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バッシング ; 観た映画、Feb 09

2009年02月24日 10時47分08秒 | 見る
バッシング (2005)
BASHING
82分

監督: 小林政広
脚本: 小林政広

出演:
占部房子   高井有子
田中隆三   高井孝司
香川照之   支配人
大塚寧々   高井典子
加藤隆之
本多菊次朗
板橋和士

2004年にイラクで起きた日本人人質事件を巡る日本国内での反応をヒントに、中東で人質となった主人公の帰国後の姿を描いた社会派ドラマ。監督は「歩く、人」「フリック」の小林政広。2005年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作。
 北海道のとある海辺の町。ホテルでアルバイトをしていた高井有子は、ある日突然クビになってしまう。彼女は中東の戦時国でボランティア活動中、武装グループに拉致・監禁され、人質となった女性。無事に解放され、帰国した彼女には世間からの厳しいバッシングが待っていた。ホテルの支配人も、そんな彼女の存在を持て余し、クビを決断したのだった。しかし、彼女を待っていた不幸はそれだけに止まらなかった。

以上が映画データベースの記述だ。 家人と娘が日本映画がベルギー局で放映されるから、と私がジャズコンサートに出かける前に言っていたからそれをヴィデオの留守録にセットして出かけた。 翌日、どうだった、と尋ねたら、どうもよく分からなかった、というので自分自身もその背景、どんな映画かも知らなかったので家人の見たことを聞いて日本人ボランティアの拉致事件が報道されたときのさまざまな反応のことを思い出してうろ覚えながらそのことを家人に説明してもどうも要領を得ないようで、そのままテープを巻き戻して観た。

なるほど、これでは外国人には分かりにくい。 日本のその当時のことを心得ているものにはバッシングというのは日本の社会を覆う鵺で、それがどのような形となって個人をつぶしにかかるかということが分かり、それが中東戦争にからんだ、他人の庭での争いごととしか一般には受け止められていない日本で起こったエピソードが社会を炙り出す本作のテーマなのだろうが、そういう鵺なら白日の下に引っ張り出し曝けだし鵺の正体を腑分けして社会の「異なった」個人を排除しようとするものを「異なる」個人集合である社会の中で個々の権利を守るものとしてNGOを含めてさまざまな機関が援助する制度のある国に住んでいるものにはなかなか分かりにくいだろう。

第一に事の発端の当事、拉致を巡る日本国内のこの事件にたいする反応、バッシングのことがはっきりとは伝わってこない。 ただ、心無い「世間」の無知、その無責任な中傷には本作でその一端が示されているのだがそのことがおぼろげに映るのだろう。 ただはっきりしているのはどうして主人公と主人公の家族、とりわけ父親があのような形になるのかそれがわからない、というのだ。 たぶん、それが日本という国だろうね、とも。

最近の日本のことが分からない身にはインターネットのチャットルームのあちこちを覗いて意見交換をするとき、理を尽くして率直な意見を述べると、空気が読めないなり、くどい、異国だから日本とは違う、KYだというようなことを言われ疎まれることがある。 もちろん、時差の関係から日本ではほぼ夜中も半分もまわったころのチャットルームだからそんな若者がたむろする連中の背景、生活は「普通の」市民とは違うことは勘定にいれいてもその「ぬるま湯、仲間、内輪」「楽しかったらそれでいい」「ウザイものはいや」の世界は本作における「世間」に相当するようにも感じる。 善良な主人公の父親がただ善良だけでは「世間」に対抗できないことをも示しているといえるだろう。 

善良で弱いものは自殺するというのは現在読書中の左高信の著書「鯛は頭から腐る」の中でも高級官僚や企業の腐敗を糾弾する中でスキャンダルが起こるごとに誰かが首をつったり高いところから飛び降りたりする現実で示されている。 本作の中で父親の後妻が「待つのよね」を繰り返す場面ではすでに「待つ」だけでは事態は改良されないことを示し、「善良な」市民が「善良な」市民に圧迫される「空気」の中では頑固で小さいときから友達もなく、成績もよくなく大学受験にも落ちた裕福でもない家庭の女子が自分の居所をボランティアの中で見つけてその挙句現地で拉致されそれがナショナルニュースになった顛末がこれだというのではやるせない。 ボランティアというのは裕福な家庭の子女のみがやることでまず己の家の中からやることだ、外国にわざわざどうして出て行く必要がある、などの言は普通に世間に蔓延する言説が普通にこの映画に入ってきて世間の声となっているのだ。 

本作では当時のことを捨象してその後の地元の小社会で本人と家族に焦点をあてて日本に蔓延する「世間」のバッシングを描いたのがポイントなのだろうが私の家族が本作のことの本質が分からなかったほど日本の「世間」の鵺は不可思議なものなのだろうか。

なお、この後ネットをみると立教大学のサイトに、2004年3号 「イラク日本人人質事件とメディア報道に関する研究」が出ていた。 概ねここから本作が説明しなかった事情を知ることができた。 それにつけてもオランダの看護士の男性と日本人女性医師がソマリアで長らく拉致された後、最近解放されたニュースがあったのだがその報道されぶりと本作に見られる日本の反応の違いには驚かされ、もう5年以上前の事件当時、「政治」とメディアが大きくかかわっていたことをいまさらながら思い知らされて、その責任の所在がどこにあるのかないのか考えると荒野に放り投げられたような気にもなって呆然とする。

http://www.rikkyo.ne.jp/web/z3000268/journalsd/no3/no3_note1.html

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