現代史につながると看做す。 けれど一方、Frits van Oostrom はナショナリズムの問題とも絡めてアイデンティティーというのは農場のコンポストのようで様々な要素が重層的に絡まって時間と共に発酵しそこからときに応じて必要なものを我々は引き出し使うのであってその要素は何時の時代にも細かく存在するのであって一つをとりあげることには賛成しないとその質問自体がバイアスになることを憂慮する。 しかし彼の態度はある種、番組の骨組み自体を問うものであり哲学的な問いではあるけれどある種の歴史、伝統の基盤の再考をうながすものである。

この他オランダ(人)についての様々なクリシェを批判的に検討しそれでもオランダ的と言われるものごとの根拠をオランダの歴史のなかからさまざまな都市の経済的発展のプロセスのなかに見ることに異をとなえない。 そこに自立的でさまざまな反対意見に対する態度・方策に共通するパターンを見てそれをオランダ的要素とすることには参加者皆の共通の同意があるようだ。

この番組をみていて、このようなテレビ番組が存在する事自体かなり熟成した市民社会のなかでの考察としてみられるのだが、それなら一方、1960年以降経済発展を遂げてきた日本ではそのアイデンティティーを探る日本論というものが猖獗をきわめているけれどそこに多く欠落しているものは市民社会についての考察であるのだが、そのこと自体が日本にはまだ成熟した市民社会というものが存在していないという査証になるのだろうか、それともそれに対しては日本は他国とその歴史も文化も違い相対化はできない、とするのだろうか。