暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

青年カイツブリ

2009年02月27日 08時04分30秒 | 見る

職場のすぐ近くにほんの小さな水路が延びている。 それはもう150年以上前にふフォンシーボルトが日本から持ち帰ってきた植物が大木に育っているところにも伸びていて、そこでは春には美しい藤の大きく長い房がいくつも見られるところでもあるのだが、その水路は青年男女なら跳び越せそうな4mあるかないかという幅で車は通れないところであるから日ごろはまことに静かな佇まいだ。

空気の中に少しは緩みは感じるもののまだ空に雲が重く残っている午後、仕事場から帰宅するときに人通りのないその水路沿いを自転車でゆっくり走らせかけていたら足元の水路の表面に細かなあぶくが走ったので自転車をとめて見ていたら案の定、こちらでいう Fuut(カンムリカイツブリ)が出た。

日ごろ町の水路や環濠のあちこちでみる鳥なのだが私のとくに好む鳥だ。 この町では幼鳥のときに捕獲して足に登録のための番号を記した金属のリングを施しているのをよく見かける。 そうしてその様子で水路の水質、鳥を含む動植物の形態を調べているようだ。 深くない水路は季節によって変化を見せ夏には水草や藻も繁殖し小魚の群れもみる。 けれど鳥は迷った白鳥がたまにくることはあっても大抵はアヒルか鴨かという連中だけで特に晩秋から冬の間は寂しく、はなはだ変化がないからカンムリカイツブリはいつでもアクセントになって見かけると時間のあるときは自転車を止めてしばらく眺めている。 ことに冬の間は鴨にしてもほとんど姿を消しているのだからこの鳥がいるのは慰めになる。

形から見るとこれはオスでまだ若そうだ。 カンムリカイツブリは夫婦仲がよく大抵二羽で見られるから水路の両側をざっと見渡しても他には何の影もない。 そうするとこれは去年巣立った若者だろう。 今年はこれから暖かくなると堀か近くの湖水でメスを見つけ求愛のダンスでパートナーを見つけ、そのうちどこか水上の安全なところに枯れ木を集めてきて巣をかけ春の終わりごろには2,3羽の白い小さなふわふわの雛を夫婦で育てるようになる。 夏が終わるころには雛にもぐって魚や藻をとることも訓練して教え、そのうち育った子供たちを巣離れさせる、ということになるのだろう。 そして冬を越した若い成鳥がここで活動しているのだろう。 けれどこの種の鳥には多少ともテリトリーというものもあるのだろうからここは親たちも来る場所なのかはたまた他の同種と共同乗り入れ猟場とでもいうところなのだろうか。 数から言えばオオバンや鴨のようにどこにでもいるという鳥ではないから過密問題はないのだろう。

透明ではあるが底が暗い上に夏のように陽も射さず、ねずみ色の空の下、夕刻迫る時間に濃緑色の水にはあぶくだけが連続して走りそれが途切れるかと思えば突然まったく想像もしていなかったところに浮かび上がる、といったことをしている。 すぐ近くにいるのにもかかわらずこちらを気にすることもなくのんびりしたものだ。 けれどカメラを向けてシャッターを押そうとしてもそれはそれで絶えずうごいているのに加え、この光の乏しい中ではシャッター速度も上がらず満足のいくものは撮れない。
 
カメラの設定をあれこれしているうちにこの若い成鳥は場所を変えようとするのか潜らずに浮かんだままで体の割には大きな水かきのついた足を動かして木の札に葵の紋を冠した日本からの到来木のある植物園の方に移動して行った。

今年の夏にはここでメスや小さい雛鳥2,3羽と一緒に小魚を取っているのをゆっくり見られる事を楽しみにしている。


カンムリカイツブリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%84%E3%83%96%E3%83%AA 

スーパーでの出来事

2009年02月27日 08時01分09秒 | 日常
木曜の午後のスーパーはゆったりとして年寄りたちが広いスペースでゆったりと時間をかけて買い物をしている。 ゆったりとしているのは動きそのもの,
時間そのものがゆったりとしているからで何もわざわざ時間をかけようとしてやっているわけではない。 急げないわけだ。

