Van Vugt, Pavone, Sarin, Van Kemenade
Sun. 22 Feb. 09 at BIMHUIS in Amsterdam
Paul van Kemenade (as)
Mark van Vugt (el. g)
Mario Pavone (b)
Michael Sarin (ds)
この宵はこのバンドリーダーの様々なガジェットと電気ギターを駆使して現代的フュージョン; カントリーから民族風、バップ、フリー、インプロヴィゼーションと幅広く活躍するギター、Mark van Vugt(マーク・ ファン フフト)が中心になりゲストとしてアルトサックスの Paul van Kemenade (パウル・ファン ケーメナーデ)を招いての一夜だ。
コントラバスとドラムスはファン フフトがニューヨークをも長く活動拠点としていることからそこで気心が知れた二人を招いたということだ。 大きなコントラバスは低音が美しく響き、ドラムスはしっかりとしたタイムキーピングをつかさどり、セッションがインプロヴィゼーションになると時にはあえてリズムを外してこちらの訝しさで注意を惹きそれによって他のメンバーも刺激を得て様々な方向に音楽をもっていく、ということもやる。
この日のゲスト、アルトサックスはすでに何回か書いたことがありいまさら繰り返すこともないけれど、若いときからミンガスバンドを目標としプロとしてソロからシンフォニーオーケストラをも駆使し、アジア、アフリカ、ヨーロッパとハードバップからインプロヴィゼーション、フリーを進める活躍の人である。 この日は音のバランスの点からホーンの先にマイクをひとつ挟んでそれでいつものように軽快に飛ばす。 テーマや途中のユニゾン、チェースはそれぞれのコンセプトに従うのは当然のことながらソロとなるとそこで提示されている曲想から、より自分のテリトリーに戻そうとするような動きも時々見える。 それはフリー、インプロヴィゼーションでは彼がイニシアティブを取りそれぞれが自由な空間で領域を重なり合わせて音楽を作るというこの種の音楽の基本的な条件をみたすものだ。
ギターは厚手のセミアコースティックを中心に50年代コピーなのか誠に愛らしい弦の長さが普通の3分の2ほどのものも適宜に使いたくさんあるペダルやボックス、様々なガジェットで第一セット4曲、第二セット4曲の自作をECM風、南アフリカ風、パリテキサスのライ・クーダー風、ビル・フリーゼル風、マイルスバンドでのマクラフリン、スコフィールド風などと電気ギターの70年代以降の歴史を辿るような音色と響きだった。 ただ、バンドのコンセプトとアルトサックスというのはショーターやフォーチュン、それにあまたフュージョンのアルトで散々聴かれているのだがケーメナーデはそれをよしとしないようだ。 そこでは何があってもミンガスはミンガスだ、というようにケーメナーデはケーメナーデを吹いている。
この日のリーダーについて特筆されるべきは響きの材料は歴史的に最良質のものを集めていることと意匠がすべて自分の作で進めているところだろう。 それぞれの曲に影と日向を作り緊張と緩和の中でもゆったりポッカリ空いた「穴」をつくってある。 そこでゆったりと相互に様子を見合いその場でそこからの新しい地平を探るポイントとしているのだろう。
Sun. 22 Feb. 09 at BIMHUIS in Amsterdam
Paul van Kemenade (as)
Mark van Vugt (el. g)
Mario Pavone (b)
Michael Sarin (ds)
この宵はこのバンドリーダーの様々なガジェットと電気ギターを駆使して現代的フュージョン; カントリーから民族風、バップ、フリー、インプロヴィゼーションと幅広く活躍するギター、Mark van Vugt(マーク・ ファン フフト)が中心になりゲストとしてアルトサックスの Paul van Kemenade (パウル・ファン ケーメナーデ)を招いての一夜だ。
コントラバスとドラムスはファン フフトがニューヨークをも長く活動拠点としていることからそこで気心が知れた二人を招いたということだ。 大きなコントラバスは低音が美しく響き、ドラムスはしっかりとしたタイムキーピングをつかさどり、セッションがインプロヴィゼーションになると時にはあえてリズムを外してこちらの訝しさで注意を惹きそれによって他のメンバーも刺激を得て様々な方向に音楽をもっていく、ということもやる。
この日のゲスト、アルトサックスはすでに何回か書いたことがありいまさら繰り返すこともないけれど、若いときからミンガスバンドを目標としプロとしてソロからシンフォニーオーケストラをも駆使し、アジア、アフリカ、ヨーロッパとハードバップからインプロヴィゼーション、フリーを進める活躍の人である。 この日は音のバランスの点からホーンの先にマイクをひとつ挟んでそれでいつものように軽快に飛ばす。 テーマや途中のユニゾン、チェースはそれぞれのコンセプトに従うのは当然のことながらソロとなるとそこで提示されている曲想から、より自分のテリトリーに戻そうとするような動きも時々見える。 それはフリー、インプロヴィゼーションでは彼がイニシアティブを取りそれぞれが自由な空間で領域を重なり合わせて音楽を作るというこの種の音楽の基本的な条件をみたすものだ。
ギターは厚手のセミアコースティックを中心に50年代コピーなのか誠に愛らしい弦の長さが普通の3分の2ほどのものも適宜に使いたくさんあるペダルやボックス、様々なガジェットで第一セット4曲、第二セット4曲の自作をECM風、南アフリカ風、パリテキサスのライ・クーダー風、ビル・フリーゼル風、マイルスバンドでのマクラフリン、スコフィールド風などと電気ギターの70年代以降の歴史を辿るような音色と響きだった。 ただ、バンドのコンセプトとアルトサックスというのはショーターやフォーチュン、それにあまたフュージョンのアルトで散々聴かれているのだがケーメナーデはそれをよしとしないようだ。 そこでは何があってもミンガスはミンガスだ、というようにケーメナーデはケーメナーデを吹いている。
この日のリーダーについて特筆されるべきは響きの材料は歴史的に最良質のものを集めていることと意匠がすべて自分の作で進めているところだろう。 それぞれの曲に影と日向を作り緊張と緩和の中でもゆったりポッカリ空いた「穴」をつくってある。 そこでゆったりと相互に様子を見合いその場でそこからの新しい地平を探るポイントとしているのだろう。