この時間はは金曜や土曜での同じスペースとは思えないほど閑散としており、スーパーにしてもこの機に大量の商品を倉庫から大きなカートでそれぞれの棚に補充したり交換したりするのに都合がいいわけだし、年寄りの我々としても新しいものが直接買えたり周りから急かされる事もなくゆっくり老眼鏡で細かな文字も読み、要らないものでも珍しそうに眺めることもできて月曜の残り物ばかりが目に付く店内とは違い、全日9時から5時まで働くものにそんな風に時間を贅沢にとれることをうらやましいと思われるかもしれないがそんな我々にしても10年、20年前には混み合う日常のショッピングは充分経験しているから今の時間の棲み分けということではこれは社会の年齢構成に相応していて順当だろう。

さて、夕食の献立を決めるのに想像力を動員しなければならないのだがさっき広場の向こうの魚屋で腹に入れたムール貝の揚げ物とビールがそれを阻害する。 家族の作った長い買い物リストの物はあらかたカートに入れ生鮮食料品のところに来てあれこれ思案しながら肉売り場のところに来たのだが肉にしようか魚にしようか、魚ならさっきの魚屋のほうが新鮮なものがあるはずなのだけど、またあそこに戻るのも面倒だ、肉なら生のものを自分で料理するかそれともいろいろな香辛料をいろいろな油でまぶした出来合いのものを焼いたり炙ったりするか、牛にするか羊にするか牛ならどの部位か、エトセトラエトセトラ、、、と取りとめもなくそんな肉の塊や小片、中片の並んだところを眺めていた。 そんな風にぶらぶら見ていたのは係りの店員がつかず離れずの距離にいてこっちを放っておいてくれたからで、自分の気性からすればまだ何も決めていないところに寄ってこられてあれはどう、これはどうと勧められると面倒だ、ということもあるからだ。 まだ20歳になったかならないかという利発そうな女性だ。 こっちのことは見えているのだけれど気配であえて近づこうとはせず自分のほかの仕事をしているからそれでいいのだが、そこにフロアマネージャーが老婦人と一緒にやってきた。

広いスーパーの中には2人ネクタイをしてスーツの前もボタンをかけた50前くらいのと20代半ばの見るからに大企業のビジネスマン然とした男たちだ。 このスーパーはオランダだけではなくアメリカにも支店をもち、K-1のリングの角に見られる「マツモトキヨシ」というネーミングの元となった、創業者の名を冠した大企業でありどこでも競走の激しい中、ここでは商品の多様化、高級化、自社ブランドを広める、ということを進めて、コストの削減、レジでの時間の短縮化から割引カードを持った客にスキャナーをもてるようにし、各自が自分で買いながらスキャンさせわざわざカートに入れたものをまたコンベヤーにのせ、それも何人も待ったあとにそういうことをするのは客と店双方に無駄であるとでもいうのか、レジも10ほど残したものの将来に向けてレジのない出口ではスキャナーと銀行カードなどの組み合わせで自動振込みさせて時間の短縮を図る、ということも行っている一部上場の大企業なのだ。 だからここでのフロアマネージャーはある意味、社長の代理であり接客にはジェームズ・ボンドばりの素早さ手際よさが期待されているようだ。

彼らの業務は日ごろは裏での在庫管理、表にまわって商品、店員、接客のチェックが主で携帯で話しながら忙しく店内を巡回するということなのだが表から狭い柵もなくそのまま入れる広い入り口から中学生くらいの子供がスケートのままで傍若無人に近い態度で入ってくるのを若い方が注意して帰らせている。 アメリカのように警官然とした警備員がいるというわけでもないからまだこの国はそういう意味では荒れてはいないのだろう。 しかし、小学生でも学校に行かず2,3人づつぶらぶらと不審な態度で店内を徘徊していることがあるので防犯の意味でも絶えず注意が要る。 

私の横に来た50でこぼこのマネージャーは慇懃に老婆に付き添っており、これはどうも苦情に付き合っているというようすだ。 老婆の様子は髪は手入れができておらず服装も周りから見ても年齢には似合わず荒れた様子、上体二つ折りに近いような形で大きな買い物カートにうつぶせになるようにもたれてゆっくり移動する。 この老婆は今まで何回かここで見たことがある。 横をとおるときに何か一人でつぶやきながら歩いていたようなこともあるし、高いところにある商品が取れず頼まれてとってあげたこともある。 彼女の口吻は別段激しいこともないけれど、精肉部の店員、つまり20でこぼこの女の子の対応がよくない、ということのようだ。 ステーキ肉の切り身を選ぶのにショーケースに並んだものの一つを指定したのにその女の子からは見えないのかさっぱり要領を得ず自分を無視している、というのがどうやら老婆の苦情らしい。 老婆はそれをフロアマネージャーの方も女子店員の方も見ずつぶやくようにいい、いわれた女子店員は驚いたような顔をしている。 いわれがあってもなくてもフロアマネージャーの前で言われれば普通なら接客の常としてここは客の言い分を一応聞くのが普通で、マネージャーは老婆にそれではどの肉ですか、と尋ねて次にその肉はカウンターから見えるかどうか店員に確認している。 

もちろん我々から見てもショーケースに奥があるわけでもなく老婆も店員もちゃんとしたオランダ語を話すのだから言葉による意思の疎通に問題もなく、この時間帯に店員にしても客に対応する時間は充分すぎるぐらいあるのだから店員が客を無視することなど考えられない。 店員にしても他のスーパーとは違い接客の訓練が十分いきとどいており誰も気持ちよく丁寧に対応してプロとして働く自覚はできているように見うけられるから彼女も例外ではないようにみえる。

静かにそばに立って対応していたマネージャーは、老婆に向かい、店員にしてもどうもお尋ねの商品はちゃんとあちらからわかるようですから今は間違いなくお求めのものをお買い上げいただけるようです、と老婆に示唆するとそのときには老婆はもうカートを押して別の場所に移動している。 マネージャーはそちらの方向を少し眺め店員に目配せして次の何かのために移動して去った。 それでこの一件は一応片がついたのだろう。

そういうものを横で見ていた私はまだどの肉にするかも決めかねたままで値段と肉の質を比べていたのだが老婆とマネージャーが去った後そこに立っていた女子店員が、決めるのむずかしいでしょ、というので、ほんとに難しいね、と言ってウインクをしたらお試し用の肉が焼けたのか微笑みながらそちらのほうに移っていった。

結局そこでは生肉の切れを買わず少し離れたところで小さなソーセージが何種類かパックされたものをカートに放り込んで野生のほうれん草とマッシュポテトで夕食にすることにして買い物を終えたのだった。

さっきの一件のことを考えていたのだが、あれは多分、一人暮らしの老婆の鬱屈か、はたまたアルツハイマー症のようなものが出始めているのか、それとも実際に店員が老人のテンポに苛つくような一瞬のしぐさをしたのか、それは分からないものの私の観察ではどうも老人に分が悪いようだった。 このフロアマネージャーの対応は冷静かつ適切なもので他のいくつもあるスーパーのマネージャーたちとはかなり違う。 当然さまざまな難題についてはすでにシミュレーションで訓練されており高齢化の社会であることから老人対策もされているのだろうし、だから老人が言葉を荒げても感情を露にせず辛抱強く対応するということがマニュアルにあるのかもしれない。

駐車場を出て信号を左折し大通りに車を入れたら途端に交通渋滞に巻き込まれた。 さっきまでのんびりしていたのだがそれもゆったりと自分のテンポで歩き回れたからのことで、気が急くなかでノロノロ運転、また停止の交通停滞で止まってしまうとイライラする。 動かないからとはいえそれがゆったりというわけではなくむしろ逆でストレスを無為に蓄積させる。 窓外をみると速度違反の監視カメラの裏側に制限時速は50km/h の表示がでていてここではスピード違反を出そうにもまず渋滞の撤去が課題だ。 見上げるその監視カメラの後ろに現在建築中の高層住宅が見えた。 これからもまだ景気の停滞が続くと見られている昨今、果たしてこの住宅は完成するのだろうか。